ヒョウの発想の根幹にあるものは何だろう。自身の信仰を問われ、無宗教だと応えて平然としている人々、その応答を当然のこととして聞き流す人々、彼らが所属する集団に対する深刻な疑問だろうか。畢竟、自らに対する省察が不足しているというだけではないか。
では、筆者はなぜヒョウ(凭)という主人公を創作し、彼を通じてンヴィニ教徒を批判する手法をとったのだろうか。そして、彼を認知症患者という判断能力が疑われかねない人物に仕立てたのだろうか。
コンヴィニエンスストア(コンビニ、便宜店)を人々の拠り所として寺院に見立てたのは慧眼だろうか、半狂人ゆえの妄想だろうか。ンヴィニ教寺院という見立てを読者はどのように捉えるのだろう。
小説の第4章を練り上げる時期によく来た場所に、7ヵ月ぶりにやって来た。コロナ禍の影響を受け、立入禁止の貼り紙がしてある。構想のヒントを得た愛着のある場所が立入禁止になっている、小説の叙述がこの場所に及んだような(そんなことはあり得ない)気がして、自分の内面世界をいぶかしく思った。