小栗 章
この文章の主人公は凭也(ヒョーヤ)といいます。彼は自分が認知症の患者だと思い込んでおり、十年あまり治療を受けています。治療といっても、月に一度担当の女性医師を訪ね、以前または最近書いたメモや撮影した写真を見せながら、それについて彼女あるいは記録係と約二時間やり取りするだけです。凭也が治療のため病院に通い始めたころ、記録係は同じ病院の事務部に勤めていました。夏が終わろうとするころだったと思います。記録係が病院の食堂で食事をとっていると、同じテーブルの向かい側に凭也がすわりました。その一ヵ月後に二人はまた同じ場所で会いました。さらに一ヵ月後、また同じ食堂の同じ場所で会ったので、たがいに相手のことを変に時間と場所に几帳面な人だと感じました。
その翌週、凭也の担当医だという神経内科の女性医師が記録係のところにやって来て、凭也が診療中に記録係について話したと伝えました。よほど印象に残ったようで、名札をみて名前を記憶したらしいというのです。診療中に記録係について話すことがその後も続いたので、その医師は記録係に診療に同席して話の内容を記録するように依頼しました。彼女によれば、ちょうどそのころ記録係にも認知症の初期症状が表れていたようです。ただ、凭也と違って記録係には自覚症状がまったくありませんでした。記録係が診療に同席し認知症患者に接することで自らの症状を自覚できる、彼女はそう考えたようです。
以下の文章は、凭也のメモと彼が診療中に話した内容をもとに医師と記録係がその記憶世界を年代ごとに時間軸に沿って整理したものです。彼が話した順に時期区分ごとの時間軸に沿って編集しました。この記録をもとに医師は、凭也が認知症を発症していたと考え、それ以前に認知症特有の風景の揺らぎと時間軸のずれを生じていた可能性も否定していません。彼の場合もそうですが、認知症の患者は記憶をすべて失うわけではないようです。最近の記憶は定着しませんが、過去の記憶と情景は鮮明に保存されています。この記録では、風景と時間軸のつながりが不確かになり、未来を含め自分の年表のどこに風景の記憶が保存されているのか特定できない症状を認知症とします。患者には自覚症状がある人とない人がいます。症状が進行すると、自分がいま時間軸のどこにいるかわからなくなり、身近の人々が誰かも不明になります。
[この記録の時期は一九九〇年夏から二年ほどで、場所は北米とされています。凭也(ヒョーヤ)はH市で体験したことを繰り返し話しました。列車の窓から見た景色と彼の心象風景が交錯するようすは明らかに認知症の症状を示しています。記録係は彼の話を記録しながら、どこかで自分の経験だと錯覚していたふしがあります。凭也の独白部分を[ ]内に入れ、文体を区別しています]
谷あいを走る列車
H市に駐在していた凭也は、郊外のアパートから市街地のオフィスまで毎朝ディーゼル列車で通勤していました。朝夕の通勤時間帯に四両編成の列車が上下三本ずつ約三十分間隔で運行され、大半の区間は単線でした。二階建ての車内には日本島の長距離列車のように通路の両側にゆったりした四人掛けボックスシートが並んでいました。凭也が乗るY駅から終着のW駅まで約三十分かかり、途中の停車駅は一つしかないので、同じ時刻の列車を利用する乗客は毎朝ほぼ一定していました。通路やドアの傍に立っている乗客はいません。朝は座席の位置がほぼ固定している者も多く、始発駅の乗客は指定席を得ているようなものでした。郊外の住宅地を抜けて湖岸の市街地に至るまで、ゴー河沿いの谷あいを南下します。Y駅の次の駅を過ぎると、市街地に入るまでほとんど谷あいの風景が続き、通勤列車に乗っていることを忘れさせました。
列車を利用するようになって二ヵ月ほどは、毎朝、車窓の景色を見ているだけで飽きませんでした。夏から秋に移る時期だったでしょう。谷あいに見え隠れする野草の色調が萌黄から淡い紅や淡い紫へと日々変化しました。列車の通過する瞬間だけでも、これらの景色をとらえようとして見入りました。日数が経つと、列車の両側に現れては消える地形を断片的に覚えるようになりました。特に引かれる場所が数ヵ所あり、そこを通過するときは決まって特定の心象風景が浮かぶのです。途中に踏切が一ヵ所あり、いつも少し手前で列車が汽笛を鳴らします。その位置の西側、小高い丘の上に緑青を塗り付けたような小屋とレンガ作りのエントツが建ち並んでいました。そこを通過するたびに、幼少期を過ごした中国地方の山々に囲まれた鉱山町を思い出すのです。幼少期の記憶をほとんど失っていましたが、五歳のとき、その鉱山町を離れたときの情景は脳裏に残っていました。列車が汽笛を鳴らし、小高い丘が見えると、決まってその山々が浮かびました。
[小さなホームにたたずむ人々、背後に迫る山並み、鳴り響く蒸気機関車の汽笛、ピィーィーィーィーポォーォーォー、ピィーィーィーィーポォーォーォー、ピィーィーィーィー、汽笛がいつまでも途切れずにこだまする]
こうしてゴー河沿いの景色と凭也の心象風景のあいだに特別な関係が作られました。
老人と女性の乗客
列車で通勤して数ヵ月過ぎた晩秋の朝、凭也の指定席に見慣れない老人がすわっていました。白髪と顔の下半分をおおう白いひげから察して、年令は七十歳ぐらいだったでしょう。がっしりした体は白人のなかでも大きいほうでした。列車の進行方向に背を向けてすわり、ずっと車窓に額を押し付けるようにして、過ぎ去って行く景色を見ていました。仕方なく、凭也は同じボックスシートの向かいの通路側にすわりました。その位置から斜め前にいる彼を観察したのです。ただ、そのうちに彼の発する不思議な魅力に引き付けられ、身動きできなくなりました。その朝、彼は窓外の景色をほとんど見ないでW駅に到着しました。駅で乗客が全員降りたあと、しばらくして車掌に肩を突かれ、ようやく我に返ったのです。あの忘我状態は何だったのか、この疑問が彼の脳裏を離れませんでした。
次の日、老人は現れませんでした。Y駅の次の駅で一旦降りて隣の車両を見渡しても、その姿はありません。その日以来、車窓の景色は凭也の心象風景を受け入れなくなりました。晩秋のゴー河はくすんだ黄と赤茶や橙を川面に映し、下流に行くにしたがって色の配合を微妙に変化させます。そんな光景も何ら作用を及ぼさなくなりました。
ゴー河の谷あいにその年の初雪が降った日の翌朝、凭也の指定席に一人の女性がすわっていました。数ヵ月前の老人のときと同じように、彼は彼女の斜め前にすわりました。浅黒い肌の彼女は脚を大胆に組み蠱惑的でいながら、彼をどこか敬虔な気持ちにさせました。彼女も老人と同じように左肩を窓枠に凭れ、過ぎていく景色を追っています。その姿を見ているうちに、彼は想像のなかで彼女の唇を奪いました。
[夏の終わりのむし暑い夜、家の近くの雑木林に出かけた。樹々のあいだに浮かぶ下弦の月を見ていて、急に誰かを抱きたい衝動に駆られ、クヌギの樹の幹にそっと唇を当てた。上のほうで樹々の枝や葉が黒い切り絵のように揺らいでいた]
彼女の唇をじっと見ていて、少年の記憶がよみがえりました。ゴー河沿いにその雑木林に似た場所が点在していました。車窓に映った彼女の顔の向うに遠ざかっていく景色を見ながら、本当に彼女の唇を奪ったような気がしたのです。その顔の向こうに小さな池が映りました。老人に会う以前、この池はある湖を思い出させました。
[東京の西端にある湖に行った。松や広葉樹のあいだに碧い湖水が見えた。中之島の奥まったところにある廃屋に入った二人は、雨埃で汚れた窓から湖水を見ているうちに風景のなかに溶け込み、気がつくと漆黒の夕闇に包まれていた。帰りの車内で、彼女は窓に肩を押し付け、泪をためていた]
目の前の彼女と湖の女性が重なっていました。その朝、凭也は老人のことを考えませんでした。W駅で降り、しばらく彼女のあとを追いましたが、やがて雑踏のなかに見失いました。次の日も女性は同じ席にすわっていました。彼は、きのう唇を奪ったせいで少し構えていました。その後、彼女に会うことが重なるにつれ、老人の残像に煩わされなくなり、以前のようにゴー河の谷あいと心象風景の交錯が起きることを期待しました。
[凭也は記録係を老人に重ね、担当医をその女性に重ねて見ていたようです。医師は三十代後半と見られる浅黒い肌の持ち主でしたし、記録係は五十代後半にしては白髪が目立ちました。以下、独白の部分はいつもひどく緊張したようすで、医師を見つめるときのように訥々とした英語で話しました]
認知症患者の独白(一)
一ヵ月ほど経ったある朝、一本前の列車が約三十分遅れ、いつも凭也が利用する列車の時刻を過ぎてY駅を出発しました。大半の客はその列車に乗りましたが、彼はさらに遅れて到着したいつもの列車に乗りました。ほとんど乗客のいない車内を見渡すと、いつもの席に彼女がすわっています。当然のように、彼も同じボックスにすわりました。次の駅まで二人とも言葉を発しません。その駅から誰も乗ってこないのを確認したかのように、列車が動き出すとすぐ、彼女が話しかけてきました。インド訛りの英語です。
「いつも窓を見つめて何を思っていらっしゃるの」
一瞬、凭也はたじろぎました。想像とはいえ彼女の唇を奪った彼は一種のストーカーです。それを詰問されると思い、身構えたのです。唇に触れたとはいえ、彼女は心象風景を引き出す仕かけだったはずだ。そう思いながら、しばらく窓外を見ていました。彼女も「次に話すのはあなたよ」と言わんばかりに黙り込み、窓枠に肩を寄せていました。外は一面の雪に覆われ、陰画のような銀世界を演出していました。枝と幹だけになった樹木が黒々と輝き、倒木の上半分をおおった雪が幹の黒さを強調します。雪の下から首を出す低木は萌黄に赤茶がかった色調で、金粉をまぶしたように輝いています。柳の巨木がしなやかな赤みを帯びた若枝を広げ、春が近いことを知らせていました。
そうだ、彼女も同じ景色を見ているはずだ。そう思うと、彼女の質問には応えないで、谷あいの景色が呼び起こした心象風景について訥々とした英語で話し出しました。
[高校生のころ、家でカナリアを一羽飼っていた。毎朝早く、近くの原っぱでハコベを摘んで来るのが僕の日課だった。ある朝、いつものように餌を与えようとして鳥かごを見ると、鳥が仰向けに倒れている。そっと指を触れたが動かない。動揺した僕は、自分が殺したと思った。生きる意味を考えながら、鳥など存在する理由がないと決めつけていたからだ。毎朝ハコベを与えていたものの、小鳥も僕も生きる必然性はないと考えていた。だから、鳥が死んだのに泪すら出なかった。家族の者を起こさないように注意して鳥の生温かい体を手につかむと、逃げるようにして外に出た。いつもの道沿いに進み、いつも立ち寄る雑木林に入っていった。ぐったりした鳥は手のひらの汗と雨水にぬれ、生き物の生々しい感触を伝えていた。樹の根もとにそっと横たえ、近くに落ちていた木片で穴を堀り始めた。犯罪者のように周囲におびえながら必死に堀ったが、一向にはかどらない。しだいに雨がひどくなり、しずくが顔を伝った。鳥を埋め周囲の土を踏み固めたころには体中ずぶ濡れになっていた。その朝は家に戻らず、学校へも行かず、ひたすら歩き続けた]
ゴー河沿いに点在する雑木林にこんな心象風景が張り付いていたのです。列車が市街地に入るころ、話し終えて彼女を見ると、目に泪をためていました。一方的に話したことが恥ずかしかったのか、列車がW駅に着くと、凭也は足早に去っていきました。
認知症患者の独白(二)
次の朝も、彼女は同じ席にいました。真向いの席に彼女のバッグが置いてあり、ボックスの横で凭也が立ち止まると、バッグを取って席に誘いました。真正面に腰をおろした彼は、うつむいたまま窓のほうに顔を向けました。彼女がまぶしかったのです。Y駅の次の駅を過ぎると、谷あいの景色に変わります。しばらくすると、広々とした河原があり、ゴー河が大きく蛇行して線路と交差します。そこは東北のA市につながっていました。この日も彼は一方的に訥々と話しました。
[A市のはずれに洒川が流れ、遠くになだらかな山並みが見える。自転車に乗って川まで行き、葦のなかを歩き回った。夕日が川面に乱反射して輝くのを見ているだけで、ほかには何もいらなかった。冬は凍った淀みの上を恐る恐る歩いた。春は川原の砂地に腰をおろし、川の流れを見て過ごした。そこは地上ではない、空の底であった。仰向けになって空を見ているだけで時間の経つのを忘れた。傍を流れる川の瀬音、橋の上を通る車の音、風に揺れる草むらの音、土手にうずくまる牛の吐息、葦のなかから急に翔び上がるヒバリ、夕暮れには鳥が編隊を組んで中空を飛んだ]
転校生だった凭也は孤立していました。洒川の土手は安心して一人になれる場所だったのです。ゴー河の流れがこの川につながっていました。H市もA市も二年過ごしただけで、彼は通過者でしかありません。二つの土地に過ごした時期は遠く離れているのに、風景はつながっているのです。凭也が話しているあいだ、彼女はずっと窓外を見ていました。話し終えると、なつかしそうに彼を見ました。次の日も、彼女は向い側の席を取っていました。前回と同じように、彼は聞かれるともなく話しました。彼が十歳ごろの話です。
[ある夏の夜、一人で家にいた。夜半に雷を伴った激しい雨が降り出し、夜遅くなっても家族の者は誰も帰ってこない。ふとんをかぶっても寝られず、起きたまま、雷が遠のくのを待つしかない。しだいに雷は近づき、溶接の火花のような閃光と空気を切り裂く雷鳴が激しさを増す。家中の雨戸を閉めたが、天窓を通して白い閃光が差し、同時に雷鳴が轟く。雷を恐れた少年には拷問そのものだった。閃光がきらめくたびに庭と垣根が一瞬青白い光のなかに浮かぶ。それが恐怖心をあおった。停電してまっ暗になったので、仏壇の引き出しからロウソクを一本取り出して手さぐりで火をつけ、居間の卓上に置く。ロウソクの炎は初め安定していたが、すぐ揺らぎ始めた。ロウが炎の下の芯を囲むように溜まり、不安定な炎が燃え上がった。すると、炎の動きに合わせて影が跳ねて踊り、それが恐怖心を増幅した。深夜に帰宅した母親に向かって「うそつき」と吐き捨てるように言うと、少年は泣きじゃくりながらふとんに潜り込んだ]
凭也の話を聞いているとき、彼女は小刻みに震えていました。彼が話し終わると、ほっとした表情を見せました。
列車の終着駅
その日の夕方、凭也はW駅発五時三十分の下り最終列車に乗りました。勤め帰りに列車を利用することは滅多になかったのです。習慣で朝と同じ車両の二階に行くと、いつもの席に彼女がいました。向かいの窓側の席は空いていませんが、彼女の横の席が空いていたので、軽く会釈して腰をおろしました。冬のこと、夕方五時を過ぎると暗闇に包まれ、ゴー河沿いの光景はほとんど見えません。ときおり鳴り響く汽笛がさえ渡って聞こえる季節でした。Y駅が近づいても、凭也は列車を降りる気になりません。彼女も彼の肩に頭をのせ、腕をからませました。Y駅で乗客の大半は降りましたが、二人はそのまま終着駅まで行きました。
駅の駐車場に停めてあった彼女の車に乗り、暗闇のなか、舗装されていない林道を小一時間走ったでしょうか。彼女の家は窪地に建っているようでしたが、漠とした感覚でしかありません。あの夜の記憶はすべておぼろげなのです。H市郊外によく見られる木造のこじんまりした家でした。車を家の近くに無造作に停めると、彼女は木製のテラスに上がって玄関の戸を開け、凭也を招き入れました。家のなかは暗く冷え切っていました。彼女が暖炉に火を起こすあいだ、彼は横でじっと見ていました。炎が勢いよく燃え出すころ、ようやく部屋の暗さに慣れ、体も温まりました。耳をすますと、バンドネオンが演奏するアルゼンチンタンゴの曲が静かに聞こえていました。暖炉の前で立っていた凭也を、彼女が隣りの部屋に誘いました。そこはアトリエ風の部屋で、中央に置かれたテーブルの上に大小さまざまな写真が散乱しています。どれも風景写真のようで、かなり古いものもあります。
部屋の一角にある現像用の暗室に入ると、赤い照明のなか酢酸の刺激臭が鼻をつきました。たれ下がったベタの写真はすべてゴー河沿いの光景でした。急に彼女がいとおしくなり、そっと抱擁しました。彼女はもはやクヌギの樹ではなく、ふくよかな肉体を持つ女性でした。暗室を出ると、部屋に散乱した写真を一枚ずつ手に取り、初めて通勤列車に乗って窓外の風景に引かれたときのように見入りました。すべてモノクロで、古いものはセピア色をしています。ただ、いつものゴー河の風景と写真のそれは到底同じ場所とは思われません。凭也が知っているのは都市郊外の半自然で、写真のそれは荒れた自然そのものでした。
質素な夕食で、ワインを飲みながら、もっぱら彼女が話しました。こうして二人が話を交わすのは初めてです。列車では凭也が一方的に話し、それがどこまで彼女に伝わり、どう理解されているか知る由もありません。一度だけ彼女が言葉を発したとき、それには応えずに彼が一方的に独白したのですから。そんな二人が食卓を共にしていました。彼女は三十代半ばだったでしょう。ゴー河沿いの小さな町に生まれ、そこで幼少期を過ごしたようです。その後、河の下流沿いに高速道路が建設され、ゴー河の自然を愛した両親と共にH市北部に移ります。彼女の家族は酪農を営んでいたといいます。大学時代を市街地で過ごし、そのまま市内に留まって学生時代の友人と同棲しますが、数年後に別れ、この家に移ったようです。数年前からH市周辺に残された自然を求め、週末を利用して撮影しているといいます。
終着駅で降りてから数時間、暗闇を車で通過するあいだに現実界から遠ざかってしまったようです。木造の家とそれを取り囲む樹々の漆黒、薄暗い部屋に置かれた古びた家具、レンガ造りの暖炉、アトリエに散乱したモノクロ写真、すべての物が凭也を現実から引き離そうとしていました。恐怖はないものの、しだいに自分が現実界から離れて行くような不安を覚えました。一度この感官に囚われると数ヵ月は逃れられないことを知っていたからです。今はまだ現実界との境界にいるので意識できますが、完全に囚われると意識できなくなります。熟知しているはずなのに、その状況に置かれると逃れられないのです。現実界からの遊離感覚は恋愛とともに生じることがあります。浅黒い肌の女性が傍らに横たわっている陶酔感と、それがいつか崩れるという不安が交錯します。それから三ヵ月あまり、週末には夕刻の列車に乗って終着駅まで行き、彼女の家で過ごしました。季節は冬から春に移行する時期で、雪に覆われていても、柳の枝の萌黄や低木類の枝の淡い紅色が春の近いことを伝えています。空に向かって逆さに根を生やすように、樹々が黒ずんだ褐色の枝を精いっぱい伸ばしていました。
老人との再会
ある週明けの朝、凭也一人で始発列車に乗りました。いつもは二人で出勤するのに、その日彼女は休暇で、彼を駅まで送ると家に戻ったのです。始発駅にもだいぶ慣れ、ホームで列車を待つ人々のなかにも幾人か見覚えのある顔がありました。列車の運行に接続するバスから乗客が降り、ホームに広がっていました。列車が少し遅れ、乗客がいつもより多いようでした。一瞬、その人々のなかに例の老人を見たような気がして、体に電流が走るような衝撃を受けました。数ヵ月前に出会い、列車で同じボックスシートにすわっただけの人物なのに切ない懐かしさに包まれます。人々をかき分けて彼のほうに進むと、汽笛を鳴らしながら列車がホームに入ってきます。いつものように停止位置に構わずに停車した列車のドアに人々がおもむろに群がります。
見失わないように注意しながら、老人のいる車両のドアに近づきました。彼は悠々と列車に乗り込み、凭也は数人あとについていきました。数ヵ月前と同じ席に腰をおろし、窓外に視線を向けたままじっとしています。凭也は斜め前にすわり、前回と同じ位置で彼を観察しました。すると、どうしたことか、その引力が嘘だったかのように波のない湖面のような静けさに包まれたのです。あれほど引かれた相手が目の前にいるのに、この落ち着きは何なのでしょう。老人に出会う前、ゴー河沿いの景色に魅了されていた凭也を不安に陥れ、得体の知れない引力で満たした彼は一体何者だったのか。彼に出会ったあと、不安定な状態のなかで一人の女性に会い、凭也は以前とは違う形でゴー河の風景に溶け込みました。彼女との関係が老人を遠ざけたことは間違いありません。だとしたら、再会がもたらしたこの静けさは何なのか、凭也は混乱しました。
老人は衰えが目立ち、数ヵ月のあいだにすっかりふけ込んでいました。窓外を見つめる表情も前回とは異なり、病んでいるようです。ゴー河沿いの早春の景色と対比するとき、その衰弱ぶりが目立ちました。春という季節の持つ残酷な一面です。
列車はいつのまにかW駅の薄暗い構内に入っていました。車内に人影はなく、老人と凭也だけが残されていました。おもむろに立ち上がると、彼は通路をゆっくり歩いてホームに降りました。凭也は命ぜられたようにそのあとを追いますが、通勤客の雑踏のなかに彼を見失いました。幻想ではなかったかと疑われるほど、忽然と消え去ったのです。
異界に逝った老人
老人と再会したあと、凭也は以前とは違う不安に襲われました。この不安が彼を彼女から遠ざけ、列車には乗らないで地下鉄を利用するようにさせました。二人のあいだに感情のもつれがあったわけではなく、一方的に遠ざけたのです。
ある朝、凭也がいつものように地下鉄のW駅で降りようとすると、勢いよく乗り込んできた男にぶつかって倒れそうになりました。バランスを取り戻して顔を上げると、立ちふさがったのは例の老人です。凭也は足がすくみ、またしてもその引力に囚われました。地下鉄の車内に押しもどされ、そのまま彼について博物館駅まで行きました。博物館の前で彼と並んで腰をおろし、しばらく空を見上げていましたが、開館するとすぐ彼のあとについて館内に入りました。仏教壁画に囲まれた薄暗いドーム状のホールに着くと、老人は歩みを止め、中央に配された雲崗石仏を思わせる仏像の前で祈る姿勢をとったまま動かなくなりました。洞窟のような静けさに包まれ、八九世紀の仏教隆盛期にいるような錯覚を覚えました。しばらくすると、仏像を見つめていた凭也の目から泪がこぼれ、やがて嗚咽に変わりました。少年のころ、母方の祖父の葬儀場で似た経験をしたことがあります。
[祖父は孫のなかでも僕を特にかわいがってくれた。母が末娘だったからだろうか。ときどき家に来ては庭の草取りをし、垣根のヒバを刈ってくれた。高校受験のためA市に行ったのも祖父と二人だった。最後の蒸気機関車の旅だった。汽車がトンネルに入ると煤が入ってきて、祖父があわてて窓枠をおろした。あのときの祖父の笑顔、煤でざらざらした木の窓枠、学生服の袖口から出た白いシャツ、汽笛の音のなかにそんな映像が浮かぶ。地方の農村で育った祖父は若いころ田畑を処分して夫妻で上京し、上野駅構内でスリに襲われて、全財産を失った。途方にくれた祖父はバナナのたたき売りから始め、上野のほおずき市や植木市を転々として、儲けの多い植木と生花商に落ち着いた。一緒にふろに入ると、亀の子たわしでごしごし背中を洗わされた。どんなに力を入れても痛いと言わない。よく笑いながら僕を叱ったが、僕も笑っている。そんな祖父と目の前の老人がどこかでつながっている]
博物館に入って、かなり時間が経っていました。少し落ち着きを取り戻して周囲を見回すと、目の前にいたはずの老人がいません。仏像の裏側に回ってもいないのです。W駅の雑踏で見失ったときと同じく、彼は忽然と消えました。もう一度正面に回って仏像を見上げたとき、凭也は信じがたい光景を見ました。巨大な仏像に従う従者のようにして老人が立っているのです。瞼をこすってもう一度見ると、それは漆喰の修行僧の立像で、まちがいなく彼の姿をとどめ、やさしくほほ笑んでいます。初めて彼に会ったときの忘我状態と浅黒い肌の女性の唇を奪ったときの感触が一瞬よぎりました。修行僧に向かって合掌していると、老人と女性が遠く去って行く姿が浮かびました。