莟とは なれもしらずよ 蕗の薹 蕪村 「なれ」とは汝。 蕗の薹に呼びかけているのだ。 おまえが蕗の花の莟だなんて知らなかった。 きっとおまえ自身も知らずにいるのだろう。 莟とは知らずに莟み、花とは知らずに花開く。 人間とは違って、無心に命を営み続ける植物たち。 物事の評価(価値)は、周りがしてくれる。 個々は、力の限り努めるだけ…と 教え諭しているようだ。
零れ話: カオ[顔=己]
▽ )] 最も見えていないのが、自分自身の事ではないのだろうか… 従って、自分を他者のほうから見る術を磨く必要があるのではないか、とふと思う。 だから、ある意味で、自分がほんとうは何も知らないというところから考える、という視点が求められのでは… 因みに、自分を識別するための“己の顔”、其れをよりによって自分だけが見られないことの怖さに心が凍りつく。 よって、一歩下がって、自分が“正気”であるか否かを見定める事を忘れないようにしたい。
今日の歳時記: ツレアイ[連れ合い]
一杯の 茶にはじまりて 一日の 幾百の用 妻が手を経る 上田 三四二 夫婦のあり方などは、時とともに移り変わる。 現代の若い世代はようすが異なるだろうが、ついこの前までは、日本の大半の夫婦がこんなふうだった。 ある時、夫は毎日いかに妻の手を煩わせているかにふと気づく。 “男女同権”、“イクメン”、“イクボス”、等で、共通理解が深まっているが、これは連れ合いに限る事ではなく、互いの弱さを認め合って、ともに支え合う… 何事に対しても、無関心・傍観することなく、周りの仲間に手を差し伸べていきたい…
零れ話: ジュウサンマイリ[十三詣り]
十三詣(参)りは旧暦3月13日前後(新暦の3月13日から5月13日)に、男女とも数え年13歳でおこなう祝いである。 子どもの多福・開運を祈り、小学校を卒業して中学校に入学する春に寺社に詣でる形式が一般的。 とくに、京都嵯峨の虚空蔵法輪寺が有名である。 由来は諸説あるが、1) 13歳は半元服である、2) 厄払いの意味、3) 智慧・福徳を司る菩薩が虚空蔵菩薩で、菩薩の中で13番目に生まれた、等である。 古い・面倒として廃れることも多いが、古から積み重ねてきたもの。 出来ることなら大事に守り、伝えていきたい…
今日の歳時記: ハルノヨイ[春の宵]
眼つむれば 若き我あり 春の宵 虚子 蘇東坡の詩句に「春宵一刻値千金、花に青香有り、月に陰有り」とあるように、春の宵はまさに〈千金の夜〉である。 この季語には、明るく艶めいた感じで、そこはかとなく感傷を誘う、浪漫的な雰囲気がある。 春の夜のまだふけない頃で、春の夕よりはやや遅く、春の夜よりは早い… 春の兆しに誘われて、心の奥底に、ふつふつと湧きあがってくるものがある…
零れ話: 涯(はて)は、涯ない…
区切りをつけようとすれば出来ないことはないが、そう単純に割れ切れるものではない。 物事は、状況を変えながら、日々、いろいろな出来事を生み出し続ける… 人生も旅のようなもの…涯はない。 其れに寄り添うのが“結び目”。 大事に巡らしたい…
今日の歳時記: タニシ[田螺]
静かさに 堪えて水澄む 田螺かな 蕪村 淡水に棲息し、卵型の丸みを帯びた巻貝。水田や池沼に多い。 水あかでぬるぬるしており、春になると、いわゆる田螺の道を作りながら、泥の表面をはう。 頃よく田螺取りをし、田螺和えにしたり、煮たりして食べる。 野趣があり、酒の肴にもってこい。 特筆すべきはその摂食法の幅広さで、物の表面に着生した藻類などを削り取って食べる 1) 刈り取り食者であり、水底の沈殿物を食べる 2) デトリタス食者でもあり、さらには水中の懸濁物を鰓で集めて食べる 3) 濾過摂食者でもある。 従って、大きな状況変化があっても生き延びるこちができる。 ある意味、サバイバルに関してのお手本である。 但し、あまりに自己主張し過ぎると、つまはじきにあうこともある。
零れ話: オヤコ[親子]
ちちははに 受けにし愛を ながき生に 人にわかちて 實らせにけむ 窪田 章一郎 人間にとって愛情がいかに大事であり、必須のものであるか… 人は父母に受けた愛情をわが子に注ぐ。 こうして人類は長い歴史を生き継いできた。 今さらと言われかねないが…「いのちのバトン」の受け渡しが、これからも続く… 親から引き継いだ“己の身体”は唯一のもの…、大事にお守りたい。
零れ話: 大きな波が来るよ…
ある人が幼い子どもをはじめて海に連れていったとき、波を見てとっさにこうつぶやいたという。 波は穏やかであったが、子どもには海が壁のように見えた。 長じて津波の画像はどう映ったか ? 更に、幼児がはじめて列車に乗ったとき「線路が走っている」と口走ったという。 どちらが本当は動いているのか ? 存外難しい問題である。 おかれている状況・経験により、個々の認識は異なる。 自分の認識で判断するだけでなく、相手の目線を考慮しておかないと、話が噛み合わず、共通理解は難しい。
今日の歳時記: ケイチツ[啓蟄]
啓蟄の いとし児ひとり よちよちと 蛇笏 昨日は“啓蟄”で、冬眠していた虫(蟄虫)が陽気の暖かになるにつれ、穴からはい出してくるの意味。 しかし、この時期より虫たちが動き出すのは、余程温暖な土地でないと、出始めない。 冬ごもりをしない私たちにとって“啓蟄”は、冬の間に貯めこんでしまった老廃物を排出すべきタイミングかもしれない。 年末から飲み食いし、運動不足の体の“デトックス”である。 それには、山菜の苦味で春先の体を整えましょう。 苦味は体を目覚めさせるという。 旬の味覚を味わいつつ、養生にもつながって一石二鳥である。 是非、おすすめしたい。
零れ話: ツクシ[土筆]
トクサ科に属するスギナの胞子茎。 早春、野原や堤などに、その独特の姿をみせる。 「 土筆 」とはなんて上手い漢字表示だろうか… 成熟すると褐色となって胞子を飛ばしてまうが、食用に供するにはその前の緑色の若いうちである。 自然のもの以外に、温床づくりのものも出回っている。 ♯ つくし誰の子、スギナの子 ♩ ♫ ♩ しかし、「ツクシ」という名の植物はなく、正式名称は「スギナ」である。 スギナに花がなく、その花の役割を果たしているのがツクシなのです。 互いに支え合って“いのち”を保っている…のですね。
今日の歳時記: カヨイミチ[通い路]
蔵並ぶ 裏は燕の 通い道 凡兆 恋人のもとに通う道を「 通い路 」という。 これから向かう季節・光景であるが、巣作りや子育てに忙しい燕の姿に重ねている。 どこかしら艶やかで、垢抜けた感じをうけるのは、恋が隠し味になっているからだろうか… 「かよいみち」の音も滑らかで、燕がスッと滑空している情景、伝わってくる。 春光に包まれ、こころの扉を開き、軽やかなステップで、“結び目”を巡らしたい…
零れ話: クサモチ[草餅]
雛祭りで供えられる草餅は、ふつうヨモギのゆでたのを 餅につき混ぜて作られる。 香気が高く、野趣豊かで、香りと色のいいのが特色である。 ところが、古くはヨモギを用いないで「母子草」を常用していた。 母子草とは春の七草の一つで、「ほうこぐさ」通称「ごぎょう」。 母子草からヨモギに変わったのは、足利時代からと推定されている。 特に、香りが強く、女の子が清らかに、香るような、女性になって欲しいとの願いが込められているのだろう…
今日の歳時記: キョクスイ[曲水]
曲水や 草に置きたる 小盃 虚子 三月三日に、庭園内の小さな流れに酒杯を浮べ、上から流れてくる間に、詩歌をつくり、それができなかったら、杯を飲み干すという行事。 中世の官延、貴族階級の間に流行した風流に富んだ遊びである。 現在でも、太宰府天満宮・等で、曲水は行われている。 芽吹いた“いのち”を愛で、旺盛になる“野辺の生命力”を歌い込む、雅な光景である。 誰しも持つ、春に向かう喜び、楽しみ(希望)が伝わる…
零れ話: ミズトリ[水取り]
奈良東大寺二月堂では、お水取りの行法が行われる。 「 寒さ暑さもお水取り」といわれ、この日からは日一日と暖かくなってゆく。 奈良付近では、これをも含めた修二会(お水取り)を「おたいまつ」と呼ぶが、京阪地方では、嵯峨清涼寺の御松明と区別し、こう呼ぶ。 欄干から振り落とされる火の粉を浴びると、一年間、幸せに病なく過ごせると言われる。 春を迎え、人々がつつがなく日々が過ぎてゆくことを祈る。
今日の歳時記: ガイトウ[外灯]
外灯は 人待つあかり 春の雪 市川 榮次 街灯は街の通りを照らすあかりであり、 一方、外灯は家の入り口のあかりである。 外灯が灯っているだけのことなのだが、そのあかりに家族の帰宅を待つ気持ちがにじんでいる。 いつの間にやら、夜の雪が降り始めた。 寒空の下、戸内の暖かさをあかりが伝えている。 「お帰り…、暖かい食べ物が出来上がっているよ…」
零れ話: オヤゴコロ[親心]
小さな子を見れば、すこやかに育ってほしいと願う。 輝かしい未来の空が、その上にひろがっていることを祈る。 その願いが、子どもの中に一本の大樹を想像させるのだろうか… 子を持つ人々が抱くであろう“親心” なのであろう… 子の中に楠の木あり 鶴田 伊津 時折は春のひかりに 葉をふろげいる
今日の歳時記:エシャジョウリ[会者定離]
出替や 幼ごころに 物あわれ 嵐雪 江戸時代、奉公人は春と秋に入れ替わった。これが出替わり。 入れ替わらずに残るものを「居なり」といった。 なじみの奉公人が荷物をまとめて故郷へ帰ってゆくのは、幼心にも淋しかったのだろう。 現在でも、もう直ぐ年度替り、進学・就職・異動、等で、別れ(旅立ち)の時を迎える人も多いことだろう。 その際、「幸多かれ…」と送り出したいものだ。
零れ話: ニュウシ[入試]
入学試験が、あちこちで行われている… ところで、「学校は勉強をしにくる処ではない、勉強する方法を学ぶ処だ」と、おっしゃっていた方がいた。 だから、学校を出たから勉強が終わりということではなく、実は、学校で学んだ方法で、社会に出てから、“真の勉強”が始まるのだと諭す。 確かに、入社時、超難関大学卒と一目置かれていた社員が、年数が経つにつれ、埋もれていって、目立たなくなる社員がいた事を思い出す。 第一志望に合格出来れば、それに越したことはないが、何処で学ぼうが、結局は「継続は力なり…」。
今日の歳時記: バレイショウウ[馬鈴薯植う]
馬鈴薯を植う 汝が生れし 日の如く 波郷 馬鈴薯(ジャガイモ)は、もともと低湿地帯の作物だから、降霜がなくなったら、できるだけ早く植えたほうがいい。 大形のものは縦の平切りにし、木炭を塗る。 芽が出たら、二、三芽を残して、あとは切りすてる。 馬鈴薯の産地は北海道が有名で、果てしなく続く馬鈴薯(ジャガイモ)畑は、見渡す限り青々とした草原になっていく。 “春”の象形文字ともいわれる、地表を押し上げての芽出しを始める。 “いのち”の誕生である…