憤書抗純とは

「焚書(ふんしょ)坑儒(こうじゅ)」ならぬ「憤書(ふんしょ)抗純(こうじゅん)」とは何か、単なる言葉遊びではない。 「焚書坑儒」(fénshū kēngrú)は、古代中国の秦朝末期に発生した思想弾圧事件(213-212 B.C.)、「焚書」は書を燃やすこと、「坑儒」は儒者を坑(穴)に生き埋(う)めにすること[Wikipedia]。最近の香港に対する北京政府の弾圧をみても、彼(か)の国は歴史的伝統をことのほか重んじるようだ。 「憤書抗純」は他愛ない造語だから事件性はまったくない。「憤書」は雑誌「文學界」に憤(いきどお)り、「抗純」は純文学に抗(あらが)うことを意味する。敗者の鬱憤(うっぷん)晴(ば)らしである、嗤(わら)ってくれたまえ。雑誌の4月号は1週間後に発売され、中間発表とともに何かが終わるだろう。 よくよく考えるに雑誌「文學界」を含む<文学界>が彼らに対して批判的な者を受け入れるはずがないではないか。「文学賞作品を読まなくなって50年経つのに、君はまだ<文学界>も<ンヴィニ教>も理解できていないようだな」、凭也(ヒョーヤ、応募作の主人公)がまた川面で嗤(わら)っている。僕は1週間後に埋(う)もれ水没(すいぼつ)するのだろう、いまの気分に Piazzolla がよく似合(にあ)う。 韓国の友人が贈ってくれた Piazzolla's CD

263 요미우리신문이 나의 일본어 저서 「총영사 일기」를 보도

일본의 신문도, 한국 정도는 아니지만 정보기술의 발전과 함께 부수가 크게 떨어지고 덩달아 광고 수입도 줄어드는 경향이 가속화하고 있다. 그래도 일본의 종이 신문은 세계 어느 나라에 비해 아직 강한 영향력을 발휘하고 있다. 일본 신문 중에서 논조는 보수적이지만 가장 부수가 많은 신문이 <요미우리신문>이다. 이 신문이 2월24일, 나의 일본어 저서 「총영사 일기」를 보도해주었다. 지난해 11월 5일 <오사카일일신문>을 시작으로 …

the Eliza Yates Annual 1925

2009年8月、上海市立図書館で発見した資料の英文名だ。発見の経緯は晏摩氏女中の年報1925に書いたとおりだが、いま思うのは当時の僕のがむしゃらな探索行である。あの遮二無二突き進む原動力は何だったのだろう。そういえば、上海に行く前の数ヵ月、上海語の個人レッスンを受けている。簡単な会話程度はできたから多少役に立ったはずだ。司書とはもっぱら英語でやり取りしたが、彼女が韓国語を学んでいたことも幸いだった。 Eliza Yates Girls' School, 1925晏摩女中の年刊(1940年)より晏摩女中の年刊(1940年)より 表紙の中ほどにある校章に1897とある。奇(く)しくもカブァンは1897年10月20日(旧暦9月25日)に生まれている。

年齢という虚数

長年、日本の教育制度のなかで育(はぐく)まれ、テレビやスマホを通じて選別された情報に浸(つ)かるなか、僕たちは多様な形を持つ虚構のなかでくらしている。虚構を構成する最大要素の一つである数字を虚数(imaginary number)と呼ぶことにしたい。 不偏不党という虚構のメディアが拠(よ)って立つのがまさに数字であり、それはいくら客観的に見えても常に何らかの処理を受け操作された虚数である。最近では日々コロナ禍にまつわる感染者数やワクチン接種に関する虚数を報じ、人々がそれに一喜一憂しているように見える。僕もその一人である。 さまざまな虚数が氾濫しているが、その最たるものが年齢であろう。きょう誕生日を迎え71歳になった機会にあらためて年齢について考える。年齢とともに余計な制約がふえてくる。腰痛、痛風、しびれなど、経年変化による傷(いた)みもふえた。「断捨離」だ「エンディング」だと周辺もかまびすしい。 これらを操作しているのが年齢という指標で、人々と社会を操作する虚数である。それに対抗すべく、試みに70歳≡0歳という合同数を導入したい。還暦のように誰にも適用できるものではなく、その意思と最低限の体力がなければ成り立たない。平均余命に少し加え、あと20年生きるとして、これからの成長を楽しみたいと思う。 御岳山から大岳山に向かう急峻にて

1971-2030

時期自分史 1971-20301971-73年信山社(神保町)に勤務; Reclam Verlag(ドイツ出版社)の書籍輸入業務・在庫管理担当; 朝鮮高校の卒業生(少年の父が採用に関与)から約2ヵ月朝鮮語を習う[<韓国語>という言葉は当時一般的でない]1973-77年大韓航空東京支店(丸ノ内)の日本地域本部に勤務、初め2ヵ月ほど毎朝1時間前に出勤(上司から平壌放送なまりの抑揚を指摘され韓国語の発音矯正のため); 73年12月서울・済州島に出張、年に1度は서울に行った; 75年冬に三峰口から雲取山(山荘泊)に登山、水根に下り無三庵むぞうあんにて篠田先生ご夫妻と出会う1977-80年国際開発(麹町、フィリピン・スペインほか外国不定期航空会社の総代理店)に勤務; 79年10月に結婚; 日米会話学院(四ツ谷)通訳コース基礎科に4ヵ月在籍; 77-96年のあいだ韓国関連の仕事から遠ざかった1980-83年サイマル・インターナショナル国際会議部(溜池)に勤務; 81年夏に離婚; 82年の歴史教科書問題に際し韓国の中学校「国史」翻訳グループを結成し完訳; 「ミンカブァン自伝」の翻訳に着手; 83年に退職し近所の中高生に英語を教える; 知人の事務所(浅草橋)でバイト; 韓国文化院発行「韓国文化」特集の翻訳(無報酬)1984-93年ジャパンエコー社に勤務、Tsukuba Expo ’85(海外プレスセンターの運営)/Tokyo summit ’86/’93 プレス資料の編集; 85年に再婚; NHK Radio Japan 韓国語放送モニター(86-87); 外務省に出向、在トロント日本総領事館広報センターに配属(87-89); Osaka Expo ’90 に出向(89-90); 放送大学教養学部(85-93 卒論: 自治体広報資料の多言語化)1993-96年US-Japan Foundation(米国ニューヨーク州ニューヨーク市に本部を置く民間財団)東京事務所に勤務、日米間の政策研究・教育交流プログラムほか支援業務; 青山学院大学大学院国際政治学修士課程(93-95 修論: 19世紀後半の国際化論議と内地雑居論)1996-2010年国際文化フォーラムに勤務; 日本の高等学校における韓国朝鮮語教育調査(99 韓国語併記)の結果をふまえ韓国文化院の支援を得て教員ネットワーク組織を結成(99)天理大学・神田外語大学に働きかけ韓国語・朝鮮語の教員免許取得のための講習を開講(第1期:01-03 第2期:06-08)、第1期講習をふまえ日本の大学等における韓国朝鮮語教育の実態調査を実施(02-05 韓国語版合冊、최정순・韓国大使館教育部ほか支援); 日本の高等学校の日本史教科書の韓国語訳校閲(05-06);『메구미[めぐみ]』韓国語訳校閲(07-08); クムホ・アシアナ杯高校生大会の運営(08-20 アシアナ航空・韓国文化院主催)、ハンガンネット[韓国語講師・教室ネットワーク]のサイト運営(09-20); 上海人から約2ヵ月上海語を習う(09); 2010年3月に定年退職2010-20年アスク(10-11 韓国語関連書籍の編集)、ニッポンドットコム財団(11-12 翻訳チェック校閲)、アシアナ・スタッフ・サービス(13-15 アカデミー・サイト運営)に勤務; 篠田先生ご夫妻逝く(14);『대한제국의 마지막 황태자 영친왕의 정혼녀: 大韓帝国最後の皇太子・英親王の許婚者』(14 서울 …

262 국제고려학회라는 학술단체 일본지부에서 특별강연

국제고려학회라는 학술단체가 있다. "세계적인 규모로 KOREA학 연구자를 망라하고 그들의 연구를 뒷받침하는 상설기구"이다. 일본 오사카에 본부가 있고, 본부 외에 아시아분회, 일본지부, 서울지부, 평양지부, 유럽지부, 북미지부, 대양주지부를 두고 있다. 2년에 한 번씩 국제학술토론회를 하고 있다. 2019년에는 체코 프라하에서 대회가 열렸고, 올해는 평양에서 대회를 열려고 준비해왔으나 코로나 감염 사태 등으로 1년 연기되었다고 한다. 이 학회의 일본지부도 오사카에 있다. …

候補作に選ばれるということ…

二千点を超える応募作の予備審査はどのように行われるのだろうか。審査員5名がすべての作品を読む必要はないし、全体の5分の1を読むことも現実的でないから、相当数の予備審査員が分担して選考を行うのだろう。主催者側にその審査過程を公開する義務はないとしても、応募者にとって審査結果がかなり大きな意味を持つことを考えると、その基本枠組みぐらいは知らせてほしいとも思う。 もし審査員5名が中間発表の候補作あるいはその倍数ぐらいを審査するのだとしたら、実質的な審査は予備審査にあるともいえるから、相当数いるであろう予備審査員には相応の見識と公平性が求められる。予備審査のマニュアルのようなものがあるだろうし、長年の経験にもとづく閾(しきい)値のようなものを定めているかもしれない。それは作品の内容に直接関わるものではなく、文字数の規定枠や誤字脱字、意図的でない文法的な瑕疵など<形式的>なものになるだろう。 そういう<形式的>な基本をクリアする作品も相当数になるだろうから、その次の段階の審査は想像以上にむずかしい。文章の構成力、社会批判力、人間観察力、時代考察力、作家としての将来性、テーマの斬新さ、問題提起力、日本語力などなど、さまざまな要素が考えられるが、いずれも主観的な要素が少なからず含まれることになる。だからこそ、さまざまな文学賞が意味を持つのだろうが、応募者としては何とももどかしいところだ。

261 ’21년 간사이지역 교육기관 업무계획 의견 교환회

1월30일부터 시작한 4연속 토요일 행사 참가가, 드디어 2월20일 '2021년 간사이지역 교육기관 업무계획 의견 교환회'로 마무리되었다. 오사카총영사관 관할에는 동포가 많이 살고, 동포 행사는 동포들의 생업 때문에 휴일에 이뤄지는 경우가 많다. 그러나 이렇게 4주 연속으로 토요일 행사에 참석한 것은 처음인 것 같다. 그것도 모두 교육과 관련한 행사로 말이다. 1월30일 백두학원 건국고등학교 졸업식, 2월6일 금강학원 금강고등학교 졸업식, 2월13일 …

候補作に選ばれなかったとき…

「文學界」4月号に掲載される新人賞の候補作に選ばれなかったとき、それを受け入れられるだろうか。候補作に入ることを願うあまり、中間発表を待つあいだに、いつしか選ばれることしか考えなくなった。そんな自分をいじらしくも惨(みじ)めに思う。 何かにとり憑(つ)かれたかのように、変な自信に包まれてしまったのはなぜだろう。候補作に入らない不安よりも根拠のない過信のほうが怖(こわ)いかもしれない。いや、ただの過信だったら、それが打ち砕かれるだけの話で恐れるには及ばない。 候補者にはもう通知があったに違いない。小説の主人公である凭也(ヒョーヤ)が嗤(わら)うかのように川面(かわも)にさざ波が立っている。 文學界新人賞の受賞作・候補作: 1955-2020

260 이쿠노구 코리아타운 미유키모리소학교의 폐교

오사카시 이쿠노구 코리아타운에 있는 미유키모리(御幸森)소학교가 2021년 4월부터 역사 속으로 들어간다. 학생 수의 감소로 이웃에 있는 나카가와소학교로 합쳐지기 때문이다. 미유키모리소학교는 폐교되고, 나카가와소학교와 합쳐 오이케소학교로 재출발한다. 미유키모리소학교는 전체 학생수 75명 중에서, 한국 뿌리의 학생이 51명이나 된다. 51명 가운데 45명이 이 학교에 설치된 민족학급에서 우리 말과 문화를 배운다. 이 학교에 자녀들에게 한국을 가르쳐주길 바라는 학부모들의 노력으로 민족학급이 설치된 …

手のひらを見つめる

手のひらをじっと見ていて、カエルの足の指の間にある半透明の水かきのように、手の指と指の間に水かきがある人を想像してみた。英語では水かきを interdigital web というらしい。デジタル digital は指を意味するラテン語に由来しているそうだ。小説の第三部の描写に符合しているようで不思議な気がする。嗜好しこうが少し猟奇的りょうきてきになっているかもしれない。一部抜粋してみる。 ……人々は睡眠を除くほとんどの時間、手のひらを見て過ごした。歩くとき、電車や地下鉄の到着を待つとき、電車の車内、エスカレータに乗っているとき、便座にすわっているとき、食事中、時間つぶしなど、家にいるときも外出先でも、いつも手のひらを見つめていた……[三〇年までにスマホが画期的変化を遂げ、スマフォと呼ばれるようになったようです。二〇年代と違って、手のひら自体がその機能を果たしたらしいのです……] ……左の手のひらを指でこすると、左手にスマフォ画面が立ち上がり、両方の手のひらを合わせてこすると両手に画面が表示される。画面サイズの拡大縮小もできる。スマフォの下辺が手首に接し、画面全体が手のひらの上に浮いて見える。画面はいつも見やすい角度に保たれ、指を立てたりそらせたりして画面の角度を自在に調整できる。画面の解像度がはるかに向上し、以前ほどのぞき込む必要がない。立ち上げたスマフォ画面を消すには、もう一度手のひらをこすればよい。体の一部がスマフォになった感覚なので、置き忘れや落下の心配はなく、倒れて手のひらをついたときは自動的に消える……手洗いや入浴時には画面を消せば、ただの手のひらになる。手のひらにプロジェクション・マッピングされた旧型のスマホ画面を想像すればよい。

259 소통 공감 공유를 위한 동포단체 대표 워크숍

몇 일 날씨가 포근해 봄이 온 듯했는데, 2월17일 아침부터 날씨가 갑자기 추워졌다. 이날 오후 오사카총영사관 관내의 민단 각 지방본부를 비롯한 동포단체를 초청해, '소통 공감 공유를 위한 2021년도 동포단체 대표 워크숍'을 했다. 한 해 본격적인 사업을 시작하기에 앞서 관내에 있는 다양한 동포단체들이 올해 중점적으로 벌일 사업과 계획을 발표하고, 정보를 공유하는 행사이다. 각자 열심히 활동하고 있는 동포 …

「戦前」と「戦後」の間にある切断

日本の歴史時代については、政治の中心地にもとづく、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代という時代区分が一般的だと思う。 これに沿って明治以降を考えれば「東京時代」とでもすべきだが、実際はそうなっていない。たとえば、戦前を「帝都(東京)時代」とし、新憲法が制定された1947年5月3日以降を「民都(東京)時代」とすることもできよう。首都は同じでも政治体制はまったく別のものだからだ。 他方、検定教科書は明治以降、現代日本の継続性を強調し、大日本帝国と民主日本国が連続しているように描く。「戦前」と「戦後」の間にある超えがたい断絶を曖昧にし、見えにくくしている。これに気づいただけでも、70歳にして法学の勉強をした意味があったというべきだ。 [再掲] 大浜啓吉著『法の支配とは何か: 行政法入門』は明治以降「戦前」における<法治主義>にもとづく立憲君主制国家と「戦後」の<法の支配>にもとづく民主主義国家が根本的に異なることを、さまざまな角度から説明する。前者は天皇主権であり、後者は国民主権である。 悲しいかな、多くの国民はこの違いを知りながら憤(いきどお)ることがない。著者は尋ねる、現代日本の初代首相は誰か、と。多くは伊藤博文(1841-1909)と答えるだろう。教科書にそう書いてあるからだ。彼は大日本帝国の首相だったが、民主日本国の首相ではないのである。

258 교토국제고 졸업식과 도시샤대학의 윤동주 시인 추도식

2월13일 토요일은 '화창한 봄날'을 방불케 하는 날씨였다. 최고기온이 17도까지 올라가고 하늘도 구름 한 점 없이 맑았다. 이날 교토에서 열린 두 개의 행사에 참석했다. 하나는 오전 10시부터 열린 교토국제고 졸업식이고, 두 번째 행사는 오후 1시30분에 열린 도시샤대학의 윤동주 시인 추도식이다. 그러고 보니 지난해에도 같은 날(2월15일)에 똑같이 두 행사에 참석했었다. 윤동주 시인이 숨진 날은 1945년 2월16일. 도시샤대학의 …

勝ち負けの世界

尾崎世界観 朝日新聞20210213 処女作『祐介』が芥川賞候補作に選ばれた尾崎世界観(36)のインタビュー記事で、彼が芥川賞などの賞を獲得することを<勝ち負け>と捉えていると知り、新鮮な驚きを覚えた。周囲の人々の発表を待つ間と発表後の動揺やショックを見て「求めてた刺激はこれ」だったのか、と納得する感覚がうらやましい。こういうのを若さというのかもしれない。 自らを<外来種>と捉え、文学賞にまつわる人々の営みを<業界>として把握する観察眼に旧来の<業界人>にない新鮮さを感じる。同じ日の新聞に、あるノーベル文学(翻訳)賞の受賞者が手書き原稿を母校に寄贈したという記事が載っているが、遠い昔のことのように思えた。

「文學界」4月号

雑誌「文學界」4月号に同誌昨年の新人賞候補者と作品名が掲載されるらしい。3月上旬の発売だから、すでに編集作業も進んでいるだろうし、発表内容も決まっているに違いない。この段階で候補者に対し連絡があるだろうと考えていたが、僕には何の連絡もない。 この時点であきらめるべきだろうが、とてもあきらめられない。長年かけて書いたものだし、全力を注いだといってもよい作品だから、少なくとも候補作には選ばれるはずだ、そんな根拠のない自信がある。70歳で書いた処女作であり、最後の作品になるかもしれないのだ。 そんな過信が僕に甘くささやく。「4月号を開くまで、どちらともいえないではないか」「それにしても、あきらめの悪い奴だな、おまえは」

257 교토국제학원 교토국제고 선발고등학교 야구대회 출전

한국은 11일부터 설날 연휴이다. 일본은 양력 설을 쇠기 때문에 음력 설에는 쉬지 않는다. 다만 11일은 한국의 개천절에 해당하는 '건국기념일'이어서, 휴일이다. 2월 11일자 <한국일보>에, 교토에 있는 한국계 민족학교인 교토국제학원 교토국제고의 제93회 선발고등학교 야구대회(센바츠, 일명 봄 고시엔) 출전과 관련한 기고를 했다. 교토국제고의 센바츠 출전은 학교로서도 1999년 야구부 창설 이후 처음이지만, 1947년 이 학교를 세우고 가꿔온 재일동포 사회에도 …

MTB alone

MTBを始めて7年目、初めてひとりで山へ行った。いつも友人と二人で、行き先もコースも彼まかせだったのに、その彼が体調をくずし、行けなくなったのだ。これまでは中止にしたが、今回は試しにひとりで行くことにした。何度も行ったことのある場所だったのだが、 ひとりと二人ではまったく違う。バランスを失って転倒しても笑う奴がいないから、痛みと衝撃をひとりで抱え込むしかない。道の選択も自分だが、方向感覚が劣る僕は、案の定、道を誤った。日の射さない急峻にさしかかると、熊に遭ったらどうしよう、という不安がふくらむ。その恐怖心を追い払おうとして、ひたすらペダルをこぎ、自転車を押して登り、冷風を切って林道を下った。脚の筋肉がつり膝も痛んで、いつになく疲れた。駐車場にたどり着いてようやく緊張がほどけ、しばらくして安堵感に包まれた。