Kumho-Asiana Cup 2008-

クムホ・アシアナ文化財団ほかが主催するクムホ・アシアナ杯話してみよう韓国語高校生大会というコンテストが2008年から日本で開催されている。ことし3月に第8回大会の本選が東京で行われる。 http://www.asiana.co.jp/speech/ これまで8回の大会に参加した高校生は約4000人にのぼる。この数字をどう評価するかは大会との関係や立場によって異なるだろうが、2007年後半から15年まで運営に関わってきた者の立場から、ここまで継続してきたことを高く評価したい。 そのうえで、クムホ・アシアナ杯という高校生を対象とする事業とは何だったのか、これから何をめざすのか考えなければならない。

Tales from Shakespeare

Tales from Shakespeare, by Charles & Mary Lamb, 1807 を読み直している。シェイクスピア作品は学生時代に何冊か読んだが、英語がむずかしい。「シェイクスピア物語」(安藤貞雄訳、岩波文庫 2008)も併行して読んでいる。 シェイクスピアがモリエールや近松門左衛門と同時代人だったという認識は以前から持っていた。今回「物語」を通じて作品のあらすじ(かなり詳細だが)を読んで、近松との共通点を知った。例えば、ハムレットと曾根崎心中のテーマとプロットなどだ。 唐突ながら、昨今の韓国ドラマもシェイクスピア作品と少なからず共通点を持っているように見える。それが直接的な影響かどうかはわからないが。

birthday gifts

65歳の誕生日を元気に迎えられたことをありがたいと思う。そして、家族に手厚くもてなされながら過ごせることをこの上なく幸せだと思う。 65歳の平均余命は18.55歳だというが、その間を元気に生きるかどうかが問題だ。そうなるよう最大の努力をしなければならない。 最大のギフトは健康であり、最高のギフトは家族とともにあることである。そう思える自分を幸せだと思う。 ロウソク1本につき老測10年余りか

国王の専用トレイン

コンビニ国の主要な公共交通機関はトレインである。トレイン網は都心部を中心に全国津々浦々に及んでいる。そのサービスは国籍を保有した者だけでなく、外国からの訪問客にも提供されている。 トレインという交通手段のほかに、一定以上の税金を納めた者と官吏たちはオートカー(自動車)を持つことができる。二つの交通手段の違いは公的と私的の違いだ。なお、その所有者は保管する場所を持たなければならない。 国王とその一族だけが利用できる専用のトレインがある。それ専用の駅まで用意されている。ただし、ふだんは使われないため、駅構内には雑草が生えていることがある。専用トレインも公共用と同じレールを使うので、ふつうの人びとを乗せたトレインも王族用の駅の横を通過する。

memo: コンビニ国の官吏

先日、国籍の更新手続きを行うため最寄りの出先機関に行った。60歳を過ぎると更新間隔が短くなり、65歳を超えるとさらに頻度が増える。そういう手続き上の煩雑さもあって棄民する人もいる。 というのも、それが書類上の問題だけにとどまらず、高齢者を排斥しようという国家意思に根ざしているからだ。それを露わに示すのがコンビニ国の官吏たちに共通する官僚主義であり、彼らの高齢者に対する扱いに如実に表れる。 数ヵ月前、国籍の更新手続きをするために最寄りの管理事務所に行った。というより、指定された日時に訪ねたのだから、出頭に近い。これに応じなければ、罰金を払わなければならない。 そこで、前回の更新日以降、僕がどういう活動をし、そのなかにコンビニ国が定めるがいくつあったか審査を受けなければならない。その数が一定数を超えた場合に限って国籍更新が認められるのだ。

ハンガンネッ한강네트

ハンガンネットというネット組織がある。韓国語講師と教室運営者を中心とするネットだ。きょう、ハンガンネット主催のセミナーが東京の虎ノ門で開催された。今回のテーマは小規模教室の運営だった。 振り返れば、2008年後半の設立前夜からハンガンネットに世話人として関わっている。サイトの運営管理が主な担当だ。65歳になる2015年で辞めようと思い、前年の後半に辞意を洩らしたが、結局いまも続けている。 2008年8月、大阪で開催された韓国語教師研修の最終日にあいさつ、この研修会を機にハンガンネット現代表のH先生を中心にネット設立に向けた動きが始まった。 https://hangangnetwork.wordpress.com

皆中稲荷神社

新大久保駅を出て大久保駅の方向にしばらく歩くとKOBANがある。その右隣りに石造りの鳥居が目にとまった。皆中稲荷[kaichu-inari]神社という、かなり人気のある神社らしい。昨今はやりのパワースポットのひとつだそうだ。Shin-okubo 界隈の多文化性に着目して cosmotown と捉え、先週から探訪している。きょうは少し時代を遡って散策した。 http://kaichuinari-jinja.or.jp

60年前の写真

Cousins November 1955 60年前の僕と従兄弟姉妹(いとこ)たち、当時住んでいた杉並区井荻(現在の町名は善福寺)の社宅の裏庭で撮影したものだ。近くに善福寺川が流れ、寺分橋(てらぶばし)という木橋が掛っていた。 文京区初音町にあった母の実家からいとこ4人が遊びに来て、一緒に七五三を祝ったのだろう。社宅には曽祖母も住んでいたから、祖父や親戚の人びとがときどき訪ねてきた。 当時の裏庭の黒土、30cmほど掘ると表れる関東ローム層の赤土、60年ごろ購入した卓球台、夏には毛虫だらけになるスモモの木、冬の霜柱、豆で掌が固くなるまで蹴上がりを練習した鉄棒、白い犬、柳の木などなど、庭にまつわる思い出は数えきれない。

Loop line

'Loop line'、東京の山手線や大阪の環状線のような電車のことだ。地下鉄の大江戸線もこれに近いが、環が閉じていない。過去3年間、僕は毎朝ループラインを時計の針と反対回りに乗って職場に通った。そして、今週から時計回りに乗って通うようになった。 大した変化ではないと考える人が多いだろう。だが、僕にとっては体内時計の入れ替えを伴う困難な作業だつた。5日通って疲労が激しく、家に帰って食事をし、コンビニ教の放送をしばらく視聴して沐浴すると、すぐ眠けに襲われるようになった。あながち老化のせいだけではないように思う。 けさ、時計回りに乗っていると、隣りの女が立ったまま化粧を始めた。その直前に立ち位置をめぐってつばぜり合いがあったが、化粧する場所を確保したかったらしい。その女、化粧が終わるとすぐヘッドホンを被って、周囲を遮断し、お祈りの時間に入った。彼女はコンビニ教徒だったのだ。

一里如匡[monologue]

↑ 道標: 壱里至青森県界弐里九町参拾間 “介護は贈与” 別れにむけての、得難い時間だという。親から子への、”たすき”を渡す時期と解すべきなのか…。 “I am not Abe” 「私は、日本政府(安倍)を支持しない」との主張なのだろうか…。 しかし、我々は”Abe”では…、有権者として、間接的にしろ、選んでいるにだから。我々は、真っ向から、責任を感じることが大事では。 “裁判員裁判は、単なる、ガス抜きか…” 最高裁が、裁判員の「死刑」を破棄した。しかし、少なくとも、裁判官の一人は支持してるはずである。最高裁は、「被告の生命を永遠に奪い去る」ものと言い、公平性を求めた。ならば、素人に判断させるべきではない。更に言えば、死刑制度は廃止すべきだ。 “何処かで、断切らないと…” 「仇を返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗うのじゃ。 こなたの胸が霽れるときは、かなたの心は燃えるのじゃ」 “自由への、制約は…” 相手が自由に振る舞うことで、自分の自由が縛られた場合は、どうしたらいいのか…な。 “本当に憎んでいるのか…” 政治家を非難する方がいる、しかし、次の選挙でも、その政治家は当選している事が多い。果たして、非難されるような事をしているのか。はたまた、非難した本人達が忘れているのか…。 「自由を叫ぶ者によって、かえって、自由が狭められることがある」 何が、「いいね!」なのか ? FEBRUARY 4, 2015 MURAGIMO

Shin-okubo, the cosmo-town

"Shin-okubo"は漢字で新大久保と書くが、あえてローマ字表記するのには理由がある。そこが他の日本の市街と比べて格段に違う国際性を備えているからだ。 東京の丸の内や銀座ではないし、福岡の博多でもない。あるいはまた東京の新宿や池袋でもない、独自の国際性を醸している。この意味でcosmopolitan town、略して "cosmotown"と呼ぼうと思う。 いま新大久保と呼ばれる地は、江戸時代に広大な窪地で水田地帯だったそうだ。西側の高台に江戸幕府の武士たちがすみ、百人町に鉄砲百人組の組屋敷があったという。 いま、当時の痕跡を見つけるのはむずかしい。ただ、ここにはまだ70年代の新宿の猥雑さや、同じく70年代のソウルに息づいていた活気の断片が浮遊しているやに錯覚させる何かがある。 Shin-okubo=コリアタウンではない。あえて言うならコスモポリタン・タウンだろう。韓国、中国にとどまらず、タイ、ベトナム、フィリピン、インドネシア、ネパール、インドなど、アジアから中東や南米に至るさまざまな地域の人びとが行き交う雑居地であり「コスモタウン」なのだ。    

memo: コンビニ国

コンビニ国の国籍は6歳以上の者に与えられるが、その資格を得るためには年令に応じたペーパーおよび実技試験に合格しなければならない。国籍は所与のものではない、コンビニ国の領域内に生まれたからといって自動的に与えられることはないのだ。 なおかつ、国籍は一定の年限ごとに更新しなければならない。これを怠ると、一旦国籍が剥奪され、再取得するためには改めて試験を受け合格しなければならない。僕は最近、65歳を迎えるための更新手続きをしようと入国管理事務所を訪ねた。6歳、12歳、15歳、18歳まではみな洩れなく手続きする国民皆更新制だ。 国籍取得に際してもっとも重視されるのは、コンビニ国に対する「従順さ」である。忠実さではない、疑問を抱くことなく「従順」であることが最も重要な要件なのだ。機械のように、あるいはロボットのように行動する、コンビニ国の国籍保有者たちに共通する性向はこうして制度的に再生産され維持されている。 僕は6歳からずっとコンビニ国の国籍を保有していたが、20歳と60歳のとき、二度に及んで更新手続きを怠り、国籍を喪失した。除籍の烙印を二度押された落伍者なのだ。

memo: 名曲喫茶とコーヒーショップ

はじめて喫茶店に入ったのは高三のときだった。荻窪駅近くの踏切の遮断機よこにあったミニヨンという名曲喫茶だった。 60年代末から70年代にかけて、こういう店がかなりあった。制服だったが、ときどき行った。頻繁に行くようになるのは浪人した1年間だった。 同じころ新宿角筈の紀伊國屋書店によく行った。本を買った帰りに風月堂という独特な雰囲気の名曲喫茶に寄ることがあった。2階まで吹抜けの店内はタバコとドラックらしきものを吸う人で溢れていた。 黒を基調にした壁とイスやテーブルが一種の荘厳さを醸していた。 2階の一角にはよく白人や黒人のグループが集まっていた。ヒッピーと呼ばれた人びとだったと思う。 あれから50年が経ち、名曲喫茶と呼ばれる喫茶店はあまり見かけなくなった。今どこにもあるのが Doutor、Excelsior、Starbucks、Tully's などのコーヒーショップだ。 そして、何にも増して日本(ニホン)の全域にはびこっているのがコンビニである。その普及ぶりは鎌倉時代前後における仏教寺院の広がりに匹敵するのではないだろうか。コンビニの店舗と仏教寺院を比較することを不謹慎と云うなかれ。コンビニはもう日本教の主要な精神世界を浸食しているではないか。

小径車がMTBに

2012年末だったろう、小径車を娘に譲った。自分はスポーティな小径車を購入しようと思い、自転車に詳しい中学時代の友人に相談した。 すると、彼自身13年夏ごろに始めたというMTBを薦められた。 彼のMTBで飯能の丘陵に行って以来、文字どおり病みつきになった。友人の思惑どおりになったわけだが、それでよかったと思っている。

トレイン・ピープル

「トレインピープル」(TP)という用語で日本社会について考え始めたのは、90年代半ばごろだったろう。仕事しながらA大学の二部の大学院に通っていた。科目の一つにアメリカ人講師のコミュニケーション論があって、その課題で TP について書いている。 その数年前に小説の手法を借りてTPを描こうとしたが、結末がまとまらずに断念していた。彼らが生きる意味を見いだせないばかりか、永劫に救われないと考えていた彼らの生態を十分に描ききれなかった。TPを否定的に捉えていたのがいけなかったかもしれない。 TP とは、東京のような大都市に棲息する人びとの集団で、英語の trained に掛けている。彼らに共通する性向の一つは、家畜のような従順性である。朝夕の通勤通学電車の車内に彼らの特性が象徴的に表れていると考え、TPと名づけた。家畜のように飼い馴らされた人びとだと理解していた。 ひたすら押し黙り、朝晩繰り返される家畜搬送車に閉じ込められた時間をじっと耐える。ひっきりなしに流れる車内放送を聞き流しているが、いつしかその内容に洗脳されてしまった人びと。 最近10年ほどの間にスマホが急激にと言ってよいほど世界的に普及したが、TPはいち早くこの流行を取り入れた。そのIT機器が彼らの性向にこの上なく合致していたからだ。スマホやゲーム機器の共時的な広がりと個々人における閉鎖性。 スマホが登場するまで、TPの関心はもっぱらマンガ本や新聞紙、音楽付き耳栓にあった。それが携帯電話になり、スマホに代表されるIT機器に取って変わられただけで、彼らの指向性や行動様式は微塵も変わっていないように見える。 子どもがヒステリックに泣き叫ぶのも、小学生が四角いザックを背中にして騒ぐのも、女子高生が甲高い声で間断なく話し続けるのも、中高年の男女が車内で我がもの顔で話すのも、みな閉鎖性に起因し、他者を顧みない利己主義に根ざしているように思う。彼らは独特な信仰をもっている。