一茶: 花の山「41歳」メモ改稿

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「享和句帖」享和3年から「文化句帖」文化1年はほぼ西暦1803-04年に相当する。この時期に一茶が作句した花の句を一茶発句集から選出して月日順に並べ比較してみる。彼が数えで41歳のころである。「花の山」の意味を考えるため48歳と50歳以降の句を併載した。

文化1年3月と同7年3月の句を除き、花の雲・櫻の花・花の山が桜の季節でないときに詠まれている。彼の心象風景を描いたものだろうが、享和3年8月の句と短歌は作者が何らかの病を患っていたことを推測させる。

享和3年9月の句と同年12月の句さらに文化1年3月の句にある「花の山」が心象風景から待ち焦がれた現実の景色へ変化するのだが、せっかくの情景もあえなく雨に遭遇する。

「花の山」は、とくに作者の心象に表れるそれは一体何なのだろう。満開の桜に人々が群がる光景には見えない。心中の鬼が仏教の説く貪瞋癡*の三毒だとしたら、鬼は花の山に対してどんな作用を及ぼすのだろうか。

文化7年と10年(一茶48/51歳)の二句では「鬼も出て見よ花[の]山」「(花の山)心の鬼も出てあそべ」と、作者が鬼に呼びかけているから鬼はもう病魔たりえない。だとしたら、いったい何者なのだろう。鬼たちが見たり遊んだりできる「花の山」は花見のようでもある。

文政7年8年になると「花の山」は「気の薬」になり「せんたく所」にもなる。こうなると、腹中の鬼や心の鬼は精神的な病に関連しそれを癒す向精神剤のような効能があると見なしているようでもある。

40代と50代に一茶の句に現れる花の山はさまざまな人々が花につられて集まるところであり、その雑踏で多くの人と交われば心身の病も癒されるような気がする。雨に降られて行けないときは一層恋しくなるところなのだ。

*仏教では煩悩(慾望悩み)の要素をトン・貪欲、ジン・怒り、・無知をあげ三毒としている。

月日/前書き/俳句(歌「花の山」)n*
享38月30日晴 終南(中国陝西省 道教聖地)
花の雲あれが大和の臣口*哉
*句帖注に臣下を臣口とも読めるとある(小口オグチ)
享和句帖
3954
享38月30日晴
腹の中*に櫻の花や咲ぬらん夜ごと〳〵の夢にし見ゆる
*心の中の意か(4049参照) 享和句帖
享39月9日雨
タン病藥ミカンノ實皮葉・且艸(萱草)人参少加
あたら雨のひるふりにけり花の山 享和句帖
3949
享312月28日雨
又けふも逢ひそこなひぬ花の山 享和句帖
3955
化13月9日曇 角田川花見晝より雨
雨の日をよりも撰たり花の山 文化句帖
3957
化73月29日晴 (前略)布佐村に入神輿大小二つかき出して「阿波大杉大明神悪魔を払てよいやさ」と笛太鼓三弦にてはやしてさらに祭のさまをなす此里疫神の流行なる物からかくするといふ
腹中ふくちゆうの鬼*も出て見よ花[の]山 七番日記 *心中の鬼
4049
化109月14日晴酉刻バラ〳〵雨
花の山心の鬼も出てあそべ 七番日記
4087
化128月21日雨 墓詣旦仙六食 夜猫終死 野尻泊
にち〳〵のくそだらけ也花の山 七番日記
4107
化133月8日晴 河原別家入湯
去2月22日松代領案台村伎婦室玉屋秀八ト[云]者越後荒井宇之介ト云者ヲ石責ニス
おとろへや見た分にする花の山 七番日記
4115
政111月13日晴 夜髙田藤三郎来
かごかきは女也けり花の山 七番日記
4127
政13月12日晴 (前略)神仙丹五十文買直ニ行二倉村憑栄次郎三介沢ノ田一見ス
情強じやうごはを蒔そこなふ*[や]花の山
*置去りにしようとして失敗する
七番日記
4130
政25月16日晴時々雨 古間中飯
茶屋村の一夜に出来し花の山 八番日記
4148
政48月
花の山東西ひがしにし南北みなみきたの人 八番日記
4187
政73月14日 陰北風寒 舟不出北丘ニ入
江戸ごゑやあたり八間花の山 文政句帖
4241
政7正月12日晴 古間行日甫皈
第一ニ氣の藥也花の山 文政句帖
4249
政712月30日晴
名をしらぬ古ちかづきや花の山 文政句帖
4254
政710月29日陰
花[の]山命のせんたく所哉 文政句帖
4260
政82月10日晴
人来ればひとりの連や花の山 文政句帖
4274
*n: ふりがな小林一茶発句集春の部通番

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