最近、図書館を利用する機会が増えた。中高生のころ以来だ。受験生たちに囲まれ一緒に勉強している。50年経って図書館のようすも変わり、僕がよく利用するところは開放型でコーヒーショップとつながっている。児童向け図書やスペースも充実している。
デスクにはノート型PCやPADに向かう人が目立ち、イヤホンをしている人も多い。音に過敏な僕は、キーボードを打つ音やタッチペンで画面を叩く音に苛立ってしまう。受験生や資格試験の受験者が多いのは昔と同じかもしれない。
新聞雑誌コーナーには高齢者も多い。屁をもらし足を引きずりながら歩く常連もいる。自分も同類だろうが、老醜とは何だろう。
同音異義語に陋習(いやしい習癖)があり、どこか似ている。諭吉は旧習に囚われている同時代の人々をとらえて「頑迷固陋」と云った。親しんできた慣習を頑なに守り、自ら顧ることのない人たちを云うのだろう。
老人の美しさがある、と僕は信じている。笑う人は嗤えばいい。と同時に、多くの醜さがあることも承知している。逆にいえば、若者には若いがゆえの美しさがあり、若いがゆえの醜さがあると考える。これを前提したうえで、老醜あるいは陋習について考えてみたい。
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