東京都内の中心部にあるゆうちょATMの機器の上と床の周縁に利用者が置いていったペットボトルや紙きれが散乱している。「ンヴィニ教徒のしわざだな」と思うが、こんな光景はとくに取り立てるほどのことではないのだろう。「日本島はきれいなほう、外国ではもっとひどい」と人々はいう。 『凭れ合う人びと』本文より:駅構内だけでなく、線路の周辺にも道路わきにもタバコの吸い殻やゴミがたまった。人々は自分の住居や敷地以外の場所を汚すことを何とも思わないから、自分の領域外はどこもゴミ捨て場になった。領域内をきれいにすることは域外を汚すことだった。人々が降り立つことのない線路わきが特に汚れたのは、そこが誰にとっても域外だったからである。
立入りを禁じられた寺院
ヒョウの発想の根幹にあるものは何だろう。自身の信仰を問われ、無宗教だと応えて平然としている人々、その応答を当然のこととして聞き流す人々、彼らが所属する集団に対する深刻な疑問だろうか。畢竟、自らに対する省察が不足しているというだけではないか。 では、筆者はなぜヒョウ(凭)という主人公を創作し、彼を通じてンヴィニ教徒を批判する手法をとったのだろうか。そして、彼を認知症患者という判断能力が疑われかねない人物に仕立てたのだろうか。 コンヴィニエンスストア(コンビニ、便宜店)を人々の拠り所として寺院に見立てたのは慧眼だろうか、半狂人ゆえの妄想だろうか。ンヴィニ教寺院という見立てを読者はどのように捉えるのだろう。 小説の第4章を練り上げる時期によく来た場所に、7ヵ月ぶりにやって来た。コロナ禍の影響を受け、立入禁止の貼り紙がしてある。構想のヒントを得た愛着のある場所が立入禁止になっている、小説の叙述がこの場所に及んだような(そんなことはあり得ない)気がして、自分の内面世界をいぶかしく思った。
小器晩成
漢字熟語で習うのは大器晩成だが、世の中に大器と呼ばれる人は稀だろう。多くは平凡で、死んでしまえば、忘れられてしまう。人の営みとはそういうものではないか。ただ、そういう人々の生き方が大器の人のそれより劣っていると考える理由は何もないし、そう考えるべきではない。 逆説的に彼らの営みを小さな器に例え、小器と呼んではいかがだろうか。もちろん、僕は小器だろうし、これまでに何をなしたか自覚がない。だから、何をもって晩成とするかも知らない。そもそも、一生のあいだに何かを成さなければならない、という考えも持ち合わせていない。これを偏屈というなら、そのとおりだろう。 70歳になって小説を書いて新人賞に応募するのは野心のなせる業だろうが、これで何かをなすことにはなるまい。ただ、いまようやく理解するのは、大器晩成とか故郷に錦を飾る(富貴不歸故鄉、如衣繡夜行)とか、漢字熟語には儒教的な功利主義や実利主義にもとづく言説がいかに多いかということであり、日本語がいかにそれに影響されているかということだ。あるいは、日本語にもともと功利主義的な志向が強くてそういう部分を好んで切り取ったということなのだろうか。
凭れ合う人びとの目次
1. 電車という名の寺院ラッシュアワー凭れ合う人びと球戯に興じる老人たち排斥される異教徒サイレント車両スモーカー車両テレヴィという名の祭壇ンヴィニ教徒の子どもたち2. 2030年のメモ浅黒い顔の老人ンヴィニ教寺院人口動態を模したビル手のひらを見つめる人びと無宗教派が生まれた背景あいまいな男女差老人の住居と河葬場3. 車窓の風景と心象風景GOトレイン白髪の老人木造の観音像カナリアの死気圏の底と雷の情景GOトレインの終着駅老人との再会木造の菩薩像4. ンヴィニ教徒の生態ンヴィニ教の動く寺院ンヴィニ教の司祭たち紅い球時計ンヴィニ教徒の習性死の扉回送という名の会葬おわりに
2019年6月に戻る
新型コロナ感染症の拡大により4月から毎週2回の講義がなくなり、勉強のペースを乱した、というより、ほとんどゼロベースに落ち込んでしまった。週2回3時間の講義を受けながら、何となく勉強している気になっていただけで自習を怠っていたから、自業自得なのだが、惨憺たる状態になった。 そこで、昨年の同じ時期に立ち上げ、4ヵ月余りかけて制作したサイトのコンテンツをもとにこのサイトを大幅に修正した。これが勉強に役立つかどうか問われれば、疑問がないわけではないが、気持ちのうえでは少し楽になるのである。
ノート型PCの故障
5年余り愛用し、外出するときはザックに入れて持ち歩いていた日本製の軽いノート型パソコンが1週間ほど前に突然故障した。電源を入れても画面が立ち上がらなくなったのだ。製造元のサポートサイトや一般の検索で調べたが、直せなかった。いまや、AIがすべて回答してくれるのだが、隔靴掻痒ならぬネット掻痒だと思うのは、僕が年をとったからに違いない。多くの資料と写真や動画はほとんど iCloud に保存していたので実害は少ない。パソコン本体に保存していたデータ類は放棄するしかないが、パスワードの復元が面倒だった。 幸い、故障したノート型と2台並べて自宅で使っていた台湾メーカーのノートパソコンがあったので、それをザックに入れて持ち歩いたが、いかんせん重い。新しいパソコンを買おうとするが、気に入るものは15万円から20万円だ。躊躇しているとき、ふと、娘が2年前まで使っていたノート型があり、いまは使っていないと聞いていたのを思い出し、譲ってもらうことにした。愛用していたノート型と比べやや重いが、1週間使ったものと比べればはるかに軽い。 何より画面の色合いがいい。愛用していたノート型は画面の色合いと鮮明度に不満があった。それに対し、台湾製のは色合いがいいが、重かった。MS Surface 実にいい。キーボードのタッチもいずれのものより僕に合っている。まだ使いこなせないが、ペン機能も便利そうだ。というわけで、しばらく新しいノート型で楽しめそうだ。
小説の完成(?)とPCの故障
数年前から準備し、2ヵ月前に一度書き上げた文章をさらに推敲して、ようやく完成(?)した処女小説ならぬ初老小説。一区切りついたいま湧いてくる虚脱感はいったい何だろう。70歳は初老というより中老か、晩年であることは間違いないが。 偶然ながら、5年ほど使い込んだノートパソコンが数日前に突如として立ち上がらなくなった。うんともすんともいわない。人の死というのも、こんなふうに唐突にやってくるに違いなかろう。みなさん、パソコンの資料は iCloud に保存しておいたほうがいいですよ。
主題と副題
少し前から題名を主題と副題に分け、全体として題名とすることにしました。現在の題名は「凭れ合う人びと:あなたも隠れンヴィニ教徒」です。 「凭れ合う人びと」はンヴィニ教という宗教でない宗教(無宗教派)の根幹にあるものを凭(もた)れ合いだと仮定し、それがもっともよく表れるのが電車という彼らが創造した寺院だとする、この小説の前提を凝縮させたものです。 「あなたも隠れンヴィニ教徒」は「もしかしたら、あなたもンヴィニ教徒ではありませんか」という問いかけです。この小説の主張の一つだと考えています。 なお、序章にあるとおり、ヒョウという主人公の名前は、凭(もた-れる)という漢字の音読みです。彼はンヴィニ教徒なのか、認知症患者かどうか、筆者と彼との関係などは読んでのお楽しみに。1年後に公開する予定です。
本文を書き直しています
本文を改めて書き直しており、序章と第1章のはじめの部分、および第4章のおわりの部分と終章だけ公開します。いつも自分勝手でごめんなさい。僕は主人公と同じ病気かもしれません。 主人公というべきヒョウが、老人たち(菩薩像に変身した老人ほか複数人)やダーラ(ガンダーラの観音像を思わせる女性)が同じ風景または異なる時間軸の上で遭遇します。 本文は一部を除き、しばらく非公開とします。 序章+1章(ラッシュアワー)1章 電車という名の寺院2章 車イスの老人を追う3章 ダーラとの出会い4章 タンゴを踊る老人たち4章(回送という会葬)+終章
Mapping Tokyo
中沢新一著『アースダイバー』にあった東京周辺の縄文地図。この地図を拡大して現在の鉄道路線や駅の位置、神社の置かれているところを見ると、かつて江戸と呼ばれ、いま東京と呼ばれる都市の歴史が映し出されて興味つきない。そもそも多くの土地が海や川の水底にあったようで、神社はその当時の丘の上のような高台にある。 中沢新一『アースダイバー』縄文地図より
主人公と老人の関係
この作品の主人公は老人に引かれ、老人のあとを追いかける。執筆を始めてしばらくのあいだ、主人公が引かれる老人は同一人物だと考えていたが、どうやら複数の人物らしい。老人たちが象徴するものは何だろうか。死へのいざない、誘いか。「いざない」という語から記紀に登場するいざなぎのみこと(伊耶那岐尊)といざなみのみこと(伊耶那美尊)のことを思う。この両神がたがいに引き合っていたとすれば、この小説の主人公と老人もたがいに引き合う関係だったかもしれない、などと考える。
210j テレワークと韓国系民族学校のオンライン授業
コロナ禍がもたらした新しい生活様式のなかで何よりも際立っているのは、インターネットを利用したリモート業務(remote work)だと思われます。感染防止のため、できるだけ人々の接触を避けて仕事しなければならない状況から生まれた新たな光景です。 日本のようにインターネット文化が必ずしも十分に定着していない社会においても、否応なくインターネットによるテレワーク(在宅勤務)を導入せざるを得ない企業が増えています。外国公館のように機密事項を含む機微情報を扱うために在宅勤務がむずかしい職場でも、セキュリティ対策を講じたうえでビデオ会議を実施しています。「必要は発明の母」という格言を改めて身近に感じます。 コロナ禍のなか、私もビデオ会議に二度参加しましたが、直接会って話すより不便な点がないわけではないものの、予想したよりはるかに便利に思いました。会ったときの感情の無駄などを考えると、かえってよい面もあるようです。 韓国では本格的に学校での授業が開始される前に、全国すべての学校でオンライン授業を実施しました。他方、日本では一部の大学を除き、あまり活発に行われなかったように思います。日韓におけるインターネットをめぐる環境と文化や意識の違いが反映されていると思われます。 こういう状況のなか、関西の韓国系学校の建国小中高等学校・金剛学園・京都国際学園はいずれも日本の教育法に基づく文科省認可の一条校ながら、インターネットを利用した遠隔授業を実施しています。韓国の学校におけるオンライン授業に刺激を受けたことも大きいと考えられ、韓国的なインターネット文化を色濃く反映しているように思います。 これら韓国系民族学校のオンライン授業が、「韓国系」という要素と並ぶ、もう一つのブランドになることに注目した在大阪韓国総領事館は、これら三校のオンライン授業を積極的に支援することにしました。5月28日には、三校のオンライン授業を推進する教員たちを招いて、発表と意見交換の会を催しました。 発表を聞いて、インターネット環境が十分に整備されていないなかで奮闘する教員の苦労をまざまざと見せつけられました。三校が異なるプラットフォームを使っているのも注目されます。 建国学校はインターネットのバンド機能を使って遠隔授業を進めており、生徒も参加してバンド機能を利用した授業の方法を紹介しました。金剛学園は日本のチャットアプリを使った授業をしています。同学園のオンライン授業のようすは5月8日に関西テレビでも紹介されています。京都国際学園は YouTube で作成した教材を学校のサイトに載せる方式を採用しています。残念なことに、これらの授業は韓国の学校とは違い、正規の授業日数に含まれないといいます。 参加した教員たちは、他校の発表を見て活発に意見を交わしていました。明確なモデルがないなか、他校の授業方法を見て大いに参考になったと参加者は述べています。今後さらにやり取りを重ね、教材や運営方式を共有していくこととしました。教育内容と方法をめぐって民族学校三校が事実上初めて合同協議を行ったという点でも、今回の会は意義深いと思われます。 在大阪韓国総領事館は民族学校三校のインターネットを通じた遠隔教育を活性化するため積極的に支援していく予定です。
210 코로나 19가 가져온 새로운 생활: 원격 업무와 온라인 수업
코로나 19가 가져온 새로운 생활 중 단연 돋보이는 것은 인터넷을 통한 원격 업무가 아닐까 생각한다. 감염 방지를 위해 가급적 사람과 사람의 접촉을 피하면서 일을 해야 하는 데서 나온 풍경이다. 일본처럼 인터넷 문화가 덜 정착된 사회에서도 어쩔 수 없이 인터넷을 이용한 재택근무(일본식 표현으로는 '텔레워크')를 하는 회사가 꽤 늘었다. 외교공관처럼 비밀 등 민감한 내용을 다루기 때문에 재택근무가 …
209j 在大阪韓国総領事館も25日から通常勤務に
5月21日から東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・北海道を除く日本全域の新型コロナ感染症による緊急事態宣言が解除されました。もちろん、在大阪韓国総領事館が所管する大阪府・京都府・滋賀県・三重県・和歌山県も解除対象地域に含まれています。 とはいえ、市井の人の表情と街のムードにはまだ緊張感が漂っています。コロナ以後の世界がコロナ以前に戻るのは容易なことでないと思われます。 緊急事態宣言の解除に伴い、総領事館も25日から交代制の在宅勤務を通常勤務体制に移行します。1ヵ月余りぶりの通常勤務ですが、新型コロナ感染症が完全に終息していないため、感染予防対策を徹底し、維持しながら勤務することにしました。 コロナ禍の鎮静化に伴い、これまで延期してきた対外的な活動も徐々に再開しています。 解除前日の20日には、大阪府にある進歩的コリアン団体のウリ民主連合(会長 イ・チョル、在日コリアン良心の囚人の会会長)の事務所を訪ね、新型コロナ感染症の防護用マスクを贈呈しました。総領事館としての訪問は初めてのことです。 朝鮮半島の統一と民主主義の発展、人権擁護、国際親善を支持するオールドカマーとニューカマーが2017年末にこの団体を結成し、韓国光州市での5・18記念式開催や在日コリアンの民族教育支援活動を行ってきました。マスク贈呈後、会員と活動方針などについて意見交換し、今後、総領事館と協議しながら在日コリアン社会の発展と日韓友好に協力していくこととしました。 21日には、3月初めから実施してきた民団各支部の支団長との懇談会を再開しました。大阪民団の29の支団長との懇談会を終えた3月末以来、コロナ禍のため中断していたのです。この日は奈良市に行き、奈良民団所属の支団長に会いました。奈良民団には10支部があり、5支部は奈良民団本部が直轄しています。残り5支部から3人の支団長が出席しました。イ・フン奈良民団団長など本部の幹部も3人参加しました。 自然と新型コロナの話題から始まりましたが、支団長は韓国が新型コロナ感染症対策に成功しているのを見て鼻高々だと誇らしげに話しました。在日コリアンの士気に最も大きな影響を与えるのは、やはり母国の力だと実感しました。また、参加者一同がコリアン社会の縮小、とくに若年層の不参加が大きな問題と困難だと吐露しました。現場でコリアンと最も密に接している支団長が民団活性化の鍵を握っていることを強調し奮闘するように激励しました。 徐々に活動を再開しながら、久しぶりに開放感を感じました。新型コロナであれ何であれ人の恣意的な活動を中止することも悪いことばかりではないようです。
「日本モデル」という用語
新型コロナ感染症の防御策に関連して「日本モデル」という用語を使い始めた人がいるが、何かおかしい。モデルというためには一定の通用性がなければならない、と考えるからだ。 通用性の根拠はそのモデルが持つ科学性に求めるべきだ。科学性を有するかどうかで、通用性の有無を判断するのである。 たとえば、新型コロナ感染症対策について、韓国、スウェーデン、台湾における対応策はそれぞれモデルだといえる。政策が科学的な根拠を示しているからだ。 ただし、あるモデルが一つの地域や国で有効であっても、他の地域に適合するかどうかは断定できない。他方、中国や日本の事例は、それぞれの政府が成功を主張しても、モデルたりえない。科学的な透明性を示していないからだ。 日本語という言語システムのどこかが瓦解し始めているような不安を感じる。この瓦解は大地震やコロナ禍のような要因によって加速されるが、これらの災害より恐ろしいものかもしれない。
老人は一人ではなく複数
この小説の全篇を通して老人が登場する。これまで、これらの老人か同一人物だと考えていたが、そうではないようだ。とくに注目した老人も二人以上の人物だと考えるようになった。この主人公ないし助手である筆者における見方の変化をもたらしたものは何なのだろうか。
209 총영사관도 25일부터 상시근무 체제로
5월21일부터 도쿄도와 가나가와・사이타마・지바현, 그리고 홋카이도를 제외한 일본 전역의 코로나 긴급사태 선언이 해제되었다. 물론 오사카총사관 관할지역 전체도 해제 대상지역에 포함되었다. 그러나 거리에서 느끼는 시민들의 표정과 길거리의 분위기는 아직 긴장감이 서려 있다. 코로나 19 이후의 세상이 코로나 19 이전으로 복원되기 쉽지 않음을 엿볼 수 있다. 긴급사태가 해제됨에 따라, 총영사관도 교대제 재택근무를 25일부터 전원 상시근무 체제로 전환하기로 했다. …
題名と章見出しの変更
題名を「凭れ合う人々」から「凭れ合うンヴィニ教徒たち: ある認知症患者の治療ノート」に変えた。以前の候補案の一つに副題を付けたものだ。これで落ち着けばよいのだが。 章見出しは次のとおり修正した。序章と終章はそのままである。なお、第3章に登場する女性の名をダーラ(陀羅)にした。主人公の名前も変えるつもりだ。どちらも仮の名だったので。 電車という名の寺院 (p/w protected)車イスの老人を追う (p/w protected)ダーラとの出会い (p/w protected)タンゴを踊る老人たち (p/w protected)
この小説の仮説(2)
日本島のンヴィニ教徒と呼ばれる人々の生態とその考え方こそがこの小説の主旨であり、広い意味における仮説だと考えている。 言いかえれば、ンヴィニ教徒という観察眼を通すことで、日本島の社会状況がどこまで浮き彫りになるか、という効用の問題だ。それを評価するのは最終的に読者である。
新しい日常 New Normal
最近もっとも違和感のある言葉は「新しい生活様式」と「新しい日常」だ。Stay home や social distancing などのカタカナ語と同じ翻訳語だと思うが、「新しい...」と聞くたびに政治的に発せられる言葉の不気味ぶきみさを感じる。 勝手な空想を働かせ、19世紀後半、盛んに喧伝(けんでん)された「文明開化」という用語に対し同じような気持ち悪さを感じた人が少なからずいたのではないか、と考えるまでになった。特異な感覚といわれればそれまでだが。