朝鮮通信使

江戸時代を通じて朝鮮通信使は12回*、琉球使節は18回江戸に来訪した。多くは徳川将軍の代替わりに仕組まれた盛大な祝賀行事で、沿道は見物客で賑わった。*12回目は大坂留

朝鮮通信使来朝図(羽川藤永筆、江戸時代 延享5年[1748年]頃)
江戸図屏風より: 江戸城内三の丸で陶器や虎の皮等の礼単(進物)を準備する朝鮮通信使
Korean Embassy to Japan, 1655, attributed to Kanō Yasunobu Tōun
西暦年人数(大坂留)通信使の目的
11607467修好回答兼刷還
21617428(78)大坂平定祝賀回答兼刷還
31624300家光襲職祝賀回答兼刷還
41636475泰平祝賀
51643462家綱誕生祝賀日光山致祭
61655488(103)家綱襲職祝賀日光山致祭
71682475(112)綱吉襲職祝賀
81711500(129)家宣襲職祝賀
91719475(109)吉宗襲職祝賀
101748475(83)家重襲職祝賀
111764472(106)家治襲職祝賀
121811336家斉襲職祝賀
川柳ほかにみる琉球・唐人・毛唐人
江戸期の作者不詳の俳句・川柳に朝鮮通信使・琉球使節を詠んだものが少なくない。
「琉球の音に踊りぬ島の春」
「唐(から)服で髷(まげ)の結びも異なりし」
「通信使来ては宿貸す長崎者」
「百万両使節[を]見ては目をみはり」
誹風柳多留*にも通信使や琉球使節に関する句が載っている。 *江戸中期から幕末までほぼ毎年刊行された川柳句集
「琉球は楽をうしろへ吹き流し」
「通信使おがみおがみ[て]目をみはり」 
「百万両[の]泥をおこすや通信使」
「通信使来ては宿貸す街道筋」
一茶(1763-1828)の日記や句帖・紀行文には通信使を題材にした句はないようだ。通信使の第11回が彼の生年の翌年、最後の第12回が対馬留りになったからだが、唐人・毛唐人がらみの句はある。なお、唐人(からびと)は中國ではなく朝鮮の意である。
「君が世や唐人も来て年ごもり」寛政句帖 政5 (異) 發句集文政版 上五「君が代や」
 文政2年6月6日 旦小雨陰 浅野ニ入
 住吉
「唐人も見よや田植の笛皷太(たいこ)」風間八番
 享和3年8月14日 雨
「朝㒵や女車の毛唐人(けたうじん)」句帖
 享和3年11月15日 晴 布川
「名月もそなたの空ぞ毛唐人」句帖
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