又例の 寄せ鍋にても いたすべし 虚子 季節の魚貝、鶏肉、野菜類、銀杏などの材料を、酒、みりんを加えたしょう油汁で、煮ながら食べる鍋料理。昔は“たのしみ鍋”ともいった。 煮出汁は、コンブで味付けするのがあっさりとして良い。 冬の寒い夜など、家族で寄鍋をつついて食べるのはまた格別。 更に、核家族が 増えるなか、隣・近所、仲間が、材料を持ち込みで、ワイワイ“と集い合うことで、結び目”を巡らすきっかけにもなるのでは…
PHOTOS: 20180115
今日の歳時記: ユキ[雪]
はげしさの かくも寂かに 雪降れり 鶯谷 七菜子 今年も、雪による被害はあとをたたないが、反面、雪は「豊年のしるし」ともいわれる。 また昔から、“雪月花”といって、雪は冬の景観の大きな要素になっている。 新雪は降ったばかりの雪。 根雪は春まで解けずに固まった雪で、北国特有のもの。 大きくぼてりとした感じの“ぼたん雪”。細かく小粒に降る“細雪”。 日々、表情を変えて、空からメールを送ってくる。 雪化粧して一面は浄化されるが、春先に、雪解けの後に現れる“大地”、そして、歳を新たにした“我々”は、其処で、何を、記すのだろうか…
零れ話: ナミダ[涙]
なみだは にんげんのつくることのできる いちばん“小さな海”です。 寺山 修司 どうしても譲れないこと、受け容れられないこと。 あまりにも悲しくてやりきれないこと。 小さな者たちの小さな、小さな抗議では“けっして、けっして”ない。 どっと押し寄せてくる波に溺れてしまいそうな、大海ではなく、自分たちで“じわりじわり”広げゆく海である。 先ずは、“小さな海”に寄り添わないと…
今日の歳時記: フユノクモ[冬の雲]
大空に 飛石の如 冬の雲 虚子 冬はどんよりと雲が垂れこめた雲の日が多く、陰うつだが、晴れた日に空を半ば閉ざしたような雲は、色といい姿といい実に美しいものである。 寒い空に、じっと凍ったように動かずにいる雲を凍雲(いてぐも)ともいう。 雲との出会いは「一期一会」である。 今日は、どんな姿を見せてくれるのだろう…か、 また、どんな人との出合いがあるのだろう…か。
零れ話: ヒャクニンイッシュ[百人一首]
これは鎌倉の歌人として有名な“藤原定家”が、小倉山荘に閑居していた時、妻の兄の“宇都宮頼綱”に頼まれて、嘉貞元年(1235)五月に、嵯峨中院の障子の色紙形に、古今の歌人の歌を一首ずつ百首選んで書いたのがはじまりといわれている。 ところで、「百人一首 → ひゃくひといちくび」と読み、仏像…、バケモノ…?と勘違いしていた子どもがいた。 阿修羅…、十一面観世音…等から連想したのだろうか。 発声音が同じでも、漢字表記を誤ると、伝言内容が異なる例である。 語彙不足と指摘されてしまうと、反論できないが、話の流れから類推しているつもりだが、時々、論旨に矛盾がある事に気付き、辞書を引き直し、「あぁ、そう言うことか」、納得することが多い。
今日の歳時記: カガミビラキ[鏡開]
子の家の 鏡開きに 来合せし 能村 登四郎 明日十一日は、鏡餅をおろして食べる「鏡開」。 もと武家では男子は具足に、女子は鏡台に鏡餅を供え、それを割った。 鏡餅を刀で切ることを忌み、手や槌を用いて割ったので、開く、割るなどと表現する。 鏡開きの餅は汁粉などにして食べるところが多い。 この頃になると、堅さが増し、ひび割れも激しくなる。 よって、この時期に、鏡餅を処理してしまうのは、生活の知恵の一つでもあった。
零れ話: クラシブリ[暮らしぶり]
高き屋に 登りて見れば 煙り立つ 民のかまどは にぎはひにけり ある時、国を治める方が、人々の暮らしぶりを眺めようと高台に登ると、国原に煙が立たない。 そこで三年間、課役を止めたところ、上記の詩歌のとおりに、賑わうようになっていた。 人々、ひとり一人の繁栄(幸せ)こそが国の礎。 さて、今の世は…
今日の歳時記: カルタ[歌留多]
ならべゆき 心とめゆく 歌留多かな 青畝 正月、若い男女が入り混じっての歌留多取りは、明治・大正頃までは盛んであったが、今日ではいくぶん衰えている。 主に「小倉百人一首」の歌かるたを用い、源平の二手に別れて競い合う。 かるたにはこの他、子どもたちが喜ぶ「いろはかるた」、四季の花鳥風月を合わせた「花かるた」、西洋流の「トランプ」などがある。
零れ話: ナナクサガユ[七草粥]
正月七日、七草がゆを食べる習慣がある。 醍醐天皇の延喜十一年(911)正月七日に「七種の若草を供す」と『公事根源』に出ているから、既に行われていたのだろう。 民間では六日の夜から、おけの上に置かれたまな板で若菜を叩きながら、「七草なずな、唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬさきに、七草はやす」などと歌いはやし、その七草を使ったかゆを食べた。 「唐土の鳥」とは鬼車鳥という怪鳥で、小児の衣服に血の滴が落ちると、小児が病気になると言われる。 七草がゆを食べさせて、小児を厄災から守ろうとしたのだろう。 大人達の“親心”である。
今日の歳時記: デゾメ[出ぞめ]
年のはじめに、消防団員や町内の鳶(とび)の者が集まって演習すること。 東京では、一月六日、皇居前広場で行われているが、これは万治二年(1659)正月四日、旗本の率いる定火消が、上野東照宮で、一年の働きを誓った事に始まるという。 六日が恒例になったのは昭和二十八年。 田舎でも、地域消防団の、“マリ”の早落とし競争があったりで、河川沿いはにぎやかになる。
零れ話: シシマイ[獅子舞]
正月に獅子頭をかぶり、笛・太鼓などではやしながら、家々を訪れて舞歩く神楽(かぐら)の一種。 悪疫災禍を払う霊獣としての威力を獅子に求め、獅子頭をかぶったようである。 家人はこの遊行人をめでたいものとして喜び迎えた。 今や、後継者も育たず、身近で見かけることも無くなり、幼き頃、後をついて歩いたり、頭を噛んでもらったことが懐かしい。
Why did Min Jin Lee write “Pachinko”?
Min Jin Lee, the author of “Pachinko” tells us why she has written this novel on generations of Korean people living in Japan. http://www.cbc.ca/radio/writersandcompany/min-jin-lee-on-the-untold-story-of-koreans-in-japan-1.4371100 QUOTE The failures of history “One thing that struck me in my study of history is how people are excluded. I don’t mean just racial minorities or women. Pretty much all poor …
今日の歳時記: ハツニ[初荷]
おとなしく かざられている 初荷馬 鬼城 新年の商いはじめの荷。 昔は正月二日に、問屋や商店から、馬や車、船などに商品を高く積み、紅白のきれで美しく飾り、旗をひるがえして売り先に届けた。 今は、見かけることが珍しくなっているが、場所ごとに、趣向をこらした催しが残っているので、楽しみたい。 今日から、「御用始め( 仕事始め )」である、幸先良くスタートし、息切れせずに、年末(ゴールライン)迄、走り抜けて欲しいと願う。
零れ話: オトシダマ[お年玉]
子供の頃、親の手につかまって年始に歩き、お年玉をもらった記憶がある。 今では、圧倒的に金銭の場合が多いが、品物を贈る地方もある。 その品物の品種は、ところにより、家により実に様々であるが、比較的多くみられるのが、お餅である。 餅には心霊の座があるとか、ここに神が宿っているとかの民間信仰があり、餅をお年玉にするのは、お正月の神をまつった際の貴重なお供え餅を、共に分かち合おうとする心から出ているのであろう。 すなわちお年玉は、神からいただく新しい魂といった意味で、年賜(としだま)と記したほうが良いほど、めでたいものであったようだ。
零れ話: カキゾメ[書初め]
わんぱくや 先づ掌に 筆はじめ 一茶 新年になって初めて書や絵をかくこと。 主としてめでたい詩句・事柄を選び、普通は正月二日に行う。 筆始(ふではじめ)、吉書(きっしょ)ともいう。 本日、只今、各地で書始大会が行われ、会場いっぱいで、書初が繰り広げられる。 幼き頃、ワクワクしながら、道具を肩にかけ、会場目指した記憶がよみがえる。 「始め良ければ、全て良し…」
今日の歳時記: カガミモチ[鏡餅]
橙の 据わりがよくて 鏡餅 高浜 虚子 正月には農耕を司る神様を迎えて五穀豊穣を祈り、新米で作った餅を供えた。 それは魂心の象徴であり、丸いのが原則で、神様に餅を供えて新しい魂をもらうのが正月の基本行事であった。 門(かど、庭のこと)には一本だけ神聖な松を立て、神様が降りてくる目印とした。 その頃の入口は「もん」と称し、現在のように二本の松を入口に立てた門松が魔よけの印と思われているが、異なるようである。 “重ね餅”と言われ、大小のお餅を重ね、安定感を受ける。 近況は変動含みであるが、“戌年”は、穏やかな日々となる事を願う
零れ話: た“ら、れ”ば…?
や“ら”なかった、 や“れ”なかった。 大晦日、慌ただしいが、 ちょっと、時間を割き、 我が身を省みてのちに、 明日(戌年)を迎えようと 思い、走り回っている。 まさに、私(師)走…。
今日の歳時記: 酉から戌
犬がいて 心豊かに 日々過ごす 酉年も、あとわずか。鶏にとってどんな年であったのか… 以前は、庭先でヒヨコが走り回り、毎朝、新鮮な卵を取りに、鶏舎にいかされたものだった。 今は、身近で見かけることが無くなった。 一方、来年の干支は「戌(犬)」。 人との付き合いも古く、親しみ深い動物である。 良い一年となりますようにと念じながら、中継ゾーンで、無事にタスキが渡るのを見届けたい…
零れ話: ダイダイ[橙]
ミカン科の常緑小高木。 「代々」とも書き、果実が年を越してなお樹上に残るところから、縁起の良いものとして正月の飾りに使う。(鏡餅、お供え物) 果実はほぼ球形で、果面はなめらかで光沢がある。 酸味が強いので、果汁を絞って酢の代用にしたり、マーマレードの原料として重用される。 皮は乾燥して七色トウガラシの材料としたり、「陳皮(ちんぴ)」と呼んで薬用に供したりする。 ところで、食べるには酸味が苦味が強いという特徴から、見掛け倒しの武将を指して「橙武将」と呼ぶことがある。 外見だけではなく、実質を伴った「武将(指導者)」を見出す眼力を備えたいものだ。