庭先に 図鑑持ち出す 愛鳥日 加古 宗也 昭和二十二年(1947)に第一回のバード・デーを実施し、同二十五年以来はバード・ウィークとして、一週間の行事となった。 産卵・育雛の大切な時期を選んで、小鳥の保護について啓発活動をおこなうために設けられたもの。 小鳥は害虫を捕らえて農作物の育成を助け、また、人びと心を慰めてくれる。 運動の背景には、自然破壊が進むなか、小鳥の生活環境の悪化が著しく、保護が求められていることがある。 幼き頃、毎年、近くの林に巣箱を据え、小鳥が来ているかを、遠くから観察していたことが懐かしい…
001j 在大阪韓国総領事館、5月10-13日に移転
大阪総領事館は5月10-13日、(改築工事のため)新しい場所に移転します。 1974年、困難な生活のなかで在日コリアンが祖国を思い、大阪の要衝、道頓堀の近くに立派な総領事館を建設し寄進してくださった。泪が出るほどありがたいことです。このビルも長い年月を経て、1995年の阪神淡路大震災のときの衝撃もあったので、今年5月から改築することになりました。 3年後、装いも新たに最新式ビルとなった総領事館がここに戻ってくる予定です。大阪の中心地に建つ超現代的な駐大阪大韓民国総領事館の威容をいまから期待しています。本日、(改築工事のため)消え去る領事館ビルの前に全職員が集まり、移転の記念写真を撮影しました。
001 오사카총영사관 5월 10-13일 이사
오사카총영사관이 5월 10-13일 새로운 곳으로 이사를 합니다. 1974년 재일동포들이 어려운 생활 속에서도 조국을 위한 일념으로, 오사카의 가장 요지인 도톤보리 근처에 멋진 총영사관을 지어 기부해 주셨습니다. 눈물이 나도록 고마운 일임니다. 그런데 이 건물이 1995년 한신아와지 대지진 때의 충격도 받고 지은 지도 오래되어, 올 5월부터 재건축을 하기로 했습니다. 3년 뒤 최신식 건물로 탈바꿈되고, 총영사관도 여기로 다시 돌아올 …
壱里如: ポケット[物入れ]
零れ話: ハシリチャ[走り茶]
その年、新しく摘んだ芽でつくったお茶、新茶である。 香気があり、新鮮な風味が珍重される。 八十八夜を過ぎた頃、市場に売り出される。 新茶が出回ると、前年の茶は古茶となる。 季節感の乏しくなっている昨今であるが、春夏秋冬、自然は移り変わり、地からの恵みも豊かな地域である。 各々で、地の利を活かし、豊かな“こころ”で、日々を重ねたい…
今日の歳時記: 博士号授与
学問の さびしさに堪え 炭をつぐ 山口 誓子 幼き頃、「 末は博士か大臣か …」をよく聞いた覚えがある。 今や、ミスマッチ(?)はあるが、ドクターは沢山誕生し、一方、大臣は、TV・等で、頭を下げ、謝罪をし続けている… 将来に生きる子どもたちは、この状況を、どう見ているのだろうか… ところで、博士号は、明治二十年(1887)の旧学位令により、翌年の本日(五月七日)、初めて旧文部省より授与された。文学博士 五 名 法学博士 五 名 医学博士 五 名 理学博士 五 名 工学博士 五 名 計 二十五 名 が誕生した。 ただ、明治四十四年(1911)二月、夏目漱石へ、文学博士の学位を授与するとの通達が届いたが、彼は権力におもねらず、反骨精神から辞退したという。 何はともあれ、未来をたくす子どもたちには、大きな夢を描けるような“豊かな社会”を残すことが、年配者の責務なのかもしれない…
零れ話: ギコギジンゴ? (欺己欺人語)
“己を欺き、他の人を欺く言葉”の意であるらしい… 今話題の「改竄・書きかえ…」であり、「忖度」に基づく「虚偽答弁」等をもさすのだろう。 ピノキオの鼻は、嘘をつくと伸びる、とされているが… 確かに、「語りながら、騙っている人」は、鼻の高い方が多いように見受けられる。 基本的に、嘘は悪いこととされるが、時には、許容される「嘘」はないのだろうか… 例えば、病気の告知・等とか…、一概には言えないが… 兎も角、「私は嘘をついたことがない」が最大の嘘であるといわれる。 化かし合いという面がないとはいわないが、それを防ぐためにも、日頃から、“結び目”巡らすことが大事では…
今日の歳時記: ショウブユ[菖蒲湯]
菖蒲湯や 身をつくろふが ごと沈め 鷹羽 狩行 五月五日、端午の節句にショウブの根や葉を入れて沸かす風呂のことである。 これに入ると、邪気をはらい、疫病を除き、心身を清めるといわれる。 江戸時代、武家社会で“菖蒲”と“尚武”をかけて、この日を「尚武」の節日として祝うようになったのが「端午」の節句の始まりといわれる。 また、この時節、“春”から“夏”への変わり目にもあたり、体調を崩しやすいので、体調管理をかねた民間療法でもあったらしい… 世の中、このところ、端境期の兆しを見せて、乱れている。 何か、適切な指針と有効な対症療法がないものだろうか… 当方が、気づいていないだけかもしれないが…
零れ話: アシオト[跫音]
▽ )] 恐ろしき 一つの跫(あし)音 蟻は識る 竹下 しづの女 庭先を歩く蟻、この小さな蟻には、この世界はどう見えているのか…、音はどう聞こえているのか…、そんなことを想像したくなる。 蟻の恐る「一つの跫音」、それは何か…、ひょっとして、戦争への跫音かもしれない…と危惧する。 昨年、ヒアリが日本上陸し、危機感がたかまった。 ただ、外来種が有害といわれるのは、土着の生物との共生が乏しいからでもある。 我々(人類)は、工夫と努力で共生できるはず。 “結び目”を巡らし、共通基盤を構築し、共通理解を広げる事が求められている。 その過程で、危機発生要素を、丁寧に、除き続けなければならない。 その積み重ねが「平和」への近道である。
壱里如: ケンポウ[憲法]
敗戦後、日本政府は諸々の政治情勢を考慮した結果、諸説あるが、憲法草案を起草して、昭和二十一年(1946)三月六日に発表した。 これが帝国議会に付議され、わずかの修正を経て、十一月三日公布、翌年五月三日に施行された。 昨今、改憲・護憲で喧しいが、ふと不安になる。 其れは、果たしてどれだけの方が、憲法を読み通して、ご自分の頭で判断し、そのうえで行動しているのか… 失礼とは思うが、周りの大きい声に引きづられ、それを鵜呑みにしている方が多いのではないか… 「国民主権」を履き違えているように思えてならない。 「 考えるのはキミだ 選ぶのはキミだ 決めるのはキミだ」 悔いのない選択・結果を導きたい…
今日の歳時記: ハチジュウハチヤ[八十八夜]
北国の春も八十八夜過る 橋本 春霞 「夏も近づく八十八夜〜」 立春から数えて八十八日目。 今年は本日とのこと。 この頃になると、「八十八夜の別れ霜」といって霜もおりなくなって、茶摘み・種蒔きの時期とされ、農作業上で、1つの目安になっている。 また、八十八を組み合わせると「 米 」の字になるので、この日を特に大事にする風もある。 兎も角、新茶は美味しく、飲めば長生きできるとされる。 「自然尊重・自然順応…」である。
零れ話: ニホンセキジュウジシャ[日本赤十字社]
スイス人アンリー・ジュナンの努力によって創立された「赤十字」が戦争の中から生まれたように、日本の赤十字も戦争をきっかけとなって誕生した。 明治10年(1877)2月15日に西南戦争が起こり、多くの負傷者をだした。 この惨状をみかねた元老院議官 佐野 常民と大給 恒は、同志を集めて「博愛社」を設立した。 これが日本赤十字の前身で、同年5月1日であった。 元より、彼等は政府に対して救援団体の設立を願い出たが、いつの世も同じで、政府は「このような考えは素晴らしいが…」といいながら、諸々の理由をあげて認めなかったとのこと。 彼等の英断・努力には頭がさがる。
今日の歳時記: ハナイカダ[花筏]
流れつつ 藁も芥も 永遠に 向ふがごとく 水の面にあり 宮 終二 モチノキ目に属する落葉低木。別名、ヨメノナミダ。 葉の上に花が咲くのが特徴で、「筏に人が乗った姿」に見立てたネーミング。 別の意味もあり、桜の花が散って、花びらが水に帯状に浮かんで流れるさまを「筏」に見立てていう言葉でもある。 この句は川の面を流れて行く塵芥のたぐい。 いわばこの世でもっとも価値がないとされているものたち。 ところが、それが永遠へ向かって流れてゆくといえば、その塵や芥が時の流れを旅する“聖”のようにみえてくる。 人間もまた…
母の入院
4月27日(金) 夜8時過ぎ、母が救急車で搬送され緊急入院した。連絡を受け、10時過ぎに病院に行った。 深夜12時半ごろ、当直医から、検査の結果、肝臓と胆嚢の機能低下と腸に穴があいている可能性があるという説明があった。その後、病室に移動したときは顔色もよく笑うこともできた。左右の腕の血管から点滴を行っていた。 4月28日(土) 夜7時ごろ訪ねた。執刀医から、開腹手術したところ、予想された穴は発見されず、腸内洗浄のみ行ったと説明があった。 ふつうの人よりも生命力が強く、むかし開腹手術した患部を守ろうとして、ほかの組織が集まり、腸が密林のようになっていたという。このため、前夜の検査で予想された穴を探すのに長時間を要し、結局は発見できなかったと聞かされた。 術後、ICUに移動したあと一度人工呼吸器を外したら呼吸が止まったため、すぐに呼吸器の管を気管支に挿入しなおしたという。抗生剤の注入と点滴を継続したが、腕の血管から十分に点滴を行えないため、夕刻に急遽首の静脈にカテーテルを挿入したとのことだった。 4月29日(日) 午前11時ごろ訪ねると、幸い母は眠りからさめていた。15分ほど目を見ながら話したが、母の口には呼吸器の管がはめ込まれ、声を発することができない。僕と看護士の話に首を動かすだけなのが痛々しい。 短い時間に何度も右手を動かして呼吸器管の痛みを訴えるようだったので、看護士の判断で催眠剤の濃度を増したところ、5分も経たないで眠りに落ちた。機器を着けられ必死に闘っている母を見て、かわいそうに思った。異様にむくんだ手を、そっと握っているしかない。 4月30日(月) 夕方訪ねた。ときどき眼をあけるが、瞳の焦点は定まっていない。きのうより体がむくんだように見える。首のあたりがカエルのようにふくらんでいる。 5月1日(火) 夕方訪ねると、きのうまで着けていた人工呼吸器の管が外され、かすれ声ながら会話することができた。体のむくみも少し引いたようだった。二日以内に一般病室に移れる見通しだという。 5月2日(水) 午前中に一般病室に移動したが、きょう一日はナースステーションの一角にベッドが置かれていた。両腕の管が外され、周囲にあった機器類がなくなったせいか、すがすがしい表情をしているように見えた。
零れ話: リンゴノハナ[林檎の花]
桜の花が散り、林檎の花が咲き始める今、白く咲き誇る姿は清々しい… バラ科リンゴ属の落葉高木樹。又は、その果実の花をさす。 植物学上は“セイヨウリンゴ”と呼ぶとのこと。 リンゴをよく食べると健康に良いという生活の知恵から、「リンボが赤くなると、医者は青くなる」との諺が生まれている。 まれに、リンゴ🍎がトマト🍅やミカン🍊に変わることもあるが…
今日の歳時記: ノキショウブ[軒菖蒲]
屋根のみと なりたる家や 菖蒲葺く 照井 翠 東日本大震災後の釜石での句。 柱や壁が津波で壊れて、屋根だけが宙に残っていたのだろう。 その軒にも端午の菖蒲が葺いてある。 元の生活…復興をも願ったものであったのだろう… 復興や如何に…、忘れてはならぬ。
壱里如: ゴールデンウィーク[大型連休]
明日からお休みの方も多いのだろう…か。 でも、折角の長い休暇であるが、ご自分の自由にならないと、嘆いている方もいるだろう… 家族サービス…、親もとへの帰省…、誰かさんとの付き合い…等々、大忙しである…。 先ずは、『 無(ム)』チャするな、『 事(ジ)』カンにゆとり、『 故(コ)』コロのよゆう…でお過ごしくださいね。
今日の歳時記: ゴゲン[語源]
田にあれば 桜の蕊(しべ)が みな見ゆる 永田 耕衣 桜前線は津軽海峡を越えて、北海道に上陸したらしい… 大型連休も間近、前半は天候にも恵まれそうで、楽しみがふくらむ。 ところで、サクラ(桜)は開(サク)に接尾語 ラがついたもの。更に、咲麗(サキウラ)の約ともいう。 言うまでもなく、草木の名は古代の人々の信仰や生活様式と深く結びついているものが少なくないらしい。 マツ(松)は真(マ)霊(チ)の木の約転で、古くはマトともいった。 ウメ(梅)は薬用の烏梅(ウバイ)の転じたもの。 タケ(竹)は長(タ)け生うる意から。 よって、言葉を単なる記号とせず、成り立ちを知ることで、日本語の豊かな感情表現を味わうことができるように思う。
不思議な6日間
不思議な6日間だった。わずか2年ぶりのソウルなのに、何年も来なかったように感じた。あの懐かしさは何に由来するのだろう。少年時代を過ごした地域を数十年ぶりに訪ねたときに感じる懐旧の情に似ていた。 鍾路5街と惠化の間にあるキリスト教関係の会館を基点にして、光化門、仁寺洞、大學路、鍾路3街、清渓川、二村の漢江公園、東大門市場などを歩き、知人友人に会い、平澤、天安を訪ねた。あらかじめ計画していたわけではない。ほとんど、同伴者と友人まかせの旅程だった。 (photo: choe jeongsoon) 往復の便と宿泊は同伴の韓国人女性と一緒だったし、少なからぬ時間を彼女と共有したはずだが、束縛された感覚がなく、自由な時間に感じられた。なぜだろうか。それがわからないから、不思議な6日間なのである。 90歳を超えた僕の母親より少し若いが、年齢をあまり感じさせない天真爛漫さが、二人の女性に共通していて、どこか愛らしさを感じさせる。70歳近い僕が、これら高齢の女性たちに感じる愛らしさとは一体何だろう。母性だろうか、あるいは女性だろうか。
memo: Conveniencists
信者たちは、コンビニ教徒の管理窓口を訪ね、5年ごとに踏み絵の儀式を受けなければならない。このとき、誰もが破門されるのではないかという恐怖に襲われる。破門されれば、教圏から追放される。 ここに一つ大きな問題がある。コンビニ教徒たちは、実は自分たちの信仰の中身を知ることができない。信仰に関する大量の文書が日々信者の目に触れ、膨大な量の音声データが信者の耳に入ってくる。だが、その信仰には体系がない。 だから、信仰心があるかどうか、誰にもわからない。にもかかわらず、5年に1回講習を受けて信仰心を新たにしないと、信者として再登録されないシステムになっている。 講師の多くは、もとコンビニ教会の登録係か、鉄道・バス・タクシー・船・飛行機などの駅員・運転手・操縦士、あらゆる交通機関の関係者がすべて講師の資格を持っている。 一般道路にある教導所あるいは高速道路の検問官はもちろん、サービスエリアの施設で働く者たちはみな信者であり、講師の資格を持っている。