KOREAN WAR AND “NATIONALITY” OF KOREANS IN JAPAN (1947-52)

鄭栄桓(Chong Young-hwan)氏の雑誌掲載論文(PRIME 2017.3.31)在日朝鮮人の「国籍」と朝鮮戦争(1947‒1952年)–「朝鮮籍」はいかにして生まれたか より次の表(図1 外国人登録「国籍」欄の日本政府の変遷)を転載します(一部編集)。

外国人登録の「国籍」欄に対する日本政府の解釈

時期朝鮮朝鮮韓国韓国
表示内容の解釈朝鮮」への記載変更表示内容の解釈韓国」への記載変更
1947.5.2-50.2.22出身地表示説
1950.2.23-51.2.1出身地表示説出身地表示説国籍証明文書不要c
1951.2.2-65.10.25出身地表示説出身地表示説国籍証明文書提示
1965.10.26-70.9.25出身地表示説国籍表示説国籍証明文書提示
1970.9.26-71.2.26出身地表示説例外的に可a国籍表示説国籍証明文書提示
1971.2.27出身地表示説条件付で可b国籍表示説国籍証明文書提示
a. ①事務上の記載間違い、または②本人意思によらない他人の勝手な書換え手続きで「韓国」となったもののみ例外的に記載変更を認めた。 b. ①韓国の在外国民登録をしていない、②韓国旅券の発給を受けたことがない、③協定永住許可がなされていないの三点を確認できれば市町村長限りで「朝鮮」への記載変更を認めた。 c. 本人陳述のみ

以下、同論文より一部抜粋し転載します(段落の区切りを編集、脚注を省略)。

(前略) 日本政府はサンフランシスコ講和条約の発効にともない、朝鮮人は日本国籍を喪失したとみなした。このときなぜ「外国人」となった朝鮮人の国籍が記載されず、「便宜の措置」としての朝鮮籍が残ることになったのか。この問題に答えなければならない。
 朝鮮籍がいかにして生まれたのかという問いに答えるためには、1947年の登場のみならず、1952年における継続の背景を探る必要がある。その際にあわせて考えるべき問題に、外国人登録における韓国籍の登場と日本政府の解釈の変遷がある。在日朝鮮人の国籍問題は日本の植民地支配の清算をめぐる問題であると同時に、南北の分断、そして日本の南北朝鮮との外交関係のあり方と密接に係る問題であった。そのため、外国人登録制度の国籍欄についての行政実務や解釈も、日本政府の対朝鮮政策の反映であったとみなければならない。
 政府統一見解は、韓国籍の登場の経緯について次のように説明する。外国人登録令施行当初は「朝鮮」とのみ記載できたが、在日朝鮮人のなかから「『韓国』(又は『大韓民国』)への書換えを強く要望してきた者があるので、本人の自由意思に基づく申立てと、その大部分には韓国代表部発行の国民登録証を提示させたうえ『韓国』への書換えを認めた」。
 1965年現在の韓国籍者は、「このような経過によって『韓国』と書換えたものであり、しかも、それが長年にわたり維持され、かつ実質的に国籍と同じ作用を果たして来た経過等にかんがみると、現時点から見れば、その記載は大韓民国の国籍を示すものと考えざるをえない」。すなわち、朝鮮籍が「国籍を表示するものではない」のに対し、韓国籍は「大韓民国の国籍を示すもの」であると説明した。
 実はこの政府統一見解は、従来の日本政府の外国人登録証明書の国籍欄解釈を修正するものであった。1950年2月23日、法務総裁は「朝鮮」「韓国」は「単なる用語の問題であって、実質的な国籍の問題や国家の承認の問題とは全然関係な」いとする談話を発表した。それゆえ朝鮮籍であり韓国籍であれ、「その人の法律上の取扱いを異にすることはない」としていた。
 にもかかわらず政府統一見解は、韓国籍を「実質的に国籍と同じ作用を果たして来た経過」から国籍を示すものとした。1965年以前のどこかの時点から、韓国籍は韓国国籍としての作用を果たすことになったというのである。当時「180度の転換」と評されたゆえんである。
 それでは、日本政府の韓国籍解釈はいつ変わったのか。在日朝鮮人史研究者の金英達が1987年に発表した論文はこの問題を検討したものである。金英達は法務省入国管理局や川崎市が部内資料として編纂・整理した通達集を用いて、1947年から71年にかけての国籍欄をめぐる行政実務の変遷を明らかにした。
 金の研究に基づき、日本政府の「国籍」欄解釈と記載変更について筆者が整理したものが図1[上の表]である。図中の「表示内容の解釈」とは、その時々の日本政府が、外国人登録の国籍欄の「朝鮮」や「韓国」という名称が何を表示していると解釈したかを示す。地域名を表示したとの解釈を「出身地表示説」とし、国家名の表示との解釈を「国籍表示説」とした。
 金英達によれば、日本政府が韓国籍解釈を事実上修正したのは1951年2月である。図1[上の表]の通り、日本政府は一貫して、朝鮮籍は国籍の帰属ではなく、出身地を表示するものであるとの解釈を採ってきた。韓国籍についても当初は出身地であるとの解釈を採ったが、1951年2月(第三期)以降、表向きは出身地表示説を採る一方で、外国人登録における国籍の記載変更に際して国籍証明文書(「大韓民国国民登録証」)の提出を求め、事実上の国籍表示説へと解釈を修正したという。
 そして、日韓基本条約締結後に前述の政府統一見解を発表することで名実ともに国籍表示説を採ることになった。その後、日韓条約締結後に起こった「朝鮮国籍」への変更を要請する運動に応じて、福岡県田川市などの革新自治体は韓国から朝鮮表示への記載変更を認めた。法務省は当初記載変更を一切認めない方針であったが、最終的には条件付きで「韓国」から「朝鮮」への変更を認めるに至った。国籍の記載変更という問題が、「国籍欄」の解釈に多大な影響を与えていることがわかる。(後略)
明治学院大学機関リポジトリより

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