Mother and Son

僕を産んで育て、家族のために尽くし、離婚してまで自分の生き方を貫いた母の姿を記録に残したい、そう思って書いた文章がある程度溜たまった。「ヒョーヤと仲間たち(1)」という。ただ、第3章の途中で止まったままだ。 いくら断片を集めても彼女の姿は捉とらえられない。母と自分の関係を軸に書くことも試みたが、そう簡単ではない。結局、自分のことになってしまうからだ。 処女作「いつか名もない魚になる」を書いたときもそうだった。場面ごとの執筆はできても全体としてまとまらない。そんな状態で停滞した時期が長く続いた。文章表現力の何かが欠落けつらくしているのではないかとも思う。 入院して3週目に入り弱々しく見える母に会うたびに考える。もしかしたら、これが最期さいごになるかもしれない、と。そんなとき、母が僕をからかうようにいう。 「わたし、どこが悪いの」。「あたま」だと応こたえると、母が笑う。ひ孫の動画を見せると、 「かわいいね、誰の子」。「Nだよ」と応こたえると、「結婚したの、相手はどんな人」と尋ねる。娘婿むすめむこの写真を見せると母が頷うなずく。 「退院したいよ」「そうだね」二人で見つめ合う。そう、いつだって僕は彼女の息子なのだ。

Korean@starbucks

新宿の新名所、歌舞伎町タワーにあるスタバで友人と話していた。天蓋てんがいが高く広々ひろびろとした店内はほぼ満席で、誰かが立ち上がるとすぐ他の誰かが入る状態だったが、僕らはソファ席を確保できた。外国人も多く「国際的」な空気を楽しむには恰好かっこうの場所だ。 隣りの席にいた男女が立ち去るとすぐ若い女性がやってきて、荷物を席に置いた。カバンを席に置いたまま、僕に向かって "Could you watch the bag?" と尋ねた。"Sure." と応じると、彼女は注文しに1階に降りて行った。近ごろ赤の他人にこんな頼みごとをする人はいない。 彼女が席を空けた10分余りのあいだに何人かがそこに坐ろうとした。僕はみな追い払った。戻ってきた彼女に "Where are you from?" と尋ねると Korea と返ってきた。"Oh, Korea! 한국분이세요? 반가운에요!" あとは韓国語のやり取りになった。出張で1週間ほど滞在するらしい。 新宿で韓国人に出会うのは珍しくもないだろうが、こういう偶然ほど愉たのしいことはない。見知らぬ人遠方えんぽうより来たり遭遇そうぐうす、また愉たのしからずや。恋愛に至らずとも愉しさに変わりはない。言葉の力を感じるときだ。 友人とは1週間前に数年ぶりに会い、そのときの忘れ物のために再会した。友人も韓国語ができる。韓国語を話す中高生ならぬ中高年の日本人二人と偶然出会った彼女は何を感じたろうか。Netflix 韓国コンテンツの影響だろうか、スタバ教会の持つ世界宗教性だろうか。

Commencement II

5年前、シアトルにあるワシントン大学で娘のMBA授与式 Commencement*(スタート・始まりの意)に参席した。インド人や中国人のほか広い年齢層の学生たちが学位を得ているのを目まの当たりにし、大いに触発しょくはつされた。 その半年後、僕はそれまで「大だいの苦手にがて」と考えていた法律の勉強を始めた。もう一度、あの当時の思いに立ち返らなければならない。何をやるべきかはわかっている。さあ、いまこそ新たなスタートを切るときだ。これを Commencement II と名づけよう。 commencement in the sense of "entrance upon the privileges of a master or doctor in a university" is from late 14c. (c) Online Etymology Dictionary

“PACHINKO”再考

2017年の投稿 PACHINKO by Min Jin Lee に加筆し修正して再掲します。5年半の間に僕の見方がかなり変わっています。 Min Jin Lee は1968年に韓国で生まれ、7歳のとき家族とともに米国に移住している。米東海岸のニューヨーク市に住居を定め、2nd grade に入学するが、授業も生徒たちの会話も聞き取れず、理解できない日々が続く。この時期に彼女の Korean American としての原点が形成されたと思う。その核には疎外感やよそ者意識に近いものがあったろう。 家には本もテレビもなかった。毎晩、夕食どきに共働きの両親がその日接した人びとについて話してくれる。それを聞くのが彼女の楽しみになっていく。話に登場する人物の多くは在米コリアンで、しだいに彼らの姿が少女のなかで形づくられていったに違いない。それとともに、Korean American として自ら意識するようになったものと想像する。 北朝鮮出身の父親は朝鮮戦争(1950-53)のさなか命からがらブサンにたどり着く。戦後は米軍関係の仕事に就ついたという。ブサン出身の母親と出会い、周囲の反対を押し切って結婚している。母親は教会関係者と親しくしていたようだ。Pachinko の主要な登場人物の名が聖書に深く関わっているのもキリスト教との浅からぬ関係を示唆している。欧米での名前は多くが聖書由来であるが、韓国ではそうではない。いわんや北においてをやであろう。 著者と両親の略歴にふれたのは、彼女の周囲にいた人々や家族のなかにこの小説 の登場人物のモデルがいたと思われるからだ。Pachinko に描かれた在日の姿に Korean Americans の群像も重ねられるように思う。 Pachinko は大日本帝国(1868-1945)が朝鮮を併合した1910年から冷戦終結とされる89年までの激動期を生き抜いた4世代のコリアン群像を描いている。小説の舞台はブサンのヨンドに始まり、大阪からニューヨークまで広がる。東京・横浜・長野を加えて日本における在日の広がりを描き、米国社会を視野に入れることで在日コリアンを相対化し、日本社会の排他性と陰湿性を暴あばいている。 小説の第2部後半から第3部までの時期を僕は同時代として生きた。当時、韓国や北朝鮮に関心を持つ人は稀まれで、日本の新聞雑誌はこぞって北朝鮮を「地上の楽園」と呼んで美化していた。そこに理想社会を見た多くの在日朝鮮人が嬉々ききとして万景峰マンギョンボン号に乗り込み、北朝鮮に渡っていった。僕自身、悲しいかなメディア情報に洗脳せんのうされ、批判的に見る能力を欠いていた。 Pachinko もそういう時代の在日コリアンを見逃していない。当時、北朝鮮当局による日本人拉致らちが横行していたわけだが、日本の公安当局はそれを知ってか知らずか黙過もっかした。もちろん、非難されるべきは北朝鮮側である。他方、日本側に一国家として弁明しようのない怠慢たいまんがあったことも否定しようがない。現在に至るまで日本側に毅然きぜんとした交渉姿勢すら見られないことは否いなめない。 著者の鋭い観察眼と感性が日本の読者に日本社会を振り返ることを強しいる。この小説は在日コリアンの歴史だけを描いたのではない。日本に住む外国人を含む日本社会に対し鋭い問題提起をしているのだ。

Christianity in Korea

常石希望つねいしのぞむ氏の論文「韓国における初期キリスト教受容の要因」より抜粋し、以下に引用します。愛知大学語学教育研究室紀要「言語と文化」2005-2008年の第13/17/19号に掲載されたものです(句読点や段落ルビ等を一部編集し、[ ]内に補足しました)。 .....重要なのは歴史的要因群=準1次的要因であった。例えばそれらのうち,官吏かんりの収奪しゅうだつおよび日清・日露戦争という2重の歴史現象を理由にたまたま「教会が民衆の避難所」となったとか,また特に韓末期以降の「無政府・無宗教」状態という歴史的偶然を契機けいきとして,韓国人はキリスト教を受け容いれやすい状況に置かれたりしたが,残念ながらこうした歴史的状況は日本には全く存在しなかった。 日本におけるキリスト教「不」受容の最大要因を一点だけあげれば,それは天皇制神道という日本独自の宗教ないし国民的基層文化と,それを推進し続けて来た明治以来の日本政府であり,その点はすでに多くのキリスト教識者が指摘してきた点でもある。換言すれば,日本キリスト教を阻はばんで来た最大の障害物は天皇制神道という日本教であり,それを推進し続けた日本政府であった。 もし仮に日本でもかかるキリスト教受容を阻む日本教や政府がなく,従って韓国のように「無政府・無宗教」であったとすれば,日本のキリスト教受容史は根本的に異なったものとなっていたであろう。 先に植村正久がこの韓国における「無政府・無宗教」を強調して挙あげていたが,そこには自国日本の惨状と対比した韓国への羨望せんぼうさえ読み取ることができる。それ自体はキリスト教とは何の関係もない偶然的な歴史現象として,その時点にたまたま現れた「無政府・無宗教」状況とはそれほどに大きい役割を果したのである。 一般にこうした歴史的好条件がなければ,キリスト教受容が成立するのは極きわめて困難であることは,先の澤正彦の言う北朝鮮の場合を見ればよく分かるであろうし,そもそも見ず知らずのしかも他国の宗教が何らかの「歴史的好条件」を欠いて,ただ単純に安易に受け容れられることなどまずあり得ないのである。 かかる歴史的要因として私たちは次の5点を挙げた。 キリスト教が西洋文明を運ぶパイプ役として理解された。 韓国シャーマニズムや儒教思想とキリスト教思想の連続性(神概念や悪魔など)。 官吏の収奪および日清・日露戦争という二重の理由により「教会が民衆の避難所」となった。 「無政府・無宗教」という空白期にキリスト教が導入。 神道国家日本による侵略の開始と遂行。 [*] 政治的庇護(特に日本の場合の[織田]信長時代,戦後GHQ時代,あるいは韓国では治外法権を有した宣教師下の初期教会や解放後の政治状況) [*]を加えても良いであろう。いずれも,韓国キリスト教受容にとって不可欠ふかけつの歴史的要因群である。 しかしながら,いかに受容にとって不可欠であるとは言え,上の「歴史的要因」それ自体はキリスト教と教会にとっては本来無関係の,しかも偶然的要因に過ぎず,従ってそれだけでは受容を継続させ,受容を完成させることは出来ない。歴史的要因を契機としつつも,次にそれをキリスト教「内」的に,教会「内」的に宗教として純粋に受け容れる段階なくしては,受容は瞬時にして途絶とだえ消滅してしまいやすい。 従って,受容を最終的に決定付けるのは「宗教的要因(1次的要因)」にほかならず,その内容を主に4点にまとめた。 ネヴィアス[宣教師の名]方式・査経会사경회によって「高次の信徒概念」を形成  大復興会대부흥회や百万人救済運動などを通して「信仰の内面化」を経験  日帝支配を契機にキリスト教が対抗勢力の中心となり「民族的信頼」を獲得  「民衆」「民衆神学」 宗教であれ思想であれ,それが一国に受容されるには実に様々な複合的歴史関係が存すものである。従って,そうした多様な歴史的現象をあえて単純化し類型化しようとすれば,そこには必ずと言ってよいほど歴史への無視や歴史現象からの離反という誤謬ごびゅうを伴い易やすい。 例えば最初の大規模キリスト教受容「ローマ帝国のキリスト教受容」に関しても,昨今のローマ社会史研究者によると,従来のキリスト教史観から見た「ローマ帝国キリスト教受容史」,特に「迫害」「殉教」「皇帝神格化と皇帝礼拝」等々の歴史的事実は余りにもキリスト教に都合よく一律的に解釈され,従って客観的な歴史や資料を歪曲わいきょくしており,根本的な見直しが必要であると言う。 つまり,従来のキリスト教界が示して来た「キリスト教史」(就中なかんずく「ローマ帝国によるキリスト教公認と国教化のプロセス」あるいは「ローマ帝国とキリスト教の関係」)については基本的な見直しが求められているのである。 韓国キリスト教受容論に関しても同様の指摘は今後可能であり,従って本稿はこれまでの筆者の研究の一区切りを示す「まとめ」に過ぎず,かつ現時点までの筆者の研究成果である点を最後に述べておきたい。 1884年に建設された初のプロテスタント教会堂ソレ教会(松川教会、黄海南道龍淵郡) 撮影1895年 (c)Wikipedia 1970年前後に平壌放送を聞いて「朝鮮語」を学び、その後韓国の航空会社や日米の財団に勤務しながら、多くの韓国人や在日在米韓国人と接するなか、いつも疑問に感じていたのは、韓国にクリスチャンが多いことです。この論文はその理由を歴史的・文化的要因をふまえ分析しています。 論考に説得力がある理由の一つは韓国と日本のキリスト教の対比にあると思います。「農村と労働者と女子また漢文を読めない無学な大衆の間に広く普及定着」した韓国キリスト教と「明治以来、中上流階層の知識人のみを主体に受容されて来た」日本キリスト教の比較、大いに納得させられます。

Stained glass lover

数年ぶりに友人と会ったら、最近ステンドグラスに魅せられているという。創作工房に通い、制作を楽しんでいるそうだ。まだ数点だが、最近その作品をブログ公開したので紹介したい。 https://umostainedglassart.files.wordpress.com/2023/06/img_5066.jpg https://umostainedglass.art.blog 処女作「ネコ」は、笑っているような、はにかんでいるような、やゝ哀しげな表情をしている。よく見ると、猫の顔が作者に重なってくる。自画像なのではないか、「吾輩は」とでも言いたげだ。

K-drama 밥이 되어라(3)

70話で영신と医大生が擬似接近する一方、경수の死期がひしひしと迫る。彼女が彼の死に気づかないのは欺瞞そのものではないか、숙정と同じではないかとさえ思う。このドラマは要するに영신と경수と医大生のいびつな三角関係を描いているだけではないか。 71話で경수は死期が近いことを三角関係の当事者の一人である医大生に伝え、영신を彼に託す。一人で抱えきれない医大生は先生に打ち明ける。一方、오복の両親が何の脈絡もなく登場するのに困惑させられる。生活保護を受け、ごみまみれの部屋に寝ている父親の姿を正視できない오복に対し、兄との再会を喜ぶ용구の姿に一安心した。 경수が余命幾ばくもないことを知らされた영신は会長宅を出て경수のもとへ帰り、彼の死が近いことをおくびにも出さないで過ごす。先生の考え方と同じだ。先生の妻のほうが率直で親しみやすい。その妻の浅はかさを非難する先生はどこまでも道徳的で偽善的だ。 72話で다정の両親と오복の両親が立ったまま対面するが、다정の母親(先生の妻)は相手のみすぼらしい姿と非常識に失望し怒りのあまり中座してしまう。世間並みに体面を重んじる彼女らしい行動だが、先生は妻を侮蔑し非難する。 このドラマのテーマは結局、親とは何か、育ての親とは何か、親の役割は何か、教育者の役割は何か、愛情とは何か、にあるのだろう。裕福とは何か、ひとの幸福とは何かについても問いかけているのだろうが、問いかけばかりが並べられ苛立ちが溜まる。 最終回も予想どおり、道徳的で欺瞞的だった。K-drama (1) で述べた용구の視点も結局は僕が騙されたということか。どうも後味の悪いドラマになってしまった。こういう感想を抱く僕はひねくれ者と呼ばれるのだろう。

There She Goes.

8月に96歳になる母が、6月5日夜半に救急搬送され入院した。食物を受けつけず、嘔吐し腹部に激痛を訴えたという。医師によれば、胆嚢に胆石のようなものが溜まって胆管が詰まり、腸内炎を併発しているという。5年前とまったく同じ症状ではないか。あの時患部を特定できていれば、などと思う。 心筋梗塞等の再発もあり得るというから状況は絶望的だ。手術して胆嚢の異物を摘出すべきだが、年齢的に手術に耐える体力がない。点滴で栄養補給するが、延命治療について家族で相談するよう医師に言われた。寿命というものがあると信じるが、医術の限界を見せられているような気がする。 母が死の淵にある。4年前の父の死が遠い昔のことのようだ。当時の空虚感は観念的だった。母の死を覚悟するということが、実感としてまだ理解できない。 2023/5/19 Ogikubo2023/5/19 Ogikubo2023/5/19 Ogikubo2023/5/19 Ogikubo

老醜と陋習

最近、図書館を利用する機会が増ふえた。中高生のころ以来だ。受験生たちに囲まれ一緒に勉強している。50年経たって図書館のようすも変わり、僕がよく利用するところは開放型でコーヒーショップとつながっている。児童向け図書やスペースも充実している。 デスクにはノート型PCやPADに向かう人が目立ち、イヤホンをしている人も多い。音に過敏な僕は、キーボードを打つ音やタッチペンで画面を叩たたく音に苛立いらだってしまう。受験生や資格試験の受験者が多いのは昔と同じかもしれない。 新聞雑誌コーナーには高齢者も多い。屁へをもらし足を引きずりながら歩く常連じょうれんもいる。自分も同類だろうが、老醜ろうしゅうとは何だろう。 同音異義語に陋習ろうしゅう(いやしい習癖しゅうへき)があり、どこか似ている。諭吉は旧習に囚とらわれている同時代の人々をとらえて「頑迷固陋がんめいころう」と云いった。親しんできた慣習を頑かたくなに守り、自ら顧かえりみることのない人たちを云うのだろう。 老人の美しさがある、と僕は信じている。笑う人は嗤わらえばいい。と同時に、多くの醜みにくさがあることも承知している。逆にいえば、若者には若いがゆえの美しさがあり、若いがゆえの醜さがあると考える。これを前提したうえで、老醜ろうしゅうあるいは陋習ろうしゅうについて考えてみたい。

Fukuzawa Yukichi Once Again

福澤諭吉(1835-1901)の自伝『福翁自伝』縦書き文庫版を読み直した。何度か読んだが、率直さに溢あふれ赤裸々せきららで歯切れのいい叙述はいつ読んでも新鮮で、そのときどきの僕を励ましてくれる。 諭吉の口述を速記者が筆記し彼自身が校閲したものだ。1898年7月から1899年2月にかけて時事新報に連載された。さらに加筆修正し単行本として出版する予定だったところ、同年9月に諭吉が脳溢血のういっけつに倒れ、果たせなかったという。 よく見られる晩年の写真ではなく、若いころの写真を載せた。いまこそ「一身にして二生を」生きた諭吉の考えを理解し、時代と社会を変革しなければならないと切実に思う。諭吉が抜きん出ているのは「一身にして二生を」経へていることを自覚したことにあるのではないか。 同時代の社会と自らを客観視する稀有けうの能力の持ち主だった。それを可能にしたのは、少年期の体験に根ざす彼独自の社会観と歴史観であり、後年の数次に及ぶ米欧視察だったと思う。 明治期を理想化し憧憬しょうけいする人々を信じてはならない。彼らの思いが天皇制国家、戦争国家に淵源をもつからだ。自公政権の危険性と脆弱さもそれに根ざしている。諭吉の著作や雑文のなかに幕末から明治期の日本の実像がある。「平和憲法」 という衣装を纏まとった「富国強兵」論がまことしやかに語られるいま、諭吉の考えが奈辺なへんにあったかを知る必要がある。

At the Gallop

2週間前「このままでは駄目だめだ…だらだら勉強していても無駄むだだ」と思って作成したリストを点検し修正する。「まだ間に合うぞ」と言い聞かせながら。苦手意識を払拭することだ。初めての挑戦だと思えばいい。 By, on the highway, low and loud,By at the gallop goes he.By at the gallop he goes, and thenBy he comes back at the gallop again. 60歳のとき運転免許の更新を怠り、しばらく鮫洲さめずの試験場に通った。筆記試験に3度落ち、試験官に向かって試験問題の作り方に難癖なんくせをつけたことがある。難関で知られる実技試験は運よく2度目で合格したが、厭いやな経験だった。いつのまにか試験に対する苦手にがて意識が生じていた。そんなのは払拭すればいい。 26インチのMTBと16インチの輪行通勤用ハンドルとサドルの高さは2台ともほぼ同じだ 近くの自転車屋で気に入ったサドルを見つけた。合格したら2台とも同じサドルに替えよう。いや、サドルを替えて合格しよう。 Gallop, at the gallop you go, go, go. "Windy nights" by Robert Louis StevensonWhenever the moon and stars are set, Whenever the wind is high, …

Bike-train commuting

週3日の輪行りんこう通勤(bike-train commuting)を始めて1年になる。朝、自宅から五反田駅まで16インチの小径車しょうけいしゃで約30分走る。長いアップダウンが二度あり、疲れているときはギアを軽くしてもペダルが重い。駅に着くと、雑踏ざっとうの片隅かたすみで自転車を折りたたんでバッグに入れ、山手線に乗る。ラッシュ時間帯ではないが、駅を出入りする人々でごった返している。自転車を担かついで人々を避けながら進むのは楽ではない。 エレベータで窮屈きゅうくつな思いをしてホームに上あがり、身障者しんしょうしゃマークの付いた場所で電車が入ってくるのを待つ。電車が到着しても、混こんでいるときは乗らない。いや乗れない。電車に乗り込んだら、車椅子マークのところに自転車を置き、重いザックをおろす。ただ、スマホに没頭する人に占有せんゆうされていることが多い。 A bike bag commuter の朝の光景だ。サイクリストの優雅ゆうがな出勤とはほど遠い。夏前になるとかなり汗をかくので、電車に乗る前にタオルで体を拭ふき、車内でも遠慮えんりょがちに拭く。新大久保駅で以前はエレベータを使ったが、大きなスーツケースを持った外国人観光客で混むし、乗り換えが面倒めんどうで、今は階段にしている。自転車を担いで事務所まで数分、バッグが肩に食い込んで痛いときがある。 朝雨が降っていれば電車にし、予測しにくい日や夕方に雨予報があれば電車で行く。12.5kgの小径車と8kgほどのザックを担いで歩くのは辛つらい。合わせて20kgは昔の登山なみだ。帰りは夕方のラッシュに重なり、新大久保駅で電車を数台見送ることもある。五反田駅の改札を出て朝と同じ場所で自転車をバッグから取り出す。あとはゆっくり家まで走るだけだ。こんな輪行通勤を1年続けてきた自分をほめてやりたい。 駅の雑踏の片隅で朝は折りたたんでバッグに入れ、夕方はバッグから取り出す事務所の片隅に置いた輪行バックの上にシャツやタオルを載せ乾燥させる 右脚の麻痺のため筋肉を付けようとして始めたものの、いつまで続けられるだろうか。「いい加減にしたらどうだ」、そう言うもう一人ひとりの自分がいる。着実に筋肉は付いてきているのだが。

くずし字って於毛志呂以

菊地明範先生の「くずし字」動画がおもしろい、とにかく於毛志呂以おもしろいのです。万葉仮名のような、草書体のような、筆で描いた文字の楽しさをご堪能たんのうください。 -くずし字って於毛志呂以おもしろい1くずし字に馴なれよう 其壱そのいち 2くずし字に馴れよう 其壱の23くずし字に馴れよう 其弐そのに 4くずし字に馴れよう 其弐の25「いろはたとへ雙六すごろく」前半動画6「いろはたとへ雙六」後半動画 https://youtu.be/ItqX6JYry4M [1] くずし字に馴なれよう 其壱そのいち https://youtu.be/KthtSfkkSzE [2] くずし字に馴れよう 其壱の2 https://youtu.be/rbzZk8FB69s [3] くずし字に馴れよう 其弐そのに https://youtu.be/4HsJjgi91oU [4] くずし字に馴れよう 其弐の2 https://youtu.be/c8AjcJRLyoc [5]「いろはたとへ雙六すごろく」前半動画 https://youtu.be/Jpoil9iAr-E [6]「いろはたとへ雙六」後半動画 -くずし字を確認しよう7くずし字チェック動画 東海道篇へん8くずし字チェック動画 いろはかるた19くずし字チェック動画 いろはかるた210くずし字チェック動画 いろはかるた3

한일관계日韓関係を再考する

韓国の윤석열ユンソンニョル大統領と日本の岸田首相とのあいだで한일관계韓日関係あるいは日韓関係が急速に改善しているという。インターネットも新聞もテレビもラジオもこぞって、史上最悪だった한일관계日韓関係が好転あるいは正常化したという。表面だけ捉える人たちは、よかった仲よくなったと感じているようだ。本当にそうだろうか。何が変わったのだろうか、どこが変わっていないのだろうか。 2018年当時、大阪の韓国総領事だった呉泰奎オテギュ氏は両国関係を「官冷民温かんれいみんおん」と表現した(原文はハングル表記だが、漢字を当てれば官冷民熱)。以下に一部抜粋する(日本語訳は筆者による、韓国語原文はこちらから)。 ……最近の日韓対立は以前とは様相が異なるようです。以前は「水面が濁にごれば下の水も濁る」という言葉のように、政府関係の悪化に伴って一般国民の関係も悪くなるのが普通でした。ところが、最近は政府関係者とメディアが対立の前面に出ているものゝ、民間レベルではあまりそういうふうには感じられない。周囲の何人かの観察もそのようです。この現象を、私は「官冷民温かんれいみんおん」と呼びたいと思います。官とメディアは熾烈しれつな衝突をしていますが、一般市民は淡々たんたんというより一層交流が盛んなのですから。実際、2018年に政府間対立のさなか1050万人以上が日韓を往来する1千万人交流時代に入ったのです。 この見方に同感だが、一歩進め、双方の政府もメディアも日韓(한일)関係という言葉を使うべきではない、と訴えたい。日本語で日韓関係というと、ふつうの人々は両国の関係を総体的に捉えてしまうからである。では、何と表現すべきか。「日韓政治関係」「日韓外交関係」「日韓首脳関係」とし、民間の関係は政治関係に影響を受けることこそあれ、それとは関係ない独自の基盤をもっていると、自信をもって肯定すべきである。「未来指向の日韓関係」「グローバルな文脈のなかの日韓関係」といった政治的で曖昧あいまいな美辞麗句びじれいくに振り回されてはならない。 同じ理由から「日韓交流」「日韓文化交流」などの表現もより慎重しんちょうに使いたいものだ。そもそも人と人の関係を国際関係や歴史のなかで考えるとはどういうことなのか、あらためて考えたいと思う。

ひろば語学院40周年「わかる韓国語初級」出版

Kポップも韓ドラも韓流もなかった1983年、東京市ヶ谷に丹羽篤人・信子夫妻が設立した<ひろば語学院>は、ことし創立40年を迎えます。これを記念して丹羽裕美著「わかる韓国語初級」を駿河台出版社から出版しました。 下の写真をスライドして目次をご覧ください。第1課から8課が文字と発音、第9課から23課が文と表現になっています。 『わかる韓国語初級』『わかる韓国語初級』目次1『わかる韓国語初級』目次2『わかる韓国語初級』目次3『わかる韓国語初級』目次4 40年前に社会人を対象に開発した教材をベースにひろば語学院のテキストとして使いながら改訂を重ね、さらに他の市民講座や大学等での使用を通じて大幅に加筆し、今回の出版に至ったそうです。本文190ページの厚みと重さがひろば語学院の歴史を感じさせます。

K-drama 밥이 되어라(2)

約1ヵ月前、「ごはんに願いを」 (原題 밥이 되어라)を44話(日本版)まで見た時点で「デクノボーの용구」と題して投稿した。作者の人間観察に共感したからだ。 その後65話まで見て、このドラマがどこまでも숙정スッチョン(会長夫人)の悪だくみに沿って作成されていることを知らされ、腹を立てている。人間の誠実さを蔑ないがしろにしていると思うからだ。숙정は人非人にんぴにんともいうべき人格の持ち主で、歪ゆがんだ母性愛と金力・権力慾に囚とらわれている。 韓国ドラマの常套じょうとう手段である記憶喪失は認めるとしても、頭を殴なぐられて記憶を失った경수ギョンス(영신ヨンシンの育ての親であり年の離れた恋愛相手)に対する영신の態度が腹立たしい。女性心理を理解できない僕の限界だろうか、はたまた韓国社会に対する理解不足だろうか。 なぜ、彼女は숙정スッチョン(경수ギョンスの実母)の欲望に沿って경수に接しなければならないのか。彼が記憶を取り戻さないまま裕福でいるほうが幸福だという暗黙の了解が隠されているのだが、僕はこの사고방식思考方式を理解できない。「경수ギョンスの幸福だけを思って」という영신ヨンシンの台詞せりふを欺瞞ぎまんとしか受け止められないのだ。 영신ヨンシンが会長の娘だという事実を明かさないのも犯罪に近い。明かせば、養子の경수ギョンスも彼女も会長の子ということになり、戸籍が同じ二人は結婚できないという事情は理解しているつもりだ。ただ、事実を明かさない、記憶を取り戻さないままの幸福がいかに空むなしく危あやういものか想像できないはずはないであろう。 他方、용구ヨングの思いが実みのって필선ピルソンと結婚に至ったのはうれしいが、その後デクノボー용구のよさが後退したように思われ寂しい気がする。彼こそ作者の心眼しんがんだと思っていたが、間違いだったようだ。残り10話の展開に多くは期待しない。

Giro cycling helmet

いまはむかし、一人の友人が1ヵ月余り毎週末に2時間ほどの練習を重ねた末、ようやく自転車に乗れるようになった。ふらふらぐらつきながらも倒れずに百メートル以上走った。転ころんで腕や脚あしにかすり傷をつくりながらの必死の努力が実みのった瞬間しゅんかんだ。 直前までペダルに足を乗せることさえできず、左右の脚で交互こうごに路面ろめんを蹴けりながら数メートル走っては倒れそうになって止まることを繰り返していた。それが、最後の練習を終えようとする夕刻になって、ペダルを漕こいで走った。本人が直後に発はっしたとおり、それは「奇跡」だったに違いない。 Once upon a time, one of my friends finally learned to ride a bicycle after practicing for about two hours every weekend for over a month. She ran for more than a hundred meters without falling over, even though she was unsteady and wobbly. She fell and scratched her arms and legs, but …

tategaki-bunko library

縦書き文庫に登録して約2年、これまでの掲載作は表のとおりです(最新作を最も上の行に載せています)。この文庫がどれほど僕を支えてくれたことか。縦書きの重要さを理解させそてくれた菊地明範先生ほか、お読みくださった方に深く感謝いたします。 掲載作(執筆中*・掲載予定**を含む)文字数효야とその眷属(1)*30,173いつか名もない魚になる41,599なぜいま「大菩薩峠」なのか4,261習作: 記憶のかけら: 個人史の試み14,960翻訳: 忘れられた女性민갑완**3,492明治期の欧米崇拝と排外意識55,813習作: 落とし穴6,368習作: しろい犬くろい狗12,895https://tb.antiscroll.com/profile/goolee 柵原駅近く1960年ごろ撮影僧侶だった父1935年母(右)と祖父1940年ごろ母1948年柵原の社宅1950年代前半杉並の社宅1950年代後半家族メーデー1960年

親の呼び名

日本語というのは変な言葉だ。国家権力が子の親に対する呼び名を作ったり、それが外来語に取って代わられたり、時代の流行によって移うつろう。親は呼び名を選択したつもりでいるが、無意識のうちに国の統制を受けている。「国語」という呼び名も明治以来の国家主義をあからさまに示している。 明治政府による国語政策、標準語統一による地域の言葉の蔑視べっしと公的空間からの追放、戦後の米軍による統治、映画やテレビによるアメリカ文化の圧倒的あっとうてき流入など、さまざまな背景が考えられる。「方言」という差別用語を忘れてはならない。この国のメディアは、このような国家政策を見ぬいているのかいないのか、批判する頭を持たない。 1950年以降の東京周辺だけをみても、「おとうさん・おかあさん」「パパ・ママ」「とうちゃん・かあちゃん」「おとう・おっかあ」「おふくろ・おやじ」など、さまざまな呼び名がある。地方にはそれぞれ伝統的な呼び名がある。多様性があっていいのだが、それだけではない。井上ひさしが名作『國語元年こくごがんねん』で描いた「国語」の持つ意味を改めて問わなければならない。 「おとうさん・おかあさん」は明治初期に作られた造語ぞうごであり、教育勅語ちょくごにつながる親に対する尊敬の意を込めている。「お」と「さま(さん)」という二つの敬語が入っているのもそのためだと聞いた。幼児が発音するのはむずかしい。「パパ・ママ」は言わずもがな、アメリカ文化の影響だろう。 自分の娘に「おとうさん」とも「パパ」とも呼ばせたくなかった僕は、東北地方のどこかで使われていた「ダダ」「ドド」を選んで「ダーダ」という呼び名を与え、今もその呼びかたを通している。娘の友人たちも僕をその名で呼ぶ。孫にも「ダーダ」と呼ばせたい、と考えている。それが僕の密かな「国語」に対する抵抗なのだ。 僕は日本語という言葉とその文化をこよなく愛しているつもりだ。それを偏狭へんきょうで自己中心的な、政治家と呼ぶに値しない選挙屋、良心のない官僚たち、似非えせ文化人や教養のない教師たちに牛耳ぎゅうじられたくはないのである。

ぼおっと生きる

「チコちゃんに叱しかられる」というNHKの番組がある。見たくないのだが、夕食を終えて洗い物をしているとき放送されるので、否応いやおうなしに聞こえてくる。人々が当たり前と考えている日常的なことがらに疑問を投じ、回答者が答えられないと、主人公のような女児を模した人形が「ぼおっと生きてんじゃねぇよ」と叫ぶ。そのあと、専門家と呼ばれる人が疑問に答える。 「ぼおっと生きてんじゃねぇよ」と主人公が吐はくたびに、耳をふさぎたくなるほど厭いやな気持ちに囚とらわれるのは僕だけだろうか。思うに、人はぼおっと生きていいのではないか。それは叱るべきことではないのではないか。視聴者がこの番組の人形をまねて、この耳障みみざわりな言葉を吐はくようにならなければいいのだが。