個人史という試み1950-2026

この年表は個人史という試みを行うための資料の一つです。時期区分、記憶の断片、記憶の周辺に分けて整理し、補足説明を加えました。記憶が曖昧あいまいな部分や不確かなことは他の資料で確認しましたが、記憶違いがあるかもしれません。記憶のかけらを集めて記録しなければ記憶は完全に消えてしまいます。それは自らの生きた証しがなくなることを意味するかもしれません。それでも構わないという人もいるでしょう。僕は限られた人にだけでもいい、何がしかの記録を残したいと考えています。

この年表は未完成のため随時変更されます。

時期記憶の断片記憶の周辺
1950年
文京区本郷の厚生省診療所にて出生
55年上京時に柵原駅で聞いた汽車の霧笛を記憶している、日々山で遊んでいたという生後まもなく父の仕事のため岡山県和気わけ郡の柵原へ、母は毎晩東京へ帰りたかったという
1955年-
杉並区井荻町の社宅に住んだ、最寄り駅は当時国鉄の西荻窪駅
木造平屋(6畳2間ま・4.5畳1間・襖の間仕切;台所・浴室・汲取式便所)、庭のスモモの樹きに毛虫が付いた、
幼稚園からの帰り、坂を下ると右に畑が広がり善福寺川を越えた向こうの丘に富士山が見えた
庭に卓球台を置く、同じ造りの家が6軒あり周囲に畑があった、小中学校とも至近距離にありよく遅刻した、善福寺川が土手の谷あいを流れていた(後コンクリート壁に)、川で鰻をとったことがある
1959年
母と妹が仏教徒に
4月のある日居間の箪笥の上に小さな黒い仏壇が置かれていた激しい夫婦喧嘩が常態化し半年以上続いた、僕は父側に付いた
1959年
伊勢湾台風の襲来
台風で善福寺川が氾濫はんらんし周辺道路が川に、近所の家は床上浸水し僕の家も汚水が溢あふれかけた愛知県西尾市に住んでいたの祖母の家と寺が流された、祖母はしばらく僕の家にいたと思う
1920年代-1940年代
両親の生立ちと出会い
1927年母は文京区初音町はつねちょうで生まれ育った、両親は高崎市の農家の出身で若いころ上京した際に持参金を盗まれ、浅草で露天商を始めさまざまな商いをした後、初音町で生花店を開業、末娘の母は伝通院の仏教系女学校に、戦後特許庁で働いているとき父と出会う1924年父は北区滝野川で生まれ、後に愛知県西尾市に移り中学校に通った、実家は浄土真宗大谷派の寺だった、僕の祖父が満州で建築技師として仕事中に死んだため、父が寺を継いだ、後に父も満州の大學に、戦後特許庁の守衛をしながら大学に通った、守衛室前を通過する母を見初めた
1960年
信仰を貫いた母と妥協した父
父と一緒にご授戒を受ける、社会党委員長浅沼稲次郎暗殺事件のニュースを鮮やかに記憶している少年期に浄土真宗の僧侶で当時勤務していた鉱山会社の労組委員長だった父も学会に入会した
1960年代
周囲の人やメディアの学会に対する批判
僕と家族に対する世間の見方が変わり、人々に対する僕の見方が変わった、後に韓国・朝鮮に関心を抱く意識が形成されたと思う周囲の人から「病人と貧乏人の集団」学会の一員と見られて自分を卑下するようになり級友や周囲の人との間に溝が広がっていった
1962年キューバ危機、第三次大戦が勃発する恐れがあった核戦争の悪夢に唸うなされる夜が続いた
1963年JFK暗殺日米衛星中継
1964年
東京五輪
国立競技場の最上段から見た選手の矮小さ
1965-67年
「風の又三郎」だった
自然父の転勤に伴い岩手県立水沢高等学校に入学、科学分野の新書や文庫本を多読し、エロ本も読んだ、モラヴィア「無関心な人々」に衝撃を受けた部屋に化学薬品の棚、試験管やビーカーほかの実験器具、オリンパスの顕微鏡、DNA二重螺旋らせん模型があった
1965年
砂利道を自転車で高校に通う
卓球部の合宿で腰を痛め体育授業を1年休む、少年期とは違う環境に適応できず、急激に身長が伸びた時期だったため躰に異常を来したのだろう、北上川の土手によく行った部屋は実験室そのままで、顕微鏡でいろいろな細胞を見た、血液型検査の実験で敗血症はいけつしょうに罹った、母と僕の血液型がマッチしなかった
1965年
クラシック音楽に親しむ
海水浴で沖に流されブイにしがみついていて幸いにも救出された部屋に安っぽいレコードプレイヤーと大小のレコードがあった
1967-68年
東京に戻るが都会生活に適応できず
進学校に転入するが適応できないで名曲喫茶に通った、当時のコーヒー80円国鉄遵法闘争のラッシュで女の痴漢に襲われ女子高生に体を押し付けられたりした
1967年
学校教育から脱落し新書文庫を多読
高三の夏、萩原朔太郎全集ほか数十冊の文庫を持参して柵原へ行き父の社宅に1ヵ月あまり下宿した、五右衛門風呂が懐かしい「詩の原理」と散文詩、芥川の「河童」「侏儒の言葉」などを愛読し、宮澤賢治を全集で読んだ
1967-69年
読み終えた本は古本屋に売り別の本を買った
アインシュタイン・インフェルト: 物理学はいかに創られたか; 高価な原書を注文し2ヵ月かけて入手したデーデキント「数について」、中江兆民「三酔人経倫問答」などの文庫本を学生服のポケットに入れていた
1967-69年ファラデー: ロウソクの科学; Chemical History of a Candle、ポーリング: 化学の教科書「炎はなぜ上昇するのか」科学の発想に魅みせられる、ポーリングの本は教科書より面白かった
1969年
大学受験のため一浪
中村眞一郎: 頼山陽とその時代; ヴァカーリ: 英文法通論・英文法詳論予備校に行かずドイツ語を学びヴァカーリの英文法書2冊で英語を学び直す
1969年
読書三昧の日々
B. Russell: History of Western Philosophy山川出版: 世界史詳説受験のラッセルに飽あき西洋哲学史を原文で読んだ、参考書は山川の世界史のみ
1969年
バロック音楽に親しむ
出隆: 灰にするが可、岩手時代から書き続けた原稿紙の束を灰にした石神井公園まで毎夜往復2時間歩いた、心身症ぎみだった、ランドフスカが好きだった
1970年
阿佐ヶ谷北に引越す
1年足らずの学生生活、いろんな人々が出入りし、夜更けまで賑やかだった数年前から愛人のもとにいた父と決別するため母が独断で中古住宅を購入した
1969-70年
仏教思想に接近
戸田城聖: 生命論・法華経ほけきょう講義、池田大作: 科学と宗教; 政治と宗教; 御義口伝おんぎくでん講義など母の書棚から借りて読んだ母が信仰していた学会の教学に傾倒した、キリスト教と科学の対立、仏教と科学の併立、宗教=思想という考えの枠組みができた
1969-70年
チェロ器楽曲を好む
自分を法華経行者とした宮澤賢治の作品に傾倒した「春と修羅」をくり返し読んだ、カザルスのレコードを繰り返し聞いた
1969-70年
大学に数ヵ月通う
慶應義塾の文学部に入学したが馴染めなかった第三文明研究会に所属したが、肌合いが違った
1970年
大学を退学する
両親が離婚し父が家を出る大盛堂書店社会科学書フロアでアルバイト、三島由紀夫事件成人式の祝いに母が背広を買ってくれた、山本七平「日本人とユダヤ人」飛ぶように売れる
1970年
日中学院本科に数ヵ月通う
송지학: 朝鮮語基礎、旗田巍: 朝鮮史、長障吉: 朝鮮語小辞典、倉石武四郎: 岩波中国語辞典; 初級ローマ字中国語、中国語も朝鮮語も政治的なアプローチしか認められなかった日中学院は内山書店の2階にあった、朝鮮大学を訪ね守衛に門前払いされる、中国語を学ぶ、竹内好・武田泰淳・桑原武夫・加藤周一ほかを乱読した
1970年代
こんな雑誌を読んだ
雑誌「辺境」「三千里」「朝鮮研究」雑誌「展望」「朝日ジャーナル」
1971-72年
書店員の読書三昧
信山社(岩波書店の小売部)にてレクラム文庫・洋書を担当神保町から四谷まで線路沿いの道をよく歩く
1971-72年二葉亭四迷全集(新書版)、魯迅ろじん全集(新書版)二葉亭を読み翻訳に興味、魯迅と五四運動に関心
1973-77年
韓国人と仕事をする
大韓航空東京支店に勤務、航空局担当、キムデジュン事件、ムンセグァン事件創価学会の総体革命論に傾倒、73年末雲取山に登山しよく奥多摩方面に行った
1973年12月
初の海外出張で韓国へ
年末서울・済州島に初の出張、帰途京都で在日コリアンHに逢あう金浦空港近くの旅館から見た白衣の老人の後ろ姿、京都先斗町の茶店
1973-77年
アゼリアの仲間たち
トインビー・池田: 21世紀への対話を読み込む母の書棚の本社会総合研究所に出入り
1977-80年
同業種で転職
国際開発で前職と同じ航空局業務を担当する仕事から逃れようとして頻りに登山する
1978年崔仁勲・田中明訳: 広場東洋文庫「パンソリ」
1978-80年
山に親しむ
新田次郎: 孤高の人・氷壁ほか奥多摩の山々に親しみ、毎春上高地から涸沢へ登山
1979年
短い結婚生活
Eと結婚、国分寺に住む81年に離婚、E26年に引越
1979-80年The Heart Remembers Home translated by Eileen Kato司馬遼太郎: 故郷忘じがたく候
1980年
英語を再学習する
S. Maugham: Of Human Bondage, D. H. Lawrence: Women in Love日米会話学院通訳基礎科に在籍、英語ニュースを繰り返し聴き語彙をふやす
1980-84年
国際会議運営業務
サイマルインターナショナルに群がる同僚や人士たちと交際会議部・教育部に配属、後に倒産した会社だが同僚に恵まれた
1980年代
こんな雑誌を読んだ
「週刊文春」毎木曜発売、四谷駅麹町口だけ水曜夜「ビッグコミックオリジナル」 ゴルゴ13
1982-83年
中国像の崩壊
Nian Zheng: The Longest Night in ShanghaiWild Swan ほど売れなかったが「文革」告発本の嚆矢
1984年
韓日翻訳の仕事
浅草橋の事務所にデスクを貸してもらう近所の小中学生等10人に英語を教える
1981年
抱腹絶倒の小説
井上ひさし: 吉里吉里人傑作だと思うが、東北方言の翻訳は不可能に近い
1985年
國語という虚構
井上ひさし: 國語元年帝國日本の共通言語づくり
1984-87年
海外広報の仕事
ジャパンエコー社編集部に配属つくば博海外プレスセンターに出向
1985年Mと結婚大田区に在住
1985年放送大学に入学(第1期生)休学4年を含め8年で卒業
1986年娘N生まれる
1987-89年
カナダ在住
在トロント日本総領事館に出向(文化教育担当領事)放送大学を休学
1988年E. T. Seton: Wild Animals I Have Known日本語訳は「シートン動物記」
1989-90年
守口市在住
国際花博協会外事部に出向英独バイエルン州東欧ロシア旧ソ連アフリカ諸国担当
1990-94年
放送大学を卒業
ジャパンエコー社編集部に戻った教養学部卒業(卒論: 地方自治体広報資料の多言語化)
1994-96年
米国の財団に勤務
US-Japan Foundation 東京事務所青山学院大学大学院に大学新卒枠で入学
1995年地下鉄サリン事件30分ずれたら事件に巻込れた
1996年阪神淡路大震災発生大学院修了(修論「内地雑居論」)
1999年司馬遼太郎: 坂の上の雲日露戦争に勝った帝國日本
2000年原武史: 大正天皇大正天皇の虚像崩れる
2001年H. P. Bix: HIROHITO and the Making of Modern Japan昭和天皇の虚像崩れる
1996-2010年
民間財団に勤務
国際文化フォーラムに勤務韓国語教育の調査、教師ネットワークの結成
2008-20年
アシアナ杯事務局
「話してみよう韓国語」高校生大会の事務局立上げ運営1997年から蓄積した韓国語事業のすべてを投入
2005-06年
毛沢東神話の崩壊
Jung Chang, Jon Halliday: Mao the Unknown Story朝鮮戦争は毛沢東の了解を得た北朝鮮の南侵という衝撃、中国義勇軍の虚妄
2008年
欧米の思考枠組みの限界
岡本隆司: 世界のなかの日清韓関係史中国と周辺国の冊封関係と植民地主義の矛盾、清朝の属国で独立していた朝鮮
2009-12年民主党政権失望と落胆
2010-12年
出版社編集部
アスクインターナショナル編集部に勤務韓国関連図書の編集担当
2011年東日本大震災(東京震度5)原発神話の崩壊、政治不信
2012年ニッポンドットコム財団
2013-16年アシアナスタッフサービス教育部に勤務アシアナアカデミーの運営
2014年oguris.bloggoolees.blog2023-24年これらを統合oguriq.com
2015年アルゼンチンタンゴ、MTB山行を楽しむBromptonを買ったが、韓国の友人に譲る
2016-25年
新大久保に通う
DEKIRU、WFIに所属Shin-Okubo, the cosmopolitan town
2017年Min Jin Lee: PACHINKOU.S. National Book Award Fiction finalist6月Seattle のどの書店にも並んだベストセラー在米コリアン作家による在日韓国人・朝鮮人と彼らを受容しない日本社会と人々に対する鋭い観察であり痛烈な批判の書である
2016-18年
娘の留学と結婚
Foster School of Business UWでMBAを修得した娘、帰国後すぐに結婚娘に触発され行政書士試験に挑み4年後に諦める、並行して執筆活動
2019年8月24日 父他界、晩年は頑固爺になり会うと口論になることが多かったoguriq.com WAKIBITOSと名づける、執筆活動盛んに
2021年
創作活動
縦書き文庫に作品を公開いつか名もない魚になる
2022年M. Wert: Meiji Restoration Losers帝國日本神話小栗忠順伝説の虚実
2022年
歴史を見直す
中里介山: 大菩薩峠幕末から明治維新の歴史を再考する
2022年與謝野晶子訳: 源氏物語源氏物語の全編を貫く仏教世界を再考する
2023年
身近な人の生と死
12月19日 初孫誕生、12月21日 母他界無宗教社会を生きる
2024-26年
一茶発句集づくり
母の死の直後から一茶の俳句に引かれるようになった長野郷土史研究会の資料をもとに一茶発句全集を公開
2025年4月11日 二人目の孫誕生
2026年縦書き文庫版小林一茶ふりがな発句集新年・春*・夏・秋の部公開*修正作業中