126j 滋賀県甲賀市の信楽町にある Miho Museum

4月6日(木)、滋賀県甲賀(こうか)市、信楽(しがらき)町の山中にある Miho Museum に行ってきました。信楽は関西地方で陶芸村としてよく知られています。 Miho Museum は二つのことで有名です。第一に、ミュージアムの設計者が世界的に著名な建築家の中国系アメリカ人 I. M. ペイ(1917-)だということです。ペイは、フランスのルーヴル美術館のガラスピラミッドや米国ワシントン D.C.にあるナショナルギャラリー東館を設計しています。Miho Museum も三角構造のガラス屋根など、彼の建築の特徴をよく表現しています。このミュージアムの設計テーマは中国の桃源郷といわれ、曲線状のトンネルを通り抜けてミュージアムに至る構造になっており、桃源郷に行くような感覚を味わうことができます。 第二は、古代から現代まで、西洋から東洋まで膨大な遺物を所蔵していることです。ギリシャ、ローマ、エジプト、中近東、ガンダーラ、中国などの美術品2000点以上を保有しています。常設展示館は南館にあり、エジプト、西アジア、ギリシャ、ローマ、南アジア、中国、ペルシャの部屋に分けて展示しています。特に紀元前13世紀のエジプト第19王朝時のホルス像が有名といわれますが、私にはすべての展示品が物珍しく映りました。 訪問したときの特別展は、京都の名刹・大徳寺龍光院所蔵の遺物展でした。ふだんは非公開の茶道関連の宝物が多く出展されているせいか、茶道などに関心の高い日本人客が列をなしていました。特に、日本で国宝に指定されたものが三点しかないという黒の曜変(ようへん)天目茶碗(13世紀、宋)が出品され、たいへんな人気でした。 Miho Museum は、合計30万坪の敷地と展示館の床面積5800坪ほどの規模です。険しい山地に、桃源郷をテーマにこのような建築物を創ること自体が芸術だと思います。このミュージアムは、宗教団体の神慈秀明会を設立した小山美秀子(1910-2003)が1997年11月に開館しています。

126 시가현 고카시 시가라키쵸의 산속에 있는 미호뮤지엄

4월6일(목)엔 시가현 고카시 시가라키쵸의 산속에 자리 잡고 있는 미호뮤지엄에 갔다. 시가라키는 간사이지역에서 유명한 도예 마을이다. 미호뮤지엄이 유명한 것은 두 가지이다. 먼저 이 뮤지엄을 설계한 사람이 세계적인 건축가인 중국계 미국인 아이엠 페이이다. 페이는 프랑스 루브르미술관의 유리 피라미드, 워싱턴의 내셔널갤러리 동관을 설계했는데, 이곳 뮤지엄에도 삼각구조의 유리지붕 등 그의 건축 특징이 잘 표현돼 있다. 특히 이 뮤지엄의 설계 …

125j 済州四・三事件の71周年慰霊祭

4月に入っても寒い日が続き、ここ数日の最高気温は11-12度です。風も吹き、冬に戻ったようにも感じます。大阪の気象庁が開花宣言した3月27日から1週間過ぎたというのに寒い天候のため、あえて花見に出かける気も起こりません。開いた桜の花もまた冬のコートのなかに入ってしまうのでは、と思われるほどです。 こういう春の天候を韓国では「春来不思春(春が来たのに春らしくない)といいます。日本にもよく似た表現があるようで、日本語の「花曇り」「花冷え」は桜が咲くころの寒い天候をいうようです。 4月3日の大阪の天気がまさに「春来不思春」であり「花曇り」でした。そんなうら寂しい天気のなか、大阪天王寺区にある統国寺で済州四・三事件の71周年慰霊祭が催されました。昨年11月、この寺に日本初の四・三犠牲者慰霊塔が建立されました。 大阪総領事館からも私を含め職員10人がこの地で初めて開かれる慰霊祭に出席しました。犠牲者のご家族、この地の市民で構成された慰霊祭実行委員会の関係者、民団・総連関係者を含め約50人が集まりました。統国寺の僧侶による読経に続き、順に焼香と参拝が約1時間とり行われました。 済州を除き、大阪が四・三事件と最も関係が深いせいか、済州KBSも韓国から取材に来ていました。慰霊祭が終わった後、インタビューの要請があり応じました。総領事館の職員が初の慰霊祭に参加した意義と総領事館としての四・三事件の被害者に対する支援策などについて尋ねられました。私は「総領事館だけでなく、被害者、市民、民団、総連関係者がみな集まって慰霊祭を催し、いささかなりとも犠牲者とご家族の慰めになったかと思う」とし、「韓国政府の方針に沿いながら、この地の市民、ご遺族と意見を交わし、役立つ案を検討したい」と述べました。 慰霊祭を終え、遅々としていても歴史が一歩一歩前進しているのを感じました。

125 통국사에서 열린 제주 4.3사건 71주년 위령제

4월인데도 날씨가 춥다. 요즘 몇일 최고기온이 11도, 12도 정도다. 바람까지 불어 겨울이 다시 온 듯한 느낌이다. 오사카에서 벚꽃이 피었다고 기상청이 발표(3월27일)한 지가 알주일이 지났는데도 쌀쌀한 날씨 때문에 꽃 구경할 엄두도 나지 않는다. 피었던 꽃도 다시 외투 속으로 들어가지 않을까 생각한다. 한국에서는 이런 봄날씨를 '춘래불사춘(봄이 왔지만 봄 같지 않다)'이라고 한다. 일본에서도 이와 비슷한 표현이 있다. '花曇り(하나 …

124j 韓国の大阪総領事として初めて生野区を訪門

大阪市には行政区域として24の区がありますが、大阪市の区は東京都や韓国のそれとは法的地位が異なります。区役所の長(区長)は選挙で選ばれず、大阪市長が任命します。大阪市の区には議会もありません。 24区の一つ、生野区には植民地時代(1910-45)から在日コリアンが集住しています。そのコリアタウン(旧朝鮮市場)は、平日でも韓国の文化やフードを楽しむ日本の若者たちでにぎわっています。政治的に日韓関係が悪いときでも、コリアタウンにはそれをまったく感じさせない熱気があります。 生野区の人口は現在約13万人、韓国籍・朝鮮籍の在日コリアンは約2万2千人です。中国・ベトナム国籍者を含め、約2万8千人が外国人です。以前は住民の約4分の1が在日コリアンでした。最近は帰化などによって割合が低下していますが、大阪の他の地域に比べ、在日が圧倒的に多い地域です。 3月27日に生野区役所を訪ね、山口照美区長にお会いしました。韓国の大阪総領事が生野区を訪門したのは今回が初めてだそうです。民間出身の山口区長は公募で選ばれ、2017年4月から現職についています。 生野区は歴史的・伝統的に在日コリアンの集住地域なので、互いに協力し、ここを日韓協力と多文化共生の発信地にしていくよう、私は山口区長に提案しました。また、多くの在日コリアン子弟の民族教育に格別の関心を傾けるようお願いしました。同席したオヨンホ民団大阪本部団長も、在日に対する福祉・教育・商業活動ほかの生活支援に尽力してほしい旨要請しました。 山口区長は、生野区が大阪市で外国人の居住率が最も高い地域であることを強調し、積極的に協力する旨を明らかにしました。

124 한국 총영사가 처음으로 찾아간 이쿠노(生野)구청

오사카시에는 구가 24개 있다. 그러나 오사카시의 구는 도쿄도나 한국과 법적 지위가 다르다. 구청(구약소)의 장을 선거로 뽑지 않고 시장이 임명한다. 구에는 구의회도 없다. 24개의 구 가운데 이쿠노구가 있다. 식민지 시대부터 재일동포들이 집단 거주하는 곳이다. 이곳에 있는 코리아타운(옛 조선시장)에는 평일에도 한국의 문화와 음식을 즐기려는 일본 젊은이들로 북적인다. 정치적으로 한일관계가 나쁘지만 코리아타운에서는 그런 분위기를 전혀 느낄 수 없을 …

123j 朝日新聞大阪本社で藤井代表と談論風発

日本の新聞で最も長い歴史を誇る朝日新聞は、1879(明治12)年に大阪で発祥しました。ですから、ことし1月に行われた創刊140周年記念行事も、東京ではなく、大阪の中之島にある朝日新聞大阪本社で行われました。 朝日新聞大阪本社ビルは、フェスティバルシティと呼ばれる中之島フェスティバルタワー東地区にあります。四つ橋筋の道路を挟んだフェスティバルタワー西地区にはコンラッドホテル、香雪美術館ほかの文化施設、ショッピングやレストランなどが入っています。 二つの建物は、地上で道路を挟んでいますが、地下で通じている一つのビルタウンです。大阪のランドマークの一つ、このツインビルの所有者が朝日新聞社なのです。このビルを見ても、朝日新聞社の財力基盤の堅固さがうかがえます。 朝日新聞社の出入口は13層にあります。9階が役員室、12階から10階に編集局などを配しています。13階の出入口前には、朝日新聞の歴史を象徴する二つのものがあります。一つは創刊号を印刷した手動の印刷機であり、もう一つは現存する最古の木板でできた新聞社の扁額です。これらの展示物を見ても、朝日新聞社がいかに長い歴史を持っているか端的に理解できます。 3月26日の訪問は、私にとって赴任直後に訪問して以来二度目の訪問になります。最初は赴任後一ヵ月も経たない時だったので戸惑いましたが、1年ほど過ぎた今、あれこれ見えなかったものが見えてきました。ふと、詩人ナテジュの詩「草花*」を思い出しました。 * 자세히 보아야 예쁘다. 오래 보아야 사랑스럽다. 너도 그렇다.  - 나태주, 풀꽃 今回の訪問は、前回の訪問後すぐに代表が交代したのに互いに時間の調整がつかずにいたところ、ようやく時間がとれて実現したものです。藤井龍也代表は非常に喜んで迎えてくださいました。私が新聞社出身のせいか、自由なふんい気のなかで、最近の日韓関係、米朝関係、文化交流、大阪地方選挙などの話題について、しばし談論風発となりました。

123 오사카에서 발상한 아사히신문의 창간 140주년

일본에서 가장 오랜 역사를 자랑하는 아사히신문의 발상지는 오사카이다. 그래서 올해 1월, 창간 140주년 기념행사도 도쿄가 아니라 오사카의 나카노시마에 있는 오사카본사에서 했다. 나카노시마에 있는 오사카본사 건물은 페스티발시티로 불리는 쌍둥이 건물의 한 채인 페스티발타워에 있다. 요츠바시스지를 사이에 두고 있는 페스티발타워 웨스트에는 콘래드호텔과 고세츠미술관을 비롯한 문화, 쇼핑, 음식점 등이 들어 있다. 두 건물은 지상은 도로를 사이에 두고 있지만, …

memo: 反時計回りにまわる人びと

この作品の時代設定は、第1章が2040年、第2章が1980年、第3章が2020年となっています。未来・過去・現在を往き来しながら人びとの記憶の領域を探り、記憶と景色の関連と情感、記憶と時間の揺らぎを描くことで、人間の記憶について観察しようとしました。認知症患者を扱ったのは、彼らにおける記憶と時間、記憶のなかの景色との関係が示唆的だと考えるからです。全体として現代社会の様相を描写したつもりですが、成功したかどうか自信のほどはありません。 以下、各章の導入部を掲載します。 I. 2040年 2039年の冬至の夜、旧ターミナル駅の構内は老人たちで溢(あふ)れていました。みな静かにアルゼンチンタンゴを踊っています。男と女、男と男、女と女が抱擁しては離れ、ゆっくりとまた早く、一団となって反時計回りに回っています。時間の流れに抗(あらが)うかのように、老人たちがタンゴを踊りながら回っています。 よく見ると、ドームの真ん中に老人が一人ぽつねんと立っています。いかにも弱々しく、今にも倒れそうな格好で腰をかがめ、かろうじて立っています。その光景を目にしたとき、一瞬意識が途切れたような気がしました。そして、我に返るや、私は老人の虜(とりこ)となって彼を追いかけていたのです。 以来、私はその老人を見かけるとすぐ後をつけ、しだいに彼を中心に時間が回るようになりました。なぜそんなに老人を追いかけるのかわからないまま、自分が観察したものを細大漏らさず記録することにしたのです。以下の報告は3ヵ月余りに及ぶ断続的な観察にもとづいています。□□□□□ II. 1980年 2040年ごろ一人の老人の虜(とりこ)になった私は、約60年前にカナダでまったく同じ行動を取っていました。ただ、その後、私は認知症患者と診断され、カナダに滞在していたことすら定かではなくなりました。以下の記述は、当時の記録と記憶の断片をつなぎ合わせ、再現しようとしたものです。この辛い作業を通じて、1980年当時の私はすでに認知症を発症していたと確信するようになりました。 認知症の患者は、決してすべての記憶を失うことはありません。最近の記憶が定着しないだけで、その人の過去における記憶とそれに付随する景色は鮮やかに保存されています。その特徴の一つは、記憶のなかの時間軸と目の前にある光景が結びつくことにあります。そのため、自分がいまどの時点にいるのか、どこにいるのか区別できなくなります。いわば、時間と景色の混濁が起きるのです。□□□□□ III. 2020年 コンビニ教が他の宗教ないし無宗教派と異なるのは「動く教会」を持っていたことです。それは、老人たちの住みかと地域の教会ビルを結ぶ交通機関である地下鉄の別名です。地下鉄は、他の地域でも大都市にみられる交通手段ですが、コンビニ教徒はこれを独特な教会に仕立てたのです。□□□□□

一匹の黒犬

檜原村千石バス停から大滝と綾滝沿いのハイキングコースをMTBを押しながら登っていった。4週間前に友人が馬頭刈尾根に置いたMTBを取りに行き、そこから前回果たせなかった下りを楽しむためだった。 バス停から続く舗装された林道が途切れ、登山道に入ってすぐだった。細い渓流の反対側の斜面をすべるように下りながら、何かに向かって吠える黒犬を見た。 滝から落ちる渓流沿いの道は岩が多く段差も激しい。MTBを押していくのはつらい。綾滝の女性的な水の流れを愛でる余裕もなく、ひたすら登っていった。途中、何人かに道を譲り、いつも遅れぎみの友人にも先に行ってもらった。 つづら岩近くの稜線に差しかかる少し手前だった。先行するハイカーが止まり、下る人に道を譲るようにみえた。そこに現れたのはヒトではなく、登山道に入ってすぐのところで見た黒犬だった。 犬に道を譲ろうとしたが、黒犬は動こうとしない。僕が登っていくと、どうしたことだろう、黒犬がもと来た道をもどり、僕を先導するかたちになった。僕が数歩進んで立ち止まると彼も止まって、僕を見ている。黒毛でおおわれた股間に濡れたピンク色のペニスをのぞかせていた。 賢そうな表情をしたラブラドールの老犬だった。よだれをたらし、やさしそうな茶色の眼でじっと僕を見つめている。首輪にアンテナのようなワイヤーが付いており、喉のあたりで小さな光が点滅している。飼い主が近くにいて、交信しているのだろうと思った。 こうして、彼は僕を尾根道まで案内してくれ、つづら岩の下に着いていた友人と僕が話しているあいだにいなくなった。友人のMTBを置いてあったところで昼食をとったあと、二人で大岳山から鋸山に続く稜線をめざした。 40分ほどMTBを押し歩き、急峻な岩場を半ば登ったところで、二人のペースでは明るいうちに下山できない、と判断した。友人が岩場の手前に着くのを待って「引き返そう」と言った。彼もすぐに同意した。前回の無謀な暗夜行があり、二人とも慎重になっていたのだ。 馬頭刈尾根に沿って昼食をとった場所に引き返し、そこを通過して尾根を進み、二人それぞれのペースで、前回と同じく茅倉へ下る道を進んだ。下り始めてしばらくすると、うしろに誰かついて来るような気配を感じた。振り返ると、あの黒犬が僕に従うかのように立っているではないか。 僕が進むとついて来て、1-2mうしろで止まる。先に行くように身ぶりと複数の言語で伝えても、じっとこちらを見ているだけで動こうとしない。正直なところ、不気味な感じがしないではなかった。乗れるところは少し無理してもMTBで走りぬけ、振り切ろうとしたが、すぐにまたピタッとついて来る。 こいつ、己を何だと思っているんだ。己はおまえの飼い主ではないぞ。なぜついて来るんだ。何かをねだろうとしているのか。水がほしいのだろうか。何度か水をあげようとしたが、器を出すことなどを考えると面倒でやめた。そうこうするうちに、沢を渡ったので、そこで飲めばいいと思った。 MTBで走りながら、倒木をよけようとして転倒したことがあった。自転車のフレームからようやく脚を抜いて振り返ると、彼がおすわりをして僕のほうを見ていた。こんなふうにして約1時間半、一匹の黒犬と一緒に山道を下っていくなかで、いつしか彼に親しみを抱くようになった。 山中で飼い主とはぐれ、道に迷ったに違いない。僕がどこか飼い主に似ていたのかもしれない。とにかく、僕のことを気にいったのだ。僕も職を失ったから、道に迷ったようなものだ。迷った者どうしではないか。そんなふうに考えながら、下りつづけた。 林道に出る少し手前で、廃屋の庭に立っていた老人が急に近づいて来て、犬の名前を呼んだ。老人は無線で誰かに「ハイカーと一緒におりてきた」と話していた。やはり、彼は山中をさ迷っていたのだ。老人は「めったにヒトになつかない犬なのに…」と言った。僕は、黒犬の喉元をさすり、別れのあいさつを交わすと、ひとりで林道に出た。 2017年10月

闇の恐怖と山の神々

十里木のキャンプ場にクルマを駐車して自転車を組み立て、小滝と大滝を横に見ながら馬頭刈尾根をめざした。大岳山に続く稜線だ。登山口を出発したのは10時30分ごろで、林道が終わり、山道に入ったのが11時ごろだったろう。計画では2時間後に稜線に達する予定だった。 大滝で大岳山から下ってきた修験者の男女一行十数人とすれ違った。ホラ貝を持った修験者装束の男に、自転車をかついで1時間か、とあざ笑うように言われた。相棒の体力消耗がいつになく激しく、川沿いを沢登りのように続く岩場の手前で12時45分ごろ休憩をとった。昼食をとり、バーナーでコーヒーを淹れるまではいつもどおりだった。 ところが、せっかく淹れたコーヒーを僕が半分以上こぼしてしまった。振り返ると、あれが悪い前兆だったかもしれない。おいしいベトナムコーヒーなのに残念だった。午後1時半ごろ出発し、沢沿いの山道を自転車を押し、岩場はかつぎながら進んだ。その後、何組かの下山者とすれ違った。その1人は、自転車を持ってこれ以上登るのはムリだと語気強く言った。だが、僕らは計画どおりに登っていった。 相棒の遅れが時間とともにひどくなり、僕のいら立ちが激しくなった。彼の身体は何を言われても応じられない程度まで弱っていたのだが、僕は声を荒げて叱咤した。何度か、自分の自転車を置いて戻っては彼の自転車を押して登り、それを置いて、また自分の自転車を押して進んだ。 大岳山から御前山に続く稜線がくっきり見え、遠くの山々が雲に浮かんで見えた。そんな光景が夕焼けに燃えて消えると、急に風が肌寒くなった。暗くなる前に下山することはできそうにない。相棒は自転車を押す力もなくなり、山中に置いていくと言った。 道標にチェーンキーで自転車を固定するにもかなり長くかかった。体力の限界に達していたのだ。道標に立てかけた自転車からライトをはずすのにも時間を費やした。体ひとつになっても脚も上がらないし、歩行速度はさらに落ちた。御前山の方角に日が沈むと、急速に暗さを増した。彼の気力もしだいに萎えていった。 午後6時半を過ぎると、山中は真っ暗になった。自転車に付けたライトが照らすスポットの周囲が刻々と暗さを増し、漆黒の度合いが深まっていった。途中、何度か立ち止まって、後ろにいるはずの相棒の名を呼んだ。しかし、何度呼んでも応答がないことがふえた。一度などは、15分以上呼び続けて、ようやく闇の向こうに揺れるライトを見たが、近づいたかと思ったら消えてしまった。 いてもたってもいられず、彼が来るはずの山道を引き返した。その前後、恐怖はピークに達した。付近にはクマが棲息しているのだ。ライトが照らす闇の向こうに二つの眼が光ったら、と思うだけで恐怖が増し、相棒を呼び続ける声がしだいに怒気を帯びた。そんな状況のなか、30歳ごろに経験した闇の恐怖を思い出した。 夏の終わり、急に思い立って新宿発23時55分の中央線に乗ると塩山で降り、バスで西沢渓谷の登山口まで行った。そして、暗闇のなかを渓流の瀬音を崖下に聞きながら歩いた。 一時間ほど快調な足どりで歩いたものゝ、崖下に落ちる不安、何者かに襲われる不安などが重なって進めなくなり、倒れこむように山道の傍らに仰向けになった。 ところが、これが不安を倍加した。樹木が揺れる音が急に大きく聞こえ、野生動物の跫音になり、獰猛なヒトの気配になって襲ってきた。恐怖に震え、そこから逃れようとして、また歩き始めた。前回はひとりで今回は二人だったのに、同じような恐怖感に襲われた。 相棒が足を引っ張ったと思い修羅界に陥ったことが妄想を駆り立てたのだろう。数日前から得体の知れない何かに怒っていたのはお前ではないか。鶴脚峠にたどり着いたとき、茅倉方面に下ることを確認し、僕が先に下山してクルマで相棒を迎えに来ることにした。暗闇のなか、ハンドルに付けたライトだけを頼りに自転車を押し、飛ぶように駆け抜けた。 身体が震え、何度も転び、道を見失うたびに不安を募らせながら下った。動物的な感覚だけが、疲れきった身体と萎えた気持ちを衝き動かしていたといえる。遠く暗がりのなかに黄色い街灯を見たときは助かったと思った。街灯が見え隠れしながら、そのあとも長く暗闇のなかを駆け抜けた。 人家の灯が見え道路に出たのは、暗くなって約2時間後だった。公道に出ると、両輪に蔦がからまって異音を発しているのに気づいたが、直す気力もない。一刻も早く、クルマを停めてあったキャンプ場の駐車場に行かなければならないからだ。 途中、コンビニ教会に寄って、2L入り飲料を2本買い、司祭にキャンプ場の場所を教えてもらった。一気に飲料を飲み込むと、ようやく正気を取りもどした気がした。そこから駐車場まで、公道とはいえ暗がりのなか、相方の飲料を片手に、ふらつきながら走った。駐車場にゲートがなくて幸いだった。クルマに自転車を積むとすぐ発車し、途中、交番のインターホンでルートを確認して千足のバス停へと急いだ。 そこで相方と落ち合うことにしていた。9時過ぎに着いたが、彼の姿は見えない。何度か電話をして無事を確認し待ち続けた。9時40分ごろ、登山口付近に夢遊病者のような老人がふらつきながら現れた。暗くて判別できないが、顔面蒼白に見えた。彼が飲料を飲み込み、バス停近くにあった暗がりで着替えをし終えると、すでに10時を回っていた。とにかく、二人とも大きなケガなく無事でよかった。 山の神々に心から感謝の祈りを捧げたい。暗闇で感じた恐怖心は神々に対する畏怖心を映したものなのかもしれない。 2017年2月

122j 日本に自然災害の恐怖があるように戦争の恐怖がある韓国

東京には日本記者クラブ(JNPC)があり、大阪には関西プレスクラブ(KPC: Kansai Press Club)があります。JNPCは全国組織で、新聞・放送・通信社や記者などが参加する会員制の非営利団体です。 KPC*もJNPCと似ていますが、会員を関西地域に拠点を置く報道機関と企業や大学等に限定しています。JNPCとは別の独立した団体であり、関西からの情報発信強化をめざしています。いずれの団体も、ニュース性のある人物を招待して講演会を催すことを主な事業にしています。 *KPCの前回講演: 京都大学IPS細胞研究所長の山中伸弥教授(2月1日) 3月13日、関西プレスクラブにて「ムン・ジェイン政府と韓半島の平和政策」というテーマで講演を行いました。このような講演は準備も必要なため、ふつう1ヵ月以上前に日程を決めます。私も1ヵ月以上前に要請を受けましたが、その時点で2月末のハノイ米朝会談開催も決定されていました。進展した合意に至ることが確実視されていたので、喜んで、軽い気持ちで要請を受けました。 ところが、講演会を前に事態が急反転しました。ハノイ会談は期待された合意に至らずに会談を終えたのです。このため、講演内容を当初の考えから大きく修正しなければなりませんでした。精神的な負担も大きくならざるを得ませんでした。 悩んだ末に、朝鮮半島におけるこれまでの状況と、ムン・ジェイン政権が推進する朝鮮半島政策内容とその背景、ハノイ会談以後の展望と日本の役割等について解説することにして準備しました。多くの国々のなかで、特に日本は朝鮮半島の平和の流れに対し冷たい視線を送っているように思われます。このような時こそ、より積極的に朝鮮半島で起きている変化を知らせる意味が大きいと考えたからです。最近、日韓関係は歴史問題をめぐって困難な時期にあります。だからこそ、日本の市民や言論人等と活発にコミュニケートする必要があるとも考えました。 講演では、日本にあまり知られていない韓国政府の考え方、大統領の哲学、政策の背景に重点を置くことにしました。例えば、日本に地震や台風などの自然災害に対する恐怖が大きいとすれば、韓国には日本の災害に相当するものとして戦争の恐怖があることを知ってほしいと考えたのです。民主主義と市場経済という共通の価値観と制度を共有する韓国と日本の協力が、朝鮮半島の平和構築プロセスに非常に重要であることも強調しました。 約50分の講演後に設けられた質疑応答の時間、質問は予想どおり日韓関係に集中しました。私は「現在の日韓関係は天気でいえば、雪が降っている状態ですが、いつしか雪がやむ時期が必ずやって来ます」と話しました。また、基本的な歴史認識の違いがある歴史問題は容易に解決できない、互いをよく知り、協力しやすい経済・文化・人的交流をさらに強化しながら改善を図っていくことが望ましい、という意見を述べました。 プレスクラブの講演のせいか、複数の地方紙や放送局が講演内容を記事にしました。その一つ、NHKの報道をご参照ください。 https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190313/0013444.html

非現実的な、あまりに非現実的な韓国ドラマ(6)

韓国ドラマ Because this is my first life (이번 생은 처음이라  日本版: この恋は初めてだから) が文句なくおもしろかった。 主人公のセヒは学生時代に女性と同棲していた。その女性が妊娠し結婚を決意するが、両親の強い反対に遭って孤立するなか女性が流産し、二人は別れた。その後、彼は両親と訣別し、非婚を選択する。彼女とのことが彼を人間嫌いにさせたのだろう。 その後、彼は 2LDK のマンションを購入し、ローン返済のため、その1室を独特な契約にもとづいて会社の同僚に貸与する。その同僚が契約違反で追い出され、新しい同居人を探す。友人の紹介で候補者が現れ、名前のジホから判断して男性と思ったが、やって来たのは女性だった。 セヒは理づめで考える合理主義者で、少し変わり者である。恋愛と結婚カップリングに関連するSNS開発会社で、有能なチーフプログラマーとして活躍している。同じ会社のマ代表は学生時代からの親友だ。 非婚主義のセヒは一匹の猫を飼っている。名前はなく、コヤンイ(韓国語で猫の意)と呼ばれている。同居人はごみの分別に協力するほか、猫に餌を与え、世話しなければならない。私生活には一切干渉せず、ほとんど会話もない。家主と借家人の関係を契約に定めている。 借家人の候補者ジホは地方出身でS大学国文科を卒業した秀才だが、今は無名の脚本家だ。弟が結婚して実家に住めなくなり、部屋の確保が切実だった彼女は、男性と同居すべきか悩んだ末、家族や友人にはそのことを告げずに契約に署名する。 こうして、二人の男女が家主と借家人という関係で一つ屋根の下に住むことになる。家主は三十代後半の独身主義者で、借家人は恋愛経験のない三十歳の女性である。そんな二人が時間とともに近づき、親しくなっていくが、越えがたい部分が露呈され距離が遠ざかることもある。そして、セヒとジホは互いに引かれていく。 セヒは結婚に対する親の圧力を避けるためという理由で、家賃の割引を含む契約結婚を提案する。職を失っていたジホはその提案を受け入れ、実際に結婚式を挙行し互いに親族を紹介する。ただし、家主と借家人という関係はそのままである。 こういう特殊な契約関係にある二人の気持ちの揺れが、真摯であるがゆえにコミカルに映る。ジホの高校時代の親友とセヒの親友のマ代表が二人を見守りながら、うまくリードしていく。男どうし女どうしの友情もうるわしい。 登場人物のセリフがよく吟味されている。マ代表と脚本家志望のジホのセリフがとくに味わい深い。恋愛感情の機微や韓国らしい友情関係、男性の嫉妬や会社内のセクハラなどもよく描写している。 賃貸借関係を土台にした契約結婚は非現実的ではあるが、その設定が男女関係の気持ちのずれを効果的に見せてくれる。しいて言えば、主要な登場人物が、例によってすべて関連づけられ、セヒとジホそれぞれの友人がみな結婚するハッピーエンディングはあまりに非現実的ではある。

122 KPC에서 문재인 정부와 한반도평화정책에 대해 강연

도쿄에 일본기자클럽(JNPC)이 있다면, 오사카에는 간사이프레스클럽(KPC)이 있다. 일본기자클럽은 전국 단위의 조직으로, 신문, 방송, 통신사 및 기자 등이 참여하는 회원제 비영리단체이다. 간사이프레스클럽은 성격이 비슷하지만, 지역적으로 간사이에 거점을 둔 언론사와 기업, 대학 등에 회원을 한정하고 있다. 간사이지역의 정보 발신 강화를 목표로 하고 있는 조직으로, 일본기자클럽과는 별개의 독립 단체이다. 두 단체 모두 뉴스가 될 만한 인물들을 초청해 강연회를 하는 …

121j 大阪にある国立大学法人の大阪教育大学

大阪には総合的な教師養成機関、国立大学法人の大阪教育大学があります。韓国の教育大学が主に小学校の教員を養成するのに対し、日本では幼稚園から高校の教員までを養成します。 大阪教育大学は学部の教員養成課程のほか、教育心理学・健康安全科学等を専攻する一般課程も設けています。附属学校だけでも幼稚園・小・中・高を含め11校あり、全国的に知られた天王寺高等学校も大学附属学校の一つです。 大阪市からみて奈良県寄りにある柏原市の山すそに主キャンパスがあり、大阪市内の天王寺にもキャンパスがあります。12日、私は大阪教育大学の柏原キャンパスを訪問しました。ちょうど後期入試の日だったので、出入りの手続きが少し面倒でした。キャンパス内を車で進みながら、上り坂を登る学生は大変だろうなと思いました。登って振り返ると、正門から山の上のキャンパスまで長いエスカレーターがあるのに気づきました。 この大学は学生と教授等を含め5千人規模の大きな教育大学で、卒業生の約60%が教職に就くといいます。教職は労働時間が長い重労働のため、教職以外の仕事に就く卒業生も多いそうです。東京・大阪等の大都市にある教育大学にこの傾向が強いようです。 栗林澄夫学長によれば、大阪教育大学は韓国のソウル教育大学、梨花女子大学、全州教育大学、忠南大学、公州大学、清州教育大学、大邱教育大学、大邱韓医大学等と学生交換交流を実施しており、多文化共生時代に備えるためにも、今後は近隣の韓国と交流を盛んにしたいとのことです。 学長はまた、柏原地域は植民地時代(1910-45)に強制徴用された韓国人が多く住んでいた地域で、人権運動も活発だったと述べました。古代に朝鮮半島からの渡来人が最初に到着し、大和川沿いに奈良に移動した地域でもあるそうです。 こういう経緯を思い起こして日韓の長い交流の歴史を見るならば、最近の対立など一瞬のことで、相互理解と交流が重要であると、学長は強調されました。日韓関係がよくないため、肩の荷が重いときにこのような言葉を聞くと、心底から温まるような気がします。 この大学には二つの特色があります。一つは全国共通の利用施設、学校危機メンタルサポートセンターを運営していることです。2001年に同大学附属池田小学校では、凶器を持った襲撃犯が生徒8人の殺害を含む23人を殺傷する事件が発生しました。この事件を契機に同センターを建設したのです。もう一つは、学生間のいじめや不登校等の問題に対処するための連合教職大学院を運営していることです。この大学院には関西大学と近畿大学が共に参加しています。  

非現実的な、あまりに非現実的な韓国ドラマ(5)

なぜ僕は韓国ドラマをみて「非現実的」と感じ、それにいら立ち、怒りさえ感じるのだろうか。 非現実的な…韓国ドラマ(1)に記したとおり、韓国ドラマがすべて「非現実的」とは思わない。ここ数年では次のドラマを大いに気に入り、感想を書き止めている。 킬미 힐미 바보랍니다 “Gloria” 도희야: a girl at my door このほかにも好きなドラマがある。올인(オールイン)、목욕탕 남자들(銭湯の男たち)、허준(許俊)、대장금(大長今) 、월계수 양복점 신사들(月桂樹洋服店の紳士たち)などである。ホームドラマ、歴史物、アクション物など多様なドラマを見ている。では、僕は何を好悪の尺度にしているのだろうか。 社会描写と分析の明快さ、韓国ドラマの常套手法(社会的階層を個々人に投影し、その個人がそれぞれの階層を代表しているように見せる方法)を意識的に行っているか 常套手法を使っていてもよいのだが、テーマが明確で、制作関係者のあいだでテーマに接近する方法が深く共有されているか 心理描写の精緻さ、吟味された登場人物のセリフ、理屈っぽくならない程度の精緻さを持たせているか 交通事故、記憶喪失、肉親探し、復讐、詐欺被害、親子間の葛藤、異階層間の男女の恋愛などをいかに必然的に使っているか (常套手法の)非現実性が社会のある側面を描写するため意図的に設定され、その意図するものが有効に描かれていればよいのである 逆に、非現実性がさしたる意図なしに常套であるゆえに導入されている場合、非現実性は単にドラマの型の一つに過ぎず、僕のような視聴者を辟易させるのである 韓国ドラマに関するきわめて主観的な観察を5回にわたって投稿してきました。要するに、僕は韓国ドラマの熱心なファンの一人なのです。

121 종합적인 교사양성기관인 국립대학법인 오사카교육대학

오사카에는 종합적인 교사양성기관인 국립대학법인 오사카교육대학이 있다. 한국에서는 교육대가 주로 초등학교 교사를 길러내지만, 일본에선 유치원에서부터 고교 교사까지를 망라해 양성한다. 오사카교육대학은 학부에 교원양성과정과 별도로 교육심리학, 건강안전과학 등을 전공하는 일반과정도 두고 있다. 부속학교만도 유치원, 초, 중, 고를 포함해 11개나 된다. 전국적으로도 명문으로 꼽히는 텐노지고등학교도 이 대학의 부속학교이다. 캠퍼스는 오사카시에서 나라 쪽으로 떨어진 가시와라시의 산자락에 주 캠퍼스가 있고, 오사카 …

120j 三一運動から百年

ことしは三一運動(1919年)から百年になります。韓国(当時は朝鮮)で三一運動が起きる前、東京にいた韓国人留学生が2.8独立宣言を発表します。これが起爆剤となり、三一万歳運動を経て4月11日に上海で韓国臨時政府が樹立されます。このような歴史的経緯をもつ三一運動の百周年を迎える在日コリアンには格別な思いがあると思います。 三一運動に先立つ2.8独立宣言は東京を中心に進められました。そのため、他の地域は深い関係がないと思われがちですが、大阪総領事館の所管地域にも三一運動の意味を振り返る機会と催しがありました。 2月14日、大阪総領事館と韓国散文作家協会の共催で、尹東柱および彼とその詩を日本に紹介するのに尽力した日本の詩人、茨城のり子の二人を追悼する行事を開催しました。大阪韓国文化院では、尹東柱の詩のハングル書芸展を開催しました。尹東柱は三一運動に関与していませんが、非暴力と平和共存を訴えた三一運動の精神は、尹東柱の生と詩精神に通じるものがあると思います。 例年、 三一節には大阪総領事館の所管する2府3県(大阪・京都府、滋賀・奈良・和歌山県)において民団主催の記念式典を催しています。ことしは総領事館の領事全員が各地域を分担して全地域に赴きました。韓国政府が三一運動百周年を意義深く考えていることを、体と行動で伝えたかったのです。 各地の民団も、映画 「密偵」を上映し(大阪)、講演会(京都・奈良・滋賀・和歌山)を催すなど 、例年とは違う工夫をこらしました。私は大阪民団の式典に出席し、以下のことに注目しました。従来とは異なり、表彰台を壇上に置かず参加者と同じレベルに設けていました。三一運動に限らず、脱権威主義、国民と協働するムン・ジェイン政府の政策が在日の社会にも定着しつつあることを実感しました。 式典の開始前には、民団が自主製作した三一運動百周年の日韓関係史ビデオが上映されました。年月とともに歴史を忘れてしまう後続世代を教育するための自主努力だといえます。第三者の専門家が作る優れた制作物よりも、民団が自ら作る素朴な制作物のほうが貴重だと思いました。 日韓の政治的対立を心配するコリアンの声も多数聞きました。ことしの大統領スピーチでも、彼らは日韓関係に特に鋭く反応していました。最近の対立ムードのなかでスピーチがないことも心配されましたが、フタをあけてみると、今回のスピーチに日本批判はなく、未来志向の協力を強調する内容がほとんどでした。彼らの表情と言葉に安堵(あんど)し歓迎するムードを感じました。特に「過去の歴史は変えられないが、未来の歴史は変えることができる」という一節がコリアンの胸に響いたようです。

Newsweek 2002年3月18/20日を再読する

Newsweek 2002年3月発行の英・韓語版(3月18日号)と同日本語版(3月20日号)は、前年12月の明仁天皇のご発言に関する特集を組んでいます。表紙の文言はそれぞれ次のとおりです。 OLD SECRETS: Japan's Uneasy Encounter With Its Cultural Roots--In Korea 日本 천황은 半한국인: 아키히토 천황의 혈통고백 파문, 한국서 찾는 일본의 뿌리 天皇家と朝鮮: 明仁天皇が「封印」を解いた日本と韓国の深いゆかり 特集記事は、2001年12月23日の誕生日における明仁天皇のご発言「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると『續日本紀(しょくにほんぎ)*』(8世紀に編纂された国史)に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」にもとづいています。それぞれの冒頭ページの見出しとリード文等は次のとおりです。*Wikipedia Japanese are just beginning to come to grips with their Korean heritage. By George Wehrfritz and Hideko Takayama The Ties That Bind SHE WAS A DAUGHTER OF KOREA’S PAEKCHE KINGDOM, …

120 삼일운동 백년이 되는 해

2019년은 삼일운동(3.1운동) 100년이 되는 해이다. 국내에서 삼일운동이 일어나기 직전에 일본 도쿄에서 유학생들이 2.8 독립선언을 발표했다. 이것이 기폭제가 되어 3.1 만세운동을 거쳐 4월11일 상하이 임시정부 수립으로 이어졌다. 이런 역사적인 이유로, 삼일운동 100년을 맞는 일본의 재일동포 사회는 남다를 수밖에 없다. 믈론 삼일운동의 전조인 2.8 독립선언이 도쿄 중심으로 진행되었기 때문에 도쿄 이외의 다른 지역은 깊은 연관은 없다. 하지만, …