仕事の引継ぎ

これまで転職のたびに仕事を引き継いで来た。職種によって大いに違うが、引き継ぎできることとできないことがあると思う。何を引き継ぎできるのだろうか。 関連の書類や資料は引き渡すことができる。PCに保存されたファイルやデータも移動できるし、アクセスできるようにすればよい。関連の機関や人脈も紹介できるとしよう。維持するかどうかは受けた者しだいだし、相手との関係によって自ずと変わってくるが。 母語を含む言語力とでも呼ぶべきものも引き継ぐことができない。会話能力と文章作成力は引継ぎを受けた者が獲得しなければならないからだ。 何かを他者に引き継ぐためには自分が仕事する以上の労力と時間を注がなければならない。多くの職場ではそんな手間と時間を許す余裕がないし、引継ぎをする側にも受ける側にもそうまでする気構えがない。だから、形だけが引き継がれるのだ。

박 사장님

박 사장님との付き合いはもう15年ぐらいになる。年に何回かふらっと東京にやって来る。ことしも3回来た。僕がソウルに行ったときにもほぼ毎回会う。 二人で会うと、いつも馬鹿話しをするだけなのだが、長続きしている。ほとんど利害関係がないからいいのだろう。 今回は日本の伝統的な旅館に泊まりたいというので「西郊」という宿を手配した。その名のとおり都心の西に位置するが、一昔前の語感を感じる人は多くあるまい。2階の部屋から見おろすあまり広くない庭園に、不釣り合いに巨大な石灯籠が立っていた。夜雨のなかどっかと存在を主張していた。 少年だったころ「西郊」の前を通ると、よく大型の黒塗りセダンが停まっていたと記憶する。何とはなしに子どもが近寄ってはいけない場所だと思っていた。だからよく記憶しているのだ。 パクさんが泊まった(僕がそう仕向けた)お蔭で、建物のなかに入ることができた。1930年代に建てられた和風建築は僕ら二人の期待を裏切らなかった。二人の感慨は異なるだろうが、老夫婦が経営する宿所に僕は限りない郷愁を感じた。彼は日本的なものを感じたのだろう。

daughter

偶然が重なり友人2人と娘と一緒に食事をすることになった。友人の1人はアメリカ生まれで少し前に日本国籍を取得した僕と同い年の、もう1人は台湾生まれで日本国籍をもつ30代後半の男だ。彼らの共通項は言語学を専攻したことだ。 娘は遅れて来た。彼女にとって毛色の変わった父親の仲間の席に入り込んだという感官だろう。これまでにも僕の山仲間と一緒に食事したり遊んだことはあるが、今回の仲間は少し違った。 あとで娘に聞くと、言語学専攻者に会ったのは初めてだという。彼女が何を感じたかはともかく、あまり接触のなかった人と会うのはいいことだろう。こういう解釈はいかにも親らしいと思う。

定年という制度

1950年生まれの僕は、定年による退職を二度経験している。60歳のときと65歳のときだが、この5歳の違いは想像以上に大きいかもしれない。 二度目はもう後がない、もう仕事しなくてもいいだろう、という感官が支配的だ。自分だけではない、周囲の人たちもそう考えるようなのだ。一般的にはだが。 仕事がないことに対する免疫が僕にはまだない。一方で、そろそろ引退する時期だろうという声が僕のなかにもある。葛藤とまではいかないが、悩ましい。

登山靴

約35年ぶりに登山靴を買った。8月に木曽御嶽に行ったとき寿命を感じた登山靴の代わりを探してはいたが、衝動買いだったかもしれない。 この靴を履いて山登りするのがふつうだが、僕はMTBに乗る。若い人びとのように体力がない僕は自転車を押しながら山道を歩くことが多いからだ。そもそもMTBとは自転車でする登山ではないか。 この登山靴を履いてMTBに乗ったら、ペダリングもよく、自転車を押して歩くときでも滑ることがない。

MTBの魅力02

歳を重ねるにつれて肉体的な変化に気づかされる機会が増えてきた。頭髪に白いものが混じり肌の張りが喪われていく。 これらのほかに目に見えない内面の変化がある。本当はこちらの変化のほうが恐いのだろうけれども、目に見えないから気づきにくい。 僕が64歳になってMTBを始めた最大の理由は、目に見えない変化に対する恐怖心だったのか。 いや、さほど考え抜いたうえの選択ではない。 確かなのは、中学校時代の友人と一緒に思いっきり遊びたかったということだ。MTBのおもしろさと体力の消耗具合は、中高年には度が過ぎるほどだ。 それに抗するかのように、隔週ごとの週末にMTBで走り、夕暮れどきまで遊ぶ。12月初めには日没後の薄暮のなか、標識をライトで確かめながら下山した。暗がりのなかに浮かぶ武蔵五日市の夜灯がまぶたに残る。

noisy people

「トレインピープル」の立場で観察すると、中国人とアメリカ人は最もやかましい人びとに見える。いずれも、その多くは我が物顔でスペースを占領し、我々を妨害する。 彼らが中国人とアメリカ人だからなのではないが、目につく人が多い。最近、日本人で目につくのは大きいストローラーで電車に乗ってくる若い人たちだ。60歳代の同窓会や同好会とおぼしき人たちも迷惑なことが多い。 近ごろ耳につくのは日本人の初老の男性で必要以上に大声で話す人だ。大体は社会的な成功者で、周囲の人びとに聞こえよがしに自慢げに話す。酒気を帯びるとさらに大声になる。周囲に対する配慮が働かなくなるのだろう。 やかましい人とは、要するに他者への配慮が働かない人びとということだ。人種とはまったく関係ないのだが、なぜか中国人とアメリカ人が目立つ。

西洋と朝鮮

紀元後の西洋文化はキリスト教と密接不可分の関係にある、と世界史の教科書や関連の本を読んで覚えてきた。中世の陰鬱な文化や魔女狩りのような時期があったとはいえ、キリスト教を抜きにして西洋は理解できないと教えられた。 学生のころは皆と同じように西洋にかぶれ、大いにその影響を受けた。だが、結局それは表面的なものでしかなかったようだ。朝鮮の文化に接するにつれ、ぐいぐい深入りするように感じた。 西洋文化に対する理解が観念的だったとすれば、朝鮮のそれには情念的な接近をした。同質な部分がある分、理解しやすいように感じた。少なくとも、そういう錯覚に陥ることができた。だが、それも観念的なものだったかもしれない。

a tie

この前、妻からネクタイを貰ったのは何年前だろうか、記憶の欠落を恐れずに言えば20年ほど前になろうか。妻から貰ったネクタイを残らず切られたのが25年前、女性問題が発覚したあとは、当然ながら貰った記憶がない。 今回もわざわざ僕にというのではない。誰かのために取っておいたものを譲り受けた格好だが、そんなことはどうでもいい。僕にくれたことが大事なのだ。 朝の出がけにスーツに合わないといって差し出した。彼女の心中を察するに、許したわけではないわよ、といったところだろうか。 僕の心のなかに静かに嬉しさが広がるのを感じる。

新しい出会い

新しい出会いは、いつでも期待を膨らませる。それは突然やって来るようにみえて、いつも僕が知っている誰かとどこかでつながっている。 新しい出会いには新旧の出会いが交錯している。出会いはまた人と人のあいだにだけあるのではない。人と土地や地域、人と組織など、人が関わるすべてのことと出会うことができる。 だから、新しい出会いに期待が高まり、心踊らずにはいられないのだ。そんな出会いがまたひとつ近づいているような予感がある。

feeling down

ときに理由もなく(と僕は思うのだが)、落ち込むことがある。そういうときはジタバタしても始まらない。ただ、じっと耐えることにしている。 周期的に襲って来るように思う。季節の変わり目や生活環境が大きく変わったあと、しばらく時間を置いて起きることが多いが、確かな原因はわからない。 長時間PCに向かって作業したあと、悪文を読み込んだあとなどにも襲われる。自分の意に沿わない時間に耐えたあとに反動がやって来るのだ。

予防接種

記憶にない子どものころから数えると幾度となく予防接種を受けた。それは単に肉体的な影響だけを及ぼしたのだろうか、もしかしたら僕らの脳にも何らかの変化をもたらしてはいないだろうか。 久しぶりに予防接種を受けて、ふとそんな空想めいたことを考えた。英語では、immunization、inoculation などというようで、免疫、植えつけなどの意味を持つ。「思想」は植えつけられるのか。

ベルグソンの笑い

ベルグソンは人間の笑いを分析して、その本質を、我関せず焉にあるとした。ダンスホールの雑踏のなかにいて、ふとそれを思い出した。 ベルグソンの分析した笑いは、漢字で「嗤い」と書くべきではないか。嘲笑の要素が多いからだ。抱腹絶倒の笑いでないことは間違いあるまい。

スマホと携帯電話

スマホの料金が収入に比べて高く負担に感じる。携帯に戻そうかと考えたりする。大半は業務で毎月1万円ぐらい会社に請求すべきだが、業績が悪く言い出しにくい。 一晩かけて僕が初めて使った携帯を探した。購入したときの箱にしまってあったので、なかなか見つからなかった。小型で軽量だし、無駄がないから実にシンプルだ。さっそく充電したが使えるかどうかはわからない。 携帯を使い始めたのは2007-08年。一般の人より数年遅い。その後、iPhone3、4、5 と短期間に変えたことに我ながら驚く。思うに、僕はスマホに振り回されてきただけではないのか。 とはいえ、今やスマホなしでは生活もままならない。そういう時代なのだ。

ライフワークなるもの

ライフワークなるものがあると思わされ、ずっと思い込んで来たが、そんなものはないのではないか。時間とお金を投資した何かがあり、それがうまく社会的に認められればいいが、ふつうはそうならない。 物的または知的に形に残るものを創出する仕事に恵まれるごく一部の人だけがライフワークを持てるというのか。そういう仕事や作品を持たない者にライフワークなどないというのだろうか。 僕はそうは考えない。 あらゆる人がライフワークを持っているし、持つことができると考える。ただ、多くの人はそれに気づかないから自覚もしない。そういうお前のライフワークは何だ。

weekends

1 部屋の掃除 週末に自分の部屋と階段、廊下などを掃除する。掃除もクリーナを使うから楽だが、整理できない僕に問題がある。 2 洗濯、アイロン 最近は週に2回ほど自分の衣類を洗濯する。洗濯物を洗濯機に入れスイッチをオンにするだけだから洗濯は楽だ。干すのが手間だが、慣れればそうでもない。長袖シャツのアイロンがけが面倒だ。 3 MTB 週末に友人とMTBで東京郊外の丘陵や低山に行くようになって4ヵ月、毎週末が待ち遠しい。こんな感覚は20歳代半ばに登山を始めたころ以来だろうか。 4 登山 20歳代後半から30歳代前半、よく山に行った。60歳代になって娘の誘いで登山を再開し、その後MTBで低山に登るようになった。低山の楽しみも捨てがたい。 5 映画 2002年ごろから韓国映画を見始め、妻と一緒に月に1本ほど映画を見るようになった。2010年代以降インド映画がおもしろくなった。夫婦・シニア割引き制度の導入も後押ししてくれている。 6 美容院 ほぼ月末に行く。長年、近所の美容院に行っていたが、2年前から隣り駅の近くにある廉価なチェーン店に変えた。髪型はあまりこだわらない。 そういえば、昔は床屋か散髪屋に行ったものだ。中学3年の秋だったか、丸坊主にしたことがある。高校3年まで坊主頭だった。 7 ショッピング 週末に妻と一緒に行くのがショッピング、ふだん近くのスーパーやパン屋に行くのが買い物だと区分しているつもりだが、さしたる意味はない。 8 アイロンかけ 週末に1週間分のシャツにアイロンをかける。半袖は短時間で終わるが、長袖になると面倒だ。若いころはクリーニングに出していた。 9 コーヒーショップ 年代ごとに行きつけの喫茶店が決まっていた。ミニヨン(荻窪)、風月堂(新宿)、ポエム(阿佐ヶ谷)、珈琲館(九段)、プチ(阿佐ヶ谷)、Tully's(西新宿)、

Daily life

日常的なるもの、僕が習慣と感じることについて書きたいと思う。はじめに日常生活の場面を時系列、週日、週末の順にあげてみる。 1 スマホを使う時間 朝スマホのタイマーで目ざめ夜眠りにつくまで1日に何時間スマホに触れているだろうか。スマホに没頭しジャケットを電車に置き忘れ紛失したことがある。スマホのない生活は考えられない。 2 朝の食事 朝の食事がトーストとコーヒーになって久しい。朝早く家を出るときは食べないことが多い。別に外国暮らしのせいではないが、そうなった。 3 通勤ラッシュ 最寄り駅で乗るのが8時から30分ほどになると混雑がひどい。ふだんはその時間帯を避けるが、たまに避けられないことがある。まさに家畜輸送車だ。 4 朝の連絡会 毎朝少人数の会合がある。会議と呼ばれているが、連絡会に近い。慣れると、なかなか便利な会だ。ボスがいなければ開かれない。その意味では報告会だ。 5 デスク=PCに向かう時間 ほとんどの時間デスクに向かいPCに触れている。スマホに触れているより長時間触れている。地域差や個人差もあるが、僕の場合1990年ごろからPCとの共生が始まった。 6 昼食 最近よく行く二八そば屋でかけそばといなりずし二つを食べる。あるいはカレー専門店で何のトッピングもないカレーライスを食べる。いずれも約500円だ。 7 帰宅の電車 とにかく座席に着きたい、できるだけ降りる駅の改札口に近い場所の車両のシートの端にすわりたい。そういう座席がないときはドア近くのシート側面に腰を預けたい。 8 夜の食事、食器洗い 人一倍食い意地の張っている僕は夜の食事が楽しみでおいしい。妻の料理はいつも期待を裏切らない。10年ほど前から食器洗いを担っている。 9 韓ドラ 2003年「冬ソナ」以来の韓ドラファンだ。しばらく嫌になった時期もあるが、続いている。現代ものも歴史ものも見る。夫婦で一緒に見られるのがいい。 10 就寝 若いころから夜ふかしで、60歳代半ばの今も12時前に寝ることはない。午前1時から2時のあいだに眠ることが多い。別に寝つきが悪いわけではなく、床につけばすぐ眠りに落ちる。 11 TVニュース 夜7時に家にいるときはNHKのTVニュースを見る。少年のころから海外報道のほうに関心があった。シーズンオフを含め毎回報道される野球は準国技といえる。 12 新聞 新聞は朝時間に余裕があるとき読むが、読みごたえのある記事にぶつかることは稀だ。高校時代に記述文の模範として習った「天声人語」や「編集手帳」は悪文の最たるものだろう。 13 トイレ 僕は若いころからトイレの滞留時間が長い。少年期に住んでいた家は昔ながらの便所だったから脚がしびれるという時間の区切りがあった。その後、洋式になって時間制限がなくなり、滞留時間もふえた。 14 入浴 昔は毎日フロに入る習慣がなかった。20歳代の終わりころから毎日フロに入るようになった。結婚したからだ。少年時代の行水を懐かしく思い出す。母が熱々のタオルで体を拭いてくれたことも懐かしい。

結婚30年

来秋結婚30年を迎える。12年目から数年間、僕の無責任な行為のせいで離婚の手前まで行ったが何とかここまで来られたのは偏にわが配偶者の忍耐のお蔭だ。 30年のあいだに何度か転職し、わがまま勝手をし、家庭を顧みず、いつも仕事を中心に生活していた。ひと言でいえば不逞の輩だつた。ひどいものだ。 振り返れば初婚の相手とは5年付き合って結婚し2年ほどで離婚した。あのころも僕はわがままで勝手だった。今さらどうしようもないが、ひどいものだった。