小泉八雲について萩原朔太郎がその人となりを書いている。小泉八雲こいずみ やぐもの家庭生活 という作品だ。教科書で習ったラフカディオハーン像とはかけ離れている。彼のよきパートナーだった夫人の存在の大きさを思う。 縦書き文庫で読める小泉八雲の作品ろくろ首 rokuro-kubi 7,991字耳無芳一の話 10,371字九州の学生とともに 24,862字 葬られたる秘密 3,163字 橋の上で 5,099字 雪女 3,799字貉 2,544字 銀河のロマンス (「天の河縁起」「天の川綺譚」) 26,528字赤い婚礼 21,082字男子の本懐 (「願望成就」) 13,406字明治34年東京帝國大學文學部卒業生に1,042字秋月先生の古稀を祝して 1,461字茶碗の中 2,932字おしどり 1,364字常識 2,767字生霊 3,402字雉子のはなし 2,141字お貞のはなし 2,718字勇子 Youko: A Reminiscence 6,041字幽霊滝の伝説 2,302字蠅のはなし 3,078字死霊 1,766字忠五郎のはなし 4,719字おかめのはなし 3,611字無法な火葬 16,522字術数 2,049字
金素月の詩とその時代
日本であまり知られていない金素月キム ソウォル(1902-1934 明治35-昭和9)の詩とその時代背景をいかに読むのか。兼若かねわか逸之としゆき氏(元東京女子大学現代文化学部教授)がさまざまな角度から分析し、対話形式でやさしく面白おもしろく解説します。下の表の各タイトルをクリックすると縦書き文庫で読むことができます。Click the author Katarushisu right here! 金素月김 소 월の詩と韓国文化 (順不同)素月소 월と鐵橋てっきょう 全17回素月ソウォルと凧揚たこあげ 全18回山有花산 유 화 全18回つばめ제 비 全15回招魂초 혼 全22回樹芽수 아(木の芽) 全15回つつじの花진 달 래 꽃 全15回失題실 제の秘密 全19回オンマヤ엄 마 야・ヌナヤ누 나 야 全25回一部編集中につきリンク先に接続できないものがあります。ご了承ください。
朔太郎の詩と文章
背表紙が革製の萩原朔太郎全集を購入したのは67年夏だったろう。高三の夏休みに柵原やなはらの下宿に引きこもり、詩の原理や散文詩を貪むさぼるように読んだ。あのころの僕はいまも生きているのではないか。17世紀初めに開山したという柵原鉱山は91年に閉山している。写真: 片山鉄道保存会サイトより) 縦書き文庫で読める朔太郎の詩と文章郷愁きょうしゅうの詩人与謝蕪村よさのぶそん 110,126字詩の原理げんり 237,741字俳人はいじんとしての芥川龍之介と室生犀星 3,872字僕の孤独癖こどくへきについて 5,240字 散文詩風さんぶんしふうな小説 11,741字 蝶ちょうを夢ゆめむ 17,316字短歌たんか 17,460字ニイチェに就ついての雑感ざっかん 7,374字夏帽子ぼうし 3,524字詩の翻訳について 7,948字氷島ひょうとう 9,611字芥川龍之介の死 17,606字名前の話 4,318字純情じゅんじょう小曲集 9,901字石段いしだん上りの街 6,214字愛の詩集 愛の詩集の終りに 5,427字流行歌曲について 4,014字初めてドストイェフスキイを讀よんだ頃ころ 3,159字月の詩情しじょう 3,809字よき祖母上おばうえに 890字二十三夜や 8,304字南京陷落なんきん かんらくの日に 465字 家庭の痛恨つうこん 1,852字 装幀そうていの意義 1,834字 紫色むらさきいろの感情にて 608字 抒情じょじょう小曲集 序 587字都會とかいと田舍いなか 2,471字喫茶店きっさてんにて 1,185字ラムネ他四編 1,940字小泉八雲こいずみ やぐもの家庭生活 43,757字足利尊氏あしかが たかうじ 1,734字宿醉しゅくすい 1,238字クリスマス 502字 我われ何所いずこへ行かん 406字 厩うまや 770字和讚類纂わさん るいさん 1,043字記憶 458字 光る風景 720字南の海へ行きます 1,014字 純銀じゅんぎんの賽さい 631字昔の小出新道こいでしんどうにて 438字 秋の日 1,701字敵てき 458字 酒場さかばにあつまる―春のうた― 402字 花あやめ 2,204字冬を待つひと 385字蒲原有明かんばら …
賢治の詩と童話
69年浪人生のとき筑摩書房版の宮澤賢治全集を購入して読んだ。いまは縦書き文庫版で読める。ありがたい。 https://oguriq.com/2021/11/20/%e7%b8%a6%e6%9b%b8%e3%81%8d%e6%96%87%e5%ba%ab-%e5%ae%ae%e6%b2%a2%e8%b3%a2%e6%b2%bb%e3%81%ae%e4%bd%9c%e5%93%81/
中也の詩
中原中也(1907-37)の第2詩集「在ありし日の歌: 亡なき児こ文也ふみやの霊れいに捧ささぐ」(1938年)を約50年ぶりに読んだ。むかし繰り返し読んだ宮澤賢治(1896-1933)の「春と修羅しゅら」(第1集 1924年)にどこか似たところがあり懐なつかしい気がした。 朝鮮女をんなの服の紐秋の風にや縒よれたらん街道を往くをりをりは子供の手をば無理に引き額顰しかめし汝なが面おもぞ肌赤銅の乾物ひものにてなにを思へるその顔ぞ――まことやわれもうらぶれしこころに呆ほうけ見ゐたりけむわれを打見ていぶかりて子供うながし去りゆけり……軽く立ちたる埃ほこりかも何をかわれに思へとや軽く立ちたる埃かも何をかわれに思へとや……・・・・・・・・・・・ 青空文庫中原中也「在りし日の歌」より 一年足らずの学生時代に読んだこの詩の一節がいまも頭のどこかに残っていて、折にふれ思い出される。1970年だった。新宿駅のプラットフォームの雑踏でチマチョゴリ姿の女性を目にしたとき、僕は何を考えていたのだろう。「何をかわれに思へとや」「何をかわれに思へとや」。この1行がくり返し頭のなかを廻っていた。当時はそれが朝鮮高校の制服だということも知らなかった。
縦書き文庫日本文学100選
縦書き文庫日本文学100選を作品数の多い著者順に並べました(順不同、数字k[千]は字数)。作品名をクリックすると、その作品を縦書き文庫で読めます。著者名をクリックすると、その著者の全作品リストを表示します。 トロツコ 7k 芥川龍之介 (13) 或阿呆あるあほうの一生 23k 芥川龍之介 杜子春とししゅん 18k 芥川龍之介 アグニの神 15k 芥川龍之介 蜘蛛くもの糸 6k 芥川龍之介 芋粥いもがゆ 32k 芥川龍之介 貉むじな 2k 芥川龍之介 羅生門らしょうもん 25k 芥川龍之介 藪やぶの中 23k 芥川龍之介 鼻 14k 芥川龍之介 地獄変じごくへん 53k 芥川龍之介 奉教人ほうきょうにんの死 20k 芥川龍之介 河童かっぱ 76k 芥川龍之介 それから 84k 夏目漱石 (11) こころ 418k 夏目漱石 坊ぼっちゃん 255k 夏目漱石 夢十夜ゆめじゅうや 55k 夏目漱石 明暗めいあん …
むらぎもの心を飛ぶや
むらぎもの心を飛ぶや赤とんぼ会えなくなってもう何年経たったろうか僕の記憶のなかに現あらわれるとき君はいつも静かに笑っている一緒に奥多摩おくたまや秩父ちちぶの山々を歩き君の部屋でいろいろな話しをした何かを頼たのむとどんなことも嫌いやがらずに静かに笑いながら聞いてくれた君は僕よりひとまわり大きかったのに老おいてからは背中も曲まがり少し僕より小さくなってしまったいつも静かに笑っていた君に会えなくなってもう何年になるだろうかきっと君はいまもどこかで笑っているそして僕の背中をそっと押しているどんなことも嫌がらずに聞いてくれいつも僕の意いに添そい親身しんみになってくれた君はもうそばにいないもう何年も会っていない君に別れを告つげなければいけないと思いこんな手紙のようなものを書いているどうかこの手紙がどこかにいる君に届いてくれるよう祈ってやまないありがとうほんとうにありがとう会って伝えることがかなわないからこうして手紙のような文章を送る君と僕と母につながる写真を添えて 写真の多くは八戸歳々時記はちのへさいさいじきに掲載されたものですが、僕のものも数枚含めました(2012-23)。写真好きだった彼の薦すすめで80年代に Nikon EL を買い、後のちに軽い Rollei 35 に替かえました。Rollei はその後ご韓国人の友人に譲ゆずりました。 tentative translationsI wonder how many years have passed since we last saw each otherWhen you appear in my memoryYou are always smiling quietlyWe went to Okutama and Chichibu mountains togetherWe talked about many things in your roomI would ask you to do something, and you would …
モオパッサン「狂人日記」を読む
モオパッサン*1880年作 秋田滋訳 *1850-1893年 https://tb.antiscroll.com/novels/library/12241(縦書き文庫版) 青空文庫のモオパッサン『狂人日記』より 彼は高等法院長として、清廉な法官として世を去った。非の打ちどころのないその生涯は、フランス中の裁判所の評判になった。弁護士、若い法律顧問、判事たちも、二つの凹んだ眼が光っている彼の痩せた顔に、大きな敬意を表するために、非常に低く頭を下げて挨拶をしたものだった。 彼は犯罪を追求して弱いものを保護することを生涯の仕事とした。詐欺師や殺人犯人達にとって、彼ほど怖いものは無かった。という訳は、心の底にかくしている考を見破られ、一と眼で肚の中をすっかり見られてしまうからであった。 それゆえ、彼は、八十二歳で、人びとの尊敬の的となり、[底本では「。」] 全国民の哀悼のうちに亡くなったのである。その亡躯(なきがら)は、赤いズボンをはいた兵士達に護られて墓へ運ばれ、白いネクタイをかけた人たちが、彼の棺に、哀惜の言葉と、心からの涙を注いだのである。 ところが、その死後、いつも彼が、重罪犯人の訴訟記録をしまっていた事務机の中から、悲歎にくれた公証人が、次のような、奇怪な書きものを見つけ出した。 それにはこんな題(みだし)がついていた。 なぜか? 1851年6月20日―― 私は会議室から出た。私はブロンデルを死刑にした。彼はなぜ自分の五人の子を殺害したのだろう。なぜだろう。生命を絶つことが一つの快楽であるような人がよくある。そうだ、そうだ、それは一つの快楽なのだ。快楽の中でおそらく最大のものであるに違いない。という訳は、殺すということが、創り出すということに一番好く似ているからではなかろうか。つくること、滅すこと、この二つの言葉は、この世界のあらゆるものの経歴を、存在するすべてのものを含んでいる。殺すということは、なぜ、人の心を酔わせるのだろう。 6月25日―― 生きものが、彼方にいて、生き、歩き、走っていると考えてみる。……生きもの?生きものとはなんであろう。そのもの自体の中に運動の原動力と、その運動を調節する意志とを有する、魂があるもの。それは何ものにも係(かかわ)りを持たない。その足と大地との間には何のつながりも無い。地上にうごめく生命の一片。しかも、どこから来たのか、とんと見当がつかぬその生命の一片は、思いのままに滅ぼすことが出来るのだ。滅ぼせば、何も無くなってしまう。完全に無くなってしまうのだ。腐ってしまえばそれが終りだ。 6月26日―― 殺すということがなぜ犯罪になるのだろう。本当に、なぜだろう。それは自然の法則であって、すべてのものは、殺すことを仕事としている。生きんがために殺すこともあり、殺すために殺すこともある。――殺すということは、もともと、われわれの気質の中にあるものなのだ。殺さずにはいられないのである。禽獣は、絶えず、毎日、生活の各瞬間に殺しているのだ。――人間は自らを養うために、絶えず何かを殺しているのだが、また、快楽のためにも殺す必要があるので、狩猟ということを思い付いた。子供たちは、虫けらを見つけたり、小鳥や、小さな動物を捕えたりすると、それを殺す。しかし、ただそれだけでは、われわれの中にある、抑えることが出来ない殺戮の要求を満たすに足りない。われわれには人さえ殺す必要があるのだ。昔は人身御供(ひとみごくう)ということをして、この要求を満たしていた。だが、今では社会生活を営む必要上、われわれは殺人を犯罪としている。そして、殺人者を犯罪人として罰している。しかし、われわれ人間は、この自然な、激しい殺戮を好む、本能の命ずるところに従わないでいられないために、ときどき、戦争によって、一民族が他の民族を殺す戦争によって、自らを慰めるのだ。ところで、戦争というものは、血の濫費にほかならぬ。この濫費のために軍隊は熱狂し、市民たちは、女子供たちまでが、殺戮の記事を灯下に読んで、血の濫費に酔ってしまうのだ。 また、人の屠殺を行うことに身を委ねている人たちを、われわれは軽蔑しているだろうか。否。反対にわれわれはこれ等の人たちに名誉を与えている。彼等の体を金と輝かしい服で飾り、頭には鳥の羽を頂かせ、胸には飾りをつけさせる。われわれは、勳章や、褒美や位階などを彼等に与える。彼等は人の血を流すことをただ一つの使命としている廉で、威張ったり、人から尊敬されたり、女から愛されたり、群衆から喝采を浴びせられたりする。彼等は人殺しの道具を引き摺って街を歩く。黒い服を身に着けた通行者は、羨ましそうにそれを眺める。それは、殺すということが、生きものの心の中に自然が投げ込む大きな歓喜に外ならないからである。生きものにとっては殺すということほど立派なこと、尊敬に値することは無いのだから。 6月30日―― 殺すことは法則である。なぜなら、自然は永劫の若さを愛するがためである。自然はその無意識な、あらゆる行いによって「早く、早く、早く!」と叫んでいるようだ。自然は滅ぼせば滅ぼすほど、新らしさを増すものだ。 7月2日―― 生きもの。――生きものとはそもいかなるものであろう。それは、思惟によって、万物を反映する。なお、記憶と意識とによって、世を要約し、世の歴史を自己の中に蔵めている。各個の人間は、物の鏡、事実の鏡であって、宇宙の中で一つ一つの小天地をつくっている。しかし、試みに旅に出てみよ。雑多な民族が、到る処にうごめいているのを見よ。しからば人は、人間のごときものは、もはや、とるに足らぬつまらぬものであることが解る。船に乗って人の群がる岸を離れてみよ。やがて岸だけしか見えなくなる。生きものはだんだん小さくなっていって、遂にはまったく見えなくなってしまう。急速力で走る汽車でヨーロッパを横切り、その昇降口から眺めてみよ。ひと、ひと、ひと、どこまで行っても人だ。数限りない見知らぬ人が、野にも町にも、うようよと動いている。そこには耕すことしか知らぬ愚昧な農夫と、スープをつくることと子供を生むことしか知らぬ醜い女とがいる。印度に行ってみよ。支那へも行ってみよ。無数の生きものが、そこに生れ、生活し、死んでゆく。それらのものは、道のうえに踏み潰された蟻を、その足跡として残して行くだけだ。小屋に住む黒人たちの国に行ってみよ。風に揺らめく褐色の天幕の下に寝起きする白色アラビア人の住む国へ行ってみよ。ひとりひとりの人間などは問題にもなにもなっていないことが解るだろう。そこでは民族がすべてなのだ。生きもの、砂漠の中に放浪生活を営む一種族の生きものとは、そもいかなるものであろうか。彼等は、利口で、殺すことなど何とも思ってないのだ。個々の人間などは問題にはならないので、[底本では「。」] 彼等は敵を殺す、それが戦争なのだ。それは、むかし、小領主の館から館へ、州から州へ行われていったものだ。 世界を通って、無数の生きものが、うごめいている様を見よ。見知らぬ?ああ、これが問題となる言葉なのだ。われわれは生き物に番号を附ける。その結果として、殺すことが犯罪になるのだ。生き物が生れ出ると、われわれはそれを登記し、名をつけ、洗礼をうけさせる。法律が彼等を引き受ける。このようになると、記録されていないものは問題にならないから、昿野で殺そうが、砂漠で殺そうが、山で殺そうが、野で殺そうが、一切お構いなしということになる。自然は死を好む。自然は罰せぬ。 大切なものは戸籍だ。人を護るものはこれだ、戸籍だ。人は戸籍に登録されているために貴いのだ。戸籍を、法律上のこの神を、崇めよ、跪け! 国家は、戸籍を変える権能を持っているために、殺しても好いのだ、仮にいま二十万人のひとを殺させたとする。すると、国家は戸籍簿からそれらの人の名を消し、書記の手で除いてしまう。ただそれだけのことだ。ところが、われわれ、役場の書類を変えることが出来ぬわれわれは、ひとの生命を尊重せざるを得ないのだ。戸籍よ、役場という殿堂を総轄する輝ける神よ、われは汝に礼拝す。汝は自然よりも強し、ああ。 7月3日―― 生き、考えるものを、殺して、前に置き、それに小さな穴を、ただ小さな穴のみをうがち、生命をつくりあげている血が流れるのを眺め、それが柔かな、冷たい、動かない、考えることもしない一塊りの肉にほかならないと思うのは、必ずや不思議な、心地よい快楽であろう。 8月5日―― 一生涯を通して、人を裁き、判決を下し、命令をだして殺させ、刀でひとを殺したものを、断頭台で殺してきた私、この私が、これまで、罰してきたすべての殺人犯人達と同じことをしているかどうかを誰が知ろう。 8月10日―― 誰が知ろう。私を、この私を、誰かが疑うだろうか。ことに私には殺すべき何等の理由もない人を私が選んだ場合、誰かが私を疑うだろうか。 8月15日―― 誘惑!誘惑が、私の身中(みうち)を虫が這うように、這い廻っている。それはむずむず這って進んでゆく。からだ中を這い廻って精神の中まで這入り込む。精神はもう、殺すということしか考えない。誘惑が眼の中に這入る。眼は血を見たがる、死ぬさまを見たがる。それは耳の中をも歩き廻る。生きものが今死ぬという際に発する苦しそうな叫び声のような、何だか解らない、悲痛な、物狂おしいものが、ひっきりなしに耳に這入ってくる。それはまた、足をむずむず歩く。足は、行きたい、そういう場面が見られる処へ行きたいという慾望でぶるぶる顫える。手を這う。手は殺したい慾求でわなわな震える。それは、自由な、何よりすぐれた、自分の心を思うままにすることが出来る、上品な刺戟を求めている人にあっては、どんなにかふさわしい、どんなにか好い、どんなにか珍らしいものに相違なかろう。 8月22日―― 私はもう辛抱が出来ない。ためしにまず小鳥を一羽殺してみた。 下男のジャンが、ひわを一羽籠に入れ、窓のところにぶら下げていた。私はジャンを使いに出しておいて、その留守に、小鳥を籠から出して、手で握ってみた。小鳥の心臓の皷動が、はっきりと手に感じられた。小鳥は温かだった。私は部屋に戻った。小鳥を握る手に少し力を入れてみた。心臓の皷動は前より早くなった。少々残酷だとは思ったが、気持が好かった。私はもう一息で小鳥の息の根を止めるところだった。が、そのまま死なせては血が見られないことになる。 そこで、私は、鋏、小さな爪切鋏を手にとり、おもむろにのどを三ヶ所切った。小鳥は口を開いて、逃げようともがいたが、私はしっかりつかまえていた。私は、それが怒り狂うブルドッグだとしても、きっとしっかり押えつけていたことだろう。私は疵口から流れ出た血を見た。血というものは、なんて美しい、赤い、艶のいい、明るいものなのだろう。私はそれが飲んでみたくなった。そして、舌の先を血に触れてみた。味が好かった。だが、憐れむべきその小鳥には、血が少ししかなかった。私は望んでいたほど長い間この快味を享楽することが出来なかった。牛の血を絞るところを見たら、さぞかしすばらしいことだろう。 それから、私はもっぱら殺人者がするような、本当の殺人者がする通りのことをした。鋏を洗い、手を洗い、その水をこぼしてから小鳥のからだを、そのむくろを庭へ埋めにもって行った。そしてそれを苺の木の根元に埋(い)けた。見つかることは決してあるまい。私はその苺の木の実を毎日食うのだ。実際、人はその手段さえ解ったら、存分に生活を享楽することが出来るだろう。 下男は、飼っていた小鳥が逃げたのだと思って泣いた。私を疑うなんてことはあり得ないことだ。ああ。 8月25日―― 私には人を殺す必要がある。殺さなければならないのだ。 8月31日―― 遂にそれが行われた。なんて他愛のないことをしたものだろう。 私はヴェルヌの森へ散歩に出かけた。私は、何も、全く何も考えていなかったのだった。ところが、道で一人の子供がバタをなすったパンを食っていた。 子供は私が通るのを見て、立ちどまって言った。 「今日は、小父さん」 私の脳裡(あたま)にこんな考が浮んだ、「この子を殺したら?」 私はその子に答えた。 「坊や、ひとりでいるの?」 「ああ」 「たったひとりで森(ここ)にいるのかい?」 「ああ」 この子を殺してみたいという慾望が、アルコールのように私を酔わせた。私は子供が逃げないようにとの心遣いから、そーッと子供に近寄って行った。傍へ行くと、やにわに子供の喉首をつかんだ。……私は喉を締めた。力一杯締めつけた。子供は怖い眼で私を睨んだ。何という眼だろう。まん円で、深く、澄んでいて、私はぞッとした。私は今日が今日まで、この時ほど残忍な感動を経験したことは一度だってない。が、それはまったく短い間だった。子供は、私の手頸を小さい手でつかんで、火上の鳥の羽のようにもがいた。やがて子供は動かなくなってしまった。 私の心臓は早鐘を打つようにどきどきした。ああ、いつかの小鳥の心臓!私は子供の死体を溝に投げ込んでそれを草で蔽うた。 それから、私は家に帰り、食事をした。食事は美味(うま)かった。なんて他愛のないことだろう。その晩、私は気が晴々して、気分も好く、若やいでいた。そして、その晩を知事の邸(うち)で過ごした。私は機知に富む男だと讃められた。 …
魯迅「狂人日記」を読む
魯迅*1918年作 井上紅梅訳 *1881-1936年 https://tb.antiscroll.com/novels/library/9762(縦書き文庫版) 青空文庫の魯迅『狂人日記』より 某君兄弟数人はいずれもわたしの中学時代の友達で、久しく別れているうち便りも途絶えがちになった。先頃ふと大病たいびょうに罹かかった者があると聞いて、故郷こきょうに帰る途中立寄ってみるとわずかに一人に会った。病気に罹ったのはその人の弟で、君がせっかく訪ねて来てくれたが、本人はもうスッカリ全快して官吏候補となり某地へ赴任したと語り、大笑いして二冊の日記を出した。これを見ると当時の病状がよくわかる。旧友諸君に献じてもいいというので、持ち帰って一読してみると、病気は迫害狂の類で、話がすこぶるこんがらがり、筋が通らず出鱈目でたらめが多い。日附ひづけは書いてないが墨色すみいろも書体も一様でないところを見ると、一時じに書いたものでないことが明らかで、間々まま聯絡れんらくがついている。専門家が見たらこれでも何かの役に立つかと思って、言葉の誤りは一字もなおさず、記事中の姓名だけを取換えて一篇にまとめてみた。書名は本人平癒後自ら題したもので、そのまま用いた。七年四月二日しるす。1 今夜は大層月の色がいい。 乃公おれは三十年あまりもこれを見ずにいたんだが、今夜見ると気分が殊ことの外ほかサッパリして初めて知った、前の三十何年間は全く夢中であったことを。それにしても用心するに越したことはない。もし用心しないでいいのなら、あの趙家ちょうけの犬めが何だって乃公の眼を見るのだろう。 乃公が恐れる理わけがある。2 今夜はまるきり月の光が無い。乃公はどうも変だと思って、早くから気をつけて門を出たが、趙貴翁ちょうじいさんの目付めつきがおかしいぞ。乃公を恐れているらしい。乃公をやっつけようと思っているらしい。ほかにまだ七八人もいるが、どれもこれも頭や耳を密著くっつけて乃公の噂をしている。乃公に見られるのを恐れている。往来の人は皆そんな風だ。中にも薄気味の悪い、最もあくどい奴は口をおッぴろげて笑っていやがる。乃公は頭の天辺てっぺんから足の爪先つまさきまでひいやりとした。解った。彼らの手配がもうチャンと出来たんだ。乃公はびくともせずに歩いていると、前の方で一群の子供がまた乃公の噂をしている。目付は趙貴翁と酷似そっくりで、顔色は皆鉄青てっせいだ。一体乃公は何だってこんな子供から怨みを受けているのだろう。とてもたまったものじゃない。大声あげて「お前は乃公にわけを言え」と怒鳴ってやると彼らは一散に逃げ出した。 乃公と趙貴翁とは何の怨みがあるのだろう。往来の人にもまた何の怨みがあるのだろう。そうだ。二十年前、古久こきゅう先生の古帳面ふるちょうめんを踏み潰したことがある。あの時古久先生は大層不機嫌であったが、趙貴翁と彼とは識合しりあいでないから、定めてあの話を聞伝ききつたえて不平を引受け、往来の人までも乃公に怨みを抱くようになったのだろう。だが子供等は一体どういうわけだえ。あの時分にはまだ生れているはずがないのに、何だって変な目付でじろじろ見るのだろう。乃公を恐れているらしい。乃公をやっつけようと思っているらしい。本当に恐ろしいことだ。本当に痛ましいことだ。 おお解った。これはてっきりあいつ等のお袋が教えたんだ。3 一晩じゅう睡ねむれない。何事も研究してみるとだんだん解って来る。 彼等は――知県ちけんに鞭打たれたことがある。紳士から張手はりでを食くらったことがある。小役人から嚊かかあを取られたことがある。また彼等の親達が金貸からとっちめられて無理死むりじにをさせられたことがある。その時の顔色でもきのうのようなあんな凄いことはない。 最も奇怪に感じるのは、きのう往来で逢ったあの女だ。彼女は子供をたたいてじっとわたしを見詰みつめている。「叔おじさん、わたしゃお前に二つ三つ咬かみついてやらなければ気が済まない」これにはわたしも全くおどかされてしまったが、あの牙ムキ出しの青ッ面つらが何だかしらんが皆笑い出した。すると陳老五ちんろうごがつかつか進んで来て、わたしをふんづかまえて家うちへ連れて行った。家うちの者はわたしを見ても知らん振りして書斎に入ると鑰かぎを掛け、まるで鶏鴨とりがものように扱われているが、このことはどうしてもわたしの腑に落ちない。 四五日前に狼村おおかみむらの小作人が不況を告げに来た。彼はわたしの大おおアニキと話をしていた。村に一人の大悪人だいあくにんがあって寄ってたかって打殺うちころしてしまったが、中には彼の心臓をえぐり出し、油煎あぶらいりにして食べた者がある。そうすると肝が太くなるという話だ。わたしは一言ひとこと差出口さしでぐちをすると、小作人と大アニキはじろりとわたしを見た。その目付がきのう逢った人達の目付に寸分違いのないことを今知った。 想い出してもぞっとする。彼等は人間を食い馴なれているのだからわたしを食わないとも限らない。 見たまえ。……あの女がお前に咬みついてやると言ったのも、大勢の牙ムキ出しの青面あおつらの笑も、先日の小作人の話も、どれもこれも皆暗号だ。わたしは彼等の話の中から、そっくりそのままの毒を見出し、そっくりそのままの刀を見出す、彼等の牙は生白なまじろく光って、これこそ本当に人食いの道具だ。 どう考えても乃公は悪人ではないが、古久先生の古帳面に蹶躓けつまづいてからとても六むツかしくなって来た。彼等は何か意見を持っているようだが、わたしは全く推測が出来ない。まして彼等が顔をそむけて乃公を悪人と言い布ふらすんだからサッパリわからない。それで想い出したが、大アニキが乃公に論文を書かせてみたことがある。人物評論でいかなる好人物でもちょっとくさした句があると、彼はすぐに圏点けんてんをつける。人の悪口あくこうを書くのがいいと思っているので、そういう句があると「翻天妙手ほんてんみょうしゅ、衆と同じからず」と誉め立てる。だから乃公には彼等の心が解るはずがない。まして彼等が人を食おうと思う時なんかは。 何なんに限らず研究すればだんだんわかって来るもので、昔から人は人をしょっちゅう食べている。わたしもそれを知らないのじゃないがハッキリ覚えていないので歴史を開けてみると、その歴史には年代がなく曲り歪んで、どの紙の上にも「仁道義徳」というような文字が書いてあった。ずっと睡ねむらずに夜中まで見詰めていると、文字の間からようやく文字が見え出して来た。本一ぱいに書き詰めてあるのが「食人」の二字。 このたくさんの文字は小作人が語った四方山よもやまの話だ。それが皆ゲラゲラ笑い出し、気味の悪い目付でわたしを見る。 わたしもやっぱり人間だ。彼等はわたしを食いたいと思っている。4 朝、静坐せいざしていると、陳老五が飯を運んで来た。野菜が一皿、蒸魚むしうおが一皿。この魚の眼玉は白くて硬く、口をぱくりと開けて、それがちょうど人を食いたいと思っている人達のようだ。箸をつけてみると、つるつるぬらぬらして魚かしらん、人かしらん。そこではらわたぐるみそっくり吐き出した。「老五、アニキにそう言ってくれ。乃公は気がくさくさして堪らんから庭内を歩こうと思う」 老五は返事もせずに出て行ったが、すぐに帰って来て門を開けた。 わたしは身動きもせずに彼等の手配を研究した。彼等は放すはずはない。果してアニキは一人のおやじを引張って来てぶらぶら歩いて来た。彼の眼には気味悪い光が満ち、わたしの看破りを恐れるように、ひたすら頭を下げて地に向い、眼鏡の横べりからチラリとわたしを眺めた。アニキは言った。「お前、きょうはだいぶいいようだね」「はい」「きょうは何先生かせんせいに来ていただいたから、見てもらいな」「ああそうですか」 実際わたしはこの親爺が首斬くびきり役であるのを知らずにいるものか。脈を見るのをつけたりにして肉付を量り、その手柄で一分の肉の分配にあずかろうというのだ。乃公はもう恐れはしない。肉こそ食わぬが、胆魂きもたまはお前達よりよっぽど太いぞ。二つの拳固を差出して彼がどんな風に仕事をするか見てやろう。親爺は坐っていながら眼を閉じて、しばらくはさすってみたり、またぽかんと眺めてみたり、そうして鬼の眼玉を剥き出し「あんまりいろんな事を考えちゃいけません。静かにしているとじきに好くなります」 フン、あんまりいろんな事を考えちゃいけません、静かにしていると肥りまさあ! 彼等は余計に食べるんだからいいようなものの乃公には何のいいことがある。じきに「好くなります」もないもんだ。この大勢の人達は人を食おうと思って陰かげになり陽ひなたになり、小盾になるべき方法を考えて、なかなか手取早く片附けてしまわない、本当にお笑草わらいぐさだ。乃公は我慢しきれなくなって大声上げて笑い出し、すこぶる愉快になった。自分はよく知っている。この笑声の中には義勇と正気がある。親爺とアニキは顔色を失った。乃公の勇気と正気のために鎮圧されたんだ。 だがこの勇気があるために彼等はますます乃公を食いたく思う。つまり勇気に肖あやかりたいのだ。親爺は門を跨いで出ると遠くも行かぬうちに「早く食べてしまいましょう」と小声で言った。アニキは合点した。さてはお前が元なんだ。この一大発見は意外のようだが決して意外ではない。仲間を集めて乃公を食おうとするのは、とりもなおさず乃公のアニキだ。 人を食うのは乃公のアニキだ! 乃公は人食ひとくいの兄弟だ! 乃公自身は人に食われるのだが、それでもやっぱり人食の兄弟だ!5-11 略 (全文: 縦書き文庫又はWakibitosで)12 想像することも出来ない。 四千年来、時々人を食う地方が今ようやくわかった。わたしも永年ながねんその中に交っていたのだ。アニキが家政のキリモリしていた時に、ちょうど妹が死んだ。彼はそっとお菜の中に交ぜて、わたしどもに食わせた事がないとも限らん。 わたしは知らぬままに何ほどか妹の肉を食わない事がないとも限らん。現在いよいよ乃公の番が来たんだ…… 四千年間、人食いの歴史があるとは、初めわたしは知らなかったが、今わかった。真の人間は見出し難い。 13 人を食わずにいる子供は、あるいはあるかもしれない。 救えよ救え。子供……(一九一八年四月)底本:「魯迅全集」改造社 1932(昭和7)年11月18日発行※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。※底本は総ルビですが、一部を省きました。入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(上村要)校正:京都大学電子テクスト研究会(高柳典子)2004年11月19日作成青空文庫作成ファイル:このファイルはインターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのはボランティアの皆さんです。
夫婦と老母の日々
短編「夫婦と老母の日々」(「もうすぐ彼岸ひがんはて此岸しがん」を改題)のモデルは世間的には目立たない人々だし、経済的に豊かとはいえないが、どこか充実しているように見える。夫婦で必死ひっしに老母を支える姿が何かを訴えているからだ。彼らにとって信仰がいかに大事なことか。いや、彼らだけではない、人として生きるうえで信仰が必要なのかどうか。最重要の問題ではないのか。 儀礼や伝統として捉えられている神道あるいは葬式と墓場の維持運営や観光収入に依存いぞんするかに見える仏教が、本来は人々の信仰に拠よることを知るべきだと思う。昨今さっこんよく耳にする終活しゅうかつとか人生百年とかいうのは人の生のごく表層しか見ない見方みかたである。人と信仰という基盤に立った見識けんしきを身に付ける必要があるのではないか。政治と宗教という枠組わくぐみではなく、人間ないし社会と宗教、人と信仰という見方が求められているように思う。 東京山手線の新大久保駅前でよく見かける托鉢僧姿の人、僕は耳をふさぎ足早に横断歩道をわたる
cultural eunuchs
宦官かんがんは去勢きょせいされた男の意味だが、ここでは文化的伝統を喪うしなった者、アイデンティティを見失った者について考えようと思う。日本には制度としての宦官はなかったが、精神的に去勢された者は少なからずいたのではないか、そして今も大勢いるのではないか、と考えるからである。この考え方はどこか江戸時代後半の国学こくがく思想に通じるものがあるかもしれない。とはいえ、僕は本居宣長や賀茂真淵の説を詳しく知っているわけでもない。お前もいい加減なものだな。 文化的伝統を喪うしなった者は漢心にあるいは欧米の思潮しちょうに傾倒けいとうするが、どちらも掘り下げて考えているわけではなく、周囲に同調どうちょうしているだけの場合が多い。伝統文化も宗教的伝統も深く考えたことはなく、ただ何となくという人々が大半であろう。だから、1868年以降は大日本帝國の、1945年以後は日本国の敷設ふせつしたレールの上を走る列車に乗っているだけなのだ。そういうお前は何なんだ。同じ列車に乗っていながら批判めいたことを言っているだけではないか。それは否めない。所詮しょせん、同じ穴の狢むじななのだろう。 戦前戦後という時期区分は19世紀後半以降の体制を連続する政体せいたいとして捉とらえるものだ。明治時代(1868-1911)と昭和20(1945)年までの立憲君主制と昭和20年以降の主権在民の民主主義体制は同じ日本列島の上にあり、そこに住む人々も重なっているから連続してみなされる。本来はまったく異なる国と考えなければならない。それを見えにくくしているのが天皇制の継続である。この程度のことは少しでも法律を学んだことがある者はみな考えることだ。 精神的去勢者を英語で depersonalizers あるいは ego losers というようだが、ここでは後者のほうを使いたい。いずれにせよ、真の意味の個性を持たないということである。個性を持たないとは単に没個性というのではなく、自分の拠よって立つ文化的伝統を見失っている状態をいう。本当はとっくの昔に文化的伝統など捨てていながら、臆面おくめんもなく伝統文化の大事さを訴える。何が護まもるべき伝統なのか文化なのか考えないまま、世のなかの流れに沿っているだけなのだ。こんな考えかたをする者は変人扱いされるばかりだが、言い続けなければならない。後世こうせいのためではない、自分のためにである。
butterflies
十月上旬だったと思う。土曜日の午ひる少し前、池上線の路線の真ん中辺あたりにあるS駅のホーム中ほどに立っていた。このローカル線は何もかも昔のままだ。駅舎えきしゃは昔ながらの赤いトタン屋根に半分ほど覆おおわれ、線路と枕木まくらぎのあいだを瓦礫がれきが埋めている。夏には二本のレールのあいだに雑草がはびこる。車両は三輌りょう編成で車掌しゃしょうはおらず、運転手一人で運行している。 表面だけが鉄の輝きを放はなつレールと枕木に囲まれた石ころのなかに、あざやかな黄色と黒で縁取ふちどられた紙のようなものがひらひら動いている。一羽のキアゲハが、糸のように細い脚あしで鉄錆てつさびで赤茶あかちゃけた石の上に止まり、ひたすら羽を閉じたり開いたりしているのだ。優雅ゆうがそうに見えるが、必死ひっしに蜜みつを求めているに違いない。あの錆さび付いた石ころでは蜜を吸うこともできないだろうに。 間まもなく電車が来る、蝶はどうするだろうか。列車の巻き起こす空気の渦うずに呑のまれる前に飛び立つだろうか。あるいは何もわからないままに吸い込まれて、羽も胴体もばらばらになってしまうのだろうか。どうか、うまく抜け出してほしい、と見るうちに列車の下に消えてしまった。僕はそのキアゲハがどうなったか見届けないまま、いつもどおり三輌編成の電車の二輌目に乗り込んだ。あのキアゲハはどこへ行ったのか。ときどき思い出すのだが、知る手だてはない。 三十年ほど前、義父の一周忌を弔とむらう寺院で読経どきょうの声を聞きながら天蓋てんがいを見上げると、モンシロチョウが一羽舞っていた。しばらく人々の頭上ずじょうをせわしげに飛んだあと見えなくなった、あのときのチョウの姿をときどき思い出す。 I think it was early October. I was standing in the middle of the platform at S station, which is located in the middle of the Ikegami Line on a Saturday afternoon. Everything on this local line is just as it used to be. The station building is half covered by …
costume parade
1960年代の初め、僕が十歳から十二歳だったころ、毎晩のように夢をみてうなされた。米ソ冷戦の緊張がもっとも高まった時期だった。フランキー堺主演の映画「世界大戦争」が上映され僕が立ち見でみるぐらい人々のあいだに核戦争勃発の危機感が浸透していた。浅沼稲次郎(1898-1960)が若干17歳の少年に暗殺されたのは1960年10月12日の水曜日だった。浅沼氏が生きていたら、その後の日本政治は現在とは違っていたかもしれない。当時十歳だった僕にはJFKの暗殺(1963年11月)よりも衝撃が大きかった。 僕個人の時間は流れ、あっというまに60年余りが過ぎ、はや老境に入った。あと何年生きるかわからないが、統計上の余命年数がだんだん少なくなっていく。若かったときも何年生きるかわかっていたわけではないが、否応いやおうなしに死について考えざるを得なくなった。さあ、何をなすべきか。老ふけ込んだ老人たちの群むれがハロウィンの仮装行列に交じって道路に溢あふれている。 翻ひるがえって現在、ロシアによるウクライナ侵略とイスラエルのガザ地区侵攻を見るにつけ、世界規模の戦争がいつ起きてもおかしくない状況になりつつある。日本でも日本国憲法前文の格調高い反戦の意思は忘れられてしまった。何かが大きな音を立てて崩れている。消滅時効じこうにかかった自公じこう政権を支えているのは仮装行列に興じる国民たちだ。 In the early 1960s, when I was between the ages of ten and twelve, I had nightly dreams. It was a time when tensions in the Cold War between the U.S. and the Soviet Union were at their highest. The movie "The Great Global War" starring Frankie Sakai was being screened, and …
衣裏珠のたとえ
法華経ほけきょう五百弟子受記品じゅきぼん第八に衣裏珠えりじゅの譬たとえという寓話ぐうわがある。一人の男が友人の家で酔いつぶれ寝てしまう。男が眠っているあいだに友人は男の衣の裏地に何ものにも代えがたい宝を縫ぬい付け、何も言わずに出ていく。目を覚さました男は何ごともなかったかのようにその家を出ると、真実の教えを求めて何年ものあいだ国々をさまよい歩く。何年か後に友人と再会したとき、男はぼろぼろになった衣に宝が隠されていたことを知る。 この寓話は、ブッダがかつて弟子たちを教化きょうかし真の教えを求める心を起こさせたものの、弟子たちはすぐにその心を忘れ、阿羅漢あらかんとなり涅槃ねはんの境地きょうちを得るや、そこに安住してしまった。だが、それは真のさとりではない。彼らがみな菩薩ぼさつの当体だというのが真実であり、それを覚知かくちすることこそが最も大事なのだと説く。 先日、数十年ぶりに学生時代の友人たちと再会した。みなそれぞれ立派な地位を築き、老け込んでいたが、しばらく話していると昔日せきじつの姿が彷彿ほうふつとしてきた。僕もかつての姿で接していたことと思う。帰途、友人が言った。みなそれぞれの宿命と闘たたかっているのだ、と。数日後、むかし母親が教えてくれたこの寓話を思い出した。そして考えた。母もいま必死に自分の宿命と闘っているのだ。おまえも闘え、と言わんばかりに。 의복 속 구슬의 비유법화경(法華經) 오백제자(五百弟子) 수기품(受記品) 제8편에 의복 뒷주머니의 비유라는 우화 구절이 있다. 한 남자가 친구의 집에서 술에 취해 잠이 들었다. 남자가 잠든 사이 친구는 남자의 옷 안감에 무엇과도 바꿀 수 없는 보물을 꿰매고 아무 말 없이 떠난다. 잠에서 깨어난 남자는 아무 일도 없었다는 듯이 그 집을 떠나 진리의 가르침을 찾아 몇 …
縦書き文庫より
10月24日現在の縦書き文庫ランキング第31-35位は次のとおりです。宗教がらみの題名が偶然並びました。題名をクリックすると同文庫に掲載された作品を読むことができます。 題名著者無宗教社会を生きる小栗章クリスマスと結婚式: 無名氏の手記よりドストエフスキー雨月物語 現代語訳上田秋成迷信と宗教井上円了雨ニモマケズ宮沢賢治縦書き文庫読者ランキング
Why do I write?
The Theme of "Not in This World, Not in That World" This text was written as a postscript to "Not in This World, Not in That World," which is currently being written. As long as the text is not completed, there is no doubt that this text will be changed in the future. I have posted …
賢治のオホーツク挽歌
宮澤賢治の詩の世界より引用しました。「習作5 もうすぐ彼岸ひがんへ」を書き終えたとき、賢治の「ナモサダルマフンダリキャソタラン(サンスクリット語のカタカナ表記、南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうはこの語の漢訳*)」が浮かんだのです。*薩達磨芬陀梨伽蘇多覧 Sad-dharma-pundarika-sutra とも表記する。 海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた緑青(ろくせう)のとこもあれば藍銅鉱(アズライト)のとこもあるむかふの波のちゞれたあたりはずゐぶんひどい瑠璃液(るりえき)だチモシイの穂がこんなにみぢかくなつてかはるがはるかぜにふかれてゐる (それは青いいろのピアノの鍵で かはるがはる風に押されてゐる)あるひはみぢかい変種だらうしづくのなかに朝顔が咲いてゐるモーニンググローリのそのグローリ いまさつきの曠原風の荷馬車がくる 年老つた白い重挽馬は首を垂れ またこの男のひとのよさは わたくしがさつきあのがらんとした町かどで 浜のいちばん賑やかなとこはどこですかときいた時 そつちだらう、向ふには行つたことがないからと さう云つたことでもよくわかる いまわたくしを親切なよこ目でみて (その小さなレンズには たしか樺太の白い雲もうつつてゐる)朝顔よりはむしろ牡丹(ピオネア)のやうにみえるおほきなはまばらの花だまつ赤な朝のはまなすの花です ああこれらのするどい花のにほひは もうどうしても 妖精のしわざだ 無数の藍いろの蝶をもたらし またちいさな黄金の槍の穂 軟玉の花瓶や青い簾それにあんまり雲がひかるのでたのしく激しいめまぐるしさ 馬のひづめの痕が二つづつ ぬれて寂まつた褐砂の上についてゐる もちろん馬だけ行つたのではない 広い荷馬車のわだちは こんなに淡いひとつづり波の来たあとの白い細い線に小さな蚊が三疋さまよひまたほのぼのと吹きとばされ貝殻のいぢらしくも白いかけら萓草の青い花軸が半分砂に埋もれ波はよせるし砂を巻くし 白い片岩類の小砂利に倒れ波できれいにみがかれたひときれの貝殻を口に含みわたくしはしばらくねむらうとおもふなぜならさつきあの熟した黒い実のついたまつ青なこけももの上等の敷物(カーペット)とおほきな赤いはまばらの花と不思議な釣鐘草(ブリーベル)とのなかでサガレンの朝の妖精にやつた透明なわたくしのエネルギーをいまこれらの濤のおとやしめつたにほひのいい風や雲のひかりから恢復しなければならないからそれにだいいちいまわたくしの心象はつかれのためにすつかり青ざめて眩ゆい緑金にさへなつてゐるのだ日射しや幾重の暗いそらからはあやしい鑵鼓の蕩音さへする わびしい草穂やひかりのもや緑青(ろくせう)は水平線までうららかに延び雲の累帯構造のつぎ目から一きれのぞく天の青強くもわたくしの胸は刺されてゐるそれらの二つの青いいろはどちらもとし子のもつてゐた特性だわたくしが樺太のひとのない海岸をひとり歩いたり疲れて睡つたりしてゐるときとし子はあの青いところのはてにゐてなにをしてゐるのかわからないとゞ松やえぞ松の荒さんだ幹や枝がごちやごちや漂ひ置かれたその向ふで波はなんべんも巻いてゐるその巻くために砂が湧き潮水はさびしく濁つてゐる (十一時十五分、その蒼じろく光る盤面(ダイアル))鳥は雲のこつちを上下するここから今朝舟が滑つて行つたのだ砂に刻まれたその船底の痕と巨きな横の台木のくぼみそれはひとつの曲つた十字架だ幾本かの小さな木片でHELL と書きそれを LOVE となほしひとつの十字架をたてることはよくたれでもがやる技術なのでとし子がそれをならべたときわたくしはつめたくわらつた (貝がひときれ砂にうづもれ 白いそのふちばかり出てゐる)やうやく乾いたばかりのこまかな砂がこの十字架の刻みのなかをながれいまはもうどんどん流れてゐる海がこんなに青いのにわたくしがまだとし子のことを考へてゐるとなぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を悼んでゐるかと遠いひとびとの表情が言ひまたわたくしのなかでいふ (Casual observer! Superficial traveler!)空があんまり光ればかへつてがらんと暗くみえいまするどい羽をした三羽の鳥が飛んでくるあんなにかなしく啼きだしたなにかしらせをもつてきたのかわたくしの片つ方のあたまは痛く遠くなつた栄浜の屋根はひらめき鳥はただ一羽硝子笛を吹いて玉髄の雲に漂つていく町やはとばのきららかさその背のなだらかな丘陵の鴇いろはいちめんのやなぎらんの花だ爽やかな苹果青(りんごせい)の草地と黒緑とどまつの列 (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)五匹のちいさないそしぎが海の巻いてくるときはよちよちとはせて遁げ (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)浪がたひらにひくときは砂の鏡のうへをよちよちとはせてでる←前の草稿形態へ宮澤家本の形態へ→https://ihatov.cc/haru_1/053_d.htm
Small works by Kyoka: 1893-1924
明治後半から大正ではない、19世紀後半から20世紀前半でもない、況いわんや文明開化や大正デモクラシーでもない。大日本帝國(1868-1945)中期に書かれた泉鏡花の小品を読み、読書メモを発表年順に並べた。鏡花はこれらの小品を通して明らかに帝國軍隊を批判し戦争に反対していたと思う。 金時計(1893年): 日清戦争前における西洋人に対する日本人の感情を活写している。日本人を小ばかにする西洋人とその夫人を懲こらしめる、日本の読者には小気味こきみよい作品だ。 外科室(1895年): 前半と後半のあいだにある場面の急変に惑まどわされた。外科医の手を借りて自ら死んでゆく伯爵夫人が青山墓地で、恐らくは同じメスで後追い自殺した外科医は谷中の墓地ということか。予想外の結末にも惑まどわされる。文学100選の一つ。参考: 「鏡花文学の研究 ―同時代的な背景の検討を通して」(白方, 佳果2015)。 夜行巡査(1895年): こういう作品が文学100選に入るのだな、と感心した。職務に忠実なあまり感情を押し殺してしまう官憲の主人公をよく描いている。当時の巡査に対する市井しせいの人々の見方を伝えているのだろう。日清戦争という時代背景も映し出しているに違いない。どの作品でも犠牲者は女性である。外科室と同じく、お香の後追い自殺も予想される。 海城発電(1896年): 中国の海城から発出された電信の意味だ。清軍の捕虜ほりょだった赤十字社の看護員は清軍の兵士たちを治療したことで清軍から感謝状を授与される。その後解放された看護員が日本軍の兵士たちに取り囲まれて国賊こくぞく・売国奴ばいこくどと罵ののしられるなか訊問じんもんを受けるが、少しも怯ひるむことなく赤十字社看護員の立場で傷病兵を助けただけだと信念を語る。最後の場面で、彼の情婦で日本軍のスパイとされる女性が連れ出され凌辱りょうじょくされるのを見て無言で退場する。その一部始終を見ていた外国プレス記者と思おぼおしき者がロンドン向け電信を発出する。 「…日本軍の中には赤十字の義務を完まっとうして敵より感謝状を送られたる国賊あり…また敵愾心てきがいしんのために清国てきこくの病婦を捉とらえて、犯し辱はずかしめたる愛国の軍夫ぐんぷあり…」 凱旋祭がいせんさい(1897年): 日清戦争の勝利に沸わくある地方の公園を彩る毒々しい提灯ちょうちんや巨象、龍、むかで、人々が浮かれるなかに一人佇たたずむ若き戦争未亡人。漱石も日露戦争勝利を祝う表参道の行列について書いていたが。 革鞄かわかばんの怪かい(1914年): 上野から高崎方面に行く列車のなかでたまたま隣りに坐った嫁に行く娘に一目惚ひとめぼれしてしまう男の話。片時かたときの恋愛と彼の半生を見ず知らずの乗客たちに向かって語る姿は真剣そのもので嗤わらうに嗤えない。恋愛し一瞬にして狂人になったとする彼の必死さは感動的ですらある。 湯島の境内けいだい(1914年): お蔦つたと主税ちから(早瀬)の別わかれの名場面。読み終えて、森鴎外の「舞姫」を思い出した。いずれも何ものかのために女性を切り捨てる。これを単に男女間の問題として捉とらえていいのだろうか。鏡花が師事した尾崎紅葉作「金色夜叉こんじきやしゃ」(英訳 Economic animal)の主人公とK首相の顔が重なって見えることがある。何かに阿おもねり国民を切り捨てているようで腹立たしい。 雪霊記事(1921年)・雪霊続記(1921年): 二つの作品の鬼気きき迫る描写に圧倒される。蔦屋旅館の女主人は鷭狩の女主人と重なる。妖艶な女性に引かれ、大雪に埋もれながら虎杖いたどり村に行く主人公。彼を捕とらえたものは一体何なのだろうか。 安易に歴史的な背景と結びつけることはできないが、韓国併合後の朝鮮の動向や第一次大戦後の世相がどんな形で反映しているだろうか。大正デモクラシーという歴史区分に騙だまされてはなるまい。作中に文明開花とかけ離れた江戸期が息づている。 鷭狩ばんがり(1923年): 凍こおった月に照らされる山並みと霧に包まれた湖。その湖畔に一軒の旅館がある。前日まで団体客で混み合っていたが、その夜は主人公Yのほかに誰もいない。そこに女主人Sのパトロンが夜明け前の鷭狩のために訪ねてくる。嫉妬に駆られたYが狩りの時間を遅らせるようSに頼み、彼女がそれを受け入れたとき、二人のあいだに情が通い合う。鏡花文学の真骨頂しんこっちょうここにあり、というべきか。 光籃こうらん(1924年): 初出時の表題は「鰌どじょうすくひ」、鏡花らしい若い女性の艶なまめかしさと行間ぎょうかんに息づく江戸情趣じょうしゅに魅みせられる。 参考: 泉鏡花論(越野格1980)
縦書き文庫の読者ランキング
縦書き文庫9月の読者ランキングに拙著二つのシリーズが掲載されました。 順位縦書き文庫掲載シリーズ名第14位少年老い人の性(さが)1第33位無宗教社会を生きる
peer pressure
同調圧力どうちょうあつりょく(peer pressure)が強く働く村社会では欧米型の民主主義は成り立たないのではないか。政治の門外漢もんがいかんながら、民主主義の根幹には欧米型の個人主義と私有財産制があると考える。それらを持たない人々のあいだでは民主主義を支える議論が成り立たないからだ。類似のものがあっても似て非なるものにならざるを得ない。19世紀後半にドイツ型の君主制をモデルとして天皇制国家を作った大日本帝國(1868-1945)は、19世紀末から20世紀半ばまで戦争につぐ戦争で経済産業を拡充し版図はんとを拡大した。 戦争を通じてその臣民しんみんと台湾・朝鮮・満州・中国・東南アジア・太平洋の島々に住む人々に塗炭とたんの苦しみを与えた。最後はロシアに「北方四島」を取られ米国に沖縄の施政権を取られて、GHQのもとで「民主化」を強いられたといわれる。こうして大日本帝國(1868-1945)は瓦解がかいしたかにみえるが、そうではない。 大日本帝國の天皇制を是ぜが非ひでも温存するべく、日本国は「象徴制」という名の平和国家像を創出した。けっして米国に強制されただけではなかったろう。日本国をつくる過程で、かつて大日本帝國の臣民・皇民こうみんとして扱われ、兵卒へいそつとして戦地に往ゆかされた台湾や満州・朝鮮の人々を切り捨てた。こうして成立した日本国にどんな民主主義が根づいたのだろうか。ただ、欧米型の民主主義が本来で他の形は亜流に過ぎないと云うつもりはない。それぞれの社会の歴史をふまえた形があるべきだと考える。 それは欧米型の民主主義とは似て非なるものになることは当然である。日本国憲法だけをみても、前文に続き、第1章天皇、第2章戦争の放棄に続いて、国民については第3章国民の権利及び義務で定められる。大日本帝國憲法を引き継いでいることは明らかだ。第4章以下は、国会・内閣・司法・財政・地方自治などと続く。学校教育で教え込まれた民主主義とか三権分立が本来の形になっているようには見えない。 この国に住む者のひとりとして民主主義を謳うたい、個人主義ならぬ同調型個性を礼讃らいさんすることに少なからず不満と疑問を感じる。その度合どあいは年齢とともに強くなりこそすれ弱まることはない。