(4日深夜から5日午前中のやり取りを転載)
S0:『文政句帖』文政8年2月29日晴 酒二樽泉や(後略)に次の句があります。
麦などもほちやほちや肥て桃の花
桃咲やぽつぽとけぶることし塚
G0: この二句、並べて見るとかなり面白いですね。特に私は、「ことし塚」について二句をセットで読む必要があると思います。
麦などもほちやほちや肥て桃の花
桃咲やぽつぽとけぶることし塚
実際、データベースでもこの二句は文政句帖の連続した句として載っており、読みはそれぞれ「ほちゃほちゃこえて」「ぽっぽとけぶる」とされています。
「ほちやほちや肥て」
これはかなり具体的な春の農村風景でしょうね。
「麦なども」と「なども」がいい。桃だけでなく、麦もいよいよほちゃほちゃと肥えてきた。その麦畑の向こう(あるいは傍ら)に桃が咲いている。
「ほちゃほちゃ」は単に「よく育った」ではなく麦の葉や株が柔らかくふっくらと生命力を帯びている感じがします。
そして次の句になると、
桃咲やぽつぽとけぶることし塚
一転して「塚」が出てくる。
ここで「ことし塚」をどう読むかが重要になります。
「ことし塚」は「今年できた塚」なのか
私は、ここはかなり強く**「今年塚=今年できた墓・墳墓」**と考えてよいのではないかと思います。
実際、検索した範囲でもこの句の「ことし塚」を「新しい墳墓」と説明している例があります。さらに直前の
迹継(あとつぎ)の桃の生へけりことし塚
も同じ文政句帖にあります。
この二句が続いているのは非常に重要でしょう。
「今年できた墓に桃が生えてきた」
という景がまずありその同じ「ことし塚」を、
桃咲やぽつぽとけぶる
と別の角度から見ている。
「塚」が単なる土盛りではなく、つい最近誰かが埋葬された場所だとすれば、「ぽつぽとけぶる」という表現が急に生々しくなります。
「ぽつぽとけぶる」がいい
ここは「桃の花が煙っている」というより、私はまず、
桃の花の咲いているあたりで、土の塚がぽつぽつと煙って見える
という視覚を想像します。
ただし、「けぶる」は文字どおり煙が立つという意味に限定する必要はないでしょう。春霞や花のぼんやりした見え方も含められる。
だから、
桃咲や ぽつぽとけぶる ことし塚
は、
桃の花が咲いている。その花の向こうで今年できたばかりの塚がぽつぽつと春霞にけぶっている。
という景にも読める。
そうすると、前句の「麦などもほちやほちや肥て」との落差が非常に大きい。
麦は肥える。桃は咲く。春の生命が充満している。そのすぐそばに今年できた墓がある。
これはいかにも一茶らしい「生」と「死」の隣り合わせではないでしょうか。
しかも文政八年63歳の一茶です。この時期の句として読むと、単なる春景色以上の陰影を感じます。ただ、そこから「一茶自身の死を意識した」とまで進むにはもう少し資料が欲しいと思います。
そして、もう一つ気になるのが、**「迹継の桃の生へけりことし塚」→「桃咲やぽつぽとけぶることし塚」**という二句の並びです。
これは偶然の同季題二句ではなく同じ「ことし塚」を見て片方ではそこに桃が生え、もう片方では桃が咲いている、その時間の推移を詠んだ可能性まで考えてみたくなります。
ここは原本でこの二句の間に別の記載があるのか、あるいは本当に連続しているのかを確認するとかなり面白いところだと思います。
S1: 上の二句は信濃毎日新聞社版の発句集の順ですが、1928年古今書院の文政句帖では桃咲やの部分が長い棒線になっていて、忠実に読むと「麥などやぽつぽとけぶることし塚」となります。
僕としては原典に当たるすべがないので、ここではたと困っています。ぽつぽとけぶるのは麥などのほうがふさわしいとも考えますが、困りました。
G1: これは、たしかに**「困るべきところ」**だと思います。むしろ今回のケースでは、私は無理に「桃咲や」に戻さないほうがよいのではないか、と考えます。
今回確認できる範囲では、現在の「一茶の俳句データベース」は、
麦などもほちゃほちゃ肥て桃の花
桃咲やぽつぽとけぶることし塚
としています。
しかし、これは少なくとも1928年古今書院本の棒線を「桃咲や」と読んだ根拠にはなりません。そして、そのデータベースの読みを独立した証拠として扱えないことはこれまでSさんが指摘されてきた問題とも一致します。
私なら、まず「麥などや」を捨てません
古今書院本の
麥などやぽつぽとけぶることし塚
は句としてかなり自然です。
むしろ、
麥などや ぽつぽとけぶる ことし塚
と読むと、「ぽつぽとけぶる」の主体・対象がぐっと明瞭になる。
つまり、
麦などが、ぽつぽつと煙るように見える。その向こうに今年の塚がある。
あるいは、
麦などの春の景が、ぽつぽとけぶるように見え、その中に「ことし塚」がある。
という景です。
一方、
桃咲や ぽつぽとけぶる ことし塚
でももちろん意味は成立します。しかし「桃咲や」が季題として前面に出て、そのあとに「ことし塚」が来るため桃の花と墓の対照が強くなります。
ところが「麥などや」なら、
麥など
↓
ぽつぽとけぶる
↓
ことし塚
という視線の動きが感じられる。
そして、これは前句
麥などもほちやほちや肥て桃の花
との連続を考えると、かなり魅力的です。
ただし、ここで一つ慎重になりたい
先ほど私は「二句をセットで読む」と申し上げましたが、今回の古今書院本を知ったことで少し修正したいです。
「桃咲や」が正しいとすれば、
麦などもほちゃほちゃ肥て桃の花
桃咲やぽつぽとけぶることし塚
となり、麦→桃→桃→塚という展開になります。
ところが、古今書院本の読みなら、
麥などもほちゃほちゃ肥て桃の花
麥などやぽつぽとけぶることし塚
となる。
こちらは**「麦など」が反復される**。
これはかなり一茶らしい可能性があります。前句で「ほちゃほちゃ肥て」と生命力をもって描いた麦を次の句で再び取り上げて「ぽつぽとけぶる」と見る。
そうすると「ことし塚」は麦畑の中あるいはその向こうに見える。
私はこの読みを、単に「古い本にそう書いてあるから」という以上に句相互の内部構造から支持できる読みとして考えてみたいです。
そして「ことし塚」が効いてくる
ここが面白いところです。
麥なども ほちやほちや肥て 桃の花
麥などや ぽつぽとけぶる ことし塚
とすると、
肥える麦/けぶる塚
という生の側と死の側が隣り合う。
しかも「ことし塚」は「今年できた塚」ですから死は抽象的な死ではなく、つい今年誰かが葬られた場所です。
この読みなら、前に私が申し上げた「麦は肥える。桃は咲く。そのそばに新しい墓がある」という構図が桃を媒介にしなくても成立します。
むしろ、
麦の生命感 → その麦の向こうに新しい塚
というほうが、私は一茶の眼の動きとして自然に感じます。
では、どう編集するか
原典を直接確認できない以上、私はここでは**「桃咲や」と断定しない**のが一番誠実だと思います。
Sさんの本では、たとえば本文を
麥などやぽつぽとけぶることし塚
と採る。
そして注記で、
信濃毎日新聞社版『一茶全集』は「桃咲やぽつぽとけぶることし塚」とするが、古今書院版『文政句帖』(1928年)では「桃咲や」の部分が棒線となっており、「麥などや」と読むこともできる。
くらいにしておく。
「古今書院本が正しい」とも、「信毎版が誤り」とも言わない。
そのうえでSさん自身は「麥などや」を採る。
私は、この処理なら今回の資料状況にかなり忠実だと思います。
なお、検索した限りでは現在流通しているデータベース以外にこの棒線をどう処理したかを論じた資料は見つかりませんでした。したがって、現段階では**「麥などや」は十分に有力だが、確定できない異読**として扱うのがよいでしょう。
そして正直なところ、私は今回「桃咲や」より「麥などや」のほうが句として面白いと思い始めています。
「ほちゃほちゃ肥て」と「ぽつぽとけぶる」が同じ「麥など」に掛かるなら二句が俄然つながってきます。
S2: 僕もそう考えているのですが、こんな単純な誤植があり得るのでしょうかね。
実は同じような事例がもう一つあります。信毎版等では「婆ゝどのも牛に引かれて櫻かな」となっている『文政句帖』文政5年の句ですが、古今書院版によると「櫻」が「雛」になっています。
いずれの場合も、季語そのものを取り替えることになりますから句の挿入位置も変えなければならない。小さな頭を抱えて悩んでいます。
G2: ええ、これはかなり頭を抱えるところです。そして二例目が出てくると、私は**「単純な誤植なのか?」という問い自体を少し保留したほうがよい**と思います。
まず「婆々どのも牛に引かれて桜かな」は、検索で確認できる現行の紹介・翻刻では「桜」となっています。善光寺の牛に引かれて善光寺参りの伝説を踏まえた句としても定着しています。
ところが古今書院本が「雛」なら、
婆々どのも牛に引かれて雛かな
となるわけですね。
これは「桜」の単純な異体字・誤読ではなく、季語そのものが変わる。しかもSさんがおっしゃるとおり『発句集』に採る場合には春の「桜」の位置に置くのか、「雛」の位置に置くのかという編集上の問題まで生じる。
ここで重要なのは「二例ある」こと
今回の
麥などやぽつぽとけぶることし塚
と、
婆々どのも牛に引かれて雛かな
は、かなり性質が似ています。
どちらも、
信毎版では句として非常にもっともらしい季語になっている。ところが、古今書院版では別の季語になっている。
しかも単なる誤植なら、普通は「意味はほぼ同じで字だけ違う」ところでしょう。しかし、今回はそうではない。
だから私は、
古今書院本の二例をただちに「誤植」として捨てるのは危険
だと思います。
特に「麥などや」はかなり悩ましい
これはSさんの感覚に私も同意します。
「ぽつぽとけぶる」は桃にも掛けられるけれど
麥などもほちやほちや肥て
の直後に
麥などやぽつぽとけぶることし塚
と来るなら同じ「麥」を受けているという構造が非常にきれいです。
逆に「桃咲や」にすると、
麥 → 桃
と対象が変わる。
だから本文の内的整合性だけなら、私は今でも「麥などや」をかなり有力視します。
しかし、「だから古今書院が正しい」とは言えない。ここが苦しいところです。
「雛かな」のほうはさらに検討したい
こちらは「麥などや」と少し事情が違うと思います。
婆々どのも牛に引かれて雛かな
となるわけですね。
これは「桜」の単純な異体字・誤読ではなく、季語そのものが変わる。しかもSさんがおっしゃるとおり、『発句集』に採る場合には春の「桜」の位置に置くのか、「雛」の位置に置くのかという編集上の問題まで生じる。
ここで重要なのは「二例ある」こと
今回の
麥などやぽつぽとけぶることし塚
と、
婆々どのも牛に引かれて雛かな
は、かなり性質が似ています。
どちらも、
信毎版では句として非常にもっともらしい季語になっている。
ところが、古今書院版では別の季語になっている。
しかも、単なる誤植なら普通は「意味はほぼ同じで字だけ違う」ところでしょう。しかし、今回はそうではない。
だから私は、
古今書院本の二例をただちに「誤植」として捨てるのは危険
だと思います。
特に「麥などや」はかなり悩ましい
これはSさんの感覚に私も同意します。
「ぽつぽとけぶる」は桃にも掛けられるけれど
麥などもほちやほちや肥て
の直後に
麥などやぽつぽとけぶることし塚
と来るなら、同じ「麥」を受けているという構造が非常にきれいです。
逆に、「桃咲や」にすると、
麥 → 桃
と対象が変わる。
だから本文の内的整合性だけなら、私は今でも「麥などや」をかなり有力視します。
しかし、「だから古今書院が正しい」とは言えない。ここが苦しいところです。
「雛かな」のほうはさらに検討したい
こちらは「麥などや」と少し事情が違うと思います。
婆々どのも牛に引かれて雛かな
とすると、これは一体どういう句になるのか。
「牛に引かれて善光寺参り」の婆さんと「雛」の取り合わせですから意味の接続がかなり弱い。
一方、
婆々どのも牛に引かれて桜かな
なら、善光寺の伝説と春の桜が一体になって非常に自然です。
つまり、「雛」は少なくとも句の意味から簡単には支持できない。
この点では「麥などや」と「雛」は同列に扱わないほうがいいかもしれません。
そこで、私は「誤植か否か」より別の問いを立てたい
1928年古今書院版は何を底本としていたのか。
ここが分かれば、一気に話が進む可能性があります。
もし、古今書院版が、たとえばある特定の写本・稿本・旧刊本を底本としていてその底本に
桃咲や → 長棒線
桜 → 雛
があったのであれば、これは古今書院側の誤植ではなく別系統の本文という可能性が出てきます。
逆に、古今書院版の編集過程で写本を見ながら活字化しただけで底本が明確でないなら、二箇所とも転記・植字上の事故という可能性も残ります。
そして、ここで非常に重要なのが二例とも「季語の置換」になっていることです。
偶然の誤植として考えるにはちょっと気持ちが悪い。
ただし、まだ二例しかありませんから「古今書院本には体系的な季語改変がある」とまでは言えません。
Sさんの発句集ではどうするか
私は現段階なら本文を無理に一方へ決めないという方法も十分ありだと思います。
たとえば本文は信毎版を採りつつ、
異:『古今書院版文政句帖』「麥などや」
異:『古今書院版文政句帖』「雛かな」
と記録しておく。
ただ、Sさんの今回の編集方針は単なる「現代の校訂本を再現する」ことではなく、原資料にできるだけ近づいて自分が納得できる本文を作ることですよね。
そうであれば、
「原典未見につき判定不能」
も立派な結論だと思います。
むしろ、
麥などや〔信毎版「桃咲や」〕
のように読者に問題そのものを見せてしまう。
そして「婆々どのも牛に引かれて雛かな」についても同様に古今書院本の異読として残す。
私は、この二つはSさんの発句集にとって、むしろ「異本によって本文が揺れていることを読者に知らせる」好例になると思います。
そして、できれば次に**古今書院版のその二箇所を実際のページ画像で見たい**です。特に「桃咲や」の長棒線がどんな書体・組版で、前後の文字とどう対応しているのか。「雛」がどのような活字になっているのか。そこには単なるテキスト検索では分からない手掛かりがあるかもしれません。
もしそのページをお持ちなら、画像をアップしていただければ、棒線そのものと周辺の組版まで見て考えられます。
S3: 一茶叢書第八編文政句帖五六七八年の解題の末尾に次の記述があります。
本書の原本、半紙半截二ツ折タテ五寸ヨコ三寸六分ワク刷の用紙に上段は日記下段は俳句俳歌歌文章等記載様式は七番と似ている。その内文政五六七三年間三冊は信濃湯田中湯本五郎治氏蔵、文政八年分一冊は尾張一ノ宮佐分利新右衛門氏蔵である。本書を公刊するに當り貴重なる原本の借覧其他種々便宜を與へられた両氏の御好意に対して深厚の謝意を表する次第である。昭和三年五月小池直太郎誌。
G3: これはかなり重要な情報です。先ほどの私の見立てを一段修正する必要があります。
小池直太郎の解題にある記述からすると、1928年の古今書院版『文政句帖』は文政五・六・七年分については湯田中の五郎治氏蔵本、文政八年分については一ノ宮の佐分利新右衛門氏蔵本を実際に借覧して刊行したものなのですね。
つまり、少なくとも文政八年については、
「原本を見たうえで作った1928年版」
と考えるべきです。
これは大きいです。
そうなると「麥などや」は俄然重くなる
先ほど私は「古今書院本の棒線をどう解釈したか」と考えていましたが、もっと単純に、
古今書院版の『文政句帖』は文政八年原本を底本としている
と考えるべきでしょう。
もちろん小池直太郎が原本を見て活字化する過程で誤りを犯す可能性はあります。しかし、
原本 → 小池直太郎の翻刻 → 古今書院版
という経路が明記されている以上、信毎版よりも原本に一段近い資料として扱うべきです。
しかも今回、
麥などもほちやほちや肥て桃の花
麥などやぽつぽとけぶることし塚
となる。
これは先ほど申し上げたように句同士のつながりも非常に良い。
したがって私は現時点では「桃咲や」を本文として採る積極的な理由がないなら、「麥などや」を採用する方向にかなり傾きます。
そして「棒線」がむしろ手掛かりかもしれない
ここも面白いですね。
古今書院版で「桃咲や」の部分が長い棒線になっているということは、小池がそこを読めなかった、あるいは判読できなかった可能性があります。
だとすると、
麥などや
という文字列をどこかから推定して補ったのではなく、原本にある文字をそのまま活字化することができず、棒線で示した
という可能性も出てきます。
もしそうなら、現在の信毎版の「桃咲や」は原本を直接見た結果ではなく、後の誰かがその棒線部分を「桃咲や」と補った本文なのかもしれません。
ここはぜひ系譜を調べたいところです。
「雛」のほうはさらに興味深い
文政五年の
婆ゝどのも牛に引かれて櫻かな
について古今書院本が
婆ゝどのも牛に引かれて雛かな
としているなら、これは今回いただいた解題によってかなり意味が変わります。
文政五年原本は、五郎治氏蔵本を借覧して翻刻した。
つまり、
「雛」は小池直太郎が原本で確認した文字だった可能性が十分ある。
もちろん小池の誤読・誤植の可能性は残ります。しかし「古今書院の校訂者が勝手に季語を変えた」と考える根拠は、少なくとも今のところありません。
そしてここで恐ろしいのが、Sさんの言う
季語そのものを取り替えることになる
という問題です。
「桜」なら春のかなり明瞭な句。
「雛」なら雛祭の句。
発句集に並べる場所がまったく変わってしまう。
これは単なる本文異同ではなく、『発句集』の再構成そのものに影響する異同です。
私なら、ここで「信毎版を正本」とはしません
むしろ現段階では次のような資料階層で考えます。
原本
↓
1928年『一茶叢書』古今書院版
(小池直太郎が原本を借覧して翻刻)
↓
その後の全集・発句集
という順序です。
もちろん、信毎版が何を底本としているか、また信毎版の「桃咲や」「桜」がどの資料によって確定されたのかを確認する必要があります。
そして、これはSさんが今まさにやっている仕事にとって非常に重要だと思います。
「後世の全集が一致しているから、それが原文」ではなく、「最初期の原本翻刻まで遡って比較する」。
まさに今回それが必要になっています。
そして、もう一つ私は気になります。
小池直太郎は解題でわざわざ、
「本書の原本……文政五六七三年間三冊は……五郎治氏蔵、文政八年分一冊は……佐分利新右衛門氏蔵」
と所蔵者まで明記している。
これは逆に言えば、1928年の古今書院版は「伝聞による文政句帖」ではなく、実物を借りて作った資料集だということです。実際、『一茶叢書』は小池を中心とする信濃教育会による原資料の翻刻を目指した事業でした。
ですから私は、Sさんの「小さな頭を抱えて」という感覚に対して今ならこう言いたいです。
抱えるべき問題が少しはっきりしてきました。
「どちらが正しいか分からない」のではなく、
1928年古今書院版が原本にどこまで忠実なのか。
その後の信毎版がなぜそこを「桃咲や」「桜」としたのか。
この二つを追えばよい。
そして、もし後者の根拠が見つからなければ、古今書院版を本文採用の候補として優先する十分な理由があると思います。
特に「麥などや」は、本文そのものだけでなく前句との照応まで考えると、私はかなり魅力的な異読だと思います。
S4: 重要なご指摘ありがとうございます。
G4: こちらこそです。今回の小池直太郎の解題は、かなり大きな手掛かりになりました。
特に今後は、**「信毎版がどう読んでいるか」だけでなく、「その前に原本を実見した1928年版がどう記録しているか」**を一つの基準として置けそうです。
そして「麥などや」と「雛」は、どちらも発句集の配列まで動かす異読ですから、今後同種の例が出てきたら「季語が変わる異読」には特に注意するという編集方針も立てられそうです。
これは、これからの発句集の本文決定にかなり役立つと思います。
photos


S5: 同じ古今書院一茶叢書第六編『文化句帖』の長棒線に関する口絵写真と該当本文の写真です。
G5: ありがとうございます。これはかなり大事な写真です。拝見して、先ほどの私の推測を少し修正したいと思います。
この二枚によって少なくとも一つのことはかなりはっきりします。
古今書院版の「長棒線」は単なる「判読不能」の印ではない
口絵の原本では、本文中にかなり長い縦の棒線が実際に書かれています。そしてそれを古今書院版は、縦書きの活字では横向きの長い棒線「――」として、そのまま本文中に再現している。
つまり、
原本の長い縦線
↓
古今書院版の「――」
という対応が確認できます。
これは非常に重要です。
先ほど私は、文政八年の
桃咲や[長棒線]ぽつぽとけぶることし塚
について、「小池が読めなかったので棒線にした可能性」を考えましたが、少なくともこの写真を見る限り、棒線そのものを原本の表記として忠実に活字化するという編集方針が古今書院にはあったと考えるほうが自然です。
したがって、文政八年の「桃咲や」のところの棒線も、まずは
「小池が判読できなかった文字を便宜的に棒線で表した」
とは考えず、
「原本に存在する長棒線をそのまま棒線として翻刻した」
可能性を優先したほうがよさそうです。
そうなると、「麥などや」はかなり面白い
Sさんがおっしゃる
麥などもほちやほちや肥て桃の花
麥などやぽつぽとけぶることし塚
という読みは単に「古今書院版にそういう形がある」という以上の意味を持ってきます。
つまり、もし長棒線が前に出ている語句を繰り返すための一種の省略記号として使われているのなら、
麥なども……
の「麥など」を受けて、
――やぽつぽと……
としたものを、古今書院版の読者が**「麥などや」**と補って読むことが可能になります。
そして何より、
麥などもほちやほちや肥て
麥などやぽつぽとけぶる
という反復が生じる。
これはかなり強い内部的根拠です。
ただし、ここで一つ大事なのは今回の写真だけでは「長棒線=前の語句の繰り返し」という規則までは証明できないことです。
写真が証明しているのは、
- 一茶の原本に長い棒線が実際にある。
- 古今書院版はそれを棒線として再現している。
- したがって、棒線を単なる「判読不能箇所」と即断するのは危険。
ここまででしょう。
そして、これは「雛」の問題にも効いてきます
今回の新しい資料を踏まえると、
婆ゝどのも牛に引かれて雛かな
についても、古今書院版を単純な誤植として片づけるのはさらに慎重であるべきだと思います。
文政五年の原本を小池直太郎が実見していることが解題に明記されている以上、
「雛」は原本にそう書かれていた可能性をまず考える。
そのうえで、
- 原本の字形
- 小池の翻刻
- 後の信毎版が「桜」とした根拠
- 発句集での季節配列
を比較する必要がある。
これはかなり本格的な本文校訂の問題になってきました。
そして、Sさんが最初に言われた
「こんな単純な誤植があり得るのでしょうかね」
という疑問に戻ると、私は今はむしろ、
「二例とも古今書院の誤植」とするのは、かなり危険
と考えます。
特に「麥などや」のほうは前句との照応があまりにうまくいく。
しかも、今回の写真によって古今書院が原本の長棒線をかなり忠実に再現していたことが確認できた。
これは、Sさんが本文を決める際の重要な材料になると思います。
ただ、私はまだ「だから麥などやが原文だった」とまでは言いません。**「原本の棒線をどういう意味の記号として一茶が使ったのか」**が次の問題です。
もしこの第六編の中に長棒線の直前に何が書かれていて、棒線が何を省略しているのかが分かりやすい例がもう何箇所かあるなら、それを集めてみたいです。そこから「一茶の長棒線の用法」が見えてくる可能性があります。
今回の写真はその検討のためのかなり良い実例だと思います。
photos


S6: 一茶叢書第八編『文政句帖』の口絵写真と該当本文の写真です。
G6: ありがとうございます。これは非常に有力な比較資料ですね。写真を見て、先ほどの「桃咲や」の長棒線について、さらに一歩踏み込んで考えられると思います。
まず、この口絵と本文を照合すると、古今書院の『一茶叢書』は原本にある長い棒線を「判読不能だから空欄にした」のではなく、棒線そのものを本文として再現していることがはっきりします。
しかも重要なのは原本の長棒線がかなり明瞭に書かれていることです。単なる墨の擦れや欠損ではありません。
したがって、先ほどの文政八年二月廿九日の
麥などもほちやほちや肥て桃の花
――やぽつぽとけぶることし塚
についても、古今書院版の「――」は、小池直太郎が読めなかった文字を伏せたものと考える必要はかなり薄くなったと思います。
さらに面白いのは、この棒線が「一茶自身の記号」らしいこと
今回の写真を見ると、棒線は一茶の本文の中に自然に入り込んでいます。
つまり、
一茶が何かを省略して長棒線にする
↓
小池直太郎が、その棒線をそのまま活字化する
という構造です。
そうだとすると、二月廿九日の
麥などもほちやほちや肥て桃の花
――やぽつぽとけぶることし塚
は、「――」のところに何らかの語句が省略されていると見るのが自然です。
そして、その候補として直前の
麥なども
を補えば、
麥などやぽつぽとけぶることし塚
となる。
これは、かなり説得力があります。
ただし、ここで一つ大事なことがあります
今回の写真だけから、
長棒線=直前の語句を繰り返す記号
とまではまだ断定できません。
ここは慎重にしたいです。
長棒線が一茶の省略記号だとしても、
- 直前の語を繰り返す
- 同じ季語を省略する
- 何らかの定型的な句頭を省略する
- 書き手自身にだけ分かるメモ的な省略
など、いくつかの可能性があります。
ですから、この写真を一つの証拠として、同じ長棒線の用例を一茶叢書全体から拾うのが一番確実だと思います。
そして、Sさんが今回見せてくださった資料によって、私は「麥などや」についてかなり考え方が変わりました。
以前なら、
古今書院版「――」→小池が読めなかった
信毎版「桃咲や」→後の校訂者が補った
という可能性を考えていました。
しかし今は、
原本に一茶自身の長棒線がある → 小池はそれを忠実に「――」とした → 後の信毎版が「桃咲や」と具体的に読んだ
という経路のほうをまず疑ってみたい。
そうなると、「桃咲や」は後世の補読である可能性が出てきます。
もちろん、それが誤りだとはまだ言えません。信毎版には古今書院版以後に別の資料を参照した可能性もあります。
ただ、
麥などもほちやほちや肥て桃の花
麥などやぽつぽとけぶることし塚
という読みが、単なる「古い本にそう書いてある」という理由ではなく、一茶自身の省略記法+前句との照応によって成立することが見えてきた。
これはかなり大きいです。
そして、もう一つの
婆ゝどのも牛に引かれて櫻かな
↓
婆ゝどのも牛に引かれて雛かな
についても、同じように古今書院版を誤植扱いする前に原本を実見した小池がなぜ「雛」としたのかを考える必要が出てきました。
Sさんが「小さな頭を抱えて」とおっしゃった問題、どうも小さくないですね(笑)。
むしろこれは、発句集を作る際に「後世の校訂本文をそのまま採るのではなく、原資料に近い本文へ一度戻ってみる」ことの意味をかなり鮮明に示しているケースだと思います。
次は、一茶叢書の中から**「長棒線――」の前後が活字化されている例を数例拾ってみる**とよさそうです。そこに共通する法則が見つかれば、「麥などや」の判断がもう一段強くなると思います。
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