「日本国」と「大日本帝国」の連続と不連続

日本国憲法の前文を再掲する。いつ読んでも、真情溢れる格調高い文章だと思う(太字・下線表示と段落付けは投稿者による)。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した
 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふわれらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものでありこの法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる
 日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ
https://shaws2021.wordpress.com/
大日本帝国憲法から日本国憲法への移行 (c)Wikipedia
大日本帝国憲法(明治憲法)
第7章補則
第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

日本国憲法と大日本帝国憲法のあいだには越えがたい不連続がある。これを連続するものとして捉えるのは間違っている。日本政治の貧しさの要因の一つが、不連続を連続と捉える思考法にあると考えるべきではないか。戦後の義務教育を通じてこの連続史観が生徒たちに刷り込まれてきた。大浜啓吉『法の支配とは何か』より引用する。

国家とは何か。憲法が国を作るのであって国が憲法を作るのではない(近代法の常識)。明治憲法の作った国を大日本帝国といい日本国憲法の作った国を日本国という二つは根本的に違う国であるから、当然にその原理を異にする。明治国家の統治原理を「法治国家 Rechtsstaat」といい日本国の統治原理を「法の支配 rule of law」という前者は立憲君主制の統治原理であり、主権が天皇にある以上、基本的人権という概念は認められない。個人は具体的な法律が認めた限りで権利を認められたにすぎない(法律の留保)。
日本国の統治原理である「法の支配」の源流は英米法にある。「法の支配」の根底にあるのは自由で平等な尊厳ある個人社会という概念である。尊厳ある個人を起点にして社会が構成され、国家は社会に生起する公共的問題を解決するために、人為的に作られた機構にすぎない。人は国家のなかで生きるのではなく、社会のなかで自己実現を果たす。平和で自由に生きるためには健全な「社会」が必要であり、国家は社会の健全性を保持するための存在だから、個人の自由に介在することは許されない。国家の役割はあくまでも社会の足らざるところを補完するか、社会に奉仕することによって個人の人権を護ることにある
ナショナルレベルの社会とローカルレベルの社会とは抱える問題の種類も性質も違って然るべきである。問題が違う以上、国家が自治体(国家)に過剰介入することは許されない。[国が定める]法律と[地方公共団体が定める]条例の問題もこの原理にもとづいて解釈する必要がある。憲法の保障する地方自治の本旨は人権→地域社会→自治体の補完という筋で解釈されなければならない。これもまた「法の支配」原理から引き出されるルールである。
行政法とは、①行政権の組織を作り、②行政活動の根拠を与え、③行政活動の結果、私人とのあいだに紛争が起きたときにこれを裁断するルールを定める法律のことである。現在、日本には約2000本の法律が存在するが、行政法はその9割を占める。憲法は国家機関の行為を縛る規範だから、行政法の基本原理についても憲法の根底にある「法の支配」の原理を投影して考察しなければならない
大浜啓吉著『法の支配とは何か』より引用
1946(昭和21)年1月1日付け官報号外(天皇の「人間宣言」とされる公示) https://tb.antiscroll.com/novels/goolee/23635
詔書
ここニ新年ヲ迎フ。かえりミレバ明治天皇明治ノはじめ国是こくぜトシテ五条ノ御誓文ごせいもんくだたまヘリ。いわク、
一、広ク会議ヲおこ万機ばんき公論こうろんニ決スヘシ
一、上下心ヲひとつニシテ盛ニ経綸けいりんヲ行フヘシ
一、官武一途いっと庶民ニ至ルまでその志ヲケ人心ヲシテマサラシメンコトヲ要ス
一、旧来きゅうらい陋習ろうしゅうヲ破リ天地ノ公道ニもとづクヘシ
一、智識ちしきヲ世界ニ求メ大ニ皇基こうき振起しんきスヘシ
叡旨えいし公明正大、又何ヲカ加ヘン。ちんここちかいあらたニシテ国運ヲ開カントほっス。すべかラク此ノ御趣旨しゅしのっとリ、旧来きゅうらい陋習ろうしゅうヲ去リ、民意ヲ暢達ちょうたつシ、官民ゲテ平和主義ニてっシ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。
大小都市ノこうむリタル戦禍せんか罹災者りさいしゃ艱苦かんく、産業ノ停頓ていとん、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢すうせい等ハまことニ心ヲ痛マシムルモノアリ。しかリトいえどモ、我国民ガ現在ノ試煉しれんニ直面シ、かつ徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、ク其ノ結束ヲまっとウセバ、ひとリ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努カヲこうスベキノときナリ。
おもフニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハややモスレバ焦躁しょうそうニ流レ、失意ノふち沈淪ちんりんセントスルノ傾キアリ。詭激きげきノ風ようやク長ジテ道義ノ念すこぶおとろへ、ためニ思想混乱ノきざしアルハまこと深憂しんゆうヘズ。
しかレドモちん爾等なんじら国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚きゅうせきわかタント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯じんたいハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニリテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニあらズ。天皇ヲ以テ現御神アキツカミトシ、かつ日本国民ヲもっテ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、ひいテ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモあらズ。
朕ノ政府ハ国民ノ試煉しれんト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱じかん蹶起けっきシ、当面ノ困苦こんく克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往ゆうおうセンコトヲ希念きねんス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相リ相たすケ、寛容相許スノ気風ヲ作興さっこうスルニ於テハ、ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。かくノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ所以ゆえんナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲひとつニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就じょうじゅセンコトヲ庶幾こいねがフ。
御名 御璽
昭和二十一年一月一日

「無宗教社会を生きる」はじめに

「いつか名もない魚になる」の続編として「無宗教社会を生きる」 ( 「ハイジン教の改宗者たち」「ハイジン教の似非えせ信者たち」さらに「경호の眷属」と改題してきた)」を書き進めている。主人公は長年日本に住む韓国人だ。読者は「小説らしくない」「難解で読みにくい」という。このまま埋もれるのだろうか。

縦書き文庫「無宗教社会を生きる」はじめに
この小説ならぬ「中説」を僕は死ぬまで書き続けることになるかもしれない。七十二歳で書き始めたから、せいぜいあと十年か二十年だろうが、人生で最も充実じゅうじつすべき期間でもある。晩年とはいわない、それは伝統的な時間軸のとらえ方にとらわれた見方だから。
「無宗教社会」にむ人々はふつうその「無宗教性」を意識することがない。空気のように浸透しているそれに気づかないのだが、ある日ふとその「無宗教性」に気づく人がいる。一度それに気づくと、けっして忘れようがない。執拗しつように付きまとわれ、それにあらが葛藤かっとうしながら生きなければならないからだ。その葛藤ゆえに社会との関わり方が不自然になり周囲と摩擦を生じるなど何かと不自由なことが多い。そのわずらわしさに耐えられず自死を図る人も少なくない。在日三世の경호ギョンホ、彼と同棲する韓国人미연ミヨン경호ギョンホの母親ほかを通じて、彼らが「無宗教社会」で生きる姿と彼らに共通する傾向性などを描こうとした。 
 この文章は昨年十一月に「実験小説<拝人教の改宗者たち>創作ノート」と題して書き始めました。「実験」という言葉が示すとおり、小説であることに疑問を感じたのです。その後これは小説ではないと思い、中説(小説と批評文の中間に位置する文章)としました。題名も「ハイジン教の改宗者たち」「ハイジン教の似非えせ信者たち」と修正し、さらに「無宗教社会を生きる」に改めました。いまも執筆中です。縦書き文庫のサイトに直接入力して創作するという「実験」性は維持し、執筆過程を読者と共有するスタイルも変わりません。社会や人々の生き方を根底から批評する小説ならぬ「中説」があり得ると考えています。問題は読者がこのような作品を認めてくれるかどうかですが、作者としては書き続けるしかありません。
I may continue to write this “chusetsu” which literally means middle statement or opinion, not “shosetsu,”a novel, until the day I die. Since I began writing at the age of seventy-two, it will probably be another ten or twenty years at most, but it is also the most fulfilling time of my life. I don’t call it the last years of my life, because the concept of which is captured by the trapped way of the traditional time frame.
 People living in “irreligious societies” are usually unaware of their “irreligiousness.” It infiltrates their lives like air, and they are unaware of it, but there are people who become aware of their “irreligiousness” suddenly one day. Once they become aware of it, they never forget it. Rather, it persistently follows them, and they have to live their lives struggling against it.  
 Because of this conflict, the way they relate to society becomes unnatural, causing friction with those around them, and they are often inconvenienced in some way. Many people attempt suicide because they cannot stand the hassle. Through Gyungho, his mother, Gyungho’s cohabitant Miyeon, and others, I tried to depict how they live in a “irreligious society” and what they have in common.  
 I began writing this text last November under the title “Notes on the creation of an experimental novel: Converts of the Haijin-kyo.” As the word “experimental” suggests, I had my doubts about it being a novel. Later, I decided that this was not a novel and decided to call it a critical novel (a text that falls somewhere between a novel and a critical essay). I also revised the title to “Converts of the Haijin-kyo” and “Pseudo-believers of the Haijin-kyo,” and further changed it to “Living in an irreligious society.” I am still writing the book.  
 It is still being written. I will maintain the “experimental” nature of the book, in the sense that it is created by direct input to the Tategaki-bunko (vertical writing library) website, and the style of sharing the writing process with readers will remain the same. I believe that there can be “chusetsu” which literally means middle theory, or “critical novels,” that critique society and people’s way of life fundamentally. The question is whether readers will recognize and accept such works, but as an author, I have no choice but to continue writing. (translated by DeepL)
[下の写真: 品川区東海寺にある賀茂眞淵の墓]

国際戦没者追悼式という提案

1952(昭和27)年から今日にいたるまで毎年実施されている全国ならびに各地域の戦没者追悼式、その意味を改めて考えてみたい。以前から感じている最大の疑問は追悼対象が日本人に限られていることだ。

1952年当時、日本は戦後期の真っ只中にあり、戦没者の追悼式典が内向きなものになったのはやむを得ない、と理解することはできよう。ただ、それをそのまま継続しながら、一方で「戦後は終わった」とするのはおかしいのではないか。

戦没者というのは、文字どおり戦争で非業の死を遂げた人々のことである。日本軍が侵略した朝鮮・中国を含むアジア全域と太平洋地域で多くの兵士が死んでいった。沖縄戦や広島・長崎の原爆あるいは東京大空襲による一般市民の犠牲者も戦没者であろう。

忘れてならないのは、これらの兵士や一般市民のなかに日本国籍でない人々がいたことだ。さらに想うべきは、アジア太平洋地域において多くの外国人兵士と一般市民が先の戦争で非業の死を遂げたということだ。こう考えると、戦没者追悼式がいまも国内向けでしかないことは恥ずべきことに思われる。

このような趣旨において、全国戦没者追悼式の対象を日本ならびにアジア太平洋地域において先の戦争の犠牲になった戦没者に拡大することを提案したい。たとえば、式典に在京の関係各国大使等の出席を求め、国際戦没者追悼式とするのである。「積極的平和主義」という耳馴れない用語にも符合する式典となるのではないだろうか。

友人の失踪宣告

かつて親しくしていた友人の失踪宣告をしなければならない。1975年12月だったろう、三峰口から雲取山にはじめて登山し、一時期よく奥多摩や秩父に同行した友人と1年あまり連絡がとだえたままなのだ。数年前に会ったのが最期で、東北の実家に戻り母親の面倒をみると聞いた。ネットや電話のやり取りはあったが、それもとだえて久しい。寡黙でいつも笑っていた彼の失踪を宣告しなければならないと思う。自分を納得させるためだ。

以下、日韓の民法の失踪宣告に関する条文を引用する。先日、Netflix 「愛の不時着」で主人公の失踪から1ヵ月で死亡宣告をしていたのが気になって調べると、日韓とも特別失踪は危難が去ってから1年としている。これに準じて、ネット上で1年連絡が取れなくなった者は失踪とみなせるのではないかと考えた。他界することの意味を再考しなければならない。

カメラに関心を持ったのは彼の影響だった。行政書士試験を勧めたのも彼だった。デクノボウを連想させる男から、僕は少なからず影響を受けているようだ。そんな彼の追悼ブログを八戸歳々時記として載せた。音信はとだえたが、いつか同界(他界の対語)できれば、と思う。

失踪宣告に関する民法条文の日韓比較:

第30条 [失踪の宣告] 不在者の生死が7年間明らかでないときは、家庭裁判所は、利害関係人の請求により、失踪の宣告をすることができる。 戦地に臨んだ者、沈没した船舶の中に在った者その他死亡の原因となるべき危難に遭遇した者の生死が、それぞれ、戦争が止んだ後、船舶が沈没した後又はその他の危難が去った後1年間明らかでないときも、前項と同様とする。
第31条 [失踪の宣告の効力] 前条第1項の規定により失踪の宣告を受けた者は同項の期間が満了した時に、同条第2項の規定により失踪の宣告を受けた者はその危難が去った時に、死亡したものとみなす。
第32条 [失踪の宣告の取消し] 失踪者が生存すること又は前条に規定する時と異なる時に死亡したことの証明があったときは、家庭裁判所は、本人又は利害関係人の請求により、失踪の宣告を取り消さなければならない。この場合において、その取消しは、失踪の宣告後その取消し前に善意でした行為の効力に影響を及ぼさない。 失踪の宣告によって財産を得た者は、その取消しによって権利を失う。ただし、現に利益を受けている限度においてのみ、その財産を返還する義務を負う。
民法: 失踪の宣告
제27조(실종의 선고)부재자의 생사가 5년간 분명하지 아니한 때에는 법원은 이해관계인이나 검사의 청구에 의하여 실종선고를 하여야 한다. ② 전지에 임한 자, 침몰한 선박 중에 있던 자, 추락한 항공기 중에 있던 자 기타 사망의 원인이 될 위난을 당한 자의 생사가 전쟁종지후 또는 선박의 침몰, 항공기의 추락 기타 위난이 종료한 후 1년간 분명하지 아니한 때에도 제1항과 같다. <개정 1984.4.10>
제28조 (실종선고의 효과) 실종선고를 받은 자는 전조의 기간이 만료한 때에 사망한 것으로 본다.
제29조(실종선고의 취소) ①실종자의 생존한 사실 또는 전조의 규정과 상이한 때에 사망한 사실의 증명이 있으면 법원은 본인, 이해관계인 또는 검사의 청구에 의하여 실종선고를 취소하여야 한다. 그러나 실종선고후 그 취소전에 선의로 한 행위의 효력에 영향을 미치지 아니한다. ②실종선고의 취소가 있을 때에 실종의 선고를 직접원인으로 하여 재산을 취득한 자가 선의인 경우에는 그 받은 이익이 현존하는 한도에서 반환할 의무가 있고 악의인 경우에는 그 받은 이익에 이자를 붙여서 반환하고 손해가 있으면 이를 배상하여야 한다.
한국 민법: 실종의 선고

「日本の伝統」なるもの

「週刊金曜日」7月23日号の巻頭言で田中優子氏が明解に述べている。保守勢力の一部が主張する「日本の伝統」なるものがいかに浅薄皮相の僻見かがわかる。その一部を引用する。

日本の夫婦が同姓になったのは明治31年(1898年)である。それまでは夫婦別姓だったので、明治時代の帝国議会議員からは「同姓は日本の伝統に合わない」と反対の声があがった。この時は「選択的」ではないので、選ぶ余地なくすべての夫婦が同姓となった。どうせ言いくるめるなら、せめて「日本の伝統に戻してはならない。明治時代の日本を死守せよ」というべきであろう…

なるほど、と思い、「新聞集成明治編年史」第10巻(東洋問題多難期: 明治30-32年)を読んだ。後の日露戦争へと踏み込んでいく反露ムードが紙面に溢れている。サイトで検索すると、他ならぬ法務省のページが<氏の制度の変遷>について載せていたので、以下に引用する。

  • 徳川時代 : 一般に農民・町民には苗字=氏の使用は許されず。
  • 明治3年9月19日太政官布告 : 平民に氏の使用が許される。
  • 明治8年2月13太政官布告 : 氏の使用が義務化される。
  • ※兵籍取調べの必要上,軍から要求されたものといわれる。
  • 明治9年3月17日太政官指令 : 妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。
  • ※明治政府は妻の氏に関して実家の氏を名乗らせることとし,「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお,上記指令にもかかわらず,妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。
  • 明治31年民法(旧法)成立 : 夫婦は家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
  • ※旧民法は「家」の制度を導入し,夫婦の氏について直接規定を置くのではなく,夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。
  • 昭和22年改正民法成立 : 夫婦は婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
  • ※改正民法は旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ,男女平等の理念に沿って夫婦はその合意により夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとした。

假面 masque

マスク(mask)を付けながら、顔(masque)や個性(persona)のない人々、帽子やキャップを深々とかぶりマスクをした人々は顔を見せることがない。そもそも個性を持たない人々が増えているのではないか。個性とは何だという話は置いておく。

唐突ながら、正倉院宝物のなかにあった西域の人の仮面を思い出す。そうだ、突起状のマスクをした人々はカルラ(迦楼羅)そのものではないか。Wikipedia によると、カルラはガルーダに由来するらしい。そして、朝鮮のタル(假面)を思う。その優しさをたたえたゆたかな表情を見よ。

日本政府に現在の姿勢を変える意向がない以上、日韓関係をふつうの外交関係に戻すことを韓国政府に求めるべきではない。かえりみれば、明治国家が立ち上がって以来、日韓・日朝関係がまともな状態にあったことなどないのだから。翁の能面は微笑ほほえみながらもどこかかなしげだ。朝鮮のタルなみだこらえているように見える。

memo: 手のひらを見つめる人々

[以下に小説「いつか名もない魚になる」第三部第四節「手のひらを見つめる人々」(縦書き文庫)を引用します。7月14日東京で起きた踏切事故にあまりにも重なるからです。事故の犠牲者はスマホを見ながら踏切内に入り、近づいた電車の警告音にも気づかないで電車に跳ねられたといいます。さらに恐ろしいのは踏切バーの外で待っていた人々の多くがスマホに没頭していて、踏切内の人に注意することがなかったことです]

人々は睡眠を除くほとんどの時間、手のひらを見て過ごした。歩くとき、電車や地下鉄の到着を待つとき、電車の車内、エスカレータに乗っているとき、便座にすわっているとき、食事中、時間つぶしなど、家にいるときも外出先でも、いつも手のひらを見つめていた。車を運転するときや自転車に乗るときも手のひらを見ることをやめなかった。

歩くとき、人々は手のひらを自分に向け(ひじ)を九十度曲げて歩いた。駅構内の至るところで、手のひらを見ながら歩かないように注意するが、従う者はいない。手のひらに保存された写真や動画を含むデータに自分だけの領域を見いだし、好きなニュースやマンガを読み、ゲームに興じて時間を費やすことが大半の人々の日常になった。歩きながら事故に()う人も多く、駅ホームから線路に転落する人も絶えなかった。

[三〇年までにスマホが画期的変化を遂げ、スマフォと呼ばれるようになったようです。二〇年代と違って、手のひら自体がその機能を果たしたらしいのです。医師と記録係には想像しにくいのですが、凭也(ヒョーヤ)は診察中にそれらしい動作をすることがありました。スマホを手に持っていないのに、あたかも手のひらにあるように操作し、熱心に説明するのです]

左の手のひらを指でこすると、左手にスマフォ画面が立ち上がり、両方の手のひらを合わせてこすると両手に画面が表示される。画面サイズの拡大縮小もできる。スマフォの下辺が手首に接し、画面全体が手のひらの上に浮いて見える。画面はいつも見やすい角度に保たれ、指を立てたりそらせたりして画面の角度を自在に調整できる。画面の解像度がはるかに向上し、以前ほどのぞき込む必要がない。立ち上げたスマフォ画面を消すには、もう一度手のひらをこすればよい。

体の一部がスマフォになった感覚なので、置き忘れや落下の心配はなく、倒れて手のひらをついたときは自動的に消える。生体の新陳代謝にもとづく微弱電流を利用したからバッテリーもいらない。カメラのレンズ機能は人差し指か中指の爪に納められ、シャッターは同じ指の指先にあって、親指の指先で軽く押すだけだ。録音用のマイクとスピーカー機能も指先にあり、入力は音声か指で行われる。音声入力の場合は手のひらを口の近くに持ってきて小声で話せばいいし、手のひらに反対の手の指で文字を書けば文字入力もできる。手のひらをかざすだけで、別紙に書いた文章や画像をスキャンできる。手洗いや入浴時には画面を消せば、ただの手のひらになる。手のひらにプロジェクション・マッピングされた旧型のスマホ画面を想像すればよい。

ただ、スマフォが普及するにつれ、人々はますます自閉し、他者の意見を聞かなくなった。自分の体の一部に映し出されるものを自分だと思い込んだ人々は自分の手のひらばかりを見た。入力も電話も手のひらに向かうだけで、写真も動画も自在に撮れたから、盗撮(とうさつ)がさらに巧妙化した。周囲も他者も(かえりみ)ない、自閉症とスマフォ依存症を合併した症状を持つ人が(ちまた)(あふ)れた。

二〇二〇年代はじめに新型コロナウイルス感染症が世界中に猛威をふるい、外出が禁止された時期の状態が日常化したのだ。親子を含む家族内の衝突が増え、親が殺され、子が虐待(ぎゃくたい)される事件が多発した。自分の利益を守り正当化するのに汲々(きゅうきゅう)とする人が増え、職場や学校でもいじめや殺傷事件がふつうになった。さらに禁句が増えて自由な会話が制限され、人々が口にする言葉が空疎(くうそ)になった。

[コロナ後の数年間、官製マスクの着用が義務づけられ、言論封じ込め手段の一つとして日本島の支配層に利用されたことがありますが、それが常態化したのです]

スマフォの普及とともに、旧支配層による無宗教派の取り込みが一気に加速される。二〇年代後半には、旧テレビも旧新聞もスマフォに取って代わられ、これら旧メディアの入っていた高層ビルが無用の長物と化し、ンヴィニ教を含む無宗教派の寺院や教会のセンターに変貌していく。センターの一階に旧コーヒーショップやコンビニに似たスペースがあるのはその名残(なごり)である。

[「いつか名もない魚になる」第三部第四節「手のひらを見つめる人々」より抜粋しました]

闇の恐怖・やまの神々

このサイトに習作として載せている複数の短編を<縦書き文庫>に載せた。習作「闇の恐怖と山の神々」「一匹の黒犬」は連作なので、文庫への掲載に際し一本にまとめた。

複数の読者から「これは実話なのか」という問い合わせをいただいた。ここに一応の回答を記しておく(ほとんど答えになっていませんが)。

「実話」というのが、ここに書かれたことが「実際に起こったのか」という意味ならば、「似たような経験をしたが、実際に起こったことではない」と答えよう。あるいはまた、「実際に起こるはずはないだろう」という意味ならば、「いやいや、似たようなことを実際に経験したのです」と答えたいと思う。

平仮名の海に漢字の宝石が…

()琴峰(ことみ) LI Kotomi という台湾語籍と日本語籍を持つ、数々の文学賞を受賞している作家の記事を nippon.com で読んだ。すごい人がいるな、と感心するとともに、文学というものが持つ可能性の広さを考えた。以下、記事から引用させていただく。国籍ではない語籍という語彙が持つ広がりを思う。

…国籍というのは閉じられたもので、所定の条件を満たし、所定の手続きを踏まえ、所定の審査を通して初めて手に入るもの。新しい国籍を取得するためには古い国籍を放棄する必要がある場合もある。しかし「語籍」は開かれたもので、誰でもいつでも手に入れていいし、その気になれば二重、三重語籍を保持することもできる。国籍を取得するためには電話帳並みの申請書類が必要だけれど、語籍を手に入れるためには、言葉への愛と筆一本で物足りる。国籍は国がなくなれば消滅するけれど、語籍は病による忘却か、死が訪れるその日まで、誰からも奪われることはないのだ。

やっと日本語籍を取得したその日、講談社ビルを出て黒が濃密な夜空を見上げ、私は一度深呼吸をした。そして心の中で決めた。この二重語籍の筆で、自分の見てきた世界を彩るのだと。

日本語籍を取得した日

日本語への恋を叶えた台湾人作家、李琴峰が芥川賞を受賞

「いつか名もない魚(うを)になる」縦書き版

「いつか名もない魚(うを)になる」縦書き文庫版です。スマホのページ送りはページの左右をクリック、PCでは[ Jキー]が右送り、[Kキー]が左送りです。左右の送りキーでもページ送りできます。

縦書き文庫 (antiscroll.com)から入って、メニューの作品検索で「小栗」と入力すれば表示されます。短編2編もアップしました。タテ書きを楽しんでいます。新着作品リストにも載っています。

わきびとたち