「文化句帖」は、一茶が父親を喪った後、父の遺産をめぐる弟と義母との問題を抱えながら、現在の千葉県や茨城県地域を旅した40歳代前半における日記形式の句帖である。余白に日付と天候や人々との出会い、事件などを記録している。
他方、「発句集」は一茶の死後散佚した彼の俳句を門人たちが収集し、季節別季語別に編集して出版したものである。その際に日記形式の句帖に記された日付や天候の情報は捨象してしまった。純粋に俳句だけを鑑賞する意図があったのだろう。
「一茶発句集」と呼ばれる諸本は江戸時代末期(19世紀)に刊行された文政版・嘉永版、1925-26・1930・1979年に両版を校訂し拡充した現代(20世紀)版に大別される。それぞれ編集者(編纂者)と刊行年は次のとおりだ。
19世紀の一茶発句集
| 呼称 | 概要 |
|---|---|
| 文政版 文政12年 1829年 | 春甫 大原其流 中島雀来など信濃有力門人14名による編集 一茶の三回忌追善として出版された最初の発句集 上下2巻計521句収録 春甫が描いた一茶肖像画 |
| 天保弘化ごろ 1830-40年代 山岸梅塵による編集: 晩年の愛弟子梅塵が独自に追加した句を編集したが、出版に至らなかった | |
| 嘉永版 嘉永元年1848年 | 墨芳一具(今井彦右衛門)による編集: 版元山城屋佐兵衛が出版、広く流布し増補版も出た。文政版に句を加え一茶の評価を高めた。 |
20世紀の一茶発句集
| 大正14年(1925年) 編集: 荻原井泉水 概要: 嘉永版を底本に校訂、春陽堂一茶文庫から刊行 |
| 大正15年(1926年) 編集: 勝峯晋風 概要: 嘉永版を校訂、古今書院から刊行 |
| 昭和5年(1930年) 編集: 栗生純夫 概要: 文政版を校訂 |
| 昭和54年(1979年) 編集: 小林計一郎・丸山一彦・宮脇昌三・矢羽勝幸 概要:『一茶全集』第一巻発句として以前の発句集や自筆句帖すべてを網羅した一茶研究の決定版、信濃毎日新聞社発行 |
以下、発句集と句帖の記載形式を比較するため二つの表を提示した。表1では「文化句帖」文化4年3月7日-21日に記載された櫻ほかの季語に関する句を日付と天候や前書きを含めて載せ、表2では発句集の記載順に俳句を並べた(数字は「ふりがな一茶発句集」春の句番号)。
発句集は一茶の著作を再編集したもので類似の句を比較し一茶調の特徴を理解するのに便利な反面、俳句だけ読んでいたのでは当時の作者や周囲の状況は十分に伝わらないと考えた。俳句をよく理解するには発句集と句帖の両面から見る必要があるように思う。
| 表1 「句帖」と同じ日記形式に再録 |
|---|
| 3月7日晴 [5-6日俳句なし] 春里雨十と浅草巡白金町白幡イナリ筋違相生橋スルガ臺太田姫神田[明]神湯島上野大石灯籠寛永八年十月十七日佐久間大膳亮勝之トアリ太良イナリ七軒寺町東陽寺向野アリ 風の音苔の雫も天地のたへぬ御法の手向にはして 茂睡 |
| 4371 うしろから犬のあやしむ櫻哉 |
| 3月12日晴 [8-11日俳句なし] 松井と日暮里ニ遊ぶ |
| 3996 花咲て妹がこんにや[く]はやる也 4374 けふぎりの江戸のお食を櫻哉 |
| 3月14日雨 [13日俳句なし] |
| 3994 咲花やけふをかぎりの江戸住居 3999 花の雲翌から江戸にをらぬ也 4379 菜畠もたしに見らるゝ櫻哉 3993 かつしかやふり行迹の花の雲 713 かすむ[日]や麓の飯のめづらしき 1797 巣の鳥や人が立ても口を明く (異) 遺稿 上五「雀子や」 4373 閑古鳥ひだるさう也おそ櫻 |
| 3月17日晴 [15-16日俳句なし] 成美會止 |
| 3991 傘で来し人をにらむや花の陰 3997 花の雨ことしも罪を作りけり |
| 3月18日晴 雨十と堀ノ内へ参七面社大クボ天神宮 |
| 4370 石垣の武ばつたなりに櫻哉 4002 降雨もしすまし㒵や花の陰 4001 貧乏人花見ぬ春はなかりけり 4000 花の山佛を倒す人も有 3998 花の陰よい雷といふも有 4375 櫻狩り佛の氣にはそむくべし |
| 3月20日晴 [19日俳句なし] かつしか判者披露双樹泊 |
| 3995 花おの〳〵日本だましひいさましや 197 春永の春も行也のべの山 |
| 3月21日晴 双樹と方々遊参湯島園満寺木食寺也補陀殿ト有イゝ蔵横丁天満宮牛天神波切不動法化山伏小石川傳通院 |
| 3155 藪の蜂来ん世も我にあやかるな |
| 大慈寺善心寺神齢山護国寺観音開帳山開き |
| 4376 櫻花是も卅三所哉 4378 たゞ頼〳〵とや櫻咲 (異) 遺稿 中七下五「たのめと櫻ちりにけり」 4372 鉦太鼓敲止ば櫻ちる* (異) 下五「櫻哉」 *朱書で「ちる」 3992 かつしかの空と覚えて花の雲 |
| 数字は「ふりがな一茶発句集」春の句番号 |
| 表2 「発句集」と同じ順に再録 |
|---|
| 197 春永の春も行也のべの山 713 かすむ[日]や麓の飯のめづらしき 1797 巣の鳥や人が立ても口を明く 3155 藪の蜂来ん世も我にあやかるな |
| 3991 傘で来し人をにらむや花の陰 3992 かつしかの空と覚えて花の雲 3993 かつしかやふり行迹の花の雲 3994 咲花やけふをかぎりの江戸住居 3995 花おの〳〵日本だましひいさましや 3996 花咲て妹がこんにや[く]はやる也 3997 花の雨ことしも罪を作りけり 3998 花の陰よい雷といふも有 3999 花の雲翌から江戸にをらぬ也 4000 花の山佛を倒す人も有 4001 貧乏人花見ぬ春はなかりけり 4002 降雨もしすまし㒵や花の陰 |
| 4370 石垣の武ばつたなりに櫻哉 4371 うしろから犬のあやしむ櫻哉 4372 鉦太鼓敲止ば櫻ちる* (異) 「櫻哉」 *朱書で「ちる」 4373 閑古鳥ひだるさう也おそ(遅)櫻ざくら 4374 けふぎりの江戸のお食を櫻哉 4375 櫻狩り佛の氣にはそむくべし 4376 櫻花是も卅三所哉 4377 櫻花どつちへ寝ても手[の]とゞく** 4378 たゞ頼〳〵とや櫻咲 (異) 遺稿 中七下五「たのめと櫻ちりにけり」 |
| 数字は「ふりがな一茶発句集」春の句番号 ** 文化4年2月29日掲載なので表2対象外 |
信濃毎日新聞社版の一茶全集第1巻「発句集」では、春4372について本文を「鉦太鼓敲止ば櫻哉」とふりがな小林一茶発句集では、前後の句との意味の連続性を考慮し、本文を「櫻ちる」、異文を「櫻哉」とした(原本の本文の変更ではなく異文を本文として採用したもの)。原本では、本文「櫻哉」のヨコに「ちる」と朱書きしてあるようだ。
[8月18日の記事に追加投稿しました]
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