Min Jin Lee は1968年に韓国で生まれ、7歳のとき家族とともに米国に移住し、ニューヨーク市に住むことになった。2nd grade に入学するが、授業も同級生の会話も聞き取れず、つらい孤独な時期を過ごしたようだ。https://www.minjinlee.com/ 本もテレビもない家庭にあって、彼女の楽しみの一つは毎夕食時に共働きの両親が日々仕事で接した人びとについて語るのを聞くことだったという。登場人物の多くは在米コリアンだったようで、彼女のなかに彼らの人物像が形成されていった。 父親は北朝鮮の出身で、朝鮮戦争の戦禍を逃れてプサンにたどり着き、戦後は米軍関係の仕事に就いたらしい。そのころプサン出身の母親と出会い、周囲の反対を押し切って結婚したという。母親の周辺に教会関係者がいたようだ。Min Jin Lee の略歴にふれたのは、小説 Pachinko が描く在日コリアン像に著者の在米コリアンとしての来歴が重なって見えるからだ。 小説 Pachinko は、大日本帝国が朝鮮を併合した1910年から「冷戦終結」とされる89年までの激動期を生き抜いた4世代のコリアンの群像を描き、時代背景を浮き彫りにしている。小説の舞台はプサン・ヨンド(影島)、大阪、東京、横浜、長野、ニューヨークだ。米国社会を加えることで、在日コリアンを相対化し、日本社会の特殊性を浮き彫りにしている。 第2部後半から第3部までの同時代を生きた僕は、この小説を読みながら自分の当時の姿を投影して振り返っていた。隣国に関心を持つ日本人は稀で、新聞各紙が北朝鮮を「地上の楽園」と礼讃していた70年前後、そこに理想社会を見た多くの人が嬉々として万景峰号に乗り込んでいった。 この小説もそういう在日の姿を見落としていない。実際は北朝鮮による拉致事件が横行していたのに、日本の政界も公安当局も把握できなかったか黙過した。後年摘発する者が出てきたが、遅きに失した。 この小説は、読者に当時の日本社会と隣国との関係を振り返ることを強いる。50年前に僕が感じ考えていたことを Min Jin Lee がジャーナリストの観察眼と小説家の感性で文章化してくれた。この点、大いに彼女に感謝しなければならない。 三部構成の小説 Pachinko 第1部 1910-33年: 日本の植民地時代のヨンド、スンジャの両親が営む下宿屋、漁師などの下宿人との生活、スンジャの父で障害者のフーニィと彼の死、市場を取り仕切っていたであろう済州島出身のハンスとの恋愛と妊娠、ハンスとの訣別。 結核を煩いながら平壌からプサンまで旅行し、倒れ込むように下宿屋にたどり着いた牧師イザクとスンジャの出会い、彼女が身重であることを知りながら、イザクはスンジャと結婚し、牧師の職を担うため日本に向かう。 第2部 1939-62年: イザクの兄ヨセフを頼ってイザクとスンジャが大阪に着く。ヨセフ夫婦とともに大阪の猪飼野に住み、スンジャは長男ノア(実父はハンス)を出産し、数年後にイザクとのあいだに次男モザスを産む。イザクは二人の子どもに愛情を注ぐ。 40年代、イザクは所属教会の牧師と助手とともに官憲に捕らえられ、数年後に死期を迎えて解放される。他の二人は獄死する。牧師は在日コリアンで、もう一人は在日中国人だった。 ノアは成績優秀だが、貧乏ゆえに数年浪人して早稲田大学英文科に進む。ハンスが実父とは知らされずに、やくざの彼に入学金と授業料のみならず、贅沢なアパートと生活費の提供を受ける。 大学3年のとき交際したアキコの好奇心が引き金になって、やくざのハンスが実父だと知るや、ノアは誰にも行き先を告げずに逃亡する。長野県で周囲の人びとに出自を隠してパチンコ屋に就職し、同じ職場のリエと結婚し、家庭を築く。 ノアの弟モザスは兄と違って勉強嫌いで、力道山を崇める正義感の強い男子だ。学校生活になじめずに高校を中退し、在日の経営するパチンコ屋に就職して家計を助ける。 兄の影響である程度英語ができたモザスは、アメリカに焦がれるユミと結婚する。店舗を任されるまでになり、横浜の新店舗のマネージャーに就任する。順調に見えたが、妻のユミが交通事故死したことで暗転する。 第3部 1962-89年: モザスの子ソロモンは横浜のインターナショナルスクールで学び、米国コロンビア大学に留学して卒業し、在米コリアンの女性と帰国し、外資系の投資銀行に就職する。ところが、ゴルフ場用地に住む在日の地主を懐柔する仕事を任され、その地主が急死したことで退社を迫られ、パチンコ業に就く決心をする。それを勧めたのが、彼の初恋の女性で梅毒に倒れたハナだった。父親のモザスは反対するが、結局は受け入れる。 イザクの兄ヨセフは1945年の夏前に長崎に出稼ぎに行って被爆し、帰阪後は寝たきりの生活を送る破目になる。ヨセフはハンスがノアの学費等を出すことに猛反対し、晩年同じ屋根の下に住み、ヨセフの妻キョンヒに想いを寄せたチャンホの北朝鮮行きに最後まで反対し、自分の妻との結婚まで勧めるが、すべて彼の望まない方向に進んでいく。 済州島出身で紳士然としたハンスは、大阪の金満家に可愛がられ、その娘と結婚することで権力を得て、ヨンドと猪飼野周辺を支配するやくざで、日本の敗戦を早く察知し、被爆したヨセフを米軍に頼んで大阪まで搬送する。終始この小説のプロットに関わる運命的な存在であり、スンジャが彼の子を孕んだことが小説の展開を導いているかに見える。 スンジャを支えたのは若くして亡くなった父フーニィの深い愛情と母親の献身とやさしさだろう。母親は後年ハンスの手引きで来阪し、スンジャ家族とヨセフ夫婦と同居する。ノアの拠りどころはイザクではなかったか。長野に隠遁したあと、毎月欠かさずにスンジャとハンスにお金を送り続け、大阪にある父親イザクの墓を訪ねている。ノアは16年ぶりにハンスが探し出した彼を訪ねた母親と再会した夜、40代半ばで自殺する。 小説 Pachinkoは、父親も異なり性格も進路も異なるスンジャの二人の息子が、在日二世であるがゆえに結局はパチンコ屋の仕事に就き、インターナショナルスクールを経て米国留学まで果たした孫も三世であるがゆえにパチンコ屋を継ぐという在日の置かれた状況を描き、米国社会と比較して日本社会の不条理を鋭く批判しているように思う。
Protected: 『百年恨』その後の話
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零れ話: 弥勒菩薩半跏思惟像
永劫の「劫」は古代インドの時間の最長単位。 十一キロ四方の岩を百年に一度、柔らかい布で払い重ねる。 しかし、岩が磨滅してしまっても“一劫”は終わらない。 「政治家は次の時代を考え、政治屋は次の選挙を考える」と言われる。 我々は“永劫”にわたって思惟に耽る事は出来ないが、今、この瞬間で熟慮し、後の人々に「この程度の国民で…、この程度の政治意識…だったのか」と言われないようにしたい。 より良い社会を、胸をはって、子供たちに渡したいものです。
今日の歳時記: コウジ[公示]
あれこれと 批判するより まず一票 谷山 典子 本日より、多くの党が「公党」として、選挙の為の“公約”を、所構わず叫ぶことだろう… 但し、何処が「公党」かを判断するのは、我々“有権者”である。 なかには、化粧をして、素顔が分かりにくい「花顔」の方も、沢山いらっしゃることでしょう。 更に、有権者の中には、「花眼」で、何もかもおぼろに見えてしまう方もいるかもしれません。 是非、前もって視力調整(己で判断…)し、「悪党」を「公党」と見間違いすることがないように、気を付けたい。 己の生活( 命 )を左右する、大事な選択…
零れ話: 万国郵便連合記念日
1874年のこの日、世界22カ国の代表がスイスのベルンに集まり、万国郵便条約に調印し、これを記念して、毎年この日を「万国郵便連合記念日」としている。 日本の加盟は、明治10年2月19日で、これで、外国郵便が安い料金で、自由に送受できるようになった。 メール、等の普及で減少傾向にあるが、手書きの個々の字体で受け取ると、何か“結び目”を感じて、“ホッコリ”する。 偶には、クセ字を気にせず、手書きを📝を試みたい…
今日の歳時記: カンロ[寒露]
寒露 深まる秋 カキたわわ 二四節気の第一七。 太陽の黄経が一九五度の時。 陰暦では九月の節、陽暦では十月八日にあたる。 この頃、朝露をふめば、冷たさを覚え、秋が深まっていくのが感じられる。 つまり、露が寒冷の気にあたって、物象が凍る手前にあるという意である。 秋冷えが身にしみるようになり、木々の葉も紅葉してゆくもの、間もなく散っていくものと様々である。 山々が美しく化粧する時季。
雑題: ガチョーン[我町]?
「達者村百景」の一つ、氏神様である。 かっては、鳥居と社殿の間に櫓を設けて、旧盆明けに老若男女が集い、賑やかに盆踊りが行われ、子供たちは、夏休みにラジオ体操で騒ぎ、放課後・休日には、遊び場であったり、昆虫の採集に夢中になった場所であった。 今や、人影もなく、社の前を通るたび、首をたれながら、昔の賑わいを思い出す。 そして、地域の広場として、何か、人々が集い、結び目を巡らす機会が出来ないものかと考える。
一匹の黒犬
檜原村千石バス停から大滝と綾滝沿いのハイキングコースをMTBを押しながら登っていった。 4週間前に友人が馬頭刈尾根に置いたMTBを取りに行き、そこから前回果たせなかった下りを楽しむためだった。 バス停から続く舗装された林道が途切れ、登山道に入ってすぐだった。細い渓流の反対側の斜面をすべるように下りながら、何かに向かって吠える黒犬を見た。 滝から落ちる渓流沿いの道は岩が多く段差も激しい。MTBを押していくのはつらい。 綾滝の女性的な水の流れを愛でる余裕もなく、ひたすら登っていった。途中、何人かに道を譲り、いつも遅れぎみの友人にも先に行ってもらった。 つづら岩近くの稜線に差しかかる少し手前だった。先行するハイカーが止まり、下る人に道を譲るようにみえた。そこに現れたのはヒトではなく、登山道に入ってすぐのところで見た黒犬だった。 犬に道を譲ろうとしたが、黒犬は動こうとしない。僕が登っていくと、どうしたことだろう、黒犬がもと来た道をもどり、僕を先導するかたちになった。 僕が数歩進んで立ち止まると彼も止まって、僕を見ている。黒毛でおおわれた股間に濡れたピンク色のペニスをのぞかせていた。 賢そうな表情をしたラブラドールの老犬だった。よだれをたらし、やさしそうな茶色の眼でじっと僕を見つめている。 首輪にアンテナのようなワイヤーが付いており、喉のあたりで小さな光が点滅している。飼い主が近くにいて、交信しているのだろうと思った。 こうして、彼は僕を尾根道まで案内してくれ、つづら岩の下に着いていた友人と僕が話しているあいだにいなくなった。 友人のMTBを置いてあったところで昼食をとったあと、二人で大岳山から鋸山に続く稜線をめざした。 40分ほどMTBを押し歩き、急峻な岩場を半ば登ったところで、二人のペースでは明るいうちに下山できない、と判断した。 友人が岩場の手前に着くのを待って「引き返そう」と言った。彼もすぐに同意した。前回の無謀な暗夜行があり、二人とも慎重になっていたのだ。 馬頭刈尾根に沿って昼食をとった場所に引き返し、そこを通過して尾根を進み、二人それぞれのペースで、前回と同じく茅倉へ下る道を進んだ。 下り始めてしばらくすると、うしろに誰かついて来るような気配を感じた。振り返ると、あの黒犬が僕に従うかのように立っているではないか。 僕が進むとついて来て、1-2mうしろで止まる。先に行くように身ぶりと複数の言語で伝えても、じっとこちらを見ているだけで動こうとしない。 正直なところ、不気味な感じがしないではなかった。乗れるところは少し無理してもMTBで走りぬけ、振り切ろうとしたが、すぐにまたピタッとついて来る。 こいつ、己を何だと思っているんだ。己はおまえの飼い主ではないぞ。なぜついて来るんだ。何かをねだろうとしているのか。水がほしいのだろうか。 何度か水をあげようとしたが、器を出すことなどを考えると面倒でやめた。そうこうするうちに、沢を渡ったので、そこで飲めばいいと思った。 MTBで走りながら、倒木をよけようとして転倒したことがあった。自転車のフレームからようやく脚を抜いて振り返ると、彼がおすわりをして僕のほうを見ていた。 こんなふうにして約1時間半、一匹の黒犬と一緒に山道を下っていくなかで、いつしか彼に親しみを抱くようになった。 山中で飼い主とはぐれ、道に迷ったに違いない。僕がどこか飼い主に似ていたのかもしれない。とにかく、僕のことを気にいったのだ。 僕も職を失ったから、道に迷ったようなものだ。迷った者どうしではないか。そんなふうに考えながら、下りつづけた。 林道に出る少し手前で、廃屋の庭に立っていた老人が急に近づいて来て、犬の名前を呼んだ。老人は無線で誰かに「ハイカーと一緒におりてきた」と話していた。 やはり、彼は山中をさ迷っていたのだ。老人は「めったにヒトになつかない犬なのに…」と言った。僕は、黒犬の喉元をさすり、別れのあいさつを交わすと、ひとりで林道に出た。
今日の歳時記: カキ[柿]
㫪や 老木の柿を 五六升 蕪村 柿は果物として食べるだけではなく、柿渋の原料になる。 柿渋は布や網を染めたり、紙に塗ったりする。 「 㫪(うすづく) 」とは石臼に入れて、柿を搗くこと。 柿は「味が微妙」とか言われ、甘い誘惑がいっぱいあふれる現代では、ちょっと地味。 でも、甘柿一個で一日分のビタミンCがとれるなど、侮れない。 派手なものに目を奪われずに、目立たないかもしれないが、良きものを見出したい。
零れ話 : クリカラモンモン[倶利伽羅紋紋]
倶利伽羅(不動明王の右手の持つ、黒竜の剣にまとう模様)、紋紋(模様)の事で、入れ墨のこと。 世界中で行われており、また歴史もある。 日本でも古く、『魏志倭人伝』の中にも記述があるという。 入れ墨にもいろいろあるが、手や足のくるぶしに“桃(🍑)”を入れる事がある。 桃は魔よけの意があるらしい。 別名「がまん」ともいわれ、入れ墨の際の苦痛に「がまんしたしるし」ということらしいが、それはそれとして、その忍耐力を、別な面で活かす事も、お考えいただきたい。
今日の歳時記: シュウカ[秋果]
葉を添えて 籠に盛る 秋の果かな 鹿郎 秋の果物屋の店先には、梨、葡萄、柿、林檎、無花果などの秋の果物が、とりどりに彩っている。 果樹は、春に花咲いて、秋実るものが多い。 まだ、いくらかは夏の名残りをとどめながらも、果物が秋の到来を告げている。
零れ話: オモイ[想い]
『最初から「反対でした」と皆んなで言っていたなら、こうはならないものを』 後になって、「何々には反対だった」とつぶやく方がいる。 会社、等で、しばしば見かける光景だろう… 要は、結果が明らかになってから、態度を表明することになる訳で、ご自分は傷つかない。 でも、判断を求められた際に、黙っている事は指示することと同じ。 反対なら、その際に、ハッキリ言わないと、いつかはご自分の首を絞める結果を招き、後悔しかねない。
今日の歳時記: センテイ[剪定]
剪定の 短かきものの 飛んで来し 石田 勝彦 有権者の多くが目にしている木(党)は“たるみ過ぎ”という杉であったり、“お粗末”という松であったりと、野放図に枝を広げており、有権者の剪定が必要になてきている。 この度の「伐採・剪定」期間に、各木(党)が、ご自身でも、初心に帰り、自己改善に努めないと、“処置なし”という梨の苗木と、“縁切り”という桐の苗木を、有権者から贈呈されかねない。 要は、“有権者の覚悟”と“各党の覚悟”が試される。
零れ話: ホウノヒ[法の日]
十月は「法の日」から始まる。 法律というものの意味を、もう一度、反省せよというわけである。 「人の支配から、法の支配へ」と言われる。 人の支配の要素が強まると、指導者によっては、庶民は塗炭の苦しみを味わされることもある。 どうせ政治は権力の作用であるとしたら、その権力を“抜き身”で振りまわされるより、法律によってその発現形式が定められていることが、庶民にとっては安全である。 しかし、その発現形式が正しく行われているか否かは、庶民が監視しなければならない。 今月下旬、我々(庶民)が、権力に対する評価をする機会を得た。 我々の将来を占う機会であり、覚悟が試される。 自分の頭で、よく考えて、判断・評価したいものだ。
今日の歳時記: クモデ[蜘蛛手]
この川や まだ張りすてて 露はなる 蜘蛛手の棚も よき月夜なり 北原 白秋 蜘蛛手とは四手網。 竹をさし渡して網を張ったもの。 川の河口付近には、蜘蛛手をかかげた木組みの櫓が幾つも建っている。 櫓に登って蜘蛛手を川に沈めて魚や蟹をとる。 棚はこの櫓のことである。 月があたりを照らしている。
零れ話: バンザイ[万歳]
昨日、衆議院本会議場に、「万歳 !」の三唱が湧き上がった。 何故、解散に際して“万歳三唱”を行うのだろうか… 1) 内閣への降伏の意 2) 詔勅への崇敬 3) やけっぱちの絶叫 4) 士気を鼓舞するため 更に、 5)いち早く万歳した人が、又、国会に戻れる 6) 大声で万歳するほど、当選確率が高くなる との説がある。 元々は、天皇を祝賀する際に、民衆が一斉に発するお祝いの言葉であった。 当初、「奉賀」が提案されたが、発声練習をした時、「ほうがあ・ほうがあ・ほうがあ」で、「阿呆が」が2回聞こえることから、代わりに採用されたのが「万歳」だったとある。 ところで、「万歳」を「まんざい → 漫才」とも読めるが、此れからの選挙が、単なる“笑い”話に終わらぬように願いたい。 その意味では、「ほうがあ」の三唱が、今回は相応しいのかもしれない…
今日の歳時記: イモ[芋]
帰郷 われに拳をあづけ 芋掘る父 栗林 千津 俳句では“さといも”のことである。 もともと、東南アジア産の多年草だが、古く日本に伝わり、万葉集にも現れている。 大形の盾(たて)に似た葉をつけて、葉の上に露を結び、田園の秋色としては趣が深い。 葉柄をゆでたものを芋茎(ずいき)という。 9月下旬から10月上旬頃が芋の収穫期だが、早いものは7月の盆に間に合い、名月には欠くことのできない食材である。
零れ話: ミニクイ[見にくい]
「見ることが難しい」→ 「見にくい」 「見たくない」 → 「醜い」 己のことであるが、果たして、自分で把握・理解しているのか… 最も、見えにくいのが“自分自身”ではないのだろうか… だから、自分は本当は何も分かっていないと謙虚に構え、他方の見方を学ぶ姿勢が求められるのではないのだろうか。 「見にくい」ことから、「醜い(悪魔)」ものを「正気(正義)」と捉えていないとも限らない。 此れを踏まえて、己の頭で『ガラガラ、ポン』した上で、己の意見とすべきではないだろうか。 何せ、己の看板である顔が、よりによって、己のだけでは見ることができない。 他のもの(鏡、など)を介さないと、しかも、歪んでいることもあるわけで、何が“正気”か、慎重に対応したい。
今日の歳時記: ヒガンアケ[彼岸明け]
老僧の よき声通る 彼岸かな 鈴木 白洋 「 暑さ寒さも彼岸まで 」と、気候も和らぎ、凌ぎやすくなり、秋霖も過ぎると、「 天高く馬肥える時季」となり、日本晴のよき天候を迎える。 今年の秋は、日本の未来を占う機会もおとずれる。 先々の晴天、“日本晴”を願って、ご自分の選択で、暗雲をはらい去りたいものだ。
零れ話: ムスビメ[結び目]
「めいわくをかけて、ありがとう」 たこ 八郎 迷惑をかけて「すみません」ではなくて「ありがとう」。 迷惑をかけずに生きられる人はいないだろう… 無意識・故意に限らず、周囲の人に迷惑をかけるばかりだが、みんなはぼやき、怒鳴りつけながらも、見限らずに見守ってくれる。 その事への感謝である。 だから、これは、誰が口にしてもおかしくない…と思う。