春の風情あふれる食べ物である。 小麦粉もしくは道明寺種(うるちの飯を乾かしたもの)をもとに餅を作り、餡を包んで半月形にし、塩漬けした桜の葉でまいたもの。 桜の葉の香りと塩味が一種独特の味わいをかもし出す。 この桜餅と似たものに「椿餅」があるが、こちらは文字通り椿の葉を、其れも二枚使って餅を巻いたものである。 「源氏物語」にも、その名が出ているほど古い食べ物。
今日の歳時記: ヤマブキ[山吹]
川波に 山吹映り 澄まんとす 虚子 晩春、薄みどりの若葉の間に、五弁の黄色の花を開く。 花は渓谷のほとりに自生し、散り敷かれる。 山吹のうち、初めに開くのが一重の花、これにだいぶ遅れて咲くのが八重の花。一重の山吹は淡白で物静かな花である。 イギリスなどではジャパン・ローズと呼ぶらしい。
零れ話: ハナミ[花見]
桜前線も、津軽海峡を飛びこえようとしているようだ… 古代における花見は、桜ではなく梅であったという。 桜を愛でる習慣は、平安時代かららしく、もっぱら貴族の行楽で、酒を飲み交わしながら詩歌を歌った。 庶民の行楽となったのは元禄以降のこと。 昔、農村においては、花見は農作に先立って行う“春の儀礼”の一つで、これを“花見正月”とも言った。
今日の歳時記: サンショウ[山椒]
産土の みどり加えて 木の芽和 早川 登志 山椒の芽は、木の芽の中の木の芽。 ほかの木々の芽を「このめ」というのに対し「きのめ」と呼ぶ。 それをすりおろして筍と和えれば“木の芽和”。 緑あざやかな香り高い“春の恵み(料理)”となる。
零れ話: オシャカになる
「オシャカになった」との言葉が交わされることがある。 ① 勝負ごとに負けて、無一文になった。 ② 製品(物)を使い損なって、壊すこと。ー の意である。 語源は、 ① 仏が誕生した時、裸体であったから。→ スッカラカン ② 金属を溶接する際、「火が強かった」ことで失敗したので、「四月八日」としゃれ、この日がお釈迦様の誕生日だったので、“オシャカ”と言いかえた。ー との説がある。 更に、「オジャンになる」との言葉があるが、江戸時代、火事が鎮火すると、半鐘を「ジャンジャン」と二度鳴らしたことから、“おしまい”の意となり、物事が途中で駄目になる事を指す言葉となったらしい。
今日の歳時記: アセビ[馬酔木]
花ぶさの 雨となりたる 馬酔木かな 碧雲居 この葉や枝を馬や鹿がたべると、酔って苦しむという。 その様子「足しびれ」の言い方が変化して、アセビになったともいわれる。 三月末から四月にかけて、すずらんに似て、ほのかな香りをもつ白い壺状の花をあつめて、花の穂はたれ下る。 ところで、“アケビ”という果物があるが、“アシビ”は毒性があり、口に入れないように、気をつけたい。
零れ話: 日本初の喫茶店
明治21年4月13日、喫茶店第一号「可否茶館」は、東京下谷西黒門町に開店した。 経営者は、明治維新の頃まで、長崎で(日中)通訳をしていた鄭水寧という方であった。 その後、明治44年、水野竜が合資会社カフェ バリウスタを創立、その年の12月12日、東京京橋南鍋町にコーヒー店バリウスタを開店し、続いて、大阪道頓堀に開店した。 今や、スタンド式が増え、のんびりできる場所が減り、ちょっと、寂しい…。
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零れ話: “うだつ”があがらない
世の中には、どうにも、立身出世に縁遠い方がいらっしゃる。 その様な方をさして、ひとは、「あいつは、うだつのあがらない奴だ」などという。 「うだつ」という言葉は、「うたち」の転化で、「梲」あるいは、「卯建」と書き、建設用語である。 「梲」は、梁(はり)の上に立てて屋根の棟木(むなぎ)を支える短い柱のことで、梲は、いつも屋根の棟木におさえられていて、頭があがらない。要は、上がつかえて、出世が出来ない。 「卯建」は、江戸時代に、建物の外壁などに、はり出してつくられた防火用の壁のこと。従って、生活に相当の余裕がないとあげられない。 この様に、建設用語が、そのまま社会上の地位を表していることがある。
今日の歳時記: ゲ ン ゲ[紫雲英]
紫雲英咲く 白毫寺村 佳き香せり 林之助 春の畑の面や畦に咲きあふれる。 遠くから見ると、紅色のジュウタンを敷いたように美しい。 子ども達は、寝ころんだり、花摘みをして花束にしたり、首輪をつくったりする。 ところで、この花は、蜂蜜の源となる蜜源植物として利用されている。又、ゆでた若芽は食用にもなる。更に、民間薬として利用されることがある( 利尿、解熱など)。 別に、蓮華草、五形花(げげばな)ともいう。
Garmin
改造して1年使った Nissei の脈拍計(→ブログ bpm02)を義弟に譲り、娘が贈ってくれた Garmin vivosmart HR+を手首にはめた。とても気に入っている。 二つの機器の原理と機能は類似しているが、後者のほうがスマートだろうか。前者は日本精密測器という日本企業の製品で、後者は米国企業製(made in Taiwan)だ。 Nissei 製品はスマホと連動していない唯一のモデルだった。単体で操作できるのが魅力で、同社が健康機器の専門メーカーというのも気に入った。 Garmin は、この種の他の機種と同様、スマホかPCがないと初期設定できない。スマホと連動することで、データの保存ができる。もともとバイク関連機器の専門メーカーのようだ。 30歳代前半に購入したロードレーサーは日本のフレンド商会製、60歳代半ばに購入したMTB はカナダの Rocky Mountain製、何につけても、僕は専門メーカーを好む。職人気質を好むからだろう。 だが、自分は専門家にも職人にもなれなかった。ものごとに人一倍徹底する性格を持ちながら、何ごともとことん徹底できず、どこかでやめてしまう。困ったものだ。
零れ話: ナタネズユ[菜種梅雨]
四月、菜の花の咲く頃は、とかく雨や風が多い。 本来の意は、春の東南の台風のこと。 菜の花は雨に弱く、菜種梅雨が長く続くと、菜種の不作をまねき、農家をがっかりさせる。
今日の歳時記: ナノハナ[菜の花]
菜の花の 四角に咲きぬ 麦の中 子規 菜種の花である。 茎の高さは子どもの背丈ほどで、仲春から晩春にかけて、黄色四弁の花を開く。葉は食用とし、種子は油をしぼり、そのカスは肥料としていた。 暖かい房州あたりでは、早春から、畑一面に花が咲き匂うが、普通は、桃の花の咲く頃、春の田畑を色どる。
零れ話: ゼンマイ[発条]
弾性の高い素材を渦巻き状に巻いた機械要素で、巻かれた渦巻きが、元に戻ろうとする力を装置の動力源として利用するバネの一種。 昔は、子どものオモチャの動力源であったし、時計もそうである。 同名の植物(山菜)に形が似ていることからの名称。
今日の歳時記: ハナビエ[花冷え]
花冷えの マスクをかけて 眉の濃き 万太郎 桜の咲く頃、急に冷え込むことがある。 花冷えとは、その頃の季感をさす。 花時は陽気が変わりやすく、ふいに寒さが戻ってきて、人々をあわてさせる。 観桜会で欠かせないのが日本酒…、そこで、冷やの表現。 みぞれ酒 0度 雪冷え (ゆきひえ) 5度 花冷え (はなひえ) 10度 涼冷え (すずひえ) 15度 酒を飲んでも、酒に飲み込まれませんように、、、
零れ話: ゼンマイ[薇]
ゼンマイ科のシダ。 若芽がこぶしのように曲がり、綿毛をかぶっているのが特徴で、主に、関東より北と四国地方でとれる。 乾燥品には二種類あり、湯通しして乾燥させたものを「赤乾」、松葉で燻製してから乾燥させたものを「青乾」という。 調理する際にはアクを抜くことが肝要である。 ゆでて和え物、油揚げとともに煮物にしてもうまい。また、炊き込みご飯もいい。
今日の歳時記: ヤナギ[柳]
五 六本 よりてしだるる 柳かな 去来 柳といえば春の柳をさす。 この頃が、最もみずみずしくて美しい。 「柳は緑、花は紅」というように、春の景色は、柳・さくらを混ぜた色彩の対照が美しい。街路樹として風致を添え、また、湖畔や水辺など、どこにでも見かける親しい木である。
零れ話: ズショカン[図書館]
明治五年(1872)四月、東京・湯島に、東京書籍館という西洋式の近代的図書館が設置された。でも、「しょせきかん」ではなく、「しょじゃくかん」と読んだらしい。 その後、東京図書館と改称したが、「としょかん」とは呼ばず、「ずしょかん」といっていた。 更に、明治三十年に上野に移築が始まり、明治三十九年に竣工し、開館された際に、「としょかん」というようになった。 今や、図書館を「ずしょかん」と読んだら、小学生から笑われかねないが、図書館は元来「ずしょかん」が正しかったわけだ。
今日の歳時記: シュンチュウ[春昼]
春昼の 指とどまれば 琴も止む 節子 “春の昼”は、のどかで明るい。 体もなんとなく物憂い、つい、うとうとと眠りたくなるようである。 今日から新年度の仕事始め…。午前中は緊張していても、午後になると緩んでくる。短時間の昼寝は、疲労回復、頭がスッキリするらしい。「始め良ければ終わり良し」の理あり。
一生の時期区分
思春期、青年期、壮年期、老年期など、生涯の時期を区分する言葉がいくつかある。それぞれの時期特有の喜びと悩みがあり、苦楽がある。近年、行政が余計な時期区分を設けているが、迷惑なことだ。 満開の桜をみて、ふと自分が人生のどの時期にあるか考える。老年期か壮年期、壮年期の終盤にさしかかっているだろう。老壮期、老いてなお壮[さかん]でありたいが、いつまで健康を維持できるか。 人の生涯になぜ時期を設けたのだろうか。恐らくは人が例外なく死ぬからであろう。どの時期で死ぬかはわからないが、人はいつか必ず死ぬ。 老壮期を願いつつ、時として自分の死期について考える。西岬[にしざき]を訪ね、潮騒を聞きながら、ぼんやり死について考えた。