この年表は個人史を記す試みのひとつです。仮の時期区分、記憶のかけら、記憶の周辺に分けて整理し、補足説明を加えました。記憶が曖昧な部分や不確かなことは他の資料で確認しましたが、記憶違いがあるかもしれません。ただ、記憶のかけらを集めて記録しなければ記憶は完全に消えてしまう。それは自分の存在した証しがなくなることを意味するのでしょうか。
仮の時期区分 | 記憶のかけら | 記憶の周辺 |
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1950 文京区本郷の診療所で出生 | 父の転勤で岡山県和気郡柵原町へ | |
1955 東京杉並区の社宅に | 木造平屋(6畳2間・4.5畳1間・間仕切りは襖,台所・浴室・汲取り式便所)、庭にスモモの樹が2本あり毛虫がたくさん付いた | 後年、庭に卓球台を置く、同じ造りの家が6軒あり周囲には広い畑があった、小中学校とも至近距離にありよく遅刻した |
幼稚園の帰り坂を下ると右に畑が広がり遠くに富士山が見えた | 善福寺川が土手の谷あいを流れていたころ鰻を採ったことがある | |
1959 母と妹が仏教徒に | 箪笥の上に黒い仏壇が置かれていた、母と妹が創価学会員になった | 猛反対した父は御本尊を裂こうとし母との深刻な諍いが連日続いた |
1959 伊勢湾台風の襲来 | 集中豪雨で近くの善福寺川が氾濫し道路が川と化す | 川沿いの家は床上浸水し僕の家でも汚水が溢れかけた |
1920s-1945 両親の生い立ち | 母は1927年に東京都文京区初音町で生まれそこで育った、両親は高崎市の農家の出身で若いころ上京し生花店を開業した、末娘だった母は伝通院にあった女学校に進んだ | 父は1924年に滝野川で生まれ愛知県西尾市西小梛で育った、実家は浄土真宗大谷派の寺で父親が満州で客死したため寺を継いだが、後に満州に脱出し建國大學の寮で過ごす |
1960 父の妥協策 | 父と一緒にご受戒、浅沼稲次郎暗殺事件 | 労組委員長だった父は偽装入信だろう |
1960s 周囲の人々と社会に対する見方の変化 | 家族に対する人々の見方が変わり世間に対する僕の見方が変わった、後に韓国・朝鮮に関心を抱く素地ができた | 家族が「病人と貧乏人の狂信集団」の一員と見られ級友や周囲の人々に対する不信感がしだいに募っていく |
1962 | キューバ危機 | 悪夢に唸される日々 |
1963 | JFK暗殺 | 日米宇宙中継 |
1964 東京五輪 | 国立競技場の上段から見た選手の極小さ | |
1965-1967 岩手県立水沢高等学校に、「風の又三郎」だった自分 | 自然科学分野の新書や文庫を耽読 | 部屋に化学薬品や試験管、顕微鏡、DNA二重螺旋模型 |
1965 砂利道を自転車で通う、北上川の土手によく行った | 運動部合宿で腰椎を痛め体育授業を1年休む、少年期とはまったく違った環境に適応できず | 部屋は実験室のよう、顕微鏡でいろいろな細胞を見た、血液型検査の実験で敗血症に |
1965 クラシック音楽に親しむ | 海水浴で沖に流されブイにしがみついてい幸いにも救出された | 部屋に安っぽいレコードプレイヤーと大小のレコードがあった |
1967-1968 東京杉並に戻るが都会生活に適応できない | 進学校に編入するが適応できず、下駄から革靴の生活になり名曲喫茶に通う | 国鉄遵法闘争のラッシュで女の痴漢に襲われ女子高生に体を密着される |
1967 学校教育から脱落し新書文庫を多読 | 高三の夏休み萩原朔太郎全集ほか数十冊の文庫を持参し鈍行列車で柵原へ行き父の社宅に1ヵ月あまり下宿 | 「詩の原理」と散文詩、芥川の「河童」「侏儒の言葉」などを愛読、下宿の五右衛門風呂がなつかしい |
1967-1969 読書三昧、読み終えた本は古本屋に売り別の本を買った | アインシュタイン・インフェルト: 物理学はいかに創られたか; 高価な原書を注文し2ヵ月かけて入手 | デーデキント「数について」中江兆民「三酔人経倫問答」などの文庫本をいつも学生服のポケットに |
1967-1969 | ファラデー: ロウソクの科学; Chemical History of a Candle、ポーリング: 化学の教科書 | 「炎はなぜ上昇するのか」科学の発想に魅せられる、ポーリングの本は教科書よりおもしろかった |
1969 大学受験に失敗し一浪 | 中村眞一郎: 頼山陽とその時代; ヴァカーリ: 英文法通論・英文法詳論 | 予備校に行かずドイツ語を学びヴァカーリの英文法書2冊で英語を学び直す |
1969 | B. Russell: History of Western Philosophy 山川出版: 世界史詳説 | 受験のラッセルに飽き西洋哲学史をテキストに、受験参考書は山川の世界史だけ |
1969 バロック音楽に親しむ | 出隆: 灰にするが可、高1に書いた原稿紙の束を灰に | 石神井公園まで毎夜往復2時間歩いた |
1969-1970 仏教思想に接近 | 戸田城聖: 生命論・法華経講義、池田大作: 科学と宗教; 政治と宗教; 御義口伝講義 | 母の書棚の本、キリスト教と科学の対立、仏教と科学の併立、宗教=思想という考え |
1969-1970 クラシックの器楽曲を好む | 宮澤賢治を全集で読む | 「春と修羅」をくり返し読む |
1969-1970 大学に数ヵ月通う | 慶應義塾大学文学部に入学 | 第三文明研究会に出入り |
1970 大学をやめモラトリアムに | 両親が離婚し父が家を出る大盛堂書店社会科学書フロアでアルバイト、三島由紀夫事件 | 成人式の祝いに母が背広を買ってくれた、山本七平「日本人とユダヤ人」飛ぶように売れる |
1970 日中学院本科に数ヵ月通う、当時内山書店の奥にあった | 송지학: 朝鮮語基礎、旗田巍: 朝鮮史、長障吉: 朝鮮語小辞典、倉石武四郎: 岩波中国語辞典; 初級ローマ字中国語 | 朝鮮大学を訪ね守衛に門前払いされる、中国語を学ぶ、竹内好・武田泰淳・桑原武夫・加藤周一ほかを乱読した |
1970s こんな雑誌を読んでいた | 雑誌「辺境」「三千里」「朝鮮研究」 | 雑誌「展望」「朝日ジャーナル」 |
1971-1972 書店員をしながら読書三昧 | 信山社に就職 しレクラム文庫・洋書を担当 | 神保町から四谷まで線路沿いの道をよく歩く |
1971-1972 | 二葉亭四迷全集(新書版)、魯迅全集(新書版) | 二葉亭を読み翻訳に興味、魯迅と五四運動に関心 |
1973-1977 韓国人と仕事をする | 大韓航空東京支店に勤務、金大中事件、文世光事件 | 創価学会の総体革命論に傾倒、73年末雲取山に登山 |
1973 韓国との邂逅 | 年末서울・済州島に初出張、帰途京都で在日コリアンHに逢う | 金浦近くの旅館から見た白衣の老人の後ろ姿、先斗町の茶店 |
1973-1977 アゼリアの仲間たち | 池田大作: 人間革命、トインビー・池田: 21世紀への対話 | 母の書棚の本 社会総合研究所に出入り |
1977-1980 スカウトされ転職 | 国際開発で前職と同じ業務を担当する | 仕事から逃れようとして頻りに登山する |
1978 | 崔仁勲・田中明訳: 広場 | 東洋文庫「パンソリ」 |
1978-1980 山に親しむ | 新田次郎: 孤高の人・氷壁ほか | 奥多摩の山々に親しみ、毎春上高地から涸沢へ登山 |
1979 短い結婚生活 | Eと結婚、国分寺に住む | 81年に離婚 |
1979-1980 | The Heart Remembers Home translated by Eileen Kato | 司馬遼太郎: 故郷忘じがたく候 |
1980 英語を学び直す | S. Maugham: Of Human Bondage, D. H. Lawrence: Women in Love | 日米会話学院通訳基礎科に在籍、英語ニュースを繰り返し聴き語彙をふやす |
1980-1984 国際会議事務局の運営 | サイマルインターナショナルというメディアが作った虚名に群がる人々 | 会議部・教育部に配属、杜撰な経営で後に倒産した会社だが同僚に恵まれた |
1980s こんな雑誌を読んでいた | 「週刊文春」毎木曜発売、四谷駅麹町口だけ水曜夜 | 「ビッグコミックオリジナル」 ゴルゴ13 |
1982-1983 中国像の崩壊 | Nian Zheng: The Longest Night in Shanghai | Wild Swan ほど売れなかったが「文革」告発本の嚆矢 |
1984 韓日翻訳を仕事にする | 浅草橋の事務所にデスクを貸してもらう | 近所の小中学生等10人に英語を教える |
1981 抱腹絶倒の小説 | 井上ひさし: 吉里吉里人 | 最高傑作だと思うが、東北方言の翻訳は不可能に近い |
1985 國語という虚構 | 井上ひさし: 國語元年 | 帝國日本の共通言語はいかに形成されたか |
1984-1987 海外広報業務 | ジャパンエコー社編集部に配属 | つくば博海外プレスセンターに出向 |
1985 | Mと結婚 | 大田区に在住 |
1985 | 放送大学に入学(第1期生) | 休学4年を含め8年で卒業 |
1986 | 娘N生まれる | |
1987-1989 カナダ在住 | 在トロント日本総領事館に出向(文化教育担当領事) | 在外勤務のため放送大学を休学 |
1988 | E. T. Seton: Wild Animals I Have Known | 日本語訳は「シートン動物記」 |
1989-1990 守口市在住 | 国際花博協会外事部に出向 | 英独バイエルン州東欧ロシア旧ソ連アフリカ諸国担当 |
1990-1994 放送大学を卒業 | ジャパンエコー社編集部・総務部に復帰 | 放送大学教養学部卒業(卒論: 地方自治体広報資料の多言語化) |
1994-1996 米国の財団に勤務 | US-Japan Foundation 東京事務所 | 青山学院大学大学院に大学新卒枠で入学 |
1995 | 地下鉄サリン事件 | 30分ずれたら事件に巻き込まれていた |
1996 | 阪神淡路大震災発生 | 大学院修了(修論「内地雑居論」) |
1999 | 司馬遼太郎: 坂の上の雲 | 日露戦争に勝ってしまった帝國日本 |
2000 | 原武史: 大正天皇 | 大正天皇の虚像を崩す |
2001 | H. P. Bix: HIROHITO and the Making of Modern Japan | 昭和天皇の虚像を崩す |
1996-2010 民間財団に勤務 | 国際文化フォーラムに勤務 | 韓国語教育の調査、教師ネットワークの結成 |
2008-2020 アシアナ杯事務局 | 「話してみよう韓国語」高校生大会事務局立上げ運営 | 1997年から蓄積した韓国語事業のすべてを投入 |
2005-2006 毛沢東神話の崩壊 | Jung Chang, Jon Halliday: Mao the Unknown Story | 朝鮮戦争は毛沢東の了解を得た北朝鮮の南侵という衝撃、中国義勇軍の虚妄 |
2008 欧米の思考枠組みの限界 | 岡本隆司: 世界のなかの日清韓関係史 | 中国と周辺国の冊封関係と植民地主義の矛盾、清朝の属国で独立していた朝鮮 |
2009-2012 | 民主党政権 | 失望と落胆 |
2010-2012 出版社編集部 | アスクインターナショナル編集部に勤務 | 韓国関連図書の編集担当 |
2011 | 東日本大震災(東京震度5) | 原発神話の崩壊、政治不信 |
2012 | ニッポンドットコム財団 | |
2013-2016 | アシアナスタッフサービス教育部に勤務 | アシアナアカデミーの企画運営 |
2014 | oguris.blog goolees.blog | 前後してブログサイトを立上げ |
2015 | アルゼンチンタンゴに引かれる、MTB山行を楽しむ | Bromptonを買ったが韓国の友人に譲りMTBだけに |
2016- 新大久保コスモシティ | DEKIRU、ワールドファミリーに所属 | 猥雑でアジア的な新大久保に通う |
2016 | shawoguri.wordpress.com | 館山の松庵に引かれる |
2017 小説の可能性を信じさせてくれる作品であり社会の理不尽さに虐げられている人々を後押しする力作である | Min Jin Lee: PACHINKO U.S. National Book Award Fiction finalist 6月Seattle のどの書店にも並んでいたベストセラー | 在米コリアン作家による在日韓国人・朝鮮人と彼らを受容しない日本社会と人々に対する鋭い観察であり痛烈な批判の書である |
2016-2018 娘の留学と結婚 | Foster School of Business UWを卒業し結婚 | UW卒業式に触発され行政書士試験の勉強を始める |
2019 | oguriq.com | WAKIBITOSサイト立上げ |
2021 創作の試み | 縦書き文庫に作品を公開 | 前年新人賞に応募した作品を掲載 |
2022 帝國日本の神話を崩せ | M. Wert: Meiji Restoration Losers | 明治維新とは何だったのか小栗忠順伝説の虚実 |
2022 明治維新を再考する | 中里介山: 大菩薩峠 | 幕末から明治維新の歴史を見直す |
2022 源氏物語の仏教観 | 與謝野晶子訳: 源氏物語 | 源氏物語の全編を貫く仏教世界を見直す |
2030 | Farewell to the world |