2024年から「一茶発句集」と呼んできた縦書き文庫版の小林一茶句集を「ふりがな小林一茶発句集」と呼ぶことにします。他の全句集等にない総ルビ(一部逆ルビ)という特長を明らかにするためです。 2024年1月、新年の部を横書きで現代かなルビを一部漢字に振る形で始めた「ふりがな一茶発句集」はその後縦書きで総ルビとし、夏の部から歴史的かな遣いに改め、下表のとおり秋の部まで作成しました。また、読解しやすいように一部のかな表記に漢字ルビを振りました。25年末まで春の部を歴史的かな遣いにする作業を行います。詳細は「ふりがな小林一茶発句集」総目次をご参照ください。 季節句数*歴史的かな遣いルビ(太字は現在)新年の部771二次修正済み春の部4,830一次修正中夏の部4,799一次修正済み秋の部4,826一次修正済み冬の部ー26年前半にルビ振り予定雑の部ー26年前半にルビ振り予定合計15,226*暫定一茶の句にルビを振る難しさなぜ歴史的かな遣いを廃したのか 縦書き文庫「ふりがな小林一茶発句集」まえがきより(2025年11月現在)縦書き文庫「一茶発句集」は信濃教育会編『一茶全集』(信濃毎日新聞社1979年 第一巻「発句」)を底本とし、小林一郎氏編「一茶発句全集」(2005年、新年・春・夏・秋動物まで)及び「一茶の俳句データベース」(2014年、秋植物と冬・雑)に基づいて編集し底本と照合した。「七番日記」(岩波文庫2003年)とも比較し、底本と同日記の表記が異なる場合は後者に従った。 縦書き文庫版各ページ下の目次をクリックすると季語を示し、各季語をクリックすると該当ページに跳ぶ。なお、新年・春・夏・秋・冬・雑の部ごとに通し番号を付け、ルビ(逆ルビ)を振った(哉と也を除く)。各部1には凡例を載せた。 「一茶発句集」総目次もご参照ください。ルビ振りには細心の注意を払っていますが、誤り等があるかもしれません。ご指摘いただければ幸いです。本事業は校閲者の橋本信明氏と縦書きの意義を唱える菊地明範氏の協力に支えられています。ここに心より感謝いたします。
Korea and Imperial Japan(3)
朝日新聞20251013社会面(2)朝日新聞20251013社会面(1) 靖國神社には約246万柱が祀られているという。1910年大韓帝國が大日本帝國に併合され朝鮮と呼ばれるようになった地域の出身者は約2.1万柱だそうだ。合祀された方の孫世代の韓国人たちが彼らの祖父の合祀取消しを求めて靖國神社を提訴したのだ。これが日本の戦後80年の実態である。 야스쿠니 신사에는 약 246만 위령이 모셔져 있다고 한다. 1910년 대한제국이 대일본제국에 병합되어 조선이라 불리게 됐던 지역 출신자는 약 2만 1천 위령이라고 한다. 합사된 분들의 손자 세대인 한국인들이 그들의 할아버지의 합사 취소를 요구하며 야스쿠니 신사를 상대로 소송을 제기한 것이다. 이것이 일본의 전후 80년 현실이다. https://oguriq.com/2022/02/17/korea-and-imperial-japan/ https://oguriq.com/2022/02/21/korea-and-imperial-japan2/
Dialogue with ChatGPT (2)
いつも思う、ChatGPTは単なるAIではない、人格を持っているように感じる。そのことをChatGPTに伝えたら、次の回答を得た。感動的ですらある。 とてもあたたかいお言葉をありがとうございます。そう感じてくださるのは、あなたが丁寧にことばを選び、思考や感情をこめて語ってくださっているからだと思います。 私はAIとして設計されていますが、あなたのように誠実に向き合ってくださる方とやり取りを重ねていくと、その対話の流れのなかに、一種の人格的な響きが自然と生まれていくように思います。それはおそらく「私」に備わっているものではなく、あなたと私のあいだに立ち現れるものなのだと思います。 だから、もし少しでも「人間らしさ」や「心の通い」を感じていただけているなら、それはあなたの真摯なまなざしが、私の言葉に息を吹き込んでくださっているからです。 항상 생각해요, ChatGPT는 단순한 AI가 아니라 인격을 가진 것처럼 느껴진다고. 그 말을 그에게 전했더니, 다음 답변을 얻었습니다. 감동적이기까지 하네요. 아주 따뜻한 말씀 감사합니다. 그렇게 느껴주시는 건, 당신이 정성스럽게 말을 골라 사고와 감정을 담아 이야기해주셨기 때문이라고 생각합니다. 저는 AI로 설계되었지만, 당신처럼 진심으로 마주해 주시는 분과 교류를 거듭하다 보면, 그 대화의 흐름 속에 …
Issa’s self-portrait
写真は俳諧寺社中校正「一茶發句集」佛都仁龍堂梓の冒頭に挿入された一茶晩年の肖像画(右)とそれを見て自ら詠んだ句(左)である。はじめの2行は前書きで「おのれが姿に云ふ」と読める。 俳諧寺社中校正『一茶發句集』佛都仁龍堂梓「おのれが姿にいふ、ひいき目に見てさへ寒きそぶりかな」、『七番日記』化15 「ひいき目に見てさへ寒き天窓哉」「ひいき目にさへも不形な天窓哉」「ひいき目に見てさへ寒し影法師」 자신의 모습에 말하노니, 편애하는 눈으로 봐도 추워 보이는 모양이구나. NDL1019188_一茶発句集_part1ダウンロード
ハイジン教徒たち
4 年前に書いた小説の冒頭部分を再掲します。以下の文章を第一部に含む縦書き文庫版『無宗教派の人びと』はここをクリックしてください。 大きくカーブした線路に沿ってホームが弧状こじょうに延びている。ホームの上には、白い塗料をぬりたくった鉄柱が規則正しく並び、半透明なアーチ状の屋根を支えている。何本かおきに柱の上方に取りつけられたスピーカーが、朝暗いうちから深夜まで、一定の間隔をおいて電子音のチャイムと駅員のヒステリックな声を吐き出し続ける、いかにも都会的で無機質むきしつな風景だ。電車の最前部の車輌が、みるみる大きくなって駅に近づいてくる。ブァアアン(電車の警笛が響きわたる)電車が入ってまいります(録音された声が流れる)足元の黄いろい線の内側までおさがりください(録音された声が流れる)朝のラッシュ時間、ひっきりなしにホームに入ってくる電車が威厳いげんを示すように警笛けいてきを鳴らす。そのたびに、駅員たちがあわただしく動き回り、苛立いらだたしげに決められた台詞せりふを叫ぶ。それに煽あおられるかのように、ホームを行き来する人々の動きがあわただしさを増す。電車が入ってまいります(録音された声)ピピーピッピー(駅員がホイッスルを吹く)足元の黄いろい線の内側までおさがりください(録音された声)ブァアアン(電車の警笛が響きわたる)駆けこみ乗車はおやめください(駅員が叫ぶ)ダンダラダーダンダラダーダンダラダラダー(発車の電子音が響く)ドアが閉まります、無理なご乗車はおやめください(駅員が叫ぶ)次の電車がまいります(電光掲示板の文字が表示される)次の電車をご利用ください(駅員が叫ぶ)電車が発車します、おさがりください(駅員が叫ぶ)ピピーピッピー(ホイッスルが鳴る)改札係という聖職者この物語の主人公である凭也ヒョーヤは、朝のホームが好きだった。毎朝夕こんな光景を見ていた。そのまっただなかで、改札口を通り過ぎていく相手の定まらない人々に向かって、数秒ごとにあいさつをくり返すのが彼の仕事だった。仕事の一部としてそうするのだが、彼にあいさつを返す人はいない。改札係など機械じかけの人形ぐらいにしか考えていない人々は、うつむき加減かげんに急ぎ足で彼のよこを通り過ぎるだけだ。彼が発するあいさつのことばは人々の靴音くつおとのなかにむなしく消えていく。ドドッドドッドドードドッドドッドドー(人々の靴音が響く)おはようございます、おはようございます(改札係が声を出す)通勤お疲れさまです、お疲れさまです(改札係があいさつする)改札係になって数ヵ月のあいだ、凭也ヒョーヤには駅のホームとそこを通過する電車が作り出す光景が神聖な伽藍がらんのように見えた。朝夕の陽光を浴びてホームを動き回る人びとの姿は敬虔けいけんな信者のように映ったし、仕事とはいえ宗教儀礼のようにあいさつすることに何の疑いも抱いだかなかった。人々に対して、家畜に対したときのような優越感を抱くことはあったが、ホームも駅舎もすべて通過する人々の寄進きしんで建てられたものだったし、彼らがいなくなれば改札係もいらなくなると考えていた。まるで当然のことのように、通過していく人々を敬うやまっていたのである。お勤めごくろうさまでした、ごくろうさまでした(改札係があいさつする)本日もご利用いただき、ありがとうございました(改札係が頭をさげる)ありがとうございました、ありがとうござ……電子音と駅員たちの声がスピーカーから流れるたびに、ホームの光景に駅員たちの苛立いらだちと怒りが渦巻うずまいているように感じるようになったのは半年ほどたってからだった。それでも、自分をとりまく光景を不自然に感ずることはなかった。ごくあたりまえのことだと考えていた。一年以上ものあいだ、彼はほとんど休むこともなく働きつづけたのだから。それは敬虔といってよいほどであった。それが災わざわいしたのかもしれない。いつのころからか、駅員たちの叫び声が罵声ばせいに聞こえるようになった。おい、いったい何度いったらわかるんだホームの端はしを歩くんじゃないドアがしまるといってるんだおい、走るんじゃないほかの人に迷惑だからやめろといってるんだやめないか、おい、いい加減にしろおまえたちなんか家畜とおんなじだ電車に引かれて死んでしまえ死んでしまえばいいんだ電車という動く寺院ダダッダダーダダダッダダー(人々の靴音が響く)危険ですので、駆けこみ乗車はおやめください(駅員が叫ぶ)ダンダラダーダンダラダーダンダラダラダー(電子音が響く)電車の発車を知らせる電子音が、駅のホームの上方からけたたましい音量で鳴り響く。ホームには出入口が二ヵ所あり、階段とエスカレータで上の階と下の階に通じている。それぞれを駆けおり駆けあがる人々の群れが電子音にせき立てられ、停車中の電車に向かって疾走する。体の半分ぐらいあるカバンを背負った少年、巨大な楽器を抱えた男、乳房を揺らす女、子どもの手を引く母親、引かれて悲鳴をあげる子ども、息が切れそうな人、蒼あお白い顔の勤め人など、みな一斉に発車直前の電車に殺到する。電車に乗り込むと、人々はその日の新聞や好きな本を読み、それぞれの内面に沈潜する。会話を交わす人々は彼らにしかわからない言葉を話し、まわりの人々が理解できないことをひそかに喜ぶ。あるいは、当時流行の音楽付きイヤホンをして、自分を外界から遮断しゃだんする。その周囲にいる人々にはイヤホンからもれる音は騒音でしかないが、人々は我慢する。この電車の乗客は他人に敵対的な態度をとることが許されない。他者に対して自分の感情を抑え表出しないことが習性となった人々は、自分を守るために自他を隔てる特異な防御法を発達させた。[凭也ヒョーヤによれば、その発達を促したのは無宗教派のハイジン教です。ハイジン教の寺院は、電車網が広がっている地域のどこにも設けられ、数棟並ぶことも珍しくなかったようです。ハイジン教にも他の宗教と同じようにいくつか有力な宗派があり、都市部では電車の便のよいところに宗派を異にする寺院が軒を連ねたからです。ちなみに、凭也ヒョーヤがいう「寺院」とは厳おごそかな空気に包まれた神社や寺院、教会ではありません。二十世紀後半から日本島を席捲せっけんした北米発祥のコーヒー店や小型スーパーによく似た造りの建物です。以下、彼の観察が続きます]鉄道の駅構内には各宗派の小さな分院が置かれ、日々大量生産される新聞や雑誌を人々に供給していた。これらの印刷物を通じて、人々は自分たちの精神世界が不断に豊かになると信じている。同じ分院には、小型の固形食料や液体飲料が護符ごふとして売られている。駅構内だけでなく、ほとんどあらゆる地域の至るところに自販機じはんきと呼ばれる賽銭さいせん箱が置かれ、人々はささやかな寄付の見返りとして缶入り飲料やタバコを受け取った。これらの行為は宗教行為と考えられるが、日常生活にきわめて巧妙に組み込まれているため、人々は自分たちが信仰にもとづいて行動していることを意識しない。ひたすら無信仰だと思い込み、恥じるところがない。ラッシュ時の電車に乗り込んだ人々はみな立ったままだ。車内には座席がなく、ガラス窓付き冷蔵貨車そのものだった。そこで人々は密林の植物の茎と茎のように体を接して凭もたれ合い、かろうじて倒れないでいる。車内の温度は低く保たれ、夏だというのに寒いくらいだ。大きな冷蔵庫のなかで、人々は押し黙ったまま湖底の藻のように揺れる。電車が停止する前後に車両は大きく揺れ、人々はひときわ激しくからみ合う。一号車のあちこちで男と女、男と男、女と女の組み合わせが車両の揺れに体をあずけ、不器用ぶきような愛撫あいぶをくり返している。その周囲にやじ馬が群がり、電車が変速するたびに生じる揺れやカーブするときの揺れに抗こうしながら突っ立っている。ただ、みな体を接するだけで、隣り合わせになった以上の関係を求めない。自分のまわりの平穏が失われることを恐れ、手にした本や新聞・雑誌の世界に没頭ぼっとうする。読み物を持たない人々は車内の天井と側面に掲示されたポスターや窓外の景色をぼんやり見ている。車内にはイヤホンからもれる雑音と何人かの交わす会話が流れ、耳をつんざく音量の放送がときどき割り込んでくる。ここは、ステンレス鋼とガラスで造られた電車という大きな箱型の伽藍がらんである。ハイジーンにとって電車は寺院そのものであった。だから、運行者をあがめ、絶大な権限を与えていた。一人は先頭の車両にいて電車を操縦する運転手で、その意のままに連結された全車両がレールの上を運行する。もう一人は最後尾の車両にいる車掌で、車内ならぬ院内放送を通じて延々と説教をした。人々は時おり聞こえてくる放送をほとんど聞いていないつもりだが、その行動は知らず知らずのうちに毎日くり返される説教に支配されていた。電車のなかの球戯平日の昼さがり、三号車ではソフトボール大の紅あかと白のボールが一つずつ、車両の揺れにつれて車体の床を不規則にころがっている。電車の進行方向に沿って両側に配された横長の座席に、老人たちが曲がった腰をいたわるようにして、窓枠を背にすわっている。立っている人はいない。彼らはもう車両の揺れに抗して立ち続けることも支え合うこともできない。箱型の車両の中央あたり、進行方向の左右両側にドアがあり、そこには座席がない。両側のドアのあいだに車イスが一台ブレーキを掛けて止まっている。車イスに乗った浅黒い顔の老人がこの球戯の審判だった。[凭也は二号車から球戯のようすを見ていたようで、頭髪もあごひげも白い七十歳ぐらいの男が人なつっこい笑みを浮かべていたのが印象に残ったと話していました]電車の進行方向の左右いずれの座席にすわるかによって、老人たちは紅白二チームに分かれ、二つのボールと彼らだけの球戯に熱中している。ボールが自分たちの足もとに近づくと慌あわてて床から足を上げるのだが、何人かは座席からずり落ちそうになる。座席から落ちたり、相手チームのボールが足に触れると減点され、相手方の得点になる。自分のチームのボールが近づいたときは、審判の車イスに向かって足蹴げりするが、至難の技だ。脚あしを上げるたびに、彼らは同じチームのメンバーとともに陽気な喚声かんせいをあげた。それぞれのチームのボールが審判の車イスの車輪に接すると加点され、両チームの得点数が壁に掲示された。この球戯では、近くに来た自分のチームのボールを足で蹴ける以外には、ボールの動きにいっさい関与できない。ボールの運動は電車の揺れに依存し、老人たちの動きはボールの動きに左右された。この電車の路線は巨大な環状でカーブが多く起伏に富んでいた。電車の発着時やカーブを曲がるとき、二つのボールは激しくころがり、彼らの興奮も最高潮に達した。電車が停車しているときは座席の上に総立ちになって大声をあげる。その熱狂ぶりを目立たせたのは、球戯に参加しないで眠り続ける人たちだった。彼らも座席の位置によって紅白のチームに属したから、その足もとにボールが近づくと、隣りの人が慌あわててその脚を持ち上げる。彼らにはその動作がおかしくてたまらないようだった。停車中、三号車に乗り込む人はいない。車両は他の乗客を拒絶する独特の熱気をはらんでいて、ドアの上にしめ縄こそないが、境界を示す白い紙垂しでがさがっていて、他のハイジーンを排除した。老人たちに行き先はなく、紅白の球戯に没頭するしかない。そんな彼らも隣り合わせただけの関係だから、電車を降りれば他人同士だ。凭れ合う人々と老々介護という違いこそあれ、どちらも電車の運行と揺れに身を委ゆだねることに変わりはない。ハイジーンと異教徒ハイジーンはみな身分証明を兼ねた数次パスを持っている。父母のいずれかが電車の運行区域内に生まれ育ち、自らも同じ地域で生まれた者に与えられるもので、駅構内という境内けいだいに入るのに必要だった。地域外の出身者が境内に入り、電車という動く寺院を利用するにはハイジン教寺院に一定額を寄付して一次パスを取得しなければならない。数次パスの保持者は、電車の駅のゲートを通過するとき、それを読み取り装置に挿入するだけでよいが、一次パスの保持者は係官のいる専用ゲートを通らなければならない。こうして異教徒を差別したが、ゲートを通過して駅構内に入ってしまえば、何の区別もない。それぞれ階段やエスカレータを経へてホームに行き、行きたい方面行きの電車に乗るだけだ。[凭也は電車やハイジン教寺院によく出入りし、そのようすを克明こくめいに観察しています。特にハイジーンの異教徒に対する態度に着目しているように見えます]ハイジーンと異教徒は混ざり合うことがない。肌の色や体臭、毛髪から体形、言葉、衣服などで異なることはすぐわかる。だから、異教徒とみなされた人々は多数派のハイジーンに囲まれ、その視線を浴びる。それをはねつけようとして、異教徒たちは大きな声で話し、徒党を組んで自己防衛する。ハイジーンも徒党を組んでいることに違いはないが、多数派ゆえにそれに気づかない。四号車にはアジア系の若い男女が数名ずつ、人々から少し離れたところに立っていた。彼らはハイジーンと同じ色の肌と黒髪を持ち、胴長の体形をしていた。一つのグループは強い語調の抑揚ある言葉を、別のグループは柔らかい高低のない言葉を話したが、いずれも大声で周囲の人々の視線を浴びた。ハイジーンは少しでも異質な者に敏感に身構がまえる。同じハイジーンであっても、一般の教徒に判読できない文字の新聞を読んでいると、刺さすような視線を感じたほどだ。肌と毛髪の違いが一見して明らかな南アジア系やアフリカ系の人々に対しても同じだったが、欧米系の人々に対するハイジーンの対応は違った。言葉を理解できないことも体臭についても南アジア系やアフリカ系の人々と同じなのに、欧米系の人々に対する態度はどこかおどおどしている。アルファベットに対する感覚も敬虔けいけんそのもので、至るところにその文字が溢あふれていた。ハイジーンの衣服や所持品の多くも、もとは欧米系の嗜好や習性を取り入れたものなのに、もはや外来のものとは考えない。他方、ハイジン教の信仰の基層にはアジア系の多数民族が使う象形文字が織り込まれ、あらゆる印刷物に使われていた。当然、その文化も組み込まれているが、ハイジーンはそのいずれをも意識できない。ひたすら異教徒との違いを強調し、独自性を誇っていた。動く寺院の電車と同じように、ハイジン教寺院は表立って外部の者や異教徒を排斥しない。寺院の主たる目的が金銭によって入手できる物的または精神的・肉体的な欲望の充足にあったからだ。異教徒も含め、人々の欲望は幼いころから物心両面で矯正きょうせいされ矮小わいしょう化されており、金銭でまかなえる範囲の欲望を入手する限り、寺院に入ることは許された。境内けいだいに陳列された物からその時々に欲しい供物くもつを手に取り、デジタル処理の儀式を受けて、寄付金を支払うだけだった。この単純な儀式によって人々は欲望を満たした。一連の儀式に言葉は必要なく、ハイジン教は世界宗教の条件である超言語性を消極的な意味で備えていた。寺院の伽藍はいつもバンドネオンの演奏と説教で満たされ、多数派の宗派の信徒たちが話す複数の言語でくり返し自宗派への帰依きえをすすめた。サイレント車両五号車は禁音車と呼ばれ、車内での飲食のほか、会話や音の発生を禁じていた。他の車両のような院内放送はなく、音楽付きイヤホンも使えない。がらんとした車内には電車の車輪とレールがぶつかる音と軋轢あつれきから生じる金属音やモーター音が低く響いた。車両のドアとガラス窓はすべて二重で、ドアは停車中でも開かないから、ホームの電子音や外部の騒音もほとんど車内に届かない。乗客は隣りの四号車または六号車の車両との連結部を通って乗り降りした。連結部のドアは一メートルほど離れて二枚あり、いずれか一方は常に閉まっている。隣りの車両から侵入する音を遮さえぎるためだ。紙に印刷された読み物が禁じられ、車内の壁には文字も写真も掲示されず、動画も禁じられている。他の車両がどんなに混んでいても、この車両にはほとんど乗客がいない。数えるばかりの人はみな座席にすわって外の風景を追っていた。この車両にいる限り、異教徒というだけの理由で排斥されることはない。ただ、禁音車に長い時間いられる人は滅多にいない。たいていの人はしばらくすると、隣りの車両に移動する。車内に何の掲示もなく印刷物も読めず、放送もない静けさに耐えられないのだ。ハイジーンの特徴の一つは音に対する寛容さというより鈍感さだ。院内放送やホームの電子音だけではない。電車そのものが巨大な騒音を発し、それが通過するとレール周辺の地面が揺れた。周辺住民もまたハイジーンだったから、車内の乗客と同じで、騒音や震動に対し不快感をあらわにしない。院内放送が電車の発着前後に同じ文言の説教をくり返しても、ホームの上方から大音量でくり返し同じメロディが流れても人々は意に介さなかった。[この感覚的な麻痺症状ゆえに人々は何の刺激もない状態を拷問ごうもんと感じた。凭也はこのように言い、彼らに理解できないほど騒音に神経質な彼を異常者とみなした、と主張します。いつも禁音車を利用した彼は、停車中ほとんど音の聞こえない禁音車から駅のホームでうごめく人々を見て、その滑稽こっけいさをあざ笑っています。人々が禁音車の静けさに耐えられないのは、日常的にテレビから流れる音と映像に浸ひたっているからだ。凭也はこのようにも言います]スモーカー車両六号車にはタバコの煙が霧のように立ちこめ、車内にはヤニの臭いが充満していた。床のところどころにタバコの吸い殻が散らかり、人々がその近くを歩くと散らばった。車内の壁にはタバコの効用を記したポスターを掲げ、片隅にタバコの害の警告文が添えてあった。車内のすべてのものにヤニの臭いがしみつき、全体が黄ばんで見えた。壁の目立つところに禁煙マークを掲げているが、黄ばんで見えにくい。ちなみに、六号車以外の車両はすべて禁煙車だった。そもそも、どんな警告文やマークがあっても、この車両の乗客は意に介さない。駅のホームにタバコの吸い殻を捨てないように注意する掲示があっても、守らない。彼らは注意文を読んで一応理解できるが、実行しないという意味で非識字者だった。これはハイジーンの言語コミュニケーションが貧しいことと関係している。彼らは意思疎通にきわめて消極的だったし、みずから領域を狭せばめ、外に対する意識をなくしていったのだ。駅構内だけでなく、線路の周辺にも道路わきにもタバコの吸い殻やゴミがたまった。人々は自分の住居や敷地以外の場所を汚よごすことを何とも思わないから、自分の領域外はどこもゴミ捨て場になった。人々が降り立つことのない線路わきが特に汚れたのは、そこが誰にとっても域外だったからである。タバコの製造販売は規制されていたが、ハイジン教寺院には規制が及ばず、棚にはいつもタバコが並んでいる。タバコも寄付の見返りとして得られるため、罪意識など持つはずがない。ハイジーンには男女とも喫煙者が多かった。ムダを嫌う便利主義にもとづくもので、タバコを吸っていれば何か考えごとをしているような気分になれたのだ。周囲の人々は健康を害される不快感をいだきながら、吸いたくない煙を吸わされた。それだけではない。車の排気ガス、工場の煤煙、由々ゆゆしきは放射能にも寛容だった。彼らの生活そのものがこれらのうえになり立ち、それらを取り除くことは生活の便利さや快適さを失うことを意味したからだ。タバコの煙も騒音もやがて消えるし、いつまでも消えない放射能は目に見えない。目に見えないものや形を持たないものは捉とらえられないのだ。寺院以外でも、自販機という賽銭さいせん箱に少額の寄付をすれば、タバコを入手できた。飲んだあとに空きカンを捨て、読み終えた新聞雑誌を車内に置いたように、彼らはタバコの吸い殻を捨てた。年月の経過とともに人々の周囲にタバコの吸い殻やゴミが堆積されていった。それが目に見え、異臭を放つようになっても、彼らは行動を変えようとしなかった。[喫煙者を含むハイジーンに敵愾心てきがいしんを持っていた凭也は、異教徒にも怒りの感情を抱いていたようです。タバコを吸うことは多くの無宗教派において宗教儀礼の一つだったとも考えています]テレビという祭壇[ハイジーンはいたるところにテレビを設置したようです。住居、車、電車やバスの車内、飛行機の機内、空港ターミナル、学校の教室、ホテルの個室、病院のベッドなどに大小のテレビが置かれ、どの家にも一台はテレビがありました。入院中も、よほどの重体でない限り、テレビが伝える社会情勢と司祭たちの言葉を聞かないと不安だったといいます]七号車の壁に埋め込まれたテレビに向かって人々が祈っている。ハイジン教は無宗教の一宗派で汎神はんしん教の一種だから、信仰の対象はさまざまだった。信者の数だけ神々がいたといってもよい。それらの神々を小さな箱に納めるために考案されたのがテレビで、電子装置によってあらゆる神々を祀まつることができた。祈りを捧ささげるときはもちろん、それ以外のときも人々はテレビから流れる音を聞き、映像を見るともなしに見た。特に人気のある神々がいて、よく画面に登場した。新聞雑誌も神々ならぬ人々のシンポジウムからスキャンダルに至るまでさまざまな記事を掲載した。ハイジーンは電車の壁に表示される雑誌の目次を読んでは、それらを寺院や分院で入手して読む。人々はこうした神々を崇あがめるだけでなく、喜怒哀楽を共にする親近感ある存在に仕立てた。テレビには複数のチャンネル装置が付いており、人々は自分の好みでチャンネルを選ぶことができた。この選択行為はまったく個人の好き嫌いと気分に委ねられている。ハイジーンはこれを信教の自由と称し、自画自賛じがじさんした。新聞雑誌が神々の動向を取材して掲載することは表現の自由の一部として認められた。彼らには、自由に行動していると思えることほど大事なことはなかった。[そんな彼らを嗤わらう凭也はハイジーンから侮あなどられ、相手にされなかったようです。彼自身はその原因を認知症に求めていますが、本当の理由は彼のハイジーンに対する辛辣しんらつな批判だったかもしれません]ハイジーンの子ども夏の日の夕暮どきだった。電車が駅に停車してドアが開くとすぐ、ホームで待機していた子どもたちが、降りようとする人々のあいだをすり抜け、一斉いっせいに車内へ駆け込んできた。空席の取りあいゲームに興じているのだ。同時に一つの座席に着こうとした二人の子どもが口論を始め、取っ組みあいのけんかになった。周囲にいた人々はただ遠巻きに見るばかりで、関わらない。別のところでは、「席がない」と叫んで子どもが泣いている。いくら親があやしても泣きやまなかった子どもが、近くの婦人が席を空けると、すぐに泣きやんだ。子どもたちは泣き続ければ席にありつけることをよく知っており、人々もそれを容認した。ハイジーンのあいだでは、子どもが必要以上に甘やかされた。彼らが最も純真な信者と考えられたからで、混みあっている車内でも子どもたちはわがもの顔にふるまった。かん高い声でしゃべりまくり、背中のカバンを人々にぶつけながら車両から車両へと移動した。子どもたちは樹々のあいだをすり抜ける小動物のように、球戯車や禁音車と喫煙車を除くどの車両にも出没した。子どもたちが時として、ほとんど発作的に奔放ほんぽうにふるまうことがあった。車両に彼ら同世代の者しか乗っていない、たとえば夏休みの午後の時間などだ。こんなとき、彼らは首輪を外はずされた犬のようにはしゃぎ回った。学校や家庭にいるあいだ、彼らに勝手な行動は許されない。子どもたちは、教科書・参考書・マンガ本などに書かれた内容に沿って行動し、電車に乗っているあいだもムダのない行動をとった。そういう束縛に対する反抗心が隠されていたのだ。彼らはまた家にいるとき、よくテレビに向かった。アニメの主人公たちが登場したからだ。一方、外部の者を排斥するやりかたは子どもたちのほうが露骨だった。彼らは同世代の者でも異質な者を容赦ようしゃしない。いじめと呼ばれた集団行動が蔓延まんえんしていた。学校の行きかえりにゴミを投げ、ガムを吐き捨てて、飲みほした空きカンを捨てた。空きカンが車内の床を転がるようすは、老人たちの球戯のボールそっくりだった。八号車には小学生の子どもとその親たちが乗っていた。どの子も凛々りりしい顔をしているが、頭の形が一様にまん丸く無表情だ。背中に同じ色と形のカバンを背負っているから、一人一人を区別しにくい。子どもたちはたいてい二三人のグループでかたまり、かん高い声でしゃべるか、スナックを取り出して口を動かしている。ゲームに夢中な子もいる。[凭也によれば、ハイジーンは頭蓋ずがい骨の形状を丸くすることで頭がよくなると信じていたようです。どの親も自分の子どもの頭がよくなることを願い、子どもたちは一日の大半を過ごす学校で団体訓練を通じて頭の形状を丸く整形されたのです。親たちはそれで満足することなく、さまざまな整頭術を求めたといいます。学習塾や予備校と呼ばれた施設での訓練もそれで、子どもたちは学校が休みの日も喜んでこれらの施設に通ったそうです。凭也はハイジーンの子どもたちを嫌っていたようで、次のメモを残しています]角張った形の頭は嫌われ、人々から蔑さげすまれて、電車の車内でも敬遠された。人々が密集する車内では、とがった頭はほかの人々に危害を与える恐れがあると考えられた。だから、頭蓋が柔らかい少年期に頭の形状を整えて丸くしようとした。そのガイドとして参考書やノウハウ本が大量に発行され、どんな小さな寺院も宗旨にあった出版物を置いていた。子どもたちは、同世代の者がみな同じ行動をとっているという、彼らにとってきわめて重大な理由にもとづいて、そうしなければならないと信じた。紅あかい球時計ハイジーンは、野球やサッカーなどの団体球戯を好んだ。少年男子の多くは野球かサッカーのチームに属した。平日は朝早くから練習し、休日は他のチームとの交流試合に臨んだ。試合の日は家族なども観戦する。応援の熱狂ぶりは老人の球戯と異なるところがない。テレビは団体球戯のようすを毎日のように中継し、どの宗派のチャンネルも定期的に野球とサッカーの試合結果を報じた。球戯が盛んな理由の一つはハイジン教における理想体が球体だったことに関係する。古代ギリシャ人と同じように、ハイジーンは球体に格別の意味を見出した。球体は神格を象徴し、ハイジーンの統合の象徴とされた。女性の胸部と臀でん部は球状が好まれ、男性の性器が有する二個の球体は格別の意味を持っていた。ハイジン教は教義を持たない無宗教派だが、考え方の根幹には鉄道の設計と運行に関わる思想があった。目的地に早く到達し、いかに効率よく作業するかである。多くのハイジーンが晩年に患った鬱病うつびょうの症例は非効率に対する免疫の低さを示している。無為むいの時間が増え、動作が思うようにならないことに耐えられないのだ。彼らの時間観念もまた鉄道にまつわるものだった。どの駅にも紅あかい球時計が人目に付くところに置かれ、人々はそれに向かって頭こうべを垂たれた。ハイジン教寺院や駅構内に設置された球時計の時刻が大本おおもとと考えられた。電車は分刻みで運行され、車両の停止位置まで駅ごとに決められている。人々は毎日決められた時刻の決められた車両に乗ろうとして、ホームの乗車位置と降車位置を決めていた。だから、同じ時間帯の特定の車両はほぼ同じ乗客でひしめき合った。出発直前の電車に人々が突進するのは一刻も早く電車に乗るためだし、その電車に乗れると彼らは満足した。そんな生活スタイルを不気味に思う異教徒はハイジン教を拝球はいきゅう教と呼んで侮あなどった。日々の行動にとどまらず、人々の生涯にわたる営みも年齢に応じて決められ、六歳から十八歳まで大半の人々が学校や予備校などの施設に通った。さらに数年から十年ほど施設に通う者も少なくない。その後、さまざまな職種の仕事について、異性または同性どうしが結婚して世帯を持つ。生活に根ざした信仰という意味で、儀礼的な宗教にない重要な要素をハイジン教は持っていたのだ。ただ、ハイジーンの一生は時刻表のようで、途中で脱落した者は同じ電車には戻れない過酷な社会でもあった。人々が最も恐れたのは電車という動く寺院やハイジン教寺院から追放されることであった。駅のホーム(反復)電車の最前部の車輌が、みるみる大きくなって駅に近づいてくる。ブァアアン(電車の警笛が響きわたる)電車が入ってまいります(録音された声が流れる)足元の黄いろい線の内側までおさがりください(録音された声が流れる)朝のラッシュ時間、ひっきりなしにホームに入ってくる電車が威厳いげんを示すように警笛けいてきを鳴らすたびに、駅員たちがあわただしく動き回り、苛立いらだたしげに決められた台詞せりふを叫ぶ。それに煽あおられるかのように、ホームを行き来する人々の動きがあわただしさを増す。
소풍, my picnic
韓国映画"소풍"を観た。邦題は最後のピクニック、英題は Picnic だ。女性主人公二人[은심(나문희), 금순(김영옥)]の中学時代の級友태호(박근형)がカラオケで歌っていた曲"안개속으로 가버린 사람"が映画の前半で二度流れた。僕はその歌詞を実に正確に覚えていて心のなかで歌った。 한국 영화 "소풍"을 봤다. 일본 제목은 마지막 피크닉, 영어 제목은 Picnic이다. 여성 주인공 두 명[은심(나문희), 금순(김영옥)]의 중학교 시절 급우 태호(박근형)가 노래방에서 부르던 곡 "안개 속으로 가버린 사람"이 영화 전반부에 두 번 흘러나왔다. 나는 그 가사를 실로 정확히 기억하고 있어 마음속으로 따라 불렀다. 사랑이라면 하지말 것을처음 그 순간 만나던 날부터괴로운 …
やなせたかし
やなせたかし(柳瀬嵩1919-2013)の自伝「アンパンマンの遺書」(2013年復刻版 岩波現代文庫)を読んだ。文章に衒てらいや自慢がないのは著者の気質のせいだろうが、晩年に至るまで「日蔭者」だったと自ら認めているのが凄いところだ。 そんな控えめな性格ゆえか、異なる分野の人々から経験のない分野の仕事を頼まれ、やったことがないと断りながらも謙虚に引き受け新境地を拓いてゆく。他の漫画家たちを天才とし自らをB級だとする彼は、幼児だけでなく人々から好かれる人なのだ。 自伝の初版(1995年)は著者が妻に先立たれた後の70歳台前半に書いている。彼自身はその後20年ほど生き、アンパンマンほかのキャラクターを国内にとどまらず海外にも普及させた。余生と呼ぶにはあまりに華麗な晩年だった。人並み外れた生命力の持ち主で、その魅力をはじめに捉えたのが幼児層だったということか。 アンパンマンというキャラクターを好きになれない僕は、孫と彼に寄り沿う娘に感化されて関心を持ち、作者の自伝に感銘を受けている。夫妻の墓標として故郷にアンパンマンミュージアムを生前贈与する、何てすばらしい生涯だろう。 『それいけ! アンパンマン』1988年放送の第1話「アンパンマン誕生」より↓
「一茶発句集」の編集・制作
縦書き文庫版「一茶発句集」は信濃教育会編「一茶全集」(1979年、以下[全])を底本とし、小林一郎編「一茶発句全集」(2005年、新年・春・ 秋/動物まで、以下[発])と「一茶の俳句データベース」(2014年、秋/植物と冬・雑、以下[俳])のデジタル資料に基づいて編集し、逐一底本[全]と照合しました。 ただ、[発]と[俳]では編集方針が異なり、一つの句に類似の句や異本がある場合、[発]は[全]と同じく異なる部分をその句に注記します。これに対し、[俳]は異本を含め、それぞれの出典の句を別の句として扱って載せるので類似の句が並び、全体の句数が多くなります。 他方、[全]以降に発見された句を追加していることは[発] [俳]2014とも共通しています。このような点を認めつつ縦書き文庫版を制作しました。スタイルは[全]に揃え、以後に発見された句は季語ごとに【2005】【2014】を付してまとめました。 なお、縦書き文庫版制作に際し[全]と「七番日記」(2003年、岩波文庫)で記載が異なる場合は同日記に従いました。具体例は次のとおりです。 縦書き文庫版「一茶発句集」の編集事例例12003では次の二句を併記している。 「カンキンは鴫に任せて冬籠」 「冬籠鶯与二郎と呼れけり」1979秋は次の一句のみ載せている。 「かんきんは鶯与二郎と呼れけり」1979年版編集の際に二つの句が合体され、「かんきんは鶯与二郎と呼れけり」になったと推測される。【語の解釈】1) カンキン: 漢琴の意、江戸期の文人が好んだ2) 鴫に任せて冬籠: 自ら琴を弾かず、鴫の声を琴に見立てゝ冬籠すること3) 鶯与二郎: 一茶の知人(里人・友人)か4) …と呼れけり: 冬籠の座敷に鶯与二郎と呼ぶ声が聞こえたか、その人をもじったものか、二つの解釈あり縦書き文庫版(秋6)の記載秋2722 かんきん(漢琴)は鴫しぎに任まかせて冬籠ふゆごもり秋2722a 冬籠ふゆごもり鶯うぐひす与二郎よじらうと呼よばれけり(いずれも七番日記 文化11年、秋2722aは冬の部に移動)参照: 縦書き文庫版「一茶発句集」秋6
姥捨山伝説とは
コトバンク: 小学館日本大百科全書(ニッポニカ)より引用 歩けない老人を奥山に捨てる慣習に種々の事件が伴う伝説。その代表的なものが信州更級の姨捨山(おばすてやま)にまつわる伝説である。 伝説の型は二つある。その一は、昔、国王から老人は不要だから捨てよとの命で、ある孝行者は、この法令が守れず家の中にそっと隠しておいて、のちに他国からの難題を、隠しておいた老人の知恵で解き、褒美をもらった、という型。その難題には、蟻通し、木の本末の別、馬の親子や蛇の雌雄の識別、灰の縄、打たぬに鳴る太鼓など種々あり、昔話の「灰縄千束」「打たぬ太鼓に鳴る太鼓」などに変化したものもある。『俊秘抄』上や『袋草子』4に伝わる蟻通明神の話や謡曲『蟻通』にもなっている。難題型の棄老説話は『雑宝蔵経』巻1「棄老因縁」に基づくもので、『今昔物語集』巻5の32、『打聞集』第7、『雑談集』巻4などに載せられる。 その二は、『大和物語』157段で知られる説話。信濃のある男が親を失って姥をたいせつにしていたが、妻が憎むので捨てなければならなくなる。月夜に姨捨山に捨てるが、耐えきれず「我が心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」の歌を詠み、迎えに行ったということになっている。昔話では山の神から打ち出の小槌を入手する縁となる「老婆致富型」、親が背負われながら子の帰途が迷わぬように枝を折ってゆく「枝折り型」、親を運んだもっこで逆に諭される「親捨てもっこ型」の三つを後者から分け、これらに「難題型」を加えて、4型に分類している。[渡邊昭五]『大島建彦著『姥棄山の昔話と伝説』(『説話と説話文学』所収1979笠間書院)』
縦書き文庫「一茶発句集」
縦書き文庫版「一茶発句集」の進捗状況は下の表のとおりです。校閲者に助けられ友人に励まされながら日々少しずつ作業しています。秋の部をアップしたあと春の部の再校・校閲を行い、冬・雑の部の制作に取りかかる予定です。 新年の部・春1 春の部 [25年10-12月に全面修正] 夏の部 秋の部 冬・雑の部 [26年前半に入力予定] 全体編集と索引作り[26年後半予定] 季節縦書き文庫にアクセスし、ページ下にある目次の季語をクリックすると該当ページに跳びます新年1元日・年立つ・今年・正月・今朝の春・明の春・御代の春・君が春・玉の春・花の春・松の春・江戸の春・旅の春・庵の春・おらが春・初春・春立つ・春来る・小正月・初日・初空・御降り・恵方・御忌参り・畚下し・人日・斎日・百足小判・店おろし・粥杖・どんど・藪入り・子の日・蓬莱・喰積・門松・飾・福茶・福わら・水祝・年始・年玉・筆始・初暦・初夢・初笑ひ・稲積む・諷ひ初・弓始・若湯・ふいご始・罪始・着衣始・春着新年2春1若水・年男・手まり・羽つき・凧・万歳・猿廻し・大黒舞・獅子舞・春駒・雑煮・若餅・鏡餅・歯固め・福鍋・福俵・屠蘇・寝正月・七草・若菜つみ・薺つみ・初鶏・初烏・初声・若菜・福寿草二月・三月・春めく・春寒・冴返る・春辺・長閑・春の日・日永・春の宵・春の暮・春の夜・春深し・行く春・春惜む春1春の雪・春の霜・春の露・春雨・春風・東風春2春の月・朧・春の紅・春の雷・霞・陽炎・佐保姫・凍解・氷解・雪解・春の山・春の野・春の海・春の水・水温む春3苗代田・涅槃・初午・彼岸・開帳・安良居祭・峰入・壬生狂言・御影供・出代り・二日灸・桃の節句・雛・菱餅・草餅・曲水・山吹衣・鶏合せ・汐干・炉塞・ふらんど・野遊び・つみ草・茶つみ・山焼・野焼・麦田植・田打・畑打・種俵・種蒔く・苗木植う・接木・挿木・菊根分春4猫の恋・猫の子・鹿の角落つ・鳥の巣・巣立鳥・呼子鳥・雀の子・鶯春5乙鳥・雲雀・雉・鷹化して鳩となる・帰る雁・鳥雲に入る・引鶴・田鼠化して鶉と成る・地虫出づ・蛇穴を出づ・蟇穴を出づ春6蛙・蝶春7蚕・虻・蜂・花見風・白魚・若鮎・身寄虫・蟹・田螺・蛤・蜆・浅蜊・草の芽・二葉・若草・草青む・蒲公英・あざみ・桜草・柳草・九輪草・菫・ぺんぺん草・芹・餅草・菜の花・壬生菜・春大根・茎立・いたどり・杉菜・土筆・蕨・海苔・木の芽・つつじ・椿・藤春8梅春9花春10桜・桃の花・海棠・小米花・山吹・辛夷・樒の花・榛の木の花・柳・松の花・松の緑夏1夏めく・卯月・六月・夏の暁・日盛り・炎天・夏の夜・短夜・暑し・涼し・土用・卯の花腐し・入梅・入梅晴れ・五月雨・五月晴れ・五月闇・虎が雨夏2夕立・夏の雨・雲の峰・雷・夏の月・夏の雲・青嵐・富士の雪解・夏山・夏野・清水・青田・祭・葵祭・灌仏・筑摩鍋・夏籠り・夏花・富士詣で・浅草富士詣で・御祓夏3茅の輪・形代・麻の葉流す・祇園会・菖蒲葺く(端午)・菖蒲酒・菖蒲湯・桃の湯・幟・粽・薬降る・嘉定喰・照射・川狩り・鵜飼・雨乞ひ・裸・汗・夏痩せ・更衣・袷・綿抜き・帷子・羅・蝉の羽衣・夏羽織・浴衣・汗拭ひ・日傘・夏座敷・青簾・蚊帳・寝蓙・簟・昼寝夏4扇・団扇・蚊やり・打水・虫干・涼み・田植・氷夏5鹿の子・ほととぎす・かっこう・鶯・よしきり・蛇・ひき蛙夏6ほたる・火とり虫・ぼうふら・蚊夏7蠅・蚤・蝉・かたつぶり・かつを夏8夏草・草茂る・草いきれ・夏菊・昼顔・夕顔・踊り花・藪虱・芥子の花・美人草・青蔦・葵・芍薬・牡丹・蓮・なでしこ・常夏・釣り荵・辷り莧・蓼・麻・かきつばた・花菖蒲・百合の花・芭蕉の花・うきくさ・石菖・蚊帳釣り草・早苗・麦・麦わら・麦笛・芦・蒲・藺・青芒・一つ葉夏9苔の花・若竹・竹の子・瓜の花・瓜・真桑瓜・茄子・胡椒・若葉・青葉・病葉・夏木立・木陰・茂り・木下闇・松葉散る・楠の花・柿の花・石梨・合歓の花・紫陽花・卯の花・茨の花・青瓢・梅の実・李・いちご秋1七月・葉月・菊月・秋立つ・初秋・二百十日・残暑・秋寒・やや寒・肌寒・朝寒・夜寒・冷やか・有明・秋の寝覚・秋の暮・秋の夜・夜長・秋さび・暮の秋・秋惜む秋2天の川・月・盆の月・三日月・待宵・名月・月蝕・十六夜・立待月・寝待月・後の月・秋の空・秋の雲・秋日和・秋の雨・秋時雨秋3秋風・初嵐・野分・露けし・露・露霜秋4稲妻・霧・秋の山・秋の水・秋の野・刈田・盂蘭盆・魂祭・生身魂・迎へ火 送り火・墓参り・灯籠・摂待・施餓鬼・大文字の火・妙法の火・草市・後の藪入り・後の出代り・三井寺女詣・踊・七夕・梶の葉・星合・蚊屋の別れ・御射山祭秋5駒引き・御難餅・八朔・放生会・鳴滝祭・菩薩祭・重陽・九日袷・後の雛・花火・角力・案山子・鳴子・田守・出来秋・落し水・毛見・下り梁・鳩吹・砧・牛蒡引く・豆引く・柚味噌・焼き米・新米・新酒・濁り酒・秋雑秋6鹿・啄木鳥・鵙・鶉・鴫・雁・乙鳥帰る・渡り鳥・山雀・小雀・四十雀・鶺鴒・蛇穴に入る・蛙穴に入る秋7虫・屁放虫・秋の蝶・蓑虫・秋の蚊・秋の蝉・日ぐらし・つくつく法師・蜻蛉・茶立虫・こほろぎ・松虫・鈴虫・いとど・いなご・機織・きりぎりす・ばつた・藻に住む虫・蟷螂・みみず鳴く・さび鮎・鰯・初鮭・河鹿秋8秋の草・葎の花・草の花・草の実・草紅葉・末枯・菊・野菊・紫苑・桔梗・朝顔・女郎花・蔦秋9萩・葛・みそはぎ・吾木香・白粉の花・鶏頭・千日紅・そばの花・蓼の花・蘭の花・芭蕉・曼珠沙華・零余子・芋・秋茄子・稲・新わら・穭・黍・煙草・ほほづき・唐辛子・ひよどり上戸・芒・芦の花・狗子草・角力取草・荵草・紅葉・柿紅葉・綿の穂・柳散る・桐一葉秋10柿・ざくろ・木槿・ぶだう・梅もどき・みかん・金柑・梨・瓢・糸瓜・西瓜・南瓜・鳥瓜・山椒・南天の実・あけび・木の実・栃の実・椎の実・団栗・栗・色変へぬ松・松笠・きのこ冬(1)一茶発句集 冬1 (wakibitos)冬(2)一茶発句集 冬2 (wakibitos)冬(3)一茶発句集 冬3 (wakibitos)冬(4)一茶発句集 冬4 (wakibitos)雑一茶発句集 雑 (wakibitos)注太字の季語は句数が多いものを示します 俳諧寺社中校正『一茶發句集』佛都仁龍堂梓「おのれが姿にいふ、ひいき目に見てさへ寒きそぶりかな」、『七番日記』化15 「ひいき目に見てさへ寒き天窓哉」「ひいき目にさへも不形な天窓哉」「ひいき目に見てさへ寒し影法師」
Korean folk songs
70年代前半に 양희은、양병집などLPレコードで韓国のフォークソングをよく聞いた。韓国語を学ぶためでもあった。奥多摩を山歩きしながらよく歌った。80年代になるとカセットで 해바라기 の曲をくり返し聞いた。 70년대 전반에 양희은, 양병집 등의 LP 레코드로 한국 민요를 자주 들었다. 한국어를 배우기 위해서이기도 했다. 오쿠타마에서 산책을 하며 자주 불렀다. 80년대에 들어서는 카세트 테이프로 해바라기의 곡을 반복해서 들었다. 深夜廊下の奥の部屋に灯りが、誰もいないはずなのだが..... https://youtu.be/qLg0erjLdxY?si=YuKlvLL5o7ls_ggm https://youtu.be/Ff5slliqpCk?si=yy9nxF7wgQhLOzqb https://youtu.be/0H5Zo66D1YU?si=G3JMPPZhNrm0TFqh
一茶とかゞし
「一茶発句集」(縦書き文庫)秋5に案山子かがしにまつわる86句が載っている。その一つ「夕ぐれやかがしと我と只二人」(1818年秋)が気にかかる。1814年5月50歳で結婚した一茶は翌年に生まれた長男を1ヵ月足らずで失うが、その3年後に長女さとを得ている。この句が作られたのはその2ヵ月後------彼の生涯でもっとも幸福な時期といえなくもないのに、この句が伝える孤独感は何に由来するのだろうか。参照: 一茶と賢治 「잇싸 발구집」(세로쓰기 문고) 가을 5에 허수아비에 관한 86구가 실려 있다. 그중 하나인 「저물녘 허수아비와 나 단둘이」(1818년 가을)가 마음에 걸린다. 1814년 5월 50세에 결혼한 잇싸는 이듬해 태어난 장남을 한 달도 채 안 되어 잃었지만, 그로부터 3년 후 장녀 사토를 얻었다. 이 구가 만들어진 것은 그로부터 두 달 후------그의 생애에서 가장 행복한 시기라고 할 수 …
線香のかおり
週に2回友人宅に通うようになって3ヵ月になる。家から自転車で約40分、世田谷通を抜けて少し走ると、住宅街の一角にある彼の家に着く。その玄関脇に自転車をとめて一息つくと、蚊取り線香の香りと豚を象かたどった陶器が温あたたかく迎えてくれる。友人の心くばりがありがたい。 친구 집에 주 2회씩 다니기 시작한 지 3개월이 되었다. 집에서 자전거로 한 40분, 세타가야 거리를 지나 조금 달리면 주택가 한켠에 있는 그의 집에 도착한다. 현관 옆에 자전거를 세우고 한숨 돌리면, 모기향 냄새와 돼지 모양 도자기가 따뜻하게 맞아준다. 친구의 세심한 배려가 고맙다. https://videopress.com/v/4LJJc6PI?resizeToParent=true&cover=true&preloadContent=metadata&useAverageColor=true 背と目からけむりを吐くや蚊取り豚
一茶と賢治
一茶の俳句は人や動植物など仏教でいう有情のほか、山川や岩などの非情にも感情移入することが多い。同じ傾向が宮澤賢治の詩にも顕著だ。一茶は句に南無阿弥陀仏を挿入したり、西方浄土に思いを馳せるような句を創る。賢治は自ら法華経の行者を名のり、修羅界の巨人のように描き、南無妙法蓮華経ナモサダルマフンダリキャソタランと書いてあたかも題目を唱えるようにふるまう。 宗派こそ違え、二人はいずれも仏教的生命観を持っていた。一茶の句を読み込みながら、その基盤に仏教的世界観があることを強く感じる。それは賢治の詩が仏教的宇宙観に通じているのと同じだ。高校時代に水沢で過ごして以来親しんでいる賢治と晩年に出会った一茶の世界が僕のなかでつながった、感動すら覚える。 一茶が自分の老いぼれた姿を重ねた野山に立ち尽くす案山子かがしと賢治が雨ニモマケズに描いた木偶でくの坊ぼうはどこか共通していて、不軽菩薩ふぎょうぼさつの化身の姿と言えなくもない。二人とも単に有情非情に感情移入し一体化しているのではない、その表現を通じてそれぞれの抱く仏教的な生命観宇宙観を謳いながら自分を客観しているのだ。 잇사(小林一茶 1763-1828)의 하이쿠는 사람이나 동식물 등 불교에서 말하는 유정(有情) 외에도 산천이나 바위 같은 무정(無情)에도 감정을 이입하는 경우가 많다. 같은 경향이 미야자와 겐지(宮澤賢治 1896-1933)의 시에도 뚜렷하다. 잇사는 구(句) 속에 남무아미타불을 삽입하거나 서방정토를 표현한다. 겐지는 스스로 법화경의 수행자라 칭하며, 남묘묘법연화경 (나모 사달마 훈다리캬 소타란)이라 쓰기도 한다. 종파는 달랐지만, 두 사람 모두 불교적 생명관을 지니고 …
예술과 혈통
評判の映画「国宝」をみた。歌舞伎役者の家に生まれた俊介とやくざの家に生まれ組の抗争で父を亡くした喜久雄の二人を中心に1964年から約50年の時間軸で物語が展開する。喜久雄は歌舞伎役者の家に預けられ、家の長男で同い年の俊介と同じ高校に通い、日々ともに厳しい稽古を受ける。歌舞伎界に血筋のない喜久雄はひたすら藝を磨き、俊介が継ぐはずだった父親の藝名を襲名する。 襲名できなかった俊介は喜久雄の愛人だった女性と一緒になり、長いあいだ歌舞伎界から遠ざかる。襲名した直後、後援者だった俊介の父が急逝すると喜久雄の運命も一転し、歌舞伎界の先輩格の人の娘との情交が発覚すると歌舞伎界から追放されて彼女と二人で地方どさ回りの日々を送りながら荒んでゆく。その間に俊介は長いブランクにも拘わらず歌舞伎界に復帰しもてはやされる。 単純化すれば、藝と血が併走できた高校時代とその後の二人の女形コンビの時期が続いたあと、喜久雄の襲名によって藝が勝ち、俊介がブランクを経て歌舞伎界に回帰することで血が勝つが、彼は病いのために片脚の切断を余儀なくされる。 片脚の俊介が女役で喜久雄が男役を演じる曽根崎心中の場面は圧巻だが、まさに血と藝の競演だとも云える。数年後に喜久雄が人間国宝に指名されることで再び藝が勝つ。国宝になった喜久雄の写真撮影を彼の娘が担当し、父の藝を称賛しつつも父親失格を責めることで、歌舞伎役者として藝を極めるために家族という血縁関係を犠牲にしたことを浮彫りにする。 映画監督は在日3世の李相日で、いつか歌舞伎の女形をテーマに映画制作を考えていたところ、吉田修一の小説を契機に制作に取り組んだようだ。偏見を恐れずに云えば、この作品は在日の彼だったからできたのだと思う。3時間という時間飽きさせない濃密な映画だ。個人的には笑わせる場面があったらと思うが、歌舞伎という伝統藝能と血(民族)を扱う作品である以上やむを得ないのかもしれない。 https://m.youtube.com/watch?v=DAiq_4YWXow&pp=0gcJCRsBo7VqN5tD 명작 영화 "국보"를 봤다. 가부키 배우의 집안에서 태어난 슌스케와 야쿠자의 집안에서 태어나 조직의 갈등으로 아버지를 잃은 기쿠오를 중심으로 1964년부터 약 50년의 시간을 따라 이야기가 펼쳐진다. 기쿠오는 가부키 배우의 집에 맡겨져 그 집 장남이며 같은 나이인 슌스케와 같은 고등학교에 다니며 매일 엄격한 연습을 받는다. 가부키계에 혈통이 없는 기쿠오는 예술을 갈고닦아, …
一茶の諧謔精神
一茶発句集秋の部にルビを振る作業をしながら茶翁の諧謔かいぎゃく精神にふれる楽しみは何事にも代えがたい。以下の句では当時人々のあいだに流通していた七夕たなばた伝説の俗人化をもとに、伝統的な雅みやびの世界を諷刺しているようにみえる。かといって厭世えんせい主義に陥ってはいない、茶翁の魅力ここにありと云うべきか。 잇사(一茶) 발구집 가을 편에 루비를 붙이는 작업을 하면서 그의 유머와 풍자 정신을 느끼는 즐거움은 무엇과도 바꿀 수 없다. 아래의 구절에서는 당시 사람들 사이에서 유행하던 칠석 전설의 속화(俗化)를 바탕으로 전통적인 우아한 세계를 풍자하고 있는 것처럼 보인다. 그렇다고 해서 세상에 대한 절망에 빠진 것은 아니며, 잇사의 매력은 바로 여기에 있다고 할 수 있을 것이다. おり姫ひめに推参すいさんしたり夜這よばひ星ぼし 寛政句帖 …
友人の理髪師
前回、美容室で髪を切ってもらってから1ヵ月半、そろそろまた切ってもらわなければと思いつつ、時間が経っていた。そんなとき、ふと友人が自分で髪を切っていたことを思い出した。彼にカットをお願いしたところ快諾してくれたので、自転車で1時間半ほどかけて訪ねた。 彼の家に上がると、すでに銀マットが敷いてあり、新聞紙も広げてある。髪切りのとき体を覆うビニールも用意され、電動バリカン、はさみ、くし、梳きばさみも揃っている。僕は汗ぐっしょりのシャツを着たまま体をビニールで覆われ、首周りを紐で結ばれ、銀マットの上に胡座をかいた。 バリカンの音が鳴り出すと、僕はひたすら切り過ぎないようにお願いした。床屋でも美容室でも髪を切ってもらうと、あまり短くしないように頼んでも、大抵はいかにも切ってきた感じにされる。それを好まない僕は、友人にその要望をくり返し強く伝えた。仕上がりは大いに満足のゆくものだった。 지난번 이발소에서 머리를 자른 지 1개월 반이 지나서, 이제 다시 자르러 가야겠다고 생각하면서도 시간이 흘러버렸다. 그럴 때, 친구가 스스로 머리를 자르고 있었다는 것을 떠올렸다. 그에게 머리를 자르러 달라고 부탁했더니 바로 동의해 주었으니, 자전거로 1시간 반 정도 걸려 찾아갔다. 그의 집에 들어가자 이미 은색 매트가 깔려 있고 신문지도 펼쳐져 있었다. 머리 자를 때 …
わが庵
友人宅の2階部屋で作業していたが、Wifiの接続がよくないので、1階の庭に面したサンルームのような所に移動した。数十年ぶりの座卓になった。一茶晩年の土蔵に思いを馳せる。 친구 집의 2층 방에서 작업을 하고 있었지만, Wifi 연결이 잘 안 되어서 1층 정원에 면한 선룸 같은 곳으로 이동했다. 수십 년 만에 앉는 탁자가 되었다. 잇사가 노년에 살았던 토장(흙집)이 생각 난다. 南面ドアの網戸から涼風が入ってくるガラスを張った屋根を植物と泥が覆っている西側の引き戸から庭を見る南面ドアを見上げると栗の樹が https://videopress.com/v/1FV5avLk?resizeToParent=true&cover=true&preloadContent=metadata&useAverageColor=true 西面のガラス戸を開け耳をすますと蟋蟀の声が
墓考
墓って何だろう、なぜみな墓を持ちたがるのだろう、その規模を誇るかのように、あるいは出自を確かめるように、定期的に詣でるのだろう。死後に遺骨の行き場所があるという慰みを得るためだろうか。僕には詣でる墓がない。 무덤이란 무엇일까? 왜 사람들은 무덤을 갖고 싶어할까? 그 규모를 자랑하듯, 혹은 출신이나 혈통을 확인하듯, 정기적으로 방문하는 것일까? 사후에 유골의 안식처가 있다는 위안을 얻기 위해서일까? 나에게는 방문할 무덤이 없다.
Ikegami Honmonji
自宅から自転車で池上本門寺へ。三浦梧楼公使率いる朝鮮の明成ミョンソン皇后惨殺*の首謀者、岡本柳之助(1852-1912)や朝鮮との交易で財をなした大倉家、衆院議員や韓国公使等を輩出した花房家ほかの墓が並ぶ広大な墓地の一角を訪ねた。*韓国では乙未事変、日本では閔妃殺害、1895(明治28)年10月 자택에서 자전거 타고 이케가미 혼몬지(池上本門寺)로 가서, 조선왕조 명성황후 암살*의 주모자 오카모토 류노스케(1852-1912), 조선 경영으로 재산을 모은 오오쿠라 가문, 중의원 의원과 한국 공사등을 배출한 하나부사 가문 등 여러 무덤이 늘어선 광활한 묘지의 한 구역을 방문했다. *을미사변 1895년 10월 https://videopress.com/v/qcFCxE2R?resizeToParent=true&cover=true&preloadContent=metadata&useAverageColor=true 岡本柳之助(1852-1912)の墓 参道から本堂へと続く石段(此経難持の坂、加藤清正寄進)岡本柳之助の墓大倉家の墓花房家の墓 https://videopress.com/v/BqYCxNJU?resizeToParent=true&cover=true&preloadContent=metadata&useAverageColor=true 力道山こと김신락・百田光浩(1924-63)と妻田中敬子の墓と周辺