一目惚れした、Brompton の小径車に。いかにも Made in England という気どった風貌をしている。濃い緑色のフレームも気に入った。 これを折りたたむと、下の写真のようになる。いとも簡単にできて奇術のようだ。 2年前、己は小径車を探していた。友人の勧めでMTBに乗り換え、大いに満足しているが、小径車に対する思いが減じたわけではない。
Farewell to FB friends
FBの利便性に感心しつつ、それは一つの流行であり、それ以上でも以下でもないと改めて思う。 ほかのSNSにない本名を名乗ることや顔写真を表示するなど、信頼度が高いと考えて利用した。友だちの友だちは友だちという発想はおもしろいし、その広がりを楽しんだ時期もあった。 そこでやりとりされる、いかにもうわっ面の社交儀礼に厭気がさしたのだろう。所詮、友だちの友だちはただの人でしかなく、それ以上の意味を付与するべきではない。 これが、FBと訣別する理屈だが、本当の理由は別にある。周期的にやってくる人嫌い癖だ。こういうときは決まって人好き癖も強まっているが、要はFBが僕の人好き性向には不向きということだ。 Farewell to FB friends!
百代の過客
芭蕉が現代に生きていたら、どんな旅行者になったろう。振り返れば、僕も一人の旅行者であり、通行人だと思う。 水沢の2年(10代後半)、トロントの2年(30代後半)、大阪の2年(40代初め)、記憶にない津山近くの4年。残りの50年余りを東京で過ごしたが、旅行者であることに変わりはない。 奥の細道の冒頭を引用する。 月日は百代の過客(かきゃく)にして行きかう年もまた旅人なり。舟(ふね)の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老いをむかえる者は日々旅にして旅を栖(すみか)とす。 古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそわれて漂泊の思いやまず。海浜にさすらえ、去年(こぞ)の秋、江上(こうじょう)の破屋(はおく)に蜘(くも)の古巣をはらいて、 やや年も暮れ、春立てる霞(かすみ)の空に白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるわせ、道祖神のまねきにあいて取るもの手につかず…..
New Yorker’s Cafe
コーヒーショップを転々としていた昨春から10ヵ月経ったのか。時の流れは早いな、と感じつつ、なつかしい思いに囚われる。 ここは、1891年に竣工したというニコライ堂の下にあるコーヒーショップ New Yorker's Cafe だ。学生や勤め人で賑わってきた。何となく気に入っている。 http://nikolaido.jp/index.html
しぶそば
渋谷駅の構内2階にある「しぶそば」に初めて入ったのは、1年に満たない大学時代だったろうか。だとすると、45年の歳月がたったことになる。 そばつゆの味がほどよく、いなりずしがおいしい。おにぎりもおいしそうだ。そして、何よりも値段が安い。だから、いつも客が絶えない。そば屋、かくあるべし。
富士山の写真
最近、富士山の写真に引かれることが多くなった。下の写真もその1枚だ。友人が羽田から福岡へ向かう飛行機の窓から撮ったものだ。
雑題: 俗中の俗
自分の大事にしているもの(気付かずに…)が、自分の忌み嫌っているものによって、保たれていることがある。 時として、嫌悪ぶつを排除し、ホッとした途端に、こんな筈ではなかったと、気付かされるのである。 そぉ、「坊主憎けりゃ、袈裟まで…」の思いで、一刀両断にしてしまうのだが、慣れ親しんだ"大事なこと"が隠れている場合だあるのですね。 言うまでもありませんが、多面的に検討し、"守るべきもの"と"排除するもの"を見定めないと、後で、後悔することになるのでは…。
雑題: 不易・流行
不易とは、遠く小さく音もなく動くもの。 いつもの一抹の影のような存在であり、 永遠に回帰するものなの。だからその動きは易らない。 流行とは、時代の反動であり、人工のダイナミズムのなかに消えてゆくものでは…
紫富士
A photo of Mt. Fuji taken by Suzuki Hajime, the owner of Hatoyamaso-shoan 房総半島の南端、館山にある鳩山荘松庵から見たであろう、夕陽に映える富士(不二)山。赤富士ならぬ「紫富士」と名づけたい。
無愛想と不親切
若いころからよく愛想がない男だと言われた。無愛想とは自己中心的であることの反面であり、他者に対する配慮不足をいうのだろう。一般的には非難されることだろう。そんな僕が、近ごろ無愛想な人がふえたと感じる。 70年から90年代にかけて、韓国や中国に行く機会があり、食堂やホテルで接する韓国人や中国人には客に対する愛想がないと感じた。でも、それが厭だったわけではない。少し話すと、すごく親しみのある表情を見せるからだ。 彼らの無愛想さは、必ずしも相手を排斥するものではない。単に、日本的な、やや形式的な相手に対する配慮がないだけで、彼らの流儀で対するのだ。それは当然のことでないだろうか。 さて、彼ら流の無愛想さと最近僕が日本人一般に感じる無愛想は同じものだろうか。 つづく
雑題: Overshoot
「アース・オーバーシュート・デー」 天然資源の再生が、消費量に追いつかない状態。要は、環境破壊・環境汚染を引き起こしている事を指すという。 "地球使いすぎの日"とでも訳すか…。 ところで、我が国は、財政再建が求められているが、財政規模は拡大傾向にある。更に、五輪にむけた諸投資が控えており、その必要経費さえ明確にされておらず、多分、経費内での実施が難しいからと、追加投資がかさむのだろう。 結果的に、税金・等がつぎ込まれ、庶民の負担が増すだけでは…。 果たして我が国は、傾いた船を元に戻すという"復元力"が、未だに残っているのだろうか…? "地球滅亡"の前に、財政破綻をし、"日本沈没"にならなければいいが…。
Ruru, the revitalizer
昨夜、体調がすぐれなかったせいか、楽しい飲み会の席で貧血を起こしてしまった。それで、しばらく中座してテーブルに戻ると、同席していた若い男がいない。 彼は戻って来るとすぐ、ルル滋養内服液の小瓶とキャベジンコーワの細粒が入った袋をあけて、一緒に飲めと言う。さらに緑色のカプセルも飲んだ。あれは何だったのだろう。 すると、不思議や不思議。貧血症状がまたたく間に引いてしまった。飲酒の前にウコンを飲むといいと聞いたこともあるが、試したことはない。半信半疑だったからか。 一夜明けて思うと、彼は僕のためにわざわざルルを買いに行ってくれたのだ。そういえば、キャベジンの細粒をいつも携帯していると話していた。ありがとう、정말 고맙다.
a wheelchair carrier
母を連れて御茶ノ水にあるNクリニックに行った。JRで行こうとしたが、御茶ノ水駅にはエレベーターがない。そこで、丸ノ内線で淡路町まで行くことにした。 メトロのバリアフリー対策は、JRよりはるかに進んでいる。淡路町駅から地上に出て、クリニックに行く坂のイチョウ並木が秋の終わりを告げていた。落ち葉を見ても、来年は母と一緒に見られるだろうかなどと考えてしまう。 Nクリニックの院長が小川町から車イスで坂道を登ってきたことを聞いて驚いていた。帰り、来た坂道を下って、淡路町駅から丸ノ内線に乗ろうとして地下に下りたら、荻窪方面に行くホームに通じるエレベーターがない。 仕方なく駅員に助けを求めた。写真は、そのときの光景である。階段を下りて地下通路を通り、反対側のホームに行くのに、10分以上要した。駅員2名が付きっきりだ。仕事とはいえ、彼らの親切さをありがたく思う。 だが、待てよ。ほんとうの親切とは何だろう。地下の構造や財政問題もあろうが、まずはエレベーターを設置することではないだろうか。母に乗った感想を尋ねると、「落ちそうで怖かった」と言った。
雑題: 何が違うの…か
失敗はするが、原因を突き止め、対策を立て、最終的には、結果(成果)を導き出すチーム。一方、失敗に対し、後追い(応急的)で対処し、原因解明もままならず、部分的対応で、負の循環に陥っているチームがある。 背後にある諸条件が異なることは分かるが、取り組んでいる方々(技術者)の姿勢(言動)が異なることに、素人目にも、明らかなのが気になるが…。
雑題: 忘己利他(もうこりた)
世の中、"安倍氏批判"、"自民党の一強他弱の解消"、等が喧しい。因って、野党勢力の結集をとの動きも活発になっている。しかし、野党の連携がなり、統一候補を立てられたとして、上手くいくのだろうか…。 要は、前民主党政権の二の舞は御免だ(もう懲りた)と思う有権者と、一方、自・公政権は危険だ、矢張り、支持できない(もう懲りた)との不安では…。 「忘己利他(己を忘れ他を利する)」 天台宗の開祖、伝教大師・最澄の説いた教え、慈悲深いお言葉だ。 候補者の皆さんは、この言葉を胸にしっかり刻み込んで欲しい。そして、当選のあかつきには、政策、等で着実に実践していただきたい。 勿論、有権者も責任を果たさなければ…、安心をつかむために。
雑題: 豊葦原の瑞穂の国
日本の食糧自給率は低水準であるという。ということは、日本の子どもは、赤ちゃんの頃から高齢者になる迄、他国の食料を食べ続けるということになる。 此では、"カッコーの托卵"ではないか…とおっしゃっている方がいた。 即ち、カッコーの子は、托卵先の巣でエサを横取りし、孵化前の他の鳥の卵を巣から落とし、漸く孵化したヒナを巣から追い払うという。 しかし、食糧安全保障の観点から、自国の食糧を売ることに、少しでも不安や疑問を持たれたら、日本は量的に安定した輸入を継続できるのだろうか。 "かっこうどり"がなまったものが"かんこどり(閑古鳥)" さびれた状況を「閑古鳥が鳴く」というが、日本の食卓(農業)がそうならないという保証は如何に…。
雑題: 今いのちがあなたを生きている
つづける… こきゅうを…、 あゆみを…、 なにかを…、 それがすべて。 止めてはいけない。 もしも……は。
雑題: いだわしね(もったいない)
ある資料によると、日本での年間総残飯量は、ユネスコが飢餓に苦しむ国々に送っている食料品の総量に匹敵するという。しかも、その過半数は輸入品であり、無駄に捨てている訳だ。 「残る、残すということは、必要以上に作り、しかも美味しくないということだ。パーティー料理も盛りたくさんよりも、旬の野菜を使った地元の料理を適量出した方が良いのに、日本中ほぼ同じメニュー。時代遅れだ」と、ある方が書いていた。 "ハレの日"、地元産の野菜、等で、"健康"で"持続可能な生活=ロハス"を目指し 、寿ぎたいものですね。
雑題: 出来秋
"食欲の秋"は、どこにいったのかな… ? 季節を問わずに送り出される、"グルメ料理"に食傷気味なのか… 矢張り、「物には時節」がある。 ところで、"ごちそう"とは、グルメ料理ではない。地元で採れた食材を、駆けずり回って集め、それらを、心を込めて、つくる"手料理"を指すという。 因って、"ご馳走"と表す。要は、"地産地消"である。 地元の"旬"を待ち望む心が、そのお膝元でも、薄れつつあるのだろうか…。
China & Taiwan…
The Economist 誌のこの風刺画、実によく描けている。右端に書かれた以下のセリフも的を射ている。Gulliverの靴に乗ったLilliputianが発する最後の1行が絶妙だ。 Isn't this great?!? After 66 years... the leaders of China & Taiwan... Finally get to meet... On equal footing. 気に入って何度か見ているうちに、待てよ、これは他人事ではない、と思うようになった。日本とアメリカの関係、沖縄と日本の関係、日本と中国との関係、もしかすると、韓国と日本の関係にも応用できるのではないか。もちろん、適応の仕方はすべて異なるのだが。