日本にデモが少ないわけ

先週パリで「アルカイダ」を名のるグループによる新聞社襲撃事件があった。17人の犠牲者があり、犯人4名のうち3名は現場で射殺された。事件は言論の自由に対する蛮行とされ、世界的に大きな関心を呼んでいる。 事件の2日後、パリほかで各国首脳を含む数百万人規模のデモが行われた。日本の新聞は1面トップで例によって西欧礼讃調の記事を載せた。日本社会には民主主義に関わる何かが欠落していて、記者たちにはそなわっているかのようにだ。 ところで、なぜ日本にはデモが少ないのだろう。2011年の東日本大震災の際に暴動が起きなかったことで絶賛された日本社会に、なぜデモが少ないのだろう。 都市部に限定して言えば、わが日本社会においては毎朝夕にトレインという閉鎖空間でデモが行われていると考えられなくもない。ただし、そこは何かを訴えるための空間ではない。エゴとエゴの醜いぶつかり合いとスペースを確保した者の傲慢があるだけだ。 彼らはそれぞれあらかじめ定められた駅に向かう('destined' 'stationed')。 だから、乗っているトレインがどんなに揺れようと、あるいは遅延しようと、彼らのめざすところ(駅)が変わることはない。それは文字どおり運命なのだ。個別の駅という destination こそ彼らの最大関心事である。

the Fatal Encounter

韓国映画"역린(逆鱗)"を見た。英語のタイトルは"the Fatal Encounter" 、日本語は「王の涙:イサンの決断」。個人的には英語の方が映画の主題をつたつ 映画の主人公は第22代朝鮮王の正祖(1752-1800)、主題は『中庸』第23章の文言だ。次の二つの場面に登場する。 http://japanese.korea.net/NewsFocus/Culture/view?articleId=119495 https://www.youtube.com/watch?v=DWXdxE9CJu8 以下はセリフの日本語字幕(一部編集): どんな些細なことも軽んずることなく最善を尽くすことが大事だ。些細なことに最善を尽くすと真心を込められる。真心を尽くせば表に滲み出て現れる。表に現れると性格が明るくなる。性格が明るくなると人に感動を与えられる。人に感動を与えると自分が変わり、自分自身が変わると成長する。だから、真心を尽くす人だけが社会を変えることができる。

H先生

数ヵ月ぶりにH先生の芸術論と経済論を聞いた。上野公園内にあるスタバで、外の景色を見ながら聞いた。外国人ツーリストが目立つ店で、異色の日本人であるH先生の話を聞くのは楽しかった。 先生には年に何回しか会わないせいか、会うたびに頭髪が薄くなるように見える。MTBのHと同じように不運というべきなのだろうか。先生の説を公表する手段があればと思う。

何かが切れたような

定年退職が決まって残り1ヵ月となった。転職を繰り返してきたし、65歳を迎えようとしているわけだから、別に感慨にふけることもないのだけれど、何かが切れたような感官がある。 通勤する場所がなくなるだけで何も変わらないのだが、会社だけでなく社会との接点が希薄になるような気がする。それが一時的な錯覚だとわかっていても、そんな感官から逃れられない。惰性のなせる業だろうか。

レコードプレイヤー

中学3年生のときだったと思う、善福寺川沿いの社宅にレコードプレイヤーが届いた。音楽好きの母が買ったのだ。スッペの軽騎兵序曲が入ったLPと若いころダンスをしていた母が好きなラテン音楽のLP2枚が一緒に届いたと記憶している。 僕が初めて買ったレコードはバッハの組曲第2番ロ短調とハイフェッツのチゴイネルワイゼン、ロンドカプリチオーネだったと思う。レコード針が使えなくなるまで何度も繰り返し聴いた。いずれも中学校の音楽の時間に習ったものだ。 大学1年のときだった、今度は大きなステレオセットが届いた。阿佐が谷駅近くの家の2階に、このときも予告なしに届いた。母は父との関係がもはや修復できないところまでに至ったことを知っていたのだ。それで、恐らく勝手に家を買い、ステレオセットを購入したのだ。 大学1年の途中でやめた僕は2階の8畳間に寝そべって、よくバッハを聴いた。妹の好きだった井上陽水、サイモンや拓郎も聴いた。荻窪のミニヨンにもよく行った。本を買いに紀伊國屋に行った帰りに風月堂にも行ったものだ。 先日、PC用スピーカーを買った。格別いいものではないが、サブウーファー付きのシステムだ。ずっとPC内蔵の酷い音しか聞いていなかった者には、まさに天地雲泥の差だった。衝撃に近いものを感じたぐらいだ。

memo: 乗客のいる回送電車

12月下旬、ある日の夕暮れどき、僕がO駅のプラットホームに立っていると、反対側のホームを通過する電車があった。その行き先表示には「回送」と書かれていた。回送電車には乗客が乗っていないはずだが、その電車には少なからぬ数の人が乗っていて、みな座っていた。 あれは会葬電車ではなかったか。

第九

数年ぶりに第九交響楽を聴いた。サントリーホール1階のステージ向かって左の前の方、コントラバスに近い席だったせいか、低音がよく聞こえた。 合唱の後半近く、テノール歌手の独唱とそれを追いかけるような器楽の演奏が、いつもながら、胸の底に沈殿した情感に触れ、ざわつかせた。いつだったか、この部分で泣いたことがある。

ラッシュアワー

約1ヵ月後に退職することになってどこか緊張感が切れてしまった。けさ自宅の最寄り駅から電車に乗った途端、スマホを置き忘れたことに気づいた。 仕方なく家に戻り、また電車に乗ろうとしたが、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗ることができない。1台見送った。 何かが壊れたような感官というか、日常生活が馬鹿らしくなったというべきか、日常性に入り込めなくなってしまった。 日常性の最たるものがラッシュアワー時の人混みではないだろうか。そこに入り込めなくなってしまった。

サイトを作った経緯

90年代末に立ち上がった団体のサイトを数年ぶりに見た。設立発起人の一人であり、かつてサイトの制作運営にも関わっていた僕は、そのぞんざいなページ作りに失望し、怒りに近いものを感じた。 僕がとった行動は意外なものだった。すぐに同じサイトの改定版作成に取りかかり、それを提案しようと考えた。PCを持って同団体の集まりに参加したが、見せる気にならず、同じく設立発起人だった人にひと言、サイトを改定するよう助言し、必要なら手伝う旨を伝えた。 それから10日あまり経っても何ら連絡がなく、僕はしだいに提案することを考え直した。「逆さ地図をさかさにする⁉︎」というアイデアを無償で提供する気持ちをなくしたものの、仮サイトを立ち上げて置いた。 しだいに自分のサイト作りに傾斜していったが、そのサイトで何をどこまで掲載するかを決めなければならない。訴える何かもあるべきだと考えた。結局、環日本海諸国図と1911年の朝鮮全地図を掲げ、ミンカブァンについて訴えることにした。 その後、何回かの改定をへて、2015年1月現在、トップページには1911年の朝鮮全地図だけを載せている。 https://oguris.wordpress.com

仕事の継続性

一企業でさまざまな部門を転々としている人がいるとしよう。この人は「継続している仕事」をしている人といえるだろうか、いえないのだろうか。 あるいはまた、いろいろな職場を転々とし、職種もさまざまだけれども何か一貫するものを持っている人がいたとしよう。この人は「継続している仕事」をしていないのだろうか。 この問いかけは、仕事というものをどのように捉え、何をもって継続とするかと問うものだ。 1970年代、僕は20歳のころから韓国語や韓国文化に興味を持ち、はじめ大韓航空の東京支社に入社した。航空業界にさほど関心があったわけではない。韓国の企業というだけで十分だった。当時、韓国企業はあまり人気がなかった。韓国語を学ぶ日本人も少なかった。 70年代後半から90年代後半まで、単純化して言えば、英語を使う仕事に従事した。韓国語に関係する仕事をできるようになったのは97年からで、以来、韓国語の普及事業に従事している。 そして、来年はじめに定年退職したあとも日本における韓国語と韓国文化の普及に関連する仕事をしていくつもりだ。

女性が美しく見えるとき

このタイトルから人びとが連想するのは恋愛しているときの女性や子どもを産んだあとの赤子をいつくしむ母となった女性であろう。 ここで僕が考えようとしているのは、男性がどんなときに女性を美しく魅力的に感じるかである。性欲が盛んだと女性が美しく見えるという仮説を立てることはできるだろうか。 思春期以降、30代40代を除いて年齢と性欲が逆比例するとして(実際には、そんな単純な関係は成り立たない)、高齢になると女性が美しく見えないかというと、そういうことはない。いや、そういう傾向があるかもしれない。

政治屋と国民

いまの日本に政治屋や選挙屋はいても政治家はいないのではないか。にも関わらず、彼らは政治家を自認し、天下国家について語り外交を語り、自分たちに都合の悪い高齢化社会が抱える問題や原発問題を含む環境汚染について語ろうとしない。選挙制度の改革にも着手しない。 何が身を切る改革だ? 政治家たる者、本来が公僕であり、国民のため市民のために自ら犠牲をいとわない者であるべきではないか。堕落した政治屋と彼らを支える国民市民が、意識無意識のうちに、この国のかたちを作っている。そして、僕自身もそのひとりである。 それにしても、なぜ日本の政治屋にはかくも知性がないのだろうか。僕を含む国民のなせる業なのだろうか。

大阪は異文化か

何年かぶりで大阪を訪ねた。大阪や奈良に行くといつも感じることだが、東京で生まれ育った僕にとって、そこは常に異文化圏だ。 まず、人びとの顔が違う。どこがどう違うのかと問われると困るのだが、東京の街中で会う人びとの顔の造作が異なる。何が違うのだろう。 民族的な違いを云々することもできるだろうが、歴史のなかで培われた暮らしぶり、生活慣習の違いだと考えたい。民族的な違いよりも歴史的な違いのほうが大きいと考えるからだ。