昨日(22日)は、詩人のユンドンジュ(尹東柱)とチョンジヨン(鄭芝溶)が通った京都の同志社大学を訪問し、松岡隆学長にお会いしました。 この学校を設立した新島襄は、明治維新以前に激変する世界を知るために、米国に密航しました。ボストンでキリスト教の教育を受け、キリスト教精神に基づいた「良心的な人材」を育成するために、帰国後にこの学校を設立しました。 2025年に建学150周年を迎えます。 建学の精神が「良心教育」であり、自由主義、キリスト教主義、国際主義を教育理念としている、先駆的な姿勢に頭が下がる思いがします。 この建学の精神、韓国と深い縁からか松岡学長との会話は、あえて呼吸を合わせる必要もありませんでした。松岡学長は豊富な資料を用意し、学校に関する説明や韓国との交流の重要性を心を込めて説明してくださいました。 翌23日の朝、同志社大学の2025年ビジョンを説明する新聞の全面広告が目に止まりました。 会談は同学の工科大学がある京田辺キャンパスで行われましたが、そこからわざわざ京都御所の近くにある今出川キャンパスまで30分ほど移動し、キャンパスの一角に並び立つ尹東柱と鄭芝溶の詩碑を、参拝するような気持ちで見入っていました。
029 윤동주, 정지용 시인이 다니던 교토의 도시샤대학교
어제(22일)는 윤동주, 정지용 시인이 다니던 교토의 도시샤대학을 방문해, 마쓰오카 다카시 학장을 만났다. 이 학교를 세운 니지마 조는, 메이지유신이 일어나기도 전에 격변하는 세계를 알기 위해 미국으로 밀항했다. 보스턴에서 기독교 교육을 받고 기독교 정신에 기초한 '양심적인 인재'를 양성하기 위해 귀국해 이 학교를 세웠다. 2025년이 건학 150주년이 된다. 건학 정신이 '양심 교육'이고, 자유주의, 기독교주의, 국제주의를 교육 이념으로 삼고 …
今日の歳時記: 沖縄・慰霊の日
沖縄の 暦にありし 慰霊の日 昭和二十年(1945)のこの日、激戦をきわめた沖縄戦の組織的戦闘がおわったことにちなんで、アメリカ施政権下の琉球政府及び沖縄県が定めた記念日。 本土復帰後は日本の法律が適用となって 「慰霊の日」は法的根拠を失ったが、昭和四十九年(1974)に沖縄県が条例によって、新たに、「慰霊の日」として定めた。 沖縄戦による戦没者の霊をなぐさめ、更に、平和を祈ることであり、「よりよい社会、より豊かな生活を築き上げる為に、住民こぞって祝い、感激し、また祈念する」としている。 彼等に寄り添いたい…
零れ話: ショウソウイン[正倉院]
奈良の東大寺正倉院の通称。 建立は、奈良時代(756)。 「 正倉 」とは、元来「正税を納める蔵」の意で、大寺には、上納された物を保管するために設けられていた。 聖武天皇が亡くなった時、その妃の光明皇太后が、天皇の遺品を収めたもの。 北・中・南の三倉に分かれ、校倉造(あぜくらづくり)といわれる防湿建築様式をとっている。 収蔵品は、当時の貴族階級の調度品、楽器、武具など貴重な物ばかりである。 毎年、奈良国立博物館で「 正倉院展 」が十月末から二週間ほど開催され、今年で七十回目を迎える。 温故知新ではないが、古の状況を踏まえて、文化の伝播を如何にするかを考えてみることも、時には必要で、新たな発想につながるのでは…と思う。
028j 授業参観が民族学級の生徒や関係者の力になれば
19日、大阪市生野区にある中川小学校を訪問し、民族学級の授業を参観しました。前日の地震もありキャンセルしようとしましたが、学校側が構わないというので訪問しました。この学校は、在校生325人のうち137人が民族学級に参加しており、国籍に関係なく韓国にルーツのある生徒が60%にのぼります。 行ってみると、校長先生も歓待してくれ、生徒たちも韓国総領事の来訪のためたくさんの準備をして、大いに楽しみにしていたようで、地震直後という負担感が少し楽になりました。 参観した授業は、4年生19人が参加する「ふるさとさがし」という授業でした。大半の生徒は4年生と3年生でした。済州島出身の生徒がなんと15人、全南が2人、慶南が1人でした。授業時間に先生が質問すると、生徒たちが互いに競争するように手を上げ積極的に取り組む姿が印象的でした。 授業が終わった後、5人の生徒が私の前で自分たちが民族学級で韓国関連のことを学ぶ理由ときっかけについて発表し、民族学級を応援してくださいと訴えたときは、やや目が潤みました。 私の授業参観がこれら生徒にとどまらず、民族教育のために努力する方々の力になればと思います。
一身にして二生を経るが如く
6月中旬、米国のシアトルに約1週間滞在した。2年間のMBA課程を修了した娘の卒業式に参席するためだった。卒業式のプログラム表紙に Commencement とある。「始まり」の意味しか知らなかったが、米語では大学の卒業式をいうらしい。 卒業式はアメリカの青春ドラマそのものだった。幼子を抱き、子どもと手をつなぎながら卒業証書を手にする登場人物たちを見ながら、こういう体験をできる彼らを心から羨ましく思った。日本の卒業式とはあまりにもかけ離れていた。夕方約2時間、誰のスピーチも司会もないパーティが、MBAの建物のロビーほかで行われ、その後、場所を移動して、夜7時から約2時間の式が催された。 冒頭、TEDを思わせるステージ上を歩きながら体験を交えて語りかける大学理事のスピーチがあり、続いて Evening と Full time の卒業生代表のスピーチが行われた。後者の一人は日本の鹿児島県出身だった。会場にいたであろう母親に向かって「…この場を借りて」とひと言だけ日本語で感謝の言葉を伝えていた。いずれも感銘深い内容だった。 時代と家庭環境 誰でも留学できる時代だから、時代が彼女を後押ししたといえよう。とはいえ、大学院に留学して卒業することは容易ではない。それに挑戦しようとすること自体、相応の精神力と体力が求められる。彼女はなぜ挑戦しようと考えたのか。幼いころからまっすぐで無謀なところがあったが、無謀さだけでは留学しようと思わないだろう。さまざまな要因があったろうが、彼女を押したのは母親だったろうか。やはり、彼女の無謀さだったろうか。 とはいえ、外国語という壁も大きかったろう。元来、勉強するよりは身体を動かしているのが好きだった。それらを補い、MBA 留学するために、1年間 MBA 専門の予備校に通った。そういう準備をしても、留学してから半年ぐらいは授業についていくのがやっとだったようだ。文化や制度を含む外国語の壁は想像以上に高い。 教育風土 文化や制度のなかで最も大きい違いは教育風土だったように思う。戦後、日本は米国の教育制度を押しつけられたが、教育風土までは変えなかったようだ。藩校や私塾、寺子屋などが日本の伝統的な教育風土を培ったのだろうか。家庭や社会そのものに根ざした風土だろうか。授業中は教師の話を静かに聴くように教えられ、目上の人をただ年上というだけで敬うように教え込まれ、その人と対立する意見を述べることは失礼だと習った。こういう教育風土を「儒教的」ということもできるだろう。 米国の教育風土はまったく異なるようだ。大学院では、教授が講義しているさなかに学生たちがひっきりなしに質問し、コメントし、意見を述べるそうだ。初等教育以来そういう風土で育った人々のなかで「儒教的」な風土で育った者が、教授に対して自分なりのコメントをし、意見を述べるのは容易ではあるまい。韓国や日本の学生は、なかなかこの風土になじめないだろう。現代の韓国や日本が儒教社会だとは思わないが、欧米と比較して「儒教的」なのは否めないと思う。 福澤諭吉の「一身にして二生を経るが如く」を思い出す(『文明論之概略』)。彼のいう「二生」とは、江戸時代の封建社会と明治時代の欧米化した近代社会のことだと思う。人は一生のあいだになかなか「二生」を経験できない。それを娘が体験したであろうことを誇らしく思う。
028 나카가와소학교를 방문해 민족학급 수업을 참관
19일 오사카시 이쿠노구에 있는 나카가와소학교를 방문해 민족학급 수업을 참관했다. 전날 지진으로 취소하려고 했는데, 학교 쪽에서 와도 된다고 해 방문했다. 이 학교는 재학생 325명 중 137명이 민족학급에 참석하고 있고, 국적에 관계없이 한국 뿌리가 있는 학생이 60%나 된다고 한다. 가 보니 교장 선생님도 환대해주고, 학생들도 한국 총영사가 온다고 많은 준비를 하고 기대하고 있었다고 해 마음이 가벼워졌다. 참관한 …
今日の歳時記: タケキリエシキ[竹伐り会式]
空気裂く 竹伐会式の 山刀 蒲田 皓兵 今より千年余り前の昔、寛平年間( 889-98 )に、峯延上人が鞍馬山にこもり、行をしていた時、オスメス2匹の大蛇が現れたが、上人の仏法の力でこれを制したという。 大蛇が上人の説法に服したので、後に祠(ほこら)をつくって祀り、大蛇になぞらえた竹を伐って、大蛇退治の行事を行うようになり、同時に、農作の吉凶を占うようになった。 この日、本堂に大竹四本を置いて、そのうち根のついた二本をメス蛇に、根のない二本をオス蛇に見立てて、東西二組に分かれた法師が、掛声掛けて堂に上り、この大竹を山刀で伐って堂内に駆け入る。 この遅速によって勝負を決め、東が早ければ近江の勝ち、西が早いと丹波の勝ちとしている。 勝負は時の運、どちらが勝っても、共に恵み多かれと祈る。
027j 大阪地震に関連、NHK WORLDがインタビュー
昨日、大阪地震に関連、NHK WORLD がインタビューした内容が放送されました。 ---------- オテギュ在大阪韓国総領事のインタビュー内容をお送りします。 大阪で発生したマグニチュード6.1の地震に際し、駐大阪総領事館では地震発生直後から状況対策室を設置しました。約1週間のあいだ SNS を介して在日コリアンや韓国人旅行者のため、余震や二次災害への警戒を呼びかけたり、公共交通機関の情報を発信しています。 今回の地震対応を振り返り、在外公館の災害時の役割、そして懸念される南海トラフ巨大地震への備えについて聞いてみましょう。[以下略]
027 엔에이치케이 월드와 인터뷰
제가 어제 오사카 지진과 관련해 <엔에이치케이 월드>와 인터뷰한 내용이 방송됐습니다. 오태규 오사카주재 한국총영사의 인터뷰를 보내드립니다. 지난 6월18일에 오사카에서 발생한 규모 6.1의 지진때에는 주 오사카 총영사관에서 지진 발생 직후부터 상황실을 설치해 약 1주일 동안 SNS를 통해 재일코리언이나 한국인 여행자를 위해 여진이나 2차 재해에 대한 경계를 당부하거나 대중교통 정보를 계속 발신했습니다. 이번의 지진 대응을 뒤돌아보면서 재외공관의 재해시의 …
零れ話: ウツギ[空木]
ウツギの名は、茎が中空であることからといわれる。 また、名の頭文字をとって「 卯(う)の花 」とも呼ばれ、初夏の風物詩とされてきた。 藪や林に雪が積もったように白い花を咲かせる。 そこからの連想、花(雪)に埋もれて朽ち果てた草庵が一つ… そこに暮らしていた人の気配も薄れ…、ただ、影絵として佇む。 草庵は世捨て人の棲みかだが、世を捨てても、時の流れに呑み込まれてゆく…
026j 出勤してすぐ地震対応室を設置
午前9時ごろ出勤してすぐ、総領事館の5階会議室に地震状況対応室を設置しました。在日コリアンと韓国人観光客の被害状況を把握し、現地情報や対応策をホームページとエス・アンド・エスを介して伝播しています。 現在、民団ほか関連機関に連絡を取って申告電話などを把握した結果、まだ被害受付状況はありません。 総領事館職員も交通が途絶え、複数名が出勤していませんでしたが、全員の安全を確認できました。その後の状況を注視しながら継続して緊急態勢をとっています。
Commencement
6月中旬、米国のシアトルに約1週間滞在した。2年間のMBA課程を修了した娘の卒業式に参席するためだ。滞在中、2年間を振り返りながら、いろいろなことを考えた。 ちなみに、シアトルは西海岸ではなく、太平洋岸北西部に属すそうだ。アラスカ州、カナダのブリティッシュコロンビア州、ワシントン・オレゴン・アイダホ州を太平洋岸北西部と呼ぶらしい。英語: the Pacific Northwest (PNW) Commencement 卒業式の式次第に Commencement とある。「始まり」の意味しか知らなかったが、米国では大学の卒業式をいうようだ。 卒業式はアメリカの青春ドラマそのものだった。幼子を抱き、子どもと手をつなぎながら卒業証書を手にする登場人物たちを見ながら、こういう体験をできる彼らを心から羨ましく思った。 日本の卒業式とはあまりにもかけ離れていた。夕方約2時間、誰のスピーチも司会もないパーティが、MBAの建物のロビーほかで行われ、その後、場所を移動して、夜7時から約2時間の式が催された。 冒頭、TEDを思わせるステージを左右しながら体験を交えて語りかける大学理事のスピーチがあり、続いて Evening と Full time の卒業生代表のスピーチが行われた。いずれも感銘深い内容だった。卒業生たちの感動はいかばかりだろうか。 母親の娘に対する思い 2年間に妻は何度か娘を訪ねているが、僕は卒業式に合わせて一度行っただけだ。元来あまり勉強好きでない娘が授業について行けるか、留学生活に適応できるか、事故に遭わないか、病気にならないか、心配しない日は1日としてなかったようだ。 まったく心配しなかったと言えば嘘になるが、僕は常に何とかやるだろうと思っていた。気質の違いもあるだろうが、自分のいい加減さとともに、妻が娘を思う気持ちが想像以上に強いことを思い知らされた。 SNSが支えた交信 2年間を通じて娘が非公開のブログを書いてくれたので、彼女が感じ考えていることの一端を知ることができた。僕もときどきコメントした。決して短くはないブログが、2年間で225本を数えた。それを読むことで、娘との距離感がぐっと近づいたように思う。ブログ以外に Line や Skype を通じたやり取りがあり、日本国内で離れて住んでいたときより親密度が深まった気がする。 娘の人生と僕の人生 娘にとって僕は一人の男性として、父親として、また彼女の母親の夫として決してほめられる者ではなかったし、いいモデルを提供できなかった。一言で表現すれば、僕は反面教師の役割を果たしたのだろう。そう自己評価することで何とか自分と娘の関係を認めようとしているのだと思う。 時代と家庭環境 誰でも留学できる時代だから、時代が彼女を後押ししたといえよう。とはいえ、大学院に留学して卒業することは容易ではない。それに挑戦しようとすること自体、相応の精神力と体力が求められる。彼女はなぜ挑戦しようと考えたのか。幼いころからまっすぐで無謀なところがあったが、無謀さだけでは留学しようと思わないだろう。さまざまな要因があったろうが、彼女を押したのは母親だったろうか。やはり、彼女の無謀さだったろうか。 海外留学と外国語 海外留学しようと考えたときから、彼女には欧米しかなかった。アジアという選択肢をはじめから切り捨てていたように思う。優れた MBA 課程を持つシンガポールや中国という選択肢もあったはずなのだが。スポンサーの意向もあったろうか。 外国語という壁も大きかったろう。高校時代にバンクーバーで1年過ごしたとはいえ、英語力が不足していた。元来、勉強するよりは身体を動かしているのが好きだった。それらを補い、MBA 留学するために、1年間 MBA 専門の予備校に通った。そういう準備をしても、留学してから半年から1年は授業についていくのがやっとだったようだ。文化や制度を含む外国語の壁は想像以上に高い。 教育風土 文化や制度のなかで最も大きい違いは教育風土だったように思う。戦後、日本は米国の教育制度を押しつけられたが、教育風土までは変えなかったようだ。藩校や私塾、寺子屋などが日本の伝統的な教育風土を培ったのだろうか。家庭や社会そのものに根ざした風土だろうか。授業中は教師の話を静かに聴くように教えられ、目上の人をただ年上というだけで敬うように教え込まれ、その人と対立する意見を述べることは失礼だと習った。こういう教育風土を「儒教的」ということもできるだろう。 米国の教育風土はまったく異なるようだ。大学院では、教授が講義しているさなかに学生たちがひっきりなしに質問し、コメントし、意見を述べるそうだ。初等教育以来そういう風土で育った人々のなかで「儒教的」な風土で育った者が、教授に対して自分なりのコメントをし、意見を述べるのは容易ではあるまい。韓国や日本の学生は、なかなかこの風土になじめないだろう。 まさに、福澤諭吉のいう「一身にして二生を経るが如く」ではないか。なかなかできない経験だ。それを娘が体験してくれたことが誇らしい。 MBA を支える社会制度 MBA の学生たちはみな、よりよい条件の企業に転職する資格を得るために高額の授業料を払って2年費やすという(Evening MBA は3年)。米国社会には、彼らを受け入れる制度が設けられているということだ。 よりよい条件は人によって多様だろうが、その根底にあるのはより高い報酬とやりがいだろう。それを支えるのが資本主義経済と個人主義なのだろうが、望ましい条件を獲得できる者はごく一部に限られている。それは多くの人々にとって高嶺の花だ、という見方を僕は身につけている。彼らから見れば、僕は資本主義社会の敗者なのだろう。 限りある人生 人の生涯にいくつか節目があるように、人生にはさまざまな「限り」がある。その最たるものが死であり、万人に共通だとされる。娘の生き方を見ていて、ひとつの節目を通過したように思う。同時に、僕もひとつの節目を過ぎたと思う。この2年間、僕なりのやり方で彼女とその母親である妻と伴走したことがそう思わせるのだろう。
026 출근하자마자 지진대응상황실을 설치
오전 9시께 출근하자마자 5층 회의실에 지진대응상황실을 설치하고, 동포와 관광객 피해 여부를 파악하고 현지 정보 및 대응 방안을 홈페이지와 에스앤에스를 통해 전파하고 있습니다. 현재 민단과 관련 기관에 연락을 취하고 신고전화 등을 파악한 결과, 아직 피해 접수상황은 없습니다. 총영사관 직원도 교통 두절로 일부 출근하지 못했으나 안전은 모두 확인되었습니다. 이후 상황을 주시하면서 계속 비상태세를 취하고 있습니다.
025j 震度6の大地震に襲われて
大阪に赴任して最大の地震を体験しました。震度6だそうです。午前8時ごろ、ゴオーという音がしたかと思うや、家のなかで立っていられないほど激しく揺れました。慌てて床に倒れ、膝に軽い擦り傷を負いました。家中あちこちの植木鉢や額縁などが破損しました。恐ろしいこと、この上もありません。 震源地に近く、マンションの12階なので、ことさら揺れがひどかったようです。
025 진도 6의 큰 지진을 겪었다
오사카에 부임해 가장 큰 지진을 겪었다. 진도 6이라네요. 오전 8시께 우두둑하는 소리가 나면서 집안이 서 있을 수 없을 정도로 흔들렸다. 바닥에 급하게 엎드리면서 무릎에 약간 찰과상. 집 안 여기저기 화분, 액자 등 파손. 무시무시하네요. 집이 진앙에 가깝고 12층이어서 흔들림이 더욱 심했던 것 같습니다.
今日の歳時記: タケノアキ[竹の秋]
竹落葉して 古き日の かかりけり 永田 耕衣 竹類の葉は一年で生え変わるが、夏に入る頃、竹は盛んに枯葉を落とす。 この時期を“竹の秋”という。 その降りしきる高みに、太陽が一つぽつんと浮かんでいる。 太陽に古いも新しいも無いはずだが、竹の落葉から、太陽をも古びたように感じたのかも… 輪廻の現れを眼前にし、遠い昔への追憶を誘うような閑寂の境地。 己の老い先が、ふと、頭をかすめる…
零れ話: アマガエル[雨蛙]
木の葉や草の上にすみ、夕立の前などに“キャクキャクキャク”と鳴く小さな蛙で、体長四センチぐらい。 四肢の指先に吸着版が有って、物に吸い付く。 四月の初め頃、冬眠からさめる。 葉や草の上にいる時は緑色をしているが、木の幹や地上に移ると、たちまち茶褐色に変ずる。 保護色の好例。 ところで、環境変化に気付けないで、ゆでガエル症候群(ゆでガエル理論)におちいると、ビジネス社会でいわれていたが、科学的に証明されたものではなく、一つの警句にはなっているが、作り話のようである…
今日の歳時記: ヤーチャイカ[私はカモメ]
積み立てて 宇宙旅行は 夢の夢 八木 柳雀 昭和三十八年(1963)のこの日、旧ソ連のテレシコワ少佐は、ウォストーク6号に乗り込み宇宙飛行に成功した。 彼女の乗機のコールサインがチャイカ( =カモメ )であったことから、交信で重なった「 ヤーチャイカ ( 此方はカモメ )」が、詩的に解釈されたのではといわれる。 他にも、宇宙飛行士の言葉が残っている。 ユーリー・ガガーリン氏の「 地球は青かった 」という言葉も、帰還後に語った「 地球は青みがかっており、宇宙は暗かった、そこ(宇宙)のどこにも神はいなかった」の一節が切り取られたもの。 当初は、「 バイエハリ!( さぁ、行こう!) 」という打ち上げの際の言葉のほうが知られていた。 そして、我々の記憶に残っているのが、昭和四十四年(1969)七月二十日、人類初の月面着陸を行なった、アームストロング氏の「 一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である 」であろう… 兎も角、宇宙開発競争は、国ごとに方向性が異なるが、最終的には、“人類平和”にベクトルが収束していくことを願う。
024j 日本語を話す大阪地域の総領事会
13日夕方、中国総領事の招待で「日本語を話す大阪地域の総領事会」の交流会がありました。 餃子づくりを体験した後、夕食をしながら交流する時間を持ちました。互いに悩みが似ています。情報を共有したり、他の文化も理解し、共同のテーマについて協力もできる良い集まりです。 会の準備をしながら、エプロンに各国の国旗をつけた主催者の中国総領事の配慮と、冒頭に餃子づくり体験を入れて自国の食文化を知らせる姿を見て、初心者総領事として一つのことを学びました。昨秋から、各国持ち回りで主催しているということで、次回は韓国の番だといわれました。 英語圏の国々の総領事たちの日本語の実力は中途半端なものではありません。漢字語圏でない国の人々が、日本語を学ぶのにどれほど多くの時間と労力を注いできたか想像するに余りあります。