何かのきっかけで世間に名が知られ、僕の文章に共感する人々が増えて、講演などを頼まれるようになったら、日本と韓国と北米ほかの中高校に行き、若い人々と話す機会を得られたら、と思う。カブァンも自伝の冒頭で若い人々に伝えるためと書いていた。これが僕のささやかな夢なのだが、小説の末尾で主人公が記録係に伝えた次の言葉を思い出す。
「ねえ君、水中の生活は陰鬱でも不自由でもないよ、君たちの想像をはるかに超えて明るく澄んでいる。いろんな方角から多彩な光が差し込んでキラキラ輝いている。水中はいつも滔々とうねってビートを打っている。そんな色と音とうねりに合わせて魚たちがアルゼンチンタンゴを舞うんだ。毎晩ミロンガも開かれる。急がなくていいけれど、早くこっちにやって来たまえ」
ミロンガというのはアルゼンチンタンゴ特有のパーティだが、そこに人々ならぬ魚々(うをうを)が集まって舞うようすを描いている。老後あるいは死後(があるとして)において、人々魚々が楽しげに集う、そういう荒唐無稽な想像をする自由があっていいと考える。