2024年から総ルビ付きの縦書き文庫版を制作中で、その作業の一部として以下の資料(未定稿)を掲載しています。同文庫版はすでに夏と新年の部の句に旧かなルビを振りました。25年後半に春の部の修正を終えて秋と冬・雑の部に取りかかり、26年中に完成する予定です。 一茶発句集 秋1/5 七月七月の大べら坊に暑かな 七番日記 化2葉月二度目には月ともいはぬ葉月哉 文政句帖 政7菊月(九月、長月)菊月や山里〳〵も共日酒 寛政句帖 寛5 「供」→「共」小蕣大蕣も九月哉 文化句帖 化2ひやう〳〵と瓢の風も九月哉 文化句帖 化2長月の空色袴きたりけり 文化句帖 化3長月や廿九日のきくの花 化五六句記 化5長月の廿九日のかゞし哉 七番日記 化7長月も廿九日をのべのてふ 七番日記 化10菊月や外山は雪の上日和 文政句帖 政5夜〳〵は長月もあつかれな 文政句帖 政6秋立つ(秋来る)藪越や御書の声も秋来ぬと 樗堂俳諧集 寛8 (出)遺稿唐崎や寝顔より秋の立 与播雑詠 寛10山おろし秋のやうすの夜明哉 黄華集 寛10寝心や秋立雨の風さわぐ 西紀書込 寛中 (異)遺稿 下五「竹を吹」秋立や身はならはしのよ所[の]窓 文化句帖 化1丘の家秋[の]きぬらし笛を吹 文化句帖 化1立秋や旅止まくと思ふ間に 文化句帖 化1夜水さへかゝらぬ町や秋立と 文化句帖 化2秋立や木づたふ雨の首筋に 文化句帖 化3秋立や峰の小雀の門なるゝ 文化句帖 化3秋立や雨ふり花のけろ〳〵と 化五六句記 化5秋立や風より先に雪の事 化五六句記 化5秋立や寝れば目につく雪の山 化五六句記 …
a caterpillar
ベランダの鉢植えのレモンの木に青虫が揺れている。5-6匹いた小さなサナギたちはどこかに消えてしまい、この1匹だけが生き残った。5センチほどある。 우리 집 발코니의 화분에 심은 레몬 나무에 파란 벌레가 흔들리고 있다. 5~6마리 있던 작은 번데기들은 어디론가 사라져버렸고, 이 한 마리만 살아남았다. 약 5cm 정도이다. https://videopress.com/v/Ph92wcWF?resizeToParent=true&cover=true&preloadContent=metadata&useAverageColor=true 青虫の脇腹に白く筆で描いたような点々が鮮やかだ
a twilight jazz
今夕、聖グレゴリオの家のロビー(60名収容)でジャズを聴いた。ベース演奏者は友人の息子だ。生演奏でジャズを聴くのは数十年ぶりだ。ベースとピアノの奏者が音楽という言語で対話している。 오늘 저녁, 성 그레고리오 로비(60명 수용)에서 재즈를 들었다. 베이스 연주자는 친구의 아들이다. 생음악으로 재즈를 듣는 건 수십 년 만이다. 베이스와 피아노 연주자가 음악이라는 언어로 소통하고 있다.
一茶: 日傘
友人に日傘の用例について問われ、参考までに一茶(1763-1828)の発句集を検索すると約40句あった。日傘を除いた傘も30句近くある。 一茶発句集にみる日傘霞つゝ日傘も聳ゆ女坂 文政句帖文政6花ちるや日傘の陰の野酒盛 八番日記文政3菅笠に日傘に散しさくら哉 文政句帖文政5山うどの山出て市は日傘哉 西国紀行寛政7青山を始て見たる日傘哉 享和句帖享和3夫なしにけふな(ら)れしよ日傘[ひがらかさ] 享和句帖享和3木母寺が見ゆる~と日傘哉 享和句帖享和3山おろし泊瀬の木間を日傘[ひがらかさ] 享和句帖享和3あばら家に入ると見へしよ日傘[ひがらかさ] 文化句帖文化1下京の朝飯時を日傘哉 文化句帖文化1僧正が野糞遊ばす日傘哉 文化句帖文化1雨笠も日笠もあなた任せ哉 七番日記文化8八九間柳を去て日傘哉 七番日記文化8真黒な大入道の日傘哉 七番日記文化11徳利の石塔なでる日傘哉 七番日記文化13瘤岩にふはりと立る日傘哉 七番日記文化14釣竿を川にひたして日傘(哉) 七番日記文化14釣竿を岩に渡して日傘(哉) 七番日記文化14歩んよ~~や母を日傘持 八番日記文政3京人や日傘の陰の野酒盛 八番日記文政3水呑を先~はさむ日傘哉 八番日記文政3田の水をかすりに行も日傘哉 八番日記文政3母親(に)さしかけさせる日傘哉 八番日記文政3手八丁口八丁が日傘哉 八番日記文政4一文のせんじうりが日傘かな 文政句帖文政5上人や草をむしるも日傘持 文政句帖文政5老僧の草引むしる日傘かな 文政句帖文政5でも僧や田植見に出る日傘[ひがらかさ] 文政句帖文政5門前の草むしるにも日傘哉 文政句帖文政5青天と一ツ色也日傘[ひがらかさ] 文政句帖文政6東路の百里あまりを日傘[ひがらかさ] 文政句帖文政8馬の子の目をあぶながる(ひ)がさ哉 文政句帖文政8木の陰や尻にあてがふ日傘[ひがらかさ] 文政句帖文政8休場や尻にあてがふ日傘[ひがらかさ] 文政句帖文政8下駄はいて細縄渡る日傘哉 文政句帖文政8旅僧や箱根八里を日傘[ひがらかさ] 文政句帖文政8小坊主や箱根八里を日傘[ひがらかさ] 文政句帖文政8先立の念仏乞食や日傘[ひがらかさ] 文政句帖文政8夕陰や煎じ茶売の日傘[ひがらかさ] 文政句帖文政8
Kabwan01
なぜ自伝を書くのか(未定稿) 私が体験した苦難を記録に留とどめたいと考えていたが、いざ書いてみると自ら不幸を嘆き、つまらない愚痴を並べるように思われ、やめてしまった。大韓帝國末に王妃に選ばれた名門家の令嬢が独ひとり悲しい生涯を過ごした------それは恥ずべき運命でしかないのだろうか。子孫として家門を重んじ臣民として國くにを愛するゆえに東方礼儀れいぎの國の模範とされた貞操ていそうを守ったなど、いまや誇るべきものではなくなったのだろうか。 現代は自己を見失った悲惨な人々があまりに多い。大義のために小人しょうじんが犠牲となり、小人のために大義がないがしろにされるのをみると胸が痛む。小さな誤解や一時的な恋愛のため自死に至る若い人々がいる。苦しかった私の人生の記録を示すことで、彼らに再生の火を灯ともせられたら、そんな思いをうまく伝える自信はないが、この文章を遺のこすことにした。 人生は喜悲ひきこもごもの綱渡り。そう達観して自分の体験をすべて運命として受け入れ慰めることもできるが、自ら運命を切り開く勇気を持つべきではないか。世の中にはさまざまな独身者がいる。信仰ゆえに独身を貫く仏教の比丘びく・比丘尼びくにやカトリックの神父・修道女だけではない、芸術家や文学者、科学者や社会活動家がいる。恋愛ゆえの独身者も数え切れない。そのいずれにも属さない私は特異な独身者なのだ。 諫択けんちゃくという美名のもと「人間契約」に縛しばられて過ごした虚うつろな部屋での生活-----五十年の歴史は茨の道そのものだった。障害者や阿呆あほうあるいは恋愛や信仰の聖なる力に包まれた独身生活だったら、もう少し充実した幸せを感じて生きられたかもしれない。 ちりぢりに引き裂かれた一生。悲しみと孤独に疲れ、涙さえ枯れた人生は自ら顧かえりみても果てしなく哀れで虚むなしい。歳月は流れ、頭に白髪しらがが混じり、死期も近づいてきた。青春を空しく過ごし、人生のたそがれに差しかかったいま、数え切れない恨ハンが胸を埋うづめ、言葉にできないほど詰まっている。 そんな私でさえ生きてきたのに、いまの若者たちはなぜ自分の尊い命を捨て、将棋の駒のように軽々しく捨てるのか。このみすぼらしい人生の愚痴が、成長する若者たちに人生の意義を僅わずかでも与え、命の価値を感じることになれば、これ以上の喜びはない。 最後に、この文章を書くよう後押ししてくれた人々に感謝したい。多忙な仕事のかたわら叔母である私の回想録を毎夜心をこめて校閲してくれた姪の詩人・随筆家の炳順ビョンスンを誇りに思い深く感謝している。 1962年10月 金井山クムジョンサンの麓ふもとにて 閔ミン甲完カブァン 序詩 国破君亡風雨裡 忠義守節有何人 若無當世閔閨秀 故國江山寂漠春 国破れ君は滅び、暴風雨のなか忠義で節操を守り民族の魂を守った者はいたか。百年の恨ハンが胸に詰まり花が咲かずに朽くち果てようと、あの時代にカブァンがいなかったなら、礼儀の東邦とうほうとされる無窮花ムグンファと山河の故国には光を失った歴史の上に寂しい春が訪れるだろう。 碧雲ビョグン 이 책을 내는 심정 언젠가는 내가 걸어온 한스러운 기록을 담아보겠다는 생각은 가져왔으나 정작 붓을 들자니 꼭 무슨 신세타령만 같아서 그만두곤 했다. 내 나이 칠순을 바라보는 요즘에 와서야 비로소 붓을 든 것이 보잘것 없는 이 넋두리다. 왕비에까지 간택되었던 소위 명문가의 규수가 외로운 일생을 …
aged boys
つゆの合い間、老友と二人で多摩川沿いの歩行者サイクリスト専用路を自転車で走った。途中こまめに休みながら羽村の堰まで、強風に煽あおられながら洗足池から小金井経由で約5時間、復路は小金井まで約3時間、水場を見つけては頭から水をかぶって何とか走った、二人だから走れた。走行距離: 約80km https://videopress.com/v/PP9aEC19?resizeToParent=true&cover=true&posterUrl=https%3A%2F%2Fvideos.files.wordpress.com%2FPP9aEC19%2Fv_20250623_123715_es5_mp4_std.original-1.jpg&preloadContent=metadata&useAverageColor=true 羽村の堰、玉川上水の取水口近く 장마 사이의 더운 날, 노인 두 명이 다마강변의 보행자/자전거 전용 도로를 자전거 타고 달렸다. 중간중간 자주 쉬며 하무라(羽村) 댐까지, 강풍 속에서도 센조크이케(洗足池) 연못에서 고가네이(小金井) 경유로 약 5시간, 복로는 코가네이까지 약 3시간, 물이 있는 곳을 찾아 머리에 물을 끼얹으며 어떻게든 달렸다. 두 사람이라서 달릴 수 있었다. 주행 거리: 약 80km
Love is no touch
しばらく見なかった韓国映画を観た。ゲイと自由奔放な女性との10年に及ぶ親密な関係と周囲の人々の反応を描いた社会派映画だ。 最初のシーン: 高層ビルの屋上でウェディングドレスを着た女性がタバコを吸っていると、そこにタキシードを着た男性が現れる。二人の学生時代に遡り、物語が始まる。 韓国社会におけるゲイに対する周囲や家族の視線と本人の葛藤、ゲイに対する固定観念と表裏一体と云うべき、女性はかくあらなければならないという社会通念がよく描かれていて面白い。二人の主人公がそれぞれ自分をめぐる社会通念に抗い戦いながら自己を確立していく姿をよく描いている。 何よりも爽快なのは二人の主人公の生き方が真摯なことだ。そして、それを受け入れる人々が少数派ながら韓国社会にいるように見えることだ。 사랑은 노터치 우정은 포에버...찐사친 리얼 라이프 대도시의 사랑법(2024年韓国映画) 한동안 보지 못했던 한국 영화를 보았다. 게이와 자유분방한 여성과의 10년여에 걸친 친밀한 관계와 주변 사람들의 반응을 그린 사회파 영화다. 첫 장면: 고층 빌딩 옥상에서 웨딩드레스를 입은 여성이 담배를 피우고 있는데, 거기에 턱시도를 입은 남성이 등장한다. 두 사람의 학창시절로 거슬러 올라가 이야기가 시작된다. …
こちらは防災□□です
朝10時、けたたましい音量で防災無線のチャイムが街中に鳴り響いた。続いて録音された音声が流れる。一日に何度か繰り返される。 こちらは□□選挙管理委員会です。本日は東京都議会議員選挙の投票日です。投票時間は午後8時までです。大切な一票を忘れずに投票しましょう。こちらは防災□□です。 これこそ戦前に大日本帝國が全国に配備した國家総動員体制システムの継続ではないか。1946年5月、大日本帝國から日本国への移行の伴い、天皇制とともになくすべきだった上意下達方式の通達装置であり、戦前における臣民を統制する装置の残滓なのだ。そう、大日本帝國憲法は欽定憲法だから国民はいない、臣民しかいなかった。 오전 10시, 시끄러운 소리와 함께 방재 무전의 차임벨이 울려 퍼졌다. 이어 녹음된 음성이 흘러나온다. 하루에 몇 번씩 반복된다. 여기는 □□선거관리위원회입니다. 오늘은 도쿄도의원선거 투표일입니다. 투표 시간은 오후 8시까지입니다. 소중한 한 표를 잊지 말고 투표해 주세요. 여기는 방재 □□입니다. 1946년 5월, 대일본제국에서 일본국으로의 전환과 함께 일왕제와 함께 없어져야 할 상명하달(上意下達)식 통달 장치이며, 전쟁 전의 …
カブァンの生涯
縦書き文庫「忘れられた人ミンカブァン」(一部修正して再掲) 19世紀末から二度の日韓協約を経て、大日本帝國(大日本)による大韓帝國(大韓)併合が進行しつつあった1907年、満9歳で朝鮮時代最後の皇太子イウンの婚約者となるが、皇太子は婚約した直後、大日本に連れて行かれた。大日本による植民地化の進行に伴い、婚約から10年余り経って、満21歳で婚約破棄を強要されたカブァン。半年後、深い哀しみのなかで亡くなった祖母、さらにその半年後、アン侍医の調合した薬を飲んだ直後に亡くなった父。 しだいにカブァンの身辺にも危険が及び、満22歳のとき、弟のチョネンを連れて、当時多くの韓人が亡命していた上海に亡命する。上海で26年過ごす間、大日本の官憲から逃れるために何回か住居を変えている。自由に外出もできない、逃亡者のような暮らしを強いられたのである。婚約者のイウンは満10歳のとき大日本に連れて行かれた後、生涯の大半を大日本と日本で過ごした。カブァンが亡命した年、昭和天皇の妃候補でもあった梨本宮方子と結婚している。 現代人には理解しにくいが、婚約することが結婚と同じ重みを持っていた社会が20世紀前半にあった。上海亡命時代、彼女に近づいた男性も何人かあったし、大日本帝國の朝鮮総督府が派遣したスパイも含め、周囲には結婚を勧める人もいた。特に、同じく生涯独身を通した女性革命家の説得はカブァンを悩ましたが、彼女も一生独身を貫いた。本書の行間に溢れる深い憂愁と孤独は、現代人にも切々と訴えるものがある。 1946年5月、上海に残るかどうか悩んだ末、大韓帝國に帰国したカブァンの後半生も平坦ではなかった。1950年、社会事業の資金のめどが付き、いよいよスタートしようとしたとき、朝鮮戦争の勃発ぼっぱつで頓挫とんざしてしまう。チョンノ[鐘路]にあったサドングン[寺洞宮]という洋館の階下で、弟家族と体を寄せながら砲弾ほうだんの音に震えている光景を思うと、胸が締め付けられる。 1950年6月26日未明、弟家族と共に命からがら船に乗って漢江ハンガンを渡り、父の故郷チョンジュ[清州]に向かった。戦後は、北朝鮮が再び侵攻すると見ていたチョネンの意向で、彼の家族と一緒に朝鮮半島の最南端プサンに居を定めたという。 現代史の見直しを迫る個人史 日韓の現代史に翻弄ほんろうされたともいうべきカブァンの生涯は、私たちに何を語りかけるのだろうか。大日本帝國による大韓帝國併合(1910年)から115年経たったいま、カブァンが私たちに遺のこした自伝は、単に一人の韓人女性の人生記録であるに止とどまらない。歴史と国家のあり方、それに翻弄ほんろうされる人びとの生き方を見直させずにはおかない。 大韓帝國併合(1910年)、大日本帝國と中華民國との戦争(1937-45年)、朝鮮戦争(1950-53年)など、現代史の大事件に翻弄ほんろうされ続けたカブァン。その生涯をたどりながら、私たちは大韓帝國と大日本帝國をめぐる歴史を振り返ることを強いられる。ここで注意すべきは、これらの事件が持つ意味合いは現代日本と現代韓国で大きく異なることである。 例えば、1910年は大韓帝國にとって国権の喪失だったが、大日本帝國にとっては版図はんとの拡大であった。1945年8月15日は片やにおいて解放(光復)であり、片やには敗戦であり終戦であった。あるいはまた、1950年から53年に朝鮮半島全域を戦禍に巻き込んだ戦争が、日本国に特需景気をもたらしたことなどである。 自伝『百年恨』が一女性の個人史に止とどまらないのは、これら現代史の大事件によって彼女の人生が振り回され続けたというより、大きく狂わされたからだろう。その人生記録を通して見えてくる現代史の断片の一コマ一コマが、日韓をめぐる歴史の見直しを迫っているように思えてならない。 자서전을 내는 심정: 민갑완 자서(自序) 언젠가는 내가 걸어온 한스러운 기록을 담아보겠다는 생각은 가져왔으나 정작 붓을 들자니 꼭 무슨 신세타령만 같아서 그만두곤 했다. 내 나이 칠순을 바라보는 요즘에 와서야 비로소 붓을 든 것이 보잘것 없는 이 넋두리다. 왕비에까지 간택되었던 소위 명문가의 규수가 외로운 일생을 슬픔 …
an election in Tokyo
都議選の候補者の一人がS商店街を歩いて選挙運動していた。朝早くから街宣車を走らせ大音声でがなりたて、駅前などで美辞麗句を並べ繰り返し名前を叫ぶのが当たり前の選挙運動にあって、歩きながら運動する彼に大いに好感を覚えた。 도의원 선거에 출마한 후보 중 한 사람이 S상가를 걸으며 선거운동을 하고 있었다. 아침 일찍부터 유세차를 몰고 큰 소리로 떠들고, 역 앞 등에서 미사여구를 늘어놓고 반복적으로 이름을 외치는 것이 당연시되는 선거운동에서 걸어서 운동하는 그에게 큰 호감을 느꼈다. 彼の名は加藤てつお、再生の道公認候補者の一人である。
condolences
けさLINEを開くと訃報が届いていた、Kakaoにも同じ訃報があり、いずれも故人のアドレスからで、亡くなって数時間後に送られたようだ。葬儀の概要が記載されている。 同世代の人の訃報に接するのは寂しい。最近、彼とは一茶や俳句が共通の話題だった。もっと語りたいことがあったのに...人の死はこんな形で唐突に届けられる。心から故人の冥福を祈りつつ、自分の訃報について考える。 오늘 아침 라인을 열어보니 부고가 도착해 있었고, 카카오에도 같은 소식이 있었는데, 모두 고인의 주소에서 온 것으로 사망 후 몇 시간 후에 보낸 것으로 보인다. 장례식 개요가 기재되어 있다. 동년배의 부고를 접하는 것은 슬픈 일이다. 최근 그와 잇싸나 하이쿠가 공통 화두였다. 더 많은 이야기를 나누고 싶었는데… 사람의 죽음은 이런 식으로 갑작스럽게 알려진다. 진심으로 고인의 …
Laulea@senzokuike
ずっとカット専門のチェーン店に通っていたが、退職を機に近所の美容室に行ってみた。ラウレア laulea というハワイ語を店名にしている。平穏とか幸せを意味するという。犬を連れた人々がよく立ち寄る店だ。 どこかハワイ的な感じがしなくもない店構え毎朝並べられる4匹の犬と1匹の猫と鉢植えの植物 https://laulea2.wordpress.com
Senzoku-ike pond
大岡山駅近くの珈琲館で友人に会うため、雨のなか自宅から洗足池沿いに歩いた。いつも小径車で通過するだけだが、歩いて通ると違う景色が見える。赤い鳥居の奥、石段を昇った先に千束八幡神社がある。 洗足池の西端にある千束八幡神社に通じる橋三連の木造アーチ橋が池にかかる杉の樹々の根元に鮮やかなあじさいが 오오카야마(大岡山)역 근처에 있는 커피관(珈琲館)에서 친구를 만나기 위해 비 오는 가운데 집에서 센조크(洗足) 연못을 따라 걸었다. 보통 자전거를 타고 지나가는 길인데, 걸어가면 색다른 풍경이 보인다. 붉은 도리이(鳥居) 안쪽, 돌계단을 올라가면 센조크하치만(千束八幡) 신사가 있다.
Kaizan describes Nichiren
小説「大菩薩峠」の「他生の巻」第1章において盲目の僧弁信が独白で「日蓮上人しょうにん」を礼讃し、第22章では武士で漂泊の画家である田山白雲が「日蓮上人しょうにん」の著した開目鈔や撰時鈔などの一次資料にもとづいてその思想を論じ、駒井甚三郎は日蓮とキリストとの類比を云う。 他生の巻1: ...「鳥と虫とは鳴けども涙落ちず、日蓮は泣かねど涙ひまなし……と日蓮上人しょうにんが仰せになりました」 弁信法師がこういって、見えない眼をしばたたいたのは、物に感じて、また例のお喋しゃべりを禁ずることができなくなったものでしょう。 「鳥と虫とは鳴けども涙落ちず、日蓮は泣かねど涙ひまなし……と日蓮上人しょうにんが仰せになりましたのは……」 弁信法師は、地上の虫が咽むせぶように咽び出して、 「現在の大難を思うも涙、後生ごしょうの成仏じょうぶつを思うてよろこぶにも涙こぼるるなり、鳥と虫とは鳴けども涙落ちず、日蓮は泣かねど涙ひまなし……と御遺文のうちから、私が清澄におります時に、朋輩から教えられたのを覚えているのでございます」といって、あらぬ方かたに向き直って、いつもするように、誰をあてにともない申しわけ... ...「日蓮上人は、安房あわの国、小湊こみなとの浜でお生れになりました。こういう山国とちがいまして、あちらは海の国でございます、大洋の波が朝な夕なに岸を打っては吼ほえているのでございます……小湊へおいでになった方も多いでございましょうが、あの波の音をお聞きになりましたか……今も波の音が南無妙法蓮華経と響いて聞えるのが不思議でございます、それは日蓮様がお生れになる以前から、やはり南無妙法蓮華経と響いていたのでございましょう……海の波がしらは獅子の鬣たてがみのようだと、人様が申しましたが、私共が聞きますと、大洋の波の音は、獅子の吼える音とおなじなのでございます」 虫の鳴く音から誘われた弁信の耳には、東夷東条安房の国、海辺の怒濤どとうの響が湧き起ったようです。 他生の巻22: ...田山白雲は暫くして、昂奮から醒さめたように冷静になって、 「日蓮の遺文集を読み出したのは、小湊滞在中の記念です。私はその十日の間に、日蓮の遺文全部を読みました。片田舎の子供が初めて海を見て、水が生きてる! といったように、人間が生きている! と腹のドン底から動かされたのは、その時です」と言って白雲は、また行李の中をさぐって、別に一小冊子をとりだしつつ、 「駒井さん、あなたは日蓮をお読みになりましたか。日蓮をお読みになるならば、直接にその遺文集を読まなければなりません、後人の書いた伝記、注釈、すべて無用です。また騒々しいお会式えしきの太鼓の雑音の中で、凡僧の説教や、演劇の舞台や、土佐まがいのまずい絵巻物の中から、日蓮上人しょうにんを見てはいけません。私が泊っていたところの居士が、私に日蓮上人しょうにんの遺文集全部を貸してくれたものですから、幸いにそこで私は、生ける日蓮にお目にかかるの機縁を得たことを、感謝せずにはおられません」 「それは非常によいことです」 駒井がそこへ言葉を挟んでいうことには、 「おそらく、あなたの今度の収穫中、それが第一のものでしょう。私もまだ日蓮の概念を知って、内容を知らないものです、あなたの日蓮観をお聞かせ下さい」 「よろしうございます。私は、ほとんど幾晩も徹夜して、この通り遺文集全部の中から書き抜いて持っております、日蓮を説明するにはやはり日蓮自身をして説明せしむるよりよきはなかろうと思います」 白雲の取り出した小さな本は、今度のは絵ではありません。よき根気を以て書いた細字の、数百枚をとじた小本でありました。 「幸いに、拙者を泊めてくれた居士は、まだ世間に流布るふされていない秘本をずいぶん持っていましたからね……『日蓮ハ日本国東夷東条安房ノ国海辺ノ旃陀羅せんだらガ子ナリ』これは佐渡御勘気鈔さどごかんきしょうという本のうちにあるのです。『イカニ況いはんヤ、日蓮今生こんじやうニハ貧窮下賤ひんぐうげせんノ者ト生レ旃陀羅ガ家ヨリ出タリ。心コソ少シ法華経ヲ信ジタル様ナレドモ、身ハ人身ニ似テ畜身ナリ……』と、これが日蓮自身の名乗りなのです。この名乗りを真向まっこうにかざして、一世を敵にして戦いをいどみました。日本という国は、幸か不幸か系図を貴ぶ国柄で、たとえば征夷大将軍になるには、どうしても源氏の系統をこしらえなければならず、たまたま土民の中、乞丐きっかいの間から木下藤吉郎のような大物が生れ出でても、その系図の粉飾には苦心惨憺したものです。人間をかざるものが主となって、人間そのものが従になるのです。ですから後光ごこうと肩書があって初めて人間が光るので、人間そのものの本質を、泥土の中から光らせるという本当の人間がありません……そこへ行くと日蓮は巨人です、日蓮にもったいらしい系図書をくっつけたのは、みな後人の仕事で、日蓮自身の遺文のどこを読んでみても、おれの先祖は誰々だと誇張したところは一カ所もないのです。私は、小湊こみなと、荒海あらみ、天津あまつ、妙たえの浦うらあたりの浜辺に遊んでいる真黒なはなたらしの漁師の子供を見るたびに、聖ひじり日蓮ここにありと、いくたび感激の涙をこぼしたか知れません。万代不朽の精神界の仕事をする人にとっては、徹底的の卑賤の出身が、どのくらい幸福であるか知れないということを、特に日蓮において私は衷心ちゅうしんにきざまれました……徹底的のところには、すべての人間相が少しも姿を隠さずに眼前に現われて来ます、誰も荒海の漁師の子に阿媚あびと諂佞てんねいを捧げるものはありません、真実は真実として、虚偽は虚偽として、人間相そのままが人間を教育してくれるのです」 そこへ金椎キンツイが日本のお茶を持って来ました。 お茶を置いて金椎が丁寧なお辞儀をして出て行ってしまうと、駒井甚三郎はそのお茶を白雲にすすめ、自分もすすって、 「今の少年が、あれで熱心な切支丹きりしたんの信者なのです、イエス・キリストの……」と言いますと、 「ははあ」 熱している面かおをさましながら白雲は、気のあるような、ないような返事。 「あれの語るところによると、イエス・キリストも、また、微賤なる大工の子の出身だといっています、そうしてキリストが、世界の歴史を両分し、人間の心を支配しているのだというようなことをいっています」 「ははあ」 白雲は再び、気のあるような、ないような返事でしたが、急に思い立ったように、 「そうです、そうです。私はキリストのことをよく知りませんけれど、なんにしても西洋の数千年来の文明を指導して来たのですから、そのくらいの抱負はありましょう。日蓮も言っています、『我レ日本ノ柱トナラム。我レ日本ノ眼目トナラム。我レ日本ノ大船トナラム――』これは開目鈔かいもくしょうのうちにあります。『日蓮ハ日本国ノ棟梁とうりようナリ、予われヲ失フハ日本国ノ柱幢はしらヲ倒スナリ――』これは撰時鈔せんじしょう――」 白雲は再び小冊子をくりひろげて、いちいち書抜きを指点しながら、 「ともかく、こういう真実性を持った巨人が現われて来ますと、凡俗は驚きますよ。人間が生きている! というわれわれの無邪気なる驚異で済まされないのは、その立場をおびやかされやしないかという小人ばらの恐怖です。多年、糊で固めておいた自分たちの立場が、この巨人のために一息で吹き飛ばされては大変だ。そこで狼狽ろうばいがはじまります、そこで小人が巨人を殺しにかかります」 「どうも困りものですね、巨人も小人も共に生きてゆくわけにはゆきませんか」 駒井が浩嘆こうたんすると白雲が、 「それをするには巨人が韜晦とうかいして隠れるよりほかはありません……ところが日蓮においてはそれが反対で、巨人自身があくまで戦闘的に出でたのですからね、たまりません……しかし、この巨人は秀吉のように家康のように武力を持っているわけでもなんでもなく、前に申す通り旃陀羅せんだらの子ですからな、ほんとうに素裸すっぱだかです。しかるに敵はあらゆる武器を利用することができます」といって白雲はお茶を飲みました。そうして嘯うそぶくように気を吐いて、外をながめると、ちょうど窓の開いてあったところから、かぎりもない外洋の一部が眼に入って、そこから心地よい海の風の吹いて来るのを感じました。 「これは日蓮自身もいっています――世には王に悪にくまるれば民に悪まれない、僧に悪まれる時は俗に味方がある、男に悪まれても女には好まれ、愚痴の人が悪めば智人が愛するといったふうに、どちらかに味方があるものだが、日蓮のように、すべて悪にくまれる者は、前代未聞にして後代にあるべしともおぼえず……生年三十二より今年五十四に至るまで、二十余年の間、或いは寺を追い出され、或いは所を追われ、或いは親類を煩わずらわされ、或いは夜打ちにあい、或いは合戦にあい或いは悪口あっこうかずを知らず、或いは打たれ、或いは手を負う、或いは弟子を殺され、或いは首を切られんとし、或いは流罪るざい両度に及べり、二十余年が間、一時片時も心安き事なし――『日本国ハ皆日蓮ガ敵トナルベシ――恐レテ是ヲ云ハズンバ、地獄ニ落チテ閻魔えんまノ責ヲバ如何いかんセン――』これですから堪りません、悪にくまれます――しかし、駒井さん、薄っぺらの雷同の人気取りの、おたいこ持ちの日和見ひよりみの風吹き次第の小股すくいの、あやつりの、小人雑輩の紛々ふんぷん擾々じょうじょうたる中へ、これだけの悪まれ者を産み出した安房の国の海は光栄です。今でも小湊の浜辺に立ってごらんなさい、われは日本の柱なりという声を聞かずにおられませんよ」
Kaizan describes Issa
小説「大菩薩峠」の「他生の巻」第32章において著者中里介山(1885-1944)は「旅の俳諧師」に一茶論を展開させている。介山は「一茶教」の信奉者を揶揄しているのかもしれない。以下抜粋して引用する。 ...「わしどもは、旅の俳諧師はいかいしでございましてね、このたび、信州の柏原かしわばらの一茶宗匠いっさそうしょうの発祥地を尋ねましてからに、これから飛騨ひだの国へ出で、美濃みのから近江おうみと、こういう順で参らばやと存じて、この山越えを致しましたものでございますが……ふと絵図面を見まして、これよりわずかのところに白骨温泉のあることを承知致しましてからに、道をまげて、これよりひとつ、その白骨の温泉に温ぬくもって参らばやとやって参りました」 熊狩りの一行は、この俳諧師の出現に機先を折られた様子...(熊狩り)見学の池田良斎はやや離れて後からくっついて、新たに出現した俳諧師を生捕ってしまいました。 「あなた、俳諧をおやりなさるのですか」 「へ、へ、へ、少しばかり……」 年の頃は、まだ三十幾つだろうが、その俳諧師らしい風采ふうさいが、年よりは老ふけて見せた上に、言語挙動のすべてを一種の飄逸ひょういつなものにして見せる。 「信州の柏原の一茶の旧蹟を尋ねて、只今その帰り道なのでございます」 「ははあ、なるほど、一茶はなかなか偉物えらぶつですね」 「え」といって俳諧師は眼を円くし、 「失礼ながら、あなたにも一茶の偉さがおわかりですか」 「それは、わたしにもいいものはいい、悪いものは悪いとうつりますよ」 池田良斎が答えると、俳諧師は驟雨にわかあめにでも逢ったように身顫みぶるいをして、 「では一茶の句集でもごらんになったことがございますか」 「あります、あります、『おらが春』を読みましたよ」 「おらが春――たのもしい、あなたがそういう方とは存じませんでした」 俳諧師は着物の襟をさしなおして恐悦がりました。仲間ちゅうげんみたような風采をしていた良斎の口から一茶を褒ほめられて、自分の親類を褒められたような気になったのでしょう。有頂天うちょうてんになった俳諧師は、 「おらが春を本当に読んで下されば、一茶の生活と人間と発句ほっくの精神とはまずわかります、わかるにはわかりますがね、人によってそのわかり方の違うのはぜひもありません。あなたは、一茶という人間をどういうふうにごらんになっていますか、それを承りたい」 池田良斎がこの質問に逢って少しく首を捻ひねりますと、俳諧師はそれにかぶせて、 「どうですな、一茶の偉いというのは太閤秀吉の偉いのとは違いましょう、日蓮上人の偉さとも違いましょう、また近代のこの信濃の国の佐久間象山の偉さとも違いましょう、一茶の偉さは英雄豪傑としての偉さではありませんよ、人間としての偉さですよ、信濃の国の名物中の名物は俳諧寺一茶ですよ……いや、信濃の国だけではありません、この点において一茶と並び立つ人は天下にありません、一茶以前に一茶無く一茶以後に一茶なしです……」 俳諧師の言葉に熱を帯びてきました。 ...こちらは歌人――とは断定できないが――と俳諧師とは、古人を論じて来時の道を忘るるの有様です。 しかし、どうやら間違いなく二人は白骨の宿へたどりつくと、池田良斎が東道とうどうぶりで、炉辺に焚火の御馳走を始めました。 ところで、この俳諧師の俳諧寺一茶に対する執着は容易に去らない。 「古人は咳唾がいだ珠たまを成すということをいいましたが、一茶のは咳唾どころじゃありません、呼吸がみな発句ほっくになっているのです、怒れば怒ったものが発句であり、泣けば泣いたのが発句となり……横のものを縦にすれば、それが発句となり、縦のものを横に寝かせば、それがまた発句です。その軽妙なること俳句数百年間、僅かに似たる者だに見ずと、時代を飛び越した後人がいいましたけれども、それでも言い足りません。 一茶の句は滑稽味が多いとおっしゃるのですか。それはやはりあなたも素人観しろうとかんの御多分に漏れません。よく一茶を惟然いねんや大江丸おおえまるに比較して、滑稽詩人の中へ素人しろうとが入れたがります。『おらが春』の序文を書いた四山人というのが、それでも、さすがに眼があって、これを一休、白隠と並べて見ました。それでも足りないのです。 また、一茶の特色を、滑稽と軽妙と慈愛との、三つに分けた人もあります、慈愛を加えたのが一見識でございましょう。一茶の句をすべて通覧してごらんになると、森羅万象がことごとく詠よまれぬというはありません、その同情が、蚤のみ、虱しらみ、蠅はえ、ぼうふらの類たぐいにまで及んでいることを見ないわけにはゆきますまい。 それとまた一方に、一茶を皮肉屋の親玉のように見ている人もあります。つむじ曲りの、癇癪持かんしゃくもちの、ひねくれ者のように見ている人もあります。勧農の詞ことばなんぞを読んで聖人の域だと感心している人もあります。しかし、それはみんな方面観で、当っているといえば凡すべて当っているし、間違っているといえば凡てが間違っているのです。本来、一茶のような人間に定義をつけるのが間違いなのです… …ごらんなさい、これは天明から文政の間、まあ一茶の盛りの時代に出た全国俳諧師の番附ですが」といって俳諧師は、行李こうりの中から番附を取り出して良斎に見せ、 「本来、風流に番附があるべきはずのものではありませんが……俗世間には、こういうものを拵こしらえたがる癖がありましてね。この番附には一茶が入っておりません、たまに入っているかと思えば、二段目ぐらいのところへ申しわけに顔を見せているだけです。しかし、これは仕方がありません、点取り宗匠連が金を使って、なるべく自分の名を大きくしておかないと商売になりませんからね、一つは商売上の自衛から出ているのですが、 面白いのは、一茶の子孫連中がその祖先の有難味にいっこう無頓着で、一茶が最後の息を引取った土蔵――それは今でも当時のままに残っておりますが、左様、土蔵といったところで、一間半に二間ぐらいのあら壁作かべづくりのおんどるみたようなもので、本宅が火事に逢ったものだから、一茶はこの土蔵の中に隠居をして、その一生涯を終りました、その土蔵の中へジャガタラ芋いもを転がして置きました、たまに、わたしどもみたような人間が訪れて礼拝するものですから、その子孫連中があきれて、何のためにこんな土蔵を有難がるのかわからない顔をしている有様が嬉しうございました… 小林一茶(1763-1828)終焉の地(長野県信濃町柏原) …西洋の国では、大詩人が生れるとその遺蹟は国宝として大切に保護しているそうですが、日本では、一茶のあの土蔵もやがて打壊されて、桑でも植えつけられるが落ちでしょう。一茶というものは、時代とところを離れて、いつまでも生きているものだから、遺蹟なんぞはどうでもいいようなものですけれど… …一茶の子孫の家ですか、それは柏原の北国街道に沿うて少し下ったところの軒並の百姓家ですが、今も申し上げた通り、自分の先祖の有難味を知らないところが無性むしょうに嬉しいものでした。家を見て廻ると、あなた、驚くじゃありませんか、流し元の窓や唐紙からかみの破れを繕つくろった反古ほぐをよくよく見ると、それがみんな一茶自筆の書捨てなんですよ。知らずにいる子孫は、いい反古紙のつもりで、それを穴ふさぎに利用したものです。あんまり驚いたもんですから、わたしどもはそれを丁寧にひっぺがしてもらって、こうして持って帰りました。 それからこの渋団扇しぶうちわ、これもあぶなく風呂の焚付たきつけにされるところでした。ごらんなさい、これに『木枯こがらしや隣といふも越後山』――これもまぎろう方かたなき一茶の自筆。それからここに付木つけぎっ葉ぱがあります、これへ消炭けしずみで書いたのが無類の記念です。一茶はああした生活をしながら、興が来ると炉辺の燃えさしやなにかを取って、座右にありあわせたものに書きつけたのですが、こんなものをその子孫が私どもに、屑くずっ葉ぱをくれるようにくれてしまいました。 あんまり有難さに一両の金を出しますと、どうしても取らないのです、そういう不当利得を受くべきはずのものじゃないと思ってるんですな。これは先祖の物を粗末にするというわけじゃない、その有難味のわからない純な心持が嬉しいのですね。それでも一茶自身の書いた発句帳、これはその頃の有名な俳人の句を各州に分けて認したためたもの、下へは罫紙けいしを入れて、たんねんにしてあった、これと位牌いはい、真中に『釈一茶不退位』とあって左右に年号のあるもの、これだけは大切に保存していました」 俳諧師は、話しながら、渋団扇だの付木っ葉だのを取り出して良斎に見せました。
rain in summer, snow in winter
韓国の春川チュンチョン市に住む友人が同市中心部の明洞ミョンドンに書店を開いた。店の名を夏雨ハウ冬雪トンソルという。書籍だけでなくワインも販売する。 한국 춘천에 사는 친구가 시내 중심가인 명동에 서점을 열었다. 가게 이름은 '하우 동설'이다. 책뿐만 아니라 와인도 판매한다.
my offices
友人宅の2階東北角にある葡萄の蔓で囲まれた窓のある部屋、ここが新しいオフィスだ。水曜と木曜に出勤する。窓を開けると近くの小学校に通う児童たちの元気な声が聞こえる。 5歳から中学卒業まで過ごした善福寺川沿いの家に4-5間×1間ほどの葡萄棚があった。あの木を植えたのは祖父だったろう。平屋の家の屋根に上がって、葡萄の粒をパチンコの玉にして下校する級友や教員を標的にしたのは何歳のときだったろう。 葡萄の蔓に囲まれた東面の窓北面の窓を開けると、さわやかな風が吹き込む自宅ではデスクが部屋の北西角にある西面の傾く陽に向かふ哉 친구 집 2층 동북쪽 구석에 있는 포도나무로 둘러싸인 창문이 있는 방, 이곳이 나의 새로운 사무실이다. 당분간은 수요일과 목요일에 출근한다. 창문을 열면 근처 초등학교에 다니는 아이들의 외치는 소리가 들린다. 다섯 살부터 중학교 졸업 때까지 살았던 젠푸쿠지(善福寺)강변의 집에 4-5칸(間)*×1칸 정도의 포도나무가 있었다. 그 나무를 심은 사람은 할아버지였을 것이다. 단층집 지붕에 올라가 포도알을 새총알로 만들어 …
Et tu, Asahi?
朝日新聞よお前もか。讀賣新聞が号外を出したり一面トップに長嶋選手の訃報を掲げるのは当然といえなくはない。ただ、朝日新聞は韓国の大統領選をトップにして欲しかった。天声人語まで長嶋礼讃になると、あゝお前もか、と嘆きたくもなる。最近のNHK番組の民放化と同じく、メディアの同質化傾向に無気味なものを感じるのは僕だけだろうか。 아사히 신문아 너도 그렇군요? 요미우리신문이 호외를 내거나 1면 톱에 나가시마 선수의 부고를 실은 것은 당연하다고 할 수 있다. 다만, 아사히신문은 한국의 대통령 선거를 톱으로 다뤄주었으면 좋았을 텐데. 천성인어(天聲人語)까지 나가시마 예찬이 되니, 아, 너도 그렀구나 하고 한탄하고 싶을 정도다. 최근 NHK 프로그램의 민방화(民放化)와 마찬가지로 미디어의 동질화(同質化) 경향에 섬뜩함을 느끼는 자는 나만일까.
June bike ride
数ヵ月ぶりで小金井の友人宅に行くと、退職祝いに豊橋鰻と唐揚げでもてなしてくれた。自家製だんごもうまかった。同世代ならはの話題で盛り上がった。帰りはしばらく預けて置いたMTBに乗って約25km、五日市/青梅街道と環状7号線沿いに走った。 愛車は軽快そのもの、1時間45分休むことなくペダルを踏み続けた。荒い運転や警笛を鳴らすドライバーがふえた。ヘルメットを被らず信号を無視する自転車乗りも多い、末法の荒んだ人心を反映しているのだろう。 久々に自転車に油をさして拭いた、愛着が増す 몇 달 만에 코가네이(小金井)의 친구 집에 갔더니 퇴직 선물로 토요하시(豊橋) 장어와 튀김을 대접해 주었다. 그가 직접 만든 만두도 맛있었다. 동세대다운 화젯거리로 계속 웃었다. 돌아오는 길은 친구집에 보관되어 있었던 MTB를 타고 약 25km, 이쯔카이치/오메 가도와 환상 7호선을 따라 달렸다. 애차는 너무 경쾌했고 1시간 45분 동안 쉬지 않고 페달을 밟았다. 난폭운전을 하거나 경적을 울리는 …
chairs move
初めは事務所を借り、ほとんどの期間を非常勤で約10年勤めた会社を辞めた。正確には約3ヵ月中断したが、最後の6ヵ月は常勤だった。6月からは自宅から小径車で1時間のところにある友人宅の空き部屋が僕の仕事場になる予定だ。 最後の1ヵ月、朝夕の通勤時に通る丸テーブルとイスの置かれた広場が身近に感じられた。通過するとき、イスの色と配置が日々変化した。僕が知らない間に移動しているのだが、イス自身が対話して動いたように感じられた。僕は少し病んでいたかもしれない。[Korean and English translations appear down below.] 처음에는 사무실을 빌려 대부분의 기간을 주 3일의 비상근으로 약 10년간 다녔던 회사를 그만두었다. 정확하게는 약 3개월 중단했지만 마지막 6개월은 상근으로 일했다. 6월부터는 집에서 작은 자전거로 1시간 거리에 있는 친구 집의 빈방이 내 작업실이 될 예정이다. 지난 한 달 동안 아침저녁 출퇴근길에 지나가는 원형 테이블과 의자가 놓인 광장이 …