僕を産んで育て、家族のために尽くし、離婚してまで自分の生き方を貫いた母の姿を記録に残したい、そう思って書いた文章がある程度溜まった。「ヒョーヤと仲間たち(1)」という。ただ、第3章の途中で止まったままだ。
いくら断片を集めても彼女の姿は捉えられない。母と自分の関係を軸に書くことも試みたが、そう簡単ではない。結局、自分のことになってしまうからだ。
処女作「いつか名もない魚になる」を書いたときもそうだった。場面ごとの執筆はできても全体としてまとまらない。そんな状態で停滞した時期が長く続いた。文章表現力の何かが欠落しているのではないかとも思う。
入院して3週目に入り弱々しく見える母に会うたびに考える。もしかしたら、これが最期になるかもしれない、と。そんなとき、母が僕をからかうようにいう。
「わたし、どこが悪いの」。「あたま」だと応えると、母が笑う。ひ孫の動画を見せると、
「かわいいね、誰の子」。「Nだよ」と応えると、「結婚したの、相手はどんな人」と尋ねる。娘婿の写真を見せると母が頷く。
「退院したいよ」「そうだね」二人で見つめ合う。そう、いつだって僕は彼女の息子なのだ。
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