葬儀の日、義母はその数日前に僕が実家の応接間に積み上げておいた文庫本を早く片付けるように、やゝ苛立ち気に言った。予想より早い夫の死に動転していたとはいえ、好意でやったつもりの僕は不快だった。とにかく早々に片付けるしかないと思った。 その数日後、電車で2時間かけて実家に行った。着くとすぐ2階の本箱に詰め込まれた文庫本を汗だくになって階下に運び、先に応接間に積み上げておいた本を移動して、玄関前の廊下に積み上げた。概算で1600冊余りの本を数日後に業者が引き取ってくれるはずだ。 最期まで自分勝手だった故人を改めて思いつゝ、彼を増長させたのは義母だったろうに、と思う。
150j 電子デバイス産業新聞の記事(転載)
1500年以上に及ぶ日韓の交流の歴史、そのなかのごく短期間の対立という認識が必要 サンスターライン創立20周年記念に寄せた韓国総領事の感動スピーチ 【8月23日付け電子デバイス産業新聞の記事を転載しています↓】 「今の荒波に屈することなく、より強いチャレンジ精神と、より粘り強い心構えでこの波を乗り越えていきましょう。目の前にはたくさんの障害物が見えていますが、韓日は1500年以上の深い交流の歴史があるのです。その中で非常に短い葛藤はありますが、長い友好の時期があったことを忘れないでください」 この挨拶を聞きながら、筆者の心の中にはある種の感動の波が訪れていた。これは、大阪におけるサンスターライン創立20周年記念式典において駐大阪大韓民国総領事館の総領事である呉泰奎氏が語った祝辞の一節である。2019年8月8日のことであった。まさに日韓経済戦争ともいうべき状況が激化しているなかにあっての発言であるだけに、聞いている人たちの多くは驚きながらも皆、深く頷いていた。 それはそうだろう。いかなる理由があっても、隣国同士が歯をむき出しにして醜くののしり合うことが、よいことだとは誰も思っていないからだ。もっとも8月15日の光復節において、韓国の文大統領はかなりトーンダウンした発言を行い、「日本からの呼びかけがあればいつでも回復と友好の道は開かれている」というような挨拶を行った。反日不買運動などの盛り上がりに対して、少し諫めるかのような口調であったのだ。 さて、サンスターラインは、韓国におけるパンスターグループの日本におけるカンパニーである。1999年に日本現地法人として事業を開始し、まずは釜山・大阪間の船の運航で地歩を築いた。2010年には釜山・大阪クルーズは乗客1000万人を突破した。 その後、東京、名古屋、金沢、さらには下関などの日本各地から釜山につながる運航を次々と確立し、韓日物流の大動脈を築いていく。自社によるフェリー船舶で韓日間を18時間で運行するなどの超特急サービスが功を奏し、半導体製造設備、建設機械、プレス機械などコンテナで不可能な貨物に対しての定期輸送を可能にしていった。 言うまでもなく、韓国の貿易依存度は非常に高く、2017年段階で67.6%にも達している。貿易のうち輸出だけを見ても韓国の輸出依存度は37.7%もあり、まさに韓国経済の動脈線ともなっているのだ(ちなみに日本は内需中心の国であり、貿易依存度は27.4%、輸出依存度については14.1%しかない)。 昨今の輸出管理を巡る問題で韓国政府はかなり大騒ぎしているが、ある種それは無理もない。韓日間での輸出不振からくるGDPへの影響度が、韓国の方が日本より1.7倍大きいからだ。もちろん、韓国と日本をつなぐ半導体製造装置の輸送などを主力とするサンスターラインにとっては、この韓日政府の対立は実に困ったものだと言ってよいだろう。 「サンスターラインの20周年が象徴しているように、韓国と日本は切っても切り離せない緊密な関係にあるのです。相互3位規模の貿易相手国であり、2018年には人的交流が史上初の1000万人を突破しました。皆さまもご存じのように、最近、韓日の間には荒波が立っています。残念ながら政治的な葛藤が経済分野にまで広がり、韓日関係全般が冷え込んでいるのは事実であります。これはたいへん残念なことです。どうあっても克服しなければなりません」 ちなみに、大阪港を利用する訪日客の約8割は韓国人が占めている。つまりは、サンスターラインが絶大的に寄与している。とりわけクルーズ船のパンスタードリーム号は釜山と大阪を行き来しながら、韓国および関西間の人的交流に大きく貢献している。2018年9月に台風21号が発生した時には、韓国観光客のための災難救護船の役割も十分に果たしたことで、大阪観光局から感謝状も授与されている。 それにしても、この記念式典は実に楽しいものであった。韓日政府が激しく対立しているというのに、民間の人的交流はいささかも傷ついていないとの印象があった。サンスターラインの代表取締役社長である野瀬和宏氏は「一日も早く、今回の韓日政府間の紛争が終息することを願っている。両国ともに発展するという基本的な思想はいささかも変わっていないのだ」とコメントしていた。ちなみに、品質もデザインも世界最高クラスのユニクロの不買運動が韓国中で起きているというが、アマゾンなどのユニクロのネットセールスでは韓国ユーザーが殺到し、買いまくっているという事実は、誰にも否定できないだろう。 泉谷 渉(いずみや わたる)産業タイムズ社 社長
150 일본의 전문지 전자디바이스산업신문 기사
지난 8월8일 오사카 뉴오타니호텔에서 열린 산스타라인 창립 20주년 행사 때 제가 했던 축사를 인용한 기사를 당시 참석했던 일본의 전문지 <전자디바이스산업신문>의 사장님이 직접 썼습니다. 저도 이런 기사가 났는지 전혀 몰랐는데, 지인이 보내주어 뒤늦게 알게 되었습니다. 한일관계가 얼어붙어 있는 가운데 나름 고민해 축사를 썼는데 과분하게 좋은 내용으로 다루어 주어, 여러분과 공유하려고 한글 번역본을 올립니다. 일본어 원문 기사도 …
149j 浮島丸の爆沈「犠牲者」74周年追悼式
京都府舞鶴市で開催される浮島丸の爆沈「犠牲者」の追悼式に、昨年に続き出席しました。昨年は台風の影響で船の沈没当日(1945.8.24)に実施できず、翌8月25日に開催しました。ことしは事故当日の24日に74周年追悼式を開催しました。 舞鶴市民で構成される「浮島丸殉難者を追悼する会」の主催行事であり、正式名称は「浮島丸殉難74周年追悼集会」といいます。韓国では使わない「殉難」という言葉に違和感があります。韓国語で「殉国」はよく耳にしますが、「殉難」はほとんど聞かないからです。 辞書には「国家や社会の危難に遭い命を捧げる」とあります。浮島丸の爆沈「犠牲者」を、このような辞書の意味において「殉難」と呼ぶことは適切でしょうか。故国(韓国)への帰途、原因不明の爆発によって死亡した、理不尽な「事故」の犠牲者なのです。「犠牲者」と呼ぶべきだと、私は考えています。 とにかく、今回も大阪から150キロ、乗用車で片道2時間半かかる会場に行ってきました。幸いなことに、ことしは天気がよく、殉難碑から望む事故の海域も湖のように穏やかでした。 最近の日韓関係の緊張した局面の影響が行事に及ばないか心配しましたが、杞憂に終わりました。むしろ、昨年より100人ほど多い約300人が参加し、盛況だったからです。前年どおり、行事は主催者による追悼の辞、総連と民団代表による追悼の辞に続き、献茶、追悼の舞、追悼の花束投げ入れの順に進行しました。 日本で開催される行事において、在日コリアンの追悼の辞はふつう日本語で行われますが、この行事では民団と総連の代表いずれも韓国語で行うのが、注目されます。行事の内容は日本の市民団体が主催し、献茶と追悼の舞は民団組織が担い、追悼歌は朝鮮学校の生徒が合唱します。毎年、この行事には韓国労総と民主労総所属の労働者が参加しています。ことしも両労総から40人余りが参加しました。 日韓関係の難局にあって、日本の市民、民団・総連系コリアン、韓国の労働団体等が一体となって行う行事を見ながら、格別な感慨が湧いてきました。「冷たく膠着した地平からはよく見えなくても、歴史から学び、そこから前進しようとする水流が脈々と流れている」と。 帰りに舞鶴港を見下ろす丘にある五老ヶ岳公園内にあるスカイタワーに登り、港湾の全景と事故の発生場所などを望みました。
149 우키시마마루 폭침 희생자 74주년 추도식에 참석
지난해에 이어 두 번째로, 교토부 마이즈루시에서 열리는 우키시마마루 폭침 희생자 추도식에 참석했다. 지난해는 태풍의 영향으로 배의 폭침 당일에 행사를 못하고 다음날인 8월25일에 행사가 열렸다. 올해는 당일인 24일 74주년 추도회가 열렸다. 마이즈루 시민들로 구성된 '우키시마마루 순난자를 추도하는 회'가 주최하는 행사로, 정식 명칭은 '우키시마마루 순난 74주년 추도집회'이다. 순난이란 단어가 생소하다. 우리나라에서는 잘 쓰지 않는 단어이다. 순국이란 말은 …
父の死
8月24日朝6時半、父が死んだ。僕の人生における基準点の一つだったであろう人物が死んだ。愛憎半ばする男が95歳を目前にして呆気なく死んだ。断末魔の数時間、動物のようなまなざしで何かにすがるような表情をして死んでいった。 晩年は、会えばつい声を荒げて口論になることが多かった。僕が人としてどこか許していなかった、自分勝手で頑固者の男がひっそり死んでいった。 深夜から翌朝にかけて、彼の呼吸が時間をかけてしだいに弱まり、ついに止まった。病室を出たり入ったりしながら、自分でも驚くほど冷静に、泪をながすこともなく観察した。そして、医者が職業的に死を確認するのを見届けた。 一日置いて、男は荼毘に付された。火葬炉から出てきた人骨を見て泣き崩れる義母を見て、自分のなかで彼女に対する見方が変化しているのを感じた。 その夜、この文章を書きながら、僕が二十歳のとき、母と離婚して家を出て彼女のもとに行った彼の身勝手なやり方を、ふと思い出した。あれから五十年が経とうとしている。
148j 例年とは違った光復節の記念行事
大阪総領事館の管轄地域内の民団がことし主催した光復節の記念行事は、例年と違っていました。 二つの要因がありました。一つは8月15日に関西を含む西日本地域を縦断した台風10号の影響です。この台風のため、15日に開かれる予定だった光復節の記念式典が延期またはキャンセルされたことです。 もう一つは、昨年10月末の韓国最高裁による強制動員労働者の慰謝料賠償判決と7月の日本政府による半導体原料の対韓輸出規制強化から悪化の一途をたどっている日韓関係です。日韓政府の激しい攻防のなか、民団幹部をはじめ在日コリアンたちは、光復節の大統領祝辞がどんな内容になるか、例年より大きな関心を寄せていたのです。 台風のため大阪民団は16日午後、京都民団は17日午後、滋賀民団は18日午前にそれぞれ行事を開催しました。管轄地域において最も台風の影響が大きかった和歌山民団はすべての行事をキャンセルしました。民団関係者によると、台風などの天候のために光復節の行事を当日に中止したのは今回が初めてだそうです。 大阪総領事館は、土曜・日曜に領事が分担して4つの行事に参加し、例年と同じく大統領の祝辞を代読しました。私は大阪と京都の行事に参加しました。 行事が延期され、出席者が少ないと思われましたが、ほぼ例年並みのコリアンが参加しました。最近の日韓関係の悪化に過敏になっているコリアンは、大統領の祝辞を非常に集中して聞いていました。そして対立より協力と対話、経済を強調した祝辞の内容に安堵していました。 今回の光復節の行事が台風で延期されたせいで、予想外の効果もありました。大統領祝辞の内容を日本語に翻訳して配布したので、韓国語を理解できないコリアンに確実に韓国政府の意向を伝えることができたことです。従来は、当日朝にスピーチ原稿を受け、会場にせわしく行き、代読するだけでしたので、参加者からよくわからないという声があったのです。 それで思いついたのですが、今後、日本の光復節行事は一日ほど後に実施してはいかがでしょうか。
148 올해 민단 광복절 행사는 다른 해와 달랐다
올해 오사카총영사관 관할지역의 민단 광복절 행사는 다른 해와 달랐다. 두 가지 요인이 있었다. 하나는 8월15일 간사이를 포함해 서일본지역을 관통한 태풍 10호(크로사)의 영향이다. 이 때문에 광복절 당일 열릴 예정인 기념식이 연기되거나 취소되었다. 또 하나는 지난해 10월말 대법원의 강제동원 노동자에 관한 위자료 배상 판결과 7월 일본의 반도체 원료 수출규제 강화로 악화일로에 있는 한일관계이다. 한일 정부 사이의 격한 …
147j サンスターライン創立20周年
韓国系海運会社の日本現地法人第1号、サンスターライン(会長: キム・ヒョンギョム 金泫謙、社長: 野瀬和宏)が、8月8日に創立20周年の記念行事を開催しました。 20年前に大阪の小さな事務所で5人の従業員が起業した会社が、今や大阪本社、東京・名古屋・石川・下関に支店等を持つ従業員86人、年商約50億ウォンの企業に成長しました。 同社は外航貨物の定期船業のほか、通関業務・鉄道輸送事業・旅行業・バス事業等も行い、釜山・大阪間のパンスタークルーズ船を週3回運行しています。昨年9月、台風21号により関西国際空港が閉鎖されたときには、足止めされた韓国人旅行者の多くを帰国させました。 20周年行事の祝辞要請を受け、会場のホテルニューオータニ大阪に行きました。日本の対韓輸出規制強化により日韓関係が非常に困難な状況にあるため、行事開催を心配しましたが、会場に到着するや、まったくの杞憂だったことがわかりました。 行事開始前からサンスターライン関連の海運業・製造業などの業界関係者、地方自治体の人士等数百人が会場を埋めていました。 政治状況が厳しくても、汗と利害で結ばれた関係は想像以上に強靭だと感じました。金会長も挨拶において、過去にあったいくつかの困難のなかでも日本側関係者と協力しながらここまで発展してきたとし、現今の困難も「また過ぎ去るだろう」と述べました。会長が挨拶を終えて降壇すると、日本の多くの関係者が声をかけていました。事業で結ばれた関係の底力をみたように思いました。 困難な日韓関係のなか、公開の場で挨拶するのはなるべく避けたいことです。ただ、現在の対立状況について一言も言及しないのはあまりに安直であり、直接言及するのは会場のムードにそぐわないからです。悩んだ末に最近の状況について以下のことを述べ、祝辞としました。 最近、日韓間には高い波が打寄せています。遺憾ながら、政治的な対立が経済分野にまで及び、困難が生じていることは否定しようがありません。しかし、サンスターラインの20年が象徴するように、両国は離れようとしても離れられない関係でつながっています。 今襲っている高い波にひるまず、さらに果敢に粘り強い姿勢で荒波を克服しなければなりません。眼前に多くの障害があるとはいえ、日韓には1500年以上連綿と続いた交流の歴史があります。短い対立があっても、長い友好の時代があったことを忘れてはなりません。
147 한국계 해운업체 산스타라인 창립 20주년 기념행사
8월8일 한국계 해운업체로는 최초의 일본 현지법인으로 출발한 산스타라인(회장 김현겸, 사장 노세 카즈히로)이 창립 20주년 기념행사를 했다. 20년 전 직원 5명으로 오사카의 작은 사무실에서 시작한 회사가, 지금은 오사카 본사 외에도 도쿄, 나고야, 이시카와, 시모노세키에 지점 등을 두고, 종업원 86명, 매출 약 50억원 규모의 회사로 성장했다. 이 회사는 외항화물정기선업뿐 아니라 통관업, 철도운송사업, 여행업, 버스사업 등도 하고 있다. …
日韓関係のこじれから学ぶ
統治行為とは、直接国家統治の基本に関わる高度に政治性のある国家行為のことだ。そして、統治行為論とは、法律的な判断を下すことが可能であっても司法審査権は及ばないとする理論だそうだ。 日本と韓国において統治行為論そのものに対する考え方が異なるのではないか。三権分立の運用方法が違うのではないか。そういう基本的な食い違いがあるなら、そもそも議論が噛み合うことはあり得ない。 日本における多数説は、統治行為の観念とその適用される領域の存在を認めつつ、包括的・一般的にではなく、個々の行為ごとに吟味を行い、個別的・実質的論拠を十分に示すことができる場合にのみこれを認め得るとする限定的肯定説だそうだ。 韓国では過去の政権が外国政府と結んだ条約も批判され、大法院が政府から独立した審査を行うことが認められている。同じく自由主義経済と民主主義を掲げていても、かなり異なった社会体制とみるべきではないだろうか。まずは互いに異った社会体制であることを認める必要がある。 面倒なことだが、そういう作業を行わないと生産的な議論はできない、感情的なやり取りの連鎖に陥ってしまう。そんなことみなわかっているさ、と言われそうだが、浅学を顧みずに書いておく。今回の日韓関係のこじれから僕が学習したことだ。
146j 夏の甲子園にあと一歩届かなかった京都国際高校
惜(お)しかった、本当にくやしかった。帰り道、いつまでも去り難いほどだった。 大阪総領事館の管轄地域にある民族学校三校の一つ京都国際高等学校が甲子園進出の一歩手前で夢を果たせなかったのです。 28日午前、京都市の若狭スタジアム球場で行われた第101回日本高校野球選手権大会(甲子園大会)の京都大会決勝戦で京都国際高等学校が立命館宇治高等学校と接戦の末、2対3で惜しくも敗れました。7回まで2-0でリードし、8回に2-2の同点を許したあと、9回裏に点を入れられ<さよなら負け>を喫したのです。1回と2回に1点ずつ入れ、ずっとリードしていながら逆転負けしたので、選手だけでなく応援の生徒や教師、在日コリアンたちは本当にくやしがっていました。 甲子園の出場権がかかった京都大会の決勝戦は、もともと27日午後1時に開かれる予定でしたが、台風6号の影響で一日延期され、28日午前10時から行われました。27日、私は応援のため家を出ましたが、途中で延期を知り、引き返しました。翌朝、出直して教育担当領事と一緒に応援に出かけました。球場に到着すると、学校関係者だけでなく、地域のコリアンたちが応援席を埋め尽くし熱っぽく応援していました。 結果的には総合的な力が及ばなかったのでしょうが、京都国際が甲子園に出場していたら、在日コリアンの歴史に新たなページを記したはずだと思うと、この上なく悔しいのです。甲子園大会に日本の高校に通う在日コリアンの選手が出場したことは以前にもありますが、民族学校のチームが出たことはありません。最近、日韓関係が良くないためコリアンも心配が多く、そんなストレスを解消する絶好の機会を眼前で逃したという思いも少なからずあります。 1947年、在日コリアンが民族教育のために設立した京都国際学園は、2003年に日本政府から高校教育課程の一条校*として認可されました。現在、中高課程を運営し、日本の教育課程に沿った教育のほかに韓国語・韓国文化・韓国史を教えています。韓国籍と日本国籍の生徒が一緒に通っており、校歌は設立時の韓国語の校歌を歌っています。甲子園では試合が終わった後に勝った高校の校歌をNHKが生中継で流しますが、その「歴史的な」機会も次回まで延期されることになりました。 [*学校教育法第1条に定める幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学(短期大学および大学院を含む)、高等専門学校] でも、失望してはいません。京都大会に出場した77校のなかで準優勝しただけで大したことなのです。京都国際はことしの春季京都大会でもすでに優勝しています。他校より歴史も浅く野球部員も特に選ばれた者ではない、限られた劣悪な環境のなかでつかんだ成果なので、なおさら貴重です。韓国の諺に雲多ければ雨降るというとおり、これまでの実績があれば次は甲子園の地を踏むに違いない、と私は見ています。今回の惜しくも悔しい敗北がより大きな成長の肥(こや)しになると信じて疑いません。
146 아깝다 너무 아쉽다 집으로 돌아오는 발길이 떨어지지 않을 정도였다
아깝다. 너무 아쉽다. 집으로 돌아오는 발길이 떨어지지 않을 정도였다. 오사카총영사관 관할 안에 있는 3개의 민족학교 중의 하나인 교토국제학교가 고시엔 진출 바로 일보 직전에 꿈을 이루지 못했다. 28일 오전 교토시 와카사스타디움에서 열린 제101회 일본고교야구선수권대회(일명, 고시엔대회) 교토대회 결승전에서 교토국제학교가 리츠메이칸우지고교와 만나 접전 끝에 2-3으로 아깝게 졌다. 그것도 7회까지 2-0으로 이기다 8회에 2-2 동점을 허용한 뒤, 9회말에 한 …
145j 滋賀県長浜市の雨森自治会を再訪
7月23日、滋賀県の長浜市高月町にある雨森自治会を訪ねました。大阪から車で途中休憩なしに2時間かかる遠いところです。 文禄慶長の役*(1592-98)の後、徳川幕府と朝鮮王朝の和解親善に尽力した雨森芳洲(1668-1755)は、この町で生まれました。ここに生まれたものの、主な活動は江戸と対馬だったので、住んだ期間はほとんどありません。[*韓国では壬辰倭乱・丁酉再乱(壬辰/丁酉はそれぞれ西暦1592/97年、倭は日本人の蔑称)、中国では抗倭援朝と呼びます] それでも、この町の人々は雨森芳洲庵を建て、町が輩出した偉人の意をよく継承しています。この建物には、芳洲翁が同行した朝鮮通信使の記録のほか、翁が著した朝鮮語テキスト、朝鮮通信使関連のミニチュア人形などが展示されています。 日韓は「互いに欺かず争わず真実を以て交わり候を誠信とは申し候」という芳洲翁の唱えた<誠信外交>の精神を受け継ぎ、いまも青少年交流などに力を注いでいることが重要だと思います。 芳洲翁は当時の最も優れた朝鮮専門の外交官であり、知識人だったといわれます。韓国語に通じ、その文化にも精通して、朝鮮の官僚や知識人との交流も深かったといいます。文禄慶長の役後、その傷痕を癒し双方の友好親善を深めるため朝鮮が派遣した朝鮮通信使*に2度同行しています。 [*17世紀初めから19世紀初めまで江戸る時代を通じて将軍の代替わりに計12回派遣された数百人規模の外交文化使節団、そのルートは下の地図(上関町作成)のとおり] この日、雨森自治会を訪れたのは、昨年の今ごろ訪問したときに町の人々と約束したからです。20年前から韓国の学生が訪れ、高月町の高校生と交流しているので、激励してくれたらありがたいという言葉があり、私も快諾して再訪を約したのです。 溝が深まっている日韓対立のさなか、この日、韓国の学生30数人が訪れ、滋賀県立虎姫高等学校の生徒10数人がハングルで書かれた横断幕を持って彼らを温かく迎えました。 政治問題は政治問題として解決しつつ、他の分野の交流をさらに活性にしようと、私はかねてより主張しています。安倍首相による「一線を越えた経済報復」が民間交流にも悪影響を及ぼしている今の状況はあまりにも複雑です。長期的には政治状況に揺るがない民間交流を活性化すべきであり、青少年交流はとりわけ意義深いものです。 日韓の学生たちに対し、芳洲翁の精神を踏まえながら、今回の交流会が困難な現状にある日韓関係をいかに克服するかを考える時間になるよう期待すると話しました。 大阪までの遠路を考え、学生たちが対話するようすは見ずに帰途につきました。
145 한일관계를 어떻게 극복할까를 생각해 보는 시간이 되길 바란다
7월 23일, 시가현의 나가하마시 다카쓰키초의 아메노모리자치회(雨森芳洲自治會) 마을을 다녀왔다. 오사카에서 승용차로 쉬지 않고 두 시간을 가야 하는 먼곳이다. 이 마을은 임진왜란 이후 일본 에도(江戸) 정부와 조선의 화해 친선을 위해 노력한 아메노모리 호슈(雨森芳洲 1668-1755)가 태어난 곳이다. 아메노모리는 이곳에서 태어났지만, 주로 활동은 에도와 쓰시마(對馬) 등에서 했기 때문에 정작 이곳에 산 기간은 얼마 되지 않는다. 그래도 이곳 마을 사람들은 …
消去法で選ぶ参院選
いつになく盛り上がらない参院選だが、約20年に及ぶ自民公明両党の連立政権が人々の政治不信と政治離れを増幅しているといえないだろうか。憲法問題で共闘できないなら連立すべきでないだろう。その二党が選挙協力していることが、政治の争点をわかりにくくし、選挙ひいては政治を一般市民から遠ざけている。他方、それは自公にとって都合のいいことなのだ。低い投票率は政治総体に対する国民の消極的な否定だということをわかっていながら嗤わらっている者がいる。候補者と政党を消去法で選ぶしかない閉塞感に覆おおわれた日本社会を思う。 2014年11月7日付け nippon.com の記事が、自公連立の経緯についてよく整理している。 -------------------- 翌朝 FB に次の短文を投稿した。 選挙で何が変わるのだろう? この国の政治制度と人々の政治意識のもとでは何も変わらないのではないか。低い投票率は一般市民の選挙と政治に対する消極的な否定の表明である。
U先生の訃報
U先生の訃報に接し、昔のことを思い出す。70年代初めに朝鮮語を学んだとき(「韓国語」という呼称はなかった)、先生の著『カドリール式朝鮮語1600』をいつもカバンに入れていた、カセットテープも繰り返し聞いた。 初めてお会いしたのは1980-81年だったと思う。日本言語学会の事務局があった(?)東外大AA言語研究所を訪れた。先生の本で学んだことをお伝えすると、最近作られたというKDD 職員研修用の朝鮮語学習教材をくださった。 1998-99年には高校の韓国語教員のための短期研修の主任講師、2008-09年にはクムホアシアナ杯韓国語高校生大会の審査委員長になっていただいた。いずれも僕が立ち上げに関わった事業だ。10年には韓国文化院主催のシンポジウムでご一緒させていただいた。写真はそのときのものだ。先生の笑顔はいつも周りの人に独特の温もりを与えてくださった。 2016-18年、韓国人の友人とともに新大久保からほど遠からぬところにある先生のご自宅にも何度か伺った。折にふれ、韓国語教育関連の事業についてご相談させていただいたことが、つい先日のことのように思い出される。 https://www.reitaku-u.ac.jp/2019/07/09/70006 親しくしていただいた方が亡くなると、決まって方丈記の冒頭の一節を思い出す。高校生のとき暗記したものだ。 ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶうたかた(泡沫)はかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし、世の中にある人とすみか(住処)とまたかくの如し [鴨長明(1155-1216)『方丈記』冒頭] Incessant is the change of water where the stream glides on calmly. The spray appears over a cataract, yet vanishes without a moment's delay. Such is the fate of men in the world and of the houses in which they live. [translated by Natsume Soseki(1867-1916) when …
周囲に配慮しない人々
最近気になっていることの一つに、周囲に対する感官を欠いた人々の増加がある。混み合った電車でザックを背負ってスマホに見入る人や大きなバッグを肩に掛けてスマホを操作する人が多い。彼らのザックやバッグは周囲の人に当たって迷惑を及ぼすのだが、お構いなしだ。その姿は背中にランドセルを背負った小学生を思い出させる。 車内放送で繰り返し注意をしても一向に頓着しない。自己の世界に没入し、周囲のことは視野に入らないのだ。他の人々など存在しないかのようだ。そもそも周囲という感覚が欠落しているのかもしれない。 周囲に構わず、大きな声で話す人々も少なからずいる。若いころから人一倍騒音に神経質な僕だけの問題かもしれないが、そういう日本人が増えたように思う。 いずれも周囲に対する配慮を欠いた人々だが、僕のような者にはとても煩わしい。こんなことを言うと、年を取っただけと言われそうだが、そうではない。日本社会が変化しているのだ。
選挙前に憲法の前文を読む
憲法の前文は憲法の一部であり、本文と同じように法規範性を持つという(裁判規範性は持たない)。以下に抜粋した前文の部分が第9条を支える精神を表現していると思う。 昨今の9条をめぐる改憲論議(議論になっていないが)は本来、憲法前文の修正を伴うべきものであり、憲法が拠って立つ精神的土台そのものに関わる変更ではないか。 [以下 Wikipedia より転載] (前略) 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(後略) We, the Japanese people, desire peace for all time and deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
144j 李哲・徐勝の両氏がムン大統領夫妻と共にメインテーブルに
6月27日夕方、大阪城近くのニューオータニホテルでムン・ジェイン大統領と在日コリアンとの懇談会が開催されました。直前の韓中首脳会談が長引いたため、予定の6時30分より7分遅れて始まりました。 今回の在日コリアン懇談会は「在日コリアンの首都」と呼ばれるほど韓国国民が多数集住する大阪で8年ぶりに開催されることもあり、高い関心を呼びました。日韓の政府関係がよくない状況下、在日コリアンたちがどんな発言をし、大統領がどんなメッセージを送るかも大いに注目されました。 結果的に懇親会はとても和やかなムードのなかで行われました。行事中、参加者が大統領夫妻を背景に記念写真を撮ったり、数名が無遠慮に大統領の席に近づいて挨拶を交わそうとするなど、警護員たちが汗をかかされる場面もありました。これらすべてが権威主義的な政権下では想像できない「キャンドル政権」ならはの特徴ではないか、と私は肯定的に捉えています。 今回の懇談会のキーワードは、ハーモニーと未来だと思います。民団幹部を中心に行われた過去の懇談会とは異なり、いま各界で活躍するコリアンたちが等しく参加するハーモニーの場となったからです。軍事独裁政権時代に捏造されたスパイ事件で死刑又は無期懲役を宣告された在日韓国良心囚同友会の李哲(イチョル)代表と韓国又石(ウソク)大学の徐勝(ソスン)客員教授が大統領夫妻と共にメインテーブルに配席されたことがすべてを象徴しています。 白頭学院建国学校の伝統芸術部の生徒のきわめて印象的なパフォーマンスは参加者、殊にソウルからの代表団を感動させました。会場の背景に民族学校や民族学級の生徒たちが描いた「大韓民国」という文字をデザイン化したコリアンたちの肖像画は、次世代コリアンの明るい未来を示していました。 懇談会を支配したもう一つのキーワードはプライドではないかと思います。厳しい環境にあってもルーツを守り、祖国に物心両面の貢献をしてきた在日コリアンを支えたのは、まさに韓国出身というプライドだったと思われます。だからこそ「コリアンのみなさんが祖国の発展に誇りを持てるように努めます」というムン大統領の最後の激励の言葉に一層反響があったのです。 準備段階を通じて懇談会に参加して感じたことを<ソウル新聞(2019.7.1)>に寄稿しました。