旧題 a barking dog and the peach blossoms
一茶発句集のなかで「なぐさミ(み)」を含む句を拾い時系列に並べてみた。一茶における用法が浮かび上がってくる。手持ちぶさたや時間潰し、気晴らしに行う仕種を意味しているようだが、それだけではない。動物や人の行動の多くはとくに理由もなく<なぐさミ>にやっている、それが実相だとしたら、ありのままでよい、そんな含意があるように思う。
ほかの動物や人が<なぐさミ>にやったことが他の人(自分を含む)や動物に何らかの意味を持った行為に映ることがないだろうか。以下の句はどれもそんな多重性を含むように思われる。考え過ぎだろうか。
| 「なぐさミ(み)」を含む句 |
|---|
| 二三日ハなぐさミといふ蚕哉 文化句帖 化2 里犬のなぐさみなきや梅の花 七番日記 化10 蚊いぶしもなぐさみになるひとり哉 七番日記 化10 なぐさみに打としりつゝ迎鐘 七番日記 化12 柴漬や初手はなぐさみがてら迚 七番日記 化12 なぐさみ[に]野屎をたれる日永哉 七番日記 化13 なぐさみに馬のくはへる桃の花 七番日記 化13 なぐさみに螽のおよぐ湖水哉 七番日記 化14 なぐさミのはつち〳〵や秋日和 梅塵八番* 政1 なぐさミにわらをうつ也夏の月 八番日記 政2 なぐさミに鰐口ならす涼ミ哉 八番日記 政2 蠅はろふのもなぐさみや子の寝顔 風間八番* 政2 露の身ハなぐさミぞり[の]坊主哉 風間八番* 政4 なぐさミに風呂ニ入也五月雨 風間八番* 政4 なぐさミに猫がとる也窓の蠅 文政句帖 政5 なぐさミに蠅などとるや庵の猫 文政句帖 政5 門の犬なぐさミ吼や桃の花 文政句帖 政8 煤芥のなぐさみなきや梅の花 自筆本他 なぐさみに腹を打なり夏の月 嘉永版 |
| 資料: ふりがな小林一茶発句集ほか |
上の表で太字にした文政8年の句「門の犬なぐさミ吼や桃の花」について<吼や>を<ほゆや>と読んでみた。信濃毎日新聞社版全集ほかでは<ぼえや>と読んでいる。
その前書きは次のとおりである。
2月24日晴夜雨 田中ニ入駕四百五十文
作者は駕籠に乗っていたか、少し前まで乗っていたろう。近くで犬の吼え声が聞こえた。その吠え声がどこか自分を慰めてくれるようだ。こんなふうにも解釈できそうだ。なお、参考までに文政8年前後の一茶をめぐる状況は次のとおりだ。
…妻菊との死別、子どもたちの夭折、再婚相手との離婚、2度の中風と、一茶は様々な家庭的、身体的不幸の中で晩年を迎えていた。しかし2度の中風で身体的に不自由となり言語障害にも見舞われたものの、幸いにも知的能力は障害を受けなかった。文政8年、63歳の一茶は、不自由な体ながら竹駕籠に乗り204日と年の半分以上俳諧師匠としての北信濃の門人巡りをこなした245。[Wikipedia]
前書きに田中ニ入駕四百五十文とあり、駕籠のなかの作者を想定したが、駕籠に乗っていなくても上の解釈が成り立つだろう。また、朔太郎の「月に吠える」のように犬が桃の花に向かって吼えている情景を想像することもできる。この場合、犬は作者と重ねられ桃の花に向かうことで自らを慰める。
いずれの場合も中七の読み方は、音感的には<なぐさミほゆや>がいゝ。ただ、資料にもとづく確証はない。この句がこのような想像を抱かせる、ということが大事なのではないか。俳句が描くものはもっとも広い意味における心象風景を反映しているのだろうから。
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