「無宗教」という宗教性

川村元気氏(1979-)の『神曲』(新潮社 2021年11月)に関するインタビュー記事を読んだ。映画監督であり脚本作家であり小説家である同氏が宗教をテーマに父親・母親・娘という三者の相異なる視点から描いた作品のようだ。

この家族には、不慮の死というには余りに悲惨な死に方をした息子がいた。父親は息子がほかの小学生とともに殺された事件の現場にいたが、何もできなかった。そのことをいつまでも妻と娘に責められるのだろう。

記事を読んで、現代日本社会の様相を鋭く分析していると思った。著者は、父親から徹底した映画教育を受け、母親からキリスト教という信仰の影響を強く受けているようだ。幼いころから聖書を繰り返し読み、その物語が著者の血肉になっているとも分析している。よく自分自身を省察していると思う。

この作品を読んでみようか、と思うのは、僕が日本社会を「無宗教性」が支配する社会として捉えるからで、その点で著者の見方と共通するところがあると考えている。Kポップのもつ世界性の基盤にキリスト教があるのではないかという著者の考察も興味深い。

宮澤賢治「雨ニモマケズ」を読む

「雨ニモマケズ」を縦書き文庫で読んだ(青空文庫より)。「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」とある行は「ヒデリノトキ」と習ったが、賢治の死の翌年に発見された手帳には「ヒドリノトキ」とあったそうだ。

1980年代後半、賢治の教え子の一人が「農家にとって日照は喜ぶべきものであり、『ヒドリ』は日雇い仕事の『日取り』を意味するもので『日雇い仕事をせざるを得ないような厳しい暮らしのとき』と原文通りに読むべきである」と主張したという。[wikipedia]

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

(c) t.livepocket.jp 1931.11.03 Miyazawa Kenji

底本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」筑摩書房 1997(平成9)年7月30日初版第1刷発行
※本文については写真版を含む本書によった。また、改行等の全体の体裁については、「【新】校本宮澤賢治全集 第六巻」筑摩書房1996(平成8)年5月30日初版第1刷発行を参照した。
入力:田中敬三 校正:土屋隆
2006年7月26日作成 2019年1月21日修正
青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

「銀河鉄道の夜」を読む

「銀河鉄道の夜」初期形一と題された文章を縦書き文庫で読んだ。「銀河鉄道の夜」の草稿のようなものだろうか。同文庫には作品検索の上から順に次の4版が収録されている。

  1. 「銀河鉄道の夜」初期形一 11,458字
  2. 銀河鉄道の夜 40,750字
  3. 銀河鉄道の夜 日本文学100選 76,361字
  4. 銀河鐵道の夜 44,751字

後半部分で列車が停車して同乗客が降り、友人のカムパネルラも去る。そのあとでジョバンニは「さあ、やっぱり僕はたったひとりだ。きっともう行くぞ。ほんたうの幸福が何だかきっとさがしあてるぞ」と言う。

賢治が法華経(ほけきょう)行者(ぎょうじゃ)を任じ、デクノボウのような不軽菩薩(ふぎょうぼさつ)(はん)としていたことを思う。そして、ジョバンニの独白が意味するところを考える。

…そして見てゐるとみんなはつゝましく列を組んであの十字架の前の天のなぎさにひざまづいてゐました。そしてその見えない天の川の川の水をわたってひとりの神々しい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。けれどもそのときはもう硝子の呼子は鳴らされ汽車はうごき出しと思ふうちに銀いろの霧が川下の方からすうっと流れて来てもうそっちは何も見えなくなりました。
…そのときすうっと霧がはれかゝりました。どこへ行く街道らしく小さな電燈の一列についた通りがありました。それはしばらく線路に沿って進んでゐました。そして二人がそのあかしの前を通って行くときはその小さな豆いろの火はちゃうど挨拶でもするやうにぽかっと消えて二人が通って行くときまた点くのでした。ふりかへって見るとさっきの十字架はもうまるでまるで小さくなってほんたうにもうそのまゝ胸にも吊されさうになりさっきの女の子や青年たちがその前の白い渚にまだひざまづいてゐるのかそれともどこか方角もわからないその天上へ行ったのかもうぼんやりしてわかりませんでした。
…ジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そしてはげしく胸をうって叫びました。「さあ、やっぱり僕はたったひとりだ。きっともう行くぞ。ほんたうの幸福が何だかきっとさがしあてるぞ。」そのときまっくらな地平線の向ふから青じろいのろしがまるでひるまのやうにうちあげられ汽車の中はすっかり明るくなりました。そしてのろしは高くそらにかゝって光りつゞけました。「あゝマジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ。」
…「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます。」「あゝではさよなら。」博士はちょっとジョバンニの胸のあたりにさわったと思ふともうそのかたちは天気輪の柱の向ふに見えなくなってゐました。
縦書き文庫「銀河鉄道の夜」初期形一より抜粋

縦書き文庫: 宮沢賢治の作品

下線部の作品タイトルをクリックすると縦書き文庫版で読むことができます。

(1万字以上のタイトルを太字にしました)
一九三一年度極東ビヂテリアン大会見聞録 4,667字
「銀河鉄道の夜」初期形一 1万1,458字
銀河鉄道の夜 4万0,750字 2
春と修羅 第三集 修羅詩集 2万6,112字
詩ノート 3万2,700字
〔モザイク成り〕354字
〔聖なる窓〕320字
〔あくたうかべる朝の水〕343字
〔くもにつらなるでこぼこがらす〕299字
〔かくまでに〕305字
〔こゝろの影を恐るなと〕301字
〔島わにあらき潮騒を〕359字
〔せなうち痛み息熱く〕889字
隼人 484字
〔土をも掘らん汗もせん〕383字
敗れし少年の歌へる 478字
〔夕陽は青めりかの山裾に〕491字
中尊寺〔二〕345字
農学校歌 403字
〔われはダルケを名乗れるものと〕467字
〔廿日月かざす刃は音無しの〕394字
〔ひとひははかなくことばをくだし〕625字
不軽菩薩 412字
火渡り 315字
火の島 289字
県道 347字
スタンレー探検隊に対する二人のコンゴー土人の演説 737字
〔雪とひのきの坂上に〕346字
駅長 382字
宗谷〔一〕349字
〔なべてはしけく よそほひて〕498字
〔雲ふかく 山裳を曳けば〕302字
釜石よりの帰り 344字
祭日〔二〕373字
看痾 269字
宗谷〔二〕655字
製炭小屋 379字
〔棕梠の葉やゝに痙攣し〕388字
〔このみちの醸すがごとく〕347字
〔こはドロミット洞窟の〕318字
小祠 357字
対酌 588字
〔霜枯れのトマトの気根〕327字
〔鉛のいろの冬海の〕548字
国柱会 401字
秘境 512字
僧園 376字
〔青びかる天弧のはてに〕347字
校庭 334字
宅地 320字
〔われらひとしく丘に立ち〕398字
〔いざ渡せかし おいぼれめ〕340字
〔馬行き人行き自転車行きて〕681字
496字
開墾 323字
機会 312字
〔月光の鉛のなかに〕284字
294字
雪峡 310字
〔そのかたち収得に似て〕297字
〔たゞかたくなのみをわぶる〕329字
〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕556字
〔館は台地のはななれば〕342字
〔二川こゝにて会したり〕511字
百合を掘る 641字
四八 黄泉路 697字
病中幻想 382字
訓導 363字
職員室 410字
烏百態 541字 1
〔甘藍の球は弾けて〕295字
〔雲を濾し〕311字
〔郡属伊原忠右エ門〕331字
〔洪積の台のはてなる〕412字
〔鷺はひかりのそらに餓ゑ〕302字
水部の線 316字
セレナーデ 恋歌 381字
〔卑屈の友らをいきどほろしく〕389字
〔つめたき朝の真鍮に〕314字
月天讃歌(擬古調)610字
〔ま青きそらの風をふるはし〕415字
〔まひるつとめにまぎらひて〕352字
〔ゆがみつゝ月は出で〕363字
〔りんごのみきのはひのひかり〕380字
〔※[#「日+令」第3水準1-85-18]々としてひかれるは〕335字
〔われかのひとをこととふに〕317字
会計課 334字
田園迷信 467字
八戸 501字 1
講後 646字
〔ながれたり〕1,205字
楊林 318字
雹雲砲手 316字
青柳教諭を送る 269字
開墾地 306字
饗宴 598字
幻想 639字
こゝろ 296字
〔こんにやくの〕305字
〔霧降る萱の細みちに〕534字
樹園 336字
春章作中判 454字
隅田川 624字
遊園地工作 403字
〔弓のごとく〕336字
〔われ聴衆に会釈して〕501字
〔われらが書に順ひて〕581字
いちょうの実 1万1,605字
さいかち淵 2万1,862字
ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記 5万2,780字
春と修羅 第二集 修羅詩集 5万9,676字
イーハトーボ農学校の春 1万1,349字
みじかい木ぺん 1万6,759字
或る農学生の日誌 4万9,469字
十六日 2万0,323字
サガレンと八月 1万7,085字
バキチの仕事 8,968字
泉ある家 1万7,964字 1
手紙 一 4,046字 1
手紙 二 3,527字 1
手紙 三 4,485字 1
手紙 四 6,208字 1
朝に就ての童話的構図 2,975字 1
土神ときつね 2万1,686字 1
雁の童子 4万0,838字
4,790字
鹿踊りのはじまり 4万6,172字 1
ペンネンノルデはいまはいないよ太陽にできた黒い棘をとりに行ったよ 3,659字
ポラーノの広場 2万5,075字
マグノリアの木 1万3,533字
ラジュウムの雁 870字
龍と詩人 2,636字 1
疑獄元兇 3,086字
〔蒼冷と純黒〕1,764字
花壇工作 1,875字
あけがた 2,301字
510字
沼森 1,349字
704字 1
丹藤川〔「家長制度」先駆形〕748字
大礼服の例外的効果 1,486字
チュウリップの幻術 2万6,436字 2
シグナルとシグナレス 3万8,491字
ざしき童子のはなし 6,492字 2
風野又三郎 6万1,174字
『春と修羅』修羅詩集 8万7,008字
蛙のゴム靴 1万4,690字
月夜のけだもの 9,089字
畑のへり 3,320字
洞熊学校を卒業した三人 1万4,884字
まなづるとダァリヤ 5,034字
革トランク 5,863字
毒蛾 1万2,658字
二十六夜 6万1,611字
雪渡り 1万2,332字 1
銀河鉄道の夜 日本文学100選 7万6,361字 3
マリヴロンと少女 4,813字
文語詩稿 一百篇 2万3,013字
フランドン農学校の豚 2万5,539字
葡萄水 7,718字
氷河鼠の毛皮 1万1,896字
ひのきとひなげし 8,536字
『春と修羅』補遺 修羅詩集 7,425字
林の底 1万0,831字
花椰菜 4,111字
化物丁場 1万0,154字
楢ノ木大学士の野宿 3万4,892字
なめとこ山の熊 1万3,122字
どんぐりと山猫 8,915字 1
鳥箱先生とフウねずみ 5,710字
とっこべとら子 7,215字
床屋 2,659字
『注文の多い料理店』新刊案内 1万1,739字
『注文の多い料理店』序 1,013字
『注文の多い料理店』広告文 4,775字
注文の多い料理店 日本文学100選 8,987字 2
タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった 1万0,266字
種山ヶ原 4万4,584字
税務署長の冒険 2万7,294字
郷土喜劇 7,614字
十月の末 9,102字
山地の稜 4,993字
蜘蛛となめくじと狸 1万3,923字 1
気のいい火山弾 5,856字
烏の北斗七星 9,266字 1
家長制度 1,507字
かしはばやしの夜 1万3,246字
かしわばやしの夜 1万5,427字
学者アラムハラドの見た着物 2万0,942字
カイロ団長 1万6,305字
いてふの実 5,316字 1
秋田街道 4,176字
ポランの広場 4,720字
二人の役人 1万8,949字
7,890字
疾中 5,937字
セロ弾きのゴーシュ 日本文学100選 1万9,804字 2
双子の星 2万5,851字 1
さるのこしかけ 8,820字
よく利く薬とえらい薬 6,336字
北守将軍と三人兄弟の医者 1万9,072字
農民芸術概論綱要 3,281字
農民芸術概論 682字
耕耘部の時計 1万7,576字
狼森と笊森、盗森 1万3,739字
…ある小さな官衙に関する幻想… 7,096字
電車 2,697字
土神と狐 1万7,549字 1
月夜のでんしんばしら 6,088字
ツェねずみ 6,620字 2
水仙月の四日 1万0,844字
クねずみ 6,783字
グスコーブドリの伝記 3万2,489字 2
ひかりの素足 2万7,760字
鹿踊りのはじまり 1万5,379字
紫紺染について 2万2,023字
一幕 8,660字
黄いろのトマト 1万6,641字
イギリス海岸 5万2,852字
若い木霊 7,976字
山男の四月 9,255字
柳沢 7,650字
祭の晩 6,798字 1
台川 3万5,110字
風の又三郎 日本文学100選 4万3,040字
オツベルと象 日本文学100選 6,391字
よだかの星 日本文学100選 5,873字
やまなし 日本文学100選 6,010字
虹の絵具皿 (十力の金剛石) 3万4,974字
黒ぶだう 4,108字
虔十公園林 8,452字 1
鳥をとるやなぎ 9,150字
植物医師 郷土喜劇 1万0,493字
猫の事務所 …ある小さな官衙に関する幻想… 1万0,041字 2
饑餓陣営 一幕 1万7,024字
ビジテリアン大祭 8万4,938字
ありときのこ 7,429字 1
凾館港春夜光景 1,190字
茨海小学校 2万7,489字
銀河鐵道の夜 4万4,751字 2
月夜のでんしんばしらの軍歌 2,014字
花巻農学校精神歌 566字
星めぐりの歌 442字
〔雨ニモマケズ〕日本文学100選 769字 1
農民芸術の興隆 2,229字

馬鹿は死ななきゃ…

11月に入って2週間で「浮雲」1887-90、「舞姫」1890、「たけくらべ」1895、「三四郎」1908、「ヰタ・セクスアリス」1909、「雁」1911-13、「こゝろ」1914、「濹東綺譚」1937 を以下の順に読んだ。どれも高三か浪人期に読んだもので70歳を過ぎて再読したことになる。

とはいえ、はじめから読み直そうと思ったわけではない。2年前からある試験勉強に取り組み、ことしの7月末にインターネットで受験申込みしたはずが、試験直前に手続きが完了していなかったことが判明した。この阿呆らしいしくじりから立ち直ろうとして、むかし親しんだ小説の世界に逃避したのである。

この信じがたい失敗がなければ、これらの「青春小説」を読むことはなかっただろう。再読して驚いたのはすべての小説について新たな解釈と知見を得たことだ。以前は字面だけ追っていたようにさえ思われる。試験勉強にも新たな局面が開けることを期待する自分はどこまで愚か者なのだろう。「馬鹿は死ななきゃ治らない」とはよくいったものだ。

鷗外の「雁」を読む

「小説をかく時、觀察の態度をきめやうと思ふ時は雁と灰燼とを讀返す」と永井荷風が評した鷗外の「雁」(1911-13)を読んだ。以前は高利貸の妾と医学生の恋愛として理解したつもりになっていたが、そう単純ではない。薄幸な妾の心理をみごとに活写しているが、彼女を囲う男とその妻の心理描写も優れている。世人が疎んじる職業に従事する者の怜悧さと男性の沽券ともいうものをよく描いている。

岡田の友人であるナレーターの語り、父親と玉の貧しいながら仲睦まじい暮らし、騙されて妻子持ちの警官に嫁いだ玉の不幸、学生相手の金貸業から始めて高利貸になった末造の自負心、父親を思い妾になる玉の薄幸さ、末造に抱かれながら岡田を思う玉の女心、カナリアを襲う青大将や岡田が投げた石に当たって死ぬ雁が暗示する不気味なものの存在、すべての描写が巧妙に絡み合い飽きさせない。

物語の最後で岡田はドイツに留学する。鷗外自身の経験(1884-88年ドイツ留学)が反映されていると考えることもできる。玉に「舞姫」のエリスを重ねてみることもできなくはないのではないか。

荷風の「濹東綺譚」を読む

永井荷風(1879-1959)の「濹東綺譚」を縦書き文庫版で読んだ。太平洋戦争に没入する前夜の1937年に刊行されている。「濹東」は墨田川東岸の意味だ。

荷風は「…小説をかく時、觀察の態度をきめやうと思ふ時は雁と灰燼とを讀返す。既に二十囘くらゐは反復してゐるでせう…」(縦書き文庫: 永井荷風>鷗外全集を讀む)と述べている。

「濹東綺譚」と鷗外の「雁」(1911-13)を比較することに意味があると考えるが、一方は大学生の若々しい感性で、他方は老成した文筆家の観察眼で女性を描いている。いずれの作品も世相批判であり、戦争反対の表明だと思う。

小説の創作過程を記述していておもしろい。自ら創作を試みる者にとって興味つきないが、真似するのはむずかしい。荷風だからなし得た手法であろう。この作品も高三か浪人のときに読んだと思う。若いときの好奇心だけで上っ面を読んだだけだろう。


一葉の「たけくらべ」を読む

樋口一葉(1872年5月-1896年11月)の『たけくらべ』を縦書き文庫版で読んだ。1895-96年に雑誌「文學界」に連載、96年4月に「文藝倶楽部」に全篇が掲載された。一葉満23歳の作品で、亡くなる僅か半年前のことだった。この作品も高三か浪人のときに読んだはずだが、ほとんど記憶にない。ただ字面を追っただけなのだろう。荷風の『濹東綺譚』は鮮明に残っている。

吉原についてよく知らないので、前後して田中優子の近著『遊廓と日本人』を読んだ。文化としての遊廓に関する考察とでもいうべき書である。大いに参考になった。図版を中心に説明している第5章に図版が増えれば、と思う。

若いころ上野で植木商などに関わり戦後小石川に生花店を営んだ祖父に連れられ、吉原界隈を歩いた記憶があるが定かでない。

鷗外の「ヰタ・セクスアリス」(1)(2)

漱石より鷗外(1862-1922)が好きな僕は高三か浪人のときに「ヰタ・セクスアリス」を読んだ。1909年、鷗外が満47歳のときの作品だ。タイトルはラテン語だが「わが性慾に関する手記」ぐらいの意か。「ヰタ・セクスアリス(その二)」と名付けたい。

前回も辞書を引きひき読んだのだろう。文中に出てくる漢語もさることながら、独英仏羅希語が登場し、意味を確認しないと読み進められない。neugierde というドイツ語(英語 curiosity)が頻出した。鷗外の観察眼は()めた好奇心とでも呼ぶべきもので、けっして性慾に淡泊なわけではないが、受動的である。

一日置いて「舞姫」を読んだ。1890年の発表だから、鷗外が28歳のときに書かれたものだ。少なくとも二度は読んでいるはずだが、今回はまったく別物のような気がした。「ヰタ・セクスアリス(その一)」と名付けたい。かくも生々しい物語だったのか、と呆れる。若かったとはいえ、上滑りして読んでいた自分が恥ずかしい。

森鷗外(1862-1922); 二葉亭四迷(1864-1909); 夏目漱石(1867-1916)、三人並べると、鷗外が最も早く生まれ、最も長く生きている。専門の語学はそれぞれ独・露・英語である。鷗外と二葉亭は英仏語もできたろう。三人の漢籍の知識は到底僕の及ぶところではない。

二葉亭の「浮雲」を読む

70年代初め、二葉亭(ふたばてい)四迷(しめい)(1864-1909)に()った時期がある。新書版の全集を神保町の古本屋で購入し、小説や翻訳作品ほかを読んだ。原著者ツルゲーネフ(1818-83)の「片戀(かたこい)」が好きだった。最近50年ぶりに「浮雲(うきぐも)」を読んだら、ところどころ吹き出すほどのおもしろさだ(第1編1887年6月、第2編88年2月、第3編90年7-8月発行)。

ようやく官吏(かんり)になったもののすぐに罷免(ひめん)された二十代前半の男が主人公だ。官吏になるや、ちやほやして娘を嫁がせようとした叔母が、彼が免職(めんしょく)になるや、豹変(ひょうへん)して(つら)くあたる。はては、主人公の元同僚に乗り換えようとする世の理不尽(りふじん)さを(なげ)きつつも、その娘に対する思いを断ち切れない内海(うつみ)文三、言文一致文体の極致ともいうべき作品か。

挿絵: 主人公の内海文三と彼が恋するお勢 https://www.city.bunkyo.lg.jp/index.html

夏目漱石(1867-1916)の「三四郎」(1908)を読んだあと、二葉亭の「浮雲」を読んだ。前者は大学生、後者は官吏に採用されながら罷免された、いずれも真面目(まじめ)不器用(ぶきよう)な男だ。両者の異性に対する態度は驚くほど似ている。

筑波山に登る

娘夫婦に()れられ筑波(つくば)山に登山した。「日本百名山」を制覇(せいは)しようという彼らに付いていった。標高877m(女体山(にょたいさん))ながら、大きな岩がごろごろしていて歩きにくい、(あなど)れない低山だ。関東平野の一角に隆起した山塊(さんかい)は全体が巨岩の(かたま)りのようだ。奇岩も多く、神話や伝説にちなんだ説明が付いている。女体山(にょたいさん)から男体山(なんたいさん)につながる稜線沿いにケーブルカーとロープウェイの駅があって、茶店が並ぶ光景は素直に受け入れられない。

(あし)が半ば麻痺(まひ)している僕にはきつい山だ。登り下り合わせて5時間、最後は筋肉痛で動けなくなる寸前すんぜんだった。百名山をまた一つ制覇(せいは)したという彼らのような達成感はないながら、まだ歩けるぞ、という妙な自信感に満足した。

試験直前の勉強に没頭しているはずが、受験申し込みの不手際で受験できなくなった。自分のせいだから誰を怨むこともできない。ただ、自らの愚かさを嘆くばかりだ。こんなとき、何も考えずに山道を歩くことにまさる治療法はない。馬鹿につける薬はないのだから。

漱石の「こゝろ」を読む

50年ほど前に読んだはずの小説、夏目漱石(1867-1916)の「こゝろ」 (原作「こゝろ 先生の遺書」: 1914年4月-8月朝日新聞連載)を縦書き文庫版で読んだ。55章と56章(最終章)に、「先生」が「私」に宛てた遺書のような長文の手紙の末尾に次の記述がある。( )内は原文にない補足。

…夏の暑い盛りに明治天皇(1852-1912)が崩御(7月30日)になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。

…それから約一ヵ月ほど経ちました。御大葬(1912年9月30日)の夜私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将(1849-1912)の永久に去った報知にもなっていたのです。

「先生」は乃木希典夫妻が殉死した数日後に自殺の決心をし、その後十日以上かけて「私」宛に長文を書いている。「先生」は何に殉死したのだろうか。「先生」に最も残酷な形で「お嬢さん」を奪われて自殺したKに対する呵責の念から逃れるためだろうか。「先生」の egoism/egotism について延々と読ませられる小説だということを半ば知っていながら、なぜ僕はこの小説を再び読んだのだろうか。自分の愚かさを紛らわすためだったろうか。後味が悪いのは他の誰のせいでもない。僕のせいだということを知っているつもりではいるのだが。

「先生」が下宿した先の母娘、とくに娘の立場でみると、Kと「先生」という、かつて親しく接していた二人の下宿人が相次いで自殺することは耐えがたい苦痛だったろう、と思わずにはおられない。軍人の未亡人である母親はKの自殺についてある程度推定していたに違いないが、娘はKの自殺の要因ないしきっかけと思われる「私」の一方的な思惑によって何も知らされないばかりか、「私」と結婚することによって寂しい思いを強いられたあげく、若くして未亡人になる。

この小説を明治時代の時代精神に対する鎮魂歌のように評する人もいるようだが、同じ作者の「三四郎」の冒頭、列車に登場する老人の独白にあるように、日清日露と続いた戦争に象徴される明治の時代精神の閉塞感を描いた作品ということもできるのではないだろうか。

漱石『こゝろ』岩波書店版の表紙 1914年9月

昭和天皇の「人間宣言」を読む

1946年1月1日付け官報を読んだ。大日本帝国と日本国の狭間に発せられた文書として興味深い。昭和天皇(1901-89)の「人間宣言」とされている。縦書き文庫の「ハイジン教の改宗者たち(草稿)」にも掲載した。漢文調の文章は縦書きが読みやすい(原文にルビと段落間の空行はない)。

昭和21年1月1日付け官報号外
詔書

ここニ新年ヲ迎フ。かえりミレバ明治天皇明治ノはじめ国是こくぜトシテ五条ノ御誓文ごせいもんくだたまヘリ。いわク、

一、広ク会議ヲおこ万機ばんき公論こうろんニ決スヘシ
一、上下心ヲひとつニシテ盛ニ経綸けいりんヲ行フヘシ
一、官武一途いっと庶民ニ至ルまでその志ヲケ人心ヲシテマサラシメンコトヲ要ス
一、旧来きゅうらい陋習ろうしゅうヲ破リ天地ノ公道ニもとづクヘシ
一、智識ちしきヲ世界ニ求メ大ニ皇基こうき振起しんきスヘシ

叡旨えいし公明正大、又何ヲカ加ヘン。ちんここちかいあらたニシテ国運ヲ開カントほっス。すべかラク此ノ御趣旨しゅしのっとリ、旧来きゅうらい陋習ろうしゅうヲ去リ、民意ヲ暢達ちょうたつシ、官民ゲテ平和主義ニてっシ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。

大小都市ノこうむリタル戦禍せんか罹災者りさいしゃ艱苦かんく、産業ノ停頓ていとん、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢すうせい等ハまことニ心ヲ痛マシムルモノアリ。しかリトいえどモ、我国民ガ現在ノ試煉しれんニ直面シ、かつ徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、ク其ノ結束ヲまっとウセバ、ひとリ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。

レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努カヲこうスベキノときナリ。

おもフニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハややモスレバ焦躁しょうそうニ流レ、失意ノふち沈淪ちんりんセントスルノ傾キアリ。詭激きげきノ風ようやク長ジテ道義ノ念すこぶおとろへ、ためニ思想混乱ノきざしアルハまこと深憂しんゆうヘズ。

しかレドモちん爾等なんじら国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚きゅうせきわかタント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ちゅうたいハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニリテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニあらズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、かつ日本国民ヲもっテ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、ひいテ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモあらズ。

朕ノ政府ハ国民ノ試煉しれんト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱じかん蹶起けっきシ、当面ノ困苦こんく克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往ゆうおうセンコトヲ希念きねんス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相リ相たすケ、寛容相許スノ気風ヲ作興さっこうスルニ於テハ、ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。かくノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ所以ゆえんナルヲ疑ハザルナリ。

一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲひとつニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就じょうじゅセンコトヲ庶幾こいねがフ。

御名 御璽
昭和二十一年一月一日
内閣総理大臣兼第一復員大臣
第二復員大臣男爵 幣原喜重郎
司法大臣 岩田宙造
農林大臣 松村謙三
文部大臣 前田多門
外務大臣 吉田茂
内務大臣 堀切善次郎
国務大臣 松本烝治
厚生大臣 芦田均
国務大臣 次田大三郎
大蔵大臣子爵 渋沢敬三
運輸大臣 田中武雄
商工大臣 小笠原三九郎
国務大臣 小林一三

異界・迷界・冥界

夕方、一人で隣りの駅まで歩いていった。どこかで食事するつもりだったが、出がけ前に軽く食べたこともあって、なかなか場所が定まらない。小一時間歩いているうちに来たことのない道に迷いこんでしまった。いったい、ここはどこだろう。行き詰まっていた書きかけの小説の新しい場面がぼんやり浮かんだ。ある門前町だった。そのとき一瞬、異界に足を踏み入れたような感官を覚えた。むろん、錯覚だろうが。

通りの先になまめかしい赤い提灯が二つ灯っていた。提灯に庚申堂と書いてある。よこに建つ説明板とお堂のあいだに、1783(天明3)年に造られたという四角柱の石道標が建っている。赤い灯がまぶしくて石柱に気づかなかった。白昼に来たら、異界を見ることはなかったろう。

1783(天明3)年銘の道標(左下の暗い石柱)

住・職転々の来歴

縦書き文庫のプロフィールに載せた略歴は次のとおりで、主に住んだ場所を記している。カナダの2年を除いてほとんど日本国内だし、載せる意味はないかもしれない。

住・職転々: 1950年東京本郷に生まれ岡山県柵原へ; 55年-東京善福寺池; 65年-岩手県水沢; 67-85年本天沼・阿佐ヶ谷; 70年-英・韓語に関連する多業種を経験; 85年-洗足池(87-90年Toronto・守口); 作品「いつか名もない魚(うを)になる」(「無宗教派の人びと」所収)ほか

どんな土地に住んだかは性格や考え方に大いに関わっていると考える。僕の来歴はさしずめ「住・職転々」だ。本当は、もっとも大きな影響を受けているのは母親だと考えている。彼女についていつか書きたいと思う。

(昭和35(1960)年ごろの居間の写真は、長谷川町子美術館の展示)

「ハイジン教」と排外・拝外主義

25年余り前に執筆した修論のテーマは、明治期に条約改正論議と並行して行われた「内地雑居論争」だった。現代における多文化共生論議に近い。その根っこにあるのは日本の人々の対外意識の問題であり、幕末から明治期にかけて攘夷論として表現された。

2020年に書いた習作と現在執筆中の「ハイジン教」に共通するテーマが、論文で扱った日本の人々の<排外主義>であり<拝外主義>であった。最近このことに気づき、拙論「内地雑居論にみられる対外意識の研究」を本サイトに載せた。縦書き文庫にも掲載している

ハトの鳴き声

最近、ハトの鳴き声が気になる。規則正しい鳴き声で繰り返されるから耳について離れない。何か意味ありげに聞こえるのだ。

グッ、クーグーッククー、クーグーッククー、クーグーッククー、グーックーククー、クーグーッククー、グーックーククー、クッ(間)グッ、クーグーッククー、クーグーッククー、クーグーッククー、グーックーククー、クーグーッククー、クーグーッククー、グーックーククー、クッ

あとはこの繰り返しだが、クーグーッククーを繰り返す回数が少なくなって終わる。同じ鳴き声を韓国語で表記すると、例えば次のようになる。

굿、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굿꾸꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸 끝(間)굿、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굿꾸꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸、굴굿꾸꾸 끝

一般的には 구구구구 と表記するようだが、これだと「グーッ」「クー」「ククー」「クッ」が区別できない。끝 は終わりの意味で駄じゃれである。韓国語は英語と同じように子音で終わる語が多く、それを表記できるので表現しやすいのです。

小径車で通勤

通勤用に折りたたみの小径車を買いたいと思う。愛知県の自転車メーカーがデザインし中国で生産している。英米からの輸入品に較べ格安だ。ディスクブレーキだし、デザインもいい。

Ichinomiya Cycle LX-F16 Black 16in 12kg
Ichinomiya Cycle YZ-14 Dark green 14in 14kg

下の写真は30年以上前に持っていた宮田製作所(現ミヤタサイクル)の折りたたみ自転車だ。3段ハブギアで5万円もした。盗難に遭って今はもうない。だから、通勤用に高価なものは買いたくない。

老いた少年

70年代初めに神保町の書店で一年余り一緒に仕事をし、親しかった友人がいる。無類の本好きで、長年古書店に勤めていた。少年っぽいところがあったからか女性にもてたが、社交的ではなかった。その後、職場も変わり疎遠になり、たまに連絡しあうだけとなった。交信手段は携帯電話だけで、50年前の電話とあまり変わらない。

1ヵ月ほど前、その老少年から電話があった。電車に乗っていた僕はあわてて降り、駅構内の静かなところに移って約30分話した。もしや、僕が死んでいるかと思うと怖くて、なかなか電話できなかったという。入退院を繰り返しながらも元気だが、足の痛みがひどく、外出はほとんどできないようだ。夫人と二人暮らしで、近くに娘夫婦がいて孫もいる。近々、訪ねて行くことにして、電話を切った。

翌週、何年かぶりの再会を果たした。彼の最寄り駅近くにあるとんかつ屋の個室で向き合って話し込んだが、何を話したのか、近況を伝えた以外はあまり覚えていない。少しさびしい気もするが、たがいに元気でいることを確かめるために会ったのかもしれない。

とんかつ屋を出たあと、僕はもう少し話したかったが、彼にはあまりその気がなかったのだろう。駅のほうに向かって踏み切りをわたると、<シアトル教会>があった。その通りに面したテーブル席に誘ったのは僕のほうだった。

そこにいる間、僕は彼のスマホにSNSを設定する作業に費やした。二人のあいだのやり取りを容易にしたかったのだが、彼はそれを好まなかったようだ。ただ、その場では何も言わずに僕がするままに任せていた。ひとこと言ってくれていたら、相応の対応ができたろうに。

一週間後、SNSで電話をしても受けなかったので、在来の電話を使って連絡すると、受けとった。僕がSNSを使うように促すと、「いったい何様だと思ってるんだ、己は使わないから」と言う。「とにかく、もういいから」と言って切られてしまった。後味の悪い電話だったが、向こうも同じだったろう。

このまま二度と会わないかもしれない。その蓋然性が高いだろう。親しい間がらというのも案外もろいものだ、と思った。

「日本国」と「大日本帝国」の連続と不連続

日本国憲法の前文を再掲する。いつ読んでも、真情溢れる格調高い文章だと思う(太字・下線表示と段落付けは投稿者による)。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した
 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふわれらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものでありこの法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる
 日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ
https://shaws2021.wordpress.com/
大日本帝国憲法から日本国憲法への移行 (c)Wikipedia
大日本帝国憲法(明治憲法)
第7章補則
第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

日本国憲法と大日本帝国憲法のあいだには越えがたい不連続がある。これを連続するものとして捉えるのは間違っている。日本政治の貧しさの要因の一つが、不連続を連続と捉える思考法にあると考えるべきではないか。戦後の義務教育を通じてこの連続史観が生徒たちに刷り込まれてきた。大浜啓吉『法の支配とは何か』より引用する。

国家とは何か。憲法が国を作るのであって国が憲法を作るのではない(近代法の常識)。明治憲法の作った国を大日本帝国といい日本国憲法の作った国を日本国という二つは根本的に違う国であるから、当然にその原理を異にする。明治国家の統治原理を「法治国家 Rechtsstaat」といい日本国の統治原理を「法の支配 rule of law」という前者は立憲君主制の統治原理であり、主権が天皇にある以上、基本的人権という概念は認められない。個人は具体的な法律が認めた限りで権利を認められたにすぎない(法律の留保)。
日本国の統治原理である「法の支配」の源流は英米法にある。「法の支配」の根底にあるのは自由で平等な尊厳ある個人社会という概念である。尊厳ある個人を起点にして社会が構成され、国家は社会に生起する公共的問題を解決するために、人為的に作られた機構にすぎない。人は国家のなかで生きるのではなく、社会のなかで自己実現を果たす。平和で自由に生きるためには健全な「社会」が必要であり、国家は社会の健全性を保持するための存在だから、個人の自由に介在することは許されない。国家の役割はあくまでも社会の足らざるところを補完するか、社会に奉仕することによって個人の人権を護ることにある
ナショナルレベルの社会とローカルレベルの社会とは抱える問題の種類も性質も違って然るべきである。問題が違う以上、国家が自治体(国家)に過剰介入することは許されない。[国が定める]法律と[地方公共団体が定める]条例の問題もこの原理にもとづいて解釈する必要がある。憲法の保障する地方自治の本旨は人権→地域社会→自治体の補完という筋で解釈されなければならない。これもまた「法の支配」原理から引き出されるルールである。
行政法とは、①行政権の組織を作り、②行政活動の根拠を与え、③行政活動の結果、私人とのあいだに紛争が起きたときにこれを裁断するルールを定める法律のことである。現在、日本には約2000本の法律が存在するが、行政法はその9割を占める。憲法は国家機関の行為を縛る規範だから、行政法の基本原理についても憲法の根底にある「法の支配」の原理を投影して考察しなければならない
大浜啓吉著『法の支配とは何か』より引用
1946(昭和21)年1月1日付け官報号外(天皇の「人間宣言」とされる公示) https://tb.antiscroll.com/novels/goolee/23635
詔書
ここニ新年ヲ迎フ。かえりミレバ明治天皇明治ノはじめ国是こくぜトシテ五条ノ御誓文ごせいもんくだたまヘリ。いわク、
一、広ク会議ヲおこ万機ばんき公論こうろんニ決スヘシ
一、上下心ヲひとつニシテ盛ニ経綸けいりんヲ行フヘシ
一、官武一途いっと庶民ニ至ルまでその志ヲケ人心ヲシテマサラシメンコトヲ要ス
一、旧来きゅうらい陋習ろうしゅうヲ破リ天地ノ公道ニもとづクヘシ
一、智識ちしきヲ世界ニ求メ大ニ皇基こうき振起しんきスヘシ
叡旨えいし公明正大、又何ヲカ加ヘン。ちんここちかいあらたニシテ国運ヲ開カントほっス。すべかラク此ノ御趣旨しゅしのっとリ、旧来きゅうらい陋習ろうしゅうヲ去リ、民意ヲ暢達ちょうたつシ、官民ゲテ平和主義ニてっシ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。
大小都市ノこうむリタル戦禍せんか罹災者りさいしゃ艱苦かんく、産業ノ停頓ていとん、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢すうせい等ハまことニ心ヲ痛マシムルモノアリ。しかリトいえどモ、我国民ガ現在ノ試煉しれんニ直面シ、かつ徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、ク其ノ結束ヲまっとウセバ、ひとリ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努カヲこうスベキノときナリ。
おもフニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハややモスレバ焦躁しょうそうニ流レ、失意ノふち沈淪ちんりんセントスルノ傾キアリ。詭激きげきノ風ようやク長ジテ道義ノ念すこぶおとろへ、ためニ思想混乱ノきざしアルハまこと深憂しんゆうヘズ。
しかレドモちん爾等なんじら国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚きゅうせきわかタント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯じんたいハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニリテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニあらズ。天皇ヲ以テ現御神アキツカミトシ、かつ日本国民ヲもっテ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、ひいテ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモあらズ。
朕ノ政府ハ国民ノ試煉しれんト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱じかん蹶起けっきシ、当面ノ困苦こんく克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往ゆうおうセンコトヲ希念きねんス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相リ相たすケ、寛容相許スノ気風ヲ作興さっこうスルニ於テハ、ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。かくノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ所以ゆえんナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲひとつニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就じょうじゅセンコトヲ庶幾こいねがフ。
御名 御璽
昭和二十一年一月一日

「無宗教社会を生きる」はじめに

「いつか名もない魚になる」の続編として「無宗教社会を生きる」 ( 「ハイジン教の改宗者たち」「ハイジン教の似非えせ信者たち」さらに「경호の眷属」と改題してきた)」を書き進めている。主人公は長年日本に住む韓国人だ。読者は「小説らしくない」「難解で読みにくい」という。このまま埋もれるのだろうか。

縦書き文庫「無宗教社会を生きる」はじめに
この小説ならぬ「中説」を僕は死ぬまで書き続けることになるかもしれない。七十二歳で書き始めたから、せいぜいあと十年か二十年だろうが、人生で最も充実じゅうじつすべき期間でもある。晩年とはいわない、それは伝統的な時間軸のとらえ方にとらわれた見方だから。
「無宗教社会」にむ人々はふつうその「無宗教性」を意識することがない。空気のように浸透しているそれに気づかないのだが、ある日ふとその「無宗教性」に気づく人がいる。一度それに気づくと、けっして忘れようがない。執拗しつように付きまとわれ、それにあらが葛藤かっとうしながら生きなければならないからだ。その葛藤ゆえに社会との関わり方が不自然になり周囲と摩擦を生じるなど何かと不自由なことが多い。そのわずらわしさに耐えられず自死を図る人も少なくない。在日三世の경호ギョンホ、彼と同棲する韓国人미연ミヨン경호ギョンホの母親ほかを通じて、彼らが「無宗教社会」で生きる姿と彼らに共通する傾向性などを描こうとした。 
 この文章は昨年十一月に「実験小説<拝人教の改宗者たち>創作ノート」と題して書き始めました。「実験」という言葉が示すとおり、小説であることに疑問を感じたのです。その後これは小説ではないと思い、中説(小説と批評文の中間に位置する文章)としました。題名も「ハイジン教の改宗者たち」「ハイジン教の似非えせ信者たち」と修正し、さらに「無宗教社会を生きる」に改めました。いまも執筆中です。縦書き文庫のサイトに直接入力して創作するという「実験」性は維持し、執筆過程を読者と共有するスタイルも変わりません。社会や人々の生き方を根底から批評する小説ならぬ「中説」があり得ると考えています。問題は読者がこのような作品を認めてくれるかどうかですが、作者としては書き続けるしかありません。
I may continue to write this “chusetsu” which literally means middle statement or opinion, not “shosetsu,”a novel, until the day I die. Since I began writing at the age of seventy-two, it will probably be another ten or twenty years at most, but it is also the most fulfilling time of my life. I don’t call it the last years of my life, because the concept of which is captured by the trapped way of the traditional time frame.
 People living in “irreligious societies” are usually unaware of their “irreligiousness.” It infiltrates their lives like air, and they are unaware of it, but there are people who become aware of their “irreligiousness” suddenly one day. Once they become aware of it, they never forget it. Rather, it persistently follows them, and they have to live their lives struggling against it.  
 Because of this conflict, the way they relate to society becomes unnatural, causing friction with those around them, and they are often inconvenienced in some way. Many people attempt suicide because they cannot stand the hassle. Through Gyungho, his mother, Gyungho’s cohabitant Miyeon, and others, I tried to depict how they live in a “irreligious society” and what they have in common.  
 I began writing this text last November under the title “Notes on the creation of an experimental novel: Converts of the Haijin-kyo.” As the word “experimental” suggests, I had my doubts about it being a novel. Later, I decided that this was not a novel and decided to call it a critical novel (a text that falls somewhere between a novel and a critical essay). I also revised the title to “Converts of the Haijin-kyo” and “Pseudo-believers of the Haijin-kyo,” and further changed it to “Living in an irreligious society.” I am still writing the book.  
 It is still being written. I will maintain the “experimental” nature of the book, in the sense that it is created by direct input to the Tategaki-bunko (vertical writing library) website, and the style of sharing the writing process with readers will remain the same. I believe that there can be “chusetsu” which literally means middle theory, or “critical novels,” that critique society and people’s way of life fundamentally. The question is whether readers will recognize and accept such works, but as an author, I have no choice but to continue writing. (translated by DeepL)
[下の写真: 品川区東海寺にある賀茂眞淵の墓]

タンゴの魅力: milonguero

MTBより少し前に習いはじめたタンゴから遠ざかって久しい。コロナ禍もあってミロンガ(タンゴ・ダンスパーティ)にも行きにくくなった。そんなとき、パリ在住のタンゴ歴23年という先生のサイト作りを手伝う機会に恵まれた。以下、その一部を紹介したい。

アルゼンチンタンゴというと、一般的にテレビなどマスメディアで紹介されているショータンゴを思い浮かべる人が多いのですが、実際のブエノスアイレス市民の間で昔から現在まで踊られている伝統的なタンゴは、それとはだいぶ趣を異にしています…

“Tango Milonguero”の言葉の意味は、Tango(踊り)とMilonguero(踊りの名人、もしくは踊りのスタイル)が合体したもので、いわば「名人の踊り」ともいえます…

国際戦没者追悼式という提案

1952(昭和27)年から今日にいたるまで毎年実施されている全国ならびに各地域の戦没者追悼式、その意味を改めて考えてみたい。以前から感じている最大の疑問は追悼対象が日本人に限られていることだ。

1952年当時、日本は戦後期の真っ只中にあり、戦没者の追悼式典が内向きなものになったのはやむを得ない、と理解することはできよう。ただ、それをそのまま継続しながら、一方で「戦後は終わった」とするのはおかしいのではないか。

戦没者というのは、文字どおり戦争で非業の死を遂げた人々のことである。日本軍が侵略した朝鮮・中国を含むアジア全域と太平洋地域で多くの兵士が死んでいった。沖縄戦や広島・長崎の原爆あるいは東京大空襲による一般市民の犠牲者も戦没者であろう。

忘れてならないのは、これらの兵士や一般市民のなかに日本国籍でない人々がいたことだ。さらに想うべきは、アジア太平洋地域において多くの外国人兵士と一般市民が先の戦争で非業の死を遂げたということだ。こう考えると、戦没者追悼式がいまも国内向けでしかないことは恥ずべきことに思われる。

このような趣旨において、全国戦没者追悼式の対象を日本ならびにアジア太平洋地域において先の戦争の犠牲になった戦没者に拡大することを提案したい。たとえば、式典に在京の関係各国大使等の出席を求め、国際戦没者追悼式とするのである。「積極的平和主義」という耳馴れない用語にも符合する式典となるのではないだろうか。

「縦書き文庫」8-9月順位で上位に

拙著「いつか名もない魚(うを)になる」が縦書き文庫8月の順位で上位に入りました。読者のみなさまのお蔭です。ありがとうございます。

→「縦書き文庫」: 8月のランキング; 9月のランキング

notitleauthorpoints*
1こころ夏目漱石2724(783)
2方法序説ルネ・デカルト1150(430)
3君主論マキャヴェリ698(359)
4地下室の手記(「地下
生活者の手記」)
ドストエフスキー670(30)
5吾輩は猫である夏目漱石436(108)
6坊っちゃん夏目漱石398(487)
7ピーターパンと
ウェンディ
ジェームス・マシュー・バリー381(493)
8純粋扉で夏みかん柿原 凛**335(26)
9人間失格太宰治290(109)
10ダブリンの人たちジェイムズ・
ジョイス
235(257)
1180日間世界一周ジュール・
ヴェルヌ
225(127)
12ヴェニスの商人メアリー・ラム196(32)
13無宗教派の人びと(「いつか名もない魚(うを)になる」含む)小栗 章159(16)
*( )内は7月のポイント数

各タイトルをクリックすると縦書き文庫で読むことができ、作者名をクリックすると同文庫に掲載された作者の全作品が表示されます。 「いつか名もない魚(うを)になる」 はシリーズ化し「無宗教派の人びと」に含めました。

この表示にはトリックがあります。著名な作品は常に上位にありますが、僕のような新規投稿作品は投稿月と翌月ぐらいしか載りません。当然のことですが。

夏休み、五十数年前といま

Wanda Landowska; the Well tempered clavier, Glenn Gould; Bach English suites などの器楽曲を聴きながら、むし暑い部屋のなかで安楽椅子に深々とすわって本を読む。本こそ違え年齢は違っても気持ちは五十数年前に高校生だったときの夏休みと同じだ。錯覚といわれればそのとおりだが、記憶力の悪い僕には錯覚だとは思われない。まったく同じ時空にいるような気がするのだ。病んでいるといわれれば、そうかもしれない。

きょう読んだのは民法の判例集。たとえば次の事例(大審院連合部判決明治41年[1908]12月15日民録14輯)、もちろん縦書きである。

(そもそも)民法に(おい)て登記を(もっ)て不動産に関する物権の得喪(とくそう)及び変更に(つい)ての成立要件と()さずして(これ)を対抗条件と為したるは既に(その)絶体(マゝ)の権利たる性質を(かん)(てつ)せしむること(あた)わざる素因(そいん)を為したるものと()わざるを得ず。(しか)れば(すなわ)其時(そのとき)(あるい)待対(たいつい)の権利に(るい)する(きらい)あることは必至(ひっし)(ことわり)にして(ごう)(あやし)むに()らざるなり。(これ)を以て物権は(その)性質絶対なりとの一事(いちじ)は本条(民法177条*)第三者の意義を(さだむ)るに於て(いま)(かならず)しも之を重視するを()ず。

加之(しかのみならず)本条の規定は同一の不動産に関して正当の権利(もし)くは利益を(ゆう)する第三者をして登記に()りて物権の得喪(とくそう)及び変更の事状(じじょう)知悉(ちしつ)し以て不慮(ふりょ)の損害を(まぬが)るることを得せしめんが()めに(そん)するものなれば(その)条文には特に第三者の意義を制限する(ぶん)()なしと(いえど)其自(それみずか)ら多少の制限あるべきことは之を字句(じく)(ほか)に求むること(あに)(かた)しと()ふべけんや。

*第177条 [不動産に関する物権の変動の対抗要件] 不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成16年法律第123号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。

友人の失踪宣告

かつて親しくしていた友人の失踪宣告をしなければならない。1975年12月だったろう、三峰口から雲取山にはじめて登山し、一時期よく奥多摩や秩父に同行した友人と1年あまり連絡がとだえたままなのだ。数年前に会ったのが最期で、東北の実家に戻り母親の面倒をみると聞いた。ネットや電話のやり取りはあったが、それもとだえて久しい。寡黙でいつも笑っていた彼の失踪を宣告しなければならないと思う。自分を納得させるためだ。

以下、日韓の民法の失踪宣告に関する条文を引用する。先日、Netflix 「愛の不時着」で主人公の失踪から1ヵ月で死亡宣告をしていたのが気になって調べると、日韓とも特別失踪は危難が去ってから1年としている。これに準じて、ネット上で1年連絡が取れなくなった者は失踪とみなせるのではないかと考えた。他界することの意味を再考しなければならない。

カメラに関心を持ったのは彼の影響だった。行政書士試験を勧めたのも彼だった。デクノボウを連想させる男から、僕は少なからず影響を受けているようだ。そんな彼の追悼ブログを八戸歳々時記として載せた。音信はとだえたが、いつか同界(他界の対語)できれば、と思う。

失踪宣告に関する民法条文の日韓比較:

第30条 [失踪の宣告] 不在者の生死が7年間明らかでないときは、家庭裁判所は、利害関係人の請求により、失踪の宣告をすることができる。 戦地に臨んだ者、沈没した船舶の中に在った者その他死亡の原因となるべき危難に遭遇した者の生死が、それぞれ、戦争が止んだ後、船舶が沈没した後又はその他の危難が去った後1年間明らかでないときも、前項と同様とする。
第31条 [失踪の宣告の効力] 前条第1項の規定により失踪の宣告を受けた者は同項の期間が満了した時に、同条第2項の規定により失踪の宣告を受けた者はその危難が去った時に、死亡したものとみなす。
第32条 [失踪の宣告の取消し] 失踪者が生存すること又は前条に規定する時と異なる時に死亡したことの証明があったときは、家庭裁判所は、本人又は利害関係人の請求により、失踪の宣告を取り消さなければならない。この場合において、その取消しは、失踪の宣告後その取消し前に善意でした行為の効力に影響を及ぼさない。 失踪の宣告によって財産を得た者は、その取消しによって権利を失う。ただし、現に利益を受けている限度においてのみ、その財産を返還する義務を負う。
民法: 失踪の宣告
제27조(실종의 선고)부재자의 생사가 5년간 분명하지 아니한 때에는 법원은 이해관계인이나 검사의 청구에 의하여 실종선고를 하여야 한다. ② 전지에 임한 자, 침몰한 선박 중에 있던 자, 추락한 항공기 중에 있던 자 기타 사망의 원인이 될 위난을 당한 자의 생사가 전쟁종지후 또는 선박의 침몰, 항공기의 추락 기타 위난이 종료한 후 1년간 분명하지 아니한 때에도 제1항과 같다. <개정 1984.4.10>
제28조 (실종선고의 효과) 실종선고를 받은 자는 전조의 기간이 만료한 때에 사망한 것으로 본다.
제29조(실종선고의 취소) ①실종자의 생존한 사실 또는 전조의 규정과 상이한 때에 사망한 사실의 증명이 있으면 법원은 본인, 이해관계인 또는 검사의 청구에 의하여 실종선고를 취소하여야 한다. 그러나 실종선고후 그 취소전에 선의로 한 행위의 효력에 영향을 미치지 아니한다. ②실종선고의 취소가 있을 때에 실종의 선고를 직접원인으로 하여 재산을 취득한 자가 선의인 경우에는 그 받은 이익이 현존하는 한도에서 반환할 의무가 있고 악의인 경우에는 그 받은 이익에 이자를 붙여서 반환하고 손해가 있으면 이를 배상하여야 한다.
한국 민법: 실종의 선고

memo: ネコの菩薩とデクノボウ

無宗教派の総本山のひとつ、副都心にある教会ビル地階に彼女と二人でゆっくり降りていった。上方(じょうほう)湾曲(わんきょく)した鉄骨とガラスで造られた巨大なドーム屋根があり、鉄骨で仕切られた分厚いガラス越しにビル群と空が見える。その下の大広場は荘厳(そうごん)な空気をたたえ、無宗教派らしい建築様式を誇っている。人々はそこにいるだけで敬虔けいけんな気持ちになるのだった。

広々とした空間を囲む壁の一辺にコーヒーショップの丸テーブルが十(たく)ほど並んでいる。そのなかほどに陣取(じんど)って三時間あまり、イヌ族であるはずの僕は延々(えんえん)とネコ族にまつわる話を()き、相づちを打った。気むずかし屋の僕がよく笑い、彼女に負けじと饒舌(じょうぜつ)になった。三時間というのは腕時計の針がそう示していただけで、すっかり時間の経過(けいか)を忘れ、ほんの瞬間としか感じられなかった。彼女はネコ族らしい有能な話し手であり聞き手であった。多才な通訳者でもあるに違いない。

1970年代初めに서울の地下鉄構内で出会った老人について彼女に尋ねるべきだった。プラットホームと改札口レベルをつなぐ長いエスカレータが四本左右に並んでいた。中央の二本は下りで両端の二本が上り用だった。向かって右端の上りに乗っていた僕が見上げると、下りレーンのはるか上方から一人の老人が両手を広げ、まるで預言者が下界に降りながら人々に語りかけるように熱っぽく何かを訴えていた。彼が何を語っていたのか知りたかったのにわからないままなのだ。それを彼女に聞いてみたかった。

1980年代初めにネコ語を解すという小説家がいたが、僕はまったく信用しなかった。でも、きょう会った彼女は違う、ヒト族の言葉だけではなく、本当にネコ語を理解できるようなのだ。ネコなで声など、いとも簡単にゴロゴロあやつる。ネコ族に人知れず関心を抱いていた僕は彼女の話に夢中になり、その術中にはまってしまった。進んでかされたのである。そのせいだろう、何を話したのか、ほとんど覚えていない。

副都心駅まで一緒に歩いて別れたが、夜行性の生活者は十年以上都心に来たことがなく、その変貌(へんぼう)ぶりに驚いていた。前の晩もネコの(れい)に導かれるままに郊外の真っ暗な道路を運転していくと、巨大に明るいところに着き、その路上にネコの死体が横たわっていたという。タヌキの警官が検分(けんぶん)をしていたそうだ。昨夜も、僕と別れたあと皮膚ガンで顔が異様にふくらんだネコの看病(かんびょう)に行くのだと話していた。いまは自宅と彼女の勤める工場の構内に棲息(せいそく)する二十匹以上のネコの面倒(めんどう)をみているそうだ。

彼女は長いあいだ複数の国のさまざまな言葉を話す人たちと一緒に()らしていた。ある人は台湾(たいわん)語を話し、またある人は韓国語を話した。彼らのあいだの頼りない共通語は独特の日英語ともいうべきもので、ある時は日本語に聞こえ別の時には英語に聞こえた。大事なことは、彼らのあいだにそういう共通語が(つく)られたということだ。

日本島の経済状況に応じて共同生活者の人数は増減を繰り返したが、ある時期から減り始め、もとに戻ることはなかった。(にぎ)やかだった昔をなつかしみ、こい()がれたが、そこに帰る(すべ)はなかった。彼女は孤独感にさいなまれ人知れず()んでいた。医者にきいても確たる診断はない。そのころからだった、彼女は路上をうろつくネコたちに引かれるようになった。

ここまで彼女という三人称単数形を使って書いたが、それはある特定の個人をさすのではなく、ネコ族を献身的(けんしんてき)にサポートする複数の人たちの象徴(しょうちょう)であり、現代人そのものでもある。いつか、彼女たちとネコ族との関係について小説を書きたいと思う。それは童話の形式になるかもしれない。彼女たちが先に書くかもしれない。ちなみに、デクノボウというのは宮澤賢治の雨ニモマケズに登場する菩薩の修行者の意味である。

「いつか名もない魚になる」の下書き段階で、都会で野生化したネコ族が自販機(じはんき)を襲撃する事件が増え、2030年の日本島では自販機が禽獣(きんじゅう)を入れる(おり)のような(てつ)格子(ごうし)(おお)われているだろうと書いた。彼女の話を聴いている限り、ネコたちが野生化して獰猛(どうもう)なネコ族になることは想像しにくいのだが、その浸透ぶりはいつか彼らが人々の脅威(きょうい)になりかねないという不安を抱かせる。

a memory landscape

Shanghai Jiao Tong University, 2007上の写真は上海交通大学の構内にある建物です(2007年撮影)

カブァン(1897-1968)が上海亡命中1920年末から24年にかけて通ったミッションスクール Eliza Yates Girls’ School (晏摩氏女中、自伝は 암마씨스쿨 というハングル表記のみ、漢字名と英字名は上海市立図書館所蔵の資料による)があったと推定される場所に建っています。というより僕はその前に立っている、ずっと立ち続けているのです。

下の写真は同校1926年の年報に掲載された校舎です。上の写真と比べると、窓の数が異なるところもありますが、ほぼ同じ姿をしています。下の写真の建物は3階ですが、上のは4階かもしれません。極めてよく似ています。

以下はカブァン満9歳から29歳まで(30歳以降も付記)の年譜です。(  )内に陰暦ほかを記しました。

1907年 3月14日 初揀擇の儀(2月1日、徳寿宮)、カブァン皇太子妃候補に選ばれる
6月 ハーグ密使事件
8月 純宗、大韓帝国皇帝に即位、イウン皇太子に即位
12月5日 イウン日本へ連行される
1908年
1月23日 第2回揀擇の儀、婚約指輪が閔家に届けられる(07年12月20日)
1909年 10月26日 伊藤博文、安重根に暗殺される
1910年 8月22日 「日韓併合条約」調印
1916年 8月3日 イウンと梨本宮方子の婚約、日本の新聞に発表される
1918年 1月13日 イウン韓国に一時帰国する(17年12月1日)
1月31日 カブァン婚約破棄を迫られる(17[丁巳]年12月18日)
2月13日 カブァンとイウンの婚約破棄される(18[戊午]年1月3日)
7月5日 カブァンの祖母死去(5月27日)
1919年 1月4日 カブァンの父、閔泳敦死去(18年12月3日)
1月21日 高宗(李太王)の崩御(18年12月18日)公表される(12月20日)
3月1日 三一独立運動始まる
1920年 4月28日 イウンと梨本宮方子結婚する
7月22日 カブァン弟チョネンを連れ上海に亡命、東亜飯店(南京東路に面したホテル)に約3ヵ月滞在する
10月 フランス租界宝裕里に引っ越す、カブァンとチョネン晏摩氏スクールに入学。カブァン3年余り在籍
1924年初め カブァン日本官憲の追跡を恐れ同スクールを退学、山海関路に引っ越す
1927年 5月30日 イウンと方子ヨーロッパ旅行の途次、上海港沖で軍艦八雲に停泊(不穏な動きがあり上陸できず)

「日本の伝統」なるもの

「週刊金曜日」7月23日号の巻頭言で田中優子氏が明解に述べている。保守勢力の一部が主張する「日本の伝統」なるものがいかに浅薄皮相の僻見かがわかる。その一部を引用する。

日本の夫婦が同姓になったのは明治31年(1898年)である。それまでは夫婦別姓だったので、明治時代の帝国議会議員からは「同姓は日本の伝統に合わない」と反対の声があがった。この時は「選択的」ではないので、選ぶ余地なくすべての夫婦が同姓となった。どうせ言いくるめるなら、せめて「日本の伝統に戻してはならない。明治時代の日本を死守せよ」というべきであろう…

なるほど、と思い、「新聞集成明治編年史」第10巻(東洋問題多難期: 明治30-32年)を読んだ。後の日露戦争へと踏み込んでいく反露ムードが紙面に溢れている。サイトで検索すると、他ならぬ法務省のページが<氏の制度の変遷>について載せていたので、以下に引用する。

  • 徳川時代 : 一般に農民・町民には苗字=氏の使用は許されず。
  • 明治3年9月19日太政官布告 : 平民に氏の使用が許される。
  • 明治8年2月13太政官布告 : 氏の使用が義務化される。
  • ※兵籍取調べの必要上,軍から要求されたものといわれる。
  • 明治9年3月17日太政官指令 : 妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。
  • ※明治政府は妻の氏に関して実家の氏を名乗らせることとし,「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお,上記指令にもかかわらず,妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。
  • 明治31年民法(旧法)成立 : 夫婦は家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
  • ※旧民法は「家」の制度を導入し,夫婦の氏について直接規定を置くのではなく,夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。
  • 昭和22年改正民法成立 : 夫婦は婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
  • ※改正民法は旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ,男女平等の理念に沿って夫婦はその合意により夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとした。

假面 masque

マスク(mask)を付けながら、顔(masque)や個性(persona)のない人々、帽子やキャップを深々とかぶりマスクをした人々は顔を見せることがない。そもそも個性を持たない人々が増えているのではないか。個性とは何だという話は置いておく。

唐突ながら、正倉院宝物のなかにあった西域の人の仮面を思い出す。そうだ、突起状のマスクをした人々はカルラ(迦楼羅)そのものではないか。Wikipedia によると、カルラはガルーダに由来するらしい。そして、朝鮮のタル(假面)を思う。その優しさをたたえたゆたかな表情を見よ。

日本政府に現在の姿勢を変える意向がない以上、日韓関係をふつうの外交関係に戻すことを韓国政府に求めるべきではない。かえりみれば、明治国家が立ち上がって以来、日韓・日朝関係がまともな状態にあったことなどないのだから。翁の能面は微笑ほほえみながらもどこかかなしげだ。朝鮮のタルなみだこらえているように見える。

memo: 手のひらを見つめる人々

[以下に小説「いつか名もない魚になる」第三部第四節「手のひらを見つめる人々」(縦書き文庫)を引用します。7月14日東京で起きた踏切事故にあまりにも重なるからです。事故の犠牲者はスマホを見ながら踏切内に入り、近づいた電車の警告音にも気づかないで電車に跳ねられたといいます。さらに恐ろしいのは踏切バーの外で待っていた人々の多くがスマホに没頭していて、踏切内の人に注意することがなかったことです]

人々は睡眠を除くほとんどの時間、手のひらを見て過ごした。歩くとき、電車や地下鉄の到着を待つとき、電車の車内、エスカレータに乗っているとき、便座にすわっているとき、食事中、時間つぶしなど、家にいるときも外出先でも、いつも手のひらを見つめていた。車を運転するときや自転車に乗るときも手のひらを見ることをやめなかった。

歩くとき、人々は手のひらを自分に向け(ひじ)を九十度曲げて歩いた。駅構内の至るところで、手のひらを見ながら歩かないように注意するが、従う者はいない。手のひらに保存された写真や動画を含むデータに自分だけの領域を見いだし、好きなニュースやマンガを読み、ゲームに興じて時間を費やすことが大半の人々の日常になった。歩きながら事故に()う人も多く、駅ホームから線路に転落する人も絶えなかった。

[三〇年までにスマホが画期的変化を遂げ、スマフォと呼ばれるようになったようです。二〇年代と違って、手のひら自体がその機能を果たしたらしいのです。医師と記録係には想像しにくいのですが、凭也(ヒョーヤ)は診察中にそれらしい動作をすることがありました。スマホを手に持っていないのに、あたかも手のひらにあるように操作し、熱心に説明するのです]

左の手のひらを指でこすると、左手にスマフォ画面が立ち上がり、両方の手のひらを合わせてこすると両手に画面が表示される。画面サイズの拡大縮小もできる。スマフォの下辺が手首に接し、画面全体が手のひらの上に浮いて見える。画面はいつも見やすい角度に保たれ、指を立てたりそらせたりして画面の角度を自在に調整できる。画面の解像度がはるかに向上し、以前ほどのぞき込む必要がない。立ち上げたスマフォ画面を消すには、もう一度手のひらをこすればよい。

体の一部がスマフォになった感覚なので、置き忘れや落下の心配はなく、倒れて手のひらをついたときは自動的に消える。生体の新陳代謝にもとづく微弱電流を利用したからバッテリーもいらない。カメラのレンズ機能は人差し指か中指の爪に納められ、シャッターは同じ指の指先にあって、親指の指先で軽く押すだけだ。録音用のマイクとスピーカー機能も指先にあり、入力は音声か指で行われる。音声入力の場合は手のひらを口の近くに持ってきて小声で話せばいいし、手のひらに反対の手の指で文字を書けば文字入力もできる。手のひらをかざすだけで、別紙に書いた文章や画像をスキャンできる。手洗いや入浴時には画面を消せば、ただの手のひらになる。手のひらにプロジェクション・マッピングされた旧型のスマホ画面を想像すればよい。

ただ、スマフォが普及するにつれ、人々はますます自閉し、他者の意見を聞かなくなった。自分の体の一部に映し出されるものを自分だと思い込んだ人々は自分の手のひらばかりを見た。入力も電話も手のひらに向かうだけで、写真も動画も自在に撮れたから、盗撮(とうさつ)がさらに巧妙化した。周囲も他者も(かえりみ)ない、自閉症とスマフォ依存症を合併した症状を持つ人が(ちまた)(あふ)れた。

二〇二〇年代はじめに新型コロナウイルス感染症が世界中に猛威をふるい、外出が禁止された時期の状態が日常化したのだ。親子を含む家族内の衝突が増え、親が殺され、子が虐待(ぎゃくたい)される事件が多発した。自分の利益を守り正当化するのに汲々(きゅうきゅう)とする人が増え、職場や学校でもいじめや殺傷事件がふつうになった。さらに禁句が増えて自由な会話が制限され、人々が口にする言葉が空疎(くうそ)になった。

[コロナ後の数年間、官製マスクの着用が義務づけられ、言論封じ込め手段の一つとして日本島の支配層に利用されたことがありますが、それが常態化したのです]

スマフォの普及とともに、旧支配層による無宗教派の取り込みが一気に加速される。二〇年代後半には、旧テレビも旧新聞もスマフォに取って代わられ、これら旧メディアの入っていた高層ビルが無用の長物と化し、ンヴィニ教を含む無宗教派の寺院や教会のセンターに変貌していく。センターの一階に旧コーヒーショップやコンビニに似たスペースがあるのはその名残(なごり)である。

[「いつか名もない魚になる」第三部第四節「手のひらを見つめる人々」より抜粋しました]

闇の恐怖・やまの神々

このサイトに習作として載せている複数の短編を<縦書き文庫>に載せた。習作「闇の恐怖と山の神々」「一匹の黒犬」は連作なので、文庫への掲載に際し一本にまとめた。

複数の読者から「これは実話なのか」という問い合わせをいただいた。ここに一応の回答を記しておく(ほとんど答えになっていませんが)。

「実話」というのが、ここに書かれたことが「実際に起こったのか」という意味ならば、「似たような経験をしたが、実際に起こったことではない」と答えよう。あるいはまた、「実際に起こるはずはないだろう」という意味ならば、「いやいや、似たようなことを実際に経験したのです」と答えたいと思う。

平仮名の海に漢字の宝石が…

()琴峰(ことみ) LI Kotomi という台湾語籍と日本語籍を持つ、数々の文学賞を受賞している作家の記事を nippon.com で読んだ。すごい人がいるな、と感心するとともに、文学というものが持つ可能性の広さを考えた。以下、記事から引用させていただく。国籍ではない語籍という語彙が持つ広がりを思う。

…国籍というのは閉じられたもので、所定の条件を満たし、所定の手続きを踏まえ、所定の審査を通して初めて手に入るもの。新しい国籍を取得するためには古い国籍を放棄する必要がある場合もある。しかし「語籍」は開かれたもので、誰でもいつでも手に入れていいし、その気になれば二重、三重語籍を保持することもできる。国籍を取得するためには電話帳並みの申請書類が必要だけれど、語籍を手に入れるためには、言葉への愛と筆一本で物足りる。国籍は国がなくなれば消滅するけれど、語籍は病による忘却か、死が訪れるその日まで、誰からも奪われることはないのだ。

やっと日本語籍を取得したその日、講談社ビルを出て黒が濃密な夜空を見上げ、私は一度深呼吸をした。そして心の中で決めた。この二重語籍の筆で、自分の見てきた世界を彩るのだと。

日本語籍を取得した日

日本語への恋を叶えた台湾人作家、李琴峰が芥川賞を受賞

「いつか名もない魚(うを)になる」縦書き版

「いつか名もない魚(うを)になる」縦書き文庫版です。スマホのページ送りはページの左右をクリック、PCでは[ Jキー]が右送り、[Kキー]が左送りです。左右の送りキーでもページ送りできます。

縦書き文庫 (antiscroll.com)から入って、メニューの作品検索で「小栗」と入力すれば表示されます。短編2編もアップしました。タテ書きを楽しんでいます。新着作品リストにも載っています。

「縦の流れ」思考

「文字を追いながら、あるいは文字を(つむ)ぎながらでないと、思考が論理性を持っていかない…日本語は(たて)の流れのなかで思考する言語なので(たて)書きを手放すわけにはいかない」という一人の高校教員の文章に接し、大いに触発され考えさせられました。

いろいろ検索していたら、縦書き文庫という縦書き組版を提供する電子書籍サイトに出会いました。縦書き作品を普及させるべく無料で運営されています。試しに老書生の処女作をアップしてみたら、ヨコ書きで読んでいたのとは違った感覚がある。タテ書きで育った世代だからでしょうか、すーっと頭に入ってくるような気がしました。

ただ、スマホやPCの普及ですべてがヨコ書きになり、「日本語はタテの流れのなかで思考する言語」などという意見は片隅に追いやられてしまう昨今です。だから、あえて「タテの流れ思考」について考えてみたい、と思います。

漢文教科書の日韓比較 2000年ごろ(菊地明範氏提供)

馬場先生

先生に初めて会ったのは1998年8月に東京で開催された韓国朝鮮語の高校教師研修会のときだったろう。先生が勤めていた菊池農業高校を訪ねたことがある。同校は韓国全域にある農業高校との交流を実施しており、先生はその推進役を担っていた。

先生は6年あまり、熊本近代文学館で研究しながら「文学として」韓国や東アジア諸国とつながることをテーマに人脈を広げていった。2008年に始まったクムホアシアナ杯高校生大会の日本語エッセイ部門は、先生の人脈なしには成り立たなかった。

先生は人の話を真摯(しんし)によく聞く。僕の話もよく聞いてくれる。そんな先生の人となりを彷彿(ほうふつ)とさせる一人の中学生とのエピソードが天草高校のサイトに載っているという。それを教えてくれたのは、同じくクムホアシアナ杯の日本語エッセイ部門立ち上げに深く関わった中大杉並高校の菊地先生だった。二人とも国語の先生だ。

(ある日の朝、一人の中学生が先生の官舎の前で自転車のギアにゴムひもをからませて途方(とほう)にくれていた。先生ほか三人が彼女を親身になって助けたが、しばらく経った雨の降る晩、その中学生が母親とともに官舎を訪ね(何度か訪ねた末にようやく)、お礼の手紙を届けてくれた。

このあいだはありがとうございました。
お仕事の時間ギリギリまでつきあわせてしまい、このあとどのようにすればいいかまで教えてくださり、本当に感謝しています。そして、自転車はすっかりなおり、
いつもどおりに乗ることができています。これからもお体にお気をつけてお過ごし
ください。

この手紙を読んだ先生は、海岸沿いに歩いていた中学生の自分を思い出す。

……私は、天草(あまくさ)町高浜(たかはま)の出身です。中学に入学したばかりの時、小学校からの友人が苓北(れいほく)町の医師会病院に入院したので、バスを乗り継(つ)いでお見舞(みま)いに行ったことがあります。
 しかし、話に夢中になって、母と約束した午後四時過ぎのバスに乗り遅れてしまいました。バスの時刻表を見ると、次の最終バスが出るのは午後六時過ぎ。二時間ほどあります。当時はスマホもなく、親に連絡する手段もないので、『母が心配するだろうな』と思うと、いつの間にか海岸沿いの道を歩き始めていました。
 やがて辺りを夕日が赤く染め、そして、日が落ち、足元も見えないくらいの闇がやってきました。怖くて歩を進めるのだけれど、行っても行っても、灯(あか)り一つ見えてきません。波の音が静かに響いているだけです。
 やっと、道のはるか遠くに灯りが見え始め、泣きながら必死に走ってたどり着いたのは、下田温泉の停留所でした。ベンチにすわって泣き声を必死にこらえながら泣いていると
 『どうして、もっと早く帰らなかった』と自分を責(せ)める声が響いてきます。
 しかし、それに答えることができないので、また、涙を流すのです。
 あの時、あのバス停に人がいたら、たぶん、変な子供だと思われたかもしれませんが、抱き着いて泣いていたような気がします。
 しばらくすると、丸い灯(あか)りを灯(とも)したバスがやってきて、無事高浜まで帰ることができました。
 案の定(あんのじょう)、母にはこっぴどく叱(しか)られました。しかし、母のもとに帰ってくることができたというのがとても嬉(うれ)しかったのを覚えています。
 だから、というわけではないのですが、困っている人を見ると、自分ができる、できない、ということを飛び抜かして、声を掛(か)けてしまうのです。
 誰かが横にいてくれるというだけで心が安らぐ、安心できるということを体験したから。

馬場先生や菊地先生と会うと、延々と話が続き笑いが絶えない。三人の共通点はいくつかあるが、その最大なものは「多情多恨(たじょうたこん)」であろう。お二人は否定するだろうが…

法律を読む姿勢の180度転換

行政書士試験の過去問を解けない理由が一つ明らかになった。僕は、法律の利用者(申請者)の側から解釈していたが、過去問を解くためには、法律の制定者の側から読解しなければいけないということなのだ。これを法律を読む姿勢の180度転換と呼ぶことにする。

たとえば、行政手続法第7条に次の規定がある(一部編集)。申請者の立場に立てば申請書に不備があった場合はその旨指摘してもらいたいから、行政機関はそうすべきだと考える。だが、そうではない。申請内容に形式上の不適合があった場合、「許認可を拒否することができると読まなければいけないのだ。

また、同法12条には不利益処分について「行政庁は処分基準を定め、かつこれを公にしておくよう努めなければならない」「処分基準を定めるに当たっては不利益処分の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない」とある。不利益処分を受ける側は具体的な処分基準を参照したいが、行政側は作らなくてもよいということなのだ。それは努力義務にすぎないのだから。

第7条 [申請に対する審査、応答] 行政庁は申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該申請の審査を開始しなければならず、かつ申請書の記載事項に不備がないこと、申請書に必要な書類が添付されていること、申請をすることができる期間内にされたものであることその他の法令に定められた申請の形式上の要件に適合しない申請については速やかに申請をした者(申請者)に対し相当の期間を定めて当該申請の補正を求め又は当該申請により求められた許認可等を拒否しなければならない
第12条 [処分の基準] 行政庁は処分基準を定め、かつこれを公にしておくよう努めなければならない 行政庁は処分基準を定めるに当たっては不利益処分の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない

行政手続法とは

1970年代以降、国交省(旧運輸省)、外務省、文科省(旧文部省)、金融庁関東財務局など、さまざま形で長期短期に関わってきた行政機関に関する法律の共通項を定めた行政手続法、その構成は次のとおり(句読点等一部編集)。

第1章 総則(第1-4条)
第2章 申請に対する処分(第5-11条)
第3章 不利益処分
 第1節 通則(第12-14条)
 第2節 聴聞(第15-28条)
 第3節 弁明の機会の付与(第29-31条)
第4章 行政指導(第32-36条の2)
第4章の2 処分等の求め(第36条の3)
第5章 届出(第37条)
第6章 意見公募手続等(第38-45条)
第7章 補則(第46条)
附則

その第1章総則を法令リードより引用する。第2条[定義]に続き適用除外規定がある。

第1条 [目的等] この法律は、処分、行政指導及び届出に関する手続並びに命令等を定める手続に関し、共通する事項を定めることによって、行政運営における公正の確保と透明性行政上の意思決定について、その内容及び過程が国民にとって明らかであることをいう。第46条において同じ)の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資することを目的とする。
 処分、行政指導及び届出に関する手続並びに命令等を定める手続に関しこの法律に規定する事項について、他の法律に特別の定めがある場合は、その定めるところによる
第2条 [定義] この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
 法令 法律、法律に基づく命令(告示を含む)、条例及び地方公共団体の執行機関の規則(規程を含む。以下「規則」という)をいう。
 処分 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為をいう。
 申請 法令に基づき、行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分(以下「許認可等」という)を求める行為であって、当該行為に対して行政庁が諾否の応答をすべきこととされているものをいう。
 不利益処分 行政庁が、法令に基づき、特定の者を名あて人として、直接に、これに義務を課し、又はその権利を制限する処分をいう。ただし、次のいずれかに該当するものを除く。
 事実上の行為及び事実上の行為をするに当たりその範囲、時期等を明らかにするために法令上必要とされている手続としての処分
 申請により求められた許認可等を拒否する処分その他申請に基づき当該申請をした者を名あて人としてされる処分
 名あて人となるべき者の同意の下にすることとされている処分
 許認可等の効力を失わせる処分であって、当該許認可等の基礎となった事実が消滅した旨の届出があったことを理由としてされるもの
 行政機関 次に掲げる機関をいう。
 法律の規定に基づき内閣に置かれる機関若しくは内閣の所轄の下に置かれる機関、宮内庁、内閣府設置法(平成11年法律第89号)第49条第1項若しくは第2項に規定する機関、国家行政組織法(昭和23年法律第120号)第3条第2項に規定する機関、会計検査院若しくはこれらに置かれる機関又はこれらの機関の職員であって法律上独立に権限を行使することを認められた職員
 地方公共団体の機関(議会を除く)
 行政指導 行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないものをいう。
 届出 行政庁に対し一定の事項の通知をする行為(申請に該当するものを除く)であって、法令により直接に当該通知が義務付けられているもの(自己の期待する一定の法律上の効果を発生させるためには当該通知をすべきこととされているものを含む)をいう。
 命令等 内閣又は行政機関が定める次に掲げるものをいう。
 法律に基づく命令(処分の要件を定める告示を含む。次条第2項において単に「命令」という)又は規則
 審査基準(申請により求められた許認可等をするかどうかをその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準をいう。以下同じ)
 処分基準(不利益処分をするかどうか又はどのような不利益処分とするかについてその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準をいう。以下同じ)
 行政指導指針(同一の行政目的を実現するため一定の条件に該当する複数の者に対し行政指導をしようとするときにこれらの行政指導に共通してその内容となるべき事項をいう。以下同じ)
第3条 [適用除外] 次に掲げる処分及び行政指導については、次章から第4章の2までの規定は、適用しない。
 国会の両院若しくは一院又は議会の議決によってされる処分
 裁判所若しくは裁判官の裁判により、又は裁判の執行としてされる処分
 国会の両院若しくは一院若しくは議会の議決を経て、又はこれらの同意若しくは承認を得た上でされるべきものとされている処分
 検査官会議で決すべきものとされている処分及び会計検査の際にされる行政指導
 刑事事件に関する法令に基づいて検察官、検察事務官又は司法警察職員がする処分及び行政指導
 国税又は地方税の犯則事件に関する法令(他の法令において準用する場合を含む)に基づいて国税庁長官、国税局長、税務署長、国税庁、国税局若しくは税務署の当該職員、税関長、税関職員又は徴税吏員(他の法令の規定に基づいてこれらの職員の職務を行う者を含む)がする処分及び行政指導並びに金融商品取引の犯則事件に関する法令(他の法令において準用する場合を含む)に基づいて証券取引等監視委員会、その職員(当該法令においてその職員とみなされる者を含む)、財務局長又は財務支局長がする処分及び行政指導
 学校、講習所、訓練所又は研修所において、教育、講習、訓練又は研修の目的を達成するために、学生、生徒、児童若しくは幼児若しくはこれらの保護者、講習生、訓練生又は研修生に対してされる処分及び行政指導
 刑務所、少年刑務所、拘置所、留置施設、海上保安留置施設、少年院、少年鑑別所又は婦人補導院において、収容の目的を達成するためにされる処分及び行政指導
 公務員(国家公務員法(昭和22年法律第120号)第2条第1項に規定する国家公務員及び地方公務員法(昭和25年法律第261号)第3条第1項に規定する地方公務員をいう。以下同じ)又は公務員であった者に対してその職務又は身分に関してされる処分及び行政指導
 外国人の出入国、難民の認定又は帰化に関する処分及び行政指導
十一 専ら人の学識技能に関する試験又は検定の結果についての処分
十二 相反する利害を有する者の間の利害の調整を目的として法令の規定に基づいてされる裁定その他の処分(その双方を名宛人とするものに限る)及び行政指導
十三 公衆衛生、環境保全、防疫、保安その他の公益に関わる事象が発生し又は発生する可能性のある現場において警察官若しくは海上保安官又はこれらの公益を確保するために行使すべき権限を法律上直接に与えられたその他の職員によってされる処分及び行政指導
十四 報告又は物件の提出を命ずる処分その他その職務の遂行上必要な情報の収集を直接の目的としてされる処分及び行政指導
十五 審査請求、再調査の請求その他の不服申立てに対する行政庁の裁決、決定その他の処分
十六 前号に規定する処分の手続又は第3章に規定する聴聞若しくは弁明の機会の付与の手続その他の意見陳述のための手続において法令に基づいてされる処分及び行政指導
 次に掲げる命令等を定める行為については、第6章の規定は、適用しない。
 法律の施行期日について定める政令
 恩赦に関する命令
 命令又は規則を定める行為が処分に該当する場合における当該命令又は規則
 法律の規定に基づき施設、区間、地域その他これらに類するものを指定する命令又は規則
 公務員の給与、勤務時間その他の勤務条件について定める命令等
 審査基準、処分基準又は行政指導指針であって、法令の規定により若しくは慣行として、又は命令等を定める機関の判断により公にされるもの以外のもの
 第1項各号及び前項各号に掲げるもののほか、地方公共団体の機関がする処分(その根拠となる規定が条例又は規則に置かれているものに限る)及び行政指導、地方公共団体の機関に対する届出(前条第7号の通知の根拠となる規定が条例又は規則に置かれているものに限る)並びに地方公共団体の機関が命令等を定める行為については、次章から第6章までの規定は、適用しない。
第4条 [国の機関等に対する処分等の適用除外] 国の機関又は地方公共団体若しくはその機関に対する処分(これらの機関又は団体がその固有の資格において当該処分の名あて人となるものに限る)及び行政指導並びにこれらの機関又は団体がする届出(これらの機関又は団体がその固有の資格においてすべきこととされているものに限る)については、この法律の規定は、適用しない。
 次の各号のいずれかに該当する法人に対する処分であって、当該法人の監督に関する法律の特別の規定に基づいてされるもの(当該法人の解散を命じ、若しくは設立に関する認可を取り消す処分又は当該法人の役員若しくは当該法人の業務に従事する者の解任を命ずる処分を除く)については、次章及び第3章の規定は、適用しない。
 法律により直接に設立された法人又は特別の法律により特別の設立行為をもって設立された法人
 特別の法律により設立され、かつ、その設立に関し行政庁の認可を要する法人のうち、その行う業務が国又は地方公共団体の行政運営と密接な関連を有するものとして政令で定める法人
 行政庁が法律の規定に基づく試験、検査、検定、登録その他の行政上の事務について当該法律に基づきその全部又は一部を行わせる者を指定した場合において、その指定を受けた者(その者が法人である場合にあっては、その役員)又は職員その他の者が当該事務に従事することに関し公務に従事する職員とみなされるときは、その指定を受けた者に対し当該法律に基づいて当該事務に関し監督上される処分(当該指定を取り消す処分、その指定を受けた者が法人である場合におけるその役員の解任を命ずる処分又はその指定を受けた者の当該事務に従事する者の解任を命ずる処分を除く)については、次章及び第3章の規定は、適用しない。
 次に掲げる命令等を定める行為については、第6章の規定は、適用しない。
 国又は地方公共団体の機関の設置、所掌事務の範囲その他の組織について定める命令等
 皇室典範(昭和22年法律第3号)第26条の皇統譜について定める命令等
 公務員の礼式、服制、研修、教育訓練、表彰及び報償並びに公務員の間における競争試験について定める命令等
 国又は地方公共団体の予算、決算及び会計について定める命令等(入札の参加者の資格、入札保証金その他の国又は地方公共団体の契約の相手方又は相手方になろうとする者に係る事項を定める命令等を除く)並びに国又は地方公共団体の財産及び物品の管理について定める命令等(国又は地方公共団体が財産及び物品を貸し付け、交換し、売り払い、譲与し、信託し、若しくは出資の目的とし、又はこれらに私権を設定することについて定める命令等であって、これらの行為の相手方又は相手方になろうとする者に係る事項を定めるものを除く)
 会計検査について定める命令等
 国の機関相互間の関係について定める命令等並びに地方自治法(昭和22年法律第67号)第2編第11章に規定する国と普通地方公共団体との関係及び普通地方公共団体相互間の関係その他の国と地方公共団体との関係及び地方公共団体相互間の関係について定める命令等(第1項の規定によりこの法律の規定を適用しないこととされる処分に係る命令等を含む)
 第2項各号に規定する法人の役員及び職員、業務の範囲、財務及び会計その他の組織、運営及び管理について定める命令等(これらの法人に対する処分であって、これらの法人の解散を命じ、若しくは設立に関する認可を取り消す処分又はこれらの法人の役員若しくはこれらの法人の業務に従事する者の解任を命ずる処分に係る命令等を除く)
第36条の3 [処分等の求め] 何人も法令に違反する事実がある場合において、その是正のためにされるべき処分又は行政指導(その根拠となる規定が法律に置かれているものに限るがされていないと思料するとき当該処分をする権限を有する行政庁又は当該行政指導をする権限を有する行政機関に対し、その旨を申し出て当該処分又は行政指導をすることを求めることができる。
 前項の申出は次に掲げる事項を記載した申出書を提出してしなければならない。
 申出をする者の氏名又は名称及び住所又は居所
 法令に違反する事実の内容
 当該処分又は行政指導の内容
 当該処分又は行政指導の根拠となる法令の条項
 当該処分又は行政指導がされるべきであると思料する理由
 その他参考となる事項
 当該行政庁又は行政機関は第1項の規定による申出があったときは、必要な調査を行いその結果に基づき必要があると認めるときは、当該処分又は行政指導をしなければならない
行政手続法第1章、第4章の2(法令リード)

『言語 この希望に満ちたもの』

言語 この希望に満ちたもの: TAVnet*時代を生きる(野間秀樹著、北海道大学出版会 2021年7月発行)の第1章を読んだ。著者の言語観というより世界観が独自の文体で述べられ、小説好きの老書生にも読めそうだ。「中高生くらいのみなさん」とも共有できるだろうとしながら、読者には「言語をめぐるありようを見すえる<構え>がほしい」としている。目次は次のとおりで、どの章からでも読める構成だという。 * T: text, A: audio, V: visual

第1章 ことばを最も深いところから考える: 言語はいかに実現するか
第2章 ことばと意味の場を見すえる: 言語場の劇的な変容への<構え>を
第3章 世界の半分は言語でできている: ことばのパンデミック
第4章 ことばへの総戦略を: 内から問う
第5章 ことばへの総戦略を: 外から問う
終章 言語 この希望に満ちたもの: やはり、生きるための言語

第1章に図があり(p. 28)、<話されたことば>と<書かれたことば>についてわかりやすく説明している。ちなみに、よく耳にする<話しことば>と<書きことば>を著者は「言語の表現様式」と呼び、<話されたことば>と<書かれたことば>を「言語の存在様式」と呼んで、両者を峻別すべきだと主張する。

図のタイトルは、音の<かたち>としての<話されたことば>と光の<かたち>としての<書かれたことば>であり、両者の関係を次のように分析している。

音の世界に<話されたことば>が実現する
<話されたことば>を光の世界に照らし出す
光の世界に<書かれたことば>が実現する
<書かれたことば>は<話されたことば>の単なる写しではなく、座標軸自体がねじれた互いに位相の異なる実現体である

言語学の門外漢である僕が類推したのは<演奏された音楽=演奏>と<記された音楽=楽譜>である。ただ、この類推が間違っていないとすると、音楽は<ことば>だという解釈が成り立ってしまう。音楽は著者のいう<かたち>を持たないのだろうか。

ワクチン予防接種済証(臨時)

きょう2回目のコロナウィルスワクチン接種を終え、予防接種済証(臨時)を受け取った。そこに最終有効年月日という記載があったので、気になって確認した。はじめ武田薬品の専用ダイヤルに問い合わせたところ、数分保留された後に自治体・国が決めていることなので、問い合わせてほしいとのことだった。

厚労省の専用ダイヤル(複言語対応している)に問い合わせると、5分ほど保留された後に、最終有効年月日というのは、海外工場でワクチンが製造出荷された後、しかるべく冷凍保存された場合に6ヵ月有効という意味だとのこと。僕の場合、接種日からちょうど4ヵ月後だったが、接種日とは関係ないとの回答でした。

要するに、ワクチンを接種した後の有効期限ではないということだ。接種後どれぐらいの期間有効かというのは、ワクチンが接種を受けた者の体内で抗体をつくってどうなるとかによるのだろうから、そうそう単純ではないということだ。誤解を招くかもしれない有効年月日は記載しないほうがよいのではないか。

Certificate of vaccination for COVID19

仮説: 日本島にもあった「日帝時代」

「日帝時代」は朝鮮半島や台湾あるいは満州国にだけあったのではない、日本島にもあったと考えるべきではないか。反論もありそうだが、一つの仮説として有効ではなかろうか。

明治維新だ、大正デモクラシーだと美化された時代、朝鮮半島等における「日帝時代」と同じ抑圧を日本臣民(天皇主権だから国民主権ではない)に課していたのではないか。こんな当たり前のことをなぜ自覚できなかったのだろうか。

その残滓どころではない、明治維新150年を祝い、明治期の英雄にまつわるる歴史ドラマがNHKの後押しで、繰り返し喧伝される。そこで作られる歴史観をそのまま受け入れ、物言わぬ視聴者になってはいけないとも思う。

重要なことは、大日本帝国(1889-1945)と日本国(1945/46-)を、截然と分けて捉えることだ。天皇が神から象徴になって継続しているという幻説に惑わされてはならない。両者に共通する版図(領土)があるとするのはよいが、二つの異質な体制なのであって連続していない、連続するものと考えてはならない。「戦前」「戦後」という区分の仕方そのものが、連続させる意図を内包していると考えるべきだと思う。

コロナ禍のなかの選挙戦

選挙戦が始まるたびに憂鬱になる。くり返し名前と陳腐な枕詞を連呼する街宣車は右翼のそれと同じく騒音であり、粗大ゴミの収集車と同じく住宅街の静けさを破る迷惑行為でしかない。彼らに共通しているのは住民や通行人を愚弄していることだ。コロナ禍のなか、せめて大声をはりあげるのはやめてくれ。

サブリミナル効果を狙っているとしか思われない名前の連呼の合間に「応援ありがとうございます」「お勤めご苦労さまです」「お疲れさまです」「お騒がせして申しわけございません」のくり返し。これが日本国の選挙戦の現状だ。選挙権を持たない在日外国人のことなど想像だにできない人たちが多様性を謳いLGBTを唱える。

同時にTVに映る、人を喰ったような顔の閣僚、目線が泳いでいる党首、いかにも右顧左眄しているような表情の党首を見るにつけ、政治に対する失望と怒りの混ざった虚しさを感じる。そういうおまえば何をしていると問われれば困るのだが、だからといって何も発しないわけにはいかない。

民主党政権がダメになって以来の野党の低迷と、本来結びつくはずのない自公連携による選挙戦が日本国の政治を貶(おとし)めて久しい。この怒りをどこに向け何をなすべきか、ブログでほざいていても何にもならないのではあるが。

彼女の入籍日は6.25ユギオー

留学して帰国直後に結婚した彼女が入籍したのは6月25日だった。その後しばらくして家族だけの結婚式、友人や会社同僚を呼んだ披露宴と続いたので、入籍日はあまり記憶に残らなかったようだ。だが、僕にとって6月25日は朝鮮戦争が勃発した日である。

先日何かの書類に結婚入籍日を記入する必要性があった彼女は、日にちを思い出せなかった。そのとき、僕の言っていたことを思い出して、検索で朝鮮戦争勃発と入力して、日にちを確認したという。不真面目な話に聞こえるかもしれないが、こういう記憶の仕方もあるのです。

6.25、韓国語の発音はユギオーです。

憲法の第1章天皇より重要な前文

現行憲法はその前文冒頭に国民主権を掲げている。明治憲法では天皇主権だったから、主権在民こそが現行憲法の画期的な点であろう。その現行憲法の肝心かなめはむしろ前文に述べられている。単なる「まえがき」と考えてはならないと思う。以下、前文より抜粋して引用する。

…..政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する…..

ところが、現行憲法の第1章は国民ではなく天皇に関する条文で、第2章は戦争放棄の第9条のみである。第3章にようやく国民の権利及び義務がくる。第4章以下、国会・内閣・司法・財政・地方自治・改正・最高法規・補則とつづく。

法律も歴史的な制約のなかで作られるものだから、現行憲法が明治憲法の影響を免れないのは理解できるのだが、前文で国民主権を高らかに謳っていながら、第1章に天皇が来るのはおかしいのではないか。第2章戦争の放棄は、明治期以来の戦争につぐ戦争に対する反省を表明したものとして理解できるが、その前に象徴であれ何であれ天皇が来るのはおかしいのではないか。70歳の老書生はそう思うのである。

ASMR

きのう、韓国人の友人と話していて、はじめてASMRという言葉を聞いた。尋ねると Autonomous Sensory Meridian Response の略で、韓国では流行語の一つになっているという。リモートワークが定着し、コーヒーショップで仕事する人も多く、これがないと仕事がはかどらない人も少なくないそうだ。

きょう、いつものコーヒーショップに行くと、少し混んでいて気に入った席がなかったので、半ば仕方なく、別室の有料コーナーに入った。そこに流れているBGMがまさにASMRだった。山奥の清流の音と旋律がかなりの音量で流れている。どれぐらい耐えられるかな、と思いながら1時間過ごした。

コロナに関する話題といい、ASMRといい、韓国でも日本でも共通の社会現象が同時に継起していて、おもしろい時代になったと思う。

コーヒー専門店、預言Cafe

Arise Tokyo Christ Church

預言カフェという名のコーヒー専門店がある。キリスト教会が運営している。小説で描いたことが明確な形で目の前に現れたかと思った。入口に続く細長い廊下に十数名の人が列を作って待っている。隣接するプレスクールも同じ教会が運営しているようだ。

以下「いつか名もない魚になる」より引用

初夏のころ、ある教会のカウンター席でスマホを操作しながらガラス窓越しに外を見ると、強風が渦巻いて街路樹の枝を激しく揺らしていた。上空には黒々とした雲がすさまじい勢いで飛んでいる。何か不吉なことが起きるかもしれない。でも教会にいる限り心配はないはずだった。無宗教派は誰でも受け入れるのだから。

「いらっしゃいませ、ご入会ですか……かしこまりました……以上でよろしいですか……カードで……タッチお願いします……失礼いたします……ご入会は二年ごとに更新されます」

若い女の司祭が、語頭にアクセントのある異教徒らしい抑揚で改宗者を相手に機械的なやり取りを繰り返している。実に無駄のないやり取りだ。ちなみに、入会するかどうか尋ねるのは、見学だけの人々が少なくないからだ。この同じセリフの繰り返しが耳について記録係は耐えられない。

小栗章氏10年前にL.A.で客死(享年83)

https://www.rafu.com/%E5%B0%8F%E6%A0%97%E7%AB%A0/

現地の日系人向けのコミュニティ紙に掲載された訃報だと思うが、僕が死んでも、こういう通知はないだろうな、静かに去るのみ。ちなみに、RAFUはロサンゼルスの漢字表記の羅府で、裸婦ではありませんので、念のため。

The article reminded me of two Koreans I had encountered with early in 1970s. One was Mangyum who had left Korea for the U.S. in the latter half of 70s, the other was a woman who had got married to a man living in the Western Coast. Hope they had read the article appeared in the Rafu shimpo a decade ago and thought of me for a while.

気に入ったコーヒーショップ

午後、五反田駅近くにオープンしたコーヒーショップでPCに向かっていた。店内の人々の話し声が騒々しいが、道路に面したベランダがあって、そこと店内との敷居にある引き戸式のガラス戸が全面開いているから、人々の話し声が行き交うクルマの騒音でかき消される。僕はその敷居のすぐ内側にある長いテーブル席の端に外を向いてすわっていた。2時間ほどいた。

時間あたり330円で10人ほど入れる仕事部屋が設けられているが、3時間利用すると千円、少し高いような気もする。1日置いてまた行った。なかなか居心地がいい。きょうは昼食をはさんで3時間いた。→翌週、その仕事部屋に入った。なかなか居心地がいい。

店を出て歩道を歩き始めたとき、胸の奥に短い断続的な痛みを感じ、軽いめまいに襲われた。電車で立っているのがつらかった。少し頭痛もしたので、家に帰るとすぐ横になった。夕食のあとまた寝た。しばらく、ようすを見ようと思うが、両親とも心筋梗塞で入院しているから心配ではある。

Shaws and Goolees