加藤周一氏の一茶評

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加藤周一(1919-2008)著『日本文学史序説』(筑摩書房 1980年)下、第九章第四の転換期(上) pp. 258-261「日常生活の現実主義」より抜粋引用する。本書は著者のUBCにおける講義が元になっているという。[Wikipedia]

1980年に出版されてすぐ読んだが、一茶の項は素通りしていた。僕は老境に入って母の死を契機に一茶に出会ったのである。

18世紀末19世紀初めの文学で農家の日常生活に触れたものは極めて稀である。俳人小林一茶(1763-1827)はその意味で例外だった。彼は信州柏原の中農の長男として生れた。母は早く死んだから、幼時には折合いの悪かった継母と祖母との間で育てられたらしい。14歳のときに江戸へ出て(1777)丁稚奉公をし、そのうちに俳人として身を立てるようになる。

49歳で柏原に定住するまで(1812)生涯の大部分を江戸に送った。しかしその間に多く旅し、故郷をたびたび訪れている。父の病には帰省して世話をし、その死をみとった(1801)。柏原定住後の晩年には遺産相続の紛争、生れて一年後の長女の死、当人の中風、最初の妻の死、再婚と離婚、中風の再発、再婚、柏原大火などが続き、その私生活は暗かったようである。

作品は少ない。散文に『父の終焉日記』(1801)があり、短文を混えた句集に『おらが春』(1819)がある。句集には初期のものの他に『文化句帖』『文化六年日記』『七番日記』『八番日記』『文政句帖』があって1804年から1825年までの句を集める。(中略)

父の死をめぐって家族内部の醜悪な争いを、そのあらゆる細部にわたって描写する『父の終焉日記』には身辺の日常的現実を観察し記録する職業的な著作家の眼が光っている。地方から江戸へ出て文筆を業としたのは彼の時代に一茶ひとりではなかった。しかし江戸へ出た後の農村との結びつきを直視し、殊に家族の感情的対立の詳細を文学の素材として、日常生活に即した写実的散文—-一種の文学的現実主義を実現した作家は、彼の時代に一茶の他にはなかった。

もし一茶が100年後の信州に生れていたら、東京へ出た彼は、たとえば島崎藤村のように明治学院や早稲田大学に学んで、いわゆる「自然主義」の小説家になっていたであろう。『父の終焉日記』はあまりにも早く書かれた「私小説」である。彼の「自然主義」はその内容に新しいものをつけ加えたのでもないし、その文体により以上の描写力をあたえたのでもない。そういう文章に文学としての正統性を確認したのである。

加藤周一氏の一茶評は淡々としていて、彼がどこまで一茶の俳句を読み込んでいたか疑問だが、日本文学史という流れのなかに西洋的知性を身に着けた彼が俳人一茶をどうみていたかを如実に伝えていて面白い。

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