コロナ禍にまつわる虚構

いつのころからか、コロナ禍をめぐる狂騒がフィクションではないかと思うようになった。中国武漢の市場かウイルス研究所が発生源といわれ、またたく間に世界に広がったパンデミックには、当初から人工的に発生したものではないかという疑惑がまとわりついていた。米仏などの支援を受けて設立運営されてきた研究所だから余計に疑念が生じる。関係国の利害が交錯するからだ。

日本社会は他の地域と比べ感染者も死者も抑えられてきた、と欧米メディアが評価している。小学生のときから「自然と共生する日本、自然と対立する欧米」と教えられたが、その図式を無理に当てはめると、コロナ(Covid19)と共生する日本社会、コロナと対立する欧米社会とか言えないこともない。実際は日本社会は自然と共生していないどころか、自然を破壊しているとしか思えない。

小説家だったら、これだけの材料と地域を越えた状況があれば、この時代を切り取った虚構(フィクション)を構築するはずだ。ただ、虚構には一つの条件がある。虚構を設定することによって同時代に特徴的なことをあぶり出ことだ。その特徴とはある地域や時代状況の本質に関わるものであり、小説家が長年あたためている思想にもとづくものでなければならない。少なくとも僕はそう信じている。

巣ごもり、三密、リモート、不要不急などの用語が部分的にあぶり出す日本社会の現状を虚構に見立ててどう描くか。その虚構が浮き彫りにするものは何か。「いつか名もない魚(うを)になる」で設定した枠組みの向こうに見えるものは何だろうか。

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