2017年の投稿 PACHINKO by Min Jin Lee に加筆し修正して再掲します。5年半の間に僕の見方がかなり変わっています。
Min Jin Lee は1968年に韓国で生まれ、7歳のとき家族とともに米国に移住している。米東海岸のニューヨーク市に住居を定め、2nd grade に入学するが、授業も生徒たちの会話も聞き取れず、理解できない日々が続く。この時期に彼女の Korean American としての原点が形成されたと思う。その核には疎外感やよそ者意識に近いものがあったろう。
家には本もテレビもなかった。毎晩、夕食どきに共働きの両親がその日接した人びとについて話してくれる。それを聞くのが彼女の楽しみになっていく。話に登場する人物の多くは在米コリアンで、しだいに彼らの姿が少女のなかで形づくられていったに違いない。それとともに、Korean American として自ら意識するようになったものと想像する。
北朝鮮出身の父親は朝鮮戦争(1950-53)のさなか命からがらブサンにたどり着く。戦後は米軍関係の仕事に就いたという。ブサン出身の母親と出会い、周囲の反対を押し切って結婚している。母親は教会関係者と親しくしていたようだ。Pachinko の主要な登場人物の名が聖書に深く関わっているのもキリスト教との浅からぬ関係を示唆している。欧米での名前は多くが聖書由来であるが、韓国ではそうではない。いわんや北においてをやであろう。
著者と両親の略歴にふれたのは、彼女の周囲にいた人々や家族のなかにこの小説 の登場人物のモデルがいたと思われるからだ。Pachinko に描かれた在日の姿に Korean Americans の群像も重ねられるように思う。
Pachinko は大日本帝国(1868-1945)が朝鮮を併合した1910年から冷戦終結とされる89年までの激動期を生き抜いた4世代のコリアン群像を描いている。小説の舞台はブサンのヨンドに始まり、大阪からニューヨークまで広がる。東京・横浜・長野を加えて日本における在日の広がりを描き、米国社会を視野に入れることで在日コリアンを相対化し、日本社会の排他性と陰湿性を暴いている。
小説の第2部後半から第3部までの時期を僕は同時代として生きた。当時、韓国や北朝鮮に関心を持つ人は稀で、日本の新聞雑誌はこぞって北朝鮮を「地上の楽園」と呼んで美化していた。そこに理想社会を見た多くの在日朝鮮人が嬉々として万景峰号に乗り込み、北朝鮮に渡っていった。僕自身、悲しいかなメディア情報に洗脳され、批判的に見る能力を欠いていた。
Pachinko もそういう時代の在日コリアンを見逃していない。当時、北朝鮮当局による日本人拉致が横行していたわけだが、日本の公安当局はそれを知ってか知らずか黙過した。もちろん、非難されるべきは北朝鮮側である。他方、日本側に一国家として弁明しようのない怠慢があったことも否定しようがない。現在に至るまで日本側に毅然とした交渉姿勢すら見られないことは否めない。
著者の鋭い観察眼と感性が日本の読者に日本社会を振り返ることを強いる。この小説は在日コリアンの歴史だけを描いたのではない。日本に住む外国人を含む日本社会に対し鋭い問題提起をしているのだ。
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