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預言カフェなるコーヒー専門店

Arise Tokyo Christ Church

預言カフェという名のコーヒー専門店がある。キリスト教会が運営している。小説で描いたことが明確な形で目の前に現れたかと思った。入口に続く細長い廊下に十数名の人が列を作って待っている。隣接するプレスクールも同じ教会が運営しているようだ。

以下「いつか名もない魚になる」より引用

初夏のころ、ある教会のカウンター席でスマホを操作しながらガラス窓越しに外を見ると、強風が渦巻いて街路樹の枝を激しく揺らしていた。上空には黒々とした雲がすさまじい勢いで飛んでいる。何か不吉なことが起きるかもしれない。でも教会にいる限り心配はないはずだった。無宗教派は誰でも受け入れるのだから。

「いらっしゃいませ、ご入会ですか……かしこまりました……以上でよろしいですか……カードで……タッチお願いします……失礼いたします……ご入会は二年ごとに更新されます」

若い女の司祭が、語頭にアクセントのある異教徒らしい抑揚で改宗者を相手に機械的なやり取りを繰り返している。実に無駄のないやり取りだ。ちなみに、入会するかどうか尋ねるのは、見学だけの人々が少なくないからだ。この同じセリフの繰り返しが耳について記録係は耐えられない。

一匹の黒犬

あさ通勤電車のドアと座席の端に挟まれた床に(きつね)色のビニールに包まれた生き物がうずくまっているのに気づいた。しばらくすると、すっくと前脚を立てた黒い盲導犬が僕のほうを見た。澄んだきれいな眼をしている。いつか山で数時間同行した黒犬と同じ表情だ。こちらのほうが若い。いい顔だなあ。光沢のある黒毛と黒光りする鼻に()せられた。たれさがった二つの耳たぶが周囲の雑音を聞くまいとしているようだ。

じっと犬の眼を見ていて、(いぬ)(がみ)という言葉を思い出した。感情が抑制され、全体として気品のある風貌をしている。(いぬ)(がみ)さま、ご主人だけではなく、どうか僕たち乗客を導いてください。そのあとを追いかけようとしたが、雑踏のなかに消えてしまった。

普通失踪宣言: 日本7年・韓国5年

日本の民法は、失踪の宣告について次のように定めている。

第30条 [ 失踪の宣告 ] 不在者の生死が7年間明らかでないときは、家庭裁判所は利害関係人の請求により失踪の宣告をすることができる 戦地に臨んだ者、沈没した船舶の中に在った者その他死亡の原因となるべき危難に遭遇した者の生死がそれぞれ、戦争が止んだ後、船舶が沈没した後又はその他の危難が去った後1年間明らかでないときも前項と同様とする。

「사랑의 불시착(愛の不時着)」 第7話において、女性主人公の父親が会長を務める財閥はその株主総会において、彼女が失踪して1ヵ月経って生存を確認できないとして、その死亡宣告をする。日本では1年のはずだが、と思って韓国の民法を調べると、普通失踪5年、特別失踪1年とあった。

韓国の民法には日本にない航空機の墜落に関する文言がある。また、日本では「宣言をすることができる」で、韓国では「失踪宣言をしなければならない」とあり、韓国では請求人に検事が含まれている。法律の専門家ではないが、こういう日韓比較も興味深い。

제27조(실종의 선고) ①부재자의 생사가 5년간 분명하지 아니한 때에는 법원은 이해관계인이나 검사의 청구에 의하여 실종선고를 하여야 한다. ②전지에 임한 자, 침몰한 선박 중에 있던 자, 추락한 항공기 중에 있던 자 기타 사망의 원인이 될 위난을 당한 자의 생사가 전쟁종지후 또는 선박의 침몰, 항공기의 추락 기타 위난이 종료한 후 1년간 분명하지 아니한 때에도 제1항과 같다.  <개정 1984. 4. 10.>

1984年4月に改定とあるから、その前年に旧ソ連領空とされる地点で大韓航空機が撃墜された事件を踏まえ、航空機墜落の文言が追加されたのかもしれない。日本と較べて韓国では法律改定が速やかに行われると聞いている。

https://goolees.blog/2021/05/31/%ec%82%ac%eb%9e%91%ec%9d%98-%eb%b6%88%ec%8b%9c%ec%b0%a9/

日韓の歴史をたずね関西地域の人々と対話を重ねた韓国人外交官

ohtak.comに掲載していた呉泰奎(オテギュ)さんのブログをoguris.blogに移行しました。

大阪コリア通信(1) 001j-100j 2018.5.9-18.12.4
大阪コリア通信(2) 101j-220j 2018.12.7-20.8.26
오사카 통신(1) 001-100 2018.5.9-18.12.3
오사카 통신(2) 101-200 2018.12.7-20.3.10
오사카 통신(3) 201-277 2020.3.16-21.5.27

6月下旬までは従来のサイトohtak.comでも見ることができます。韓国語と日本語のページは以下のとおりです。

  1. 총영사 인사말: 2018.04.17
  2. 오사카 통신 01-50  18년5-7월
  3. 오사카 통신 51-100  18년7-12월
  4. 총영사 인사말: 2018.10.04
  5. 오사카 통신 101-150 18년12월-19년8월 
  6. 오사카 통신 151-200 19년8월-20년3월 
  7. 오사카 통신 001-200 
  8. 오사카 통신 201-250 20년3월-12월
  9. 오사카 통신 251-277 20년12월-21년5월
  1. 新任あいさつ 18年4月17日
  2. 大阪コリア通信 01-50  18年5-7月
  3. 大阪コリア通信 51-100  18年7-12月
  4. 着任5ヵ月後のあいさつ 18年10月4日
  5. 大阪コリア通信101-150 18年12月-
  6. 大阪コリア通信151-200 19年8月-
  7. 大阪コリア通信: 全200
  8. 大阪コリア通信 201-220 20年3月-8月

『総領事日記』(東方出版 20年10月)の出版を機に日本語版の掲載をやめました。The original site ohtak.com will be closed by the end of June 2021. 

僕の楽観主義と하면 된다

2015年の秋だったろう。当時、一室を使わせてもらっていたW社の代表から「資金移動業の登録申請を手伝ってくれないか」と言われた。資金移動業者として登録されれば国際送金サービスを提供できる。ただ、その申請業務はかなりむずかしそうに思われた。

就労外国人の増加に伴い、彼らが本国の家族ほかに送る国際送金の需要が高まったのを受け、2010年に資金決済法が施行された。地下バンクの不法行為が長年続き、市場規模の拡大を黙過(もっか)できなくなったことが法規制の背景にある。法施行から11年経った現在、登録業者数は約80社だ。外国為替(かわせ)関連の業務だから、当然ながら登録申請手続きは(きび)しい。専門性を要することから専門の弁護士や行政書士に委託する会社が多いようだ。

W社も資金移動業の登録をしようとして行政書士事務所に申請業務を委託したが、うまくいかなかった。その業務を引き継ぐなど、金融分野の業務経験がない僕にできるわけがない。そう考えて(ことわ)ったのだが、事務所を借りていることもあり、結局は手伝うことにした。W社には日本人スタッフが少なかったから、文章編集能力や多様な業務経験が役に立つかもしれないと考えた。要するに、僕の楽観主義がそうさせたのだ。

申請業務には関連法令や金融分野の知識が必須(ひっす)で、それを補いながら仕事をしなければならなかった。そんな僕の都合(つごう)とは関係なく申請業務はどんどん進んでいった。()(しょう)ということもあり、関連知識の習得に努めたが、知識不足を痛感することも多々(たた)あった。財務局の担当官から「(申請を)取り下げるという選択肢もあるよ」とまで言われた。

いまふり返ると、この嫌味(いやみ)な一言が発奮(はっぷん)するきっかけになったかもしれない。W社代表とともに何度も所管(しょかん)の財務局に通い、2017年春には資金移動業の資格を取得することができた。ひとえに代表の終始(しゅうし)変わらぬ自信と韓国人らしい 하면 된다(なせばなる)という発想のお(かげ)である。学ぶところが多かった。

ウェブサイトの立ち上げ、業界団体への参加など、一連の作業が一段落すると、行政書士試験の勉強をしようと思うようになった。()()きではある。ただ、いざ取りかかると、法律の初学者にはかなりむずかしい。19年夏から専門塾に通い、翌年はコロナ禍もあり、途中で動機を見失い意欲を失ってしまった。21年に講座を変え、三度目の受験をめざしている。これが、70歳にして行政書士試験の勉強をすることになった経緯(けいい)である。

ここ10年におけるスマホの普及とフィンテックの進歩などの影響もあり、2020年には資金決済法が大きく改定された。それに伴う社内規程の改定や新たな登録申請業務に(たずさ)わりながら、試験勉強を通じて(つちか)ったものが少なくないことを感じている。

僕の楽観主義は要するに「いい加減(かげん)」「()()きしだい(되어가는 대로)」ということだ。하면 된다(なせばなる) の否定は、(何も)しなければ(何も)できない、ということは間違いないと思うのだが。

the primary idea of Min Jin Lee’s novel “Pachinko”

[2017年10月 Goolee’s blog に投稿した文章を一部修正し、下線を付して再掲します]

Min Jin Lee, the author of "Pachinko"

tells us why she has written this novel on generations of Korean people living in Japan.

http://www.cbc.ca/radio/writersandcompany/min-jin-lee-on-the-untold-story-of-koreans-in-japan-1.4371100

QUOTE

The failures of history

“One thing that struck me in my study of history is how people are excluded. I don’t mean just racial minorities or women. Pretty much all poor people who don’t have documents are excluded from history and its records.  People who were illiterate usually didn’t leave any primary documents. I was interested in how we think about people because the history that we have is limited to an elite body. In my experience of trying to interview people from all different backgrounds, especially the very, very poor and the illiterate, I notice that their attitude is, ‘We know that we weren’t included in the party. However, we are fine. We’re still going to keep on going. It doesn’t matter. We’re just going to adapt.’ That is the primary idea of this book. History has failed pretty much everybody. And yet no matter, we persist.”

Exploring Korea’s painful past

“In the 21st century and in the latter part of the 20th century, we think of South Korea and North Korea. But for 5,000 years, there was just Korea. When it was just Korea, it essentially became a colony of Japan. Japan, which is a wonderful country, has very few natural resources. So when Japan wanted to expand, Korea became its breadbasket. They took a lot of things from Korea and the experience of most Koreans of that era is one of general humiliation because they had their property, language and a lot of their authority taken away. The experience of the people who lived under the occupation was very difficult because they lost their national identity. A lot of people don’t like to talk about it. It’s a period of history that’s very complicated for the modern Korean to tackle because it’s one of humiliation.”

Expanding Western education

We have huge holes in our education in the West. I think that we have little knowledge of Asian history. If you ask a well-educated, modern Western person about World War II, most will think that the theatre of war was only in Europe. But it’s known that the Pacific War was going on concurrently, and we don’t know anything about it. The 20th century Cold War proxy wars all took place in Asia. Yet again, we know hardly anything about it. This is a failure of the educational system. But people decide what is worth studying. We are going to have to know much more about Asia and the Middle East than we want to, or think that we need to know in the West.”

Recognizing the Korean Japanese experience 

If I force myself to wonder what made me think about and work on this book for almost 30 years, it’s this sense that the Korean-Japanese experience was never my experience. I moved to Queens, New York when I was seven and a half. I went to middle school in a foreign country, but I had so many different kinds of Americans push me along and encourage me. I was very odd. I didn’t talk very well, we were poor and we didn’t have any connections, but people showed up and pushed me along. I knew that there was something wrong if a country not only rejected you, but also your parents and your grandparents. This is what happened to the Korean-Japanese. Even today, they’re not considered citizens.”

Min Jin Lee’s comments have been edited and condensed.

Music to close the broadcast program: “Arirang,” performed by Wu Man, Luis Conte and Daniel Ho. 

UNQUOTE

Min Jin Lee は1968年に韓国で生まれ、7歳のとき家族とともに米国に移住し、ニューヨーク市に住むことになった。2nd grade に入学するが、授業も同級生の会話も聞き取れず、つらい孤独な時期を過ごしたようだ。https://www.minjinlee.com/

本もテレビもない家庭にあって、彼女の楽しみの一つは毎夕食時に共働きの両親が日々仕事で接した人びとについて語るのを聞くことだったという。登場人物の多くは在米コリアンだったようで、彼女のなかに彼らの人物像が形成されていった。

父親は北朝鮮の出身で、朝鮮戦争の戦禍を逃れてプサンにたどり着き、戦後は米軍関係の仕事に就いたらしい。そのころプサン出身の母親と出会い、周囲の反対を押し切って結婚したという。母親の周辺に教会関係者がいたようだ。Min Jin Lee の略歴にふれたのは、小説 Pachinko が描く在日コリアン像に著者の在米コリアンとしての来歴が重なって見えるからだ。

小説 Pachinko は、大日本帝国が朝鮮を併合した1910年から「冷戦終結」とされる89年までの激動期を生き抜いた4世代のコリアンの群像を描き、時代背景を浮き彫りにしている。小説の舞台はプサン・ヨンド(影島)、大阪、東京、横浜、長野、ニューヨークだ。米国社会を加えることで、在日コリアンを相対化し、日本社会の特殊性を浮き彫りにしている。

第2部後半から第3部までの同時代を生きた僕は、この小説を読みながら自分の当時の姿を投影して振り返っていた。隣国に関心を持つ日本人は稀で、新聞各紙が北朝鮮を「地上の楽園」と礼讃していた70年前後、そこに理想社会を見た多くの人が嬉々として万景峰号に乗り込んでいった。

この小説もそういう在日の姿を見落としていない。実際は北朝鮮による拉致事件が横行していたのに、日本の政界も公安当局も把握できなかったか黙過した。後年摘発する者が出てきたが、遅きに失した。

この小説は、読者に当時の日本社会と隣国との関係を振り返ることを強いる。50年前に僕が感じ考えていたことを Min Jin Lee がジャーナリストの観察眼と小説家の感性で文章化してくれた。この点、大いに彼女に感謝しなければならない。

三部構成の小説 Pachinko

第1部 1910-33年: 日本の植民地時代のヨンド、ソンジャの両親が営む下宿屋、漁師などの下宿人との生活、ソンジャの父で障害者のフーニィと彼の死、市場を取り仕切っていたであろう済州島出身のハンスとの恋愛と妊娠、ハンスとの訣別。

結核を煩いながら平壌からプサンまで旅行し、倒れ込むように下宿屋にたどり着いた牧師イザクとソンジャの出会い、彼女が身重であることを知りながら、イザクはソンジャと結婚し、牧師の職を担うため日本に向かう。

第2部 1939-62年: イザクの兄ヨセフを頼ってイザクとソンジャが大阪に着く。ヨセフ夫婦とともに大阪の猪飼野に住み、ソンジャは長男ノア(実父はハンス)を出産し、数年後にイザクとのあいだに次男モザスを産む。イザクは二人の子どもに愛情を注ぐ。

40年代、イザクは所属教会の牧師と助手とともに官憲に捕らえられ、数年後に死期を迎えて解放される。他の二人は獄死する。牧師は在日コリアンで、もう一人は在日中国人だった。

ノアは成績優秀だが、貧乏ゆえに数年浪人して早稲田大学英文科に進む。ハンスが実父とは知らされずに、やくざの彼に入学金と授業料のみならず、贅沢なアパートと生活費の提供を受ける。

大学3年のとき交際したアキコの好奇心が引き金になって、やくざのハンスが実父だと知るや、ノアは誰にも行き先を告げずに逃亡する。長野県で周囲の人びとに出自を隠してパチンコ屋に就職し、同じ職場のリエと結婚し、家庭を築く。

ノアの弟モザスは兄と違って勉強嫌いで、力道山を崇める正義感の強い男子だ。学校生活になじめずに高校を中退し、在日の経営するパチンコ屋に就職して家計を助ける。

兄の影響である程度英語ができたモザスは、アメリカに焦がれるユミと結婚する。店舗を任されるまでになり、横浜の新店舗のマネージャーに就任する。順調に見えたが、妻のユミが交通事故死したことで暗転する。

第3部 1962-89年: モザスの子ソロモンは横浜のインターナショナルスクールで学び、米国コロンビア大学に留学して卒業し、在米コリアンの女性と帰国し、外資系の投資銀行に就職する。ところが、ゴルフ場用地に住む在日の地主を懐柔する仕事を任され、その地主が急死したことで退社を迫られ、パチンコ業に就く決心をする。それを勧めたのが、彼の初恋の女性で梅毒に倒れたハナだった。父親のモザスは反対するが、結局は受け入れる。

イザクの兄ヨセフは1945年の夏前に長崎に出稼ぎに行って被爆し、帰阪後は寝たきりの生活を送る破目になる。ヨセフはハンスがノアの学費等を出すことに猛反対し、晩年同じ屋根の下に住み、ヨセフの妻キョンヒに想いを寄せたチャンホの北朝鮮行きに最後まで反対し、自分の妻との結婚まで勧めるが、すべて彼の望まない方向に進んでいく。

済州島出身で紳士然としたハンスは、大阪の金満家に可愛がられ、その娘と結婚することで権力を得て、ヨンドと猪飼野周辺を支配するやくざで、日本の敗戦を早く察知し、被爆したヨセフを米軍に頼んで大阪まで搬送する。終始この小説のプロットに関わる運命的な存在であり、ソンジャが彼の子を孕んだことが小説の展開を導いているかに見える。

ソンジャを支えたのは若くして亡くなった父フーニィの深い愛情と母親の献身とやさしさだろう。母親は後年ハンスの手引きで来阪し、ソンジャ家族とヨセフ夫婦と同居する。ノアの拠りどころはイザクではなかったか。長野に隠遁したあと、毎月欠かさずにソンジャとハンスにお金を送り続け、大阪にある父親イザクの墓を訪ねている。ノアは16年ぶりにハンスが探し出した彼を訪ねた母親と再会した夜、40代半ばで自殺する。

小説 Pachinkoは、父親も異なり性格も進路も異なるソンジャの二人の息子が、在日二世であるがゆえに結局はパチンコ屋の仕事に就き、インターナショナルスクールを経て米国留学まで果たした孫も三世であるがゆえにパチンコ屋を継ぐという在日の置かれた状況を描き、米国社会と比較して日本社会の不条理を鋭く批判しているように思う。

注: スンジャとしていた主人公の名をソンジャに訂正しました。韓国語版の改訂版に次の注釈があることをKSさんにご指摘いただきました(2021-5-17)。

※작가의 요청에 의해 주인공의 이름인 ‘Sunja’의 표기를 ‘순자’에서 ‘선자’로 변경하였습니다.

「ゴー河沿いの風景」「ンヴィーニたち」「いつか名もない魚になる」三篇を公開

1. ゴー()沿いの風景: 車窓の風景と心象風景が交錯し、主人公は車内で偶然同席した老人、そして女性に引かれていきます。列車という教会に乗っていながら、信者になれなかった主人公の孤独を移りゆく季節の光景とともに描きます。

2. ンヴィーニたち: 「ンヴィニ教」(便利至上主義)の無自覚なフォロアであり、信徒ないし盲信者という意味です。現代人の行動原理が「無信仰」と呼ぶべき信仰にあると考えました。

3. いつか名もない(うを)になる: 抽象的で読みにくいですが、(うを)になった主人公を想定し、老人と死について考えました。人は死ぬと(うを)になり個性のない魚類になるという仮説を掲げ、死後も個人として存在したい人々の願望を描きます。

賀茂眞淵と澤庵宗彭の墓

賀茂眞淵(かものまぶち)の墓を再訪した。前回訪れたときの記事には周囲の騒音をしばし忘れるかのように書いているが、今回は違った。電車や列車の音ばかりでない、ひっきりなしに頭上を低空で通過する航空機の爆音がうるさく響いた。

品川区東海寺にある賀茂眞淵の墓(背面から)

同じく東海寺の墓地内に澤庵宗彭(たくあんそうほう))(1573-1645)の墓がある。漬物石そのものを置いたような墓だ。澤庵が没して約50年後に賀茂眞淵が生まれている。賀茂眞淵の没後250年の現在からはどちらも同じ時代にいたように見える。

https://oguriq.com/2020/12/12/賀茂眞淵の墓/

自問自答

何だかだ言っても、結局のところ、おまえも日本の戦後教育のみすぼらしい落とし子の一人にすぎないようだな。その土台は明治以来続いている偏狭な復古主義に根ざしているというべきだろう。

小説「いつか名もない魚になる」に描かれた「寺院」とか「教会」にいて、小説に登場する他に行くところがない人々と同じように決められたことを勉強し、何がしかのことを学んだような錯覚を得て満足する似非(えせ)文化人そのものではないか。おまえの周囲にいる人々と同類ではないか。