一般的な解釈では、全国の神様が出雲に集い地元にはいなくなるから、とのことである。では、何故、10月に集まるのかと言えば、10月26日がイザナギノミコトの命日で、神様がこぞって酒作りをする (縁結びの相談とも…)。 もっとも、神様がみんな出払っては心細いとして、留守番の神様を決めているところもあり、恵比寿神が多いという。
今日の歳時記: かんろ[寒露]
石濡れて 今日を区切りの 寒露かな 今日は、二十四節気の第十七。 夜露が朝霜に変わる頃、秋冷えが身にしみるようになり、木々の葉も紅葉していくもの、間もなく散っていくものと様々 である。山々が美しく化粧する時季。
雑題: 小カブ[小蕪]
秋の小カブは根、葉ともに大カブよりやわらかく、漬物などに適している。 又、 味噌仕立てのカブラ汁にすると美味しい 。その際は、ダシを多めにして煮込むといいらしい。更に、 油揚などと煮つけるとか、塩茹でしてバターでいため、肉料理に付け合わせするのも乙である。
今日の歳時記: キツツキ[啄木鳥]
啄木鳥や 人は世にゐて 声も褪せ 秋邨 秋、山林をあるいていると、タタタタタ 、タタタタタという甲高い音が聞こえてくる。それは、木によじのぼった啄木鳥が、くちばしで幹に穴をうがち、中の虫を食べている音である。 あかげら、あおげら、こげらを総称して啄木鳥と呼ぶのだが、羽根がそれぞれ美しい。
零れ話: アケビ[木通]
アケビ科のつる性灌木。本州以南に広く分布し、四月頃、若芽を出すとともに淡紫色の花をつける。また、果実は秋に成熟し、裂けて半透明の果肉をあらわす。 この果肉には、瑞々しい香りとさっぱりした甘味があり、食用に供される。果皮はてんぷらになる。
今日の歳時記: しんまい[新米]
新米に まだ草の実の 匂い哉 蕪村 コメはイネの成熟した穂を収穫、脱穀、 精米して得たもの。 日本をはじめとするアジアの諸国では、主食として欠かせない。 新米というのは古米に対する言葉で、 「今年米」とも呼ぶ。つまり、その年にできた米のこと。ツヤがあり、舌あたりのよいとろが喜ばれる。 もう少ししたら、食膳に…。
今日の歳時記: あかいはね[赤い羽根]
赤い羽根 つけらるる待つ 息とめて 青畝 昨日から、赤い羽根共同募金が始まったようだ。街頭や駅などで催され、お金を差し出した人へは、胸に赤い羽根をつけてもらえる。田舎では、自由裁量と謳いながら、各戸に割り当てられている。 暮れに向けた"社会福祉運動"の一つである。 そのうち、班長さんが集金にいらっしゃるだろう。
零れ話: 十月の異名
十月は、諸国の神々が出雲にお出かけになられるので、諸神が留守になる(→出雲国だけは、"神有月")ことから「神無月」 とする主説がある。一方、十月は"雷が鳴らなくなる月"だから「雷なし月」、また、 翌月の"新嘗"に備え、新酒を醸す月 、つまり「醸成(かみなん)月」とし 、 神無月は当字だとしている。 他には、初霜月、陽月、孟月、などがある。
零れ話: くだりやな[下り簗]
九月頃になると、鮎は産卵の為に川を下り始める。そして、九月下旬から十月にかけ、川底の小石の上に産卵する。 下り簗は、この落鮎を捕らえる仕掛けで、木を打ち並べて水をせき止め、一部を開けて、上から流れてくる鮎を捕らえるのである。
今日の歳時記: リンドウ[竜胆]
りんどうの 空幽明の 境まで 中西 光枝 リンドウは、秋草の中でも、色も形も趣深く、また花も気品に富んでいるので、 古来、秋の名草に数えられている。 根が竜の胆のように"苦い"と言われるので、この名があり、漢方では苦味健胃薬としている。
零れ話: 新そば
その年の秋にできた早成のソバ粉で打った"そば"をいう。風味よりむしろ走りを味わうもの、とされている。 そばというのは、タデ科の一年生草本。 アジア北・中部の原産で、古名をソバムギ、クロムギといった。 そばは、夏から秋にかけて、白い小花を咲かせ、三綾形の実をつける。この実を製粉して、ソバ粉をとるのである。 一般的には、麺状にした「そば切り」 。 または、粉を熱湯で溶いて食べる 「そばがき」。他には、そばずし・そば飯といった料理がある。
今日の歳時記: イナゴ[蝗]
踏み外づす 蝗の顔の 見ゆるかな 虚子 水田に数多く跳んでいる稲の害虫で 、 バッタに似ているが、やや小さい。 頭が丸く、黄緑色と褐色のがいる。 炒(い)ってつけ焼きにしたり、佃煮にして食べられるので、幼い頃、ビール瓶(?) を持って、蝗取りをした記憶がある。
零れ話: ジャガタラぶみ
「赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る…♪♪」という歌い出しで始まる"じゃがたらお春"の歌は、年配者はご存じであろう。 江戸時代の鎖国政策のより、西洋人、更に、彼等に嫁いだ日本婦人・子ども・縁者までもが、ジャカルタ(インドネシア) へ送られ、異郷の空で故国をしのんで 、はるばる便りを寄せてきたものである 。但し、他の人の潤色が加わっていると見られている。
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零れ話: ノギク[野菊]
野生の菊の総称。とくに"ノギク"という特定の植物はなく、家菊に対する名。 ノギクの代表とされるのが"ヨメナ" で、藍紫色の花が美しい。 これらのノギクは、かざらざる自然のままの姿であるのが、何かあわれさが感じられる。
今日の歳時記: いね[稲]
稲負ふや 左右にはしる 山の翼 楸邨 広い田の面に青い穂を高くぬき、はじめは その走り穂を数える数えることができる。やがて その穂が熟して重そうに下垂し、稲田一面に黄金の稲穂の波をたたせるようになる。こうした実り豊かで、ふさふさと穂をたれた稲田は、見た目にも心地よいものである。
二つの墓
雨模様の彼岸。僕に限らないだろうが、墓所はあまり好きなところではない。 先日、韓国人の友人を連れて、先生ご夫妻の旧家屋を訪ねた。ご夫妻が前後して亡くなられてから2年余り経ったろうか。荒れ果てた家屋を見て、思うところ多かった。 きのう義母の墓所を訪ね、境内の一角にある犀星の句碑「笹鳴くや馬込は垣もまだらにて」を見た。雨にぬれた石碑がいつになく美しかった。ここに来ると、必ずこの句を読むのだが、きのうは写真に収めた。1日たって、けさ、ご夫妻の廃屋とこの句の光景が重なった。 二つの光景はなぜ重なったのか。きっかけは、僕のスマホのガラス面の一隅にくもの巣状のヒビが入ったことだったに違いない。きのう、雨のなか、持っていたスマホを地面に落としたとき割れたのだ。 ガラス面に亀裂の入ったスマホを手にするたびに、先生の頭蓋を割った岩、犀星の石碑に刻まれた、幼な子を亡くしたあとの詩人の心境、シアトルで孤軍奮闘している娘のことなどを思う。
零れ話: ケヤグ…?
今や、会話に上ることもない方言"ケヤグ"。仲間・友達という意味ではあるが 、その語源まで調べたことはなかった 。ところが、最近、一つの資料に出会った。 なんと、「快楽」が語源だという。 本来の仏教語では(ケラク)と発音するが 、( ケラク → ケアク → ケヤグ )と変化し、そして、ある地域では、(ケラグ)と発音する人々もいるという。 (ケラク)の意味は、快く楽しいこと。 そうすると、「ガ(貴方)、ワ(私)の快楽だ」→「あなたは、わたしの喜びある」という意味になる。 真偽のほどは不明だが、生活に根差した"方言"の奥深さを再認識した。 今日は、彼岸の中日。「ガ、ワのケヤグ」だったと伝えたいものだ。
今日の歳時記: やなぎちる[柳散る]
庭掃て 出るや寺に 散る柳 芭蕉 九月も半ばを過ぎると、柳の葉が散り始める。春から夏にかけて、みずみずしい葉を楽しませてくれた葉が散る様は、しみじみと秋を感じさせる。 古くは、"桐一葉"と同じく、秋を知らせる現象とされている。
零れ話: しょうじはる[障子貼る]
今や、和室も、出窓の内側も、ガラス戸が多いのではないだろうか。 以前は、冬の用意に、休みの日など、家族がそろって障子を貼り替えたものである。 洗って乾かした障子に、新しい紙を貼ると、気分も一新して、家の中もにわかに明るくなったものである。 障子に写る"影絵"が懐かしい…。