foreign languages

日本の戦後における外国語教育は英語一辺倒だったが、80年代に英語を基軸とする多言語主義が唱えられると、それに追随した。2000年代に入り、EUで長年かけて築き上げられた複言語主義の枠組みが提唱されると、多くの大学で外国語教育のモデルが見直される。

日本における外国語に対する考え方が一貫しているようには見えない。その根幹にある問題は日本語に対する確たる思想がないことだ。こういうことを主張すると、すぐに右寄りの人々がざわつく。筆者は左右どちら寄りなのか、と。その程度の捉え方では困るのだ。

たとえば、日本と韓国のあいだに越えがたいギャップがあるといわれるが、なぜそうなったのかを考えようとしない。江戸時代を通じて朝鮮通信使という使節団の来訪が十数度あったことを取り上げ、異文化交流という流行語を用いて美化する。同じ時代に琉球通信使というのもあったのだ。

翻って明治時代に入るとすぐ征韓論が起こり、日清戦争を経て明治日本の悲願だった条約改正が達成された。その結果、日本国内の内地雑居が帝国議会で承認される(1899年)。というように学校教育で教えられてきた。その延長上にある価値観を身に付けた人々の目に映る日韓・日朝関係とは何なのか。

自分たちの受けた歴史教育に異を唱えることなく、そのとおりの歴史観を疑わない人々に違和感を覚える。といってそれを被虐史観と呼んで恥じることのない加虐史観には吐き気を催す。

どう考え、何をなせばいいのか。議題を絞り込んだうえで真摯な議論を交わさないといけない。その議論を多国間の複言語の枠組みで行えないだろうか。そんなことを考えているのだが、僕自身もまだ明確に描けるまでに至っていない。

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