正式成立は1945年( 昭和二十年 )10月24日。 それより前、同年4月25日から、アメリカ・イギリス・ソ連(当時)・中国などがサンフランシスコに集まって、国際機構を審議する会議を開いた。 これにより、国連憲章が作成された。 この国際会議の開始の日を、「国連記念日」としている。 「平和への戦いに終わりはない…」との思いから出発したが、大国の覇権争いが背景にあり、70年を経た今でも、諸問題が山積しており、前途多難ではある。 「健康とは、血の巡りがいいこと。それ以上でも以下でもない…」と同様に、「平和とは、人々の“結び目”の巡りがいいこと…」。 争い(戦争、等)が無くなる地球を…と祈る。
今日の歳時記: フジ[藤]
てのひらを はじかんばかり 藤若し 朱鳥 藤には、夏藤(土用藤)、野田藤(紫藤)、山藤(野藤)など種類が多いが、普通取り上げられるのは野田藤である。 紫色の蝶形花をたくさんふさ状につけるが、春の汗ばむころの気分とこの花の濃艶な美しさが相まって、いかにも春行くといった感じが漂う。 日本では古くから、フジを女性に、マツを男性にたとえ、これらを近くに植える習慣があったそうで、春の風情を強く感じさせ、フジの花のたおやかに垂れる花姿は、振袖姿のあでやかな女性を思わせる。
零れ話: パチンコの元祖
パチンコの元祖は「コリントゲーム」と呼ばれた遊戯台で、現在のスマートボールとほぼ同形である。 「コリント」名の由来は、日本の販売元・小林脳行が、小林 をコリン と読ませたというのが一説。 1930年(昭和五年)、アメリカで、これを縦にしたものが登録され、それがパチンコ台となった。 「パチンコ」の名称は、パチンと弾くと、コロコロと転がって穴に入るというので、パチンコロコロがつづまって「パチンコ」になったといわれている。 身近なゲームであるだけに、のめり込んで身上をつぶしたとの話も聞こえてくる。 元々、賭博である。 個々人も自制が求められるが、社会としても、何らかの規制・監視が機能するようなシステム構築が求められる。
壱里如: 日本語の点字完成
明治三十四年(1901)のこの日、東京盲啞学校の教師だった石川倉次が、五十音式の点字を完成した。 これは、平面から盛り上がった部分(点)によって文字・数字を表現し、通常用いられる点字は横2 × 縦3 の6つの点で表す、従来の欧米で使用されていた“ブライユ式゛に改良を加えたものである。 近年、バリヤフリー、あるいはユニバーサルデザインの一環として点字の併用が行なわれるようになり、普及してきているが、未だ、気遣いがたりず、点字ブロックの上に物を置いたりと、課題は多い。 点字に対して、晴眼者が使う文字を墨字とよぶ。 誰しも、何らかのハンディを抱えていることがあり、相手の状況を推しはかって、対応する姿勢を保ちたい。
零れ話: 日本書紀を奏上
養老四年(720)のこの日、舎人(とねり)親王、太安万侶らの撰進で、日本書紀を奏上したといわれる。 これは六国史の一つで、奈良時代にできた、日本最古の官撰正史。 神代から持統天皇の十一年八月までの事跡を、漢文で記述した編年体の史書、三十巻からなる。 同時代、古事記があるが、どちらも天皇家による支配を正当化する為のものであり、古事記 → 国内向け、日本書紀 → 国外向け、といわれる。 もとより、口承伝承であり、信憑性には疑問符がつくが、他の資料、周辺国の史書等と比較検証したうえで参考にするべきものなのだろう…
今日の歳時記: テイシンキネンビ[逓信記念日]
春の雨 郵便ポストから 巴里へ 浅井 慎平 明治四年(1871)四月二十日のこの日、これまでの飛脚制度に代わり、東京と大阪との間に官営の郵便制度が実施され、同時に切手が発行された。 その生みの親が前島密で、前年六月に「郵便切手」という名称を使用したのも、前島の発案。 これを記念して昭和九年(1934)第一回記念式典を挙行した。 平成十三年(2001),郵便記念日に改称。 但し、今や“SNS”が全盛… 更に、「ネットより速い 田舎の情報網」である。 赤いポストに触れる機会は、ますます少なくなる…か。
零れ話: ダーウィン
イギリスの生物学者。 二十二歳の時、ビーグル号で世界各地を巡り、多くの資料を集め、五十歳の時「 種の起源 」を発表し、進化論を唱える。 これは、生物は神の創造によるもにではなく、簡単な原始生物から進化したものだという説。 ダーウィンは、この変化は環境の変化に伴い、それに適応したものだけが残る自然淘汰が行われ、その残ったものだけが性質を遺伝発展させていくことに基づくものとして、進化論を科学的に基礎づけた。 一方、聖書主義の立場から「 進化論 」を否定する人たちもいる。 百三十六年前の明治十五年(1882)四月十九日、本日、七十三歳で没した。
今日の歳時記: ハツメイノヒ[発明の日]
明治十八年(1885)四月十八日は、現在の特許法の前身である「専売特許条例」が、初代特許庁長官を務めた高橋是清らによって交付された日である。 その後、70周年に当たる昭和三十年年(1955)、「発明の日 」として制定された。 これまで、多くの発明者や研究者たちが知恵を絞って研究を行い、特許を生み出し、私たちに生活を便利にしてきた。 ただ、便利さに目を奪われず、便利さとは何かをよく考え、人間として、もっと大事なことを失わないように心したい。
零れ話: ヤマブキ[山吹]
晩春、薄みどりの若葉の間に、五弁の黄色の花を開く。 花は散りやすく、渓谷のほとらなどに自生する。 古くから親しまれ た花で、庭でも栽培される。 山吹のうち、初めに開くのが一重の花、これにだいぶ遅れて咲くのが八重の花・ヤエ山吹。 名前の由来には諸説あるが、一つは、細い枝が風に揺れる様子から、かっては「山振り(やまぶり)」と呼ばれ、これがなまったとの説である。 世の荒波をしなやかに乗りこなして、己を失うことなく、花言葉「気品」「崇高」を見習って、己を保ちたい。
今日の歳時記: キンカクジコンリュウ[金閣寺建立]
水澄みて 金閣の金 さしにけり 阿波野 青畝 もと西園寺公経の別荘であったものを、足利義満が譲り受けて、北山殿と称する別荘を営んだ。 応永四年(1397)のこの日、金閣の立柱棟上式が行われた。 義満の死後、遺命により、これを禅寺とし、夢窓国師を招いて開山。 臨済宗相国寺派。 応仁の乱でほとんど焼け、江戸時代に再建されたが、昭和二十五年七月二日、寺僧の放火により焼失。 同三十年に再建。 もと通りの三層で、高さ十二・五メートル。 昔のものは最上階だけ金箔であったが、再建のものは全体に金箔をおき、屋根は檜皮ぶき、一階は寝殿造り、二階は鎌倉時代の武家造り、三階は禅宗寺院を模したものという。 ある意味で、真髄は保たれているが、時代を反映して変遷してきているようだ。
壱里如: 永氏、未発表脚本
2016年に亡くなった“永六輔”さんが、20代の頃に青森を舞台に描いた直筆原稿が、60年以上の時を経て同市で見つかった。 「『 雪融(ど)け 』 仮題 永六輔作 」と書かれてあるという。 物語の中で、登場者の一人がこんなセリフを口にする。 「 幸福という奴は姿を変えてそこいら中に散らばっているものですよ。 沢山散らばっている幸福の中から一つを選んで拾うものでしょう 」 幸せは身近にある、そして、自分でつかむもの。 永さんのお考えが伝わってくる。 16日(月)RABラジオ(地元放送局)、伊奈かっぺい「 旅の空うわの空」( 午後7時〜同8時半)で、35分間にわたって初放送される。 乞うご期待である…
今日の歳時記: アンズノハナ[杏の花]
花杏 けふあたらしき 日のさせる 岡部 ひろし 中国原産の落葉小喬木で、梅によく似た紅白色の五弁の花を開く。 花期は梅より遅い。 果樹として栽培され、田舎の庭先などで見ることが出来きる。 八重咲きの花杏は果実とはならず、美しい花として賞美される。 タネの中の核の部分を「杏仁(きょうにん)」と呼び、咳止めなどの生薬として使われている。 また、「杏仁」は“ あんにん ”とも呼ばれ、「杏仁豆腐(あんにんどうふ)」でおなじみ。 でも、実際は、杏仁とよく似ている〈 アーモンド 〉の実を使っていることが多いようだ。
壱里如: アキラメル
誰もが、ことばにならない不満を感じている。 けれど、既成の政治家(屋?)…たちは、それを代弁する術を知らない… だから、人々は「 諦める 」 = 断念する… 「 明らめる 」 = 見定める… となる。 何方にしろ、その時点での一つの結論( 判断・決定 )とはなるが、其処での一歩は、その後の経過・結果には、大きな違いが生じるのだろう。 「分去れ…」とのことばがあるが、後々、悔いない選択をしたい。
零れ話: コイ[孤悲(恋)]
現在は、出会いの機会も手段も沢山あるが、古の人々は家族・一族単位で行動することが多かった為、いろいろな地方の人が集まる「 市 」は恋のめばえる場所として、最も一般的だった。 また、山のふもとや野辺なども選ばれたようだが、川や泉など女たちが水汲みに集まる所は、格好の社交場だったようだ。 「 万葉集 」には恋愛のエピソードを含んだ歌が多い。 ところで、同書には“ 恋 ”に“ 孤悲 ”という表現を当てている例がしばしば見受けられる。 つまり、古代人にとっての恋愛は、好きな人のことを思い続け、その人が眼前にいないことを孤(ひと)り、深く悲しむことであった。 恋とは、憂いと悲しみの別名であったようだ。 見た目は“ 両想い ”に思えても、想いに強弱があって、どちらかの“ 片想い ”ということも、往々にあり得る。 恋愛に限らず、相手を思いやる心を持っていたい…
今日の歳時記: メートル法[度量衡]
尺蠖や メートル法の 世を生きる 八木 健 十八世末、フランスのタレーランの提案に基づき、フランス・アカデミーが政府の委託を受けてつくりあげた。 1875年メートル条約の締結により、国際統一単位として、その維持と普及が図られるようになっていった。 日本の加入は明治十八年で、紆余曲折を経て、我国がメートル法を公布したのが大正十年の今日であった。 しかし、強制的ではなく、民間では依然として「 尺貫法 」が行われており、完全実施は昭和三十四年になってからである。 国際化を図るなかで、一つの流れではあるが、未だに、「一間」、「四畳半」、「一升」等として、会話にのぼる。 生活に根ざしたもの、ダブルスタンダードとはなるが、大事にしたい…
零れ話: エキベンノヒ[駅弁の日]
かっては、停車時間中に車窓を上げて、駅弁を買ったものだが、今や、車内販売が主になり、趣がなくなったように思う。 今から133年前の、明治18年(1885)7月16日、開業したての日本鉄道宇都宮駅で、初めてお弁当を売ったのを記念した日であった。 発売駅・発売の年月日は諸説ある。 但し、7月は夏場ということで、弁当も傷みやすいことから、後日、行楽シーズンの春にしたらしい。 その際、洋数字の「4」と漢字の「十」を組み合わせると、「弁」に似てくること。 更に、弁当の「当」を、洋数字「10」との語呂合わせをして、4月10日とこじつけたということらしい… 謂れはどうあれ、地域毎の“ご馳走”を、旅の楽しみとしたいものだ。
今日の歳時記: ダイブツノヒ[大仏の日]
遠足の 列大仏へ 大仏へ 藤田 湘子 東大寺の大仏開眼供養は天平勝宝四年(752)の今日であった。 この日は、孝謙天皇、聖武上皇はじめ、全国から一万人を越える僧が集まり盛大を極めた。 聖武が天皇時に大仏建立の発願したのは、天然痘で多くの人が死に、また宮廷・貴族の間で争いが絶えなかっ為。 これを仏教の教えで、これを治めようとした。 でも、どこの世も同じらしい… 例えば、このところ、情報の改ざんだ…、文民統制が機能せず…、等で、政権が揺らいでいるが、国家イベント(オリンピック、等)で人心をまとめる。 人心をそらせる。 穿ち過ぎか…な。
零れ話: オシャカ…
本日は「 灌仏会( かんぶつえ) 」、お釈迦様の誕生日であるが、日本には「…をオシャカにする」、「…がホトケになる…」との言い方がある。 何方にしろしろ、あまりめでたくないことに使われるのはどうしたことか… このあたりに 、仏教徒(?)とは言われるが、日本人の仏教に対する意識がうかがえるのかもしれない。 信仰の如何にかかわらず、己の“いのち”に関わる事。 毛嫌いせず、「信じなくてもいいが、知ること…」は大事なのかもしれない。
今日の歳時記: ナノハナ[菜の花]
東京に 育ち花菜の 村へ嫁く 杉本 寛 菜種の花である。 茎の高さは子どもの背丈ほどで、仲春から晩春にかけて、黄色四弁ほどの花を開く。 葉は食用とし、種子は油をしぼり、そのカスは肥料となる。 春、一面に広がる菜の花畑は壮観で、春の風物詩の一つでもある。 時節柄、異郷の地に移られた方も多いだろう… でも、桜の下、黄色の絨毯を眺めていれば、心が癒され、一歩踏み出そう…との意欲もわいてくるのではないだろうか… 旅立ちの時である。
零れ話: ハナビエ [花 冷 え]
桜の咲く頃、急に冷え込むことがある。 花冷えとは、その頃の季感をいう。 南北に連なる日本列島では、地域ごとに異なるようだ。 当地は、寒暖の差が大きく、桜の蕾も“もぞもぞ”しているように見える。 昨日は、上着なしで過ごせたが、今朝は白いものが“チラチラ”しており、暖房なしに過ごせない。 季節の変わり目、「 徐々に体をならせ… 」と諭してくれている。 「 自然尊重・自然順応 」である。