春1905 雀の子そこのけ〳〵御馬が通る
『八番日記』や『おらが春』『文政版』に載っている一茶のよく知られた句だが、作者はどこにいてどう観察しているのだろうか。長いあいだ僕は作者が馬上にいると思い込んでいた。あるいは、街道脇に立っているか近くの旅宿にいて、馬に乗った人々が通過するのを見ているものと思っていた。
『おらが春』(岩波文庫1992年)の句注を読み、「そこのけそこのけ」が子どもの竹馬遊びのかけ声だと知ったのはつい最近のことだ。御馬が竹馬の馬だとすると、竹馬に乗った子どもが発するかけ声とも解釈できる。
作者がどこにいるかによって観察者の眼の高さが違うから、子雀との距離も異なってくる。上述の例では竹馬に乗った子どもの視線が子雀ともっとも近いところにある。
春1905の句の前に「馬迄もはたご泊や春の雨」があり、一句置いた後に「横乗の馬のつゞくや夕雲雀」があるから、「…御馬が通る」も駅馬で作者は街道かそれに面した旅宿にいる可能性が高い。そこに竹馬遊びのかけ声を使ったにがいかにも一茶らしい。
一茶の句を読むとき、読者はさまざまな位置に身を置いて想像する自由を与えられているはずだ。彼の句と遊びながら折りにふれ好きな句を読む、それが僕の読み方である。
Leave a comment