“Daibosatsu” again

「大菩薩峠」全41巻を再び読み始め第20巻まで(執筆1913-21年)一気に読んだ。前回読了してから2年しか経っていない。以下に縦書き文庫版の総目次を再掲する(掲載紙等を追加)。 巻名連載紙等*執筆年0生前身後の事19341甲源こうげん一刀流の巻都新聞**I1913-142鈴鹿すずか山の巻都新聞I19143壬生みぶと島原の巻都新聞I19144三輪みわの神杉の巻都新聞I19155竜神りゅうじんの巻都新聞I19156間あいの山の巻都新聞II1917-197東海道の巻都新聞II1917-198白根しらね山の巻都新聞II1917-199女子と小人しょうじんの巻都新聞II1917-1910市中騒動の巻都新聞II1917-1911駒井こまい能登守のとのかみの巻都新聞II1917-1912伯耆ほうきの安綱やすつなの巻都新聞II1917-1913如法にょほう闇夜やみよの巻都新聞II1917-1914お銀様の巻都新聞II1917-1915慢心まんしん和尚おしょうの巻都新聞II1917-1916道庵どうあんと鰡八ぼらはちの巻都新聞II1917-1917黒業こくごう白業びゃくごうの巻都新聞II1917-1918安房あわの国の巻都新聞III192119小名路こなじの巻都新聞III192120禹門うもん三級の巻都新聞III1921--(4年の空白)掲載紙の変更---21無明むみょうの巻大阪毎日・東京日日新聞1925-2822白骨しらほねの巻大阪毎日・東京日日新聞1925-2823他生たしょうの巻大阪毎日・東京日日新聞1925-2824流転るてんの巻大阪毎日・東京日日新聞1925-2825弥帝夜みちりやの巻大阪毎日・東京日日新聞1925-2826めいろの巻大阪毎日・東京日日新聞1925-2827鈴慕れいぼの巻大阪毎日・東京日日新聞1925-2828Oceanの巻大阪毎日・東京日日新聞1925-2829年魚市あいちの巻隣人之友1928-3030畜生谷ちくしょうだにの巻國民新聞193131勿来なこその巻國民新聞193132弁信べんしんの巻書き下ろし193233不破ふわの関の巻書き下ろし193234白雲はくうんの巻隣人之友193335胆吹いぶきの巻隣人之友1933-3436新月の巻隣人之友193437恐山おそれざんの巻讀賣新聞1934-3538農奴の巻書き下ろし1938-4139京の夢逢坂おうさかの夢の巻書き下ろし1938-4140山科やましなの巻書き下ろし1938-4141椰子やし林の巻書き下ろし1938-41 執筆年: Wikipedia大菩薩峠(小説) *I 主人公:竜之介、II 群像の登場、III 弁信登場**創刊1889年の夕刊紙(前身は今日新聞1888年)、1942年國民新聞と合併して東京新聞に 机竜之介のモデルを北一輝(1883-1937)だとする説がある。介山(1885-1944)と同時代だが、そもそもこの小説の主人公は竜之介だけではないように思う。都新聞Ⅱ期の駒井甚三郎(モデル小栗忠順)、都新聞III期の弁信(モデル日蓮)など複数が考えられる。ただし、単なるモデルではない、借り(仮)モデルとでもいうべきものだ。だから、これらの登場人物の初出に先行して、実名が書かれている。青梅の裏宿七兵衛などの扱いも同様で、仮モデルだから作者の思うままに描けるし、実在人物との乖離は問題にならないのである。

What Is Translation?

この講義は「翻訳って何だろう」とみなさんに問いかけ、「翻訳」についてみなさんと一緒に考えることを目標にしています。僕は英語と韓語(韓国語)をある程度でき、日本語を含む三つの言葉を使って翻訳やチェッカーなどの仕事に長年携わってきました。その経験を通じて感じ考えたことを伝えたいと思います。 1. 日本語と英語で内容が違う はじめに僕自身について日本語と英語で紹介します。両者を比べると一部の表現が少し異なります。どんな違いがあるでしょう。また、なぜ違いが生じるのでしょうか。 1950 東京に生まれ岡山(柵原)へ: 1955- 東京(水沢・Toronto/Canada・守口に2年ずつ): 1970- 日韓の企業・日米の財団・日本政府機関等に勤務: 2015 「シェイクスピアのいる文房具店」韓日翻訳(彩流社): 2024- 「一茶発句集」を縦書き文庫に掲載中 1950/ Born in Tokyo; moved to Okayama-ken located in the western region of Honshu island, Japan: 1955-/ Lived in Tokyo for 10 years; 2 years each in Mizusawa(northern region), Toronto, and Moriguchi(Osaka): 1970-/ Worked for Japanese or Korean companies; American or …

Issa hokku poems updated

最新版: 「一茶発句集」総目次 2024年1月6日に「一茶句集」と題した試作品を横書きでブログに載せた。その10日後には縦書き文庫版「一茶発句集 新年・春」の新年1. 2.を制作している。このときは現代仮名でルビを振っていた。そして、いま同じ新年の部に歴史的仮名遣いでルビを振っている。その分、一茶の句に触れる時間が増えた。 横書きと縦書きを比較したとき、縦書きで読んでこそ俳句だと思った。いまはそう感じない人のほうが多いかもしれない。この感覚差は何によるのだろう、単に馴れのせいか、あるいは縦書き(読み)と横書き(読み)で何か決定的な違いがあるのだろうか。 24年4月に縦書き文庫版「一茶発句集 夏」の掲載を始め、現代仮名遣いでルビ振りを一通り終えたときは7月末になっていた。この間、編集を続けながら、現代仮名遣いに対する違和感がしだいに強くなっていった。それで、夏の部を先に歴史的仮名遣いにした。 24年9月下旬、現代仮名ルビから歴史的仮名遣いに修正することにした。ことし3月初めに夏の部の歴史的仮名遣いルビ振りを終えた。6ヵ月要したことになる、古語によるルビ振りは時間のかゝる作業なのだ。翻訳と創作(2)を参照願います。

Japan and the Empire of Japan

富山県作成の環日本海諸国図(1995年)を転載しました 逆さ地図(富山県作成の環日本海諸国図の初版1995年)を再考する。この地図をはじめて見たのは『「日本」とは何か』日本の歴史00(網野善彦 講談社 2000年)の見開き口絵写真だった。そのときの感動を忘れない。それまでに見なれた地図と比べ朝鮮半島が大きく見えた。 上の地図と大日本帝國(1868-1947)による大韓帝國(1897-1910)併合の翌年1911年に発売された朝鮮全地圖を並べて見てみよう。前者は富山県を中心に空間的に逆転したものであり、後者は歴史(時間)を逆行させたものである。 위 지도는 도야마현이 제작한 '환일본해 제국도'(1995년 초판)의 역지도를 게재한 것이다. 이 지도를 처음 본 것은『“일본”이란 무엇인가 「日本」とは何か』일본 역사 00(講談社 2000년)의 표지 사진이었다. 그 때의 감동을 잊을 수 없다. 이전에 익숙했던 지도와 비교해 한반도 부분이 훨씬 크게 보였다. 위의 지도와 대일본제국(1868-1947)이 대한제국(1897-1910)을 병합한 다음 해인 1911년에 발행된 아래의 조선 전도도(朝鮮全地圖)를 나란히 …

soba

昼にいつもより少し贅沢な蕎麦屋に行った。はじめての店なので、石臼挽きせいろ大盛を注文した。そばがうまい実にうまい、そばつゆもわさびもいい、そして盛りがいい。何だか少し幸せな気分になった。来週、そば好きの知人を連れて行くつもりだ。 蕎麦五反の石臼挽きせいろ大盛 점심에 평소보다 조금 사치스러운 소바집에 갔다. 처음 가는 곳이라 세이로 소바를 주문했다. 소바가 정말 맛있고, 국물도 와사비도 맛있고, 그리고 양도 푸짐하다. 왠지 행복한 기분이 들었다. 다음 주에 소바를 좋아하는 지인을 데리고 갈 생각이다.

Oiso again

1年ぶりに大磯を訪ねた。前回と同じコースを歩いたが、興味を引くものが違った。昨年11月に公開された旧大隈重信別邸と旧古河別邸(陸奥宗光が晩年を過ごし、その後同夫人が暮らした)の内部を見て彼らの暮らしぶりを想像するのは楽しい。今回は旧吉田邸の竹林、旧古河別邸(1930年改築)の格子戸のようなガラス戸、障子の石垣張りなどに引かれた。 旧吉田邸: 皮を付けたまま竹が伸び [one of the header image]旧吉田邸: 藤の老木に葡萄の房のように藤の花が咲き旧古河別邸: 神代の間から庭を見る[one of the header image]旧古河別邸: 桟木とずらして障子紙を貼る石垣張り旧古河別邸: 男子専用の円形浴槽旧古河別邸: 扇形をした女子専用の浴槽

Alfonsina Y El Mar

アルゼンチンの詩人 Alfonsina Storni (1892-1938)は海に飛び込んで死んだ。海水のなかの彼女を悼んで歌った「アルフォンシーナと海」という歌だ。 縦書き文庫版「無宗教派の人々」は「ハイジン教徒たち」「漆喰の菩薩像」「異界でタンゴを舞う」の三部で構成され、第3部「異界でタンゴを舞う」の目次は次のとおりだ。その内容がこの詩人の最期を彷彿とさせる。 老人たちとの再会 死にゆく人々 寺院センターの内部 手のひらを見つめる人々 曖昧になった性差意識 潮騒とタンゴ 葬送の回送電車 名もない魚の群れ https://tb.antiscroll.com/novels/goolee/23868 https://youtu.be/eU1Hpc_iqL8?si=e-wyiq-p7OKsOyCG Mercedes Sosa • 1972Alfonsina Y El MarMercedes Sosa Por la blanda arenaQue lame el marSu pequeña huellaNo vuelve másUn sendero soloDe pena y silencio llegóHasta el agua profundaUn sendero soloDe penas mudas llegóHasta la espumaSabe Dios qué angustiaTe acompañóQué dolores …

손주 바보

韓国語に 손주 바보 という語がある。손주 は孫、바보 はバカの意味だから、合わせて孫バカになる。韓国語にはまた 딸 바보 という語もあり、娘バカの意だが、日本語に置き換えれば親バカになろう。韓国語が孫や娘などの対象にバカを付けるのに対し、日本語はバカと呼ばれる本人にバカを付ける。 日本語には孫バカという語はないが、親バカに倣って造語すれば爺バカになるだろう。僕自身、大いに爺バカぶりを自覚しているし、韓国の親しい友人たちの話を聞いても孫を可愛がることに国境はないように思うのだが、韓国語に孫バカという語があって日本語にないのはなぜだろうか。 한국어에 '손주 바보'라는 말이 있다. 한국어에는 '딸 바보'라는 단어도 있는데, 일어로 바꾸면 '부모 바보'가 된다. 한국어가 손자, 딸 등의 대상에 바보를 붙이는데, 일어는 바보라고 불리는 본인에게 바보를 붙인다. 일어에는 손자바보에 해당하는 단어가 없지만, 부모바보를 따라 조어를 만들면 할아버지바보가 될 것이다. 저도 스스로가 할아버지 바보인 것을 …

a dialogue

毎朝、通勤時に見かける光景(写真)が、2週間前から気にかかっている。何の変哲へんてつもない鉄製の丸テーブルと白と浅緑あさみどり色のイスを置いてあるだけなのに、僕を誘いざなうように何かを語りかけてくる。 大崎広小路駅近くのJPビル入口前 「ねえ君、いつも忙しげに通り過ぎているが、ここに坐すわって僕と対話しないか、ほら手前の白いイスに陽ひがさしているぞ。残された時間を大事だいじにしなくちゃいけないよ」 無宗教派の人々の主人公、凭也(ヒョーヤ)が話しかけていたのだった。 「おまえは精神的に疲れている、気をつけないと危あぶないぞ、はやく己おれのところに来いよ」 今度はよく知っている男が語りかける。 누군가 앉아주기를 바라고 의자와 탁자를 비치했을 텐데… 사람들이 오가는 통행로에 있는 의자들…일단 형님이 앉아보세요. 의자라는 게 앉으라는 물건이니 일단 앉아서 느껴보세요. 어떤 느낌일지… 편안하다, 어색하다, 불필요하다…아마 나이가 많으신, 80세 이상의 노안들이 걸어가다가 힘들 때 앉아서 쉴 수 있게 배려하는 의자겠지요? 앉지는 말고 구경만 하라는, 전시용은 아니겠지요…(以下、日本語訳) 誰かが坐すわってくれることを期待してイスとテーブルを用意しただろうに…人々が行き交う歩道に置かれたイスに…まずは坐ってみることだ。イスは坐るためにあるのだから、とにかく坐ってみろよ。どんな感じか…快適なのか、ぎこちないのか、無用むようの長物ちょうぶつなのか…お年寄りが歩いて疲れたとき、坐って休むことを想定して作られたイスだろう、坐らずにただ見るための展示品ではないのだから…。 このあと、小雨が降るなか新緑の樹々きぎを見に新宿御苑へ行った。はじめに現れたのは少し前に語りかけてきた男が愛してやまなかった女性だ。黒くうねるような巨木きょぼくが彼女の姿態したいを思わせた。さらに歩むと、その男の母親が現れた。彼は彼女たちをつれてよくここに来た。まじめで心底しんそこやさしい男だから僕にも女性たちにも、いつも労いたわるように接した。いくら感謝してもしきれない、僕の後半生こうはんせいでもっとも大事な奴やつだ。 그 …

精神科病棟

序 だだっ広いエレベータホールを取り囲む白い巨大な壁、光沢のある白いプラスチック製の床、白と黄色の正方形を組み合わせた高い天井とそこから洩れてくる蛍光灯の光、隔離病室に貼られた淡い青とピンクのビニールシート。これらの無機質な材料で囲まれた広い空間を患者がひとり床の上を浮かぶように歩いている。性別は定かでないが、こだまする靴音からして若い女性のようだ、いや兵士かもしれない。この冷えびえした光景のなかを眼光鋭いひとりの老人が跫音も立てずに周囲を見回しながら歩一歩進んでいく。 彼の名はノロという。体躯が大きいせいだろう、すべての動作が緩慢に感じられる。幼いころから母親の影響で信心深くなった彼は、小学生になると朝晩の勤行を欠かさなくなった。ここでいう勤行とは法華経の第2章方便品と第16章寿量品の一節を読み上げることをいう。そして、勤行のあとには南無妙法蓮華経・なむみょうほうれんげーきょう、と題目をくり返し唱えた。この南無妙法蓮華経こそ彼にとっては生きるための源泉であり力であった。彼はそう信じていた。 老人はあたりを見回しながらも、いつしか若い女性か兵士のあとを追う格好になった。とはいえ、動きの鈍い老人はなかなか前を行く人物に追いつくことができない。両者のあいだはしだいに広がり、老人は息苦しさに襲われるまでになる。しばらく休み、呼吸が落ち着くのを待つしかない。なぜそうまでして歩き続けるのだろうか、それは観察者の見方であって、本人はそんなことを考えたりしない。ひたすら歩き回り、苦しくなると坐り込む、それを繰り返すだけだった。そのことに何か意味があるわけでもなく、彼を突き動かす何かがあるわけでもない。 prologue Huge white walls surrounding a wide elevator hall, a glossy white plastic floor, a high ceiling with a combination of white and yellow squares and fluorescent light leaking from it, and pale blue and pink vinyl sheets pasted over the isolation ward. Surrounded by these inorganic materials, a patient walks …

psychiatric wards: prologue

だだっ広いエレベータホールを取り囲む白い巨大な壁、光沢のある白いプラスチック製の床、白と黄色の正方形を組み合わせた高い天井とそこから洩れてくる蛍光灯の光、隔離病室に貼られた淡い青とピンクのビニールシート。これらの無機質な材料で囲まれた広い空間を患者がひとり床の上を浮かぶように歩いている。性別は定かでないが、こだまする靴音からして若い女性のようだ、いや兵士かもしれない。この冷えびえした光景のなかを眼光鋭いひとりの老人が跫音も立てずに周囲を見回しながら歩一歩進んでいく。 Huge white walls surrounding a wide elevator hall, a glossy white plastic floor, a high ceiling with a combination of white and yellow squares and fluorescent light leaking from it, and pale blue and pink vinyl sheets pasted over the isolation ward. Surrounded by these inorganic materials, a patient walks alone in the large …

「春と修羅」縦書き文庫版

2024年11月のブログ記事を再掲しました。2018年10月にも「宮澤賢治『春と修羅』序」と題して載せています。 縦書き文庫版「春と修羅」 87,008字 縦書き文庫版「春と修羅」第二集 59,676字 縦書き文庫版「春と修羅」第三集 26,112字 高三から浪人期(1967-69)にかけて貪るように読んだ宮澤賢治(筑摩書房版全集)。「春と修羅」第二集第三集も読んだかもしれないが、定かでない。今回は老いて再読する意味を考えながら読む、縦書き文庫版で読む。本当はむかし読んだときのように旧かな旧漢字で読みたいが、叶わない。せめて序詩を旧字旧仮名遣いで掲げておく。 約百年を経て色あせていない、二百年余り昔の一茶がいまも斬新なように、いぶし銀の輝きをさらに増している、「假定された有機交流電燈のひとつの靑い照明」のように。 春と修羅 序わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの靑い照明です(あらゆる透明な幽靈の複合體)風景やみんなといつしよにせはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの靑い照明です(ひかりはたもち その電燈は失はれ)これらは二十二箇月の過去と感ずる方角から紙と鑛質インクをつらね(すべてわたくしと明滅しみんなが同時に感ずるもの)ここまでたもちつゞけられたかげとひかりのひとくさりづつそのとほりの心象スケツチですこれらについて人や銀河や修羅や海膽は宇宙塵をたべ または空氣や鹽水を呼吸しながらそれぞれ新鮮な本體論も考へませうがそれらも畢竟こゝろのひとつの風物ですたゞたしかに記録されたこれらのけしきは記録されたそのとほりのこのけしきでそれが虚無ならば虚無自身がこのとほりである程度まではみんなに共通いたします(すべてがわたくしの中のみんなであるやうにみんなのおのおののなかのすべてですから)けれどもこれら新生代沖積世の巨大に明るい時間の集積のなかで正しくうつされた筈のこれらのことばがわづかその一点にも均しい明暗のうちに(あるいは修羅の十億年)すでにはやくもその組立や質を變じしかもわたくしも印刷者もそれを變らないとして感ずることは傾向としてはあり得ますけだしわれわれがわれわれの感官や風景や人物をかんずるやうにそしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに記録や歴史 あるいは地史といふものもそれのいろいろの論料データといつしよに(因果の時空的制約のもとに)われわれが感じてゐるのに過ぎませんおそらくこれから二千年もたつたころはそれ相當のちがつた地質學が流用され相當した証拠もまた次次過去から現出しみんなは二千年ぐらゐ前には靑ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ新進の大學士たちは氣圏のいちばんの上層きらびやかな氷窒素のあたりからすてきな化石を発掘したりあるいは白堊紀砂岩の層面に透明な人類の巨大な足跡を發見するかもしれませんすべてこれらの命題は心象や時間それ自身の性質として第四次延長のなかで主張されます大正十三年一月廿日宮澤賢治

aging 1

一茶はよく老おいについて書いている。彼は老いや老醜についてどう観察していたのだろうか。たとえば、新年の部に次の句がある(新年xxのアラビア数字は縦書き文庫版一茶発句集の各季節の通し番号)。 又またことし娑婆塞しやばふさげぞよ草くさの家いえ 文化句帖 化3 新年41 又またことし娑婆塞しやばふさげなる此身このみ哉 七番日記 化11 新年42 ことしから丸まるまうけ也娑婆しやばの空そら 梅塵八番 政3 新年44 老おいが身みの値ねぶみをさるゝけさの春はる 七番日記 化7 新年85 小便せうべんもうかとはならずけさの春はる 文政句帖 政6 新年97 すりこ木ぎのやうな歯茎はぐきも花はなの春はる 七番日記 化10 新年131 爺ぢいが世よや枯木かれきもゆきの花はなの春はる 文政句帖 政8 新年137 春立はるたつや愚ぐの上うへに又また愚ぐにかへる 文政句帖 政6 新年198 又またことし七五三しめかけ[る]也顔かほの皺しわ 八番日記 政2 新年387 皺顔しわがおのかくれやはせん七五三しめ飾かざり 希杖本 新年391 歯固はがための歯は一枚いちまいもなかりけり 八番日記 政2 新年650 台所だいどこの爺じじに歯固はがため勝まされけり 八番日記 政4 新年651 人並ひとなみに歯茎はぐきなどでもかためしか 八番日記 政4 新年652 人真似ひとまねに歯茎はぐきがための豆麩とうふ哉 文政句帖 政6 …

Tango Milonguero

https://ajo2021.wordpress.com/ この記事は上のブログから抜粋し引用しました(詳細は上のURLから)。 “Tango Milonguero”の言葉の意味は、Tango (踊り)とMilonguero (踊りの名人もしくは踊りのスタイル)が合体がったいしたもので、いわば「名人の踊り」ともいえます。 ミロンゲロ・スタイルは密みつなアブラソと姿勢、律動的りつどうてき(リズミカル)な動きと音取ねとり(チューニング)に特徴があり、他者ひとに見せる・見られることよりも、心身ともに相手といかに心地ここちよく踊るかという点に重おもきがおかれています。 偉大なミロンゲロである Tete Rusconi が常に言っていた言葉に「まずは<音楽>があり、その<音楽>を相手と共に如何いかに踊るかが<タンゴを踊る>ということだ!」とあります。(詳細は以下をお読みください) https://ajo2021.wordpress.com/tango-milonguero%e3%81%a8%e3%81%af/

소년 시절로 돌아간다

(2014年9月ブログ「MTBの魅力」の抄訳) 몇 달에 걸쳐 고른 MTB(mountain bike)를 2014년 6월 말에 구입해 거의 주말마다 친구와 함께 도쿄 주변의 언덕과 낮은 산을 돌아다니고 있다. 20대 후반부터 30대에 걸쳐 자주 걸었던 지역이다. 어렸을 때부터 자전거를 좋아해 30대는 랜드너(randonneur)와 로드 레이서(road bike)를 탔고, 40대 초반에는 중형 스쿠터를 타다가 사고를 당해 그만뒀다. 2014녕 연초부터 소형차를 찾던 중 전년에 MTB를 시작한 …

somewhere

この山道をMTBで走り抜けてみたい。이 산길을 MTB로 달리고 싶다. It's a dream which, I hope, will be happening someday, somehow. 一方、この情景はいつかどこかで見たことがあるような気がしなくもない。いつどこだったろうか。4年ほど前に執筆した「無宗教派の人々」のなかだったろうか。 somewhere in British Columbia, Canada https://tb.antiscroll.com/novels/goolee/23868 https://tb.antiscroll.com/novels/goolee/24725

foreign languages

日本の戦後における外国語教育は英語一辺倒だったが、80年代に英語を基軸とする多言語主義が唱えられると、それに追随した。2000年代に入り、EUで長年かけて築き上げられた複言語主義の枠組みが提唱されると、多くの大学で外国語教育のモデルが見直される。 日本における外国語に対する考え方が一貫しているようには見えない。その根幹にある問題は日本語に対する確たる思想がないことだ。こういうことを主張すると、すぐに右寄りの人々がざわつく。筆者は左右どちら寄りなのか、と。その程度の捉え方では困るのだ。 たとえば、日本と韓国のあいだに越えがたいギャップがあるといわれるが、なぜそうなったのかを考えようとしない。江戸時代を通じて朝鮮通信使という使節団の来訪が十数度あったことを取り上げ、異文化交流という流行語を用いて美化する。同じ時代に琉球通信使というのもあったのだ。 翻って明治時代に入るとすぐ征韓論が起こり、日清戦争を経て明治日本の悲願だった条約改正が達成された。その結果、日本国内の内地雑居が帝国議会で承認される(1899年)。というように学校教育で教えられてきた。その延長上にある価値観を身に付けた人々の目に映る日韓・日朝関係とは何なのか。 自分たちの受けた歴史教育に異を唱えることなく、そのとおりの歴史観を疑わない人々に違和感を覚える。といってそれを被虐史観と呼んで恥じることのない加虐史観には吐き気を催す。 どう考え、何をなせばいいのか。議題を絞り込んだうえで真摯な議論を交わさないといけない。その議論を多国間の複言語の枠組みで行えないだろうか。そんなことを考えているのだが、僕自身もまだ明確に描けるまでに至っていない。

melodies and chimes

毎夕5時に夕焼け小焼けのメロディが流れる。夏も冬も平日も休日も関係なく流れる。人々は何とも思わないだろうが、僕らは学校や寄宿舎で生活しているわけではないのだから、定時に決まったメロディを流す必要などない。なのに、人々はそれを何とも思わない。 小学生のころ、夕刻になると、サンサーンスの白鳥のメロディが流れた。このメロディを聞くと、校庭でどんなに夢中に遊んでいても家に帰らなくては、と思ったものだ。学校のような集団生活では意味がある規律なのだろう。 三十年前は近くの商店街のラウドスピーカーから毎朝8時にエーデルワイスのメロディが大音量で流れた。僕はこのメロディがたまらなく嫌いだった。家中の窓という窓をすべて閉めなければならないほど耐えられなかった。神経質な僕のせいで家族にもずいぶん迷惑をかけた。 いま、朝窓を開けて聞こえてくるのはカラスやハトの鳴き声だ。そのあとに聞こえてくるのはゴミ収集車のチャイムだが、すぐ遠ざかっていく。それに代わるように通勤通学の人々の軍靴の響きと親の引く手に抗う子どもの泣き声が続く。 매일 저녁 5시가 되면 노을이 지는 멜로디가 흘러나온다. 여름, 겨울, 평일, 휴일 상관없이 흘러나온다. 사람들은 아무렇지 않게 생각하겠지만, 우리는 학교나 기숙사에서 생활하는 것이 아니기 때문에 정해진 시간에 정해진 멜로디를 틀어줄 필요가 없다. 그런데도 사람들은 그것을 아무렇지 않게 생각한다. 초등학교 시절, 저녁이 되면 Saint-Saens의 '백조' 멜로디가 흘러나왔다. 이 멜로디를 들으면 학교 운동장에서 …