11世紀初めの著作とされる『源氏物語』に魅せられている。その第1帖「桐壺」に帝が源氏の将来を考え、来朝中の高麗人(高麗 고려 918-943)の人相見に密かに源氏の相をみさせる場面がある。下のスライドは縦書き文庫「與謝野源氏」桐壺の巻後段から引用した。1枚目の最終行に「皇子を外人の旅宿する鴻臚館へおやりに」とある。
スライド6枚目に次の文章がある。「光の君という名は前に鴻臚館へ来た高麗人が、源氏の美貌と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである」
11世紀初めの著作とされる『源氏物語』に魅せられている。その第1帖「桐壺」に帝が源氏の将来を考え、来朝中の高麗人(高麗 고려 918-943)の人相見に密かに源氏の相をみさせる場面がある。下のスライドは縦書き文庫「與謝野源氏」桐壺の巻後段から引用した。1枚目の最終行に「皇子を外人の旅宿する鴻臚館へおやりに」とある。
スライド6枚目に次の文章がある。「光の君という名は前に鴻臚館へ来た高麗人が、源氏の美貌と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである」
書きかけの文章の題名を再び改め、「ギョンホとその母」[仮英訳] Gyungho and his Mother とした(22/12/05)。<無宗教社会>の虚構性について「中説」という形を借りて描きたいのだが、なかなか思うように進まない。堂々巡りしている。12月に入り数ヵ月ぶりに母に会う三日前、母だけの伝記を書くことを断念し、題名を変更した。畢竟、自分の生き方が母のそれに重なっている、と気づいた。母に会って構想を説明すると、神妙な表情で聞いていた。
ギョンホについては、日本人に対する韓国語の蔑称 쪽발이、왜놈 をもじって 반쪽발이、반왜놈 (半倭奴) とする。日本人の縮約形 일인 をもじって 반일인 (半日人、半日人) としてもよい。僕の対自認識はこれに近いものだ。
無宗教社会などありはしないのに、一九四五年夏以後、日本島に棲む人々は自分たちの社会が科学的で非神話的な社会に生まれ変わったと考えたようだ。それ以前の社会が非科学的で暴力的で狂信的だったとしたわけではないが、その年の八月をもって歴史の断絶を創出し、「一億総懺悔」という宗教的な「場」を人々のあいだに浸透させた。人々が自ら考えてそうしたわけではない。彼らは長い年月、天皇を現人神として崇め、巧妙な監視体制のもとで考える能力をなくしていたから、このときもまた何者かが巧妙に仕組んだに違いない。天皇は神のまま天上界に隠れることもできたはずだが、何と神を人間界に降臨ならぬ降格させるという奇策をもって元号の連続を図ったのだ。それは人々に少なからぬ混乱と困惑をもたらした。その精神的後遺症のひとつが筆者が<無宗教>と呼ぶ症候群の集団発症だった。この精神疾患ではほとんどの人に自覚症状がない。 |
There is no such thing as a non-religious society anywhere, but after the summer of 1945, the people inhabiting the island of Japan seemed to think that their society had been reborn as a scientific and non-mythical society. This is not to say that the previous society was unscientific, violent, or fanatical, but August of that year created a historical rupture, and a religious ‘field’ of “100 million repentance” permeated the population. The people did not do this on their own initiative. They had long worshipped the Emperor as a living god and had lost the ability to think under a sophisticated surveillance system, so this time, too, someone had cleverly orchestrated it. The emperor could have remained a god and hidden in the heavenly realm, but instead, he decided to make the succession of the original title of the emperor a bizarre measure by demoting a god to the human realm. This caused a great deal of confusion and bewilderment among the people. One of the mental aftereffects of this was the mass development of what I call the “irreligious” syndrome. Most people with this mental disorder have no subjective symptoms. [Translated with http://www.DeepL.com/Translator%5D |
十九世紀後半から大日本帝國は<富國強兵>という名のもとにほぼ現在の中国やロシアに相当する国々と戦争をし、現在の台湾・韓国・北朝鮮を植民地にし中国東北部地域に満州國を樹立して版図を拡張した。一九三十年代には中国内陸部と東南アジア地域に戦域を広げ、四十年代には米国と戦争するに至った。その過程で双方の兵が殺しあい、大日本帝國軍は自國とアジア地域の人々の平和な生活を壊し人権を蹂躙して殺戮もした。
一方で五族協和を唱えアジア解放を謳っていた。二〇二二年のロシアによるウクライナ侵攻とそのプロパガンダは、大日本帝國による侵攻と報道管制のようすを彷彿とさせる。一九四五年八月に無条件降伏し、大日本帝國は瓦解したかにみえるが、その残滓は今も日本社会のどこかに温存されている、と筆者は考える。
戦後、雨後の筍と形容されるように<新興宗教>が勃興した。多くは戦前の似非宗教に対する反動ゆえに同じく非宗教であったが、人々は宗教も非宗教も区別できないまま盲目的に追随するか無宗教を決め込んだ。創価学会はそんな時代に全国で折伏という名の布教活動をくり広げた。その仏教運動は既存の仏教各派や神道キリスト教等を邪宗邪教として一蹴した。人々は創価学会を略して「学会」と呼び、会員を「学会員」と呼んで忌み嫌ったが、その実像を理解している人は少ない。その大衆運動に驚き戸惑った人々は「学会」を忌まわしい団体とし「貧乏人と病人の集団」と呼んで蔑み排斥した。この集団の勢いを恐れ、統率のとれた会員の表面的な活動だけをみて全体主義と評する者すらいた。
二〇二三年、日本社会に暮らす多くの人々の「宗教」観は二十世紀後半からほとんど変わっていないのではないだろうか。いや、むしろ無宗教性がさらに深まり、スマフォ依存症とその延長上にある脳内露出症が蔓延している。
戦前の天皇を中心とする国家神道に対する反動からだろう、「無宗教」がよしとされ普通とされる戦後の日本社会において、神社での祈祷は「信仰」とは違うとされ、正月にはみな神社に参詣する。また、葬儀や法事には僧侶に読経してもらい念仏を唱えることが死者に対する弔いであり通過儀礼とされている。戦前と同じようにいずれも「信仰」とは異なるものとして扱われるのだ。筆者は、仮説として現代日本社会を「無宗教社会」と呼ぶ。この作品もその仮説を前提している。
「無宗教社会」では、何かを「信じる」者は非科学的だとされ、「信仰」を持つ者は弱者として疎んじられる。「信仰」を説き、宗教団体に勧誘する者はうさん臭いものになってしまう。長いあいだ思想と情報の統制下に置かれ考える習慣を持たない人々は、これまでどおり自ら思考する力を失っていた。その状況は戦後八十年が経とうとする現在も大きく変わってはいない。そんな人々の思考と信仰の真空域に「学会」が現れたのである。
「学会員」となることは「信仰」を持つことを宣言するだけではない。人々が習俗として取り込んできた既存の神仏を否定する。それを知りながら、경호の母は「学会員」になった。周囲の人々に侮られ陰口をたたかれ、夫に嫌われながらも「学会員」になる選択をした。なぜだろう、何が彼女を仏教運動に赴かせたのだろうか。この中説を通じて考えてみたいと思う。
“NON-RELIGIOUS SOCIETY” AS A HYPOTHESIS |
From the latter half of the nineteenth century, under the name of “Wealth and National Strength,” the Japanese Empire went to war with countries that are roughly equivalent to today’s China and Russia, colonizing what is now Taiwan, Korea, and North Korea, and expanding its territory by establishing Manchukuo in the northeastern region of China. In the 1930s, it expanded its war areas into inland China and Southeast Asia, and in the 1940s, it went to war with the United States. In the process, soldiers from both sides killed each other, and the Imperial Japanese Army deprived the people of these regions of their customs and culture, violated their human rights, and slaughtered them. On the other hand, the Imperial Japanese Army advocated “harmony among the five races” and claimed the liberation of Asia. Russia’s invasion of Ukraine in 2022 and its propaganda are reminiscent of the invasion by the Empire of Japan and its control of the press. Although Japan surrendered unconditionally in August 1945 and the Empire of Japan seemed to have collapsed, I believe that the remnants of the Imperial Japanese Empire still exist in some parts of Japanese society. After the war, new religions sprang up like bamboo shoots after the rain. Many of them were non-religious as well, as a reaction against the false religions of the prewar period, but people blindly followed them without being able to distinguish between religion and non-religion, or decided to have no religion. In such an era, the Soka Gakkai spread its proselytizing activities, known as shakubuku, throughout the country. Its Buddhist movement kicked out existing Buddhist sects, Shintoism, Christianity, and other religions as paganism and pagan religions. People called the Soka Gakkai “Gakkai” for short and abhorred its members, calling them Gakkai members, but few people understood the true nature of the movement. People who were surprised and perplexed by the mass movement called the Gakkai an abominable organization and scorned and ostracized it, calling it “a group of poor and sick people.” Fearing the momentum of this group, some people even described it as totalitarianism based only on the superficial observations of its well-organized members. In 2023, the view of “religion” of many people in Japanese society had hardly changed from the late 20th century. Rather, irreligiousness has deepened further, and smartphone addiction and its extension, brain-exposure disorder, are widespread. In postwar Japanese society, where “irreligion” is considered acceptable and normal, perhaps as a reaction against the emperor-centered state Shinto of the prewar era, praying at shrines is considered different from “faith,” and everyone pays homage to shrines on New Year’s Day. In addition, at funerals and Buddhist memorial services, people are asked to recite sutras and chant the Buddhist prayer to the dead, which is considered a mourning and rite of passage for the deceased. As in the prewar period, these are treated as something different from “faith.” The author calls contemporary Japanese society a “non-religious society” as a hypothesis. This work is also based on that hypothesis. In a “non-religious society,” those who “believe” in something are considered unscientific, and those who have “faith” are marginalized as weak. Those who preach “faith” and invite people to join religious organizations are regarded as shady. People who have been under the control of ideas and information for a long time and who do not have the habit of thinking have lost the ability to think for themselves, as they always had been. This situation has not changed much in the 80 years since the end of World War II. The Gakkai appeared in the vacuum of people’s thoughts and beliefs as described above. Becoming a Gakkai member is not only a declaration of one’s “faith.” It is a denial of the existing gods and Buddha that people have taken in as a matter of custom. Knowing this, Gyungho’s mother became a Gakkai member. She made the choice to become a Gakkai member even though people around her belittled her, talked about her behind her back, and her husband disliked her. Why, I wonder, did she choose to become a member of the Buddhist movement? Through this essay, I would like to think about it. |
Translated with http://www.DeepL.com/Translator |
旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて 青空文庫「晶子詩篇全集」より |
「晶子詩篇全集」自序 美濃部民子様 わたくしは今年の秋の初に、少しの暇を得ましたので、明治卅三年から最近までに作りました自分の詩の草稿を整理し、其中から四百廿壱篇を撰んで此の一冊にまとめました。かうしてまとめて置けば、他日わたくしの子どもたちが何かの底から見附け出し、母の生活の記録の断片として読んでくれるかも知れないくらゐに考へてゐましたのですが、幸なことに、実業之日本社の御厚意に由り、このやうに印刷して下さることになりました。 ついては、奥様、この一冊を奥様に捧げさせて頂くことを、何とぞお許し下さいまし。 奥様は久しい以前から御自身の園にお手づからお作りになつてゐる薔薇の花を、毎年春から冬へかけて、お手づからお採りになつては屡わたくしに贈つて下さいます。お女中に持たせて来て頂くばかりで無く、郊外からのお帰りに、その花のみづみづしい間にと思召して、御自身でわざわざお立寄り下さることさへ度度であるのに、わたくしは何時も何時も感激して居ます。わたくしは奥様のお優しいお心の花であり匂ひであるその薔薇の花に、この十年の間、どれだけ励まされ、どれだけ和らげられてゐるか知れません。何時も何時もかたじけないことだと喜んで居ます。 この一冊は、決して奥様のお優しいお心に酬い得るもので無く、奥様から頂くいろいろの秀れた美くしい薔薇の花に比べ得るものでも無いのですが、唯だわたくしの一生に、折にふれて心から歌ひたくて、真面目にわたくしの感動を打出したものであること、全く純個人的な、普遍性の乏しい、勝手気儘な詩ですけれども、わたくしと云ふ素人の手作りである点だけが奥様の薔薇と似てゐることに由つて、この光も香もない一冊をお受け下さいまし。 永い年月に草稿が失はれたので是れに収め得なかつたもの、また意識して省いたものが併せて二百篇もあらうと思ひます。今日までの作を総べて整理して一冊にしたと云ふ意味で「全集」の名を附けました。制作の年代が既に自分にも分らなくなつてゐるものが多いので、ほぼ似寄つた心情のものを類聚して篇を分ちました。統一の無いのはわたくしの心の姿として御覧を願ひます。 山下新太郎先生が装幀のお筆を執つて下さいましたことは、奥様も、他の友人達も、一般の読者達も、共に喜んで下さいますことと思ひます。 與謝野晶子 |
ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末に生れし君なれば
親のなさけは勝りしも、
親は刄をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四までを育てしや。
堺の街のあきびとの
老舗を誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家の習ひに無きことを。
君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
互に人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人の誉れとは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何で思されん。
ああ、弟よ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君に
おくれたまへる母君は、
歎きのなかに、いたましく、
我子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母の白髪は増さりゆく。
暖簾のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻を
君忘るるや、思へるや。
十月も添はで別れたる
少女ごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああまた誰を頼むべき。
君死にたまふことなかれ。
“You Shall Not Die” Oh, brother . I weep for you. Do not die, little brother. You are the youngest, so your parents’ love must have been strong. Did your parents teach you to hold a knife and kill people? Did they raise you until you were 24 years old, telling you to kill people and die yourself? You are the owner of a historic merchant family in the city of Sakai. You carry on your parents’ name, so don’t die. I don’t care if the castle in Lushun falls or not. You probably don’t know this, but the merchant’s family code states There is no such item as killing a man and dying yourself. Do not die, my brother. The Emperor did not go off to war himself. He wants us to shed blood for each other and die in the way of the beast. How can you call that honoring act? Would the deep-hearted Εmperor even think such a thing in the first place? Oh, my brother. Please don’t die in a war. Your father passed away last fall and Your mother has been painfully in her grief. Her son was drafted and she protects the house by herself. Even though this is supposed to be the era of the Emperor’s reign, which was said to be a time of peace and security. Your mother’s gray hairs are growing. The frail, young new wife who lies down behind the curtain and weeps. Have you forgotten her? Or do you think of her? Think of the heart of the young wife who left you after less than 10 months of living with you. You are not alone in this world. Oh, who can I turn to again? Please, brother, do not die. |
Translated with http://www.DeepL.com/Translator |
底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社 1929(昭和4)年1月20日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。固有名詞も原則として例外とはしませんでしたが、人名のみは底本のままとしました。 ※底本の総ルビをパララルビに変更しました。被ルビ文字の選定に当たっては、以下の方針で対処しました。 (1)「定本 與謝野晶子全集 第九、十巻」講談社(1980(昭55)年8月10日、1980(昭55)年12月10日)で採用されたものは付す。 (2)常用漢字表に記載されていない漢字、音訓等については原則として付す。 (3)読みにくいもの、読み誤りやすいものは付す。 底本では採用していない、表題へのルビ付けも避けませんでした。 ※ルビ文字は原則として、底本に拠りました。底本のルビ付けに誤りが疑われる際は、以下の方針で対処しました。 (1)単純な脱字、欠字は修正して、注記しない。 (2)誤りは修正して注記する。 (3)旧仮名遣いの誤りは、修正して注記する。 (4)晶子の意図的な表記とするべきか誤りとするべきか判断の付かないものは、「ママ」と注記する。 (5)当該のルビが、総ルビのはずの底本で欠けていた場合にも、その旨は注記しない。 ※疑わしい表記の一部は、「定本 與謝野晶子全集 第九、十巻」を参考にしてあらため、底本の形を、当該箇所に注記しました。 ※各詩編表題の字下げは、4字分に統一しました。 ※各詩編の行の折り返しは、底本では1字下げになっています。 ※「暗殺酒舗」と「暗殺酒鋪」の混在は、底本通りにしました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号1-5-86)を、大振りにつくっています。 入力:武田秀男 校正:kazuishi ファイル作成: 2004年7月2日作成 2012年3月23日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 |
●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 「執/れんが」、U+24360 11-上-10、66-下-13、100-上-6、106-上-6、106-下-5、127-上-12、137-下-2、165-上-4、166-下-6、172-下-7、174-上-12、176-上-8、176-下-5、177-上-1、177-上-1、184-下-2、188-下-11、197-上-4、197-上-12、197-下-2、205-上-3、207-下-1、225-下-11、225-下-12、231-下-7、232-上-1、254-下-7、259-下-1、262-下-10、290-上-13、290-下-14、297-上-1、298-上-7、300-下-4、302-上-7 |
與謝野晶子訳「源氏物語」を縦書き文庫で読むことができます。下の表の題名をクリックすると各帖を表示します。画像: 紫式部(土佐光起画 石山寺蔵); 登場人物 (wakogenji より); Principal Characters (サイデンステッカー訳より)
帖 | 題名 | 晶子の歌(各帖の冒頭に記載) |
---|---|---|
1 | 桐壺 | 紫のかがやく花と日の光思ひあはざることわりもなし |
2 | 帚木 | 中川の皐月 の水に人似たりかたればむせびよればわななく |
3 | 空蝉 | うつせみのわがうすごろも風流男に馴 れてぬるやとあぢきなきころ |
4 | 夕顔 | うき夜半 の悪夢と共になつかしきゆめもあとなく消えにけるかな |
5 | 若紫 | 春の野のうらわか草に親しみていとおほどかに恋もなりぬる |
6 | 末摘花 | 皮ごろも上に着たれば我妹子 は聞くことのみな身に沁 まぬらし |
7 | 紅葉賀 | 青海の波しづかなるさまを舞ふ若き心は下に鳴れども |
8 | 花宴 | 春の夜のもやにそひたる月ならん手枕かしぬ我が仮ぶしに |
9 | 葵 | 恨めしと人を目におくこともこそ身のおとろへにほかならぬかな |
10 | 榊 | 五十鈴 川神のさかひへのがれきぬおもひあがりしひとの身のはて |
11 | 花散里 | 橘 も恋のうれひも散りかへば香 をなつかしみほととぎす鳴く |
12 | 須磨 | 人恋ふる涙をわすれ大海へ引かれ行くべき身かと思ひぬ |
13 | 明石 | わりなくもわかれがたしとしら玉の涙をながす琴のいとかな |
14 | 澪標 | みをつくし逢 はんと祈るみてぐらもわれのみ神にたてまつるらん |
15 | 蓬生 | 道もなき蓬 をわけて君ぞこし誰 にもまさる身のここちする |
16 | 関屋 | 逢坂 は関の清水 も恋人のあつき涙もながるるところ |
17 | 絵合 | あひがたきいつきのみことおもひてきさらに遥 かになりゆくものを |
18 | 松風 | あぢきなき松の風かな泣けばなき小琴をとればおなじ音を弾 く |
19 | 薄雲 | さくら散る春の夕 のうすぐもの涙となりて落つる心地 に |
20 | 朝顔 | みづからはあるかなきかのあさがほと言ひなす人の忘られぬかな |
21 | 乙女 | 雁 なくやつらをはなれてただ一つ初恋をする少年のごと |
22 | 玉鬘 | 火のくににおひいでたれば言ふことの皆恥づかしく頬 の染まるかな |
23 | 初音 | 若やかにうぐひすぞ啼 く初春の衣 くばられし一人のやうに |
24 | 胡蝶 | 盛りなる御代 の后 に金の蝶 しろがねの鳥花たてまつる |
25 | 蛍 | 身にしみて物を思へと夏の夜の蛍ほのかに青引きてとぶ |
26 | 常夏 | 露置きてくれなゐいとど深けれどおもひ悩めるなでしこの花 |
27 | 篝火 | 大きなるまゆみ쇼のもとに美しくかがり火もえて涼風ぞ吹く |
28 | 野分 | けざやかにめでたき人ぞ在 ましたる野分が開 くる絵巻のおくに |
29 | 行幸 | 雪ちるや日よりかしこくめでたさも上なき君の玉のおん輿 |
30 | 藤袴 | むらさきのふぢばかまをば見よといふ二人泣きたきここち覚えて |
31 | 真木柱 | こひしさも悲しきことも知らぬなり真木の柱にならまほしけれ |
32 | 梅が枝 | 天地 に春新しく来たりけり光源氏のみむすめのため |
33 | 藤のうら葉 | ふぢばなのもとの根ざしは知らねども枝をかはせる白と紫 |
34 | 若菜(上) | たちまちに知らぬ花さくおぼつかな天 よりこしをうたがはねども |
34 | 若菜(下) | 二ごころたれ先 づもちてさびしくも悲しき世をば作り初 めけん |
35 | 柏木 | 死ぬる日を罪むくいなど言ふきはの涙に似ざる火のしづくおつ |
36 | 横笛 | 亡 き人の手なれの笛に寄りもこし夢のゆくへの寒き夜半 かな |
37 | 鈴虫 | すずむしは釈迦牟尼仏 のおん弟子 の君のためにと秋を浄 むる |
38 | 夕霧 一 | つま戸より清き男の出 づるころ後夜 の律師のまう上るころ |
38 | 夕霧 二 | 帰りこし都の家に音無しの滝はおちねど涙流るる |
39 | 御法 | なほ春のましろき花と見ゆれどもともに死ぬまで悲しかりけり |
40 | まぼろし | 大空の日の光さへつくる世のやうやく近きここちこそすれ |
41 | 雲隠れ | かきくらす涙か雲かしらねどもひかり見せねばかかぬ一章 |
42 | 匂宮 | 春の日の光の名残 花ぞのに匂 ひ薫 ると思ほゆるかな |
43 | 紅梅 | うぐひすも問はば問へかし紅梅の花のあるじはのどやかに待つ |
44 | 竹河 | 姫たちは常少女 にて春ごとに花あらそひをくり返せかし |
45 | 橋姫 | しめやかにこころの濡 れぬ川霧の立ちまふ家はあはれなるかな |
46 | 椎が本 | 朝の月涙のごとくましろけれ御寺 の鐘の水渡る時 |
47 | 総角 | 心をば火の思ひもて焼かましと願ひき身をば煙にぞする |
48 | 早蕨 | 早蕨 の歌を法師す君に似ずよき言葉をば知らぬめでたさ |
49 | 宿り木 | あふけなく大御 むすめをいにしへの人に似よとも思ひけるかな |
50 | 東屋 | ありし世の霧来て袖を濡 らしけりわりなけれども宇治近づけば |
51 | 浮舟 | 何よりも危ふきものとかねて見し小舟の中にみづからを置く |
52 | 蜻蛉 | ひと時は目に見しものをかげろふのあるかなきかを知らぬはかなき |
53 | 手習 | ほど近き法 の御山 をたのみたる女郎花 かと見ゆるなりけれ |
54 | 夢の浮橋 | 明けくれに昔こひしきこころもて生くる世もはたゆめのうきはし |
あとがき |
QUOTE
US-China Perception Monitor
3 days ago
Update on March 13, 2022: The following article was submitted by the author to the Chinese-language edition of the US-China Perception Monitor. The article was not commissioned by the US-China Perception Monitor, nor is the author affiliated with the Carter Center or the US-China Perception Monitor.
Hu Wei is the vice-chairman of the Public Policy Research Center of the Counselor’s Office of the State Council, the chairman of Shanghai Public Policy Research Association, the chairman of the Academic Committee of the Chahar Institute, a professor, and a doctoral supervisor. To read more by Hu, click here to read his article on “How did Deng Xiaoping coordinate domestic and international affairs?”
Written on March 5, 2022. Translated by Jiaqi Liu on March 12, 2022.
English
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The Russo-Ukrainian War is the most severe geopolitical conflict since World War II and will result in far greater global consequences than September 11 attacks. At this critical moment, China needs to accurately analyze and assess the direction of the war and its potential impact on the international landscape. At the same time, in order to strive for a relatively favorable external environment, China needs to respond flexibly and make strategic choices that conform to its long-term interests.Russia’s ‘special military operation’ against Ukraine has caused great controvsery in China, with its supporters and opponents being divided into two implacably opposing sides. This article does not represent any party and, for the judgment and reference of the highest decision-making level in China, this article conducts an objective analysis on the possible war consequences along with their corresponding countermeasure options. I. Predicting the Future of the Russo-Ukrainian War 1. Vladimir Putin may be unable to achieve his expected goals, which puts Russia in a tight spot. The purpose of Putin’s attack was to completely solve the Ukrainian problem and divert attention from Russia’s domestic crisis by defeating Ukraine with a blitzkrieg, replacing its leadership, and cultivating a pro-Russian government. However, the blitzkrieg failed, and Russia is unable to support a protracted war and its associated high costs. Launching a nuclear war would put Russia on the opposite side of the whole world and is therefore unwinnable. The situations both at home and abroad are also increasingly unfavorable. Even if the Russian army were to occupy Ukraine’s capital Kyiv and set up a puppet government at a high cost, this would not mean final victory. At this point, Putin’s best option is to end the war decently through peace talks, which requires Ukraine to make substantial concessions. However, what is not attainable on the battlefield is also difficult to obtain at the negotiating table. In any case, this military action constitutes an irreversible mistake. 2. The conflict may escalate further, and the West’s eventual involvement in the war cannot be ruled out. While the escalation of the war would be costly, there is a high probability that Putin will not give up easily given his character and power. The Russo-Ukrainian war may escalate beyond the scope and region of Ukraine, and may even include the possibility of a nuclear strike. Once this happens, the U.S. and Europe cannot stay aloof from the conflict, thus triggering a world war or even a nuclear war. The result would be a catastrophe for humanity and a showdown between the United States and Russia. This final confrontation, given that Russia’s military power is no match for NATO’s, would be even worse for Putin. 3. Even if Russia manages to seize Ukraine in a desperate gamble, it is still a political hot potato. Russia would thereafter carry a heavy burden and become overwhelmed. Under such circumstances, no matter whether Volodymyr Zelensky is alive or not, Ukraine will most likely set up a government-in-exile to confront Russia in the long term. Russia will be subject both to Western sanctions and rebellion within the territory of Ukraine. The battle lines will be drawn very long. The domestic economy will be unsustainable and will eventually be dragged down. This period will not exceed a few years.4. The political situation in Russia may change or be disintegrated at the hands of the West. After Putin’s blitzkrieg failed, the hope of Russia’s victory is slim and Western sanctions have reached an unprecedented degree. As people’s livelihoods are severely affected and as anti-war and anti-Putin forces gather, the possibility of a political mutiny in Russia cannot be ruled out. With Russia’s economy on the verge of collapse, it would be difficult for Putin to prop up the perilous situation even without the loss of the Russo-Ukrainian war. If Putin were to be ousted from power due to civil strife, coup d’état, or another reason, Russia would be even less likely to confront the West. It would surely succumb to the West, or even be further dismembered, and Russia’s status as a great power would come to an end. II. Analysis of the Impact of Russo-Ukrainian war On International Landscape 1. The United States would regain leadership in the Western world, and the West would become more united. At present, public opinion believes that the Ukrainian war signifies a complete collapse of U.S. hegemony, but the war would in fact bring France and Germany, both of which wanted to break away from the U.S., back into the NATO defense framework, destroying Europe’s dream to achieve independent diplomacy and self-defense. Germany would greatly increase its military budget; Switzerland, Sweden, and other countries would abandon their neutrality. With Nord Stream 2 put on hold indefinitely, Europe’s reliance on US natural gas will inevitably increase. The US and Europe would form a closer community of shared future, and American leadership in the Western world will rebound. 2. The “Iron Curtain” would fall again not only from the Baltic Sea to the Black Sea, but also to the final confrontation between the Western-dominated camp and its competitors. The West will draw the line between democracies and authoritarian states, defining the divide with Russia as a struggle between democracy and dictatorship. The new Iron Curtain will no longer be drawn between the two camps of socialism and capitalism, nor will it be confined to the Cold War. It will be a life-and-death battle between those for and against Western democracy. The unity of the Western world under the Iron Curtain will have a siphon effect on other countries: the U.S. Indo-Pacific strategy will be consolidated, and other countries like Japan will stick even closer to the U.S., which will form an unprecedentedly broad democratic united front. 3. The power of the West will grow significantly, NATO will continue to expand, and U.S. influence in the non-Western world will increase. After the Russo-Ukrainian War, no matter how Russia achieves its political transformation, it will greatly weaken the anti-Western forces in the world. The scene after the 1991 Soviet and Eastern upheavals may repeat itself: theories on “the end of ideology” may reappear, the resurgence of the third wave of democratization will lose momentum, and more third world countries will embrace the West. The West will possess more “hegemony” both in terms of military power and in terms of values and institutions, its hard power and soft power will reach new heights. 4. China will become more isolated under the established framework. For the above reasons, if China does not take proactive measures to respond, it will encounter further containment from the US and the West. Once Putin falls, the U.S. will no longer face two strategic competitors but only have to lock China in strategic containment. Europe will further cut itself off from China; Japan will become the anti-China vanguard; South Korea will further fall to the U.S.; Taiwan will join the anti-China chorus, and the rest of the world will have to choose sides under herd mentality. China will not only be militarily encircled by the U.S., NATO, the QUAD, and AUKUS, but also be challenged by Western values and systems. III. China’s Strategic Choice 1. China cannot be tied to Putin and needs to be cut off as soon as possible. In the sense that an escalation of conflict between Russia and the West helps divert U.S. attention from China, China should rejoice with and even support Putin, but only if Russia does not fall. Being in the same boat with Putin will impact China should he lose power. Unless Putin can secure victory with China’s backing, a prospect which looks bleak at the moment, China does not have the clout to back Russia. The law of international politics says that there are “no eternal allies nor perpetual enemies,” but “our interests are eternal and perpetual.” Under current international circumstances, China can only proceed by safeguarding its own best interests, choosing the lesser of two evils, and unloading the burden of Russia as soon as possible. At present, it is estimated that there is still a window period of one or two weeks before China loses its wiggle room. China must act decisively. 2. China should avoid playing both sides in the same boat, give up being neutral, and choose the mainstream position in the world. At present, China has tried not to offend either side and walked a middle ground in its international statements and choices, including abstaining from the UN Security Council and the UN General Assembly votes. However, this position does not meet Russia’s needs, and it has infuriated Ukraine and its supporters as well as sympathizers, putting China on the wrong side of much of the world. In some cases, apparent neutrality is a sensible choice, but it does not apply to this war, where China has nothing to gain. Given that China has always advocated respect for national sovereignty and territorial integrity, it can avoid further isolation only by standing with the majority of the countries in the world. This position is also conducive to the settlement of the Taiwan issue. 3. China should achieve the greatest possible strategic breakthrough and not be further isolated by the West. Cutting off from Putin and giving up neutrality will help build China’s international image and ease its relations with the U.S. and the West. Though difficult and requiring great wisdom, it is the best option for the future. The view that a geopolitical tussle in Europe triggered by the war in Ukraine will significantly delay the U.S. strategic shift from Europe to the Indo-Pacific region cannot be treated with excessive optimism. There are already voices in the U.S. that Europe is important, but China is more so, and the primary goal of the U.S. is to contain China from becoming the dominant power in the Indo-Pacific region. Under such circumstances, China’s top priority is to make appropriate strategic adjustments accordingly, to change the hostile American attitudes towards China, and to save itself from isolation. The bottom line is to prevent the U.S. and the West from imposing joint sanctions on China. 4. China should prevent the outbreak of world wars and nuclear wars and make irreplaceable contributions to world peace. As Putin has explicitly requested Russia’s strategic deterrent forces to enter a state of special combat readiness, the Russo-Ukrainian war may spiral out of control. A just cause attracts much support; an unjust one finds little. If Russia instigates a world war or even a nuclear war, it will surely risk the world’s turmoil. To demonstrate China’s role as a responsible major power, China not only cannot stand with Putin, but also should take concrete actions to prevent Putin’s possible adventures. China is the only country in the world with this capability, and it must give full play to this unique advantage. Putin’s departure from China’s support will most likely end the war, or at least not dare to escalate the war. As a result, China will surely win widespread international praise for maintaining world peace, which may help China prevent isolation but also find an opportunity to improve its relations with the United States and the West. |
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鄭栄桓(Chong Young-hwan)氏の雑誌掲載論文(PRIME 2017.3.31)在日朝鮮人の「国籍」と朝鮮戦争(1947‒1952年)–「朝鮮籍」はいかにして生まれたか より次の表(図1 外国人登録「国籍」欄の日本政府の変遷)を転載します(一部編集)。
時期 | 朝鮮 | 朝鮮 | 韓国 | 韓国 |
---|---|---|---|---|
表示内容の解釈 | 「朝鮮」への記載変更 | 表示内容の解釈 | 「韓国」への記載変更 | |
1947.5.2-50.2.22 | 出身地表示説 | — | — | — |
1950.2.23-51.2.1 | 出身地表示説 | 可 | 出身地表示説 | 国籍証明文書不要c |
1951.2.2-65.10.25 | 出身地表示説 | 否 | 出身地表示説 | 国籍証明文書提示要 |
1965.10.26-70.9.25 | 出身地表示説 | 否 | 国籍表示説 | 国籍証明文書提示要 |
1970.9.26-71.2.26 | 出身地表示説 | 例外的に可a | 国籍表示説 | 国籍証明文書提示要 |
1971.2.27– | 出身地表示説 | 条件付で可b | 国籍表示説 | 国籍証明文書提示要 |
以下、同論文より一部抜粋し転載します(段落の区切りを編集、脚注を省略)。
(前略) 日本政府はサンフランシスコ講和条約の発効にともない、朝鮮人は日本国籍を喪失したとみなした。このときなぜ「外国人」となった朝鮮人の国籍が記載されず、「便宜の措置」としての朝鮮籍が残ることになったのか。この問題に答えなければならない。 朝鮮籍がいかにして生まれたのかという問いに答えるためには、1947年の登場のみならず、1952年における継続の背景を探る必要がある。その際にあわせて考えるべき問題に、外国人登録における韓国籍の登場と日本政府の解釈の変遷がある。在日朝鮮人の国籍問題は日本の植民地支配の清算をめぐる問題であると同時に、南北の分断、そして日本の南北朝鮮との外交関係のあり方と密接に係る問題であった。そのため、外国人登録制度の国籍欄についての行政実務や解釈も、日本政府の対朝鮮政策の反映であったとみなければならない。 政府統一見解は、韓国籍の登場の経緯について次のように説明する。外国人登録令施行当初は「朝鮮」とのみ記載できたが、在日朝鮮人のなかから「『韓国』(又は『大韓民国』)への書換えを強く要望してきた者があるので、本人の自由意思に基づく申立てと、その大部分には韓国代表部発行の国民登録証を提示させたうえ『韓国』への書換えを認めた」。 1965年現在の韓国籍者は、「このような経過によって『韓国』と書換えたものであり、しかも、それが長年にわたり維持され、かつ実質的に国籍と同じ作用を果たして来た経過等にかんがみると、現時点から見れば、その記載は大韓民国の国籍を示すものと考えざるをえない」。すなわち、朝鮮籍が「国籍を表示するものではない」のに対し、韓国籍は「大韓民国の国籍を示すもの」であると説明した。 実はこの政府統一見解は、従来の日本政府の外国人登録証明書の国籍欄解釈を修正するものであった。1950年2月23日、法務総裁は「朝鮮」「韓国」は「単なる用語の問題であって、実質的な国籍の問題や国家の承認の問題とは全然関係な」いとする談話を発表した。それゆえ朝鮮籍であり韓国籍であれ、「その人の法律上の取扱いを異にすることはない」としていた。 にもかかわらず政府統一見解は、韓国籍を「実質的に国籍と同じ作用を果たして来た経過」から国籍を示すものとした。1965年以前のどこかの時点から、韓国籍は韓国国籍としての作用を果たすことになったというのである。当時「180度の転換」と評されたゆえんである。 それでは、日本政府の韓国籍解釈はいつ変わったのか。在日朝鮮人史研究者の金英達が1987年に発表した論文はこの問題を検討したものである。金英達は法務省入国管理局や川崎市が部内資料として編纂・整理した通達集を用いて、1947年から71年にかけての国籍欄をめぐる行政実務の変遷を明らかにした。 金の研究に基づき、日本政府の「国籍」欄解釈と記載変更について筆者が整理したものが図1[上の表]である。図中の「表示内容の解釈」とは、その時々の日本政府が、外国人登録の国籍欄の「朝鮮」や「韓国」という名称が何を表示していると解釈したかを示す。地域名を表示したとの解釈を「出身地表示説」とし、国家名の表示との解釈を「国籍表示説」とした。 金英達によれば、日本政府が韓国籍解釈を事実上修正したのは1951年2月である。図1[上の表]の通り、日本政府は一貫して、朝鮮籍は国籍の帰属ではなく、出身地を表示するものであるとの解釈を採ってきた。韓国籍についても当初は出身地であるとの解釈を採ったが、1951年2月(第三期)以降、表向きは出身地表示説を採る一方で、外国人登録における国籍の記載変更に際して国籍証明文書(「大韓民国国民登録証」)の提出を求め、事実上の国籍表示説へと解釈を修正したという。 そして、日韓基本条約締結後に前述の政府統一見解を発表することで名実ともに国籍表示説を採ることになった。その後、日韓条約締結後に起こった「朝鮮国籍」への変更を要請する運動に応じて、福岡県田川市などの革新自治体は韓国から朝鮮表示への記載変更を認めた。法務省は当初記載変更を一切認めない方針であったが、最終的には条件付きで「韓国」から「朝鮮」への変更を認めるに至った。国籍の記載変更という問題が、「国籍欄」の解釈に多大な影響を与えていることがわかる。(後略) |
明治学院大学機関リポジトリより |
2021年7月に「縦書き文庫」というサイトを知り、以前に書いた習作や拙論などを一部編集し同文庫に載せてきた。掲載作は次のとおりである。同文庫が擁する文学作品も少しずつ読んでいる。縦書きを勧めてくれた菊地明範先生に深く感謝している。先生とは1999年以来のお付き合いで、2008-20年に開催されたクムホアシアナ杯「話してみよう韓国語」大会の立ち上げからご一緒した。
シリーズ | 題名 | 字数 |
---|---|---|
無宗教社会を生きる(執筆中) | ||
未定 | 記憶のかけら拾遺: 個人史の試み | 10,308 |
ハイジン教徒 | 老人たちよ異界でタンゴを舞うな | 15,607 |
ハイジン教徒 | 電車という名の動く寺院 mobile temples | 14,181 |
未定 | 翻訳: 忘れられた女性민갑완 [2023年予定] | 3,492 |
論考 Review Japan | 明治期の欧米崇拝と排外意識 | 55,178 |
この文章に書かれているのは二〇三〇年に起こったか起こると思われることで、場所は日本島の中心部にある都会とその周辺です。主人公であり書き手でもある凭也(ヒョーヤ)は記憶障害者で記憶と年代の対応が覚束ないため、時間軸が揺らぎます。記録係は主人公の分身のような存在です。
一月か二月の冷え込んだ日の午前中だった。日本島の首都の中心部にあり、その象徴ともいえるグローブ(球体の意)駅構内はいつものように多くの人で混み合っていた。みな一様にうつむいて手のひらを見ながら歩き、人や物にぶつかると頭を上げる。通路の壁ぎわに止まって見ていると、人々の動作はどこか機械的でロボットのようだ。その雑踏のなかに一瞬、五十年前に電車のなかで車イスに乗って球戯の審判をしていた老人を見たような気がした。いや、その十年後ゴー河沿いに走る列車で二度出会った老人だったかもしれない。彼らが同一人物だったかどうかも不確かなのだ。いや、二人だったろう。年代が違うはずだから。
二〇二〇年代を通じて車イスはすべて電動式になり、都会では軽自動車に取って代わるほどになった。どこでも多くの人が軽快に乗り回していたから、三〇年当時、車イスは特に珍しい光景ではない。いつもなら気にも止めないが、目に止まった車イスには四五十年ほど前に見た老人とそっくりな人が乗っていた。ただ、半世紀前の彼(ら)が生きているはずはない。打ち消そうとするが、何かがそうさせない。考えあぐねているあいだに、彼(ら)の強い引力に引かれ、そのあとを追っていた。その容姿と顔を見て必死に記憶の断片を拾おうとするが、思い出せない。二十歳の青年が七十歳の老人になるほどの年数が経っているのだ、と言い聞かせながらも、何が彼(ら)を同一人物と思わせるのか不思議でならない。
一九八〇年の夏、動くハイジン教寺院の三号車の老人は車イスに乗っていた。九〇年の晩秋、H市の列車で出会った老人は大股で歩いた。いま目の前にいる彼(ら)は上下とも黒い服を着ていて、当時と同じように白髪が目立つ。彼らが同一人物だとすれば、百歳を超しているはずだが、一見して七十歳前後でむかしとあまり変わらない。ただ、以前の活気がなく、ひどくやつれて見えた。違う人ではないか、そう思いつつも車イスのあとを追った。グローブ駅の地下道を人々は軍靴のような靴音を響かせて行進し、車イスにぶつかっては横を過ぎ、小動物の群れのようにエスカレータに吸い込まれていった。人の集団が見えなくなると、構内はいっとき静けさを取り戻し、彼(ら)の車イスのモーター音と靴音が静かに響く。彼(ら)は長いエスカレータに乗って上がって行く。車イスはしっかりエスカレータに噛み合い安定して水平に保たれ、彼(ら)は身動き一つせずに運ばれていく。
彼(ら)が乗っていた段が最上段に達すると、車イスはスムーズに放たれる。さらに進んで地上に通じるゲートを通過すると、かん高い電子音が鳴り、彼(ら)はひどく怯えた。すべてのゲートの出入りが記録されることを彼(ら)は知っている。日本島の住人は、短期滞在の異教徒を含め、この管理体制から逃れられない。島内にいる人々の行動がすべて監視されていた。長い通路を進んで地上に出ると、彼(ら)は道路の向かい側にそびえ立つガウディ建築さながらの高層ビルをめざす。駅構内からここまでずっとバリアフリーだから、車イスの動きが滞ることはない。車イスはビルの一階に突き出した建物にさっと入って行った。さまざまな品物を置いた棚が、人と車イスが通れるスペースを空けて並んでいる、巨大な倉庫のような空間の一角にテーブルとイスが置いてあり、カウンターも備えている。二千年ごろから日本島の津々浦々に普及したハイジン教寺院の典型的な建築様式だ。
つづきは縦書き文庫でお読みください。→「老人たちよ異界でタンゴを舞うな」
芥川龍之介(1892-1927)の遺書といわれる「或旧友へ送る手記」を読んだ。昨年末、若い女性歌手の自殺らしき事件をめぐって娘と話していると、唐突に芥川の自殺を「ふつうの人々」がどう受け止めたか、尋ねられたからだ。すぐに答えることはできなかった。
冒頭に触れた若い女性歌手の自殺に関連し、篠田博之氏が自殺報道のあり方について投稿した文章を読んだ。報道のあり方を批判的に捉えていて、大いに共感するところがあった。さらに検索すると、金孝順2013が植民地朝鮮における受容について論考を公開していたので読んだ。当時の「ふつうの人々」で想定される日本人とは隔たった人々であるが、参考になると思って読んだ。
冒頭、関口安義1994の文章を引用している。やや誇張されているように思うが引用する。大日本帝国時代の話ではあるが、メディアの報道ぶりが国の戦争拡大へのムード作りの機能を担っていることを改めて思わざるを得ない。
…(1927.7.25)中央の新聞ばかりでなく、地方の新聞もすべてが重大ニュースとして芥川の死の模様を記事にした。社会面を全面つぶしでの報道が多く、衝撃の大きさを物語っている…芥川の死に関する新聞報道は翌日以後も続き、翌月末に至る。地方新聞も含めると、その量は厖大なものとなろう。後追いの自殺もかなりある。 |
…週刊誌も「週刊朝日」と「サンデー毎日」が龍之介の死の特集を組んだ。(略) 1927年9月号の雑誌は競って芥川龍之介特集を行っている。「文芸春秋」「中央公論」「改造」「新潮」「文章具楽部」「女性」「婦人公論」「三田文学」などが特集を組んだ。ここに実に多くの人々が様々な角度から芥川龍之介とその文学に発言することになる… |
これを読んで、1970年11月の三島由紀夫(1925-70)の自殺を思い出した。当時、大学に行かず渋谷の大型書店でバイトしていた僕は、帰りに渋谷駅で配られていた号外を貪るように読み、いつになく興奮していた。帰宅すると、どのテレビも事件の報道一色だった、と記憶している。その後、三原山が噴火したとき、東北大震災のときも同じ動画がすべての放送局から流れていた。いまはコロナ禍一色だ。そもそも日本社会はいつもそうだが、再び1927年に戻ろう。
1926年12月に大正から昭和に改元した大日本帝国はどんな状況にあったのか。23年9月関東大震災、同年12月皇太子、30年11月浜口雄幸に対する襲撃事件が続いている。28年6月の張作霖爆殺事件、31年9月の柳条湖事件と続き、大日本帝国は32年3月の満洲帝国建国へと進んでいった。32年5・15、36年2・26を挟んで37年7月盧溝橋事件により本格的に中国を侵略していく。38年4月には国家総動員法が公布された。年表はこのような事件を記している。
聡明で神経衰弱を病んでいたという芥川が、戦争へ突き進む時代の重圧を鋭敏に感じていたことは想像に難くない。芥川を近しく感じていた萩原朔太郎(1886-1942)の「芥川龍之介の死」も読んだ。望郷の詩人とカミソリの刃のような小説家は似ているところがあり、かなり親しく交わっていた。伊豆の温泉宿で芥川の訃報を聞いた朔太郎は呆然とさまよい歩いたという。小説家が自殺する数日前に会っていながら、話を尽くせなかったことを悔いている。朔太郎も「ぼんやりした不安」を共有していたろう。
「ふつうの人々」という、いっけん容易に考えられそうな対象を捉えることのむずかしさについて改めて考えさせられた。独立した精神と卓越した観察力がなければ、それを捉えることはできない。未だ僕にはそんな能力が備わっていないようだ。
九品仏にある淨眞寺(浄土宗)に行った。何回か訪ねている寺だ。九品仏の由来となった阿弥陀如来像九体を三体ずつ安置する三仏堂のあいだ、少し奥まったところに石塔が建っている。前からそこにあることは知っていたが、冬の西日のせいだろうか、石塔が迫ってくるように感じた。幕末に造られた日本様式の阿育王塔だという。阿育王は古代インド(紀元前3世紀)に実在した人物である。
寺の裏手にある公園にセンダンの樹があり実がたわわになっていた。調べたところ、日本にセンダンの樹はなく、平家物語巻十一にある「獄門の左の樗の木にぞ懸けられける」の「樗[おうち]の木」が栴檀とされるようになったという。実をついばんでいた鳥はムクドリらしい。
日本古典文学摘集 平家物語 巻第十一 一七一七六 大臣殿被斬 原文 `さるほどに鎌倉の源二位大臣殿に対面あり `おはしける所庭を一つ隔てて向かひなる屋に据ゑ奉り簾の内より見出だし給ひて比喜藤四郎義員を以て申されけるは `平家を別して頼朝が私の敵とは努々思ひ奉らず `その故は故入道相国の御許され候はずば頼朝いかでか命の助かり候ふべき `さてこそ二十余年まで罷り過ぎ候ひしか `されども朝敵とならせ給ふ上追討すべき由の院宣賜はる間さのみ王地に孕まれて詔命を背くべきにもあらねばこれまで迎へ奉つたり `かやうに御見参に入るこそ本意に候へ `とぞ申されたる `東国の大名小名多く並み居たりける中に京の者幾らもありまた平家の家人だつし者もあり皆爪弾きをして `あな心憂や `居直り畏り給ひたらばとて御命の助かり給ふべきか `西国にていかにも成り給ふべき人の生きながら囚はれてこれまで下り給ふも理かな `と云ひければ `げにも `と云ふ人もありまた涙を流す人もあり `その中にある人の申しけるは (1)``猛虎在㆓深山㆒即百獣震怖 ``在㆓檻穽中㆒則揺㆓尾㆑索㆑食 `とて猛き虎の深山にある時は百の獣怖ぢ恐るといへども捕つて檻の中に籠められぬる後は尾を振つて人に向かふらんやうにこの大臣殿も心猛き大将軍なれどもかくなりて後はかやうにおはするにこそ `とぞ申す人々もありけるとかや `判官やうやうに陳じ給へども景時が讒言の上は鎌倉殿用ひ給はず `大臣殿父子具し奉つて急ぎ上り給ふべき由宣ふ間六月九日また大臣殿父子受け取り奉つて都へ帰り上られけり `大臣殿は今一日も日数の延ぶるを嬉しき事にぞ思はれける `道すがらも `此処にてや此処にてや `とは思はれけれども国々宿々うち過ぎうち過ぎ通りぬ `尾張国内海といふ所あり `一年故左馬頭義朝か誅せられし所なれば `此処にてぞ一定 `と思はれけれども其処をもつひに過ぎしかば `さては我が命の助からんずるにこそ `と思しけるこそはかなけれ `右衛門督は `なじかは命を助くべき `かやうに暑き比なれは首の損ぜぬやうに計らひて都近うなりてこそ斬らんずらめ `と思はれけれども父の嘆き給ふが労しさにさは申されず偏に念仏をのみ勧め申されける `同じき二十一日近江国篠原の宿に着き給ふ `昨日までは父子一所におはしけるを今朝よりは引き離し奉つて所々に据ゑ奉る `判官情ある人にて三日路より人を先立てて善知識の為にとて大原の本性房湛豪と申す聖を請じ下されたり `大臣殿善知識の聖に向かひて宣ひけるは `抑も右衛門督は何処に候ふやらん `たとひ頭をこそ刎ねらるるとも骸は一つ席に臥さんとこそ契りしか `この世にてはや別れぬる事の悲しさよ `この十七年が間一日片時も身を離されず京鎌倉恥を曝すもあの右衛門督故なり `とて泣かれければ聖も哀れに思ひけれども我さへ心弱うては叶はじとや思ひけん涙押し拭ひさらぬ体にもてないて `誰とても恩愛の道は思ひ切られぬ事にて候へばまことにさこそは思し召され候ふらん `生を受けさせ給ひてより以来昔も例しなし `一天の君の御外戚にて丞相の位に至り給ひぬ `今更かかる御目に逢せ給ふ御事もその前世の宿業なれば世をも人をも神をも仏をも恨み思し召すべからず `大梵王宮の深禅定の楽しみ思へばほどなし `況や電光朝露の下界の命に於いてをや `忉利天の億千歳ただ夢の如し `三十九年を保たせ給ひけんも僅かに一時の間なり `誰れか嘗めたりし不老不死の薬 `誰か保ちたりけん東父西母が命 `秦の始皇の奢りを極めしもつひには驪山の塚に埋もれ漢の武帝の命を惜しみ給ひけんも空しう杜陵の苔に朽ちにき (2)``生者必滅 ``釈尊未㆑免㆓栴檀煙㆒ ``楽尽悲来 ``天人猶逢㆓五衰日㆒ `とこそ承れ `されば仏は `我心自空罪福無主観心無心法不住法,我心自空罪福無主観心無心法不住法 `とて善も悪も空なりと観ずるが正しう仏の御心に相叶ふ事にて候ふなり `いかなれば弥陀如来は五劫が間思惟して発し難き願を発しましますにいかなる我等なれば億々万劫が間生死に輪廻して宝の山に入りて手を空しうせん事恨みの中の恨みおろかなるが中の口惜しき事には思し召され候はずや `今は余年を思し召すべからず `とて鐘打ち鳴らし頻りに念仏を勧め奉れば大臣殿も `然るべき善知識かな `と思し召し忽ちに妄念を翻し西に向かつて手を合はせ高声に念仏し給ふ処に橘右馬允公長太刀を引き側めて左の方より御後ろに立ち廻り既に斬り奉らんとしければ大臣殿念仏を留め合掌を翻り `右衛門督も既にか `と宣ひけるこそ哀れなれ `公長後ろへ寄るかと見えしかば首は前にぞ落ちにける `この公長と申すは平家相伝の家人にて就中新中納言知盛朝夕伺候の侍なり `さこそ世を諂らふ習ひとはいひながら無下に情なかりけるものかな `とぞ人皆慚愧しける `聖また先の如く右衛門督にも戒持たせ奉り念仏をぞ勧め申されける `右衛門督善知識の聖に向かつて宣ひけるは `抑も父の御最期はいかがましまし候ふやらん `と宣へば `めでたうましまし候ひつる `御心安く思し召され候へ `と申されければ右衛門督 `今は憂き世に思ひ置く事なし `さらば疾う斬れ `とて首を延べてぞ討たせられける `今度は堀弥太郎親経斬つてけり `首をば判官持たせて都へ上り給ふ `骸をば公長が沙汰として親子一つ穴にぞ埋めける `これは大臣殿のあまりに罪深う宣ひけるによつてなり `同じき二十三日武士検非違使三条河原に出で向かひて平家の首受け取る `三条を西へ東洞院を北へ渡して獄門の左の樗の木にぞ懸けられける `昔より卿相の位に至る人の首大路を渡さるる事異国にはその例もやあるらん我が朝には未だその先蹤を聞かず `平治にも信頼卿はさばかりの悪行人たりしかども大路をば渡されず平家に取つてぞ渡されける `西国より帰りては生きて六条を東へ渡され東国より上りては死して三条を西へ渡され給ふ `生きての恥死んでの辱いづれも劣らざりけり 書下し文 (1) ``猛虎深山に在る時は即ち百獣震ひ怖づ `檻穽の中に在るに及んで即ち尾を揺つて食を求む (2) ``生ある者は必ず滅す ``釈尊未だ栴檀の煙を免かれ給はず ``楽しみ尽きて悲しみ来たる ``天人猶五衰の日に逢へり |
自宅近くにある雪ヶ谷八幡神社に行った。何度か鳥居前を通り過ぎたことはあるが、境内に入った記憶はない。こじんまりした神社だと思ったら、なかなか奥深い。わざわざ行ったわけではなく、散髪しに行く途中で立ち寄ったのだが、ひっそりした境内に七五三を祝う女の子を連れた母親と祖父らしい人の姿をみて、なつかしい気分になった。
少年時代を過ごした善福寺川沿いにあった家からほど近いところに井草八幡宮があり、よく境内で遊んだ。源頼朝が植えたとされる松があり、数年に一度行われる流鏑馬(やぶさめ)の人馬一体がよぎる姿を鮮やかに覚えている。少年が一番好きだったのは夏の祭礼だった。ろくろっ首の見せ物やお化け屋敷は不気味で入らなかった。
七五三の儀礼もそこで行った記憶がある。写真で覚えているのかもしれない。小石を敷きつめた境内とくるぶしの上でボタンをとめる黒い革靴を履いていた。僕はあの革靴が気に入っていた。
1950 東京に生まれ岡山県柵原へ; 55- 東京に住む(65-67 水沢; 87-90 Toronto-守口): 1970- 日韓の企業; 日米の財団; 日本の政府機関等に勤務: 「シェイクスピアのいる文房具店」韓日翻訳(彩流社 2015): <縦書き文庫>掲載作↓
1946年1月1日付け官報を読んだ。大日本帝国と日本国の狭間に発せられた文書として興味深い。昭和天皇(1901-89)の「人間宣言」とされている。縦書き文庫の「ハイジン教の改宗者たち(草稿)」にも掲載した。漢文調の文章は縦書きが読みやすい(原文にルビと段落間の空行はない)。
昭和21年1月1日付け官報号外 |
詔書 茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ 一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス 一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ 叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。 大小都市ノ蒙リタル戦禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我国民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。 夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努カヲ効スベキノ秋ナリ。 惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。 然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。 朕ノ政府ハ国民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。 一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。 御名 御璽 昭和二十一年一月一日 |
内閣総理大臣兼第一復員大臣 第二復員大臣男爵 幣原喜重郎 司法大臣 岩田宙造 農林大臣 松村謙三 文部大臣 前田多門 外務大臣 吉田茂 内務大臣 堀切善次郎 国務大臣 松本烝治 厚生大臣 芦田均 国務大臣 次田大三郎 大蔵大臣子爵 渋沢敬三 運輸大臣 田中武雄 商工大臣 小笠原三九郎 国務大臣 小林一三 |
日本国憲法の前文を再掲する。いつ読んでも、真情溢れる格調高い文章だと思う(太字・下線表示と段落付けは投稿者による)。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 |
https://shaws2021.wordpress.com/ |
大日本帝国憲法(明治憲法) |
第7章補則 第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ 2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス |
日本国憲法と大日本帝国憲法のあいだには越えがたい不連続がある。これを連続するものとして捉えるのは間違っている。日本政治の貧しさの要因の一つが、不連続を連続と捉える思考法にあると考えるべきではないか。戦後の義務教育を通じてこの連続史観が生徒たちに刷り込まれてきた。大浜啓吉『法の支配とは何か』より引用する。
国家とは何か。憲法が国を作るのであって国が憲法を作るのではない(近代法の常識)。明治憲法の作った国を大日本帝国といい、日本国憲法の作った国を日本国という。二つは根本的に違う国であるから、当然にその原理を異にする。明治国家の統治原理を「法治国家 Rechtsstaat」といい、日本国の統治原理を「法の支配 rule of law」という。前者は立憲君主制の統治原理であり、主権が天皇にある以上、基本的人権という概念は認められない。個人は具体的な法律が認めた限りで権利を認められたにすぎない(法律の留保)。 |
日本国の統治原理である「法の支配」の源流は英米法にある。「法の支配」の根底にあるのは自由で平等な尊厳ある個人と社会という概念である。尊厳ある個人を起点にして社会が構成され、国家は社会に生起する公共的問題を解決するために、人為的に作られた機構にすぎない。人は国家のなかで生きるのではなく、社会のなかで自己実現を果たす。平和で自由に生きるためには健全な「社会」が必要であり、国家は社会の健全性を保持するための存在だから、個人の自由に介在することは許されない。国家の役割はあくまでも社会の足らざるところを補完するか、社会に奉仕することによって個人の人権を護ることにある。 |
ナショナルレベルの社会とローカルレベルの社会とは抱える問題の種類も性質も違って然るべきである。問題が違う以上、国家が自治体(国家)に過剰介入することは許されない。[国が定める]法律と[地方公共団体が定める]条例の問題もこの原理にもとづいて解釈する必要がある。憲法の保障する地方自治の本旨は、人権→地域社会→自治体の補完という筋で解釈されなければならない。これもまた「法の支配」原理から引き出されるルールである。 |
行政法とは、①行政権の組織を作り、②行政活動の根拠を与え、③行政活動の結果、私人とのあいだに紛争が起きたときにこれを裁断するルールを定める法律のことである。現在、日本には約2000本の法律が存在するが、行政法はその9割を占める。憲法は国家機関の行為を縛る規範だから、行政法の基本原理についても憲法の根底にある「法の支配」の原理を投影して考察しなければならない。 |
1946(昭和21)年1月1日付け官報号外(天皇の「人間宣言」とされる公示) https://tb.antiscroll.com/novels/goolee/23635 |
詔書 茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ 一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス 一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ 叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。 大小都市ノ蒙リタル戦禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我国民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。 夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努カヲ効スベキノ秋ナリ。 惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。 然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。 朕ノ政府ハ国民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。 一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。 御名 御璽 昭和二十一年一月一日 |
「いつか名もない魚になる」の続編として「無宗教社会を生きる」 ( 「ハイジン教の改宗者たち」「ハイジン教の似非信者たち」さらに「경호の眷属」と改題してきた)」を書き進めている。主人公は長年日本に住む韓国人だ。読者は「小説らしくない」「難解で読みにくい」という。このまま埋もれるのだろうか。
縦書き文庫「無宗教社会を生きる」はじめに |
この小説ならぬ「中説」を僕は死ぬまで書き続けることになるかもしれない。七十二歳で書き始めたから、せいぜいあと十年か二十年だろうが、人生で最も充実すべき期間でもある。晩年とはいわない、それは伝統的な時間軸の捉え方に囚われた見方だから。 |
「無宗教社会」に棲む人々はふつうその「無宗教性」を意識することがない。空気のように浸透しているそれに気づかないのだが、ある日ふとその「無宗教性」に気づく人がいる。一度それに気づくと、決して忘れようがない。執拗に付きまとわれ、それに抗い葛藤しながら生きなければならないからだ。その葛藤ゆえに社会との関わり方が不自然になり周囲と摩擦を生じるなど何かと不自由なことが多い。その煩わしさに耐えられず自死を図る人も少なくない。在日三世の경호、彼と同棲する韓国人미연、경호の母親ほかを通じて、彼らが「無宗教社会」で生きる姿と彼らに共通する傾向性などを描こうとした。 この文章は昨年十一月に「実験小説<拝人教の改宗者たち>創作ノート」と題して書き始めました。「実験」という言葉が示すとおり、小説であることに疑問を感じたのです。その後これは小説ではないと思い、中説(小説と批評文の中間に位置する文章)としました。題名も「ハイジン教の改宗者たち」「ハイジン教の似非信者たち」と修正し、さらに「無宗教社会を生きる」に改めました。いまも執筆中です。縦書き文庫のサイトに直接入力して創作するという「実験」性は維持し、執筆過程を読者と共有するスタイルも変わりません。社会や人々の生き方を根底から批評する小説ならぬ「中説」があり得ると考えています。問題は読者がこのような作品を認めてくれるかどうかですが、作者としては書き続けるしかありません。 |
I may continue to write this “chusetsu” which literally means middle statement or opinion, not “shosetsu,”a novel, until the day I die. Since I began writing at the age of seventy-two, it will probably be another ten or twenty years at most, but it is also the most fulfilling time of my life. I don’t call it the last years of my life, because the concept of which is captured by the way of the traditional time frame. People living in “irreligious societies” are usually unaware of their “irreligiousness.” It infiltrates their lives like air, and they are unaware of it, but there are people who become aware of their “irreligiousness” suddenly one day. Once they become aware of it, they never forget it. Rather, it persistently follows them, and they have to live their lives struggling against it. Because of this conflict, the way they relate to society becomes unnatural, causing friction with those around them, and they are often inconvenienced in some way. Many people attempt suicide because they cannot stand the hassle. Through Gyungho, his mother, Gyungho’s cohabitant Miyeon, and others, I tried to depict how they live in a “irreligious society” and what they have in common. I began writing this text last November under the title “Notes on the creation of an experimental novel: Converts of the Haijin-kyo.” As the word “experimental” suggests, I had my doubts about it being a novel. Later, I decided that this was not a novel and decided to call it a critical novel (a text that falls somewhere between a novel and a critical essay). I also revised the title to “Converts of the Haijin-kyo” and “Pseudo-believers of the Haijin-kyo,” and further changed it to “Living in an irreligious society.” I am still writing the book. It is still being written. I will maintain the “experimental” nature of the book, in the sense that it is created by direct input to the Tategaki-bunko (vertical writing library) website, and the style of sharing the writing process with readers will remain the same. I believe that there can be “chusetsu” which literally means middle theory, or “critical novels,” that critique society and people’s way of life fundamentally. The question is whether readers will recognize and accept such works, but as an author, I have no choice but to continue writing. (translated by DeepL) |
1952(昭和27)年から今日にいたるまで毎年実施されている全国ならびに各地域の戦没者追悼式、その意味を改めて考えてみたい。以前から感じている最大の疑問は追悼対象が日本人に限られていることだ。
1952年当時、日本は戦後期の真っ只中にあり、戦没者の追悼式典が内向きなものになったのはやむを得ない、と理解することはできよう。ただ、それをそのまま継続しながら、一方で「戦後は終わった」とするのはおかしいのではないか。
戦没者というのは、文字どおり戦争で非業の死を遂げた人々のことである。日本軍が侵略した朝鮮・中国を含むアジア全域と太平洋地域で多くの兵士が死んでいった。沖縄戦や広島・長崎の原爆あるいは東京大空襲による一般市民の犠牲者も戦没者であろう。
忘れてならないのは、これらの兵士や一般市民のなかに日本国籍でない人々がいたことだ。さらに想うべきは、アジア太平洋地域において多くの外国人兵士と一般市民が先の戦争で非業の死を遂げたということだ。こう考えると、戦没者追悼式がいまも国内向けでしかないことは恥ずべきことに思われる。
このような趣旨において、全国戦没者追悼式の対象を日本ならびにアジア太平洋地域において先の戦争の犠牲になった戦没者に拡大することを提案したい。たとえば、式典に在京の関係各国大使等の出席を求め、国際戦没者追悼式とするのである。「積極的平和主義」という耳馴れない用語にも符合する式典となるのではないだろうか。
かつて親しくしていた友人の失踪宣告をしなければならない。1975年12月だったろう、三峰口から雲取山にはじめて登山し、一時期よく奥多摩や秩父に同行した友人と1年あまり連絡がとだえたままなのだ。数年前に会ったのが最期で、東北の実家に戻り母親の面倒をみると聞いた。ネットや電話のやり取りはあったが、それもとだえて久しい。寡黙でいつも笑っていた彼の失踪を宣告しなければならないと思う。自分を納得させるためだ。
以下、日韓の民法の失踪宣告に関する条文を引用する。先日、Netflix 「愛の不時着」で主人公の失踪から1ヵ月で死亡宣告をしていたのが気になって調べると、日韓とも特別失踪は危難が去ってから1年としている。これに準じて、ネット上で1年連絡が取れなくなった者は失踪とみなせるのではないかと考えた。他界することの意味を再考しなければならない。
カメラに関心を持ったのは彼の影響だった。行政書士試験を勧めたのも彼だった。デクノボウを連想させる男から、僕は少なからず影響を受けているようだ。そんな彼の追悼ブログを八戸歳々時記として載せた。音信はとだえたが、いつか同界(他界の対語)できれば、と思う。
失踪宣告に関する民法条文の日韓比較:
第30条 [失踪の宣告] 不在者の生死が7年間明らかでないときは、家庭裁判所は、利害関係人の請求により、失踪の宣告をすることができる。2 戦地に臨んだ者、沈没した船舶の中に在った者その他死亡の原因となるべき危難に遭遇した者の生死が、それぞれ、戦争が止んだ後、船舶が沈没した後又はその他の危難が去った後1年間明らかでないときも、前項と同様とする。 |
第31条 [失踪の宣告の効力] 前条第1項の規定により失踪の宣告を受けた者は同項の期間が満了した時に、同条第2項の規定により失踪の宣告を受けた者はその危難が去った時に、死亡したものとみなす。 |
第32条 [失踪の宣告の取消し] 失踪者が生存すること又は前条に規定する時と異なる時に死亡したことの証明があったときは、家庭裁判所は、本人又は利害関係人の請求により、失踪の宣告を取り消さなければならない。この場合において、その取消しは、失踪の宣告後その取消し前に善意でした行為の効力に影響を及ぼさない。2 失踪の宣告によって財産を得た者は、その取消しによって権利を失う。ただし、現に利益を受けている限度においてのみ、その財産を返還する義務を負う。 |
제27조(실종의 선고) ① 부재자의 생사가 5년간 분명하지 아니한 때에는 법원은 이해관계인이나 검사의 청구에 의하여 실종선고를 하여야 한다. ② 전지에 임한 자, 침몰한 선박 중에 있던 자, 추락한 항공기 중에 있던 자 기타 사망의 원인이 될 위난을 당한 자의 생사가 전쟁종지후 또는 선박의 침몰, 항공기의 추락 기타 위난이 종료한 후 1년간 분명하지 아니한 때에도 제1항과 같다. <개정 1984.4.10> |
제28조 (실종선고의 효과) 실종선고를 받은 자는 전조의 기간이 만료한 때에 사망한 것으로 본다. |
제29조(실종선고의 취소) ①실종자의 생존한 사실 또는 전조의 규정과 상이한 때에 사망한 사실의 증명이 있으면 법원은 본인, 이해관계인 또는 검사의 청구에 의하여 실종선고를 취소하여야 한다. 그러나 실종선고후 그 취소전에 선의로 한 행위의 효력에 영향을 미치지 아니한다. ②실종선고의 취소가 있을 때에 실종의 선고를 직접원인으로 하여 재산을 취득한 자가 선의인 경우에는 그 받은 이익이 현존하는 한도에서 반환할 의무가 있고 악의인 경우에는 그 받은 이익에 이자를 붙여서 반환하고 손해가 있으면 이를 배상하여야 한다. |
「週刊金曜日」7月23日号の巻頭言で田中優子氏が明解に述べている。保守勢力の一部が主張する「日本の伝統」なるものがいかに浅薄皮相の僻見かがわかる。その一部を引用する。
…日本の夫婦が同姓になったのは明治31年(1898年)である。それまでは夫婦別姓だったので、明治時代の帝国議会議員からは「同姓は日本の伝統に合わない」と反対の声があがった。この時は「選択的」ではないので、選ぶ余地なくすべての夫婦が同姓となった。どうせ言いくるめるなら、せめて「日本の伝統に戻してはならない。明治時代の日本を死守せよ」というべきであろう…
なるほど、と思い、「新聞集成明治編年史」第10巻(東洋問題多難期: 明治30-32年)を読んだ。後の日露戦争へと踏み込んでいく反露ムードが紙面に溢れている。サイトで検索すると、他ならぬ法務省のページが<氏の制度の変遷>について載せていたので、以下に引用する。
マスク(mask)を付けながら、顔(masque)や個性(persona)のない人々、帽子やキャップを深々と被りマスクをした人々は顔を見せることがない。そもそも個性を持たない人々が増えているのではないか。個性とは何だという話は置いておく。
唐突ながら、正倉院宝物のなかにあった西域の人の仮面を思い出す。そうだ、突起状のマスクをした人々はカルラ(迦楼羅)そのものではないか。Wikipedia によると、カルラはガルーダに由来するらしい。そして、朝鮮の탈(假面)を思う。その優しさを湛えたゆたかな表情を見よ。
日本政府に現在の姿勢を変える意向がない以上、日韓関係をふつうの外交関係に戻すことを韓国政府に求めるべきではない。省みれば、明治国家が立ち上がって以来、日韓・日朝関係がまともな状態にあったことなどないのだから。翁の能面は微笑みながらもどこか哀しげだ。朝鮮の탈も泪を堪えているように見える。
[以下に小説「いつか名もない魚になる」第三部第四節「手のひらを見つめる人々」(縦書き文庫)を引用します。7月14日東京で起きた踏切事故にあまりにも重なるからです。事故の犠牲者はスマホを見ながら踏切内に入り、近づいた電車の警告音にも気づかないで電車に跳ねられたといいます。さらに恐ろしいのは踏切バーの外で待っていた人々の多くがスマホに没頭していて、踏切内の人に注意することがなかったことです]
人々は睡眠を除くほとんどの時間、手のひらを見て過ごした。歩くとき、電車や地下鉄の到着を待つとき、電車の車内、エスカレータに乗っているとき、便座にすわっているとき、食事中、時間つぶしなど、家にいるときも外出先でも、いつも手のひらを見つめていた。車を運転するときや自転車に乗るときも手のひらを見ることをやめなかった。
歩くとき、人々は手のひらを自分に向け肘を九十度曲げて歩いた。駅構内の至るところで、手のひらを見ながら歩かないように注意するが、従う者はいない。手のひらに保存された写真や動画を含むデータに自分だけの領域を見いだし、好きなニュースやマンガを読み、ゲームに興じて時間を費やすことが大半の人々の日常になった。歩きながら事故に遭う人も多く、駅ホームから線路に転落する人も絶えなかった。
[三〇年までにスマホが画期的変化を遂げ、スマフォと呼ばれるようになったようです。二〇年代と違って、手のひら自体がその機能を果たしたらしいのです。医師と記録係には想像しにくいのですが、凭也(ヒョーヤ)は診察中にそれらしい動作をすることがありました。スマホを手に持っていないのに、あたかも手のひらにあるように操作し、熱心に説明するのです]
左の手のひらを指でこすると、左手にスマフォ画面が立ち上がり、両方の手のひらを合わせてこすると両手に画面が表示される。画面サイズの拡大縮小もできる。スマフォの下辺が手首に接し、画面全体が手のひらの上に浮いて見える。画面はいつも見やすい角度に保たれ、指を立てたりそらせたりして画面の角度を自在に調整できる。画面の解像度がはるかに向上し、以前ほどのぞき込む必要がない。立ち上げたスマフォ画面を消すには、もう一度手のひらをこすればよい。
体の一部がスマフォになった感覚なので、置き忘れや落下の心配はなく、倒れて手のひらをついたときは自動的に消える。生体の新陳代謝にもとづく微弱電流を利用したからバッテリーもいらない。カメラのレンズ機能は人差し指か中指の爪に納められ、シャッターは同じ指の指先にあって、親指の指先で軽く押すだけだ。録音用のマイクとスピーカー機能も指先にあり、入力は音声か指で行われる。音声入力の場合は手のひらを口の近くに持ってきて小声で話せばいいし、手のひらに反対の手の指で文字を書けば文字入力もできる。手のひらをかざすだけで、別紙に書いた文章や画像をスキャンできる。手洗いや入浴時には画面を消せば、ただの手のひらになる。手のひらにプロジェクション・マッピングされた旧型のスマホ画面を想像すればよい。
ただ、スマフォが普及するにつれ、人々はますます自閉し、他者の意見を聞かなくなった。自分の体の一部に映し出されるものを自分だと思い込んだ人々は自分の手のひらばかりを見た。入力も電話も手のひらに向かうだけで、写真も動画も自在に撮れたから、盗撮がさらに巧妙化した。周囲も他者も顧ない、自閉症とスマフォ依存症を合併した症状を持つ人が巷に溢れた。
二〇二〇年代はじめに新型コロナウイルス感染症が世界中に猛威をふるい、外出が禁止された時期の状態が日常化したのだ。親子を含む家族内の衝突が増え、親が殺され、子が虐待される事件が多発した。自分の利益を守り正当化するのに汲々とする人が増え、職場や学校でもいじめや殺傷事件がふつうになった。さらに禁句が増えて自由な会話が制限され、人々が口にする言葉が空疎になった。
[コロナ後の数年間、官製マスクの着用が義務づけられ、言論封じ込め手段の一つとして日本島の支配層に利用されたことがありますが、それが常態化したのです]
スマフォの普及とともに、旧支配層による無宗教派の取り込みが一気に加速される。二〇年代後半には、旧テレビも旧新聞もスマフォに取って代わられ、これら旧メディアの入っていた高層ビルが無用の長物と化し、ンヴィニ教を含む無宗教派の寺院や教会のセンターに変貌していく。センターの一階に旧コーヒーショップやコンビニに似たスペースがあるのはその名残である。
[「いつか名もない魚になる」第三部第四節「手のひらを見つめる人々」より抜粋しました]
李琴峰 LI Kotomi という台湾語籍と日本語籍を持つ、数々の文学賞を受賞している作家の記事を nippon.com で読んだ。すごい人がいるな、と感心するとともに、文学というものが持つ可能性の広さを考えた。以下、記事から引用させていただく。国籍ではない語籍という語彙が持つ広がりを思う。
…国籍というのは閉じられたもので、所定の条件を満たし、所定の手続きを踏まえ、所定の審査を通して初めて手に入るもの。新しい国籍を取得するためには古い国籍を放棄する必要がある場合もある。しかし「語籍」は開かれたもので、誰でもいつでも手に入れていいし、その気になれば二重、三重語籍を保持することもできる。国籍を取得するためには電話帳並みの申請書類が必要だけれど、語籍を手に入れるためには、言葉への愛と筆一本で物足りる。国籍は国がなくなれば消滅するけれど、語籍は病による忘却か、死が訪れるその日まで、誰からも奪われることはないのだ。
やっと日本語籍を取得したその日、講談社ビルを出て黒が濃密な夜空を見上げ、私は一度深呼吸をした。そして心の中で決めた。この二重語籍の筆で、自分の見てきた世界を彩るのだと。
「いつか名もない魚(うを)になる」縦書き文庫版です。スマホのページ送りはページの左右をクリック、PCでは[ Jキー]が右送り、[Kキー]が左送りです。左右の送りキーでもページ送りできます。
縦書き文庫 (antiscroll.com)から入って、メニューの作品検索で「小栗」と入力すれば表示されます。短編2編もアップしました。タテ書きを楽しんでいます。新着作品リストにも載っています。
行政書士試験の過去問を解けない理由が一つ明らかになった。僕は、法律の利用者(申請者)の側から解釈していたが、過去問を解くためには、法律の制定者の側から読解しなければいけないということなのだ。これを法律を読む姿勢の180度転換と呼ぶことにする。
たとえば、行政手続法第7条に次の規定がある(一部編集)。申請者の立場に立てば申請書に不備があった場合はその旨指摘してもらいたいから、行政機関はそうすべきだと考える。だが、そうではない。申請内容に形式上の不適合があった場合、「許認可を拒否」することができると読まなければいけないのだ。
また、同法12条には不利益処分について「行政庁は処分基準を定め、かつこれを公にしておくよう努めなければならない」「処分基準を定めるに当たっては不利益処分の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない」とある。不利益処分を受ける側は具体的な処分基準を参照したいが、行政側は作らなくてもよいということなのだ。それは努力義務にすぎないのだから。
第7条 [申請に対する審査、応答] 行政庁は申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該申請の審査を開始しなければならず、かつ申請書の記載事項に不備がないこと、申請書に必要な書類が添付されていること、申請をすることができる期間内にされたものであることその他の法令に定められた申請の形式上の要件に適合しない申請については速やかに申請をした者(申請者)に対し相当の期間を定めて当該申請の補正を求め又は当該申請により求められた許認可等を拒否しなければならない。 |
第12条 [処分の基準] 行政庁は処分基準を定め、かつこれを公にしておくよう努めなければならない。2 行政庁は処分基準を定めるに当たっては不利益処分の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない。 |
1970年代以降、国交省(旧運輸省)、外務省、文科省(旧文部省)、金融庁関東財務局など、さまざま形で長期短期に関わってきた行政機関に関する法律の共通項を定めた行政手続法、その構成は次のとおり(句読点等一部編集)。
第1章 総則(第1-4条)
第2章 申請に対する処分(第5-11条)
第3章 不利益処分
第1節 通則(第12-14条)
第2節 聴聞(第15-28条)
第3節 弁明の機会の付与(第29-31条)
第4章 行政指導(第32-36条の2)
第4章の2 処分等の求め(第36条の3)
第5章 届出(第37条)
第6章 意見公募手続等(第38-45条)
第7章 補則(第46条)
附則
その第1章総則を法令リードより引用する。第2条[定義]に続き適用除外規定がある。
第1条 [目的等] この法律は、処分、行政指導及び届出に関する手続並びに命令等を定める手続に関し、共通する事項を定めることによって、行政運営における公正の確保と透明性(行政上の意思決定について、その内容及び過程が国民にとって明らかであることをいう。第46条において同じ)の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資することを目的とする。 2 処分、行政指導及び届出に関する手続並びに命令等を定める手続に関しこの法律に規定する事項について、他の法律に特別の定めがある場合は、その定めるところによる。 |
第2条 [定義] この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。 一 法令 法律、法律に基づく命令(告示を含む)、条例及び地方公共団体の執行機関の規則(規程を含む。以下「規則」という)をいう。 二 処分 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為をいう。 三 申請 法令に基づき、行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分(以下「許認可等」という)を求める行為であって、当該行為に対して行政庁が諾否の応答をすべきこととされているものをいう。 四 不利益処分 行政庁が、法令に基づき、特定の者を名あて人として、直接に、これに義務を課し、又はその権利を制限する処分をいう。ただし、次のいずれかに該当するものを除く。 イ 事実上の行為及び事実上の行為をするに当たりその範囲、時期等を明らかにするために法令上必要とされている手続としての処分 ロ 申請により求められた許認可等を拒否する処分その他申請に基づき当該申請をした者を名あて人としてされる処分 ハ 名あて人となるべき者の同意の下にすることとされている処分 ニ 許認可等の効力を失わせる処分であって、当該許認可等の基礎となった事実が消滅した旨の届出があったことを理由としてされるもの 五 行政機関 次に掲げる機関をいう。 イ 法律の規定に基づき内閣に置かれる機関若しくは内閣の所轄の下に置かれる機関、宮内庁、内閣府設置法(平成11年法律第89号)第49条第1項若しくは第2項に規定する機関、国家行政組織法(昭和23年法律第120号)第3条第2項に規定する機関、会計検査院若しくはこれらに置かれる機関又はこれらの機関の職員であって法律上独立に権限を行使することを認められた職員 ロ 地方公共団体の機関(議会を除く) 六 行政指導 行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないものをいう。 七 届出 行政庁に対し一定の事項の通知をする行為(申請に該当するものを除く)であって、法令により直接に当該通知が義務付けられているもの(自己の期待する一定の法律上の効果を発生させるためには当該通知をすべきこととされているものを含む)をいう。 八 命令等 内閣又は行政機関が定める次に掲げるものをいう。 イ 法律に基づく命令(処分の要件を定める告示を含む。次条第2項において単に「命令」という)又は規則 ロ 審査基準(申請により求められた許認可等をするかどうかをその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準をいう。以下同じ) ハ 処分基準(不利益処分をするかどうか又はどのような不利益処分とするかについてその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準をいう。以下同じ) ニ 行政指導指針(同一の行政目的を実現するため一定の条件に該当する複数の者に対し行政指導をしようとするときにこれらの行政指導に共通してその内容となるべき事項をいう。以下同じ) |
第3条 [適用除外] 次に掲げる処分及び行政指導については、次章から第4章の2までの規定は、適用しない。 一 国会の両院若しくは一院又は議会の議決によってされる処分 二 裁判所若しくは裁判官の裁判により、又は裁判の執行としてされる処分 三 国会の両院若しくは一院若しくは議会の議決を経て、又はこれらの同意若しくは承認を得た上でされるべきものとされている処分 四 検査官会議で決すべきものとされている処分及び会計検査の際にされる行政指導 五 刑事事件に関する法令に基づいて検察官、検察事務官又は司法警察職員がする処分及び行政指導 六 国税又は地方税の犯則事件に関する法令(他の法令において準用する場合を含む)に基づいて国税庁長官、国税局長、税務署長、国税庁、国税局若しくは税務署の当該職員、税関長、税関職員又は徴税吏員(他の法令の規定に基づいてこれらの職員の職務を行う者を含む)がする処分及び行政指導並びに金融商品取引の犯則事件に関する法令(他の法令において準用する場合を含む)に基づいて証券取引等監視委員会、その職員(当該法令においてその職員とみなされる者を含む)、財務局長又は財務支局長がする処分及び行政指導 七 学校、講習所、訓練所又は研修所において、教育、講習、訓練又は研修の目的を達成するために、学生、生徒、児童若しくは幼児若しくはこれらの保護者、講習生、訓練生又は研修生に対してされる処分及び行政指導 八 刑務所、少年刑務所、拘置所、留置施設、海上保安留置施設、少年院、少年鑑別所又は婦人補導院において、収容の目的を達成するためにされる処分及び行政指導 九 公務員(国家公務員法(昭和22年法律第120号)第2条第1項に規定する国家公務員及び地方公務員法(昭和25年法律第261号)第3条第1項に規定する地方公務員をいう。以下同じ)又は公務員であった者に対してその職務又は身分に関してされる処分及び行政指導 十 外国人の出入国、難民の認定又は帰化に関する処分及び行政指導 十一 専ら人の学識技能に関する試験又は検定の結果についての処分 十二 相反する利害を有する者の間の利害の調整を目的として法令の規定に基づいてされる裁定その他の処分(その双方を名宛人とするものに限る)及び行政指導 十三 公衆衛生、環境保全、防疫、保安その他の公益に関わる事象が発生し又は発生する可能性のある現場において警察官若しくは海上保安官又はこれらの公益を確保するために行使すべき権限を法律上直接に与えられたその他の職員によってされる処分及び行政指導 十四 報告又は物件の提出を命ずる処分その他その職務の遂行上必要な情報の収集を直接の目的としてされる処分及び行政指導 十五 審査請求、再調査の請求その他の不服申立てに対する行政庁の裁決、決定その他の処分 十六 前号に規定する処分の手続又は第3章に規定する聴聞若しくは弁明の機会の付与の手続その他の意見陳述のための手続において法令に基づいてされる処分及び行政指導 2 次に掲げる命令等を定める行為については、第6章の規定は、適用しない。 一 法律の施行期日について定める政令 二 恩赦に関する命令 三 命令又は規則を定める行為が処分に該当する場合における当該命令又は規則 四 法律の規定に基づき施設、区間、地域その他これらに類するものを指定する命令又は規則 五 公務員の給与、勤務時間その他の勤務条件について定める命令等 六 審査基準、処分基準又は行政指導指針であって、法令の規定により若しくは慣行として、又は命令等を定める機関の判断により公にされるもの以外のもの 3 第1項各号及び前項各号に掲げるもののほか、地方公共団体の機関がする処分(その根拠となる規定が条例又は規則に置かれているものに限る)及び行政指導、地方公共団体の機関に対する届出(前条第7号の通知の根拠となる規定が条例又は規則に置かれているものに限る)並びに地方公共団体の機関が命令等を定める行為については、次章から第6章までの規定は、適用しない。 |
第4条 [国の機関等に対する処分等の適用除外] 国の機関又は地方公共団体若しくはその機関に対する処分(これらの機関又は団体がその固有の資格において当該処分の名あて人となるものに限る)及び行政指導並びにこれらの機関又は団体がする届出(これらの機関又は団体がその固有の資格においてすべきこととされているものに限る)については、この法律の規定は、適用しない。 2 次の各号のいずれかに該当する法人に対する処分であって、当該法人の監督に関する法律の特別の規定に基づいてされるもの(当該法人の解散を命じ、若しくは設立に関する認可を取り消す処分又は当該法人の役員若しくは当該法人の業務に従事する者の解任を命ずる処分を除く)については、次章及び第3章の規定は、適用しない。 一 法律により直接に設立された法人又は特別の法律により特別の設立行為をもって設立された法人 二 特別の法律により設立され、かつ、その設立に関し行政庁の認可を要する法人のうち、その行う業務が国又は地方公共団体の行政運営と密接な関連を有するものとして政令で定める法人 3 行政庁が法律の規定に基づく試験、検査、検定、登録その他の行政上の事務について当該法律に基づきその全部又は一部を行わせる者を指定した場合において、その指定を受けた者(その者が法人である場合にあっては、その役員)又は職員その他の者が当該事務に従事することに関し公務に従事する職員とみなされるときは、その指定を受けた者に対し当該法律に基づいて当該事務に関し監督上される処分(当該指定を取り消す処分、その指定を受けた者が法人である場合におけるその役員の解任を命ずる処分又はその指定を受けた者の当該事務に従事する者の解任を命ずる処分を除く)については、次章及び第3章の規定は、適用しない。 4 次に掲げる命令等を定める行為については、第6章の規定は、適用しない。 一 国又は地方公共団体の機関の設置、所掌事務の範囲その他の組織について定める命令等 二 皇室典範(昭和22年法律第3号)第26条の皇統譜について定める命令等 三 公務員の礼式、服制、研修、教育訓練、表彰及び報償並びに公務員の間における競争試験について定める命令等 四 国又は地方公共団体の予算、決算及び会計について定める命令等(入札の参加者の資格、入札保証金その他の国又は地方公共団体の契約の相手方又は相手方になろうとする者に係る事項を定める命令等を除く)並びに国又は地方公共団体の財産及び物品の管理について定める命令等(国又は地方公共団体が財産及び物品を貸し付け、交換し、売り払い、譲与し、信託し、若しくは出資の目的とし、又はこれらに私権を設定することについて定める命令等であって、これらの行為の相手方又は相手方になろうとする者に係る事項を定めるものを除く) 五 会計検査について定める命令等 六 国の機関相互間の関係について定める命令等並びに地方自治法(昭和22年法律第67号)第2編第11章に規定する国と普通地方公共団体との関係及び普通地方公共団体相互間の関係その他の国と地方公共団体との関係及び地方公共団体相互間の関係について定める命令等(第1項の規定によりこの法律の規定を適用しないこととされる処分に係る命令等を含む) 七 第2項各号に規定する法人の役員及び職員、業務の範囲、財務及び会計その他の組織、運営及び管理について定める命令等(これらの法人に対する処分であって、これらの法人の解散を命じ、若しくは設立に関する認可を取り消す処分又はこれらの法人の役員若しくはこれらの法人の業務に従事する者の解任を命ずる処分に係る命令等を除く) |
第36条の3 [処分等の求め] 何人も、法令に違反する事実がある場合において、その是正のためにされるべき処分又は行政指導(その根拠となる規定が法律に置かれているものに限る)がされていないと思料するときは当該処分をする権限を有する行政庁又は当該行政指導をする権限を有する行政機関に対し、その旨を申し出て当該処分又は行政指導をすることを求めることができる。 2 前項の申出は次に掲げる事項を記載した申出書を提出してしなければならない。 一 申出をする者の氏名又は名称及び住所又は居所 二 法令に違反する事実の内容 三 当該処分又は行政指導の内容 四 当該処分又は行政指導の根拠となる法令の条項 五 当該処分又は行政指導がされるべきであると思料する理由 六 その他参考となる事項 3 当該行政庁又は行政機関は、第1項の規定による申出があったときは、必要な調査を行い、その結果に基づき必要があると認めるときは、当該処分又は行政指導をしなければならない。 |
「日帝時代」は朝鮮半島や台湾あるいは満州国にだけあったのではない、日本島にもあったと考えるべきではないか。反論もありそうだが、一つの仮説として有効ではなかろうか。
明治維新だ、大正デモクラシーだと美化された時代、朝鮮半島等における「日帝時代」と同じ抑圧を日本臣民(天皇主権だから国民主権ではない)に課していたのではないか。こんな当たり前のことをなぜ自覚できなかったのだろうか。
その残滓どころではない、明治維新150年を祝い、明治期の英雄にまつわるる歴史ドラマがNHKの後押しで、繰り返し喧伝される。そこで作られる歴史観をそのまま受け入れ、物言わぬ視聴者になってはいけないとも思う。
重要なことは、大日本帝国(1889-1945)と日本国(1945/46-)を、截然と分けて捉えることだ。天皇が神から象徴になって継続しているという幻説に惑わされてはならない。両者に共通する版図(領土)があるとするのはよいが、二つの異質な体制なのであって連続していない、連続するものと考えてはならない。「戦前」「戦後」という区分の仕方そのものが、連続させる意図を内包していると考えるべきだと思う。
選挙戦が始まるたびに憂鬱になる。くり返し名前と陳腐な枕詞を連呼する街宣車は右翼のそれと同じく騒音であり、粗大ゴミの収集車と同じく住宅街の静けさを破る迷惑行為でしかない。彼らに共通しているのは住民や通行人を愚弄していることだ。コロナ禍のなか、せめて大声をはりあげるのはやめてくれ。
サブリミナル効果を狙っているとしか思われない名前の連呼の合間に「応援ありがとうございます」「お勤めご苦労さまです」「お疲れさまです」「お騒がせして申しわけございません」のくり返し。これが日本国の選挙戦の現状だ。選挙権を持たない在日外国人のことなど想像だにできない人たちが多様性を謳いLGBTを唱える。
同時にTVに映る、人を喰ったような顔の閣僚、目線が泳いでいる党首、いかにも右顧左眄しているような表情の党首を見るにつけ、政治に対する失望と怒りの混ざった虚しさを感じる。そういうおまえば何をしていると問われれば困るのだが、だからといって何も発しないわけにはいかない。
民主党政権がダメになって以来の野党の低迷と、本来結びつくはずのない自公連携による選挙戦が日本国の政治を貶(おとし)めて久しい。この怒りをどこに向け何をなすべきか、ブログでほざいていても何にもならないのではあるが。
現行憲法はその前文冒頭に国民主権を掲げている。明治憲法では天皇主権だったから、主権在民こそが現行憲法の画期的な点であろう。その現行憲法の肝心かなめはむしろ前文に述べられている。単なる「まえがき」と考えてはならないと思う。以下、前文より抜粋して引用する。
…..政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する…..
ところが、現行憲法の第1章は国民ではなく天皇に関する条文で、第2章は戦争放棄の第9条のみである。第3章にようやく国民の権利及び義務がくる。第4章以下、国会・内閣・司法・財政・地方自治・改正・最高法規・補則とつづく。
法律も歴史的な制約のなかで作られるものだから、現行憲法が明治憲法の影響を免れないのは理解できるのだが、前文で国民主権を高らかに謳っていながら、第1章に天皇が来るのはおかしいのではないか。第2章戦争の放棄は、明治期以来の戦争につぐ戦争に対する反省を表明したものとして理解できるが、その前に象徴であれ何であれ天皇が来るのはおかしいのではないか。70歳の老書生はそう思うのである。
きのう、韓国人の友人と話していて、はじめてASMRという言葉を聞いた。尋ねると Autonomous Sensory Meridian Response の略で、韓国では流行語の一つになっているという。リモートワークが定着し、コーヒーショップで仕事する人も多く、これがないと仕事がはかどらない人も少なくないそうだ。
きょう、いつものコーヒーショップに行くと、少し混んでいて気に入った席がなかったので、半ば仕方なく、別室の有料コーナーに入った。そこに流れているBGMがまさにASMRだった。山奥の清流の音と旋律がかなりの音量で流れている。どれぐらい耐えられるかな、と思いながら1時間過ごした。
コロナに関する話題といい、ASMRといい、韓国でも日本でも共通の社会現象が同時に継起していて、おもしろい時代になったと思う。
預言カフェという名のコーヒー専門店がある。キリスト教会が運営している。小説で描いたことが明確な形で目の前に現れたかと思った。入口に続く細長い廊下に十数名の人が列を作って待っている。隣接するプレスクールも同じ教会が運営しているようだ。
以下「いつか名もない魚になる」より引用
初夏のころ、ある教会のカウンター席でスマホを操作しながらガラス窓越しに外を見ると、強風が渦巻いて街路樹の枝を激しく揺らしていた。上空には黒々とした雲がすさまじい勢いで飛んでいる。何か不吉なことが起きるかもしれない。でも教会にいる限り心配はないはずだった。無宗教派は誰でも受け入れるのだから。
「いらっしゃいませ、ご入会ですか……かしこまりました……以上でよろしいですか……カードで……タッチお願いします……失礼いたします……ご入会は二年ごとに更新されます」
若い女の司祭が、語頭にアクセントのある異教徒らしい抑揚で改宗者を相手に機械的なやり取りを繰り返している。実に無駄のないやり取りだ。ちなみに、入会するかどうか尋ねるのは、見学だけの人々が少なくないからだ。この同じセリフの繰り返しが耳について記録係は耐えられない。
あさ通勤電車のドアと座席の端に挟まれた床に狐色のビニールに包まれた生き物がうずくまっているのに気づいた。しばらくすると、すっくと前脚を立てた黒い盲導犬が僕のほうを見た。澄んだきれいな眼をしている。いつか山で数時間同行した黒犬と同じ表情だ。こちらのほうが若い。いい顔だなあ。光沢のある黒毛と黒光りする鼻に魅せられた。たれさがった二つの耳たぶが周囲の雑音を聞くまいとしているようだ。
じっと犬の眼を見ていて、狗神という言葉を思い出した。感情が抑制され、全体として気品のある風貌をしている。狗神さま、ご主人だけではなく、どうか僕たち乗客を導いてください。そのあとを追いかけようとしたが、雑踏のなかに消えてしまった。
日本の民法は、失踪の宣告について次のように定めている。
第30条 [ 失踪の宣告 ] 不在者の生死が7年間明らかでないときは、家庭裁判所は利害関係人の請求により失踪の宣告をすることができる。2 戦地に臨んだ者、沈没した船舶の中に在った者その他死亡の原因となるべき危難に遭遇した者の生死がそれぞれ、戦争が止んだ後、船舶が沈没した後又はその他の危難が去った後1年間明らかでないときも前項と同様とする。
「사랑의 불시착(愛の不時着)」 第7話において、女性主人公の父親が会長を務める財閥はその株主総会において、彼女が失踪して1ヵ月経って生存を確認できないとして、その死亡宣告をする。日本では1年のはずだが、と思って韓国の民法を調べると、普通失踪5年、特別失踪1年とあった。
韓国の民法には日本にない航空機の墜落に関する文言がある。また、日本では「宣言をすることができる」で、韓国では「失踪宣言をしなければならない」とあり、韓国では請求人に検事が含まれている。法律の専門家ではないが、こういう日韓比較も興味深い。
제27조(실종의 선고) ①부재자의 생사가 5년간 분명하지 아니한 때에는 법원은 이해관계인이나 검사의 청구에 의하여 실종선고를 하여야 한다. ②전지에 임한 자, 침몰한 선박 중에 있던 자, 추락한 항공기 중에 있던 자 기타 사망의 원인이 될 위난을 당한 자의 생사가 전쟁종지후 또는 선박의 침몰, 항공기의 추락 기타 위난이 종료한 후 1년간 분명하지 아니한 때에도 제1항과 같다. <개정 1984. 4. 10.>
1984年4月に改定とあるから、その前年に旧ソ連領空とされる地点で大韓航空機が撃墜された事件を踏まえ、航空機墜落の文言が追加されたのかもしれない。日本と較べて韓国では法律改定が速やかに行われると聞いている。
https://goolees.blog/2021/05/31/%ec%82%ac%eb%9e%91%ec%9d%98-%eb%b6%88%ec%8b%9c%ec%b0%a9/
ohtak.comに掲載していた呉泰奎(オテギュ)さんのブログをoguris.blogに移行しました。
大阪コリア通信(1) 001j-100j 2018.5.9-18.12.4 |
大阪コリア通信(2) 101j-220j 2018.12.7-20.8.26 |
오사카 통신(1) 001-100 2018.5.9-18.12.3 |
오사카 통신(2) 101-200 2018.12.7-20.3.10 |
오사카 통신(3) 201-277 2020.3.16-21.5.27 |
2015年の秋だったろう。当時、一室を使わせてもらっていたW社の代表から「資金移動業の登録申請を手伝ってくれないか」と言われた。資金移動業者として登録されれば国際送金サービスを提供できる。ただ、その申請業務はかなりむずかしそうに思われた。
就労外国人の増加に伴い、彼らが本国の家族ほかに送る国際送金の需要が高まったのを受け、2010年に資金決済法が施行された。地下バンクの不法行為が長年続き、市場規模の拡大を黙過できなくなったことが法規制の背景にある。法施行から11年経った現在、登録業者数は約80社だ。外国為替関連の業務だから、当然ながら登録申請手続きは厳しい。専門性を要することから専門の弁護士や行政書士に委託する会社が多いようだ。
W社も資金移動業の登録をしようとして行政書士事務所に申請業務を委託したが、うまくいかなかった。その業務を引き継ぐなど、金融分野の業務経験がない僕にできるわけがない。そう考えて断ったのだが、事務所を借りていることもあり、結局は手伝うことにした。W社には日本人スタッフが少なかったから、文章編集能力や多様な業務経験が役に立つかもしれないと考えた。要するに、僕の楽観主義がそうさせたのだ。
申請業務には関連法令や金融分野の知識が必須で、それを補いながら仕事をしなければならなかった。そんな僕の都合とは関係なく申請業務はどんどん進んでいった。凝り性ということもあり、関連知識の習得に努めたが、知識不足を痛感することも多々あった。財務局の担当官から「(申請を)取り下げるという選択肢もあるよ」とまで言われた。
いまふり返ると、この嫌味な一言が発奮するきっかけになったかもしれない。W社代表とともに何度も所管の財務局に通い、2017年春には資金移動業の資格を取得することができた。ひとえに代表の終始変わらぬ自信と韓国人らしい 하면 된다(なせばなる)という発想のお蔭である。学ぶところが多かった。
ウェブサイトの立ち上げ、業界団体への参加など、一連の作業が一段落すると、行政書士試験の勉強をしようと思うようになった。成り行きではある。ただ、いざ取りかかると、法律の初学者にはかなりむずかしい。19年夏から専門塾に通い、翌年はコロナ禍もあり、途中で動機を見失い意欲を失ってしまった。21年に講座を変え、三度目の受験をめざしている。これが、70歳にして行政書士試験の勉強をすることになった経緯である。
ここ10年におけるスマホの普及とフィンテックの進歩などの影響もあり、2020年には資金決済法が大きく改定された。それに伴う社内規程の改定や新たな登録申請業務に携わりながら、試験勉強を通じて培ったものが少なくないことを感じている。
僕の楽観主義は要するに「いい加減」「成り行きしだい(되어가는 대로)」ということだ。하면 된다(なせばなる) の否定は、(何も)しなければ(何も)できない、ということは間違いないと思うのだが。
[2017年10月 Goolee’s blog に投稿した文章を一部修正し、下線を付して再掲します]
Min Jin Lee, the author of "Pachinko"
tells us why she has written this novel on generations of Korean people living in Japan.
QUOTE
The failures of history
“One thing that struck me in my study of history is how people are excluded. I don’t mean just racial minorities or women. Pretty much all poor people who don’t have documents are excluded from history and its records. People who were illiterate usually didn’t leave any primary documents. I was interested in how we think about people because the history that we have is limited to an elite body. In my experience of trying to interview people from all different backgrounds, especially the very, very poor and the illiterate, I notice that their attitude is, ‘We know that we weren’t included in the party. However, we are fine. We’re still going to keep on going. It doesn’t matter. We’re just going to adapt.’ That is the primary idea of this book. History has failed pretty much everybody. And yet no matter, we persist.”
Exploring Korea’s painful past
“In the 21st century and in the latter part of the 20th century, we think of South Korea and North Korea. But for 5,000 years, there was just Korea. When it was just Korea, it essentially became a colony of Japan. Japan, which is a wonderful country, has very few natural resources. So when Japan wanted to expand, Korea became its breadbasket. They took a lot of things from Korea and the experience of most Koreans of that era is one of general humiliation because they had their property, language and a lot of their authority taken away. The experience of the people who lived under the occupation was very difficult because they lost their national identity. A lot of people don’t like to talk about it. It’s a period of history that’s very complicated for the modern Korean to tackle because it’s one of humiliation.”
Expanding Western education
“We have huge holes in our education in the West. I think that we have little knowledge of Asian history. If you ask a well-educated, modern Western person about World War II, most will think that the theatre of war was only in Europe. But it’s known that the Pacific War was going on concurrently, and we don’t know anything about it. The 20th century Cold War proxy wars all took place in Asia. Yet again, we know hardly anything about it. This is a failure of the educational system. But people decide what is worth studying. We are going to have to know much more about Asia and the Middle East than we want to, or think that we need to know in the West.”
Recognizing the Korean Japanese experience
“If I force myself to wonder what made me think about and work on this book for almost 30 years, it’s this sense that the Korean-Japanese experience was never my experience. I moved to Queens, New York when I was seven and a half. I went to middle school in a foreign country, but I had so many different kinds of Americans push me along and encourage me. I was very odd. I didn’t talk very well, we were poor and we didn’t have any connections, but people showed up and pushed me along. I knew that there was something wrong if a country not only rejected you, but also your parents and your grandparents. This is what happened to the Korean-Japanese. Even today, they’re not considered citizens.”
Min Jin Lee’s comments have been edited and condensed.
Music to close the broadcast program: “Arirang,” performed by Wu Man, Luis Conte and Daniel Ho.
UNQUOTE
Min Jin Lee は1968年に韓国で生まれ、7歳のとき家族とともに米国に移住し、ニューヨーク市に住むことになった。2nd grade に入学するが、授業も同級生の会話も聞き取れず、つらい孤独な時期を過ごしたようだ。https://www.minjinlee.com/
本もテレビもない家庭にあって、彼女の楽しみの一つは毎夕食時に共働きの両親が日々仕事で接した人びとについて語るのを聞くことだったという。登場人物の多くは在米コリアンだったようで、彼女のなかに彼らの人物像が形成されていった。
父親は北朝鮮の出身で、朝鮮戦争の戦禍を逃れてプサンにたどり着き、戦後は米軍関係の仕事に就いたらしい。そのころプサン出身の母親と出会い、周囲の反対を押し切って結婚したという。母親の周辺に教会関係者がいたようだ。Min Jin Lee の略歴にふれたのは、小説 Pachinko が描く在日コリアン像に著者の在米コリアンとしての来歴が重なって見えるからだ。
小説 Pachinko は、大日本帝国が朝鮮を併合した1910年から「冷戦終結」とされる89年までの激動期を生き抜いた4世代のコリアンの群像を描き、時代背景を浮き彫りにしている。小説の舞台はプサン・ヨンド(影島)、大阪、東京、横浜、長野、ニューヨークだ。米国社会を加えることで、在日コリアンを相対化し、日本社会の特殊性を浮き彫りにしている。
第2部後半から第3部までの同時代を生きた僕は、この小説を読みながら自分の当時の姿を投影して振り返っていた。隣国に関心を持つ日本人は稀で、新聞各紙が北朝鮮を「地上の楽園」と礼讃していた70年前後、そこに理想社会を見た多くの人が嬉々として万景峰号に乗り込んでいった。
この小説もそういう在日の姿を見落としていない。実際は北朝鮮による拉致事件が横行していたのに、日本の政界も公安当局も把握できなかったか黙過した。後年摘発する者が出てきたが、遅きに失した。
この小説は、読者に当時の日本社会と隣国との関係を振り返ることを強いる。50年前に僕が感じ考えていたことを Min Jin Lee がジャーナリストの観察眼と小説家の感性で文章化してくれた。この点、大いに彼女に感謝しなければならない。
三部構成の小説 Pachinko
第1部 1910-33年: 日本の植民地時代のヨンド、ソンジャの両親が営む下宿屋、漁師などの下宿人との生活、ソンジャの父で障害者のフーニィと彼の死、市場を取り仕切っていたであろう済州島出身のハンスとの恋愛と妊娠、ハンスとの訣別。
結核を煩いながら平壌からプサンまで旅行し、倒れ込むように下宿屋にたどり着いた牧師イザクとソンジャの出会い、彼女が身重であることを知りながら、イザクはソンジャと結婚し、牧師の職を担うため日本に向かう。
第2部 1939-62年: イザクの兄ヨセフを頼ってイザクとソンジャが大阪に着く。ヨセフ夫婦とともに大阪の猪飼野に住み、ソンジャは長男ノア(実父はハンス)を出産し、数年後にイザクとのあいだに次男モザスを産む。イザクは二人の子どもに愛情を注ぐ。
40年代、イザクは所属教会の牧師と助手とともに官憲に捕らえられ、数年後に死期を迎えて解放される。他の二人は獄死する。牧師は在日コリアンで、もう一人は在日中国人だった。
ノアは成績優秀だが、貧乏ゆえに数年浪人して早稲田大学英文科に進む。ハンスが実父とは知らされずに、やくざの彼に入学金と授業料のみならず、贅沢なアパートと生活費の提供を受ける。
大学3年のとき交際したアキコの好奇心が引き金になって、やくざのハンスが実父だと知るや、ノアは誰にも行き先を告げずに逃亡する。長野県で周囲の人びとに出自を隠してパチンコ屋に就職し、同じ職場のリエと結婚し、家庭を築く。
ノアの弟モザスは兄と違って勉強嫌いで、力道山を崇める正義感の強い男子だ。学校生活になじめずに高校を中退し、在日の経営するパチンコ屋に就職して家計を助ける。
兄の影響である程度英語ができたモザスは、アメリカに焦がれるユミと結婚する。店舗を任されるまでになり、横浜の新店舗のマネージャーに就任する。順調に見えたが、妻のユミが交通事故死したことで暗転する。
第3部 1962-89年: モザスの子ソロモンは横浜のインターナショナルスクールで学び、米国コロンビア大学に留学して卒業し、在米コリアンの女性と帰国し、外資系の投資銀行に就職する。ところが、ゴルフ場用地に住む在日の地主を懐柔する仕事を任され、その地主が急死したことで退社を迫られ、パチンコ業に就く決心をする。それを勧めたのが、彼の初恋の女性で梅毒に倒れたハナだった。父親のモザスは反対するが、結局は受け入れる。
イザクの兄ヨセフは1945年の夏前に長崎に出稼ぎに行って被爆し、帰阪後は寝たきりの生活を送る破目になる。ヨセフはハンスがノアの学費等を出すことに猛反対し、晩年同じ屋根の下に住み、ヨセフの妻キョンヒに想いを寄せたチャンホの北朝鮮行きに最後まで反対し、自分の妻との結婚まで勧めるが、すべて彼の望まない方向に進んでいく。
済州島出身で紳士然としたハンスは、大阪の金満家に可愛がられ、その娘と結婚することで権力を得て、ヨンドと猪飼野周辺を支配するやくざで、日本の敗戦を早く察知し、被爆したヨセフを米軍に頼んで大阪まで搬送する。終始この小説のプロットに関わる運命的な存在であり、ソンジャが彼の子を孕んだことが小説の展開を導いているかに見える。
ソンジャを支えたのは若くして亡くなった父フーニィの深い愛情と母親の献身とやさしさだろう。母親は後年ハンスの手引きで来阪し、ソンジャ家族とヨセフ夫婦と同居する。ノアの拠りどころはイザクではなかったか。長野に隠遁したあと、毎月欠かさずにソンジャとハンスにお金を送り続け、大阪にある父親イザクの墓を訪ねている。ノアは16年ぶりにハンスが探し出した彼を訪ねた母親と再会した夜、40代半ばで自殺する。
小説 Pachinkoは、父親も異なり性格も進路も異なるソンジャの二人の息子が、在日二世であるがゆえに結局はパチンコ屋の仕事に就き、インターナショナルスクールを経て米国留学まで果たした孫も三世であるがゆえにパチンコ屋を継ぐという在日の置かれた状況を描き、米国社会と比較して日本社会の不条理を鋭く批判しているように思う。
注: スンジャとしていた主人公の名をソンジャに訂正しました。韓国語版の改訂版に次の注釈があることをKSさんにご指摘いただきました(2021-5-17)。
※작가의 요청에 의해 주인공의 이름인 ‘Sunja’의 표기를 ‘순자’에서 ‘선자’로 변경하였습니다.
1. ゴー河沿いの風景: 車窓の風景と心象風景が交錯し、主人公は車内で偶然同席した老人、そして女性に引かれていきます。列車という教会に乗っていながら、信者になれなかった主人公の孤独を移りゆく季節の光景とともに描きます。
2. ンヴィーニたち: 「ンヴィニ教」(便利至上主義)の無自覚なフォロアであり、信徒ないし盲信者という意味です。現代人の行動原理が「無信仰」と呼ぶべき信仰にあると考えました。
3. いつか名もない魚になる: 抽象的で読みにくいですが、魚になった主人公を想定し、老人と死について考えました。人は死ぬと魚になり個性のない魚類になるという仮説を掲げ、死後も個人として存在したい人々の願望を描きます。
賀茂眞淵(1697-1769)の墓を再訪した。前回訪れたときの記事には周囲の騒音をしばし忘れるかのように書いているが、今回は違った。電車や列車の音ばかりでない、ひっきりなしに頭上を低空で通過する航空機の爆音がうるさく響いた。
同じく東海寺の墓地内に澤庵宗彭(1573-1645)の墓がある。漬物石そのものを置いたような墓だ。澤庵が没して約50年後に賀茂眞淵が生まれている。賀茂眞淵の没後250年の現在からはどちらも同じ時代にいたように見える。
何だかだ言っても、結局のところ、おまえも日本の戦後教育のみすぼらしい落とし子の一人にすぎないようだな。その土台は明治以来続いている偏狭な復古主義に根ざしているというべきだろう。
小説「いつか名もない魚になる」に描かれた「寺院」とか「教会」にいて、小説に登場する他に行くところがない人々と同じように決められたことを勉強し、何がしかのことを学んだような錯覚を得て満足する似非文化人そのものではないか。おまえの周囲にいる人々と同類ではないか。
三月末、韓国の友人がSNSで日常のくり返しに意義を感じない、と伝えてきたと思った。彼らしくないな、と思いながらも、むっとして、そんなことはないだろう、と返した。このことがずっと気になっていたのだろう。2週間後にそのSNSを読み返したら、日常を描写しただけではないか。[저는 늘 같은 일상의 반복입니다. 日々同じ日常のくり返しです] 勝手に誤解して苛立っていたのだ。
最近、苛立つことが少なくない。修羅は身の丈八千由旬といわれるが、帝釈天に叱られると縮んでしまう。僕も小さくなって沈んでいく修羅のような感官にさいなまれている。以前から毎年冬から春にかけて襲ってくる沈滞期はあった。水鳥が必死に水を掻いているような感覚を覚え、同じところを堂々めぐりする。
むかしは何か関心のあることを見つけたり恋愛に没頭することでやり過ごした。小説まがいの文章を書いたのも沈滞期を乗り越えようとしてだったかもしれない。そのときはただ夢中になるだけだが、振り返ると、水鳥の水掻きだったのか、と気づかされる。その気づきがさらに沈滞感を深める。
四月初め、ある日の午後、高層ビルの3階にあるコーヒーショップにいた。ここはもう小説に書いたような教会でも寺院でもない、狂界とも 狂内ともいうべき場所になった。席を二つ離れたところに僕よりやや若そうな老人がいる。ふつうの風貌をしているが、ぶつぶつ独り言をしながらパソコンに向かい、ときどき電話をかけては大声で話す。おどおどしながら驕慢な話し方に尋常でないものを感じる。この都会に病者が蔓延することは避けられないとしても、こういう連中に静けさを乱す権利などないはずだ。
こういう感官と誤解こそが老境というものの正体かもしれない。おまえも、あの臆病そうで驕慢な男と同類ではないか。ただの老境ではない、老狂恐るべしだ。老狂人、これも誤解であればいいのだが。江戸後期の画狂老人を思う。
洗足池の一角に桜山と呼ばれ親しまれている名所がある。天候に恵まれ絶好の花見日和に近在の人々がくり出していた。池に流れ込む側溝の魚に語りかけるが、当然のことながら応答はない。
70年代によく聞いた Eleanor Rigby がどこからともなく聞こえてくる。(1) by Aretha Franklin; (2) by Beatles: よく聴いてみると (1)と(2)では歌詞が違う。(1)では冒頭から I’m Eleanor Rigby であり、I picked up the rice だから、いわば all the lonely people が主語になっている。(2)では Ah, look at all the lonely people と呼びかけ、Eleanor Rigby picks up the rice…となる。(1)は Aretha が自らを歌い、(2)は Beatles が彼らに呼びかけるように歌う。
先に投稿したブログの文脈に置き換えれば、前者はワキ人自らが Eleanor になりきって歌い、後者はシテ人がワキ人について観察しながら歌うのである。71歳でこういうことが理解できたからといって、どんな役に立つのかわからない。
能と狂言の世界(能楽)に「ワキ」「シテ」という役の区分があり、「ワキ方」を演じる流派と「シテ方」だけの流派に分化しているそうだ。主役と脇役という役者の機能にもとづく捉え方ではなく、明確な職業分化が定着しているらしい。
「ワキ」と「シテ」を主役と脇役に置き代えてはいけないようだ。たとえば、セルバンテスの「ドンキホーテ」については、ふつう主人公の騎士を主役とし、従者を脇役と考える。能面ならぬ鎧面を付けた騎士をシテ、従者をワキとすることはできるかもしれない。
すると、従者の馬はワキツレ(脇連)になるが、騎士の馬ロシナンテは該当しない。「シテツレ」という役があるとは考えにくいからだ。「シテ」に付く「ツレ(連)」は想定されていないようだ。
他方、ドンキホーテもサンチョパンサも現実社会においては<はぐれ者>であり、変人扱いされるような人物である。彼らは二人とも「ワキ」役でしかない、「ワキ方」「ワキ役」についてこんなふうに考えた。これを自作の文章に当てはめると、
「いつか名もない魚になる」について、主人公は「シテ」で記録係は「ワキ」だと言える。だが、二人とも「名もない魚」になってしまうのだから、社会の大勢を占める「ンヴィーニ(ンヴィニ教徒)」からみれば「ワキ」役でしかない。いや、待てよ。そもそも「ンヴィーニ」とは無名の無宗教派の人々ではなかったか。
こういう人々を総じて「わきびと」と呼びたいのだが、自分が何を考えようとしているのか明確でない。何か見失いかけている足場を再発見しようともがいているようだ。なお、「わきびと」に漢字を当てると脇人だが、音読みはキョウジンで狂人と同音になる。英語は仮に wakibito, the supporting players としておく。
[以下、別途ブログに投稿しました]
70年代によく聞いた Eleanor Rigby がどこからともなく聞こえてくる。(1) by Aretha Franklin; (2) by Beatles よく聴いてみると、(1)と(2)では歌詞が違う。(1)では all the lonely people が主語になっているが、(2)では目的語なのだ。(1)は Aretha が自らを歌い、(2)は Beatles が彼らに呼びかける。上の文脈に置き換えれば、前者はワキ人自らが歌い、後者はシテ人がワキ人について歌うのである。
Aphorism という語がある。格言集などと訳されるが、萩原朔太郎は散文詩としていたと思う(青空文庫に入っていて驚く)。高三の夏休み、父が単身赴任中で後に再婚する相手と逢瀬を楽しんでいたと思われる一軒家で40日過ごした。毎夕、五右衛門風呂に入るのが楽しみだった。岡山県の津山に近い鉱山町だったが、いまはもうない。
朔太郎の新潮社版全集を1万円ぐらいで購入し、カバンに詰めた文庫本30冊とともに鈍行に乗った。その年の春に岩手県の水沢(現江刺)市から東京の杉並に引っ越し、私学の進学校に転入したが、受験勉強をする気持ちはまったくなかった。だから、読みたい本を小遣いの許す限り買いため、周囲には受験勉強をしてくると言い、東海道線の旅客となったのだ。
朝父が出勤すると誰もいない贅沢な和室で英語と世界史の本を横に置き、勉強しているふうを装った。英語は福原麟太郎編の研究社の教科書とVacali の英文法通論だった、後に詳論も読んだ。世界史は山川出版の史料集だったと思う。僕の受験勉強はざっと、こんなものだった。
朔太郎の詩や詩論をよく読んだ。なかでも気に入っていたのが散文詩であった。気が向くと吉井川の河原まで下っていき、文庫本を読んだ。芥川の河童を河原で読んだのは痛快だった。鷗外訳のファウストや鈴木力衛訳のモリエールも読んだ。紀伊國屋で安売りしていた洋書 the Complete works of Shakespeare も持参し辞書を引きながら読んだ。Faraday; the Chemical History of a Candle や Einstein/Infeld; the Evolution of Physics も後に読んだ。いずれも翻訳書を通じて興味を持った。 後者は翻訳書も原書も一般相対性理論までしか読んでいない。それ以上は理解できなかったから。
「いつか名もない魚になる」は、こんな高校生だった作者が55年後に書いた文章である。作者の観察眼は高校生のときに形成されたようだ。ある文学賞に応募したが、<小説>の形式をふまえていなかったと思う。朔太郎のいう散文詩に近いものだったのではないか、予選すら通過しなかったのは当然というべきだろう。散文詩は集束しない、ひたすら放射するのである。
2019年の7月から行政書士試験専門の塾でにわか勉強して受験した。数年前から勤めていた会社で資金移動業の登録申請業務に関わったのがきっかけだ。法律知識の不足を痛感し、70歳を前に自分がそれまで避けてきたことをやろうと考えた。翌年も同じ塾に通い本格的に勉強するつもりが、コロナ禍の影響もあり継続する意欲を見失ったまま受験し、不合格となった。
2021年、自分に合った講師を求めてT法律研究所の再受験生向け講座を受講することにしたが、2ヵ月目に入るころから、前年と同じスランプに陥った。一人の自分が問う、「いまさら法律の勉強をして何になるのだ」と。もう一人の自分が応じる、学ぶことと年齢は関係がない。小学生も70歳を過ぎた老人も学ぶ行為に関しては共通だと考えたのだが…
法律脳と文学脳はよく似た面がある。法律の条文が無味乾燥だとか、判例は屁理屈が多いとかいうが、そうでもないようだ。小説も法律も現実を観察するための虚構性を持っている。判例集を短編小説集として読むこともできるのだ。もう法律がつまらないからといって小説に逃避する必要などない、判例集は結構おもしろい読み物なのだ。
僕らは数直線の上をゼロ歳から死に至るまで前進する点ではない。数直線上の位置ではなく、実体のある点として存在し輝いている。このことは若い人のほうがよくわかっているのではないか。彼らが傍若無人でいられるのはそのためかもしれない。
T法律研究所の講座を受講して1ヵ月半が過ぎ、前年と同じスランプに陥った。去年はコロナ禍に伴う<緊急事態宣言>という言い訳もあったが、ことしも同じ宣言下にあるとはいえ、流されるわけにはいかない。そう考えると、かえってあせりも生じがちだが、一方で二度と試験に失敗したくないという思いも強い。
そこで思いついたスランプ脱出法が、何と判例集を短編小説として読むことである。読書しているあいだは判例の論旨に乗っていればいいし、赤鉛筆で線を引きながら読んでいくと、しだいに論旨が見えてきておもしろい。これでスランプを乗り切れるような気がするが、はたしてうまくいくかどうか。
サイトのタイトルをまた変更した。少し前に<いつか名もない魚になる>から<Fictions and Essays>に変えたばかりなのに、改めて<Writing and Reviewing>に変えた。執筆と校閲(見直し)ぐらいの意味である。具体的には、小説の執筆から法律の学習へ大きくシフトするという宣言のようなものだ。
続いて、執筆と見直し、主観と客観、主客転倒、主役と脇役、最後にシテとワキ、転じて<ワキ(脇)とシテ(仕手)>、さらに ローマ字表記で Shite to Waki にした。シテとワキは主役と脇役すなわち主従関係とは異なるものだろう。ワキがあってシテがある、シテがなければワキがない一体不二の関係にあると考える。
ドンキホーテとサンチョパンサの画像とよく似合う。タイトルではなく内容が大事なことはわかっている、本末転倒の最たるものだということもわかっている。また、歯車が嚙み合わない。いつもの分厚い壁を感じる。
<韓国併合とは何だったのか: いま、大坪洋一の全作品が問う>というサイトがあります。まだ未完成ですが、予告として紹介させていただきます。
1970年代前半ソウルに旅行したときの衝撃をきっかけに<韓国併合期>前後に関心を抱いた大坪洋一はその後30年余り関連書を渉猟します。その間に培った歴史的な直感や感性を想像力で広げ、社会科学ではない小説という形式を使って問い続けます。精力的に執筆する姿は鬼気迫るものさえ感じさせます。なぜ大坪は<韓国併合期>にこだわるのか、彼の全作品がそれに応えます。
日本語では「虚構と小論」ぐらいの意味を考えています。Fictionsはふつう小説やフィクションという日本語を当てますが、原意は虚構です。そういえば、僕はずっと虚業に関わってきました。Essaysは随筆やエッセイを当てますが、評論や小論(文)の意味でも使われます。
このサイトでは、fictions <虚構>と essays <小論>の意味で使うことを基本にしながら、独自の意味を付加したいと考えています。基本の意味に変更を加えたときは、このページに随時書き足すつもりです。