MTB の本年初乗り。朝7時半過ぎに大田区の自宅を出て、9時過ぎに小金井の友人宅に着いた。そこでMTBを車に積み、五日市街道を経て岩蔵街道沿いにある七国峠へ。 ここは、僕らのホームゲレンデのようなところだ。寒さに人一倍弱いHが震えている。気温は零度ぐらいだったろう。じっとしていると、身体に寒気がしみ込んでくる。 昼飯時にバーナーで湯を沸かそうとしたら、ライターが見つからない。 不覚だった。何とかバーナーの着火装置で火をつけたが、だめだったら、Hは寒さのあまり怒りだしたに違いない。こんなこともいい思い出だ。 三年目に入ったMTBのタイヤとチューブを両輪とも交換し、ブレーキパッドも新しくした。まるで新車に乗っているようだ。
今日の歳時記: クスリグイ[薬喰]
凍りたる わが身とけゆく 薬喰 星野 こと子 仏教の普及により殺生が禁断され、肉を食べてはいけない時代があったが、薬と称して、ひそかに鹿や猪などの獣肉を食べ、体を温めたともいう。病人などへの滋養でもあった。 厳冬期は毎年訪れる。雪国に住む人々にとって、紅葉鍋(鹿肉)や牡丹鍋(猪肉)の薬喰、今ふうには、ジビエ料理とも呼ぶらしいが、寒さに耐えての“ご褒美”である。
零れ話: スモウ[相撲]
大相撲初場所(両国国技館)が行われている。 わが国の国技といわれる相撲は、建御雷神(たてみかづきのかみ)と建御名方神(たてみなかたのかみ)の二神が力くらべをした事が始まりといわれる。 ところで、相撲取りが職業化したのは、寛永元年(1624)で、江戸四谷塩町の笹寺の境内で、晴天六日公開した。その後、毎年三月に深川八幡宮境内で興行するようになった。更に、回向院境内で移り、四月の10日間の興行になり、明治に入ると年二回(一月、五月)の興行となった。徐々に興行回数が増え、現在の十五日間六場所制になったのは、第二次世界大戦後である。
今日の歳時記: カガミビラキ[鏡開=鏡割]
相撲の金剛力や鏡割 鬼城 昨日 食された方が多いでしょうね。 暮れについた餅も、この頃になると堅さを増し、ひび割れがはげしくなる。十一日に鏡開きを行い、お餅を処理してしまうのは生活の知恵でもある。 鏡開きの起源は室町時代。江戸時代には正月二十日が式日とされたが、三代将軍家光の忌日が、偶々、二十日である為、十一日に改められたらしい。一部、十四日に行うところもある。 お汁粉などにして食べるところが多い。
零れ話: トソ[屠蘇]
屠蘇は、中国から伝来した正月の儀式である。 「屠蘇」という言葉は、“蘇”という名の悪鬼を殺(=屠)したとか、悪い鬼を屠(ほふ)って死者を蘇(よみがえ)らせたとか、いろいろな言い伝えがある。 この屠蘇を飲む風習は、日本では平安時代から宮中で行われたのが始まりという。一人がこれを飲むと一家に病気をする者はなく、一家でこれを飲むと、一里(一部落)に病気をする者がいなくなるという、大変めでたい効能があるという。 皆んなの“幸せ”を願って「お目出度う」「乾杯」なのだ…
今日の歳時記: ゾウニ[雑煮]
我が前に 妻置き子置き 雑煮喰う 梧逸 雑煮は、ふつう三が日の間祝うが、家によっては六日まで、七草がゆ以降は食べないところもある。 様々なものを入れ混ぜ、地域によって仕上がりがちがうが、関東では“すまし汁”、関西では“味噌汁”のことが多い。 畿内では、古くは「かん(あつものの意)」といい、江戸新吉原でも「かん」と呼んでいたらしい。
零れ話: ゲンプク[元服=成人式]
以前、成人式は一月十五日であったが、今や、一月の第ニ月曜日があてられている。そして年齢も、現状は二十歳であるが、何やら、グローバル化とやらで、一部法律では、十八歳となった。 何をもって、“一人前”とするかは難しい、世界に合わせることはないように思うが…。 要は、周囲の人々が、親の育ての苦労を称え、本人の成長を祝い、大人への仲間入りを認めることである。 でも、本人が、“権利”と共に“義務”も生じることの“自覚”ができていないなら、何おか言わんや…。
今日の歳時記: ハゴイタ[羽子板]
つく羽の 音のつゞきに 居る如し 汀女 むくろじという黒く堅い木の実に鳥の羽をつけた羽子(はね)を、柄のついた長方形の板でついて遊ぶ正月遊戯の具。 古くは「こぎ板」と呼ばれ、簡素なもので、押絵や描き絵を付けて、女の子の遊び用具になったのは江戸時代の元禄の頃からである。 あそび方には、一つの羽子を二人以上でつく“追羽子”、数え歌を歌いながら一人でつくて勝負を競う“揚羽子”などがある。
零れ話: ナナクサガユ[七草粥]
昔から、正月七日には、七草粥を食べる習慣がある。 七草とは、“せり、なずな、ごきょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ”が標準的なものとされている。 古くは、万病をのぞくといい、正月の初めての子(ね)の日に、野山に出て、小松を採り、若葉をつんで、あつものにして食べた遊びに始まるといわれる。
今日の歳時記: デゾメ[出初]
出初式 都の鐘の 鳴りつくし 青嵐 新年のはじめに、消防出初式といって、消防職員や町内の鳶(とび)の者たちが集まって、演習する事をいう。模擬火災や、はしごの曲乗りなどが行われる。 東京では、一月六日、皇居前広場で行われるが、地方によって、日はまちまちである。 幼き頃、川辺での、一斉放水を眺めたことが、懐かしい。
零れ話: フクビキ[福引]
福引とは元来、糸の一端に景品を結びつけ、其の端を集めて、一本ずつ引かせ、当たった品物を与える遊びである。 福引は、既に、奈良時代には行われていたといわれる。 明治三十一年に、日本勧業銀行から割増付債券が発行されてから、民間でもこれに似た方法のものが流行し、その後、年末年始などの商店の大売出しにも、福引をつけることが多くなった。
今日の歳時記: ハツニ[初荷]
おとなしく かざられてゐぬ 初荷馬 鬼城 新年の商い始めの荷。 昔は正月二日に、問屋や商店から、馬や荷車、舟などに商品を高く積み、紅白のきれで美しく飾り、旗をひるがえして、売り先に届けた。 現在は、コンビニ、等が展開したこともあり、昔の面影もなく、年中、二十四時間開店で、お正月の風物詩を見かけることが、すくなくなった。
零れ話: 一月の異名
一月(正月)は、睦月(むつき)、初空(はつそら)、初陽(しょよう)、子春(ししゅん)、開春、発声、などと呼ばれている。 一月を「むつき」と呼ぶ由来については、正月に親族が集まって楽しく遊ぶ、つまり睦(むつ)み合う、と意味からきているとの説が有力である。更に、「本つ月(もとつつき)」が略されたとの説などがある。
零れ話: カドマツ[角松]
最近ではあまり見かけなくなったが、正月は家の角先に角松を立てる習慣があった。これは門松に年神が降臨するという信仰からきている。 松は十二月十三日に山から伐ってくるが、これを“松迎え”・“正月様迎え”という。その松に注連縄を張って、聖なる場所であることを示すのである。 ところで、神が降臨する木は、松でなくても、常緑樹なら、なんでもいいと言われている。
今日の歳時記: トシタツ[年立つ]
寄り添いて 蕾ふっくら 福寿草 「かくて明けてゆく空のけしき、昨日にかわはりたりとは見えねど、ひきかへてめづらしき心ちぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、またあわれなれ」…“徒然草”
今日の歳時記: ユクトシ[行く年]
行年の ともし火なりと 明うせよ 虚子 歳末のことであるが、「年の暮れ」のもつあわただしさは なく、流れるように過ぎ去ってゆく一年を、惜しみ振り返るような気持がある。 そして、来る年の、家内の安全と健康を祈りたい。 寄り添いて 蕾ふっくら 福寿草
零れ話: オトシダマ[お年玉]=マッコ
方言「マッコ」は、新年の祝儀として贈る「年玉」に、親しみを表す「コ」が付いて「タマッコ」「マッコ」と変化したという。 また昔、馬を引き出物として贈ったことから、「馬ッコ」に由来するという説もある。中身が少ないからと「ヤヘマッコだばって(痩せた馬ッコだけど)」と渡したらしい。 中身の多少はともかく、贈るという気持ちを大切にしたいものですね。
今日の歳時記: ニッキカウ[日記買う]
書かざれど すでにわがもの 新日記 波津女 年の暮れの書店には、新しい装いをこらした日記が、どっと出まわる。新しい日記を買うのは、新年を迎える喜びの一つである。 この年に日記をつけなかった人は、来年こそはと日記を購める。 日記をつけている人は、残り少くなった日記を惜しみながらも、新しい日記を枕に置く。
零れ話: シメナワ[注連縄]
尻久米縄(しりくめなわ)の略といわれる。 内外の境界、又は、出入禁止のしるしに引き渡すための縄で、特に、神前、又は、神事の場に引いて、清浄な地を区画するのに用いる、又、新年の門戸に張って、禍神(まががみ)が内に入らないようにとの意を示すものといわれる。 ある意味で、バリアフリーの確保か…
今日の歳時記: モチツキ[餅搗]
かるがると 上る目出度し 餅の杵 虚子 年末の二十五日から二十八日にかけて餅を搗いていた。近年、都会では餅屋に注文することが多くなり、田舎でも、自宅での餅搗きを、見かけることも少なくなっている。 ペッタン、ペッタンと餅を搗く音は心地よいものであった。 搗いたばかりの小豆餅は子ども達の大好物。 蒸したての餅米に、お塩を振りかけて食べるのも美味かった。