一茶: 親猫・親雀

一茶は猫や雀について多くの句を残しており、一茶発句集春の部では猫の子や雀の子という項を設けている。以下に猫の子全12句と百句ある雀の子の一部を引用する(数字はふりがな小林一茶発句集春の番号)。

これらの句を読んで気づくのは多くが母猫や親雀について詠んでいることだ。子猫や雀子の句も多くは親の視点から観察しているようにみえる。老境に入った一茶が創るのだから当然だということもできるだろう、はたしてそうだろうか。

잇싸는 고양이나 참새에 관한 많은 구를 남겼으며, 잇싸 발구집 봄 편에서는 고양이 새끼나 참새 새끼라는 항목을 따로 마련했다. 아래에 고양이 새끼 전 12구와 백 구에 달하는 참새 새끼 중 일부를 인용한다(숫자는 후리가나 고바야시 잇싸 발구집 봄 편 번호).

이 구절들을 읽으며 눈에 띄는 점은 많은 부분 어미 고양이나 어미 참새를 노래하고 있다는 것이다. 새끼 고양이나 새끼에 관한 구절들도 대부분 부모의 시점에서 관찰한 것처럼 보인다. 노년에 접어든 잇싸가 창작한 것이니 당연하다고 할 수도 있겠지만, 과연 그럴까.

雀の子(親雀)
1846 人鬼ひとおにに鳴なきかゝりけり親雀おやすずめ 七番日記 化7
1847 人鬼ひとおによおに(鬼)よと鳴なくか親雀おやすずめ 七番日記 化7 (異)『浅黄空』『自筆本』中七「鬼よと呼ぶや」
1848 むつまじ(睦)き二親ふたおやもち(持)し雀すずめ哉 七番日記 化7
1849 夕暮ゆふぐれや親おやなし雀すずめ何なんと鳴なく 七番日記 化7
1850 赤馬あかうまの鼻はなで吹ふきけり雀すずめの子こ 七番日記 化8 (出)『我春集』『発句集続篇』
1851 大勢おほぜいの子こに疲つかれたる雀すずめ哉 七番日記 化8
1852 青天せいてんに産声うぶごゑ上あげル雀すずめかな 七番日記 化8 「る」→「ル」 (出)『文化三-八年句日記写』
1853 夕ゆふ暮ぐれとや雀すずめのまゝ(継)子こ松まつに鳴なく 七番日記 化8
1854 親おや雀すずめ子こ雀すずめ山やまもいさ(勇)むぞよ 七番日記 化9
1855 雀子すずめこのはや(早)しり(知)にけりかくれ(隠)様やう 七番日記 化9 (出)『発句題叢』『浅黄空』『自筆本』『発句鈔追加』『希杖本』『嘉永版』『発句集続篇』
1856 雀子すずめこや親おやのけん(喧)嘩くわをしら(知)ぬ㒵かほ 七番日記 化9 「花」→「嘩」 「顔」→「㒵」
1857 掌てのひらについ〳〵育そだつ雀すずめ哉 七番日記 化9
1858 今生いまはえた竹たけの先さき也雀すずめの子こ 七番日記 化10
1859 かは(代)る〴〵巣すの番ばんしたり親雀おやすずめ 志多良 化10 (出)『希杖本』
1860 さ(狭)むしろ(筵)や土人形つちにんぎやうと雀すずめの子こ 七番日記 化10 (出)『発句集続篇』前書き「伏見」『志多良』『句稿消息』『希杖本』
(1861-1932省略)
猫の子
1758 七日なのか目めにころ〳〵もど(戻)る猫子ねこご哉 享和句帖 享3
1759 松原まつばらに何なにをかせ(稼)ぐぞ子こもち(持)猫ねこ 七番日記 化9 (出)『株番』(異)『浅黄空』『自筆本』上五「藪原に」
1760 親おやとして*かくれんぼする子猫こねこ哉 七番日記 化14 *一緒に (出)『浅黄空』『自筆本』
1761 猫ねこの子こや秤はかりにかゝ(掛)りつゝざれ(戯)る 七番日記 化15 (出)『おらが春』『八番日記』『浅黄空』『自筆本』
1762 母猫ははねこが子こにつか(使)はれて疲つかれけり 文政句帖 政5
1763 女猫をんなねこ子こゆゑの盗ぬすみとく(疾)迯にげよ 文政句帖 政6 「へ」→「ゑ」 「逃」→「迯」
1764 母猫ははねこや何なにも(持)て来きても子こを呼よばる『文政句帖』政6 (出)『文政句帖』政6 中七「盗して来ても」
1765 人中ひとなかを猫ねこも子故こゆゑのぬすミ(盗)哉 文政句帖 政6 「み」→「ミ」 (出)『文政句帖』政7『自筆本』『発句集続篇』
1766 蝶てふ〳〵を尻尾しつぽでざら(戯)す小猫こねこ哉 文政句帖 政7 (異)『文政句帖』政8 中七「尻尾でなぶる」
1767 なりふりも親おやそつくりの子猫こねこ哉 文政句帖 政7 (出)『文政句帖』政8
1768 猫ねこの子この十とをが十色といろの毛けなみ(並)哉 文政句帖 政7 (異)『文政句帖』政7 上五「黒虎毛」
1769 若猫わかねこがざら(戯)しなくすや桑くは李すもも 文政句帖 政8【I124】
1770 盗ぬすませよ猫ねこも[子こ]ゆゑの出来でき心ごころ 浅黄空 「へ」→「ゑ」

ここで注目したのは、春の部では猫について猫の戀と猫の子があるのに対し、雀については雀の子しかないことだ。雀の子を詠んだ句でよく引用されるのが次の句だが、この場合も語っているのは親雀か、その思いを代弁する一茶だろう。

여기서 주목한 것은 봄 편에서는 고양이에 대해 고양이의 사랑과 새끼 고양이가 있는 반면, 참새에 대해서는 새끼 참새만 있다는 점이다. 새끼 참새를 읊은 구절 중 자주 인용되는 것이 다음 구절이지만, 이 경우에도 이야기하는 것은 어미 참새이거나 그 마음을 대변하는 잇싸일 것이다.

1905 雀すずめの子こそこのけ〳〵御馬おうまが通とほる 八番日記 政2 (出)『おらが春』『文政版』

いやいや、そうではない。「そこのけ〳〵」は子どもの竹馬遊びの掛け声らしい。だとすると、「御馬」は竹馬に乗った子となり、この句は子どもたちが戯れる情景へと一変する。1819年6月にさとが疱瘡で死んでいるから、その前か後か気になるが、いずれにせよ子どもたちの無邪気なようすを描いていると思えば、ほのぼのとした情景が伝わってくる。

아니야, 그렇지 않다. “비켜라!”는 아이들의 죽마 놀이 구호인 듯하다. 그렇다면 “말”은 죽마를 탄 아이를 뜻하며, 이 구는 아이들이 장난치는 풍경으로 일변한다. 1819년 6월에 사토가 천연두로 죽었으니, 그 전인지 후인지 궁금하지만, 어쨌든 아이들의 순수한 모습을 그린 것이라고 생각하면, 훈훈한 정경이 전해져 온다.

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