泉鏡花(Izumi Kyoka 1873-1939)の生誕150年に際し縦書き文庫版の作品リスト(150+)を掲載します。作品名をクリックすると、すぐ読むことができます(同文庫へのユーザー登録をお勧めします)。数字は同文庫版の字数(千[k]の位未満切り捨て、数字がないのは41k未満)。 高野聖 180k 海神別荘 84k 眉かくしの霊 88k 外科室: 日本文学100選 陽炎座 129k 歌行燈: 日本文学100選 138k 沼夫人 159k 夜行巡査: 日本文学100選 天守物語 69k 薄紅梅 187k 夜叉ヶ池 96k 二世の契 116k 売色鴨南蛮 49k 海異記 71k おばけずきの謂れ少々と処女作 海の使者 貴婦人 51k 活人形 155k 貝の穴に河童の居る事 58k 縷紅新草 71k 雪霊記事(1921年) 雪霊続記(1921年) 絵本の春 龍潭譚 49k 化銀杏 81k 菎蒻本 57k 妙齡 瓜の涙 45k 雨ばけ …
The pitfalls of irreligion
The following is an excerpt from Nozomu Tsuneishi’s article, “Factors in the Acceptance of Early Christianity in Korea,” and is quoted below. This article was published in the Bulletin of the Language Education Laboratory, Aichi University, “Language and Culture,” No. 13/17/19, 2005-08. Some punctuation and paragraphs have been edited. ….. The important factors were a …
縦書きで読む泉鏡花
昨年は泉鏡花(1873-1939)の生誕150周年でしたが、彼の作品の多くを縦書き文庫で読むことができます。縦書き文庫版の泉鏡花作品リスト(150+)を以下に掲載します。作品名をクリックすると、縦書き文庫で読むことができます。なお、同文庫へのユーザー登録(無料)をお勧めします。 高野聖 180,893字 海神別荘 84,338字 眉かくしの霊 88,815字 外科室: 日本文学100選 21,601字 陽炎座 129,080字 歌行燈: 日本文学100選 138,200字 沼夫人 159,473字 夜行巡査: 日本文学100選 32,739字 天守物語 69,360字 薄紅梅 187,452字 夜叉ヶ池 96,157字 二世の契 116,817字 売色鴨南蛮 49,960字 海異記 71,406字 おばけずきの謂れ少々と処女作 9,947字 海の使者 28,408字 雪霊記事 23,277字 貴婦人 51,335字 活人形 155,243字 貝の穴に河童の居る事 58,676字 縷紅新草 71,072字 雪霊続記 20,607字 絵本の春 22,219字 龍潭譚 49,676字 化銀杏 81,452字 菎蒻本 …
短編小説「ある水曜日の朝」
日常の小さな事件がきっかけで、それに関係した人々が精神に異変をきたす。あるいは、かつて苦しんでいた状態を思い出させられる。そんなことがあるのではないでしょうか。それが自分の身に起きたとき、あなたはどうしますか。「ある水曜日の朝」(縦書き文庫)はそんな卑近な事件を扱い、そこに潜む非日常性を描こうとした作品です。十分に描けたとは思われず、習作としました。老習作集「少年老い人の性さが」に載せています。 ある水曜日の朝 東京都の南東部、大聖人だいしょうにんゆかりの池の近くにそのアパートはあった。三階建ての建物の真ん中を通る階段を挟はさみ、各階に五十m2余りの部屋が二つずつある。HとNはその賃貸アパートの二階と三階にそれぞれ住んでいたが、顔を合わせる機会はなかった。生活のリズムが違っていたというより、二人とも仕事や趣味に没頭ぼっとうするあまり部屋にいる日常を顧かえりみる余裕を持たなかった。 Hは三十代後半の男性で公務員だった。週末は金曜の夜から登山に出かけ日曜の夜遅くに帰る。一週間ほどかけて縦走することもあり、たいていは単独行だった。Nは三十代半ばの女性で非常勤講師だ。関東地方にある複数の大学で韓国語を教えている。休日は正午過ぎまでベッドにいる。授業の準備に時間を取られ、大学間の移動に体力を消耗しょうもうさせられる、けっして楽らくな仕事ではない。このアパートにはNのほうが先に住んでいる。Hは元妻もとつまと別居するため数年前に引っ越してきた。 Hが離婚した年の九月半ばの水曜日、毎週やってくる資源ゴミ回収の日の朝だった。突然、ガラスがコンクリートに激しく当たって砕くだけ散る、けたたましい音の連鎖れんさがアパート内に響きわたった。いったい何が起こったのだろう----不安に駆かられてHがドアを開あけると、二階から一階まですべての段々だんだんに大小のガラス片が散乱し、朝の陽光を受けて輝かがやいていた。その下段のほうに、取り乱したようすのNが部屋着のまま突っ立っている。ゴミを収集場所に出そうとして階段を下おりる途中、手に持っていた空あき瓶びんの入ったビニール袋が裂さけてしまったのだ。「すみません」「ぼおっとして...」と、ひたすら詫わびている。階段にかすかに酒の臭においが漂ただよっていた。 動転どうてんしたようすのNに向かって「怪我けがはありませんか」と言うと、Hはすぐ開あけたままのドアから自室に入り、ベランダにあった箒ほうきとちりとりを取ってきた。Nも三階の部屋に戻り、同じ掃除そうじ具を持ってきた。こうして、Hが掃除した一段一段をNがさらに掃除するという奇妙な合同作業が始まった。透明な青紫や緑色をした大小さまざまの破片を見ながら、Hは「何本落としたのか」「아침 이슬アチム・イスル*の小瓶こびんだろうか」などと考え、無言むごんで作業を続けた。Nと一緒にいるだけで、しばらく忘れていた幸福感に満たされるような気がした。 * 朝つゆの意。韓国の焼酎ブランドの一つ、同名のフォークソング(キム・ミンギ作曲)がある。70年代前半にヤン・フィウンの歌声とともに大流行し、75年パク独裁政権下の韓国政府により、その体制を批判する曲として<禁止曲>に指定された。 何度か見かけただけなのに、あるいはだからこそHは数年前に引っ越して挨拶あいさつしたときからNのことが気にかかっていた。そんな思いはおくびにも出さず、黙々もくもくと最下段まで掃除を終えた。アパートの玄関をゆっくり開あけて外に出ると、二人ともガラス片を載のせたちりとりを壊こわれ物でも運ぶように両手で支えながら道路を渡り、ごみの収集場所で一緒にしゃがみ込んだ。たがいに頭をぶつけそうな位置にあり、Hはかなり緊張している。Nはまだ落ち着きを取り戻していない。 尻しりもちをつきそうな姿勢をしたNの膝ひざからすねにかけて盛もり上がった筋肉が肉感的だ。二人で掃はき集めたガラスの破片を大きめの空あき瓶びんに少しずつ詰つめていった。「あっ、ちょうど一杯に」、Nがうれしそうにつぶやく。ガラス片をこぼさないように注意しながらビニール袋に入れ、最後にHが固く袋の口を閉じた。間近まぢかにいてその作業を覗のぞきこむNの洋服の胸のあたりがたるみ、その奥で二つの房ふさが揺れる。 朝の事件のためいつもより遅く出勤したHは、気持ちが高ぶっていたせいか一日中不思議な幸福感に包まれていた。嫌いやなことがあっても苛いらつかない。そして、日が経たつにつれ以前よりもNに会いたい気持ちが増していった。 ガラスの事件があった日から二週間後の水曜日の朝、Hがいつものように小径車で歩道をゆっくり走っていると、Nによく似た背格好せかっこうの女性が前を歩いているのに気づいた。速度を落としてしばらく観察し、彼女に違いないと確信したので、追い越すときに振り向いて「おはようございます」と声をかけた。だが、反応がない。人違いだったのだ。彼女に会いたい気持ちが幻覚を生じさせたのか。通り過ぎた以上、後戻あともどりして確かめる術すべもない。 Hは小径車をアパートの階段の最上階に置いていた。十月半ばのある週末、彼は山にも行かないで自宅で過ごしていた。午前ひるまえ、屋上に通じるドアの前の踊り場で自転車の手入れをしていると、その真下ましたにあるNの部屋のドアが開いた。突然かなりの音量でビートの効きいた軽快な音楽が流れてきた。ドアはすぐ閉しめられ、彼女は出かけたようだった。音楽をつけっぱなしにしたということは誰かいるのだろう、と考えながらHは手入れを続けた。 しばらくすると、Nは女友だちと二人で帰ってきた。最寄り駅まで迎えに行ったのだろう。自転車の手入れを終え階段を下くだってNの部屋の前を過ぎるとき、女性たちの楽しそうなやり取りと笑い声が聞こえてきた。ドア越しでよく聞こえないが、日本語ではない言葉で話しているようだった。おそらく韓国語であろう。物静かそうにみえるNに意外にも快活な面があることを知り、Hは何となく安心した。 一階にあるNの郵便受けには南宮なみやとある。てっきり日本人名だと考えていたが、韓国人の名前かもしれない。韓国語だとすると、남궁(ナムグン)となる。そういえば、彼女の顔形かおかたちはどこか韓国の仮面劇タルチュム(탈춤)で使われる仮面(タル、탈)に似ている。日本の能面と違い喜怒哀楽の表現が豊かな面が多い。タルになぞらえてNのさまざまな表情を想像しながら、Hは一人ほくそ笑んだ。 次の週の水曜日、朝立ち寄るところがあって、Hは珍しく電車で通勤した。偶然、少し前をコンビニから出てきたNが駅のほうに向かって歩いていく。Hが徐おもむろに彼女のあとを付いて行くと、改札の手前でNが何か小物を落としたのに気づかず改札を通ろうとしたので、Hは彼女を呼び止めて渡そうとした。落とし物は渡したが、またしても人違いだった。このことがあってから、彼は自分の精神が病んでいるのではないか、と思うようになった。 ガラスの事件があってから一ヵ月余りしか経たっていないのに、どうしたのだろう。どうも自分が自分でないような、空疎くうそになったような気がして仕方がない。ガラスの破片が体内に入り脳神経に害がいを及およぼしているのではないか。あるいは、Nが自分の魂たましいを奪うばったのではないか。そうに違いない、などと考えた。 自分がどんどん追いつめられ矮小化わいしょうかされていくのが辛つらく、耐たえがたい。仕事は何とか続けていたし、週末の登山もやめなかったが、どちらにも以前のようなやりがいも楽しさも感じなくなってしまった。まさに地獄界の精神状態に陥ったのだ。Hは完全に行き詰づまったように感じた。 Hは十代の後半に似たような閉塞感へいそくかんを経験していた。彼の家庭が崩くずれ始めたころで、数年後に父親が家を出て女のもとへ行った。Hは毎晩のように家を脱け出して数時間さまよい歩いた。とにかく疲れるまで歩き続けた。そうすることで、かろうじて自分を保っていた。真っ暗闇くらやみの地底を行ったり来たりした時期だ。いまの状況に似ていなくもないが、何かが違う。地底にいるのと地獄界にいるのは似にて非ひなるものだ。当時はまだ、そのことに気づいていない。地底では次の録音テープが傷ついたレコードのように繰り返し回る。それを耳にすると、彼は鉱山の縦坑たてこうを降下こうかするエレベータに乗せられたような息苦いきぐるしさと重圧じゅうあつを感じた。 「こちらは廃人ハイジン廃品はいひん回収のための回収車です。ご家庭内や事務所でご不要になりました廃人、廃品(テレビ・エアコン・オーディオ・パソコン)など、大きなもの重たいもの、どんなものでも回収いたします。機械的あるいは精神的に壊こわれていても構かまいません。何でもご相談ください」 廃人品ハイジンピン回収車が回ってくると、Hは何の思考もできなくなった。彼には世の中から抹殺まっさつされ処分されるという恐怖があった。一方で、ときに自分でも制御せいぎょできない力ちからに突き動かされることがあった。精神までは壊こわされていなかったのだ。 いま地獄界にいる自分を認めるようになったHは、あの水曜日の朝に砕け散ったのはガラス瓶ではなく、自分の精神が粉々こなごなになって壊こわれたのだと考えた。だから、そこから脱出するには自分を再構築するしかない。とはいえ、ガラス瓶は元もとに戻らない。はたして人は元に戻れるだろうか。まずは精神が壊こわれる前の自分が無自覚にやっていたことを取り戻そう。嘆なげくことも考えることもやめ、何かに向かって突き進むのだ。何日も悩んだ末の結論だったが、何とも説得力に欠ける。Hはまともな判断力を失っていた。だから、十代のような衝動を欲したのかもしれない。 あの水曜日の朝、あるいはNの精神も異常をきたしたのではないか。いや、その前から異変があったかもしれない。彼女は気づいていないだろう。それを自覚するように仕向しむけてあげよう。そんな押しつけがましい使命感のようなものまで作り出した。そうすることで、Hは自分の内面から湧わいてくる弱々しい力を感じ、その感官かんかんがまた彼に力を与えた。すべて独ひとりよがりの考えに違いないが、そもそも地獄界という閉塞へいそく状況にある者が他者に対して何をできるというのだ。相手を同じ状況に陥おとしいれることしかできないだろう。Hはそれには気づいていなかった。 次の水曜日の朝、Hは颯爽さっそうと二階のドアを出ると三階に行き、Nの部屋のドアを叩たたいた。二人の精神と日常を取り戻すための扉とびらを開あけようとして、高鳴たかなる心臓の鼓動こどうを全身で感じ、震える脚あしをかろうじて保ちながら叩いた。ドアの向こうではビートの効きいた音楽が大音量で響いている。なのに何の反応もない。ドアを叩き続けながら、ふと不安になり、Hは階段を小走りに下おりて行った。 一階の郵便受けを見ると、はたしてNの名前がない。呆然ぼうぜんと立ちつくしたまま、Hは階段を見上げた。どうしたことだろう。彼女がアパートにいないなんて、そんなはずはない。さっきドアを叩いたときも、部屋からビートの効きいた音楽が響いてきたではないか。三階のドアの前を通るときはいつも聞こえた音楽が幻聴げんちょうだというのか。もう読者はお気づきだろう。あのビート音はH自身の心臓の鼓動そのものだったのだ。そのあまりにも激しい音量のため、彼には外部の音に聞こえたようだ。混乱した頭を抱えたまま、Hは一階の玄関ドア近くに立ち尽くしていた。 階段はジャロジーの乱反射のせいで正面奥にあるコの字階段の壁面がまぶしく輝き、どこまでも段々が上がっていくように見える。あの日Nが見た光景もこれだったのだ。そう思い込んだHは祈いのるようにじっと階段を見上げ、壁の先に何があるのか見きわめようとした。それはかつて彼が地底で見た光景に似ていた。Hがそのことに気づいていたかどうか。地獄界から必死に這はい上がろうとする彼にそんな余裕のあろうはずはなかった。(完) あとがき この短編小説で描いたガラス瓶の破片の輝きが韓国焼酎しょうちゅう 아침 이슬 (アチム・イスル)を思い出させた。それが 김민기(キム・ミンギ)作曲になる同名の曲につながるのは、彼と同世代の筆者にとって当然のことだ。彼が低い声で歌うその曲が地底から聞こえてくる。「いったい五十年の歳月さいげつは何だったのか」と問いかけんばかりに。
J-tandem ebikes
日本では、自転車は車道を走るのが原則だが、子どもや高齢者が乗る自転車、子どもを前後に載せた自転車や低速で走る自転車は歩道を走ることができる。実際には多くの自転車がかなりの速度で歩道を走っているから、歩行者とのトラブルや事故が少なくない。 In Japan, bicycles are generally ridden on the roadway, but bicycles ridden by children and the elderly, bicycles with children in the front and rear, and bicycles ridden at low speeds may be ridden on the sidewalks. In fact, many bicycles are actually ridden on sidewalks at considerable speed, resulting in many problems and …
Cycling for those aged 70+
Facebook page "Cycling for those aged 70+" に参加した。投稿は英語を基本とし、米英を中心にアジア・アフリカを含む国・地域の自転車好きが多く参加している(参加者: 4.4万+)。 日に数十キロ、一人あるいは仲間と走っている70-80代が少なくない。年に1-1.5万キロという人もいる。夫婦や孫を含む三世代で走る人、ネパールやフィリピンを数ヵ月かけて旅行中という人など、参加者は多彩だ。 心臓の不調で乗れない人や膝を手術した人が、いつごろ乗れるだろうかと、経験者に問い合わせると、複数の人が即答し、e-bike にしたほうがいいと助言する人もいる。みな率直なのだ。 14インチ小径車について投稿したところ、たちまち400人を超えるアクセスがあり、驚いた。これまでFBに投稿しても多くて50人だったからだ。コメントの一部を紹介しよう。 Cool… isn't it little uncomfortable to ride on such a small bicycle as all your weight would rest on arms and backbone?Wow. Small bike! Is it a fold up bike? You will work up a sweat quickly on.It's too small for you, …
Yokko’s birthday
8月12日、よっこちゃん(母の愛称)が96歳の誕生日を迎える。6月から7月にかけて1ヵ月あまり入院し、奇跡的な快癒かいゆを遂とげて退院した後なので格別だ。一度諦あきらめかけた命が蘇生そせいしたのだからゼロ歳といってもよい。最期さいごの誕生日にならないことを祈いのりつつ祝う。 August 2023September 2023
the Koma/Koguryo Shrine
韓国人の友人と一緒に高(句)麗神社を訪たずねた。僕にとっては十数年ぶりの訪問だった。以前感じたことのない感官に包まれ、蝉時雨せみしぐれのなかに佇たたずむ参拝殿の姿に魅せられた。本殿奥に高麗コマ家の住居が保存され、茅葺かやぶき屋根に苔こけが生はえていた。 参拝殿手前の門の額に「高句麗神社、朝鮮人正二品趙重應謹書」とある参道入口の二の鳥居に高麗神社とある高麗神社の由来参拝殿と水天宮のある山の樹々奥の方に水天宮の鳥居が見える山頂にある水天宮の正面水天宮の裏面から鳥居を望む水天宮のある山から市内を望む社殿の裏手にある高麗家の住居(17世紀後半の建築)代々神職を務めた高麗家の住居英親王と李方子女史が植えた樹の下に石碑が建っていた
a Korean drama lover
2018-19年に韓国ドラマについて「非現実的なあまりに非現実的な」と題して連載したことがある。そのきっかけは韓国ドラマに「不満というより怒りを感じるようになった」からだった。いま、同じ「不満」が高まってきた。「もういい加減にしろ」と怒っている。この苛々いらいらが嵩こうじ、また減げんじて、韓国ドラマをさらに好きになっていくのだろう。 「非現実的なあまりに非現実的な韓国ドラマ」を通して読めるように縦書き文庫に載せました。https://tb.antiscroll.com/novels/goolee/24678 非現実的な、あまりに非現実的な(1) 型にはまったプロット(筋書き)非現実的な、あまりに非現実的な(2) 登場人物の類型とその人間関係非現実的な、あまりに非現実的な(3) プロットの構成要素と場面設定非現実的な、あまりに非現実的な(4) 韓国ドラマの欠点と制作者・視聴者の関係非現実的な、あまりに非現実的な(5) 僕の好きな韓国ドラマ非現実的な、あまりに非現実的な(6) Because this is my first life 이번 생은 처음이라
heatwave
メディアは連日のように全国各地の最高気温と熱中症患者の数を伝え、エアコンを使い「不要不急ふようふきゅう」の外出を控えろという。まるで戦時中のようだ。そして、世界各国の猛暑もうしょや山火事の映像を流して異常気象がもたらす危機だとくり返す。ハリウッド映画まがいの状況づくりに追随ついずいしているだけではないか。 自転車で1時間ほど走ったあと、日陰ひかげで腰をおろして60年前の夏を思う。「昨今さっこんの暑さは昔と変わらないよ」、僕の記憶がいう。昔と今で夏の暑さが大きく違うとは云わないのだ。自転車で幹線道路を走っていて一番熱いのは、信号待ちで停とまっているクルマの近くを通るときだ。昔はこれほどクルマが多くなかった。 少年時代によく遊んだ神社の境内けいだいの木陰こかげがなつかしい。激しい耳鳴りのように蝉せみが鳴いていた八幡宮の雑木ぞうきのなかで、ずっと涼すずんでいたい。山奥の清流のそばでひんやりした大きな岩に凭もたれていたい。
flat tire
My bike got a flat tire on my way to the office this morning. 車道から歩道に上がる約5㎝の段差を乗り越えた直後だった。後輪がふらつき、急に速度が落ちた。左に寄って停とめようとしたら、あやうく後ろからくる自転車に追突されそうになった。「あぶねえ」「ごめんなさい、パンクみたいで」、相手はそのまま去っていった。出勤途次とじだったのだろう。 自転車を押しながら約10分歩き、東横線の中目黒駅で輪行バッグに入れて乗り込んだ。渋谷で山手線に乗り換えるつもりが、雑踏ざっとうを歩くのが億劫おっくうになり副都心線で東新宿駅まで行った。車内が空すいていて快適だった。駅から事務所までコリアタウンを約10分歩いた。事故に遭あわなくてよかった、そう思うことにしよう。 1週間後、朝のほぼ同じ時間に後輪タイヤがパンクした。夕方、バッグに入れた自転車を持って前回パンクを修理してもらった店に行った。チューブを見せてもらうと、1週間前に修理したところの近くに小さな穴が空いていた。担当したMさんの職人気質かたぎの対応が僕の不快感を消してくれた。ありがとうございました。
Along the Tama River
日射ひざしも弱まった夕方4時過ぎに家を出てMTBに跨またがり多摩川べりへ行った。風も強くなく右岸(川崎)を軽快に走った。 丸子橋まるこばしから多摩水道橋たますいどうばしまでのつもりが、橋の下の小径こみちに誘さそわれ、上河原堰かみがわらせきまで往いった。橋と堰せきのあいだに樹木と草が生おい茂ったところがあり、山のなかにいるかのように鴬うぐいすのさえずりを間近まぢかに聞いた。往復で40kmは走ったろう。
Koroan not Korean
香炉庵こうろあんというコーヒー店を発見した。自転車で自宅から15分ほどの住宅街を走っていて偶然見つけた。ここで30年以上営業しているという。長々ながながしいサイトの文章を読んで、店主は同世代だろうと推測した。こういう店が比較的近いところにあることにささやかな幸福を感じる。歳としをとったせいかもしれない。 https://www.koroan.com/ 店主はやはり1950年代生まれだった。店に入るやコーヒーと二人の来歴をめぐるやり取りが始まった。ほぼ僕が聞き役だったが、よく噛かみ合った。途切とぎれるところがない。「わざわざ暑いなかを」と云って、昼前に淹いれたというアイスコーヒーを出してくれた。楽しい話をしながらいただくコーヒーの味は格別だった。 https://coffee-koroan.jimdofree.com/ しばらく前まで店の前に置かれていた焙煎機、盗難に遭い今はもうないという。この釜のなかに店主の長年の作業と思いの多くが込められていたと思うと、その窃盗行為は許しがたく、強く深い憤いきどおりを覚える。写真(c) https://www.koroan.com/
小説「この世に来るあの世に往く」
「いつか名もない魚うをになる」の続編で二作ともシリーズ「無宗教社会を生きる」に載せています。前作では認知症患者による「無宗教社会」の観察を試み、今回は登場人物の生きざまを通して「宗教」「無宗教」の意味を考察しようとしていますが、かなりむずかしい。苦戦しています。 途中で筆が止まったままの原稿を載せており、なるべく早い時期に執筆を再開するつもりです。題名は当初「ヒョーヤとその眷属けんぞく」でした。その後、「川ゆく魚うを山ゆく人」「この世に棲みあの世に往ゆく」「この世に住むあの世に往ゆくこの世に来る」を経へて「この世に来るあの世に往ゆく」*としました。「此岸彼岸しがんひがん」より「この世あの世」のほうが身近に感じます。題名を推敲するなかで次のように考えました。 魚うをは流れに抗あらがって泳ぎ、登山者は岩を登り道を歩く。自由に泳ぎ自在に歩いているように見えても、みな制約のなかで生きている。そして、人々の住む<この世>とそこに<どこか>からやって来る新たな生命、人々の想像のなかにある<あの世>----いつの時代も人々はこれら二つないし三つの世を信じている。それは無宗教派の人々のあいだに広く普及している迷信の一つではないか。いや、彼らに限らない。教会や寺院、神社や自然を拠よりどころとする人々も同じ迷信を前提しているのではないか。 *仮訳: Coming to this world, going to the other world. いまはむかし、まだ家々にテレビも電話もなかったころ、冬になると東京にも何度か雪が積もった。いつもの景色けしきが雪に覆おおわれたのを見て子どもたちは喜び、はしゃいで雪だるまを作り雪合戦がっせんをした。효야ヒョーヤも炭俵すみだわらの藁わらをそりに仕立したて、原っぱの斜面や道路で滑すべった。藁についた炭すみの粉で黒くなった遊び仲間の顔、顔、顔――みんなの顔が一斉いっせいにどっと笑う。 坂道を登りつめて少し往ゆくと源頼朝みなもとよりともゆかりの八幡宮はちまんぐうがあった。すっぽり雪を被かぶった境内けいだいで我われを忘れて一匹の黒犬と戯たわむれ転ころがり回った。モノクロ写真のようなその光景こうけいが효야ヒョーヤの脳裏のうりに焼き付いている。いつも一緒に遊ぶ仲間はそのときいなかった。あの黒犬は高麗狗こまいぬの化身けしんではなかったか。その後一度も会っていない。 彼は少年のころから何かに夢中になると、ほかのことが見えなくなった。気づくと仲間がいなくなっていたり、怪訝けげんな表情で彼を見ていることがあった。五六人で裏庭に穴を掘ったことがある。身長ぐらいの深さになって粘土層が露あらわになると水が湧わいてきた。汲くんでもくんでも止まらない。それを見て急に怖こわくなり、みなの反対を押し切って作業を止めてしまった。いつもみなと交わっていたいのに、ある一線を越えると引いてしまう。そんなところがあった。 효야ヒョーヤという名前からして、読者は変に思うだろうが、日本に生まれ、幼いころから日本語を話し、ほかの言葉は知らない。見ただけでは、ほかの子どもと違うところはない。生まれたのは東京だから、出生届は효야では受け付けられず、ヒョーヤというカタカナで届けた。彼の漢字名も当時認められた漢字表に載っていなかった。 효야の母方の祖母は윤화ユヌァといい、父方の祖母は희사フィサという名で、それぞれ戸籍上はユナ、ヒサという。みな서울ソウル近郊にルーツを持つ人たちだ。효야は祖父母たちから数えて三代目で在日三世ということになる。名前が名前だし、幼いころから自分も家族もどこかほかの人々とは違うと考えていた。そんなよそ者意識を決定的にしたのが彼の母バンジャの信仰だった。というより、それが他のさまざまな属性を見えなくしたというべきだろう。それは彼自身の出自をも覆おおい隠かくしてしまった。https://tb.antiscroll.com/novels/goolee/24637
Ora Orade Shitori egumo
水沢高校二年生のとき、現代国語で習った「永訣えいけつの朝」という詩をときどき思い出す。同じ教師の授業前に早弁はやべんをして立たされたこともあった。この詩の「いもうと」に僕は自分の妹を重ねるが、いまは病室にある母を重ねることもある。 岩手県の水沢市で過ごしたせいもあり、宮澤賢治は僕がもっとも親しんだ人のひとりだ。自らを不軽菩薩ふぎょうぼさつになぞらえた彼をいつになく身近に感じるこのごろではある。 永訣の朝 宮澤賢治「春と修羅」よりけふのうちにとほくへいつてしまふわたくしのいもうとよみぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ (あめゆじゆとてちてけんじや)うすあかくいつそう陰惨いんざんな雲からみぞれはびちよびちよふつてくる (あめゆじゆとてちてけんじや)青い蓴菜じゆんさいのもやうのついたこれらふたつのかけた陶椀たうわんにおまへがたべるあめゆきをとらうとしてわたくしはまがつたてつぽうだまのやうにこのくらいみぞれのなかに飛びだした (あめゆじゆとてちてけんじや)蒼鉛さうえんいろの暗い雲からみぞれはびちよびちよ沈んでくるああとし子死ぬといふいまごろになつてわたくしをいつしやうあかるくするためにこんなさつぱりした雪のひとわんをおまへはわたくしにたのんだのだありがたうわたくしのけなげないもうとよわたくしもまつすぐにすすんでいくから (あめゆじゆとてちてけんじや)はげしいはげしい熱やあえぎのあひだからおまへはわたくしにたのんだのだ銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいのそらからおちた雪のさいごのひとわんを………ふたきれのみかげせきざいにみぞれはさびしくたまつてゐるわたくしはそのうへにあぶなくたち雪と水とのまつしろな二相系にさうけいをたもちすきとほるつめたい雫にみちたこのつややかな松のえだからわたくしのやさしいいもうとのさいごのたべものをもらつていかうわたしたちがいつしよにそだつてきたあひだみなれたちやわんのこの藍のもやうにももうけふおまへはわかれてしまふ (Ora Orade Shitori egumo)ほんたうにけふおまへはわかれてしまふあぁあのとざされた病室のくらいびやうぶやかやのなかにやさしくあをじろく燃えてゐるわたくしのけなげないもうとよこの雪はどこをえらばうにもあんまりどこもまつしろなのだあんなおそろしいみだれたそらからこのうつくしい雪がきたのだ (うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる)おまへがたべるこのふたわんのゆきにわたくしはいまこころからいのるどうかこれが天上のアイスクリームになつておまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうにわたくしのすべてのさいはひをかけてねがふhttps://news.mynavi.jp/article/20230531-2692576/
Mother’s nickname
入院中の母を見舞みまった。車いすに母を乗せ、ガラス窓越しに外の景色が見れる場所にいるなどして、1時間半ほど過ごした。1ヵ月入院した彼女の太ももは細く、体全体が一回り小さくなり軽くなった。 帰りがけに、ベッドに寝そべった母に向かって「おふくろ、また来るよ」と言うと、「<おふくろ>じゃないでしょ」と言うから、「じゃあ、何と呼ぼうか」と尋ねた。すると、うれしそうな顔をして、自分に言い聞かせるように「よっこちゃん」と応こたえた。むかし、兄弟や近所の人々が彼女を呼んだ愛称だ。僕が「よっこちゃん、また来るね」というと、うれしそうに笑ってくれた。 病院を出て自転車に乗って約1時間、夕刻のラッシュで混み合う幹線道路の脇わきを、必死にペダルを漕こぎ続けて疾駆しっくした。信号で止まるたびに母の愛らしい表情が浮かんでは消えた。 I spent an hour and a half visiting my mother in the hospital, putting her in her wheelchair and being in a place where we could see the outside view through the glass window. After a month in the hospital, her thighs were thinner and her entire body was smaller and lighter. …
“non-religious society”
「いつか名もない魚になる」(縦書き文庫)は三部からなる。認知症患者とされる主人公による社会観察と非日常的な体験をもとに「無宗教社会」を描写した習作である。 「いつか名もない魚になる」第三部より手のひらを見つめる人々人々は睡眠を除くほとんどの時間、手のひらを見て過ごした。歩くとき、電車や地下鉄の到着を待つとき、電車の車内、エスカレータに乗っているとき、便座にすわっているとき、食事中、時間つぶしなど、家にいるときも外出先でも、いつも手のひらを見つめていた。車を運転するときや自転車に乗るときも手のひらを見ることをやめなかった。歩くとき、人々は手のひらを自分に向け肘ひじを九十度曲げて歩いた。駅構内の至るところで、手のひらを見ながら歩かないように注意するが、従う者はいない。手のひらに保存された写真や動画を含むデータに自分だけの領域を見いだし、好きなニュースやマンガを読み、ゲームに興じて時間を費やすことが大半の人々の日常になった。歩きながら事故に遭あう人も多く、駅ホームから線路に転落する人も絶えなかった。[二〇三〇年までにスマホが画期的変化を遂げ、スマフォと呼ばれるようになったようです。二〇年代と違って、手のひら自体がその機能を果たしたらしいのです。記録係には想像しにくいのですが、凭也はそれらしい動作をすることがありました。スマホを手に持っていないのに、あたかも手のひらにあるように操作し、熱心に説明するのです]左の手のひらを指でこすると、左手にスマフォ画面が立ち上がり、両方の手のひらを合わせてこすると両手に画面が表示される。画面サイズの拡大縮小もできる。スマフォの下辺が手首に接し、画面全体が手のひらの上に浮いて見える。画面はいつも見やすい角度に保たれ、指を立てたりそらせたりして画面の角度を自在に調整できる。画面の解像度がはるかに向上し、以前ほどのぞき込む必要がない。立ち上げたスマフォ画面を消すには、もう一度手のひらをこすればよい。体の一部がスマフォになった感覚なので、置き忘れや落下の心配はなく、倒れて手のひらをついたときは自動的に消える。生体の新陳代謝にもとづく微弱電流を利用したからバッテリーもいらない。カメラのレンズ機能は人差し指か中指の爪に納められ、シャッターは同じ指の指先にあって、親指の指先で軽く押すだけだ。録音用のマイクとスピーカー機能も指先にあり、入力は音声か指で行われる。音声入力の場合は手のひらを口の近くに持ってきて小声で話せばいいし、手のひらに反対の手の指で文字を書けば文字入力もできる。手のひらをかざすだけで、別紙に書いた文章や画像をスキャンできる。手洗いや入浴時には画面を消せば、ただの手のひらになる。手のひらにプロジェクション・マッピングされた旧型のスマホ画面を想像すればよい。ただ、スマフォが普及するにつれ、人々はますます自閉し、他者の意見を聞かなくなった。自分の体の一部に映し出されるものを自分だと思い込んだ人々は自分の手のひらばかりを見た。入力も電話も手のひらに向かうだけで、写真も動画も自在に撮れたから、盗撮とうさつがさらに巧妙化した。周囲も他者も顧かえりみない、自閉症とスマフォ依存症を合併した症状を持つ人が巷ちまたに溢あふれた。二〇二〇年代はじめに新型コロナウイルス感染症が世界中に猛威をふるい、外出が禁止された時期の状態が日常化したのだ。親子を含む家族内の衝突が増え、親が殺され、子が虐待ぎゃくたいされる事件が多発した。自分の利益を守り正当化するのに汲々きゅうきゅうとする人が増え、職場や学校でもいじめや殺傷事件がふつうになった。さらに禁句が増えて自由な会話が制限され、人々が口にする言葉が空疎くうそになった。[コロナ後の数年間、官製マスクの着用が義務づけられ、言論封じ込め手段の一つとして日本島の支配層に利用されたことがありますが、それが常態化したのです]スマフォの普及とともに、旧支配層による無宗教派の取り込みが一気に加速される。二〇年代後半には、旧テレビも旧新聞もスマフォに取って代わられ、これら旧メディアの入っていた高層ビルが無用の長物と化し、ハイジン教を含む無宗教派の寺院や教会のセンターに変貌していく。センターの一階に二〇年代のコーヒーショップやコンビニに似たスペースがあるのはその名残なごりである。https://tb.antiscroll.com/novels/goolee/23868 「いつか名もない魚になる」の続篇として「ヒョーヤと仲間たち(1)」を執筆中で、二作品とも「無宗教社会を生きる」として縦書き文庫に掲載している。このサイバー文庫がなければ、僕は「無宗教社会」で窒息していただろう。文庫の運営者に深くいつも心より感謝している。 なぜ「無宗教社会を生きる」を書くのか無宗教社会などありはしないのに、一九四五年夏以後、日本島にくらす人々は自分たちの社会が科学的で非神話的な社会に生まれ変わったと考えたようだ。それ以前の社会が非科学的で神話的で狂信的だったとしたわけではないが、その年の八月をもって時代の断絶を創出し、「一億総懺悔ざんげ」という宗教的な「拠よりどころ」を人々のあいだに浸透させた。ただし、人々が自ら考えてそうしたわけではない。彼らは長い年月、天皇を現人神あらひとがみとして崇あがめ、巧妙こうみょうな監視体制のもとで考える能力をなくしていたから、このときもまた何者かが巧妙に仕組んだのだ。天皇は神のまま天上界に隠れることもできたはずだが、何と神を人間界に降臨こうりんならぬ降格させるという奇策きさくをもって元号の連続を図った。それを伝統と呼ぶならば、そのとおりなのだろう。ただ、このことが人々に少なからぬ混乱と困惑をもたらした。その精神的後遺症こういしょうのひとつが筆者が<無宗教むしゅうきょう>と呼ぶ症候群の集団発症はっしょうだった。今風にいえば、無宗教症のクラスターが全国規模で起こったのだ。ただ、この精神疾患はほとんどの人に自覚症状がない。十九世紀後半、明治時代に入ってから大日本帝國は<富國強兵>という名のもとに、清朝中國や旧ロシア帝國と戦争をし、現在の台湾・韓国・北朝鮮を植民地にして中国の東北地域に満州國まんしゅうこくを樹立じゅりつした。一九三十年代には中国内陸部と東南アジア地域に戦域を広げ、四十年代には米国と戦争するに至る。その過程で双方の兵が殺しあい、大日本帝國軍は自國じこくとアジア地域の人々の平和な生活を壊こわし人権を蹂躙じゅうりんして殺戮さつりくした。その一方で五族協和という融和政策を唱となえアジア解放をうそぶいた。二〇二二年のロシアによるウクライナ侵攻とそのプロパガンダは、かつての大日本帝國による侵攻と報道管制のようすを彷彿ほうふつとさせる。一九四五年八月に無条件降伏し、大日本帝國は瓦解がかいしたかにみえるが、その残滓ざんしは今も日本社会のどこかに温存おんぞんされている。いや、残りかすどころではない。明治百五十年だ、鉄道百五十年だと、機会を捉とらえては旧帝國を礼讃らいさんする行事を行い、美化された明治帝國のイメージ定着を図っている。最近二十年の自公保守政権とその周辺勢力のなかに旧帝國回帰かいきを願う思惑おもわくが色濃く漂ただよっているではないか。再び一九四五年直後の日本島に戻ろう。当時、日本社会には雨後の筍たけのこのように<新興宗教>が勃興ぼっこうした。多くは戦前の似非えせ宗教に対する反動ゆえに同じく非宗教だったが、人々は宗教も非宗教も区別できないまま、これら新興宗教に取り込まれるか無宗教を決め込んだ。創価学会そうかがっかいはそんな時代に全国で折伏しゃくぶくという名の布教活動をくり広げた。その仏教運動は既存の仏教各派や神道キリスト教等を邪宗じゃしゅう邪教じゃきょうとして一蹴いっしゅうした。その大衆運動に驚き戸惑った人々は創価学会を略して「学会」と呼び、会員を「学会員」と呼んで忌いみ嫌ったが、その実像を理解することはなかった。人々はメディアや反対勢力が叫ぶままに「学会」を「貧乏人と病人の集団」と呼んで蔑さげすみ排斥した。この集団の統率のとれた会員の活動だけをみて全体主義と評する者すらいた。問題は、こういう言説げんせつがまことしやかに語られ、多くの人々に受け入れられたことにある。翻ひるがえって二〇二三年、日本島に暮くらす多くの人々の「宗教」観は二十世紀後半からほとんど変わっていないようにみえる。むしろ無宗教性がさらに深まり、スマフォ依存症とその延長上にある心的露出症が蔓延まんえんしている。戦前の天皇を中心とする国家神道に対する反動から「無宗教」がよしとされ普通とされる戦後の日本社会において、神社での祈祷きとうは「信仰」とは違う伝統と考えられ、正月にはみな神社に参詣する。また、葬儀や法事には僧侶に読経どきょうしてもらい念仏を唱となえることが死者に対する弔とむらいであり通過儀礼とされる。戦前と同じようにいずれも「信仰」とは異なるものとして扱われ伝統行事のなかに取り込まれる。筆者は、仮説として現代日本社会を「無宗教社会」と呼ぶ。この作品もその仮説を前提している。「無宗教社会」では、何かを「信じる」者は非科学的とされ、「信仰」を持つ者は弱者として疎うとんじられる。「信仰」を説き、宗教団体に勧誘する者はうさん臭いものになってしまう。長いあいだ思想と情報の統制下に置かれ自ら考える習慣を持たなかった人々は自ら思考する力を失っていた。その状況は戦後八十年が経たとうとする現在も大きく変わってはいない。そんな人々の思考と信仰の真空域に「学会」が現れ、社会的な反感を買ったのである。「学会員」となることは「信仰」を持つことを宣言するだけではない。人々が習俗として取り込んできた既存の神仏を否定する。それを知りながら、バンジャは「学会員」になった。周囲の人々に侮あなどられ陰口かげぐちを叩たたかれて夫に嫌われながらも「学会員」になる選択をした。なぜだろう、何が彼女を仏教運動に赴おもむかせたのだろう。そして、バンジャに反抗し続けたヒョーヤは「学会」と「学会員」をどう受け入れたのだろうか。ある家庭における親子二代に及ぶ時代と彼らの生きざまを通して考えてみた。From the latter half of the nineteenth century, under the name of "Wealth and National Strength," the Japanese Empire went to war with countries that are roughly equivalent to today's China and Russia, colonizing what is now Taiwan, Korea, and North Korea, and expanding its territory by establishing Manchukuo in the northeastern …
Onkalo
Quoted from BBC: Finland's plan to bury spent nuclear fuel for 100,000 years - BBC Future Finland is on the verge of becoming the first nation to bury spent nuclear fuel rods deep underground for the long term. Erika Benke visits the Onkalo site to find out more. "Onkalo" is a Finnish word for a …
Review
処女作「いつか名もない魚になる」の第一部<ハイジン教徒たち>と第二部<漆喰の菩薩像>を読み直した(全体は三部構成)。我ながらよく書けていると思う。習作というより力作ぐらいにしてもいいのではないか。自画自賛は自覚しているが、この作品はなぜ好評を得られないのか。悪評でもいい、誰か批評してくれる人がいれば、とさえ思う。 縦書き文庫「いつか名もない魚になる」第一部 ハイジン教徒たち駅のホーム 大きくカーブした線路に沿ってホームが弧状こじょうに延びている。ホームの上には、白い塗料をぬりたくった鉄柱が規則正しく並び、半透明なアーチ状の屋根を支えている。何本かおきに柱の上方に取りつけられたスピーカーが、朝暗いうちから深夜まで、一定の間隔をおいて電子音のチャイムと駅員のヒステリックな声を吐き出し続ける、いかにも都会的で無機質むきしつな風景だ。 電車の最前部の車輌が、みるみる大きくなって駅に近づいてくる。 ブァアアン(電車の警笛が響きわたる) 電車が入ってまいります(録音された声が流れる) 足元の黄いろい線の内側までおさがりください(録音された声が流れる) 朝のラッシュ時間、ひっきりなしにホームに入ってくる電車が威厳いげんを示すように警笛けいてきを鳴らすたびに、駅員たちがあわただしく動き回り、苛立いらだたしげに決められた台詞せりふを叫ぶ。それに煽あおられるかのように、ホームを行き来する人々の動きがあわただしさを増す。 電車が入ってまいります(録音された声) ピピーピッピー(駅員がホイッスルを吹く) 足元の黄いろい線の内側までおさがりください(録音された声) ブァアアン(電車の警笛が響きわたる) 駆けこみ乗車はおやめください(駅員が叫ぶ) ダンダラダーダンダラダーダンダラダラダー(発車の電子音が響く) ドアが閉まります、無理なご乗車はおやめください(駅員が叫ぶ) 次の電車がまいります(電光掲示板の文字が表示される) 次の電車をご利用ください(駅員が叫ぶ) 電車が発車します、おさがりください(駅員が叫ぶ) ピピーピッピー(ホイッスルが鳴る) この物語の主人公である凭也ヒョーヤは、朝のホームが好きだった。毎朝夕こんな光景を見ていた。そのまっただなかで、改札口を通り過ぎていく相手の定まらない人々に向かって、数秒ごとにあいさつをくり返すのが彼の仕事だった。仕事の一部としてそうするのだが、彼にあいさつを返す人はいない。改札係など機械じかけの人形ぐらいにしか考えていない人々は、うつむき加減かげんに急ぎ足で彼のよこを通り過ぎるだけだ。彼が発するあいさつのことばは人々の靴音くつおとのなかにむなしく消えていく。 ドドッドドッドドードドッドドッドドー(人々の靴音が響く) おはようございます、おはようございます(改札係が声を出す) 通勤お疲れさまです、お疲れさまです(改札係があいさつする) 改札係になって数ヵ月のあいだ、凭也には駅のホームとそこを通過する電車が作り出す光景が神聖な伽藍がらんのように見えた。朝夕の陽光を浴びてホームを動き回る人びとの姿は敬虔けいけんな信者のように映ったし、仕事とはいえ宗教儀礼のようにあいさつすることに何の疑いも抱いだかなかった。人々に対して、家畜に対したときのような優越感を抱くことはあったが、ホームも駅舎もすべて通過する人々の寄進きしんで建てられたものだったし、彼らがいなくなれば改札係もいらなくなると考えていた。まるで当然のことのように、通過していく人々を敬うやまっていたのである。 お勤めごくろうさまでした、ごくろうさまでした(改札係があいさつする) 本日もご利用いただき、ありがとうございました(改札係が頭をさげる) ありがとうございました、ありがとうござ…… 電子音と駅員たちの声がスピーカーから流れるたびに、ホームの光景に駅員たちの苛立ちと怒りが渦巻うずまいているように感じるようになったのは半年ほどたってからだった。それでも、自分をとりまく光景を不自然に感ずることはなかった。ごくあたりまえのことだと考えていた。一年以上ものあいだ、彼はほとんど休むこともなく働きつづけたのだから。それは敬虔といってよいほどであった。それが災わざわいしたのかもしれない。いつのころからか、駅員たちの叫び声が罵声ばせいに聞こえるようになった。 おい、いったい何度いったらわかるんだ ホームの端はしを歩くんじゃない ドアがしまるといってるんだ おい、走るんじゃない ほかの人に迷惑だからやめろといってるんだ やめないか、おい、いい加減にしろ おまえたちなんか家畜とおんなじだ 電車に引かれて死んでしまえ 死んでしまえばいいんだ電車という動く寺院 ダダッダダーダダダッダダー(人々の靴音が響く) 危険ですので、駆けこみ乗車はおやめください(駅員が叫ぶ) ダンダラダーダンダラダーダンダラダラダー(電子音が響く) 電車の発車を知らせる電子音が、駅のホームの上方からけたたましい音量で鳴り響く。ホームには出入口が二ヵ所あり、階段とエスカレータで上の階と下の階に通じている。それぞれを駆けおり駆けあがる人々の群れが電子音にせき立てられ、停車中の電車に向かって疾走する。体の半分ぐらいあるカバンを背負った少年、巨大な楽器を抱えた男、乳房を揺らす女、子どもの手を引く母親、引かれて悲鳴をあげる子ども、息が切れそうな人、蒼あお白い顔の勤め人など、みな一斉に発車直前の電車に殺到する。 電車に乗り込むと、人々はその日の新聞や好きな本を読み、それぞれの内面に沈潜する。会話を交わす人々は彼らにしかわからない言葉を話し、まわりの人々が理解できないことをひそかに喜ぶ。あるいは、当時流行の音楽付きイヤホンをして、自分を外界から遮断しゃだんする。その周囲にいる人々にはイヤホンからもれる音は騒音でしかないが、人々は我慢する。この電車の乗客は他人に敵対的な態度をとることが許されない。他者に対して自分の感情を抑え表出しないことが習性となった人々は、自分を守るために自他を隔てる特異な防御法を発達させた。 [凭也によれば、その発達を促したのは無宗教派のハイジン教です。ハイジン教の寺院は、電車網が広がっている地域のどこにも設けられ、数棟並ぶことも珍しくなかったようです。ハイジン教にも他の宗教と同じようにいくつか有力な宗派があり、都市部では電車の便のよいところに宗派を異にする寺院が軒を連ねたからです。ちなみに、凭也がいう「寺院」とは厳おごそかな空気に包まれた神社や寺院、教会ではありません。二十世紀後半から日本島を席捲せっけんした北米発祥のコーヒー店や小型スーパーによく似た造りの建物です。以下、彼の観察が続きます] 鉄道の駅構内には各宗派の小さな分院が置かれ、日々大量生産される新聞や雑誌を人々に供給していた。これらの印刷物を通じて、人々は自分たちの精神世界が不断に豊かになると信じている。同じ分院には、小型の固形食料や液体飲料が護符ごふとして売られている。駅構内だけでなく、ほとんどあらゆる地域の至るところに自販機じはんきと呼ばれる賽銭さいせん箱が置かれ、人々はささやかな寄付の見返りとして缶入り飲料やタバコを受け取った。これらの行為は宗教行為と考えられるが、日常生活にきわめて巧妙に組み込まれているため、人々は自分たちが信仰にもとづいて行動していることを意識しない。ひたすら無信仰だと思い込み、恥じるところがない。 ラッシュ時の電車に乗り込んだ人々はみな立ったままだ。車内には座席がなく、ガラス窓付き冷蔵貨車そのものだった。そこで人々は密林の植物の茎と茎のように体を接して凭もたれ合い、かろうじて倒れないでいる。車内の温度は低く保たれ、夏だというのに寒いくらいだ。大きな冷蔵庫のなかで、人々は押し黙ったまま湖底の藻のように揺れる。電車が停止する前後に車両は大きく揺れ、人々はひときわ激しくからみ合う。 一号車のあちこちで男と女、男と男、女と女の組み合わせが車両の揺れに体をあずけ、不器用ぶきような愛撫あいぶをくり返している。その周囲にやじ馬が群がり、電車が変速するたびに生じる揺れやカーブするときの揺れに抗こうしながら突っ立っている。ただ、みな体を接するだけで、隣り合わせになった以上の関係を求めない。自分のまわりの平穏が失われることを恐れ、手にした本や新聞・雑誌の世界に没頭ぼっとうする。読み物を持たない人々は車内の天井と側面に掲示されたポスターや窓外の景色をぼんやり見ている。車内にはイヤホンからもれる雑音と何人かの交わす会話が流れ、耳をつんざく音量の放送がときどき割り込んでくる。 ここは、ステンレス鋼とガラスで造られた電車という大きな箱型の伽藍がらんである。ハイジーンにとって電車は寺院そのものであった。だから、運行者をあがめ、絶大な権限を与えていた。一人は先頭の車両にいて電車を操縦する運転手で、その意のままに連結された全車両がレールの上を運行する。もう一人は最後尾の車両にいる車掌で、車内ならぬ院内放送を通じて延々と説教をした。人々は時おり聞こえてくる放送をほとんど聞いていないつもりだが、その行動は知らず知らずのうちに毎日くり返される説教に支配されていた。(後略)「いつか名もない魚になる」
F. Fukuyama’s analysis
讀賣新聞2023.6.25「地球を読む」より引用します。米国内の「極端な二極化」とそれが世界情勢に及ぼす影響について鋭く分析しています。 1/2 2/2