ちうくらゐ再々考

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先に、おらが春の出版と題して次の文章を投稿した。その続きを書かなければならない。

…「ちうくらゐ」の意味を改めて考えなければならない、(一茶は)我身の老にまつわる不安がめでたさを満喫させないのだろうか。

以下に「おらが春」の1章/14章/20章を再掲する。1章の半ばに文政2年1月1日、末尾に2月15日とあり、14章には去4月16日とある。20章の末尾には文政2年12月29日とあるから、いつ書かれたかは別として同年1月から12月末までの文政2年句帖と考えてよい。「其引」という引用が目立つようにみえる(14章)。

この前後、文政1年5月4日に長女さとが生まれ、翌年5月末に天然痘に感染して6月21日(1819年8月11日)に死んでいる。一茶の年齢は数えで56歳から57歳である。

01[普甲寺上人の話]

昔たんごの國普甲寺といふ所に、深く淨土を願ふ上人ありけり。としの始は世間祝ひ事してざゞめけば、我もせん迚、大卅日の夜、ひとりつかふ小法師に手紙したゝめ渡して、翌の曉にしか〴〵せよと、きといひをしへて、本堂へとまりにやりぬ。小法師は元日の旦、いまだ隅々は小闇きに、初鳥の聲とおなじくがばと起て、教へのごとく表門を丁々と敲けば、内よりいづこよりと問ふ時、西方彌陀佛より年始の使僧に候と答ふるよりはやく、上人裸足にておどり出て、門の扉を左右へさつと開て、小法師を上坐に稱して、きのふの手紙をとりて、うや〳〵しくいたゞきて讀でいはく、其世界は衆苦充滿に候間はやく吾國に來たるべし、聖衆出むかひしてまち入候とよみ終りて、おゝ〳〵と泣れけるとかや。此上人みづから工み拵へたる悲しみに、みづからなげきつゝ、初春の淨衣を絞りて、したゝる泪を見て祝ふとは、物に狂ふさまながら、俗人に對して無情を演るを禮とすると聞からに、佛門においては、いはひの骨張なるべけれ。それとはいさゝか替りて、おのれらは俗塵に埋れて世渡る境界ながら、鶴龜にたぐへての祝盡しも、厄拂ひの口上めきてそら〴〵しく思ふからに、から風の吹けばとぶ屑家は、くづ屋のあるべきやうに、門松立てず、煤はかず、雪の山路の曲り形りに、ことしの春もあなた任せになんむかへける

目出度さもちう位也おらが春 一茶

 こぞの五月生れたる娘に一人前の雜煮膳を居ゑて
這へ笑へ二ツになるぞけさからは

 文政二年正月一日

 とし男つとむべき僕といふものもあらざれば
名代にわか水浴る烏かな 一茶

 水江春色
すつぽんも時や作らん春の月 ゝ
山の月花盗をてらし給ふ ゝ

 善光寺堂前
灰猫のやうな柳もお花哉 ゝ
さくら〳〵と唄はれし老木哉 ゝ
櫻へと見えてじん〴〵端折哉 ゝ

 初午
花の世を無官の狐鳴にけり ゝ
かくれ家や猫にもすへる二日灸 ゝ
葎からあんな胡蝶の生れけり ゝ

 上野遠望
白壁の誹れながらかすみけり ゝ
苗代は菴のかざりに青みけり ゝ
花の陰あかの他人はなかりけり ゝ

 二月十五日
小うるさい花が咲とて寐釋迦かな ゝ
み佛や寐ておはしても花と錢 ゝ
猫の子や秤にかゝりつゝじやれる 一茶

 玉川
さらし布霞の足しに添(に)けり ゝ
14[露の世]

樂しみ極りて愁ひ起るはうき世のならひなれど、いまだたのしびも半ばならざる、千代の小松の二葉ばかりの笑ひ盛なる緑り子を、ね耳に水のおし來るごときあら〳〵しき痘の神に見込れつゝ、いま水膿のさなかなれば、やをら咲ける初花の泥雨にしほれたるに等しく、側に見る目さへくるしげにぞありける。是も二三日經たれば痘はかせぐちにて、雪解の峽土のほろ〳〵落るやうに瘡蓋といふもの取れば、祝ひはやして、さん俵法師といふを作りて、笹湯浴せる眞似かたして、神は送り出したれど、益々よはりて、きのふよりけふは頼みすくなく、終に六月二十一日の蕣の花と共に、此世をしぼみぬ。母は死顏にすがりてよゝ〳〵と泣もむべなるかな。この期に及んでは、行水のふたゝび歸らず、散る花の梢にもどらぬくひ事などゝ、あきらめ顏しても、思ひ切がたきは恩愛のきづななりけり

露の世はつゆの世ながらさりながら 一茶

去四月十六日、みちのくにまからんと、善光寺まで歩みけるを、さはる事ありて止みぬるも、かゝる不幸あらんとて道祖神のとゞめ給ふならん
其引
 子におくれたるころ
似た顏もあらば出て見ん一踊 落梧

 母におくれたる子の哀さに
おさな子やひとり飯くふ秋の暮 尚白

 娘を葬りける夜
夜の鶴土に蒲團も着せられず 其角

 孫娘におくれて三月三日野外に遊ぶ
宿を出て雛忘れば桃の花 猿雖

 娘身まかりけるに
十六夜や我身にしれと月の欠 杉風

 猶子母に放れしころ
柄をなめて母尋るやぬり團扇 來山

 愛子をうしなひて
春の夢氣の違はぬがうらめしい ゝ

 子をうしなひて
蜻蛉釣りけふはどこまで行た事か かゞ千代
 やんごとなき人々の歌も心に浮ぶまゝにふとしるし侍りぬ

 讀人知らず
哀なり夜半に捨子の泣聲は
 母に添寢の夢や見つらん

 爲家卿
捨て行く親したふ子の片いざり
 世に立かねて音こそなかるれ

 兼輔卿
人の親の心は闇にあらねども
 子を思ふ道に迷ひぬるかな

 頌曰
未擧歩時先己到 未動舌時先説了
直饒著々在機先 更須知有向‐上竅
[仮訳: 歩を踏み出す前に到り、舌を動かす前に語る、常に機先を制し、さらに奥義を知らねばならぬ]
貰ふよりはやくうしなふ扇かな 一茶
俄川とんで見せけり鹿の親 ゝ
大寺や扇でしれし小僧の名 ゝ

 曲者隱れてうかゞふ圖
あはれ蚊のついと古井に忍びけり ゝ

 大山詣
四五間の木太刀をかつぐ袷かな ゝ
太郎冠者まがひに通る扇かな ゝ
20[あなた任せ]

他力信心〳〵と一向に他力にちからを入れて頼み込み候輩は、つひに他力繩に縛れて、自力地獄の炎の中へほたんとおち入候、其次に、かゝるきたなき土凡夫をうつくしき黄金の膚になしくだされと、阿彌陀佛におし誂へに誂ばなしにしておいて、はや五體は佛染み成りたるやうに惡るすましなるも、自力の張本人たるべく候。問ていはく、いか樣に心得たらんには、御流儀に叶ひ侍りなん。答ていはく、別に小むづかしき子細は不存候、たゞ自力他力何のかのいふ芥もくたを、さらりとちくらが沖へ流して、さて後生の一大事は其身を如來の御前に投出して地獄なりとも極樂なりともあなたさまの御はからひ次第あそばされくださりませと御頼み申ばかりなり如斯決定しての上には、なむあみだ佛といふ口の下より、慾の網をはるの野に、手長蜘の行ひして、人の目を霞め、世渡る雁のかりそめにも、我田へ水を引く盗み心をゆめ〳〵持べからず、しかる時はあながち作り聲して念佛申に不及ねがはずとも佛は守り玉ふべし、是則當流の安心とは申なり、穴かしこ
五十七齡

ともかくもあなた任せのとしのくれ 一茶

文政二年十二月廿九日

上の表で太字にした部分に着目したい。

  • ことしの春もあなた(阿彌陀佛)任せになんむかへける「目出度さもちう位也おらが春」
  • 行水のふたゝび歸らず散る花の梢にもどらぬくひ事などゝあきらめ顏しても、思ひ切がたきは恩愛のきづななりけり「露の世はつゆの世ながらさりながら」
  • 後生の一大事は其身を如來(阿彌陀佛)の御前に投出して地獄なりとも極樂なりともあなたさまの御はからひ次第あそばされくださりませと御頼み申ばかりなり。如斯決定して…あながち作り聲して念佛申に不及ねがはずとも佛は守り玉ふべし是則當流の安心とは申なり「ともかくもあなた任せのとしのくれ」

文政2年正月に「目出度さもちうくらゐ也」と感じたとしたら、いつまで愛くるしい娘を見守ることができるだろうか、あと幾年か不明ながらそう長くはないだろう、という予感ではなかったか。その感慨は老人にとって切実だ。畢竟するに、先に書いた「我身の老にまつわる不安がめでたさを満喫させない」の域の思考停止でしかない。君は老人だ。

白井一之が一茶の自筆稿本を伝え自費出版してくれたからこそ、僕らはこの句帖を読むことができる。そのことはいくら感謝しても足りない。ただし、この句帖の題名が「おらが春」でよかったのか、と俳諧の門外漢ゆえに考えてしまう。この時期の一茶は自らの春を謳歌していなかった、というより喜びに満ちたサトとのあまりにも短い時間とその喪失の断絶に戸惑い揺れ動いていたはずである。

それを示すような題名があればと思う。「ちうくらゐ」という語はそんな揺らぐこゝろを表現しているのではないか。煩悩と菩提、執着と達観、自力と他力、自他のあいだで揺れ動く思考ないし思惟の揺らぎこそが「ちうくらゐ」なのではないか、と考えた。

「是則當流の安心とは申なり」と云うとき一茶の心中にどのような思いが去来していたのか思いめぐらすと興味尽きない。

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