I塾のライブ授業再開に伴い、スーツケース goolee を復活した。ノートパソコンを入れ、講義用テキストとポケット六法などを入れると、かなり重い。階段はなるべく使わない。これから4ヵ月余りの受験体制が始まる。僅か4ヵ月だけの辛抱だ。
小説という表現方法(1)
70歳で初めて小説を書いたと云ったが、各章の下地になる原稿を1996年ごろ(第1章)、2018年ごろ(第2章)、1988年ごろ(第3章)に書いている。それぞれ周囲の限られた人に読んでもらったが、残念ながら、まったく不評だった。今回も評価されることなど考えていない。だから、好きなように思いつくままに書くことができたのだが、小説という表現方法にはそもそも何らの規制もないのかもしれない。 小説の推敲を重ねながら、40歳代後半に書いた修論の執筆過程を思い出すことがあった。執筆に要する労力はほぼ同じだったと思う。修論の記述は常に根拠のある資料や文献の裏づけが必要なのに対し、小説では特に資料を求める必要はない。ただし、だらだらと思いつくままに書いてはいけないと思う。独自の論理性ないし一貫した執筆姿勢に裏づけられていなければならないと思うからだ。このような考えかたが、あるいは僕の独自性になるのかもしれない。そこに小説の真価を見いだしたいと思う。
久々のライブ授業
久々のライブ授業でうれしいとはいうものの、この3ヵ月余りのブランクは大きい。まったくゼロから始めるようなものだ。教室のどんより張りつめた空気と緊張感がなつかしい。不思議なのは見なれた顔が少ないことだった。受講者も10名に満たない。
213j 日本の韓流と未来志向の日韓関係をテーマにシンポジウム
6月26日、大阪リーガロイヤルホテルで「日本の中の韓流と未来志向的な日韓関係」をテーマにシンポジウムを開催しました。大阪韓国総領事館が主催する、コロナ後における新しい形態による初の行事でした。 2000年初め「冬のソナタ」を皮切りに日本の韓流ブームが起こり、2017年からは BTS (防弾少年団) と Twice に代表される第三次ブームが起きています。また、コロナ禍のなか「愛の不時着」「梨泰院クラス」など韓国ドラマが Netflix を通じて大流行していることは周知のとおりです。でも、なぜそうなったのかはあまり知られていません。 日韓関係が政治的にきわめて難局にあるなかで韓流が人気を維持している理由は何なのでしょうか。この疑問に答えるシンポジウムを総領事館主催で開催したい。そう考えて、ことし初めから計画を練っていました。準備中にコロナ禍が起きましたが、あきらめずに忍耐強く状況を見きわめ、ようやく実施に至ったのです。 コロナ禍が完全に収束していないため、安全確保に特に留意しました。ホテルと協力し、数百人収容できる会場に参加者60人余りの席をアレンジしました。移動制限が解除されず、ソウルから来られなかった第一発表者、韓国コンテンツ振興院の前副院長、金泳德(キム・ヨンドク)氏はウェブに接続して発表し討論することになりました。いかにもコロナ時代の新方式らしい行事です。 参加者を限定しウェブを取り入れた新方式のシンポジウム会場は熱い熱気に包まれました。金泳德氏は、日本以外の世界で韓流がどの程度流行しているか、生産・流通・受容の面から詳細に解説しました。特に韓流の初期に韓国政府がソフトパワーを強化するために文化産業育成に尽力した背景とその成果をわかりやすく数字で表に示しました。 第二発表者、北海道大学大学院メディアツーリズム研究センター長の金成玟(キム・ソンミン)教授は「日本のなかの韓流- 歴史と特徴そして課題」と題した発表でフロア参加者の高い関心を集めました。日韓関係や政治関係の枠組みで韓流を見る従来の解釈をひっくり返す内容が注目されたのです。 金成玟教授は、第二次と第三次韓流のはざま、日韓断絶が始まった2012年に注目し、この年に日本で韓流が消えたわけではなく、新たな転換を行うための年だったとしました。第一次と第二次の東方神起・KARA・少女時代が活躍した2011年までは日韓のローカルな視点で韓流が捉えられ、大衆メディアを中心に韓流が消費された時期であり、2012年以後はグローバルな視野で日本の韓流ファンが自らのチャネルを通じて韓流を楽しみ始めた時期だとしました。 李明博(イ・ミョンバク)前大統領の竹島(独島)訪問など日韓の政治対立もあり、政治的な理由で韓流が消えたように見えましたが、メディアが取り上げなかったライブコンサートや Youtube などのソーシャルメディアを通じて韓流ファンが世界的な韓流トレンドに参加するようになったというのです。金成玟教授は、こうした国境を越えた流れが今後も継続するとの見通しを述べました。 大阪市立大学の伊地知紀子教授が司会進行した第二部討論会では、韓流と民族主義が主なテーマになりました。共同通信客員論説委員で元ソウル特派員の平井久志氏は、韓流が今後民族主義の強化に向かうのか、国際主義の強化に向かうのかという観点から問題提起を行いました。 金成玟教授と在日コリアン三世で吉本興業所属の芸人のカラミ氏、帝塚山学院大学の稲川右樹教授(韓国語教育)ほかが参加した討論は概ね現在の韓流が民族主義に束縛されることなく、文化を文化自体として楽しむ形で流通しており、今後もその傾向が強まるだろうとしました。 シンポジウムを傍聴しながら、政治的脈絡から文化を解釈すると間違いを犯しやすいことを思い、いかに文化の力が大きいかを今さらながら考えました。
終章を削除し回送電車に
しばらく前に序章(はじめに)を削除したのに続き、終章(おわりに)を削除しました。これに伴って、第4章の最後二節の見出しを「回転式ドア」「回送電車*」に変更しました。 *回送電車の英文表示は最近 out of service が多いが、以前は deadhead だった。この英語がずっと気になっていた、dead [死んだ]が何を意味するのか不明だったのだ。どうやら米語のようで、役立たずとか無能の意味があるようだ。 この小説の最終場面は、回送電車という寺院、それを観察する凭也、トンネルに入っていこうとする無人の回送電車という設定で、それを見送るのが凭也から筆者に入れ替わるという趣向です。
213 일본 속의 한류와 미래지향적인 한일관계라는 주제로 심포지움
6월26일 오사카 리가로얄(Rihga Royal)호텔에서 「일본 속의 한류와 미래지향적인 한일관계」라는 주제로 심포지움을 했다. 코로나 19 감염 사태 이후, 오사카총영사관이 주최한 최초의 다중 참여 행사이다. 일본에서 2000년 초 「겨울연가」를 시작으로 한류 붐이 일기 시작해, 2017년부터는 방탄소년단과 트아이스로 대표되는 제3차 붐이 일고 있다. 또 코로나 와중에서는 '사랑의 불시착' '이태원 클라쓰' 등 한국드라마가 넷프릭스를 통해 대유행하고 있다. 이런 현상은 …
A Korean diplomat in Japan
在大阪韓国総領事のFBページに投稿された「오사카통신(大阪通信)」とその日本語訳「大阪コリア通信」を掲載する A Korean Diplomat in Japan というサイトがあります。 そのページ末尾 translator's blog に「凭れ合う人びと・隠れンヴィーニたち[未定稿]」のリンクを張り、ブログを読めるようにしました。 同サイトヘッダーに林子平編著『三國通覧輿地路程全圖』(部分)を掲載しています。 朝鮮琉球蝦夷并にカラフトカムサスカラツコ嶋等数國接壌ノ形勢ヲ見ル為ノ小圖
林子平が作った地図
林子平(1738-1793)編著『三國通覧輿地路程全圖』中央部分に「朝鮮琉球蝦夷並びにカラフトカムサスカラツコ嶋等数國接壌ノ形勢ヲ見ル為ノ小圖」とある。 横浜市立大学所蔵古地図データベース『三國通覧輿地路程全圖』
死の扉改め回転式ドアに
今週、最後の(にしたいと思いつつ)校閲作業を行い、一区切り付けました。東京駅を漢城駅をへてグローブ駅に変更したのもその一環です。さらに、ずっと気になっていた「死の扉」を改め「回転式ドア」にしました。 輪廻の扉という語も考えましたが、小説全体のテーマであるンヴィーニの象徴である球体・球状に即して回転式ドアにしたのです。輪廻のドアとすると仏教臭がこびりついて好ましくないと考えました。輪廻のサンスクリット語(サムサーラ)にしても同じだろうと考えたのです。 老人をテーマにすると、死という問題は避けて通れません。それを意識し、前面に出そうとして「死の扉」としたのに、その内容がいかにも貧弱だと思ったのです。回転式ドアにすることで、かなり死の特別感がなくなり、冷静に死を見つめられるように思います。
漢城駅改めグローブ駅に
小説の第2章「2030年のメモ」で漢城(旧東京)駅という名称を使ってみた。漢城というと、朝鮮時代(1392-1897)を連想する人が多いと思う。中国語では韓国の서울に対し漢城・汉城が使われ、最近は首爾・首尔(서울の音訳)を使うようだ。 京都はもともと首都の意味だ。京城という植民地時代の名称も首都という意味だが、これは死語にしたいので、小説で漢城という漢字を使った。若い人たちにはどうでもいいことだろうが、あえて時代錯誤的に漢城駅にしたのだが。 小説自体は韓国とまったく関連性がないのですが、最終校閲をしながら、どこかで関連付けたいと考えてしまったようです。とってつけた感を否めません。一日置いて考えた末、グローブ(球状の意)駅に改めました。 ンヴィーニ(ンヴィニ教徒)が好む球状にちなんだもので、小説のテーマに合致します。20世紀末にグローバル、グローバルと彼らが呪文のように唱えた単語の元の意味ですから。
一度書き上げたはずが
三ヵ月ほど前に書き上げたはずが、その後、何回も自己校閲を重ね、ようやく納得のいくものになりつつあります。四部構成と時間軸の設定は変えていませんが、段落の入れ替えを行い、見出しを変更しました。 漢字をひらがなに開いたり、主人公の名前をローマ字表記からカタカナ、漢字へと修正しました。題名も小さな変更を何度か行い、現在「凭れ合う人びと・隠れンヴィーニたち」としています。このサイトの読者は辟易していらっしゃることでしょう。 今月末には完成させたいと考えていますが、読者のみなさまにお届けするのは一年後ぐらいになる予定です。なにを勿体ぶっているんだ、と叱られそうですが、みなさま、それまでご機嫌よう。 みなさまに忘れられぬよう、ブログはときどき投稿しますので、たまに「つれづれなる」ときにアクセスしていただければ幸いです。
兼好という人物の再発見
没年1350年(?)、68歳(?)で亡くなったという伝えから逆算し、生年は1283年(弘安6年)と推定されている。鎌倉時代末期(1185-1333)から南北朝時代(1336-92)に生存し、徒然草の作者として知られる。その冒頭の一節はあまりに有名だが、没後長いあいだ注目されなかったようだ。いわば、後の時代に再発見された著作であり人物だろう。 つれづれなるまゝに日ぐらしすずりにむかひて心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなくかきつくればあやしうこそ物くるほしけれ これまで特に関心を持ったことがない卜部兼好(うらべけんこう)という人物に何となく興味を抱いた。きっかけは彼が書いたとされるつれづれ草の書き出しにある「物くるほしけれ」である。自分で文章を書いて思い当たることがあったのだ。学校でいやいや習った古典の知識がいかに浅薄なものか、よくわかる。そして、いま70歳にして、僕は卜部兼好とその著作を自己流に再発見しているのである。その解釈が正しいかどうかは問題ではない。
ンヴィニ教徒と認知症
ンヴィニ教徒と認知症患者に共通するものは何だろうか。この小説のテーマそのものであるが、それがどの程度描かれているか検証したい。 ちなみに、四部構成のこの小説の第3章は認知症患者とされる主人公のメモにもとづいており、他の三章はンヴィニ教徒に関する主人公のメモまたは口述内容を記録したものである。 こんな作業をするのは、一部の人にだけ部分公開したこの小説の評判が(予想どおり)きわめて悪い、というより無視されているからだが、それだけではない。最終の校閲を行うために必要だと思うからだ。 はじめに、この小説が描くンヴィニ教徒の特徴は凭(もた)れ合いにある。認知症の特質は、時間軸と風景(眼前の光景と心象風景)の不一致や揺らぎにあるとしている。 凭れ合いは空間領域における状態をいうが、静止しているわけではなく動いているから、時間領域も含む。凭れることはその状態を持続するわけだから、時間軸に委ねざるを得ない。 比喩的にいえば、電車(ンヴィニ教寺院)は二本のレールの上を走っているから、レールが時間軸の役割を果たしているとも考えられる。 やや乱暴な三段論法を用いれば、電車に揺られ凭れ合うンヴィニ教徒は、電車の運行に身体を委(ゆだ)ねることで、認知症患者のように通過する風景と時間軸のずれを生じざるを得ない。 隠れンヴィニ教徒は、程度の違いこそあれ、認知症患者に類似した状態にありますよ、という警告を発しているつもりなのだが、悲しいかな、僕の筆力はそれを伝えられていないようだ。さて、どうしたものか。
212j 大阪・奈良・和歌山・滋賀・京都民団の支部支団長と懇談
6月16日、3月初めに始まった「長征」が3ヵ月余りで終了しました。途中、コロナ禍でしばらく行進が滞りましたが、ついに目標地点を通過したのです。 在大阪韓国総領事館が所管する2府3県(大阪・京都・滋賀・奈良・和歌山)の民団本部に所属する各支部の支団長等と、3月5日から一連の懇談会を始めました。コリアンの諸団体のなかで民団が最も大きく中心的な役割を果たしているところ、その最も重要な活動家は支団長であると考え、懇談会を企画しました。 これまでさまざまな行事に参加し、各府県の民団本部の幹部と多く接触してきましたが、団員と最も身近に活動する各支部の支団長と会話をする機会はありませんでした。この点を反省し、支団長等と連続懇談会を開催することにしたのです。 本格的な新年度事業が始まる前、4月までに連続懇談会をすべて終了する予定でスタートしたのですが、4月に入ってコロナ禍が深刻化し、予定していた日程が狂い始めました。 大阪民団の29支部を対象に3月5日から31日まで5回に分けて開催した後、コロナ禍のため日程を中断せざるを得ませんでした。5 月21日に日本の緊急事態宣言が解除された1週間後、奈良県を皮切りに懇談会を再開し、5月28日の和歌山県、6月12日の滋賀県、6月16日の京都府と、すべての行事を終了しました 。京都民団は大阪民団につぐ規模のため、二度に分けて開催するつもりでしたが、日程が予定より大幅に遅れたため、まとめて実施しました。 第一線に最も近いところで活動している支団長の苦情を聞き、励ますことを目的としましたが、コロナ禍を経たことで、この感染症で苦労しているコリアンを慰め痛みを分かち合う時間が多くなりました。一方、韓国政府がコロナ禍によく対応し、世界的に高い評価を受けている事実が自然と懇談会の定番メニューになりました。コロナ禍の困難のなかコリアンたちの母国愛がいかに熱いか確認できたように思います。 支団長をはじめ、第一線の活動家が異口同音に提起した問題は、団員の高齢化と帰化の増加に伴う団員の縮小でした。それに伴う財政悪化と活動力の低下がほぼ共通して指摘されました。 こうした困難のなか、いくつかの支部は保育や高齢者介護などの新規事業により活力を維持しています。コロナ禍のなか、マスク購入がむずかしかった時期に団員の家を訪ね歩いてマスクを配布したのが好評だったという話もよく聞きました。こうした事例に接し、活動の成否は金額の多寡ではなく、誠意と努力に左右されることを思い知らされました。 コロナ禍という伏兵が現れ困難にみまわれた懇談会でしたが、支団長等との出会いをすべて終了したいま振り返って、実施しなかったより数十倍よかったと考えています。コリアン社会に対する理解の幅が広がり、さらに深まったと思うからです。
212 민단본부 각 지부 지단장들과의 간담회 목표 지점을 통과
3월 초부터 시작한 장정(長征)이, 6월16일 3개월여 만에 끝났다. 중간에 코로나 19의 방해로 잠시 행진이 멈춘 적이 있었지만 이날 드디어 목표 지점을 통과했다. 오사카총영사관 관할지역인 오사카부, 교토부, 나라현, 와카야마현, 시가현 등 2부3현의 민단본부에 속한 각 지부 지단장들과 간담회를 3월5일부터 시작했다. 동포단체 중에서는 민단이 가장 크고 중심적인 역할을 하고 있고, 그 중에서 가장 핵심적인 활동가들이 지부의 단장들이라는 …
ネパールの数字と改暦
これはネパール文字で書かれた数字で、上段が 1 2 3 4 5、下段が 6 7 8 9 10 です。アラビア数字に似ているものもありますが、違うものが多いようです。ローマ数字にない o (ゼロ)があります。 ネパールは現在、独自の暦を使っています。歴史的には日本島と同じく陰暦(太陰太陽暦)を使っていましたが、西暦1904年4月13日に太陽暦に切り替え、ビクラム暦1961年1月1日と定めたそうです。西暦紀元前58年を紀元とする暦法で、北インドでも使われているそうです。ことし5月5日はビクラム暦で2077年1月22日です。 日本は明治5年12月3日を明治6年1月1日と定め(Wikipedia)、太陰太陽暦(天保暦)から太陽暦(グレゴリオ暦)に移行したのです。明治以来、天皇制とともに一世一元制を維持している日本島は、ネパール暦に対して僕らが感じるように、外から見れば特異に映るのでしょう。青空文庫『改暦弁』 改暦辧: 慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクションより 『凭れ合う人びと』の主人公は、もしかしたら、日本島とネパール国のあいだを行き来していたのかもしれません。
211j 朝鮮陶磁の名品を所蔵する大阪市立東洋陶磁美術館
6月11日、関東地方と関西地方が本格的な梅雨(つゆ)に入りました。例年より少し早い梅雨入りだといいます。大阪も最高気温が約30度となり、雨が降ったりやんだりの一日でした。コロナ禍のなか蒸し暑い梅雨の天候を一ヵ月耐えなければならない、と思うと重い気分になります。 雨模様のなか、総領事館の職員とともに大阪市立東洋陶磁美術館を訪ねました。春の人事異動で職員が加わった機会に、所管区域内の朝鮮文化を自らの目で見て体感し、両国間の文化交流について理解を深めるために企画した見学会です。 東洋陶磁美術館は、韓国の国立中央博物館を除いて、高麗青磁や朝鮮白磁など朝鮮陶磁の逸品を最も多く所蔵する世界的にも著名な美術館です。朝鮮の陶磁器を中心に中国と日本の陶磁器の所蔵品も豊富です。 東洋陶磁美術館のコレクションには、大阪韓国総領事館の前身である在日代表部大阪事務所の初代所長、李秉昌(イビョンチャン 1915-2005)博士が寄贈された朝鮮陶磁器を中心とする李秉昌コレクションと中国陶磁器の分野で世界に知られた安宅(あたか)コレクション*があります。美術館には日本の国宝2点と重要文化財13点があります。*安宅英一 (Wikipedia) 李秉昌コレクションは高麗青磁ほかの朝鮮陶磁器301点と中国陶磁器50点からなり、1999年に開設されました。李博士が苦心の末、日韓友好と在日コリアンの自信と誇りを高めたいとの思いから東洋陶磁美術館に寄贈されたものです。韓国に寄贈されたのは国立中央博物館に1点だけといいます。 私たち一行は出川哲朗館長ほかの案内や説明を受け、李秉昌コレクションと開催中の特別展「天目--中国黒釉の美」(6/2-11/8)を見学しました。天目は中国の宋時代(960-1276)に黒釉をかけて焼成した茶碗です。今回の展示では油滴天目茶碗のなかで唯一国宝に指定されている美術館所蔵の茶碗(南宋)も公開されています。 李秉昌コレクションは美術館3階に常設展示され、特別展の規模に応じて縮小展示されます。これまで訪問したときはいずれも縮小され、多くの作品を見ることができませんでした。今回は通常展示でしたので、コレクションを満喫できました。自ら巨額を投じて収集した愛蔵品を日韓友好と在日コリアンのプライドのため、惜しみなく寄贈されたのです。博士の遺志が十分に生きていることを感じます。 日本の大阪のまんなか、中之島にこうした朝鮮陶磁器の美を堪能できるすぐれた美術館があります。人気の Moto Coffee に行列をなすほど来訪する韓国の若者たちは、そこから徒歩5分の美術館にはやって来ない、と美術館の関係者が残念がっていました。美術館があることを知らないからで、知っていて来ないわけではないでしょう、と私は弁護したのですが。
韓国ドラマ 눈이 부시게
検索エンジンにかからない方式で再開します。ご了承ください。 最近、눈이 부시게 (まぶしくて)という韓国ドラマを見ました。海辺で拾った古い腕時計の針を回すと自分の周囲の人々の時間軸が過去に戻るのですが、自身の時間軸は未来に進んでしまうという設定のもとにドラマが展開します。 『凭れ合う人びと』と同じく、老人問題を主題の一つにしています。主人公の女性が父親を救おうとして時計の針を戻した結果、彼女自身は50歳ほど年老いてしまい、恋人に自分であることを知らせようと努力しても伝わらない。その悲しさが切々と迫ってきて、泪を流しながら見ています。 自分の老いと彼女の老いを重ね、気持ちを伝えられない悲しさが十分以上に理解できてしまう。それがうれしいような、哀しいような...仕方ないのですが
211 총영사관 직원들과 함께 오사카시립 동양도자미술관을 견학
6월11일부터 간토와 간사이 지역이 본격적인 장마철에 들어갔다. 예년보다 좀 빠른 장마라고 한다. 오사카에도 최고기온 30도를 넘나드는 속에 비가 간헐적으로 내렸다. 이 후덥지근한 날씨를, 코로나 19의 위협 속에서 한 달여간 버틸 생각을 하니 마음이 무겁다. 이날 장맛비 속에서 총영사관 직원들과 함께 오사카시립 동양도자미술관(大阪市立東洋陶磁美術館)을 견학하러 갔다. 봄 인사를 통해 직원들이 몇 명 새로 온 것을 계기로, 관할지역에 …
手のひらを見る人々
本文にある主人公のメモから引用します。 人々は睡眠を除くほとんどの時間、手のひらを見て過ごした。歩くとき、電車や地下鉄の到着を待つとき、電車の車内、エスカレータに乗っているとき、便座にすわっているとき、食事中、時間つぶしなど、家にいるときも外出先でも、いつも手のひらを見つめていた。 ヒョウによると、二〇三〇年にはスマホの形態が大きく変化していました。手のひら自体がスマフォになったのです。読者の多くは、落としたりしてクモの巣状にヒビの入ったスマホ画面を使った経験がおありでしょう。【筆者がヒョウに尋ねたところ、スマフォではそのヒビがまったく気にならないそうです】