自伝と小説のあいだ

『大韓帝国最後の皇太子、英親王の婚約者』と「隠れンヴィーニと老人」のあいだには何の関係もない。前者はカブァン(1897-1968)の自伝であり、後者は筆者による創作である。 カブァン自伝の翻訳に長年取り組んできた者が後者の筆者という偶然から、個人的には二つの文章に連関性があるといえなくはないが、それがどんな意味を持つか大いに疑問である。 カブァン自伝は自らの生涯を記しながら、その時代背景とともに本人の家族観や社会観ないし国家観を伝えている。後世の読者にとっては、時代に翻弄されたカブァンの記録よりもその儒教的な人生観に関心があるかもしれない。 創作にあってはどうだろうか。自伝が事実にもとづいて書かれるのに対し、創作は体験や事実を含むことがあるとはいえ虚構にもとづいている。だが、その虚構を通じて筆者の死生観や社会観を伝えている。 こう考えると、自伝や伝記と小説がどこか共通するものを持っているといえなくもない。40年前に翻訳を手がけたころには考えもしなかったことだ。

218 한글학교 교사연수회는 취소, 민족교육 강사연수회도 단축되었다

최근 오사카의 최고 기온이 36~37도를 넘나들고 있다. 코로나 19 감염자 수도 200명 수준을 오르내리고 있다. 코로나 감염 방지를 위해서는 마스크를 쓰지 않을 수 없고, 더위에 마스크를 계속 쓰고 있자니 숨이 막힐 지경이다. 이나저나 정상생활을 하기 곤란한 진퇴양난의 상황이다. 이런 이유 때문에 여름방학을 이용해, 계획했던 행사도 어려움을 겪고 있다. 8월 11일 실시할 예정이던 한글학교 교사연수회는 관계자 …

カブァン自伝と人々の後押し

70年代半ば韓国の航空会社に勤めていた僕は、休日によく東京西端の奥多摩や埼玉の秩父の山々を歩いた。ある日、友人と三人で雲取から七ツ石を経て奥多摩湖に下る途中、休み処の看板が見えたので立ち寄った。 そこが篠田具視先生ご夫妻が暮らす無三庵だった。初対面だったが、朝鮮の陶磁器や風俗のことなど、いろりを囲んで大いに話が弾んだ。以来、僕は一人で庵に頻繁に通い、個人的なことを含めいろいろ話すようになった。 ご夫人が李方子女史と面識があったこともあり、ミン・カブァン(閔甲完 1897-1968)という韓国人女性に関心を持った。資料を求めて最初に訪ねたのは、六本木にあった韓国研究院(院長: 崔書勉)だった。その書庫で自伝『百年恨』のコピー(だったと思う)を見た。 ソウルに行き、岳父の紹介もあって国立中央図書館で自伝のコピーを取り、驪興閔氏の宗親会を探し当て、文宜閣版の伝記2冊を入手した。その後、大学ノートに少しずつ翻訳を書きためたが、遅々として進まなかった。 84年の冬、韓国語ひろばの紹介でJH氏に会い、しばらく英語の勉強をみて音信不通になったが、96年秋の朝鮮学会で再会した。大学院で朝鮮語の研究をしていた。大学ノートを見せたところ、翻訳原稿をみて同情してくれたのか、下訳を引受けてくれた。 二人でプサンに行き、カブァンの甥にあたるミン・ビョンフィ氏にお会いし、カトリック教会の共同墓地を訪ねた。その墓地も今はない。 翻訳原稿と韓国語原文をチェックしながら、自分の韓国語力の不足を痛感した。よく韓国語ネイティブに質問したが、いつも丁寧に応じてくれたのがプサン出身のCH氏だった。全体を通して端正な字で丁寧に赤字を入れてくれた。 2009年春、東京外国語大学大学院教授のNH先生に直接原稿をお渡しし、校閲をお願いした。青字と赤字で何度か読み直していただき、対話するようなコメントを書き込んでいただいた。カバンという名前をカブァンに変えたのも先生のアドバイスからだった。 同年夏、A先生に佐賀大学文化教育学部准教授のNH先生をご紹介いただいた。数度にわたり通読していただき、本文だけでなく脚注の記述を手厳しく修正していただいた。「証言・回顧録としても伝記文学・私小説としても物足りなさ」を否めないとのご指摘もいただいた。 諸先生のうちお三方はすでに他界された。この10年余りにおける自分の怠慢は取り戻せない、韓国の友人たちの期待と後押しに応えるためにも残された時間でやるべきことをやり遂げなければ、と思う。

棚に置かれたカブァン自伝

「隠れンヴィーニと老人」の執筆が一区切りついたところで、次に何を書こうか考えながら、本棚を見ると、カブァン自伝の背表紙(2014年版)が目に入った。そうだ、自伝の日本語版を完成させよう。残された時間は多くない。最終的な校閲作業を始めなければならない。 2013年12月『나는 대한제국 마지막 황태자비 이마사코입니다(私は大韓帝国最後の皇太子妃李方子です)』が韓国コミュニケーションブックス知識工作所から現代史伝記シリーズの第一弾として出版され、翌年7月、カブァンの自伝が写真50点余りを付けて『대한제국 마지막 황태자 영친왕의 정혼녀 大韓帝国最後の皇太子、英親王の婚約者』として出版された。

二人の老人の関係

二人の老人というのは、主人公の凭也(ヒョーヤ)と記録係の筆者のことだ。二人の関係と共通点をまとめておく。 患者と診療の記録者 主人公と観察者 筆者の凭也への片想い 認知症と擬似認知症の患者 年齢不詳、孤独な老人 アウトサイダー 最も興味深いのは 3.の片想いだろう。老人男性どうしの想いに読者がどんな反応を示すか楽しみだ。読者はいないだろうなあ

第三部のおわりと小説の結末

[川に向かって繰り返し彼の名を呼んでいると、数十匹の魚(うを)が重なって激しくぶつかり合いながら川面に渦を起こした。そうか、これが魚(うを)たちの不器用なタンゴの舞いなのだ。その群れのなかに魚(うを)になった凭也がいる] (この前後に主人公と筆者のせりふのやり取りが入り、意外にも死という結末を迎えます。よく考えれば、人々が死んでいくのは当たり前ですから、意外でも何でもありません、当然というべきでしょうね)

第二部のおわり

...仏像に従う従者のようにして、老人が立っているのです。瞼をこすってもう一度見ると、それは漆喰の菩薩像で、まちがいなく老人の姿をとどめ、やさしくほほ笑んでいるように見えます。 老人に抱いていた畏れが消え、漆喰の像にすがりつきたい衝動を覚えました。初めて老人にあったときの忘我状態と、ダーラに出会ったときの唇の感触が一瞬よぎりました。菩薩像に向かって合掌していると、どこか気持ちが落ち着くように思いました。 (第三部に入ってすぐ、別の老人との再会があります)

第二部を挿入した理由

第二部は第一部と第三部のあいだにあって、他の部分とは異質の文章になっています。第二部では次のようなことを考えようとしています。 仏教的世界に引かれる凭也、白髪の老人もダーラも仏教的なものを暗示する 凭也は自覚していないが、認知症の症状を呈している 凭也の心象風景とゴー河の光景の交錯が意味するものを掘りさげる 他の二部と違い、第二部のディーゼル列車は<動く寺院>ではない 日本島と北米の人々の違いはどこにあるのか、ンヴィーニとは何か 第二部の書き出しは次のとおりです。 一九九〇年の夏から二年ほど、凭也(ヒョーヤ)は北米大陸に滞在していたようです。第二部では、治療の過程で彼が話した北米での特異な体験について記します。通勤列車の窓から見た光景と彼の心象風景が交錯するようすは認知症の世界を伝えています。

都電が走っていたころの話

小中学生のころ、家は東京西郊の善福寺池の近くにあった。年に数度、そこから小石川にある母親の実家に出かけた。母は親兄弟に会うのが楽しみだったのだろうな、と今ごろになって思う。 省電と呼ばれたあずき色の電車で西荻窪から荻窪まで行き、そこで黄色い都電に乗るのが楽しみだった。荻窪駅の南口に都電の乗り場があったと記憶しているが、定かではない。むかしむかし青梅街道を路面電車が走っていたころの話だ。 鍋屋横丁と新宿を過ぎ、市ヶ谷の外堀が見えるとすぐ飯田橋だ。そこで乗り換えて春日町を過ぎ、初音町という駅で降りた。僕は春日町の近くの実費病院という厚生省の診療所で生まれたと聞いた。 夜、帰りの車中でときどき起こったことがある。外の景色を見ていて、急に家と反対の方向に向かっているように思われるのだった。慌てて父親にいうと「錯覚だよ」とばかりに黙って笑っている。そういうときの彼の表情をぼんやり覚えている。 https://dot.asahi.com/print_image/index.html?photo=2019031200034_1

低空飛行する飛行機の爆音

4月に入って、東京の大田区(羽田空港がある)や新宿区にいると、上空を爆音をあげて通過していく飛行機が目立つようになった。事前に知らされてはいたが、コロナ禍による国内外の旅客激減に伴う便数削減にも関わらず、低空飛行する物体は増えているように見える。 沖縄県は言うまでもなく、東京の西郊にある横田基地の周辺などと比べれば、さほどでないという人もいるだろうだが、コロナ禍で窓を開けて仕事しているときなど、少なからず煩わされるし、電話しているときなど、思わず声が大きくなってしまう。 小説で扱ったンヴィーニたちは何とも思わないのだろうが、魚になった凭也は川の流れのなかで、この天の底の爆音をどんなふうに聞いているだろうか。

217j コロナ禍のあと初めて訪ねた生野区コリアタウン

7月30日、久しぶりに生野区コリアタウンを訪ねました。コロナ禍以来初めてです。直接訪ねて見られなかったあいだも、コリアタウンに暮らし働く人々からニュースを聞いていましたが、自分の目で見たかったのです。 梅雨の後の蒸し暑い天気にもかかわらず商店街には多くの人がいました。コロナ禍で通りが閑散としたあと、緊急事態宣言の解除で5月末から以前の姿が戻ってきたというニュースを聞き、その状況を直接目で確めることができました。 この日、コリアタウンに行く前に付近の御幸通り商店街(コリアタウン)商店会の代表者たちと会食しました。3月初めの民団支部を皮切りに、青年団体や経済団体など、地域内の団体代表者に会って意見を聞く活動をしており、その一環として会食しながら懇談したのです。 コリアタウン商店街の全長5百メートルのなかには、西と中央と東の三つの商店会があります。店舗数は西商店会38店、中央商店会42店、東商店会40店です。以前はキムチ専門店や飲食店が多かったのですが、最近は韓流ブームの影響を受け、化粧品やアクセサリーショップが増えているといいます。 三商店会の会長など代表全員が会食会に参加する予定でした。西商店会の会長が急用で欠席しましたが、一体の商店会なので、コリアタウンの近況をありありと聞くことができました。 コロナ禍の前は外部の人が多く来たせいで近在の人がいなかったが、コロナ禍の後は近隣の人が多くなり、観光客に代わって大阪周辺の日本人が通りをうめているそうです。参加者の一人は「韓国が好きな人が韓国に直接行けないので、代わりにコリアタウンで韓国を味わおうとして大勢やって来るようだ」と話していました。 最近は若者だけでなく、さまざまな年齢層が来るともいいます。コロナ禍をきっかけに人々が自宅に留まる時間が増え、<愛の不時着>などの韓国ドラマが全年齢層で人気を集めている現象と、コリアタウンに来る人の流れが類似しているようだというのです。この点、オンラインメディアを介して広がる韓国ドラマの人気は、以前とは明らかに画期される<第4の韓流ブーム>ではないかという意見も出ました。ちょうど、31日付け朝日新聞社会面に<愛の不時着>と関連した記事が大きく出ていました。 商店会の代表たちはコリアタウンの訪問客の多くが「政治は政治、個人的な好みは好み」という意識を以前よりしっかり持っているといい、神戸の南京町のように、大阪のコリアタウンが多文化共生を象徴する地域として発展してほしいと話していました。 生野区のように在日コリアンが集団として長いあいだ生活基盤を持って住んでいるところは日本のどこにもありません。互いに協力して、生野区コリアタウンを日韓友好と協力共生の発信地にしていきましょうと私は呼びかけました。この日、商店会代表たちの溌剌とした姿に接し、久しぶりに良い気運をたっぷり受けて帰ってきました。

三部のつながり

時系列に組み直したときのメモに沿って現時点の構成を整理すれば次のとおり。三部を通して登場するのは、主人公の凭也(ヒョーヤ)と記録係の筆者、そして複数の老人である。 1980年ごろ、ンヴィニ教とンヴィーニの紹介、電車とンヴィニ教寺院、伏線としての浅黒い顔の老人・バンドネオンの音曲 1990年ごろ、北米ディーゼル列車、白髪の老人・ダーラという女性と主人公、心象風景(凭也の過去の記憶)と認知症、無音楽 2030年、50年後の主人公と浅黒い顔の老人との再会、ンヴィーニの生態と主人公、凭也の死、河葬と再生としての魚(うを)、アルゼンチンタンゴの歌 主たる変更は次のとおりだ。各部の独立と連関性の確認しておく。 第一部 観察者としての主人公から葛藤する主人公へ、凭也とンヴィーニとの関わりを示唆 第二部 都市や河川の名称の抽象化と仏教的世界(samsara)への接近、第三部への橋渡し 第三部 ンヴィーニ世界の変貌、主人公と筆者の接近(特に後半部分)、ンヴィニ教寺院の拡大解釈(北米発祥の珈琲店/小型スーパー/電車...)、転生と死 ようやく三部間のつながりが見えてきた。本来ならば、プロットが先に構想されるべきなのだろうが、僕の場合はあとになってプロットを確認しているわけだ。凡才のなせる業ゆえ仕方あるまい。しきりに自分の限界を思い知らされる。

第一部のおわり

第一部を通して校閲し、おわりの部分を書き替えた。我ながら、とどまるところがない校閲に疲れぎみだ。第三部のおわりを踏まえて修正する必要を感じたのです。 [こうして凭也は、時にンヴィーニを批判するどころか熱く擁護することがあります。かつて自分も教徒だったというだけではどうにも説明できない、正体不明の何かに対する怒りに突き動かされていたのではないか。筆者はそう解釈しています] これで第二部の老人との出会いにつながります。→第二部のはじめ

217 코로나 19 감염 사태 이후 처음으로 이쿠노구 코리아타운을 방문

7월30일, 오랜만에 이쿠노구(生野區)의 코리아타운에 가봤다. 아마 코로나 19 감염 사태가 벌어진 뒤 처음인 것 같다. 직접 가보지 못했던 기간 중에도 그쪽에 살거나 일하는 사람들로부터 소식을 들었지만, 직접 눈으로 보고 싶었다. 장마 뒤의 무더운 날씨인데도 상점가에 사람들이 많았다. 코로나 때 거리가 썰렁하다가 긴급사태 선언이 해제된 5월 말부터는 예전의 모습으로 돌아왔다는 소식을 들었는데, 이런 상황을 직접 눈으로 …

第一部のはじめ

第一部の書き出し部分を変更した。複数のコメントを得て熟考した末に修正したものだ。下の下線部が、以前は「尋常でないものを感じる読者もいると思います」だった。 [第一部に記録されているのは一九八〇年代です。担当医は、凭也(ヒョーヤ)の口述記録やメモにもとづいて、八〇年代後半から九〇年にかけて認知症特有の時間軸と風景のあいだの揺らぎが生じていたといいます。ンヴィーニに対する彼の執拗な関心と反発心のあいだに葛藤があるようにも見えます] なお、全体を通して筆者のト書きの部分を [   ] 内に挿入し、登場人物のせりふ(3ヵ所しかないが)を「 」に入れて、本文との違いを目立つようにしました。

行手法と行審法

行政手続法全46条を理解しながら読んだつもりだが、なかなか定着しない。適用除外とか、後出の条文を参照しなければ理解できない記述が少なからずあり、民法と比べて読みにくい。通しで読むことでようやくその記述スタイルを理解することはできた。最小限の編集に留めたのにウェブページの表示が乱れたため、サイトデザインを変更した。こんなことを悠長にやっていていいのか。 行政不服審査法全87条は行政手続法と違う意味で読みにくいが、読みにくさがスタイルとして確立していて、そのスタイルに慣れれば何とか読みこなせると思った。

216j 在日韓国商工会議所「小異を捨て大同につく」へ向けて

一般社団法人在日韓国商工会議所の第58回定期総会が7月29日、大阪民団の本部講堂で開催されました。例年総会を開催する東京で新型コロナ感染症の感染者数が急増し、大阪に会場を移動したとのことですが、はからずも開催当日、大阪府の感染者数が226人と最高値を更新しました。 在日コリアン商工業関係者の最も中心的な団体である在日韓国商工会議所は現在東京ほか22都道府県の地方商工会議所に会員1万人を擁します。1962年の設立以来、在日社会と韓国の経済発展に多大な貢献を果たしてきましたが、決して平坦な歴史ではなく、組織の分裂と対立の痛手を体験しています。 民団との間に繰り広げられた深い対立(民団傘下の在日商工会議所と在日商工会議所との対立)は2016年の統合一般社団法人在日韓国商工会議所にまとまることで解消されましたが、現在でも複数地域の商工会議所が統合組織に参加していないなどの対立が続いています。そんな対立の代表的な団体が大阪韓国商工会議所なのです。 残存する対立の中心地が大阪にある状況下、在日韓国商工会議所の総会が初めて大阪で開催されることになり、管轄地域の韓国総領事として主催者から祝辞の要請を受けたものの、対立の真っ只中に立つわけで、まったく困惑しなかったといえば嘘になります。 とはいえ、全国の在日コリアン商工業関係者を代表する団体が総会を開催するのに管轄地域の関連団体が気まずいからと言って総領事が参加しないわけにはいかないと判断しました。大阪韓国商工会議所は大阪民団傘下の団体なので、大阪民団のオ・ヨンホ団長が参加して歓迎の祝辞を述べました。東京からも中央民団の団長が参加して激励演説を行いました。これらの参加者が私の負担を軽減したことは間違いありません。ただ、業務を遂行する上では人々の拍手だけを意識していてはならない時もあり、今回がまさにその事例ではないかと思いました。 祝辞のなかで私は、これまで在日韓国商工会議所が在日社会と祖国韓国に貢献したことを評価しつつ、「組織上解決すべき問題が残っていることを知っているが、双方が小異を捨て大同につく大同精神に立って額を合わせ、好ましい結果を見いだすことを望む」と述べ、今次総会が在日コリアン商工業関係者の和合に向けた大きな転機になるよう期待したいと括りました。 今次総会において神奈川韓国商工会議所の趙成允(チョ・ソンユン)会長が新会長(任期2年)に選出されました。新会長の体制下、大阪韓国商工会議所も共に参加し、名実共に全国の在日韓国商工会議所の歴史が達成されることを望んでやみません。

副都心に根づく粗大ゴミ

副都心の一角にある雑草が生い茂る空き地に整然と並んだ粗大ゴミはまるで根が生えているようだ。不法投棄が後を絶たない。 …駅構内だけでなく、線路の周辺にも道路わきにもタバコの吸い殻やゴミがたまった。人々は自分の住居や敷地以外の場所を汚すことを何とも思わないから、自分の領域外はどこもゴミ捨て場になった。領域内をきれいにすることは域外を汚すことだった。人々が降り立つことのない線路わきが特に汚れたのは、そこが誰にとっても域外だったからである。(「隠れンヴィーニと老人」より) 副都心の空き地に根づいた粗大ゴミ

216 재일한국상공회의소 제58회 정기총회 오사카에서 개최

일반사단법인 재일한국상공회의소 제58회 정기총회가 7월29일 오사카 민단 본부 강당에서 열렸다. 통상은 도쿄에서 열렸는데 도쿄에 코로나 감염자가 급증하는 바람에 장소를 오사카로 옮기기로 했다고 한다. 그러나 총회가 열린 날, 공교롭게도 오사카부의 감염자 수가 226명으로 최고치를 경신했다. 이 단체는 재일동포 상공인들의 가장 중심적인 단체이다. 현재 도쿄를 바롯해 22개 도도부현의 지방상공회의소에 1만여명의 회원을 거느리고 있다. 그러나 그 역사를 더듬어보면, …