中也の詩

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中原中也(1907-37)の第2詩集りし日の歌: 文也ふみやれいささぐ」(1938年)を約50年ぶりに読んだ。むかし繰り返し読んだ宮澤賢治(1896-1933)の「春と修羅しゅら(第1集 1924年)にどこか似たところがありなつかしい気がした。

朝鮮をんなの服の紐
秋の風にやれたらん
街道を往くをりをりは
子供の手をば無理に引き
しかめしおも
肌赤銅の乾物ひものにて
なにを思へるその顔ぞ
――まことやわれもうらぶれし
こころにほうけ見ゐたりけむ
われを打見ていぶかりて
子供うながし去りゆけり……
軽く立ちたるほこりかも
何をかわれに思へとや
軽く立ちたる埃かも
何をかわれに思へとや……
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青空文庫中原中也「在りし日の歌」より

一年足らずの学生時代に読んだこの詩の一節がいまも頭のどこかに残っていて、折にふれ思い出される。1970年だった。新宿駅のプラットフォームの雑踏でチマチョゴリ姿の女性を目にしたとき、僕は何を考えていたのだろう。「何をかわれに思へとや」「何をかわれに思へとや」。この1行がくり返し頭のなかを廻っていた。当時はそれが朝鮮高校の制服だということも知らなかった。

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