老醜と陋習

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最近、図書館を利用する機会がえた。中高生のころ以来だ。受験生たちに囲まれ一緒に勉強している。50年って図書館のようすも変わり、僕がよく利用するところは開放型でコーヒーショップとつながっている。児童向け図書やスペースも充実している。

デスクにはノート型PCやPADに向かう人が目立ち、イヤホンをしている人も多い。音に過敏な僕は、キーボードを打つ音やタッチペンで画面をたたく音に苛立いらだってしまう。受験生や資格試験の受験者が多いのは昔と同じかもしれない。

新聞雑誌コーナーには高齢者も多い。をもらし足を引きずりながら歩く常連じょうれんもいる。自分も同類だろうが、老醜ろうしゅうとは何だろう。

同音異義語に陋習ろうしゅう(いやしい習癖しゅうへき)があり、どこか似ている。諭吉は旧習にとらわれている同時代の人々をとらえて「頑迷固陋がんめいころう」とった。親しんできた慣習をかたくなに守り、自らかえりみることのない人たちを云うのだろう。

老人の美しさがある、と僕は信じている。笑う人はわらえばいい。と同時に、多くのみにくさがあることも承知している。逆にいえば、若者には若いがゆえの美しさがあり、若いがゆえの醜さがあると考える。これを前提したうえで、老醜ろうしゅうあるいは陋習ろうしゅうについて考えてみたい。

3 responses

  1. 최정순 Avatar
    최정순

    그렇겠지요…
    젊은이든 노인이든 좋은 면과 나쁜 면 모두를 갖고 있을 테지만 나쁜 것은 최대한 작게 하고, 겉으로 드러나지 않도록 좋은 것을 더 많고 크게 만들어 나쁜 것을 가리면서 사는 게 우리 삶이겠지요.

    그런데 어린아이한테는 좋은 것만 있겠지요?

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  2. shaw Avatar

    어린아이는 그렇겠죠. 각별한 존재지.

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  3. shaw Avatar

    電車の車内で同世代の男が臆面もなく、電話を立て続けに三度も掛け何かの予約をしようとしている。まさに老醜をさらしていると思う。他の乗客の迷惑を考えずに電話をし続けている、恥知らずということだ。
    ドア付近では女子高生が二人大きな声で話している。これも周囲を顧みない態度であるが、醜いとまでは云われない。なぜだろう。

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